▼ 【3-15-12】ライオンの母
レオンさまが無事に結婚式を挙げられた。
披露パーティも、もうじき終わる。中庭に通じるテラスに立ち、ひっそりと涙を拭う。
お二人が誓いの言葉を述べられた瞬間からずっとこらえていたのだ。
あのお小さかったレオンぼっちゃまが。
明るい茶色の瞳に冷たく堅い光を宿し、誰にも心を開こうとしなかったお子が、あんなに幸せそうに笑っておられる。
マクラウドさまに手をとられて、少しはじらいながらもダンスを踊っておられる。
高校のプロムパーティでは、誰とも踊らずにひっそりと帰られたあのレオンさまが。
「良かった……」
思わず呟きが漏れた、その時だ。
「アレックス」
懐かしい声を聞いた。長い年月を経て少しばかり変わっていたが、それでも銀の鈴を振るうようなあの響きは変わらない。
振り向いて、一礼した。
「……お久しゅうございます、クラリッサさま」
ぱっちりしたかっ色の瞳にさらりとしたライトブラウンの髪、すっと鼻筋の通った端正な顔立ち……さながら遠き独逸の湖畔に建つ城の窓辺にたたずむ、貴族の姫君を思わせる
ああ。
やはりお嬢様はお美しい。
今も、昔も、変わらずに。
「ずっとレオンハルトに付いていてくれたのね。ありがとう」
「それが……私の勤めでございますから……もったいのうございます」
「入っても、よろしいかしら?」
「どうぞ、こちらへ」
震える手をさしのべ、中へとご案内した。
※ ※ ※ ※
ゆっくりと時間をかけて、サリーは双子とレストランに戻って来た。
入り口から玄関ロビーに入り、受け付けのカウンターにやってくると自然と一対のぬいぐるみに視線が向く。
(あれ?)
サリーは思わず首をかしげた。
ティアラをつけたライオンの背に、ヴェールをつけてブーケをかかえたクマがまたがっている。
確か来たときにヨーコさんがいたずらしたはずなんだけど………さすがに、ここまではやっていなかったような気がする。
オティアは興味なさげにちらりと一瞥くれるとすたすたと通りすぎた。
シエンはと言うと、クマをライオンの上から降ろし、元通り隣に並べてからオティアの後をついて中に入っていった。
(……これは、このままでいいのかな)
少し考えてから、やはり手を出さずに行くことにした。ティアラも、ヴェールも、それぞれしっくり似合ってるような気がしたからだ。
※ ※ ※ ※
「あーあ、お腹空いちゃったー」
ダンスタイムの間中、ヨーコは手をとりあって踊る新郎新婦をにこにこと見守りながら、旺盛な食欲を発揮して皿の料理を口に運んでいた。
着物に一滴の汁も飛ばさずに子羊の香草焼きを一切れ、しかもかなり大振りなやつを平らげた時はさすがに舌を巻いた。
「……和服着てると腹がきつくて物食えないって聞いたことあるんだが」
「ん? まあ、そう言うこともあるかもね」
さらっと答える合間にウェディングケーキをせっせと食ってる。あのちっぽけな体のどこに入ってくんだ? 俺の記憶が正しければ、それ確か三切れ目だろ!
「なあ、ヨーコ」
「何?」
「まだ、食うのか?」
「…………そうね、そろそろ………カフェラッテ飲んどこうかな。カップとってくれる?」
「これか?」
小さめのカップをとると、断固とした表情で首を横に振った。
「違う! そっちの大きい方」
「……さいですか……」
特大のマグカップをとると、会場に設置されたコーヒーメーカーに歩いて行き、ぶしゅーっと注いでからうやうやしくさし出した。
「どうぞ」
「……ありがとう」
カップの中味をすすりながら料理の並ぶテーブルにちらちらと視線を走らせている。
要するに、中休みってことらしい。
「ヨーコさん、その辺にしといたら?」
「あら、サクヤちゃん、お帰り」
双子が戻ってきた。
サリーと一緒に。
かすかに潮の香りがする………ってお前ら、どこ行ってたんだっ?
「おつかれさま」
「いえいえ。あ、それとヨーコさん……」
サリーがにこやかに言った。
「あの鳥、いまいち生態分布的に正しくなかったよ」
「……しょうがないじゃん、あたし日本人なんだし?」
「それに今は夏だから、頭がかっ色じゃないと」
「うー……抜かった」
言葉は聞こえる、だが意味がわからない……日本語だからなあ。ただ珍しくヨーコが悔しそうな顔をしていて、思わずにやにやしちまった。
そうこうするうちにダンスは滞り無く終了し、レオンとディフが戻ってきた。
「オティア……シエン…………」
ディフの顔を見上げて、シエンが小さな声で
「ごめんね」と言った。オティアは相変わらずそっぽを向いている。
戻ってきたんだからいいじゃないか、とでも言いたげに。
「髪の毛、くしゃくしゃだな。整えとくか?」
双子に問いかけるディフの手の中にすちゃっと木の櫛が渡される。
「……ありがとう」
ヨーコに礼を言うと、『まま』はシエンに近づき、少し考えてから櫛を手渡した。
「自分でやるか?」
「ん」
シエンはまず、自分の髪の毛を丁寧にとかしてから、オティアの髪をとかしはじめた。
「……まだ、羽根ついてるね」
ディフが首をかしげてる。
うんうん、俺も同じ気持ちだよ……控え室で休んでただけじゃ、海鳥の羽根なんかつくはずがない。
見守っていたらレオンに肩をたたかれた。
「ヒウェル。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何でしょう」
「バンドの人数……増えていたね」
「ええ」
「やっぱりあれもMr.ランドールからの『贈物』かい?」
「まあ、ねえ、いや、別に催促した訳じゃないんですよ? 自主的に申し出てくれたものを断る道理はないじゃないすか」
レオンはかすかに眉をひそめた。
「顧客と必要以上に親密にしたくないんだ」
「了解、それじゃ今後はそのラインは守ります」
「頼むよ」
「……ほんっとに覚えてないんだなあ」
「……何をだい?」
「いや、別に」
覚えていないのならわざわざ指摘するまでもないだろう。
Mr.ランドール、彼が五年前にレオンに言い寄ったことがあって。その時、俺にウォッカ三倍の特製ソルティドッグでつぶされたってことを。
無論、向こうも覚えちゃいない。顔を合わせた時はどっちもしたたか酔っていたし、Mr.ランドールに至ってはその後、酔いつぶれていたのだから。
「届かないよ」
「わかった」
ふと見ると、ダンスでいい具合に乱れたディフの髪の毛を今度はシエンがとかしていた。身長差を解消すべく、『まま』が中腰になって。
「レオンさま」
「何だい、アレックス」
執事はうやうやしく、かつ厳かに告げた。
「クラリッサさまがおいでになりました」
クラリッサ?
はて、その名前、聞き覚えがあるような。ないような。………誰だ?
記憶をたぐりよせていると、アレックスに案内されてきた薄緑のドレスの女性がすっと前に進み出た。
アールヌーボー調の飾り気のない直線的なストンとしたドレス。首の周りと耳元には、金の留め具で綴じられた光沢のある翠の石がびっしりと連ねられている。
翡翠だ。
色といい、とろりと油を引いたようなつやといい、申し分のない最上クラスのジェダイド。いったいいくらするのか、軽く値段を想像して目眩がした。
華奢な足を収めたハイヒールのパンプスも、首飾りと同じ翡翠の色。無意識に真珠の縫い取りを期待してしまうのは、身にまとう王女のごとき気品の所為だろうか?
※月梨さん画、アレックスと……
「ひさしぶりね、レオンハルト」
「母さん」
聞き覚えがあるはずだよ。
クラリッサ・ローゼンベルク、レオンの母親だ………。
ライトブラウンの髪と瞳。すっと鼻筋の通った貴族的な顔立ち。レオンの美貌をそのまま女性に移しかえたような……いや、源流はむしろこっちか。
驚く息子の側を通りすぎると、レオンの母はがちがちに緊張している嫁にとことこと歩み寄って行く。あわててディフが曲げていた腰をしゃきっと伸ばした。
「うちの息子をよろしくお願いします」
「おっ俺の方こそ……ふつつか者ですがっ」
視線がさまよってる。右に、左に。言うべき言葉を探しているのだろう。しばらく迷ってから、ディフは小さくうなずいて、ヘーゼルブラウンの瞳に柔らかな光にじませながらほほ笑んだ。
「よろしくお願いします……お母さん」
「いえ、もうとっくに息子には縁切られてますから」
とんでもないことをさらりと言って、ころころと笑う。ディフがぎょっと顔を強ばらせた。
サリーとヨーコに至っては気を使ったのかさりげなく少し離れた所に移動していた。
ああ、やっぱりレオンって母親似なんだな。
内面的にも。
外見的にも。
さて、この場で俺は何を言うべきだろう?
「あー、その……撮っときますか。記念写真?」
クラリッサ嬢(そう、確か彼女は正式に結婚してはいない)は首をかしげてまばたきして、俺の手の中のカメラを見て、それからさらりと言ってのけた。
「いえ、あとで送ってちょうだい、あなたたちの」
「………わかりました」
「本当はこれの父親も来たいって言ったんだけど止めさせたのよ。どうみてもカタギじゃない連中ばかりいても邪魔ですものねぇ」
「そうですねぇ……」
招待客の半分以上が警察関係者と、検事と判事と弁護士なんだ。さすがに……なあ。それはまずいよ、うん。商売敵、いや、『商売』はとっぱらってもろに敵同士だもんな。微妙に縄張りは違うけれど。
「……うん、お父様にはあとで写真をお届けしましょう」
「ありがとう。住所はアレックスが知っているわ。じゃ、そろそろ私、帰るわね」
「え? もう?」
ディフがあわてた。
クラリッサ嬢は満足げにディフと、オティアと、シエンの顔を順繰りに見回し、最後に大きくうなずいた。
「ええ。あなたたちの顔が見たかっただけだから……それじゃ、皆さん、ごきげんよう」
ひらひらと手を振ると、クラリッサ嬢は現れた時と同じ様に唐突に帰っていった。
見送りながらシエンがぽつりとつぶやく。
「……びっくりした」
「ああ、俺も、びっくりした」
レオンは一言も喋らない。
堅い面持ちで去って行く母親の背を見つめている。営業用の笑顔さえ作らず、ただじっと。
ごく普通の客が帰る時だって、もうちょっと愛想よくするだろうに……。
その隣にディフが歩み寄り、彼の手を握った。両手で包み込むようにして。
「……ありがとう」
「遠慮すんな。夫婦だろ」
「ああ。そうだね」
「Hey,レオン。今のが君の母上か?」
「ああ、そうだよ、デイビット」
「なるほど。そっくりだな! 実にお美しい」
きゅっとレオンはディフの手をにぎり返し、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「……………そうだね」
※ ※ ※ ※
「アレックス」
「はい」
「あれが、例の双子たちね?」
「……はい」
「可愛らしいこと。」
お嬢様は、オティアさまとシエンさまを見てたいへん喜んでおられる。
「幸せなのね、レオンハルトは」
「はい」
「男と結婚すると聞いて最初は驚いたけれど……彼は、どんな子?」
「とても誠実で、お優しい方です。心からレオンさまを愛しておられます」
「……そう。あなたが言うなら、そうなのでしょうね」
お嬢様は手を伸ばし、受け付けに置かれたライオンのぬいぐるみを撫でた。レースの手袋をはめた指先で、くすぐるようにして。
「サンフランシスコまで来た甲斐があったわ………ありがとう、アレックス。元気でね」
「お気をつけて」
深々と一礼する。
レストランのエントランスには黒塗りのリムジンが停まっていた。
屈強そうなサングラスをかけた黒いスーツの男が二人、待機していて、お嬢様が近づくとおもむろに後部座席のドアを開けた。
クラリッサさまはうなずき、乗り込む。男たちもまた同じ車に乗り、走り出した。
外に出てお見送りした。
黒い車体が点となり、やがて曲がり角を曲がって見えなくなるまで、ずっと。
ああ。やはりお嬢様はお美しい。
お会いできて、本当に、良かった。
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