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ローゼンベルク家の食卓

【ex4-4】そして結婚式で

2008/07/22 17:03 番外十海
 
 8月のよく晴れた土曜日。
 
「それじゃ、リズ、ティナにアンジェラ、オードリー、バーナードJr.、ウィリアム……それとモニーク。行ってくるよ」

 一日分の餌と水を用意して(水はとくにたっぷりと)、戸締まりをするとエドワーズは出かけた。
 車で出かけるのは何日ぶりだろう?
 
 今日は友人たちの結婚式。場所は海を見下ろすレストラン。
 警察官時代はある意味楽だった。こんな時、着るものに困ったらとりあえず礼装用の制服を着て行けばよかったのだから。
 だが、今は自分も、当の友人も警察を辞めている。結局、黒のスーツに黒地にピンドットのベストにサスペンダー、白のシャツ(これはかろうじてフォーマル用)に黒のアームバンド……と、いつもの仕事着とほとんど代わり映えしない服装になってしまった。
 タイをどうするか最後まで迷ったが、愛用のアスコットタイではなく、礼装用の黒の蝶ネクタイを着用することにした。

 どちらも友人なのだ。これぐらい礼儀を払っても、行き過ぎと言うことはないだろう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 会場内は思ったよりずっと人が多く、顔見知りもまた然り。
 元警察の内勤巡査と言う立場上エドワーズは署内の警官とことごとく面識があったし、同じくらい検事や検事補、弁護士らとも顔を合わせる機会が多かったのである。

 そして彼の顔を見るなり誰も彼も申し合わせたように同じ台詞を口にした。
 
「よう、EEE。久しぶりだな、生きてたか!」

 ……参ったな。
 警察を辞めて三年、いかに自分が店とその周囲に引きこもって生活していたか、ひしひしと思い知らされる。
 こんな調子で式が始まるまでの間、挨拶を交わしながらウェルカムドリンク片手に広間を歩き回っていると、ひょろりとした背の高い金髪の青年と出くわした。

「やあ、エリック」
「……あ、EEE。お久しぶりですね」

 浮かない顔だ。自分の気配に気づくなりさっと笑顔に切り替えたようだが100%は変換しきれていない。
 ここで理由を聞くのは野暮と言うものだろう。彼は配属されてきた時から既にカミングアウトしていたし、マックスとは仲が良かった。

 終始上の空のエリックとしばらく話してから、テラスに出た。
 日よけの下とは言え陽射しはきつく、ほとんどの招待客は冷房の効いた室内にいる。だがここも十分快適な場所だ。
 背の高いオリーブの古木を中心に整えられた中庭はふかふかの緑の芝生に覆われ、海から吹き上げてくる風は実に心地よい。
 ふんわりと上品な香気をただよわせる薔薇のアーチをくぐり芝生をよぎる石畳の道は、ガーデンウェディングの際にはバージンロードに使われるものであろうか。

 手すりにもたれかかり、目を閉じる。

 祝福する上司に友人、決定的に終わった片恋いの名残を引きずりつつ笑顔で参列する後輩。
 ゲイカップルの結婚式と言っても、根本的に男女のカップルの場合と差異がある訳ではないのだな。
 そもそも結婚なんてもの自体、突き詰めれば二人の他人の結びつきなのだ。XY染色体の違いなど、些細なものなのかもしれない。

 ゆっくりと目蓋を開ける。陽射しがまぶしい……染みる。
 しぱしぱとまばたきをくり返して光に目を慣らしていると、ふと視界の端に見覚えのある姿をとらえた。
 ちらりと見えただけだったが、それが誰か判別するには十分だった。
 
「……サリー?」

 正直、意外だった。ここで会えるとは、思ってもみなかった。

(何故……彼女がこんな所に)

 改めて視点を合わせる。
 いつもの水色の白衣の代わりに黒のタキシードを着ていた。
 何故、女性なのにタキシードを……とも思ったが、よく見ると会場内には同じくタキシード姿の女性がちらほらしていた。
 最近の流行では、おそらくこれも有りなのだろう。何ら問題はない。実に、よく似合っている。
 
 静かに歩み寄り、声をかけた。

「こんにちは、サリー先生」
「あ……エドワーズさん」
「珍しい所でお会いしますね」
「ええ。従姉と一緒に来たんですけど、彼女、友だちの所に行っちゃって」
「そうでしたか」

 ほっとした表情をしている。おそらく彼女自身の知り合いはこの場にあまりいないのだろう。そのまま、テラスで二人並んで話をした。

「リズが無事、出産しましたよ。全部で6匹です。そのうち検診に連れて行きますので、よろしくお願いします」
「おめでとうございます。6匹かぁ、可愛いでしょう」
「はい、女の子が四匹で男が二匹、末っ子のモニークが元気が良くて。臆病なくせにすぐ冒険してあちこち潜り込むんです」
「目が離せなくて大変でしょう、小さいうちは」
「はい。油断すると書庫に潜り込むし、庭に出ようとするし。そのたびにリズに連れ戻されてますよ」
「いいなぁ、連れてきてくれるの楽しみにしてます」

 自分のような冴えない中年男と話して退屈しないだろうか。不安にならないでもないが、にこにこと嬉しそうに話を聞いてくれる。答えてくれる。

「……はい。ぜひお願いします」

 それが嬉しくて、こちらも控えめな笑顔で答える。
 この人との会話のテンポは………実にゆったりとして、心地よい。

 カリフォルニアの青い空は好きだが、どうも未だにこの土地のとことん解放的で、かつ押しの強い社交術には馴染めない。
 油断していると相手の繰り出す圧倒的な情報量に押し流されて、話すのも聞くのもままならなくなる。
 そうなってしまうともう、お手上げだ。幼い頃過ごしたイギリスを懐かしく思いつつ曖昧に相づちを打ち、うなずくしかない。
 特にレオンの先輩弁護士……確かディーノだか、ジーノとか言う名前だったか。彼は強烈だった。一言も喋れず、はっと気づくとかなり無茶な申請を受けとらされていたものだ。

「タキシードがお似合いですね」
「ありがとうございます。これ、ユニオン・スクエアのショッピングモールで買ったんですけど……買いに行く時、警官に呼び止められちゃいました」
「未成年が一人で何やってるのかって?」
「ええ。ひどい時だと、学生証見せても、パスポート見せても疑われたりするんですよー」

 肩をすくめているが、でも笑顔だ。実に朗らかで綴る言葉も声も軽快。重苦しさや暗さは欠片ほども感じられない。

「東洋系の方はお若く見えますから……ね」
「おかげで少年課の人と仲良くなりました」
「そんなにしょっちゅう……」
「どうしても……仕事終わってから繁華街に出るから」

 なるほど。そんな時間に未成年が。それも女の子が一人で出歩いていたらまず、警官に声をかけられることだろう……勤務中であろうとなかろうと。

「誰かご一緒するような方はいないんですか?」
「サンフランシスコに引っ越してから一年ぐらいしかたってないんです。以前はデービスにいて、そっちには知り合いもいるんだけど、こっちじゃ友達も少なくて」
「ああ、なるほど。デービスには私の同業者も大勢いますよ、あの町は学生さんが多いから……」

 久しぶりにゆったりした空気と会話を楽しんでいると。

「サクヤちゃーん」

 藍色の地に淡いピンクの花模様の入った着物を着た女性が手をふって近づいてきた。ああ、あれが彼女の従姉だな。サリーに比べて大人びている。彼女の方が年上なのだろう。
 それにしても、実に良く似ている。並んでいると姉妹と言っても通じそうだ。

「ごめんねー、放ったらかしにしちゃって。ついハイスクール時代の友だちと話が弾んじゃってさ……」
「うん、いいよ、こう言う時じゃなきゃ滅多に会えないんだし」
「それで……こちらの紳士はどなた?」
「こちらはエドワーズさん。エドワーズさん、こっちが従姉のヨーコさんです」
「こんにちは、Mr.エドワーズ」
「こんにちは、Missヨーコ。やあ、これは見事な着物だ……桜ですか?」
「ありがとうございます。ええ、桜です」

 ヨーコはそっと着物の袖を広げ、模様がよく見えるようにしてくれた。

「これと対になってる藤の着物もあって、どっちにしようか迷いました。せっかくだから二人で着ようよってこの子に言ったんですけどねー」
「……ヨーコさん?」
「ごめん、自粛します」

 にこにこ笑ったまま、ぴしっと言い切った。動物病院のサリー先生とはまた違った顔をかいま見たような気がする。
 彼女が着物を着ない理由はわからないが、断固として着たくないと言う意志は伝わってきた。

「それで……お二人ともどう言ったお知り合いなの?」

 ちょこん、とヨーコが首を傾げる。

「うちの動物病院の患者さんなんだ……猫が」
「ああ、なるほどね。それでMr.エドワーズは……新郎のお友達ですか? それとも、新婦の?」
「両方、ですね。三年前まではサンフランシスコ市警の事務官をつとめていました」
「ああ、そうだったんですね」

 うん、うん、とサリー先生がうなずいている。

「………サクヤちゃん、知らずに話してたの?」
「うん。会ってすぐに猫の話になって」
「それじゃあ……自分が何で招待されたのかもまだ話してない?」
「え。あ…………うん。そういえばまだ言ってなかったね」

 おやおや? どうしたことだろう。動物病院でのきびきびした受け答えと何と言う違いか。
 家族と一緒だから安心しているのか、それとも本来はこれが彼女の性質なのか。そう言えばオフタイムのサリー先生に会うのは、初めてだ。

「えーとですね、あたしはマックスとはハイスクールの同級生なんです。それで、サクヤがこっちに留学してくる時に彼に世話を頼みまして」
「……サンフランシスコで部屋を借りる時に手配してもらったんです」
「ああ……なるほど」

 東洋人はアメリカでは若く見られがちだ。サリー先生のように華奢な女性はなおさらだろう。

「デービスならともかく、こちらで部屋を借りるのにはご苦労なさったでしょう」
「ええ……ほんとに。それで、時々探偵事務所で動物探したりしてます」
「そうでしたか」

 くすっと笑いが漏れる。
 あの強面の熱血漢が真剣になって犬や猫を探しているのかと思うと……つい。

「………迷子のペットも探してるんですね、彼が」
「逃げられてしまうことも多いみたいなんですよね」
「体格もいいし。声も大きいですからね……それであなたの出番、と言う訳ですか」
「ええ。休みの時だけですけど」
「なるほど」

 バーナードが脱走した時の花屋の主人のうろたえぶりを思い出す。

『ああ、よかった、もう少しで探偵事務所に電話しようと思ってたんだ!』

 リズの子猫たちが、あの父親の冒険精神と脱走癖を受け継いでいるとなると、心配だ……特に末っ子のモニークは気をつけなければ。

「そちらのお仕事では、なるだけお世話になりたくないものです……ね」
「子猫はそんなに遠くには行けないから、大丈夫ですよ」

 式が始まる少し前にサリーはヨーコと一緒に会場に入って行った。

 ちょっぴり寂しい気持ちで見送ってから、エドワーズは昔の同僚たちに合流した。

 
 ※ ※ ※ ※
 

 会場に入りながら、サクヤはちらっと横目で従姉を見て、ぼそりと言った。
 ただし、日本語で。

「ヨーコさんは、ずるい」
「何で?」

 骨格も顔の形も背丈も自分とそう変わらないのに。と、言うかむしろそっくりなのに……彼女は年相応に大人として扱われる。
 桜の模様の着物をすっきりと着こなし、和装用のしっかりめのメイクをして、髪の毛もきちんと結い上げているからだ。
 いや、たとえもっとラフな服装だとしても、今の羊子さんならきっと、休みの日に一人でモールを歩いても警官から呼び止められることはないだろう。

「……不公平だ。着物と化粧の効果でちゃんと大人に見られてる」 
「んー、だったらさ、サクヤちゃんもお化粧してみる?」
「謹んでお断り申し上げます……」
「そう。今時男の子のお化粧なんて珍しくもないんだけどなー」
「ヨーコさんは絶対女性用のメイクをするつもりだ」
「……ばれた?」

 ちょろっと小さく舌を出して肩をすくめている。
 ああ、この顔、写真に撮って日本の教え子たちに見せてやりたい気分だ…………。

「ねえ、サクヤちゃん。さっきの人さ」
「うん?」
「感じ良かったね。イギリス紳士って感じで」
「ん……確かにそんな感じかもね。ヨーコさん、好みのタイプ?」
「んー、悪かないけど、ちょっと若すぎ、かな?」
「そう?」
「男は四十代からが華よ」
「はいはい……」

 
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