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ローゼンベルク家の食卓

【4-13-4】対面

2009/10/18 2:27 四話十海
 
 シエンがドアを開けると、見覚えのある人物が立っていた。

「あ」
「あ」

 明るい金髪、金属フレームの眼鏡をかけた、ひょろりと背の高い、明るいベージュのコートを来た若い男。

 エビの人だ。

 青緑の瞳が細められ,穏やかな笑みが浮かぶ。

「やあ」
「…………こんばんわ」

 ディフの警察の後輩って、この人だったんだ!
 多分、結婚式にも来ていた。だからコーヒースタンドで会った時、どこかで会ったことのあるような気がしたんだ。

(あれ? って言うことは、俺のこと前から知ってたのかな。だから、声かけてきた?)

「どうぞ」
「ありがとう」
「コートはこっちにかけて」
「わかった」

 白に近いベージュのコートの下に着ていたのは、襟から胸元にかけて菱形の模様の編み込まれた白いセーターだった。
 この人、白っぽい服が好きなのかな。新品って訳じゃない。いい感じに体になじんでいるけれど、くすんでもいないし、シミもついていない。
 あちこちにコーヒーやチョコの染み、煙草の焼けこげがついて、ほんのり黄色みを帯びたヒウェルのシャツとはだいぶ違ってる。
 脱いだコートから、かすかに。ほんのかすかに、つーんとした匂いがした。煙草じゃない。何かの薬品だろうか。

 どうしよう。あの時のお礼、言った方がいいのかな。ケーブルカーに乗る前に、一応ありがとう、って言ったけど……。
 考えながらリビングに入って行くと、来客の気配を早くも嗅ぎ付けたのか。にゅうっと白い子猫が顔を出した。

「にう」
「わあ、美人さんだ!」

 顔全体が笑みくずれて、声が高くなってる。そういえば言ってたな。猫が好きだって。
 適当に話を合わせていただけじゃなかったんだ……。

「名前は?」
「オーレ」
「よろしく、オーレ」
「に」

 かがみ込みんでそっと指を出してご挨拶してる。もしかしてこの人、好きなだけじゃなくて猫の扱いに慣れてる?

 オーレは当然! って顔をして、ふん、ふん、とにおいをかいでいる。
 良かった、相性はよさそう。猫って背の高い男の人が苦手みたいだから、ちょっと心配だった。
 お客様の確認が一通り終ると、オーレはちょこまかと足元に近づき、顔をすりよせた。と、思ったら、ざっしざっしと爪を立てて登ってる!

「あ、だめだよ、オーレ降りないと」
「いや、大丈夫。慣れてるから」

 猫を背中にはりつけたまま、にこにこしてる。オーレはざっしざっしとよじ上り、とうとう肩にたどり着いた。
 
「にゃ!」

 とくいげに足を踏ん張るオーレを目を細めて撫でている。セーターに穴開いたらどうしよう、なんてカケラほども考えてないみたいだ。

「ちっちゃいなあ……軽いなあ……」

 改めて見上げる。この人、背が高い。ディフよりも、レオンよりも高いんだ。だからオーレに登られちゃったんだな……高い所が好きだから。

「よう、エリック、来たか」
「あ、センパイ。お招きいただきありがとうございました」

 エリックは肩の上のオーレを支えながら、きちっと一礼。ディフがにこっとほほ笑んだ。親しい人の前でだけ見せる、人懐っこい表情で。

 この人はただの友だちじゃない。よっぽど親しくしているんだろう。そうでなきゃ、夕食になんて招待しない。
 
「アイスよりはマシなもん食わせてやるよ……オティア、シエン、改めて紹介する」

 ぽん、とディフは『エビの人』の肩をたたいた。

「こいつはエリック。警官時代の後輩だ」
「どーも」
「オティアは何度か電話で話したことあるよな」
「ええ」
「ん」
「この子はシエンだ。レオンの事務所でアシスタントをしてる」
「よろしくね、シエン」
「……よろしく」

 警察の人だから、あの時も助けてくれたんだ。きっとそうだ。警察官の義務を果たしただけ。

 後でディフに伝えておこう。この人とは、感謝祭の後の週末に会っている。酔っぱらいに絡まれそうになった時、助けてもらったって。
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 グレース大聖堂のほど近く、ノブヒルのマンション、6階建ての最上階。
 はっきり言って警察官の給料で住めるような所じゃない。

「友だちのツテで安く借りられたんだ。いっぺん遊びに来い。夕飯ぐらい食わせてやるぞ」

 そう言われたのは4年ほど前のこと。でもお互い激務だからなかなかそんな暇なんか捻出できるはずもなくて。
 いつか行こう、この仕事が終ったら。思ってるうちに、センパイは警察を辞めて。ついにはその部屋から引っ越して……。

 ある意味、二度と手の届かない場所に行ってしまった。
 と言っても本人は相変わらず市内に住んでいて。時々顔も見られる程度にそばに居るんだけれど……。

 オレ以外の男の、永遠のパートナーになってしまったのだ。
 式場で寄り添う二人を見て、改めて思い知らされた。最初っからオレの入り込むすき間なんかなかったんだって。

 ずきずき痛む胸の傷を抱えたまま夏は過ぎ去り、秋から冬へ。移る季節と日々とともに少しずつ傷も乾いて、かさぶたになっていった。
 そして年が明けて二週間が経過した水曜日。不意打ちでチャンスがやってきた。
 
『今夜、ヒマか?』
『え? ええ、今日はこれで上がりですから……7時ぐらいには』
『よし、7時だな。それじゃ家に来い』
『ええっ』
『晩飯。一食ぐらいは食わせてやる』

 その時、徹夜明けのぼーっとした頭で思っていた。
 センパイの家で晩飯。ってことは………あの子に会える? ああ、でも。

 思い出さずにいられない。

 コーヒーショップの片隅で、もそもそとスコーンをかじっていた。声をかけた瞬間、まず向けられたのは警戒のまなざし。
 交わす言葉はそつなく無難、だけどほのかに感じもした。きめ細かな砂の中に潜む、尖った小石にも似た鋭さを。
 
 そう、確かにセンパイの大事な金髪の双子はお互いにそっくりだった。外見のみならず、内面においてもまた然り。
 だがそれさえも、自分を守るための必死の防衛策なのだと思うと胸がしめつけられる。

 感謝祭後の週末、にぎやかな夜の街をぽつんと一人でさまよっていた後ろ姿を見た時、はっきりと確信した。
 君は針のように鋭く、強い。だけど、それはガラスの針だ。陽の光さえ通り抜けるほど透き通り、衝撃を受ければいとも簡単に砕けてしまう。

 ちゃんと家に帰ってるのかな……シエン。

 どきどきしながら呼び鈴を押したら、まさにたった今、思い描いていた相手がドアを開けた。
 ややくすんだ長めの金髪。やさしく煙る紫の瞳。パステルグリーンに白のストライプのエプロンをつけていて、それがまたよく似合っていた。

「やあ」
「…………こんばんわ」

 何てラッキー。まさか、こんなに早く君に会えるなんて! ちょっとの間、紫の瞳が確かめるように見つめてきた。
 コーヒーショップで声をかけたとき、君は結婚式で会ったことは忘れてしまっているようだった。
 今度はどうだろう。覚えていてくれてるのかな? 

 リビングでは、白い毛皮に青い瞳の小さなお嬢さんに歓迎された。背中によじ上られたけど、ちっとも重くない。

 ほんと、ちっちゃいなあ。
 軽いなあ。
 骨組みも、筋肉も、爪も、尻尾も、実家のタイガーに比べたら、なんて華奢なんだろう。すべすべした毛皮を撫でていたら、あの人が出てきた。
 
「よう、エリック、来たか」
「あ、センパイ」
 
 深みのあるグリーンに白のストライプのエプロンをつけて、腕まくりして。くくった髪の毛の間からちらりと、なめらかなうなじがのぞいている。鮮やかな髪の色が、肌の白さを際立たせる。
 引き締まった腰から形のよい尻にかけてのラインが何とも魅惑的だ。ジーンズの上からでもよくわかる。

 仕草は大雑把、骨組みはがっちりしてるし、筋肉もしっかりついてるし。男臭いことこの上ないのに、何故かしなやかで柔らかい。

 相変わらず色っぽいなぁ……。

 以前の自分なら正視できずに目をそらしていただろう。
 いけないと思いつつ、夢想せずにいられなかった。その力強い腕に包みこまれ、広い胸に顔を埋める瞬間を。ゆるやかに波打つ赤い髪をかきあげて、むき出しになった首筋に口づけて……。
 けれど、今夜は違っていた。ちゃんと、逃げずに笑みを返すことができた。
 
「お招きいただきありがとうございました」
「この子はシエンだ。レオンの事務所でアシスタントをしてる」

 ああ。これでようやく君のことを名前で呼べるね。今までのように胸の中でつぶやくだけじゃなく、堂々と声に出して。

「よろしくね、シエン」
「……よろしく」
 
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