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ローゼンベルク家の食卓

【4-13-3】子猫とクロワッサン

2009/10/18 2:25 四話十海
 
 マンションに戻った所で携帯が鳴った。ソフィアからだ。

「Hi,ディフ。今どこ?」
「ああ、ちょうど家に戻ったところだ」
「まあ、ラッキー。クロワッサンが焼き上がったところなの。ディーンに届けさせるわね」
「OK。ありがとう」

 電話を切って、買ってきた食料をキッチンに運ぶ。

「んみゃーっ」

 キャリーバッグから飛び出した、白い流星が駆け抜けた。

 青い瞳を輝かせ、わずかにしなやかな感触を残し、俺と双子の足の間をすりぬけて行く。
 尻尾をつぴーんと立てて、ぶつからないように絶妙の間合いで軽く足に触れながら。

「あぶないよ?」
「みゃっ」
「お前はそんなにエビが好きか!」
「にゃーっ」
「あ、こら、登るな!」
「オーレ、ちゃんと缶詰もあるから、ね?」
「オティア」
「ん」

 オーレの張り付いた背中をオティアに向けてかがみ込む。慣れたものだ。上着に食い込んだ爪を一本一本丁寧にはずしてから、べりっとはがしてくれた。
 
「にゅぐぐ」
「落ち着け……」
「にゅう」

 なでられても、抱かれても、お嬢さんはまだまだ未練がおありらしい。
 冷蔵庫をじーっとにらんでいらっしゃる。ちゃんと知ってるのだ。あの中にエビが入っていると。

「今夜は何を作るの?」

 横目で白い子猫をうかがいつつ、慎重に言葉を選ぶ。

「アレのサラダと、フリッターと、フライと、チリと……」
「ああ、エビチリ」

 途端に耳をつぴーんと立てて、オティアの腕の中で暴れ出した。

「んみゃーっ」
「こら」
「やっぱり聞き分けてるんだ。賢いな……」
「すごいね……」
「居間に、連れてく」
「そうだな、その方が安全だ」

 その時、呼び鈴が鳴った。来たな、ディーン。
 玄関に向かい、ドアを開ける。

「よう、ディーン」
「Hi,ディフ」

 両手に抱えたバスケットの中には、焼きたての三日月。カリっと焼けた軽めの生地。
 クロワッサンが山盛りになっている。あったまったバターとこんがり焼けた小麦粉のにおいがほこほこと立ちのぼる。

「これ、ママから」
「サンキュ。いつもありがとな……入ってくれ」
「OK」

 居間に行くと、白い稲妻がキャットウォークから飛び降りてきた。
 
「にゃにゃーっ、にゃーっにゃっ」

 目をらんらんと輝かせたオーレが、ディーンの足元へまっしぐら。信じられん、いつもは決して近づこうとしないのに。
 オティアの肩の上やキャットウォーク、とにかく、高い所から見下ろしてるのに!
 ちっちゃな靴に手をかけて、のびあがっている。ディーンはもちろん大喜びだ。いつも近づいてこないオーレが自分から寄ってきて、しかも触ってくれたんだからな。

「みゃ、みゃ、みゃ、みゃー」
「キティ(子猫ちゃん)、きた!」

 シエンが首をかしげてオティアを見る。

「好きなのかな、クロワッサン?」
「さぁ」
「バター使ってるしな……」 
「いつもはパン食べててもそんな騒がないのに……あ、でもパイ焼いてる時は大騒ぎしてたね」
「ああ、足元走り回ってたな」

 双子と俺が顔を見合わせている間も、オーレはさらに積極的にディーンに(と、言うかディーンの抱えたバスケットの中味に)アプローチしていた。

「キティ、キティ」
「みゃー、みゃみゃみゃ!」

 ぴょんぴょん飛び上がって、前足でかしかしとバスケットを引き寄せようとしてる。
 ディーンはディーンで逃げるどころか、バスケットを抱えたまま、しゃがみ込もうとしてるじゃないか!

「あっ、だめだよ、あぶないよ」
「オティア!」
「ん」
「ディーンはこっちな」
「お?」
「みゃ?」

 俺がディーンを抱き上げるのと同時に、オティアがひょい、と白い子猫を抱き上げる。

「シエン、こっちを頼む」
「うん」
「冷蔵庫にマーマレードが入ってる。手つかずの一つ、持ってきてくれ」
「わかった」

 シエンはディーンの手からバスケットを受け取り、キッチンへと運んでいった。

「にゃーっ」

 遠ざかるクロワッサンに向かってオーレが後追い鳴きをする。猫好きなら、聞いた瞬間に胸を引き裂かれそうな悲しげな声で。

「そんなにお前はクロワッサンが好きか」
「に……」
「……部屋に連れてく」
「そうだな、その方がいいな」
「ばいばい、オーレ」

 オティアはオーレを連れて隣の部屋へ。ディーンは名残惜しそうに見送った。

「ご苦労さん、ディーン」

 つやつやの鳶色の髪の毛をなでて、サイドボードの上に置いたガラスのポットからキャンディを一つ取り出した。
 ごほうび用のキャンディポットはディーン専用。ああ、もう一人、使ってる奴が居たなあ……ヒウェル。

「ごほうびだ」
「サンクス!」

 器用に包み紙を破ってころんと口に入れて、ぱあっと顔を輝かせた。

「おいしー」
「そうか。うまいか」
「ディフ」

 シエンが戻ってきた。クロワッサンの入っていたバスケットの底には、円筒形のガラス瓶が一本、ころんと転がっている。

 中味はグレープフルーツのマーマレード。Mr.ランドールの母上のレシピでは、桃とレモンとリンゴが入っていた。
 一回の食事で複数の果物を取れるよう、工夫したのだろう。甘さのみならず、栄養面でも気を配っているんだな、と感心した。
 ただし、家の場合はオティアの味覚に合わせてリンゴ抜きで作ってある。

「はい、これでいい?」
「ああ、それだ。ありがとな」
「ん」

 ディーンを床に降ろす。腕の中に抱え込んだあったかい、ちっぽけな体が離れて行くのがちょっぴりさみしかった。

「ディーン、これ、ソフィアに届けてくれ。クロワッサンのお礼だ」
「OK」

 ぷっくりとほっぺたを丸く膨らませて、こくこくとうなずいている。

「またな、ディーン」
「バイバイ、ディフ。バイバイ、シエン」
「気をつけてね」

 両手でしっかりバスケットを抱えて、ディーンは帰っていった。ぴょこぴょこと弾んだ足取りで。
 オーレが近づいてくれたのが、よっぽど嬉しかったんだろうな。
 
「……」

 入れ違いにオティアが戻ってきた。お姫様が納得するまで、相手をしてきたらしい。

「オーレは?」
「キャットタワー」
「そうか」

 エビとクロワッサン。どっちもあの猫がオティアの所に来る前に、既に好物として決まっていたようだ。
 あいつ、EEEの所ではどんな食生活してたんだろうな?
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 髪の毛をくくり、エプロンをつける。俺のはグリーン、シエンのはパステルグリーン、オティアのは青。そろいの白地のストライプ。

 エビを料理する時の最大の難関は下ごしらえだ。
 大量のエビを前に、三人でうつむいてせっせと手を動かす。ひたすら殻をむいて。背中に切れ目を入れて、わたを抜く、
 黄色いボウルの中に山のようにつみあがった殻をビニール袋に入れてきっちり縛ってからゴミ箱の奥深くに封印した。

 片栗粉でざしざしとエビをもんで、水洗いしてキッチンペーパーで水気を拭う。
 下ごしらえの終ったエビを、いくつかに小分けする。
 フリッター用、エビチリ用、解凍した小エビはサラダ用に。ペーストはサンドイッチに。

「シエン、エビチリ任せていいか?」
「うん」
「頼んだ」

 卵白、小麦粉、片栗粉、フリッターの衣を混ぜてる所でインターフォンが鳴った。

「どうも、D」
「お、来たな、エリック。3号のエレベーターで上がってきてくれ。6階の一番奥の部屋だ」

 エビに粉をまぶしてる所で呼び鈴が鳴った。さすがにこれでドアは開けに行けない。

「シエン、出てくれるか?」
「ん」

 こくっとうなずいて、シエンはとことことキッチンを出て行った。

 
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