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ローゼンベルク家の食卓

【4-10-5】エビの人

2009/02/27 22:30 四話十海
 
 その瞬間。
 
「やあ、待った? 遅れてごめんよ」

 快活な声で呼びかけられた。振り向くと、背の高い金髪の眼鏡の男がにこやかに笑っていた。白いセーターに緑のマフラー、明るいベージュのコート。肌の色も髪の色も着ているものも白っぽく、暗がりの中にぽうっと浮かび上がって見える。

(あ。エビの人だ)

『エビの人』はすたすたと近づくと、シエンの肩越しに一瞬だけ、険しい目つきで男どもを睨んだ。
 眼鏡越しに青緑の瞳をすがめて、じろりと。

 ファッションで悪のふりをしている遊び人と、本物の悪党の区別はつく。こいつらは境界線上をふらついてはいるが前者だ。
 週末の夜に一杯引っ掛けて、仲間とつるんでハメを外しているだけ。
 一人一人に分割してやれば、憑き物が落ちたみたいに大人しくなって、俺は悪くないよと口をそろえて言うタイプの寄せ集め。

 バッジを見せるまでもない。
 示すだけで十分だ。視線に乗せて、己の確固たる意志を。

(彼に手を出すな)
(自分はお前たちを退けるのにどんな努力もいとわない)
(決して後へは退かない)

「…………」

 男どもは肩をそびやかして目をそらし、我勝ちに脇道へと退散して行く。
 バイキングのひと睨みはアルコールで霞んだ脳みそにも十分、突き刺さるほどの鋭さをそなえていた。
 素性を知らないまでも叶わない相手と悟ったのだ。自分たちより手強い奴と、日常的に渡り合っている人間なのだと。

「……大丈夫?」
「う……うん」
「そっか。今帰り?」
「うん」
「歩き? バス?」
「ケーブルカー……」
「そっか。じゃあ、オレと同じだね」

 話しながら何となく一緒に歩き出す。ケーブルカーの駅を目指し、少し距離を置いて並んで歩く。
 駅につくと、ちょうどソーマ地区に向かう下りのラインがやってきた所だった。

「俺……こっちだから」
「そっか。じゃあオレとは逆方向だね」
 
 ケーブルカーに乗る直前、シエンは小さな声でお礼を言った。

「ありがとう」と。

 エリックはほほ笑んで小さく手を振り、入れ違いにやってきた上りのラインに乗り込んだ。

 センパイのマンションは駅のすぐ近くだ。人通りも多いし、ひとまず安心してもいいだろう。

(ほんとは家まで送りたいけど。それはちょっと行き過ぎ……だよね)

 手すりから身を乗り出し、遠ざかる車両を見送った。
 話してみてわかった。あの子が双子のどちらなのか。猫を飼っているのはオティア。あの子はその兄弟。
 つまり彼の名前は……。

(おやすみ、シエン)

 少年の乗ったケーブルカーはやがてテールランプが見えるだけに。それさえもすぐに小さな点となり、街の灯りにまぎれて行った。
   
 
 ※ ※ ※ ※

 
 風呂から上がり、髪の毛を拭っていると、今やすっかりおなじみになった指に何ぞのまとわりつく感触を覚えた。
 引き抜くと長い赤い髪がぞろりと一塊、からみついている。どうやらまたごっそりと抜けたらしい。
 苦い笑いを浮かべると、ディフは無造作に髪の毛を丸めてくずかごに放り込んだ。

 寝間着に着替え、ガウンを羽織る。
 レオンは今夜はフロリダ泊まりだ。電話するにはまだ早いか……な。

 念のため、もう一度リビングをのぞいてみると、キッチンの方角からかすかに人の気配がした。
 
(ひょっとして……)

 食堂をのぞきこむ。
 シエンがぽつんと座ってもくもくと、七面鳥のシチューを口に運んでいた。

「あ……」

 紫の瞳の奥に一瞬、安堵の光が見えた。そうであればいいと願う自分の心が見せた錯覚でしかないのかもしれないが。

「帰ってたのか」
「ん」
「飯、わかったか」
「うん、メモがあったし」

 良かった。ちゃんと、見てくれたのだ。

「そっか……あー、その、シエン」
「何?」

 また表情が消えちまった。まずったな。どうにも引き際がつかめない。すまん、余計なこと言って。あとひとこと言ったら退散するから。
 祈るような気持ちで言葉を綴る。ためらいながら。とまどいながら。

「……………………………………………お帰り」
「ただいま」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 オティアはベッドの上で目を開けた。とろとろと霞みかけた意識が急に現実に引き戻された。シエンが帰ってきたのだろう。
 寝返りを打つ。
 月明かりの中、嫌でも隣のベッドが目に入ってしまう。布団も、枕もない、空っぽのシエンのベッドが。
 反射的に布団に潜り込んだ。
 どうしてまだ眠れないんだろう。時間通りに薬を飲んだはずなのに。前は眠れたはずなのに……おかしいな。
 でも考えるのがめんどうくさい。

「……に」

 オーレがにゅっと鼻をくっつけてきた。

「冷たいな」
「にう」

 もふもふと腕の中に潜り込むと、オーレはぴったりと胸元に顔を埋めてしまった。自分以外の生き物の温もりと柔らかさに安堵する。張りつめていた気持ちが和らぐ……ほんの少しだけ。

「そうだな、そこに入ってろ」
「みう」

 白いふかふかの毛皮に顔を寄せ、無理矢理目をとじる。

(いいや、もう眠れなくても……)

 せめて早く時間が過ぎればいい。夜なんかとっとと終わればいい。
 朝が早く来ればいい。

 ブゥフーーーーーーーーーーーウゥウウウ………。

 風が鳴る。断末魔の獣の唸りにも似た音を響かせて。
 闇の中、オーレが目を開き、ひっそりと毛を逆立てた。
 
 
(ラテと小エビと七面鳥/了)
 
【4-11】ホリディ・シーズン1
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