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ローゼンベルク家の食卓

【side10-1】帰国

2009/11/22 2:53 番外十海
  
 来る。
 だれかが、来る。

 常に追われる身の悲しさ、こうして信頼置ける仲間の元に身を寄せていても神経はぴりぴりと張りつめている。
 だからこそ、こうしていち早く気配に気づくことができるのだが。

 三上蓮は聖書を閉じ、文机の傍らに立てかけた十字架に手を伸ばした。上辺を握り、かちりと隠されたスイッチを押す。
 すっと横軸と縦軸の交差のすぐ下に切れ目が生じ、中に隠された刃が鋭く光る。
 これでいつでも抜刀OK、しかしできればそんな羽目には陥りたくないものだ。もとよりここは神社の境内、長い時間をかけて練り上げられてきた結界は、そう容易く破られはしないだろうが……

 用心に越したことはない。
 時刻は深夜0時。訪問にはいささか不向きだが、襲撃にはうってつけ。さて、どちらだろう?

 ほどなく、だだだだだっと廊下を踏みならすけたたましい足音が響き、ばんっとふすまが開け放たれた。

「三上さん!」
「……なんだ、蒼太くんじゃないですか。いったいどうしたんですか」
「風見から電話がきた」
「ああ……」

 ちらっと頭の中で計算する。今はサンフランシスコは朝の7時か。そんなに朝早くにいったいどうしたのだろう?

「また、緊急事態でも?」

 つかつかと部屋の中に入ると、蒼太は真剣この上ない表情で低ぅい声で告げたのである。

「聖水を売ってくれ」
「はい?」
「神父なんだからそれぐらい持ち歩いてるだろう。あと十字架も!」
 
 僧侶が聖水と十字架を求めるとは、さてはてこれまた面妖な。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 クリスマスの翌日。

 朝、起きたらホテルの部屋のベッドの中に居た。
 靴と眼鏡は外されていたけれど、服はきちんと着たままで。少し体があちこち強ばってぎしぎしいっていた。隣にはうさぎのぬいぐるみ。
 ふかふかの表面に顔をうずめて、ほんのちょっとだけ泣いた。

「さて……デトックスしてくるか」

 バスタブにお湯を汲みながら思い出し、リビングに向かう。風見はもう起きていた。

「かざみー」
「あ……先生」

 ぱくん、と携帯が閉じられた所だった。

「すまん、電話中か?」
「もう終りましたから。あー、その、えっと……」
「風呂」
「え?」
「風呂入って来るから」
「あ……」
「じゃ、な」
 
 1時間30分の入浴でどうにかアルコールの名残は抜けた。
 クローゼットを開けるとメモが残されていた。

『好きなのを持って帰りなさい。全て君のために用意したものだ。 追伸:メリー・クリスマス from カル』

「おばか……」
 
 迷わず白いボレロの上着と、赤いドレスをスーツケースに詰めた。
 昨日着てた緑のスーツは……サクヤちゃんが使えるかな? サイズ、ほとんど一緒だし。
 
  
 ※ ※ ※ ※
 
 
「待たせたね。行こうか」

 夕方、ホテルに迎えに来たカルはいつもと同じ穏やかな笑顔。ほっとするけど胸の奥にほんのわずかに、もやもやした塊が残る。

 ロイのおじいさまからいただいたうさぎのぬいぐるみは、結局押しても引いてもスーツケースには収まらなくて。
 無理に詰め込むのも可哀想な気がして、結局、抱えて帰ることにした。

 サンフランシスコ国際空港のロビーで彼は言った。

「私は小さな大人だから、いつでも駆け付けるよ………とは言わない。約束出来ないからね………けれど、ここから出来る事があるなら、必ず力になる」

 うさぎを風見に預けて。のびあがってカルを抱きしめて、さよならのキスをした。友人同士にふさわしく、つつましく互いの頬に。

「……ありがとう。元気でね」
「ああ、君も」
 
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「……あれ?」
「どうした、サクヤ!」
「うん、大丈夫。なんか、目が乾燥してたみたいで」

 ヨーコさんたちを空港に送った帰り道、車の中で、急に涙がぽろぽろこぼれてきた。
 いけないな。
 まだ、繋がってるみたいだ。

 でも、ヨーコさん、がんばったね。飛行機が離陸するまで、我慢したんだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 成田空港の到着ロビー。サンフランシスコからの便から降りて、入国手続きを終えた人々が続々と荷物を受け取り、出てくる。
 様々な国籍、人種の人々が行き交う中でも彼の風貌はひときわ異彩を放っていた。
 黒い詰め襟に白いカラー、神父服の上にライトベージュのトレンチコートを羽織り、目もとには黒のサングラス。
 広くがっしりした肩に背負った十字架を何度か警備員に見とがめられたが、その度に爽やかな笑顔で切り抜けた。

「あなたは神を信じますか?」
「これでどこでも礼拝ができるんです。便利でしょう?」

 その度にみんな、やや強ばった笑顔とともにそそくさと離れていった。いっそ次はこう答えてみようか。『これ、コスプレなんです』と。

(おや?)

 ちらっと視界の端を赤い色がよぎる。まばたきして改めて注視する。すぐ後ろを歩くのは金髪の少年と黒髪のすらりとした若様然とした少年……
 しまった、あやうく見過ごす所だった!

 三上蓮は滅多に目標を見失う男ではない。
 
 そのための特殊な才能に恵まれていて日頃から鍛錬を積んでいるし、普段から人の顔は注意深く覚えるようにしている。
 にも関わらず、今回ばかりは迎えに来たはずの人物を見逃す所だった。

(背後に風見くんやロイくんがいたから気づいたものの……どこのお子様ですかあなたは)

 赤いケープに胸に抱えたうさぎのぬいぐるみ。どこか拗ねたような表情でちょこまか歩く。背の高い他の乗客の間を歩いて来る姿はさながら森の中の赤ずきん。

(ああしてると本当に良く似合うんですよね「メリィちゃん」って呼び方)

 本人の前では絶対に口にしてはいけない。昔はともかく、今は。
 
 090718_0211~02.JPG
 illustrated by Kasuri

 
「やあ、おかえりなさい。長旅おつかれさま」
「え、三上さん?」
「結城神社の宮司さんから頼まれまして……」
「父から?」
「宮司さんはやはり年始の準備で忙しいですから、代理ということで。車は貸していただきました」
「でも、どうして三上さんが?」
「クリスマスも無事終ったことですし、神社のお手伝いを」

 カソリックの神父が。
 まさか神社に潜伏しているなんて……
 お釈迦様でも思うまい。

「まさか、その格好でっ?」
「さすがにTPOはわきまえて、ちゃんと浅葱の袴を履いてますよ」
「神父さんに神社のお手伝いさせちゃったんだ……」
「お坊さんだけじゃなくて……」
「まぁ、日本じゃ何でも八百万の一柱ですから。気にしない気にしない」
「日本の文化は奥が深いデス」

 空港のパーキングに向かう。確かに止まっていたのは神社のワゴン車だった。3人分のスーツケースを積み込む余裕はたっぷりある。

「あ、チョット待って」

 ロイはスーツケースを開けて、中から梱包材でがっちり包まれた小さな瓶を取り出した。

「これ、お土産デス、三上さん」
「ありがとう」

 受け取り、丁寧にプチプチをはがし中から現れたドクロのラベルを見るなり温厚そうな神父の双眸がきらりと光る。獲物を見つけた肉食獣さながらに。

「やあ、メガデスソースですか! これは……なかなか手に入らなくて苦労してたんですよね。ありがとうございます」
「喜んでいただけてボクもうれしいデス!」
「あとでこれ使ったアラビアータでもご馳走しましょう……大丈夫ですよ、ちゃんと辛さは初心者向けにしますから」

 それってどんな初心者か? って言うか自分が食べるなんて事態はまるっきりの想定外。
 
(でも、でもせっかく先輩である三上サンがごちそうしてくれるんだし、断る訳にはーっ)

「楽しみにしてマス……」
「はははは」

 爽やかな笑顔で答えつつ三上は密かに首をかしげていた。
 やめとけロイ、とか。あたしの生徒にんな危険物食わすな、とか。来て然るべきと予測していたはずの突っ込みが飛んでこない。

「………」

 羊さんはうさぎのぬいぐるみを抱えて上の空。

(はて、これはいささか面妖な)

 とりあえず自力でフォローを入れておくことにする。

「……まぁ、今のは冗談ですから。そんなに怯えないでください、ロイくん」
「は、はい」

(見抜かれた……不覚!)


 高校生2人は戸有市の風見の自宅前で車を降りた。休暇中、ロイは風見の家ですごすのだ。

「それでは二人とも、よいお年を」
「よいお年を」
「アリガトウゴザイマシタ」
「風見。ロイ」
「はい」
「はい」
「おつかれさん。また、学校でな! それとも初詣、来るか?」
「いいですね」
「藤原も誘って、一緒にな。土産、渡せるだろ?」
「あ」
「あぁ」
 
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