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ローゼンベルク家の食卓

【4-10】ラテと小エビと七面鳥

2009/02/27 22:23 四話十海
  • 2006年11月の出来事。
  • プチ家出から無事に帰宅はしたものの、居場所がないと感じるシエン。家に帰る時間を次第に引き延ばすようになる。
  • 遊ばない夜遊び。名前も覚えないトモダチ。希薄な絆の中に自分を分散し、時間をつぶす。
  • そんな彼がある日出会ったのは……。
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【4-10-0】登場人物紹介

2009/02/27 22:24 四話十海
  • より詳しい人物紹介はこちらをご覧下さい。
 
【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 笑顔を絶やさない穏やかで聞き分けの良い子。
 そんな仮面を脱ぎ捨てて、ようやく本当の顔を見せるようになった。
 たとえそれが沈んだ無表情でも。微笑みが消えても。
 
【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だがヒウェルに心を開きつつあった。
 一時期空気扱いしていたがそれも気になる心の裏返し。
 とうとう想いを受け入れたがその一方で双子の兄弟と生まれてはじめての大げんかが勃発。
 ポーカーフェイスの裏側で揺れ動く心はいまだに安らげない。

【エリック/Hans-Eric-Svensson】 
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、23歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。
 実は結構骨のある奴なのだが警察官ってのは基本的に強面さんが多いので署内での立場は弱かったりする。
 デンマークからの移民を祖父に持つ誇り高きバイキングの末裔。
 
【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフの旦那で双子の『ぱぱ』。
 最近忙しくて出張が増えた。
 
【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。
 多感な子どもたちを抱えて悩みは尽きない。
  
【オーレ/Oule】
 四話めにしてようやく本編に登場したオティアの飼い猫。
 白毛に青い瞳、左のお腹にすこしゆがんだカフェオーレ色の丸いぶちがある。
 最愛の『おうじさま』=オティアを守る天下無敵のお姫様。
 趣味はフリークライミングとトレッキング(いずれも室内)、好物はエビ。
 エドワーズ古書店の看板猫リズの末娘。
  
【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 フリーの記者。26歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。適度にスレたこずるい小悪党。
 オティアへの想いがようやく通じるが、それはすなわちシエンの失恋でもあり…。
 今回果たして人物紹介に出してもいいんだろうかってぐらいに出番無し。
 
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【4-10-1】はらぺこバイキング

2009/02/27 22:25 四話十海
 
 坂道をバンが走って行く。ゴトンゴトンと角張った車体をゆすり、比較的ゆっくりと。

 乗り心地より収納力を優先した車体の横にはサンフランシスコ市警のロゴが印刷されていた。
 お決まりの緊急用の回転灯はダッシュボードの上に。出動時はぺかぺか点灯させてサイレンを鳴らしてフルにすっ飛ばしたが今は静かに標準速度。
 この車に乗る者の任務は現場に始まり現場に終わるのだ。

 運転しているK9課のクィンシー・ネルソンは警察犬を訓練し、共に捜査にあたるハンドラーだ。今は犬ならぬ移動用車両のハンドルを握っている。その隣には爆発物処理班のギルバート・ワルターが座り、後部には二頭のシェパード犬、警察犬ヒューイと爆発物探知犬デューイ、そしてもう一匹……いや、一人。

「すまんな、エリック。せまい上に犬くさくて」
「やー、乗せてもらっただけでも御の字ですって」

 鑑識課のハンス・エリック・スヴェンソンが四角い金属のケースをひょろ長い足の間に挟み、もふもふの犬に両脇を挟まれて乗っていた。
 三人と二匹の捜査官たちは誘拐事件を無事解決し、意気揚々と署に引き上げる途中だった。

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 生後半年にも満たない乳幼児がさらわれ、犯人は警察に電話をかけてきた。

『赤ん坊のいる所に爆弾しかけといたぜ、ヒャッホーッ! 赤ちゃんがぐずったらドッカーンと行くかもな!』

 科学捜査班が集めた証拠から人質が監禁されている場所を割り出し、爆発物処理班とともに急行。ヒューイが赤ん坊のにおいを追跡し、発見した部屋では同時にデューイも反応した。
 幸い、犯人は事前に予行演習と称して小規模な爆破事件を起こしていた。おかげで爆弾の仕組みはある程度解明されていたがそれでも油断は禁物。
 科学捜査班と爆発物処理班の連携で慎重に救出作業が行われ、爆弾も爆発することなく処理された。

 ところが引き上げる途中で予想外の事が起きた。処理班の本部近くに引き上げてきたヒューイとデューイが、野次馬の一人に激しく反応したのだ。

『何だ、この犬どもは!』
『失礼。班長のマクダネル警部補です』
『あんたが責任者か! この野良犬どもをどうにかしてくれ!』
『彼らは警察犬です。この黒い犬は誘拐された赤ん坊のにおいを追うように命じられた。こっちの茶色の犬は爆弾を発見するように命じられている』
『それがどうしたってんだ? おい、そいつ唸ってるぞ!』
『彼らが唸るには、理由がある。失礼ですがミスター、あなたは……赤ん坊と爆弾、その両方と接触していましたね? それもかなり長い時間』
『うっ』
『署までご同行願おう』

 予想外の快挙。だが現場で容疑者を逮捕したため、パトカーに乗る人数が増え、結局一番スペースを取る人間……すなわちエリックがあぶれた。
 かくして彼はヒューイとデューイの乗るバンに便乗して署に引き上げる事になったのだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ごっつい首を両手で抱き寄せるとエリックはわしゃわしゃと二頭の友人たちをなで回した。任務の後にほめられるのが何より好きなのだ。

「ヒューイもデューイもお手柄だったね」
「帰ったらたっぷりご馳走食わせてやるからな!」
「わう」
「……あれ?」

 ぐらりとエリックの長身が傾き、ヒューイにしがみつく。

「うう?」
「どうした、エリック!」
「なんか、世界がぐるっと回ったような」

 後ろを振り返ったワルターが血相を変えた。

「おい、お前顔が真っ青だぞ!」
「くぅ〜ん」
「わうっ」
「うわ、手が冷たい……しっかりしろっ」

 ただならぬ気配を察したのか、両脇のシェパードがぐいぐい体をすりよせ、顔を舐める。

「あー……そう言えば……備蓄食料切らしてたから、しばらく食事してないよーな」

 それだけではない。現場に急行する直前まで、人質の行方を割り出すために不眠不休で突貫作業を進めていた。その前は予行演習に使われた爆弾の分析。
 仮に食料があったとしても食える状態ではなかった。

「おい、ヒューイ、デューイ、あっためてやれ!」
「あー、ふかふかだ……あったかいなぁ……」
「しっかりしろ! そうだ、何か糖分の高い食い物……チョコレートとか」
「そんな危険なもの置いてあるわけないだろう」
「そうだった」

 チョコレートはうっかり犬が食べれば中毒を起こす。それ以前にこの車の中に存在する食べ物はドッグフードだけ。栄養価は優れているが、今ひとつ即効性に乏しい。

「おいネルソン、どっか食い物補給できるとこに止めてくれ」
「OK」
「そーいやセントバーナード犬ってシェパードの血も混じってたんですよね……」
「おーい、エリックー! しっかりしろー! お前バイキングの末裔だろうが!」
「や、ここ海じゃないし」
「へりくつこねてる場合かーっ」

 二頭のシェパードのぬくもりとワルターの怒鳴り声でかろうじて、ヴァルハラの入り口あたりに浮遊しかけた魂を引き戻している間に車が止まった。
 窓の外に見慣れた緑の円と人魚のロゴマークの看板がぶら下がっていた。

「よし、降りるぞ、ほら立て!」
「了解……あ、ネルソンも何か飲む?」
「いいから早く行け」

 ワルターに引っ張られ、空腹と体温の低下でへれへれになりながらエリックはコーヒースタンドに入っていった。濃密なコーヒーの香りに意識がはっきりする……ほんのちょっとだけ。パンに、肉、カスタードクリーム、パイ生地、煮たリンゴ、ジャム。食べ物のにおいが鮮明に鼻腔に、喉に、脳みそに染みる。

「もうすぐ食い物のある所に連れてってやるからなー。しっかり歩けー」
「Ja,Ja,Ja」

 よれよれとレジ脇のガラスケースに近づき、中身を物色した。

「何にしよっかなー。あ、エビのサンドイッチがある……あとカフェラテと……」
「キャラメルマキアートにしとけ」
「……そーする」

 ぼーっとしながら注文をすませ、コーヒーが出てくるのを待ちながらぼんやりと客席を眺めていると。

「……あれ?」

 店の一角にふいっと目が吸い寄せられる。空腹で焦点の定まらないぼやけた視界の中で、そこだけくっきりと色鮮やかに目に映った。

 クリーム色のダッフルコートを羽織った金髪に紫の瞳の少年。あの子なんか見覚えあるぞ。
 記憶の中の情報を検索してみる。

(……ああ、センパイのとこの双子だ。でも一人しかいないな。オティアとシエン、どっちだろう……)

 眉間にうっすら縦じわが浮いてる。あまり楽しそうじゃないな。他に行くところがなくてしかたなくここに居るみたいだ。
 だれかと待ち合わせしているのでもない。食事やコーヒータイムのために来たのでもない。ただこの場所に居て、時間が過ぎるのをじっと待ってる。

(何かあったのかな。センパイは、このことを知ってるんだろうか?)

「お待たせしました。小エビのサンドイッチとキャラメルマキアート、トールのお客様」
「おい、エリック」
「……あ、はい!」

 あの子を一人で残して行っていいものか。気がかりだが、今の自分は勤務中だ。ワルターが一緒だし、しかも外には同僚たちを待たせている。ただ気になるから、だけで留まるのが許される状況ではない。

「こぼすなよ」
「……うん」

 後ろ髪を引かれる思いで店を出て、バンに戻った。

「ただいま」
「何買ってきた」
「キャラメルマキアート……」
「いい選択だ、飲んどけ」
「でも」
「お前このままだと十中八九、署につく前にぶっ倒れるぞ」
「じゃ、失礼して……」

 ずぞーっと紙コップの中身をすする。泡立つミルクとキャラメルシロップの甘さが舌に染みる。ちょっと遅れてコーヒーの熱さと苦さが広がった。

「はぁ……生き返る」
「……………」

 飲みながらデューイの視線が気になってしかたない。長い鼻面をこっちに向けて、上目遣いでじー……。ねだりこそしないが、静かに訴えている。くれると言うならいつでもお相伴に預かりますよ、と。
 好物なのだ。コーヒーが。
 彼のためだけに爆発物処理班には、オーガニック栽培のコーヒー(もちろんデカフェ)が常備してあると言う。

「署から連絡があったぞ。戻ったら警部補が来てほしいってさ」
「どこに?」
「取調室。容疑者の尋問に立ち会えって」
「了解……」

 容疑者の逃げ道を塞ぎ、『落とす』には証拠を分析した本人が同席し、直に説明するのが効果的だ。可能な限りは。マクダネル警部補の信条と捜査法にはエリックも絶大な信頼を寄せていた。

「モテモテだな。今のうちにサンドイッチも食っとけ」
「うん……」

 ぺりっと袋を破って小エビのサンドイッチをかじる。中身をこぼさないように慎重に。マヨネーズベースのソースのたっぷりからまったぷりぷりした小エビが口の中で弾けた。

「はぁ……美味しい」
「また、エビか」
「うん、エビ」
「飽きないのかね」
「全然?」

 もっしょもっしょとサンドイッチをかじり、コーヒーをすする。ちらっと振り返ると、遠ざかるコーヒースタンドの看板が見えた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 あと数分、エリックが店に留まっていれば、先ほど自分が心引かれた少年と瓜二つの少年がもう一人、入って来るのを目撃しただろう。
 着ている紺色のコートと髪の毛の長さが違う程度でぱっと見はほとんど区別がつかない。
 どこか沈んだ表情さえも。

 シエンは既に席を立っていた。兄弟が店に入るより前に来るとわかっていたように。飲み終わったカップをゴミ箱に捨てて出入り口へと歩いて行き、2人並んで歩き出す。
 一言も言葉を交わさぬまま。
 互いに目すら合わせぬまま。それでも並んで、とぼとぼと、活力の欠けた足取りで。

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【4-10-2】遊ばない夜遊び

2009/02/27 22:26 四話十海
 
 緑色の円の中の白い人魚。たっぷり濃厚な苦みの利いたラテ系のコーヒーがメインのコーヒースタンドチェーン。歩いていて、ひょいと見上げるとすぐに出くわす。
 支店の数はおそらくアメリカ合衆国でもトップクラス、ユニオン・スクエア界隈だけでも確認しただけで4軒はあるだろうか。 

 最初に来たときは純粋にコーヒーを買うのが目的だった。
 この所、レオンは忙しくてほとんど事務所に居ない。ロスはもとよりフロリダやメキシコ、時には東海岸まで、それこそ州境を越えて飛び回っている。泊まりがけの出張も増えた。レオンが忙しいと、必然的にアレックスも忙しくなる。
 自分ではレオンほど上手くコーヒーは入れられないし、紅茶だけでは物足りない時もある。

 そんな時はここでコーヒーを買うことにしていた。ほどよく苦くて、きっちり熱い。自動販売機より断然美味しい。コーヒーが欲しくなるとエレベーターで下に降り、厚手の紙コップに入ったラテを手にして事務所に戻る。それだけだった。

 ……けれど。

 深い霧のハロウィン。その翌日のささやかな家出。

 オティアと別々の部屋で眠るようになって以来、シエンがこの店で過ごす時間は確実に増えていた。

 それまで双子はずっと一緒にランチをとっていた。シエンが探偵事務所に降りて行くこともあれば、オティアが法律事務所まで上がってくることもあった。
 しかしあの夜を境目に、シエンは一人でランチタイムを過ごしている。外に食べに出る時も一人。買いに行く時も一人。

 弁当を持参している時も一人で食べて、終わるとふらりと外に出てコーヒースタンドでラテを一杯買う。そしてテーブルにすわり、ちびちび飲みながら時間をつぶすのだ。

 だれかと話すでもなし。本を読むでもなし。音楽を聞くでもなし。ただ時間が過ぎるのを待つ。じっと待つ。
 そして休み時間が終わる前に席を立ち、空っぽのコップをゴミ箱に捨てて店を出る。毎日そのくり返し。
 最初は20分前。それが18分前、15分前、10分前と少しずつ戻る時間が遅くなり、最近はぎりぎりまで座っている。心配したアレックスが一度探しに来たことがあった。

 それ以来、あまり遅くまでぼーっとしているとオティアが迎えに来る。
 そして2人は黙って歩く。とぼとぼと歩いて事務所のあるオフィスビルに戻り、エレベーターに乗り込む。
 二階でオティアが降りて、シエンは上へ。ひとこともしゃべらず、視線すら合わせずに。

 最初は昼休みだけだった。
 けれど11月の最初の水曜日、バイトが終わってとぼとぼとケーブルカーの駅に向かう途中にふらりとコーヒースタンドに入ってみた。
 ちょっと寄り道するだけだ。家に帰る時間を引き延ばすだけ。
 椅子に腰掛け、コーヒーを飲むでもなしにただガラス窓の外が暮れて行くのを眺めた。

 家に帰るころにはすっかり暗くなっていた。
 何となく本宅の玄関から入りづらくて隣の部屋……去年までディフの住んでいた部屋。10月までは自分とオティアの住んでいた部屋。今はオティア一人が住んでいる部屋のドアから入った。
 ソファで本を読むオティアの横をすり抜ける。オーレがちらっとこっちを見て小さく「みゃっ」と鳴いた。
 オティアにはヒウェルがいる。もうここには自分の場所はない。
 
 ディフは本宅のリビングで待っていた。眉間にかすかに皺をよせ、黙って新聞を広げていた。入って行くと弾かれたように顔をあげ、こっちを見た。その瞬間、表情がゆるみ、肩の力が抜けたのがはっきりとわかった。

「……お帰り」
「ただいま」
「飯、できてるぞ」
「……ん」

 一人分とりわけられた食事を口に運びながら思い出す。そうだ、今日は買い物の日だったんだ、って。
 どうしよう。すっぽかしちゃった。
 あやまった方がいいのかな。

(ごめんなさい)
(勝手に一人で帰ってごめんなさい。約束やぶってごめんなさい)

 胸の中で繰り返すばかりで、口にすることができない。
 食べ終わって、食器を片付けているとディフがぽつりと言った。

「シエン。オティアがいるからお前が無事なのはわかる。だが、遅くなるなら自分で一言連絡入れろ」

 はっと顔を上げる。先回りされた気がした。
 穏やかなヘーゼルブラウンの瞳に何て答えればいいのかわからなくて、結局、視線をそらして黙って部屋に戻った。
 息をひそめて足早に、ほとんど逃げるようにして。

 悔しいような、もどかしいような、もやもやした息苦しさがのど元にせり上がり、息が詰まる。
 いっそ嫌ってくれたら楽なのに。怒ってくれたらすっきりするのに。何でそんなに優しいの?
 血もつながっていない、法律で定められた義務がある訳じゃない。なのに、どうして『親』みたいに振る舞おうとするの?

 その優しさが、かえって……痛い。きりきりと胸を締めつける。
 その一方でシエンの意識はかしゃかしゃと冷静に計算機を弾いていた。

 どうせ自分がどこにいるか、オティアを通してディフにはわかっちゃうんだ。

 少しぐらい遅く帰っても、何の問題もない。だったら心配かけてることにはならない。
 バイトが終わってから家に帰るまでの時間に何をしていても、それは自分の自由なんだから。
 
 次の日の夕方、帰り道の途中。シエンはすたすたとコーヒースタンドに入った。
 次の日も。
 またその次の日も。

 夕方のスタンドは、学校が終わる時間でもあるからか、昼休みと比べて同じ年頃の子が多かった。
 おかげで一人でぽつんと座っていても目立たない。枯れ葉の間にうずくまるウズラみたいにざわざわした空間にまぎれむことができる。時間をつぶすことができる。

 通い続けるうちにたまに話す相手もできたけれど、お互いに無理に近づこうとはしない。その時顔を合わせて適当に話して、それだけ。
 向こうは自分を友達だと思ってるっぽい。次に顔を合わせた時も親しげに手なんか振って近づいてくるけれど、別に友達って訳じゃない。ほとんど名前も覚えていないけど、笑って話を合わせることはできる。

 だれかと話していれば、一人で過ごすより、時計は早く過ぎる。
 そんな風に過ごしていたある日のこと。

 赤いチェックのシャツにグリーンのパーカー、グレイのダウンジャケットを来た男の子が話しかけてきた。

「あれ、お前、セーブルじゃん。どっちだっけ、Oのつく方? Sで始まる方?」
「シエンだよ」

 目の前の顔と記憶を重ね合わせる。髪の毛はトウモロコシみたいな、カボチャみたいなオレンジに近い赤。くしゃくしゃのツンツンで伸び放題、ディフと違ってだいぶ毛質は固そうだ。
 ほお骨の周りにそばかすが散っている。だいぶ薄くなってるけど、ぽつぽつと。瞳は明るいブルー……中学の時の同級生の一人に似ているような気がした。

「えーっと……もしかして……ビリー?」
「当たり」

 にまっと人懐っこい笑みを浮かべると、向かいの席に腰を降ろしてきた。

「今どーしてんだよ」
「バイトの帰り」
「何か予定あるのか」
「別に?」
「そっか、じゃーちょっとつきあえ……おーい、ユージン、こっちこっち!」

 鳶色の髪のひょろりとした少年が加わり、3人でスタンドを出た。

「どこ行くの」
「んー、とりあえずゲーセンかな。2人で対戦やってもすぐ飽きるから」

 ゲームセンターはコーヒースタンドとは比べ物にならないくらいにぎやかな音にあふれ、赤や青、黄色、緑の光が点滅するめまぐるしい空間だった。
 くらくらしていると、ゲームの筐体の前に引っ張って行かれた。

「ほら、お前もここ座れって」
「これ、どうやって使うの」
「お前、もしかしてやったことないのか?」
「……うん」
「しょうがねえなあ、それじゃ、見本見せてやるから。見てろ、ビリーさまの華麗なるテクニックを!」

 自慢するだけあってそこそこ上手かったけれど、あっさりユージンに負けていた。
 シエンとの対戦も最初の一回こそ勝ったものの、コツをつかんでからはシエンの一人勝ち。

「くっ、やるな、お前。いい筋してるじゃん」
「そうかな」

 気づくとかなりの時間が過ぎていた。もう夕食は終わっている。そろそろ家に帰ってもいいだろう。
 ほっとして「もう帰る」と言い出すと、ビリーは自分の携帯を引っ張り出した。

「んじゃ番号教えてくれよ」

 自分からはメールも電話もしたことはないけれど、以来、ちょくちょく一緒に出かけるようになった。
 親しくなるにつれてぽつぽつと自分の今の状況を(さしさわりのない程度に言葉を選んで)話すようにもなった。
 オティアと一緒にある夫婦の家で世話になってる。バイトをしながら、ホームスクーリングで高校の勉強をしてる、と。

「ふーんそっか。ラッキーだったな」

 じろじろと無遠慮にビリーはシエンの服装や顔色を確認して、うなずいた。

「ちゃんと面倒見てもらってるみたいだし?」
「……一応ね」
「俺が今いるとこはさー、同じ里親でもけっこうな人数がわらわら群れてっから、ちびどもがうるさくって。なっかなか一人になれねーの! って言うか一人になる暇、ない」
「そうなんだ」

 だからこんなとこでふらふら遊んでるのかな。
 ゲームの合間にコーラを飲んでるときにそれとなく聞いてみた。あいまいな顔で、「まあな」とうなずいた。

「親父もお袋も『いい人』だよ。ちゃんと飯も食わせてくれるし着るものの面倒も見てくれるし」

 青い瞳の奥に暗い色がゆらぐ。無意識なのだろうか、にぎった拳でごしごしと頬のあたりをこすっている。

「……絶対俺のこと殴らないし」

 ぎくり、とした。中学のとき、ビリーは実の親と一緒に暮らしていたはずだ。けれどしょっちゅう学校を休んでいたし、目の周りや頬に痣をつくっていた。
 先生にはドアにぶつけたとか、階段で転んだとか、必死で言い訳をしていたけれど……。

「わかってるんだ。2人とも悪い人じゃない。ちゃんと俺のこと考えてくれてるって。でも息苦しいっつーか……なんか、ウザイ」

 ぐしゃぐしゃと髪の毛をかきまわすビリーの顔に、今は痣も傷もない。着ている服もいつも清潔で、顔色もいい。

「俺が夜遅くこそっと帰るだろ、そーすっとじーっとこう居間で待ってんの。心配してるんですよーって顔してさ。そのくせ、お帰り、としか言わないんだ」

(あ)

 11月の最初の水曜日の夜、居間で静かに自分を待っていたディフの面影がよぎる。

「血のつながってない赤の他人なんだ。卒業しちまえばそれっきりなんだからほっといてくれりゃーいいんだよ」

 そっぽを向いて言い捨てるビリーの顔は頬から目にかけて赤くそまり、怒ってると言うよりも。拗ねてると言うよりもむしろ、泣きそうになるのをこらえてるように見えた。

「無理に親になろうとしなくていいのに」
「……わかるよ」
「え?」
「家の……『まま』も、同じだから」
「そっか。お前も大変だな!」

 なんとなく、居場所を見つけたような気がした。家に帰る時間を引き延ばすための、避難所のような、隠れ家のような小さな場所を。

 こうして毎日、シエンの『夜遊び』は続いた。ただ、だらだらと帰る時間を引き延ばすために。夕飯の時間をずらすために。
 無為に時間をつぶすよりは早く過ぎてくれる。気がまぎれる。

 こんな風にふらふらしてるうちに、ディフは自分のことを見捨てちゃうかもしれない。だったらそれでもかまわない。今までずっとそうだった。

(嘘だ、本当はわかってる)
(ディフは自分を見捨てたりしない。だけど今は、かえってそれがつらい)
(知らんふりしてくれればいいのに。見ないふりしていてくれればいいのに)

 無理に親になろうとしなくていい。

 でも……親って何なんだろう?

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【4-10-3】七面鳥の日

2009/02/27 22:27 四話十海
 
 11月の第四木曜日は休みだった。夕食の献立はぎっしり詰め物をした七面鳥の丸焼きとパンプキンパイに根菜のスープ、野菜サラダにコーンブレッド。久しぶりにディフと一緒にキッチンで夕食を作った。
 大きな七面鳥は2、3日前からずっと冷蔵庫に入っていて何に使うのかと思ったけれど(クリスマスにしてはまだ早いし)この日のためだったんだ。

「冷凍のをゆっくり時間をかけて解凍したんだ」
「冷蔵庫で?」
「ああ。去年のクリスマスんときは流しのすみで1日置いといたけどな。じっくり時間かけた方がいいらしい」
 
 中味を洗って溶かしたバターをしみ込ませ、ダイス型に切ったパンときざんだタマネギ、パセリをつめこむ。

「本当はセロリを使うんだけど、食えない奴がいるからな」
「ん」
「代わりにこいつを入れる」
「ジンジャー?」
「ああ。肉のくさみがいい具合にとれるし、ニンニクと違って息が臭くならない」
 
 詰め物をした七面鳥を焼き網を敷いたロースターに入れてオーブンへ。焦げないようにアルミホイルでみっちり包む。
 手羽とももの部分は火の通りが早いので二重にぐるぐる巻き付けて、最初の一時間は強火で。あとは弱火でじんわりと。焦らず、じっくり焼き上げる。中に仕込まれた目印が弾けて飛び出したら出来上がり。

「まだ昼間だよ? 早くない?」
「焼き上がるまでに5時間かかる」
「そんなに?」
「去年のクリスマスもそれぐらいかけただろ?」
 
 確かにその通り。七面鳥の丸焼きなんてめったにしないから忘れていた。
 それに……。
 去年のクリスマスから今までの間に、あまりに多くのことが起きた。大きな変化があった。住む場所、眠る部屋、一緒に居る時間の長い人。変わらないものもあれば、表面だけ同じに見えてがらりと中味が変わってしまったものもある。

「よし、次はパイとコーンブレッドだ」
「うん。今日はオーブンたくさん使うね」
「ああ、大活躍だ」
「熱くなってきちゃった」
「熱量が半端じゃないからな」

 大きなカボチャをざくっと切るのはディフの仕事だ。わしゃわしゃと種をかき出し、刻んで茹でる。

 料理をするのは好き。作り方を教わるのも楽しい。だけどそれ以外のことはほとんど話さない。
 暗い、冷たい湖の上に張った氷の上。今いる所はかろうじて持ちこたえているけれど、次の一歩が無事に体を支えてくれる保証はない。いつ、踏み抜くかはわからない。

 茹でたカボチャをせっせと裏ごしするシエンの隣で、ディフがざっかざっかと猛烈な勢いでパイ皮を折り曲げる。
 どこか危うい静けさの中、ひたすら手を動かした。
 
「ただいま」
「お帰り」

 レオンは相変わらずカレンダーの休みもおかまい無しに休日出勤。だけど今日は珍しく帰りが早かった。
 七面鳥を真ん中に久しぶりに5人で食卓を囲む。
 11月23日、第四木曜日は感謝祭。七面鳥ととうもろこし、カボチャでお祝いする日。

 焼き上がった七面鳥を食卓の上で薄く切り分け、ソースを添える。一口じっくり味わってから、ヒウェルが偉そうに感想を述べた。

「ふむ。去年のクリスマスよか上達したな。ちーとばかし皮が焦げっぽいが」
「言ってろ。今年のクリスマスにはもっと上達してやる」

 レオンが静かにほほ笑んだ。

「期待してるよ」
「……うん。がんばる」

 まだ乾杯のワインにほんの一口くちをつけただけなのにディフは耳まで赤くして、うれしそうに目を細めた。こんな風に顔全体で笑うのは久しぶりに見るような気がした。

「骨はこっちの皿に避けとけ。無理にかじるな」
「うん」
「味足りなかったらソース足せよ。塩もある」
「大丈夫。美味しいよ」
「そうか」

(この人たちは今はこんな風に笑いかけてくれる。でもいつ自分に背を向けるかわからない)
(明日、捨てられちゃうかもしれない)

 シエンはまだ理解できずにいた。心細く思うのは、失いたくないからだと。
 親なんかいらない。必要なのは安定した生活を送るための後ろ盾。レオンも、ディフもただそれだけの存在でしかない。かたくなにそう思っていた。自分に言い聞かせていた。

 愛想の良い笑顔。快活な笑顔。可愛らしい笑顔。素直さ、従順さ、人なつっこさ。繕うことをやめ、ほとんど『素の顔』を晒しているにも関わらず自分が受け入れられている。その事実を、認められずにいた。

 すがったら、負ける。

 藁の中の七面鳥。
 干草の中の七面鳥。
 転げよじれてぐるぐるごろごろ。
 藁の中の七面鳥。

(負けるって、何に対して?)
(勝ち負けの基準って何?)

 すがりたい。でもすがれない。拒まれるのが怖いから、その必要はないのだと切り捨てる。
 ここは自分の本当の居場所じゃないんだ、と。

 それでもあたたかい焼きたてのコーンブレッドを口に運ぶとほっとした。何故なのかはわからないけれど。
 
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【4-10-4】相席、いいかな?

2009/02/27 22:28 四話十海
 
 開けて次の日。
 
 木曜日が休みの週って何となく中途半端だ。土曜日までの間にぽつりと入った金曜日。思い切って連休にしている学校や会社も多いだろうに、夕方のコーヒースタンドはむしろいつもより混んでいた。

 他所から来た人が増えているのかな。

 そんなことを考えながら、シエンはいつものように隅っこのテーブルでラテをすすり、ちまちまとスコーンをかじった。
 見た目がホットビスケットに似ているから選んでみたけれど、パサパサしていて少し食べにくい。
 サンドイッチかマフィンの方が良かったかな。

 残すのはもったいないから、一口食べて、ラテをすすって、少しずつ喉の奥に流し込む。もくもくと口を動かしていると、不意に皿の上に影が落ちる。

「ここ、空いてるかな?」

 よく通る声だが濁音がほんの少しだけ強い。Rの発音が独特で、内側にこもったように響く。変わったしゃべり方だ。
 見上げるとひょろりと背の高い男が立っていた。
 肌は白く、短く刈られた明るい金色の髪がツンツンと逆立っている。金属フレームの眼鏡の向こうの瞳は青と緑を半々に掛け合わせた深みのある色で、角度によってどちらの色にも見える。
 みっしり編んだ白のセーターの上に明るいベージュのコートを羽織り、瞳の色と同じ青緑のマフラーを巻いていた。

「相席、いい?」

 手にしたトレイにはトールサイズの紙コップとサンドイッチが載っている。会社員? いや、ひょっとしたら大学生かも。
 背は高いけど迫力はない。人畜無害っぽい相手だし……店は混んでる。他の人と相席するよりはこの人の方がマシだな。

「いいよ」
「ありがとう」

 向かいの席に、ちょっと角度をずらして斜めになるようにして座ってきた。正面から向き合わずにすんで少しほっとした。
 座るとまずコップの中味をずぞーっとすすり、続いてあぐ、とサンドイッチにかじりつく。中味を落とさず、器用に噛みとった……と、思ったら口にマヨネーズがついていた。
 微妙におしい。
 もぐもぐと幸せそうに口を動かし、ごくん、と飲み込む。まだ気づく様子がない。

「……ついてるよ」
「え?」
「口。マヨネーズ」
「あれ、ほんとだ……ま、いいや。食べ終わってからふくよ」

 豪快なのか。横着なのか。きちんとしてる人に見えたんだけどなあ。

「ありがとう」
「……ん」

 後はもくもくと口を動かしてサンドイッチを食べている。
 今まで何度かこう言うことがあったけど、みんな食べるのも飲むのもそっちのけで声をかけてきた。
 年はいくつ?
 家は近いの?
 いつも来るの? 一人?
 それなのにこの人は何も聞いてこない。マイペースに食べて、飲んでいるだけ。

「それ……エビ?」

 かえって落ち着かなくて、とうとう自分から声をかけてしまった。

「うん、いつもエビ」
「飽きない?」
「全然。好きだし」

 ヒウェルのチョコレートみたいなものなのかな。

「うちの猫もエビ、好きなんだ」
「ふうん。猫、飼ってるんだ」
「俺じゃなくて、兄弟がね」
「そっか。かわいい?」
「うん、最初はちょっと怖かったけど、ちっちゃいし、かしこいし」
「いいね……オレも好きだな、猫。でっかいのも、ちっちゃいのも」
「ふうん……大きいのも平気なんだ」
「君は、ちがうの?」
「ちょっと、苦手かも」

 サンドイッチを食べ終わると、金髪の眼鏡の青年は紙ナプキンで念入りに口のまわりを拭った。それでもまだ一カ所、口の端に白くマヨネーズが残っている。
 器用なのか、不器用なのか。

「まだついてるよ」
「え?」
「ここ」

 自分の顔の同じ位置をちょんちょん、と指でつついてみせた。くいっと紙ナプキンでぬぐって、ひろげて、確かめている。
 ひょこっと青緑の瞳が見開かれた。

「わあ、ほんとだ。ありがとう」
「別に、大したことじゃないし」
「君はそれ、好きなの?」

 半分ほど残ったスコーンに目を落とす。

「……う……ん………でも……」

 知らない人だからなのか。相手の身にまとうどこかひょうひょうとした……そのくせ穏やかな空気のせいなのか。
 ぽろりと本音を口にしていた。

「うちで焼いたのの方が、美味しい」
「そっか」

 軽くうなずく金髪の青年のポケットで、ヴィーンっと何かが振動した。

「おっと」

 携帯を引き出し、画面に目を走らせている。

「そろそろ行かないと。それじゃあ、ね。相席してくれて、ありがとう」
 
 遠ざかるひょろりとした背中を見送る。ほぼ入れ違いにビリーとユージンが店に入ってきた。
 
「よお、シエン! 待たせたな! さ、行こうか」
「……うん」

 店を出ると、雑踏の向こうにちらりとツンツンに尖った白っぽい金髪頭が見えたような気がした。

 あの人、結局名前も聞いてこなかった。何となく以前、どこかで見たことがあるような……多分、気のせいだよね。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 いつもの週末より街はにぎわい、行き交う人の数も多かった。カラオケに行ってもなかなか部屋が空かず、ロビーで待たされた。

「あーもー人多いなあ」

 待ってる間にコーラをすすりながらビリーが肩をすくめた。

「感謝祭後の週末だから、しょうがない」
「っかーっ、感謝祭か! うちも兄貴どもや姉貴どもがわしゃわしゃ押し掛けてきてさ」
「そうなんだ」
「そーだよ。せまっ苦しいったらありゃしねえや。血のつながった身内って訳でもないのにご苦労さんなこった」

 どうやら、感謝祭には家族が集まるものらしい。
 ふと、疑問がわいた。自分やオティア、ヒウェルはともかく、どうしてレオンもディフも家族を呼ばないんだろう。あるいは、家族の所に帰らないのだろう?

 レオンはあまり実家と折り合いが良くないらしい。けれどディフは?

(どうして? ディフにはお父さんも、お母さんも、お兄さんもいるのに。仲がいいんでしょ? 好きなんでしょ? いつもそう言ってたのに)

 自分たちが来てから、一度も実家に帰っていない……。

「シエン」

(俺のことなんか放っておいて、本当の家族のとこに帰ればいいのに)

「おい、シエン!」
「……あ、ごめん」
「部屋空いたってさ。行くぞ」
「うん」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 時刻は夜の九時を回ろうとしている。
 ディフは一人でリビングに座っていた。肩の上には小さな白い子猫。レオンがいないのを知っているのか、今夜はなかなか本宅から退散なさろうとしない。
 
「いいのか、お前? オティアが心配してるぞ?」
「にう」

 顎の下をくすぐって、ふと思い出す。ほんとうに一人になりたい時は、あの子はオーレさえ閉め出してしまうのだと。

 気づいた瞬間、立ち上がっていた。肩の上でオーレがバランスを崩し、がしっと全力でしがみついてきた。
 セーターの上から尖ったちっぽけな爪が刺さり、首輪の鈴がちりちりと鳴る。

「みゃっ」
「おっと。大丈夫か?」
「にう!」

 ぴしり、と長い尻尾で頬を叩かれる。

「ごめん。気をつけるよ」
「に」

 お姫様はいたくご機嫌斜め。目を半開きにして耳を伏せてしっぽをぱったんぱったんとやっていたが、不意に耳をぴんと立てて境目のドアの方に向き直った。

「にゃーっ」

 甲高い声。尻尾を高々とあげて床に飛び降り、とことこと、『おうじさま』に向かって一直線。

「オティア」
「………待ってるのか?」
「ああ」

 だれを、なんて今更口にするまでもない。
 白い子猫を抱きあげると、オティアはぼそりと言った。

「……かえって逆効果だ」
「そう……か。お前が言うなら、そうなんだろうな」
 
 部屋に戻って行く少年を見送ると、ディフは深くため息をついた。ためらってから、電話台の脇のメモ帳から一枚破りとってペンを走らせ、キッチンのテーブルに載せて……寝室へと向かう。
 足取りが重い。自然とうつむいてしまう。夜の暗さ、静けさが妙にべったりと手足にまとわりつく。

 いかんな。とりあえず風呂にでも入ろう。
 あったまって。
 さっぱりして。
 そうすりゃ、このうっとおしい湿った気分も少しは軽くなるだろうさ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「それじゃ、またな!」
 
 その頃、シエンはコーヒースタンドの前で『友達』と別れた所だった。
 結局、ほとんどビリーとユージンが歌ってるのを聞くだけで自分では歌わなかった。

 吐く息が、白い。一人になると、夜の暗さを改めて実感する。ケーブルカーの駅に向かって歩き出そうとすると、向こうから若い男が数名、歩いて来た。
 誰はばかることなく大声でしゃべりながら、道の幅いっぱいに横に広がって。時折耳障りな金切り声まであげている。

 ダウンジャケットの下からシャツの裾をだらりとはみ出させ、靴のかかとをつぶし、ジーンズは腰の辺りまでだらしなくずりおろしている。
 そろいもそろって打ち合わせでもしたみたいにしまりのない服装。そのくせ目つきは鋭く、ぎらぎらした嫌な光を宿していた。
 上着に打った金属の鋲が、ぎらりと光る。ベルトから下げたチェーンがじゃらじゃら鳴っている。いや、わざと鳴るように体をゆすっているのだ。

 近づくと、ぷーんと酒のにおいがした。

 いやだな。
 早く通り過ぎよう。

 歩調を早めてすれ違おうとすると、不意に行く手を遮られた。

「あ……」

 さっきまであれほど騒いでいたのに、今は黙っている。一言もしゃべらない。ただ全員ぎらつく目でこっちを見ている。
 横に避けようとすると、すっとスライドしてわざと正面に立ちふさがってきた。

(どうしよう)
 
 一歩後じさりする。
 ずいっと近づいてきた。それだけじゃない。取り囲むようにして、じりじりと迫って来る。
 走って逃げようか。でも追いかけてきたらどうしよう?
 背筋をひやりと冷たいものが走る。記憶の奥底の扉が開き、未だ癒えぬ恐怖がじわり、と染み出してきた。
 
(怖い!)
 

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【4-10-5】エビの人

2009/02/27 22:30 四話十海
 
 その瞬間。
 
「やあ、待った? 遅れてごめんよ」

 快活な声で呼びかけられた。振り向くと、背の高い金髪の眼鏡の男がにこやかに笑っていた。白いセーターに緑のマフラー、明るいベージュのコート。肌の色も髪の色も着ているものも白っぽく、暗がりの中にぽうっと浮かび上がって見える。

(あ。エビの人だ)

『エビの人』はすたすたと近づくと、シエンの肩越しに一瞬だけ、険しい目つきで男どもを睨んだ。
 眼鏡越しに青緑の瞳をすがめて、じろりと。

 ファッションで悪のふりをしている遊び人と、本物の悪党の区別はつく。こいつらは境界線上をふらついてはいるが前者だ。
 週末の夜に一杯引っ掛けて、仲間とつるんでハメを外しているだけ。
 一人一人に分割してやれば、憑き物が落ちたみたいに大人しくなって、俺は悪くないよと口をそろえて言うタイプの寄せ集め。

 バッジを見せるまでもない。
 示すだけで十分だ。視線に乗せて、己の確固たる意志を。

(彼に手を出すな)
(自分はお前たちを退けるのにどんな努力もいとわない)
(決して後へは退かない)

「…………」

 男どもは肩をそびやかして目をそらし、我勝ちに脇道へと退散して行く。
 バイキングのひと睨みはアルコールで霞んだ脳みそにも十分、突き刺さるほどの鋭さをそなえていた。
 素性を知らないまでも叶わない相手と悟ったのだ。自分たちより手強い奴と、日常的に渡り合っている人間なのだと。

「……大丈夫?」
「う……うん」
「そっか。今帰り?」
「うん」
「歩き? バス?」
「ケーブルカー……」
「そっか。じゃあ、オレと同じだね」

 話しながら何となく一緒に歩き出す。ケーブルカーの駅を目指し、少し距離を置いて並んで歩く。
 駅につくと、ちょうどソーマ地区に向かう下りのラインがやってきた所だった。

「俺……こっちだから」
「そっか。じゃあオレとは逆方向だね」
 
 ケーブルカーに乗る直前、シエンは小さな声でお礼を言った。

「ありがとう」と。

 エリックはほほ笑んで小さく手を振り、入れ違いにやってきた上りのラインに乗り込んだ。

 センパイのマンションは駅のすぐ近くだ。人通りも多いし、ひとまず安心してもいいだろう。

(ほんとは家まで送りたいけど。それはちょっと行き過ぎ……だよね)

 手すりから身を乗り出し、遠ざかる車両を見送った。
 話してみてわかった。あの子が双子のどちらなのか。猫を飼っているのはオティア。あの子はその兄弟。
 つまり彼の名前は……。

(おやすみ、シエン)

 少年の乗ったケーブルカーはやがてテールランプが見えるだけに。それさえもすぐに小さな点となり、街の灯りにまぎれて行った。
   
 
 ※ ※ ※ ※

 
 風呂から上がり、髪の毛を拭っていると、今やすっかりおなじみになった指に何ぞのまとわりつく感触を覚えた。
 引き抜くと長い赤い髪がぞろりと一塊、からみついている。どうやらまたごっそりと抜けたらしい。
 苦い笑いを浮かべると、ディフは無造作に髪の毛を丸めてくずかごに放り込んだ。

 寝間着に着替え、ガウンを羽織る。
 レオンは今夜はフロリダ泊まりだ。電話するにはまだ早いか……な。

 念のため、もう一度リビングをのぞいてみると、キッチンの方角からかすかに人の気配がした。
 
(ひょっとして……)

 食堂をのぞきこむ。
 シエンがぽつんと座ってもくもくと、七面鳥のシチューを口に運んでいた。

「あ……」

 紫の瞳の奥に一瞬、安堵の光が見えた。そうであればいいと願う自分の心が見せた錯覚でしかないのかもしれないが。

「帰ってたのか」
「ん」
「飯、わかったか」
「うん、メモがあったし」

 良かった。ちゃんと、見てくれたのだ。

「そっか……あー、その、シエン」
「何?」

 また表情が消えちまった。まずったな。どうにも引き際がつかめない。すまん、余計なこと言って。あとひとこと言ったら退散するから。
 祈るような気持ちで言葉を綴る。ためらいながら。とまどいながら。

「……………………………………………お帰り」
「ただいま」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 オティアはベッドの上で目を開けた。とろとろと霞みかけた意識が急に現実に引き戻された。シエンが帰ってきたのだろう。
 寝返りを打つ。
 月明かりの中、嫌でも隣のベッドが目に入ってしまう。布団も、枕もない、空っぽのシエンのベッドが。
 反射的に布団に潜り込んだ。
 どうしてまだ眠れないんだろう。時間通りに薬を飲んだはずなのに。前は眠れたはずなのに……おかしいな。
 でも考えるのがめんどうくさい。

「……に」

 オーレがにゅっと鼻をくっつけてきた。

「冷たいな」
「にう」

 もふもふと腕の中に潜り込むと、オーレはぴったりと胸元に顔を埋めてしまった。自分以外の生き物の温もりと柔らかさに安堵する。張りつめていた気持ちが和らぐ……ほんの少しだけ。

「そうだな、そこに入ってろ」
「みう」

 白いふかふかの毛皮に顔を寄せ、無理矢理目をとじる。

(いいや、もう眠れなくても……)

 せめて早く時間が過ぎればいい。夜なんかとっとと終わればいい。
 朝が早く来ればいい。

 ブゥフーーーーーーーーーーーウゥウウウ………。

 風が鳴る。断末魔の獣の唸りにも似た音を響かせて。
 闇の中、オーレが目を開き、ひっそりと毛を逆立てた。
 
 
(ラテと小エビと七面鳥/了)
 
【4-11】ホリディ・シーズン1

ジャパニーズボブテイル

2009/02/27 22:34 番外十海
 
 
 12月24日、クリスマスイブの朝。ホテル下のインテルメッツォ(コーヒースタンド)で食料を買い占め、部屋で食事をした。
 部屋には応接用のローテーブルもあったのだが何となく隅っこに集まり、スーツケースをちゃぶ台代わりにして。
 
 黙って口を動かし、終始浮かない顔のサリーの膝にヨーコが手をのせ、ちょこんと首をかしげた。

「サクヤちゃん……エドワーズさんとこ、行く?」
「え……うーん………」

 魔女の呪いで子どもにされてしまい、エドワーズ古書店に保護されたサリーだったが。能力のコントロールがきかずに微弱な放電を続け、エドワーズの電話も携帯も、パソコンも壊してしまったのである。
 幸い、彼には物を直す能力があった。できるものなら、少しでも早く直しに行きたい。けれど。

「あんまり行きたくない………」

 今、エドワーズさんと顔をあわせる勇気が……ない。

「別に人間の姿じゃなくってもいいんじゃない?」
「…………………」

 また難しいことを言ってるし。だいたいよーこさんは楽天的って言うか、妙に自信がありすぎなんだ……このポジティブさが時々うらやましい。

(さっきまであんなにおろおろしてたのに、朝ご飯食べたらけろっとしてるし!)

 どうせ行くならこのままでも……ああ、だけど唐突に携帯貸してください、なん言えないし。そもそも直している瞬間を見られたらもっと困る。

「直したいものあるって、言ってたよね?」

 サクヤの心を読んでいるかのように、ヨーコは赤いコートを羽織ってくるくる回る。上半身を覆うケープがふわりと広がった。

「このコート、ケープになってるから……ちっちゃな生き物一匹ぐらい余裕で隠せるよ?」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 エドワード・エヴェン・エドワーズはクリスマスに縁の薄い男だった。
 今日がクリスマスイブでも。日曜日でも、別段、いつもと変わらない。強いていえば昨日の夜に久々に昔の同僚と会ったことぐらいだろうか。
 
『クリスマスシーズンに教会に泥棒とは罰当たりな奴だ。募金目当てか?』
『さあ、な………』
『それにしても派手にやられたな、EEE。お前さんが苦戦するなんてよっぽど物騒な相手だったんだろう』

 物騒と言うか。人間離れしていたと言うか。そもそも現実だったのかどうかもわからない。唯一の目撃者であるリズも多くを語ろうとしない。カウンター脇の椅子にこしかけ、優雅に毛繕いをしている。

 ふと、ぴんと耳を立てて入り口のドアを見やった。

「にゃ」
「お客さんか」

 カララン、カラララン……。ドアベルの音を響かせて眼鏡をかけた小柄な人物が入って来る。一瞬、あの人かと思ったがまとっている赤いコートが教えてくれる。

「Missヨーコ! お久しぶりです」
「こんにちは、エドワーズさん」
「いつ、こちらへ?」
「んーっと昨日、一昨日。こっちでクリスマスを過ごそうと思って」
「ああ、なるほど……」

 サリー先生に会いに来たのだな。
 
 彼女の後ろから少年が2人入って来る。金髪のアメリカ人と黒髪の東洋系。

「紹介しますね。この子たちはあたしが教えてるハイスクールの生徒なの」
「ああ、確か歴史の先生でいらっしゃいましたね」
「ええ」
「ロイ・アーバンシュタインです」
「風見光一です」
「よろしく。エドワード・エヴェン・エドワーズです」
「マックスとレオンのお友達よ。あと、サリーちゃんの」
「にゃー」
「Hi,リズ」
「あ、猫」
「オーレのお母様よ」
「確かにそっくりデス」

 エドワーズと少年2人が話している間にヨーコはこっそりとコートの中に隠してきた小さな生き物を床に放った。
 茶色と白と黒のほっそりした三毛猫。尻尾はぽわぽわと丸く兎のよう。

「じゃ、しっかりね」
「にゅ」

 小声で話しかけると離れた位置にある本棚まで歩いて行き、よいしょっと伸び上がった。

「Mr.エドワーズ、すみませんが、踏み台か何か貸していただけますか? あの、一番上にある本を見たいんです」
「少々お待ちを……」

 その隙に三毛猫はぴょんっとカウンターに飛び乗り、沈黙しているパソコンに近づいた。くいくいと顔をすり寄せ、前足でちょん。
 沈黙していた画面がぷぅうん、と点滅し、白く光り……中央にリンゴのマークが現れた。
 続いて固定電話にもすりすり、ちょん。

「あ、The World of the Dark Crystalがある! あの画集探してたんだぁ……見たい!」
「先生、無茶しないでくださいっ、重すぎますっ」
「つぶれますっ」
「……私がお取りしましょう」
「ありがとう、Mr.エドワーズ」
 
 よーこさんの陽動作戦はまだ続いている。協力してくれるのはうれしいけど、ちょっと騒がし過ぎなんじゃ……。
 床に降りた所にリズがたーっと走りよって来た。

 サリー先生。ご無事だったんですね! ああ良かった。

「こんにちは、リズ。携帯どこにあるか知らない?」

 こっちです、サリー先生。

 ちょろちょろとリズは猫用ドアを通って奥に入って行く。後に続いて居間に入った。ああ、あのソファの上で眠っていたんだ。

「にゃー」

 テーブルの上に携帯が乗っていた。ぴょん、と飛び乗り、前足でちょんと触れる。
 サブディスプレイが点滅し、デジタルの数字が浮かぶ。
 よし、これで……元通り。

 あれ?
 何だか急にふらっとした。どうしたんだろう……まさか、よーこさん、帰っちゃった?

 へろへろと店に戻ると、ちょうどドアベルが鳴った所だった。

「ありがとうございました………」

 えーっ!
 そんな、ひどいよ、よーこさん、置いてきぼりなんてーっ!

 おろおろしていると、エドワーズさんがこっちを振り向いた。

「おや?」
「にゃ……にゃーっ」

 落ち着け、今の自分は猫に変身している。昨日の子どもだとも、獣医のサリーだとも思われない。普通の猫のふりをしてやり過ごすんだ。

「どこから来たのかな? リズの友達かい?」

 ほっそりした指で撫でられる。頭から背中、耳の付け根。こうしてほしい、触ってほしいと思う場所を彼の手は知り尽くしていた。
 ふわ……気持ちいーい……。

 ノドからごろごろと声が出る。ライムグリーンの瞳がうれしそうに細められる。
 人差し指で顎の下をくすぐられる。思わず顔をすりよせた。

「かわいいな………美人さんだ」

 なおもごろごろとのどを鳴らしてすりより、はたと気づく。
 急がないとよーこさん、どんどん遠くに行っちゃうよ! まだリンクが途切れていない状態なのに。つい今しがた力を使ったばかりなのに、ここで離れられたら……。

 あわててドアにとびつき、かりかりと前足でひっかいた。

「にゃー、にゃー、にゃーっ!」

 よーこさん、よーこさーん!

「おや? もう帰るのかい……気をつけてお行き」

 そっと頭を撫でると、エドワーズさんはドアを開けてくれた。
 
「ぐるにゃう」

 足の間をすりぬけて表に出る。ちょっとだけ振り返ってから、たっと駆け出した。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 花屋さんの前で追いついた。ひらひらひらめく赤いケープにカフェオレ色のブーツ。胸元に金色の鈴とピンクの勾玉が揺れている。

「おかえりー」

 すごく爽やかな笑顔だ。文句の一つも言いたいけど今は猫。(何となく通じそうな気もするんだけど)
 差し出された腕にぴょん、と飛び乗り、肩によじ上った。

「それじゃ、行こうか」

 そして、ヨーコは歩き出す。
 肩に小さな三毛猫を乗せ、風見とロイを引き連れて。腕には今しがた買ったばかりのちっちゃなブーケが抱えられている。
 見送りながら花屋の店主は足下の相棒に話しかける。大きいのと小さいの、瓜二つの黒い縞模様の猫二匹。

「あれはジャパニーズボブテイルじゃないか」
「なー」
「にう」
「うん、可愛いな。飼い主のお嬢さんにそっくりだ」


(ジャパニーズボブテイル/了)