▼ 【4-10-4】相席、いいかな?
開けて次の日。
木曜日が休みの週って何となく中途半端だ。土曜日までの間にぽつりと入った金曜日。思い切って連休にしている学校や会社も多いだろうに、夕方のコーヒースタンドはむしろいつもより混んでいた。
他所から来た人が増えているのかな。
そんなことを考えながら、シエンはいつものように隅っこのテーブルでラテをすすり、ちまちまとスコーンをかじった。
見た目がホットビスケットに似ているから選んでみたけれど、パサパサしていて少し食べにくい。
サンドイッチかマフィンの方が良かったかな。
残すのはもったいないから、一口食べて、ラテをすすって、少しずつ喉の奥に流し込む。もくもくと口を動かしていると、不意に皿の上に影が落ちる。
「ここ、空いてるかな?」
よく通る声だが濁音がほんの少しだけ強い。Rの発音が独特で、内側にこもったように響く。変わったしゃべり方だ。
見上げるとひょろりと背の高い男が立っていた。
肌は白く、短く刈られた明るい金色の髪がツンツンと逆立っている。金属フレームの眼鏡の向こうの瞳は青と緑を半々に掛け合わせた深みのある色で、角度によってどちらの色にも見える。
みっしり編んだ白のセーターの上に明るいベージュのコートを羽織り、瞳の色と同じ青緑のマフラーを巻いていた。
「相席、いい?」
手にしたトレイにはトールサイズの紙コップとサンドイッチが載っている。会社員? いや、ひょっとしたら大学生かも。
背は高いけど迫力はない。人畜無害っぽい相手だし……店は混んでる。他の人と相席するよりはこの人の方がマシだな。
「いいよ」
「ありがとう」
向かいの席に、ちょっと角度をずらして斜めになるようにして座ってきた。正面から向き合わずにすんで少しほっとした。
座るとまずコップの中味をずぞーっとすすり、続いてあぐ、とサンドイッチにかじりつく。中味を落とさず、器用に噛みとった……と、思ったら口にマヨネーズがついていた。
微妙におしい。
もぐもぐと幸せそうに口を動かし、ごくん、と飲み込む。まだ気づく様子がない。
「……ついてるよ」
「え?」
「口。マヨネーズ」
「あれ、ほんとだ……ま、いいや。食べ終わってからふくよ」
豪快なのか。横着なのか。きちんとしてる人に見えたんだけどなあ。
「ありがとう」
「……ん」
後はもくもくと口を動かしてサンドイッチを食べている。
今まで何度かこう言うことがあったけど、みんな食べるのも飲むのもそっちのけで声をかけてきた。
年はいくつ?
家は近いの?
いつも来るの? 一人?
それなのにこの人は何も聞いてこない。マイペースに食べて、飲んでいるだけ。
「それ……エビ?」
かえって落ち着かなくて、とうとう自分から声をかけてしまった。
「うん、いつもエビ」
「飽きない?」
「全然。好きだし」
ヒウェルのチョコレートみたいなものなのかな。
「うちの猫もエビ、好きなんだ」
「ふうん。猫、飼ってるんだ」
「俺じゃなくて、兄弟がね」
「そっか。かわいい?」
「うん、最初はちょっと怖かったけど、ちっちゃいし、かしこいし」
「いいね……オレも好きだな、猫。でっかいのも、ちっちゃいのも」
「ふうん……大きいのも平気なんだ」
「君は、ちがうの?」
「ちょっと、苦手かも」
サンドイッチを食べ終わると、金髪の眼鏡の青年は紙ナプキンで念入りに口のまわりを拭った。それでもまだ一カ所、口の端に白くマヨネーズが残っている。
器用なのか、不器用なのか。
「まだついてるよ」
「え?」
「ここ」
自分の顔の同じ位置をちょんちょん、と指でつついてみせた。くいっと紙ナプキンでぬぐって、ひろげて、確かめている。
ひょこっと青緑の瞳が見開かれた。
「わあ、ほんとだ。ありがとう」
「別に、大したことじゃないし」
「君はそれ、好きなの?」
半分ほど残ったスコーンに目を落とす。
「……う……ん………でも……」
知らない人だからなのか。相手の身にまとうどこかひょうひょうとした……そのくせ穏やかな空気のせいなのか。
ぽろりと本音を口にしていた。
「うちで焼いたのの方が、美味しい」
「そっか」
軽くうなずく金髪の青年のポケットで、ヴィーンっと何かが振動した。
「おっと」
携帯を引き出し、画面に目を走らせている。
「そろそろ行かないと。それじゃあ、ね。相席してくれて、ありがとう」
遠ざかるひょろりとした背中を見送る。ほぼ入れ違いにビリーとユージンが店に入ってきた。
「よお、シエン! 待たせたな! さ、行こうか」
「……うん」
店を出ると、雑踏の向こうにちらりとツンツンに尖った白っぽい金髪頭が見えたような気がした。
あの人、結局名前も聞いてこなかった。何となく以前、どこかで見たことがあるような……多分、気のせいだよね。
※ ※ ※ ※
いつもの週末より街はにぎわい、行き交う人の数も多かった。カラオケに行ってもなかなか部屋が空かず、ロビーで待たされた。
「あーもー人多いなあ」
待ってる間にコーラをすすりながらビリーが肩をすくめた。
「感謝祭後の週末だから、しょうがない」
「っかーっ、感謝祭か! うちも兄貴どもや姉貴どもがわしゃわしゃ押し掛けてきてさ」
「そうなんだ」
「そーだよ。せまっ苦しいったらありゃしねえや。血のつながった身内って訳でもないのにご苦労さんなこった」
どうやら、感謝祭には家族が集まるものらしい。
ふと、疑問がわいた。自分やオティア、ヒウェルはともかく、どうしてレオンもディフも家族を呼ばないんだろう。あるいは、家族の所に帰らないのだろう?
レオンはあまり実家と折り合いが良くないらしい。けれどディフは?
(どうして? ディフにはお父さんも、お母さんも、お兄さんもいるのに。仲がいいんでしょ? 好きなんでしょ? いつもそう言ってたのに)
自分たちが来てから、一度も実家に帰っていない……。
「シエン」
(俺のことなんか放っておいて、本当の家族のとこに帰ればいいのに)
「おい、シエン!」
「……あ、ごめん」
「部屋空いたってさ。行くぞ」
「うん」
※ ※ ※ ※
時刻は夜の九時を回ろうとしている。
ディフは一人でリビングに座っていた。肩の上には小さな白い子猫。レオンがいないのを知っているのか、今夜はなかなか本宅から退散なさろうとしない。
「いいのか、お前? オティアが心配してるぞ?」
「にう」
顎の下をくすぐって、ふと思い出す。ほんとうに一人になりたい時は、あの子はオーレさえ閉め出してしまうのだと。
気づいた瞬間、立ち上がっていた。肩の上でオーレがバランスを崩し、がしっと全力でしがみついてきた。
セーターの上から尖ったちっぽけな爪が刺さり、首輪の鈴がちりちりと鳴る。
「みゃっ」
「おっと。大丈夫か?」
「にう!」
ぴしり、と長い尻尾で頬を叩かれる。
「ごめん。気をつけるよ」
「に」
お姫様はいたくご機嫌斜め。目を半開きにして耳を伏せてしっぽをぱったんぱったんとやっていたが、不意に耳をぴんと立てて境目のドアの方に向き直った。
「にゃーっ」
甲高い声。尻尾を高々とあげて床に飛び降り、とことこと、『おうじさま』に向かって一直線。
「オティア」
「………待ってるのか?」
「ああ」
だれを、なんて今更口にするまでもない。
白い子猫を抱きあげると、オティアはぼそりと言った。
「……かえって逆効果だ」
「そう……か。お前が言うなら、そうなんだろうな」
部屋に戻って行く少年を見送ると、ディフは深くため息をついた。ためらってから、電話台の脇のメモ帳から一枚破りとってペンを走らせ、キッチンのテーブルに載せて……寝室へと向かう。
足取りが重い。自然とうつむいてしまう。夜の暗さ、静けさが妙にべったりと手足にまとわりつく。
いかんな。とりあえず風呂にでも入ろう。
あったまって。
さっぱりして。
そうすりゃ、このうっとおしい湿った気分も少しは軽くなるだろうさ。
※ ※ ※ ※
「それじゃ、またな!」
その頃、シエンはコーヒースタンドの前で『友達』と別れた所だった。
結局、ほとんどビリーとユージンが歌ってるのを聞くだけで自分では歌わなかった。
吐く息が、白い。一人になると、夜の暗さを改めて実感する。ケーブルカーの駅に向かって歩き出そうとすると、向こうから若い男が数名、歩いて来た。
誰はばかることなく大声でしゃべりながら、道の幅いっぱいに横に広がって。時折耳障りな金切り声まであげている。
ダウンジャケットの下からシャツの裾をだらりとはみ出させ、靴のかかとをつぶし、ジーンズは腰の辺りまでだらしなくずりおろしている。
そろいもそろって打ち合わせでもしたみたいにしまりのない服装。そのくせ目つきは鋭く、ぎらぎらした嫌な光を宿していた。
上着に打った金属の鋲が、ぎらりと光る。ベルトから下げたチェーンがじゃらじゃら鳴っている。いや、わざと鳴るように体をゆすっているのだ。
近づくと、ぷーんと酒のにおいがした。
いやだな。
早く通り過ぎよう。
歩調を早めてすれ違おうとすると、不意に行く手を遮られた。
「あ……」
さっきまであれほど騒いでいたのに、今は黙っている。一言もしゃべらない。ただ全員ぎらつく目でこっちを見ている。
横に避けようとすると、すっとスライドしてわざと正面に立ちふさがってきた。
(どうしよう)
一歩後じさりする。
ずいっと近づいてきた。それだけじゃない。取り囲むようにして、じりじりと迫って来る。
走って逃げようか。でも追いかけてきたらどうしよう?
背筋をひやりと冷たいものが走る。記憶の奥底の扉が開き、未だ癒えぬ恐怖がじわり、と染み出してきた。
(怖い!)
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