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ローゼンベルク家の食卓

【3-15-5】ヨーコさんが来た!

2008/07/06 18:33 三話十海
 
 8月の陽射しはほんの少し7月よりは秋に近く、それでもまだまだ目を射抜くほど強い。
 鋭い陽の光は濃い影を落とし、目に写るもの全てを鋭く縁取り、くっきりと浮び上がらせる。光はよりまぶしく、影はより黒く。
 光と影の強烈なコントラストの中を、乾いた風が吹き抜けてTシャツの袖やラフに羽織った上着のすそをふわりと舞い上げて行く。

 式の四日前、ディフはサリーと一緒にサンフランシスコ国際空港の到着ロビーに居た。
 日本からの客を出迎えるために。

「そろそろか?」
「……もうちょっとかな……ああ、来ましたよ」

 すっとサリーの指さす先には、デニム地のクロップドパンツに青いインナー(タンクトップかキャミソールかは現時点では判別不可能)の上に白いシャツジャケットを羽織った眼鏡の日本人女性が歩いていた。
 きりっとした顔立ちに、弾けるようにみずみずしいオレンジの口紅と眼鏡の赤いフレームがよく映える。がらがらと赤い革の車輪付きトランクを引っぱり、軽快な足どりでまっすぐに向かって来る。

「電話したのか? 彼女が降りてから……ここに来るまでの間に」
「いいえ?」
「よくわかったな、ヨーコ。俺たちがここで待ってるって」
「まあ、何となく……うわっ」
「Hi,サクヤちゃん久しぶりーっ」

 いつの間に来たのだろう。
 ヨーコがぴょんっと従弟に飛びつき、全力で抱きしめていた。

「何、急にアメリカナイズされてるの」
「郷に入っては郷に従えってやつ? キスは自粛したよ?」

 確かに到着ロビーのあちらこちらでは熱烈な抱擁とキスが繰り広げられてはいたが。
 強烈なハグとほお擦りにずれた眼鏡を整えつつ、サリーはくいっと指さした。

「なーに?」

 言われるままにヨーコが指さす方を見ると………久しぶりに出会った同級生が、微妙にあっけにとられてこっちを見ていた。

「………………やあ、ヨーコ」

 ……うん、確かに彼だ。高校生の時より背が伸びてがっしりしているし、声も低い。
 あどけない子犬(ただし、大型犬)からすっかり大人の男に成長していたが、ヘーゼルナッツの色をした優しげな瞳は変わらない。

「Hi,マックス。元気ぃ?」

 サリーを抱きしめたまま、はたはたと手を振っていると腕の中からぼそっと突っ込みが入る。

「ハグは?」

 素早くヨーコはサリーから腕をほどき、新たな標的に飛びついた。

「……ひさしぶりぃ」
「ヨーコ……………………………………………………………………………………い、いま、むにってなった」

(………いきなり何口走るかなこの人妻は。ってか、この程度の接触で頬染めて、己は高校生かっ!)

「ハイスクールの時はあんなにぺったんこだったのに」
「……久々にこれやっとくか。ああん?」

 ちゃきっと拳を握ると、ヨーコはディフのこめかみを挟み込んで人さし指の第二関節を押し当てて、ぐりぐりと抉った。

「いでで、いで、いでーっ」

 さすがに、シスコの出迎え風景の中でもこれは他にやってる人間はいない。
 再会の挨拶を交わすふたりをにこやかに見守りつつ、さらりとサリーが説明した。

「日本には優秀な下着メーカーが」
「サクヤちゃん?」

 しみじみした口調でディフが言う。

「……すごいな、日本の下着メーカー」
「そこ、素直に感心するな」

 男二人にこんなことを言われても、ちっともセクハラに聞こえないのはある意味希少なことだとヨーコは思った。

「別に急にこうなった訳じゃないわよ。留学終わって、帰ったあたりからめきめき成長が始まってね」
「ああ、なるほど」
「やーっぱアメリカンフードが効いたのかなぁ……」
「あんまり関係ないと思う」
「そう言えばマックス」

 そっとヨーコはかつてのクラスメイトの頬に手を当てた。

「そばかす、すっかり消えちゃったのね」
「ああ、君が帰ってからどんどん薄くなってね」
「お互い、大人になったってことか」

 濃い褐色の瞳にのぞき込まれ、ディフはふと目眩にも似た感触を覚えた。まるで時間が巻き戻ったような気がした。

「結婚、おめでとう。まさかあなたに先越されるとは思わなかった」
「……ありがとう」

 くすっと笑うと、ヨーコはちょん、とディフの鼻をつついてから手を離した。

「よーこさんずっと飛行機のりっぱなしで疲れたろ、どーする?」
「そーね、さすがに足がむくんじゃったし。とりあえずホテルで一眠りしよっかなー」
「時差ボケになるよ」
「じゃ、ごはんたべる」
「ok。リクエストは」

 にっぱーっと満面の笑顔でヨーコは言い切った。

「カニ!」
「はいはい」
「ヒウェルがいればもっと楽しかったのに」

 顎に手を当てて心底残念そうにつぶやく従姉にサリーは思わずため息をついた。

「…………昔からいじめてたんだ」
「ああ。昔っからいじめてた」
「けっこう親切でいいひとなのになぁ」
「…………サクヤちゃん! ごまかされちゃだめよ。あいつはヘタれの自爆男なんだから!」
「いや、ヨーコ、そこまで言わなくても…………………あ、いや………………事実なだけに………フォローできん」
「………いやヘタレで自爆男でも俺には害ないから」
「ま、それもそうね」

 当人が目の前にいないのをいい事に三人ともある意味言いたい放題、容赦無し。

「で、素朴な疑問なんだけど。いつ、どこで親切にしてもらったの?」
「この間中華街で会っていっしょに食事に……あ」

 しまった。
 心の中でサリーは呟いた。
 この手の話題に、よーこさんが食い付かないはずがない。いつ、いかなる時でも場所でも。
 果たして、赤いフレームの眼鏡の向こうの瞳がすっと細められた。

「それって……デートって言わない?」
「デートなのか?」
「デートでしょ」
「約束して待ち合わせたわけじゃないからデートじゃない」
「じゃあ、ナンパ!?」
「ナンパなのかっ?」
「店教えてもらっただけだよ」

 ヨーコはずいっとサリーに顔を寄せ、日本語で問いかけた。

「ほんとにほんと? ネクタイで手首縛られたりしなかった?」

 何を『観た』んだろうなあ、よーこさんってば……。
 ちょっと苦笑して答えた。

「されてないよ」
「そう……だったら問題ないわね」
「今何て言ったんだ、ヨーコ」
「企業秘密」

 さらりと英語に切り替えると、ヨーコは眼鏡を外し、度付きのサングラスにすちゃっとかけかえた。

「じゃあ、カニ食いに行こうか!」

 胸を張ってすたすたと歩いて行く彼女の後をついて行きながらディフはひそかに首をかしげた。
 いったい、彼女はどうやって知ったのだろう?
 そっちのパーキングに自分が車を停めたってことを。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ヨーコはフィッシャーマンズ・ワーフのレストランでばくばくとカニを平らげ、その後スタンドでアイスを食べ、仕上げにスターバックスでカフェラッテのVサイズをくいくいと流しこんだ。
 相変わらずパワフルな子だ。
 食って体力回復するタイプだな。

「はー、美味しかった」
「気に入ってくれて良かったよ……それで。晩飯は家で食ってくよな?」
「いいの?」
「ああ。子どもらにもレオンにも言ってある。それに、晩飯にはヒウェルも来るし」

 ヨーコは少しだけ目を伏せて、「ありがとう」と言った。

「できればお土産、式の前に渡しておきたかったし……」

 そして、オレンジ色のルージュを引いた唇の端をきゅうっと上げて笑ったのだった。

「会いたかったんだあ、ヒウェルにも」

 そっとサリーが行儀良く目をそらしていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「こんにちは、Mr.ローゼンベルク。お会いできてうれしいわ。この度はご結婚、おめでとうございます」
「ありがとう」

 にこやかにレオンと挨拶を交わしている。
 そつのない言い回しと物腰だ。公式な場での挨拶にも、礼節を守り、適度に距離を保った言い回しにも慣れているらしい。
 大人になったんだな、彼女。
 双子のことも子ども扱いせずにきちんと挨拶をして、紅茶のカップを渡されたりすると礼を言う。
 存在を認めていることを適度に伝えつつ、必要以上に構うことはない。お陰でオティアも、シエンもそれほど緊張せずにいられているようだ。

「それでね。これ、お土産」

 テーブルの上に色鮮やかな布が並べられる。全部で五枚。
 緑を基調に白い独特の渦巻き模様の描かれたもの、エンジ色に淡い薄紅の花びらを散らせたもの、藍色に雲と月をあしらったもの、薄い藤色の地に右端にさっと斜めにオレンジが入ったもの。金茶色に一面に白く桜の花を染め抜いたもの。
 シエンがちょこんと首をかしげた。

「ハンカチ? ストール?」
「フロシキって言うの。ちょっとした物を包むのに便利なんだよ。あ、このボトル借りるね」

 ワインのボトルを手にとると、ヨーコはさっさっと手際良く包んで、ぷらん、とぶら下げた。
 どうなってるんだ? 布一枚しか使ってないのに、まるで専用のバッグに入れたみたいだ。

「お弁当包むのにも便利ね。それから……」

 しゅるりと布がほどかれる。やっぱり、どこから見てもただの布だ。ボタンもチャックも見当たらない。

「こうすると、ほら、手提げバッグになるし」
「すごい! 二カ所結んで、かたっぽにもう片方を潜らせるんだね?」
「そそ、ここと、ここを結んで……ね。好きなの選んで使って、よかったら。あ、でもこれはヒウェルの」

 にこにこしながらヨーコはうずまき模様の緑のフロシキをヒウェルに押し付けた。

「あ……ありがとう」

 何故か逃げ腰で受けとるヒウェルを見て、サリーが遠慮がちに切り出した。

「……それは日本の伝統的な模様で」
「うん、そんな感じだな」
「………唐草模様っていうんだ」 

 何かをあきらめたらしい。ふっと一瞬、遠くを見ていた。

「へえ、カラクサって言うのか」
「そう、カラクサ」
「元々はヨーロッパから伝わったものみたいだけどね〜」
「そうね、ケルトの渦巻き紋様にも似てるしルーツはおそらくあの辺でしょうね。ペルシャ経由でシルクロードを通って伝来したのよ、日本には」
「ペルシャ?」
「そうよ」

 土産を包んでいた包装紙を広げると、ヨーコはさらさらとペンを走らせ、世界地図を描き出した。フリーハンドだから少し歪んではいたが、正確だ。
 双子が興味津々にのぞきこむ。

「ここがアメリカで。こっちがユーラシア大陸。ここがペルシャ。で、ずーっとこの道を通って………」

 するすると赤いラインが伸びて行く。大陸を横切り、東の果ての小さな細長い島国へ。

「中国を通って。海を渡って、日本に到着、と!」

 オティアが小さくうなずいている。表情はほとんど動かないが……とても気になるらしい。
 ぱちりとペンをしまうと、ヨーコはバッグから本を2冊取り出した。

「これ、日本の本持ってきたの。英語に翻訳されたやつ。こっちが歴史で、こっちは地理。つい教科書っぽいチョイスになっちゃったけど」

 以前にオティアが本好きだと言ったのを覚えてくれていたらしい。

「ありがとう」
「んでもって、こっちはヒウェルに、追加」
「まさか豆絞りの手ぬぐいとかじゃないよね、よーこさん?」
「ヤだなあ、そこまで受けは狙わないって! ほれ、ボールペン」

 確かにボールペンだったが………ただし、カニのハサミ型。赤い、甲羅のブツブツが実にリアルで、しかもボタンを押して芯を出すと、ハサミがかしゃかしゃと開閉する細かさで。

「どーも……」

 ヒウェルは顔を引きつらせつつ受けとり、ポケットにねじ込んだ。一秒でも早く自分の視界から消したかったらしい。
 その後、(ヒウェルにとっては)幸いなことに話題はカニからそれて、サリーの小さな頃の思い出へと移っていった。
 そもそも発端はヨーコのおさがりをサリーが着ていた、と言うことだったんだが。
 Tシャツとかセーターぐらいだろうと思ったらそのレベルじゃ終わらなかったらしい。

「6歳ごろだったかなあ。この子があたしの家に遊びに来てた時に……水たまりでころんで……しかたないんでワンピース着せちゃったのね」
「君のを?」
「Yes!」

 ヨーコはにこっと笑った。

「ミントグリーンに胸のとこにおおきなヒマワリの模様の入ってるやつね。ノースリーブの」

 一斉にその場の人間の視線がサリーに集中した。一部遠慮がちに。一部しみじみと。やっちゃいけないと思いながらつい、想像してしまう。
 6歳のサリーがヒマワリのワンピースを着てる姿を……。
 当のサリーはため息をついて、じとーっとヨーコをねめつけた。

「何がどう仕方がないのか説明してほしいなぁ……」
「……教えてあげる……あなた、あたしよりウェストが細くってさあ……」

 今度はヨーコがじと目でサリーを恨めしげににらんでる。主にウェストの辺りを。

「ジーンズもショートパンツもずり落ちちゃって履けなかったのよね。だから、しかたなく、ワンピース」
「なんのためにベルトがあると………いいけど」
「似合ってたしね」

 肩をすくめるサリーの背を、ヒウェルがぽん、と叩いた。妙に慈悲深い眼差しでサリーの顔を見つめ、何度も小さくうなずいてる。
 何やら身につまされるものがあったらしい。
 そんなヒウェルの姿を、オティアが見ていた。いつものようにほとんど表情は動かさずに。
 しかし、紫の瞳の中に疑いと、若干の苛立ちがゆらめいているように思えた。俺ですら気づいたものを、ヒウェルが気づかぬはずもなく。

「……俺も、ヨーコに化粧させられたんだよ………ハロウィンの余興に」

 オティアの方を見て、ぼそぼそと言い訳めいた台詞を口にする。

「似合ってたよ?」
「巻き毛のロングヘアーのヅラまで被せたろ!」
「だってハロウィンですもの」

 すっとオティアが席を立った。もらった本を手にとると、ちょっとヨーコに頭さげてから、すたすたと部屋を出て行く。
 やや遅れてシエンがとことこと後を着いて行く。
 双子の姿が隣に通じるドアの向こうに消えてから、ヨーコがぼそりと言った。

「……自爆男」
「何かゆったかヨーコ」

 一瞬、ハイスクール時代に戻ったような錯覚にとらわれる。その時、気づいたのだ。
 なるほど、確かにヨーコは大人っぽくなったが、化粧の下の素顔はあの頃とあまり変わっていないんじゃないか?
 どことなく少女のような面差しで……サリーに実によく似ているのだ。今みたいにぼそっと鋭い言葉で切り込む瞬間なんざまるっきり高校時代のまんまだ。
 つい、にやにやしていると、隣との境目のドアが開く音がした。
 シエンが戻ってきたのだ。

「オティア、もらった本が気になるみたい」
「そう……うれしいわ」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」

 シエンがにこっと笑う。ヨーコもほほ笑んで答える。
 その様子を、ヒウェルがじとーっと三白眼で遠巻きに見守っていた。いつもにも増してうさんくさい目つきとぐんにゃりひんまげられた口が語っていた。

『シエン、だまされるな!』と。

 シエンはシエンで不思議そうにヨーコとヒウェルを見て、首をかしげてる。
 何でヒウェルはこの人がそんなに怖いんだろう、とでも思っているようだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 その夜、サリーとヨーコをそれぞれアパートとホテルに送り届けて戻ってくると、レオンがぽつりと言った。

「個性的な人だね」

 彼が自分から女性のことを話題にするのは滅多にない。少し驚いた。

「まあ、な。いい奴だよ。さばさばしてて……」
「ヒウェルにとっては天敵みたいだけれど」

 天敵、か。言い得て妙だ。

「確かにそんな感じだな」
「君にとってはどうなんだい?」
「そうだなあ………姉貴、かな?」
「同い年なのに?」

 手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でる。きちんと整えられた明るいかっ色の髪を、誰はばかることなくかき回す。
 絹みたいにさらさらした感触が指の間を通り抜ける。こうすると、急にレオンも子どもっぽく見えてくる。まるで出会った頃のように。

「女の子の方が精神的に成熟するのは早いんだろ?」
「そんな事言ったかな」
「ああ……言ったんだよ」

 くいっと引き寄せて、頬にキスをした。

「……ありがとな。式を挙げたいって俺の我がまま、聞いてくれて……」
「君の望むことなら、何でもするよ。君は……俺の全てだから」

 返される優しい囁きに胸が熱くなる。
 抱きしめずにはいられなかった。
 愛しい人を、自分の腕で。胸で。体の中にすっぽりと包み込むようにして。
 
 式まであと四日。
 もうじき、三日。
 

(サムシング・ブルー前編/了)

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