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ローゼンベルク家の食卓

【4-10-1】はらぺこバイキング

2009/02/27 22:25 四話十海
 
 坂道をバンが走って行く。ゴトンゴトンと角張った車体をゆすり、比較的ゆっくりと。

 乗り心地より収納力を優先した車体の横にはサンフランシスコ市警のロゴが印刷されていた。
 お決まりの緊急用の回転灯はダッシュボードの上に。出動時はぺかぺか点灯させてサイレンを鳴らしてフルにすっ飛ばしたが今は静かに標準速度。
 この車に乗る者の任務は現場に始まり現場に終わるのだ。

 運転しているK9課のクィンシー・ネルソンは警察犬を訓練し、共に捜査にあたるハンドラーだ。今は犬ならぬ移動用車両のハンドルを握っている。その隣には爆発物処理班のギルバート・ワルターが座り、後部には二頭のシェパード犬、警察犬ヒューイと爆発物探知犬デューイ、そしてもう一匹……いや、一人。

「すまんな、エリック。せまい上に犬くさくて」
「やー、乗せてもらっただけでも御の字ですって」

 鑑識課のハンス・エリック・スヴェンソンが四角い金属のケースをひょろ長い足の間に挟み、もふもふの犬に両脇を挟まれて乗っていた。
 三人と二匹の捜査官たちは誘拐事件を無事解決し、意気揚々と署に引き上げる途中だった。

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 生後半年にも満たない乳幼児がさらわれ、犯人は警察に電話をかけてきた。

『赤ん坊のいる所に爆弾しかけといたぜ、ヒャッホーッ! 赤ちゃんがぐずったらドッカーンと行くかもな!』

 科学捜査班が集めた証拠から人質が監禁されている場所を割り出し、爆発物処理班とともに急行。ヒューイが赤ん坊のにおいを追跡し、発見した部屋では同時にデューイも反応した。
 幸い、犯人は事前に予行演習と称して小規模な爆破事件を起こしていた。おかげで爆弾の仕組みはある程度解明されていたがそれでも油断は禁物。
 科学捜査班と爆発物処理班の連携で慎重に救出作業が行われ、爆弾も爆発することなく処理された。

 ところが引き上げる途中で予想外の事が起きた。処理班の本部近くに引き上げてきたヒューイとデューイが、野次馬の一人に激しく反応したのだ。

『何だ、この犬どもは!』
『失礼。班長のマクダネル警部補です』
『あんたが責任者か! この野良犬どもをどうにかしてくれ!』
『彼らは警察犬です。この黒い犬は誘拐された赤ん坊のにおいを追うように命じられた。こっちの茶色の犬は爆弾を発見するように命じられている』
『それがどうしたってんだ? おい、そいつ唸ってるぞ!』
『彼らが唸るには、理由がある。失礼ですがミスター、あなたは……赤ん坊と爆弾、その両方と接触していましたね? それもかなり長い時間』
『うっ』
『署までご同行願おう』

 予想外の快挙。だが現場で容疑者を逮捕したため、パトカーに乗る人数が増え、結局一番スペースを取る人間……すなわちエリックがあぶれた。
 かくして彼はヒューイとデューイの乗るバンに便乗して署に引き上げる事になったのだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ごっつい首を両手で抱き寄せるとエリックはわしゃわしゃと二頭の友人たちをなで回した。任務の後にほめられるのが何より好きなのだ。

「ヒューイもデューイもお手柄だったね」
「帰ったらたっぷりご馳走食わせてやるからな!」
「わう」
「……あれ?」

 ぐらりとエリックの長身が傾き、ヒューイにしがみつく。

「うう?」
「どうした、エリック!」
「なんか、世界がぐるっと回ったような」

 後ろを振り返ったワルターが血相を変えた。

「おい、お前顔が真っ青だぞ!」
「くぅ〜ん」
「わうっ」
「うわ、手が冷たい……しっかりしろっ」

 ただならぬ気配を察したのか、両脇のシェパードがぐいぐい体をすりよせ、顔を舐める。

「あー……そう言えば……備蓄食料切らしてたから、しばらく食事してないよーな」

 それだけではない。現場に急行する直前まで、人質の行方を割り出すために不眠不休で突貫作業を進めていた。その前は予行演習に使われた爆弾の分析。
 仮に食料があったとしても食える状態ではなかった。

「おい、ヒューイ、デューイ、あっためてやれ!」
「あー、ふかふかだ……あったかいなぁ……」
「しっかりしろ! そうだ、何か糖分の高い食い物……チョコレートとか」
「そんな危険なもの置いてあるわけないだろう」
「そうだった」

 チョコレートはうっかり犬が食べれば中毒を起こす。それ以前にこの車の中に存在する食べ物はドッグフードだけ。栄養価は優れているが、今ひとつ即効性に乏しい。

「おいネルソン、どっか食い物補給できるとこに止めてくれ」
「OK」
「そーいやセントバーナード犬ってシェパードの血も混じってたんですよね……」
「おーい、エリックー! しっかりしろー! お前バイキングの末裔だろうが!」
「や、ここ海じゃないし」
「へりくつこねてる場合かーっ」

 二頭のシェパードのぬくもりとワルターの怒鳴り声でかろうじて、ヴァルハラの入り口あたりに浮遊しかけた魂を引き戻している間に車が止まった。
 窓の外に見慣れた緑の円と人魚のロゴマークの看板がぶら下がっていた。

「よし、降りるぞ、ほら立て!」
「了解……あ、ネルソンも何か飲む?」
「いいから早く行け」

 ワルターに引っ張られ、空腹と体温の低下でへれへれになりながらエリックはコーヒースタンドに入っていった。濃密なコーヒーの香りに意識がはっきりする……ほんのちょっとだけ。パンに、肉、カスタードクリーム、パイ生地、煮たリンゴ、ジャム。食べ物のにおいが鮮明に鼻腔に、喉に、脳みそに染みる。

「もうすぐ食い物のある所に連れてってやるからなー。しっかり歩けー」
「Ja,Ja,Ja」

 よれよれとレジ脇のガラスケースに近づき、中身を物色した。

「何にしよっかなー。あ、エビのサンドイッチがある……あとカフェラテと……」
「キャラメルマキアートにしとけ」
「……そーする」

 ぼーっとしながら注文をすませ、コーヒーが出てくるのを待ちながらぼんやりと客席を眺めていると。

「……あれ?」

 店の一角にふいっと目が吸い寄せられる。空腹で焦点の定まらないぼやけた視界の中で、そこだけくっきりと色鮮やかに目に映った。

 クリーム色のダッフルコートを羽織った金髪に紫の瞳の少年。あの子なんか見覚えあるぞ。
 記憶の中の情報を検索してみる。

(……ああ、センパイのとこの双子だ。でも一人しかいないな。オティアとシエン、どっちだろう……)

 眉間にうっすら縦じわが浮いてる。あまり楽しそうじゃないな。他に行くところがなくてしかたなくここに居るみたいだ。
 だれかと待ち合わせしているのでもない。食事やコーヒータイムのために来たのでもない。ただこの場所に居て、時間が過ぎるのをじっと待ってる。

(何かあったのかな。センパイは、このことを知ってるんだろうか?)

「お待たせしました。小エビのサンドイッチとキャラメルマキアート、トールのお客様」
「おい、エリック」
「……あ、はい!」

 あの子を一人で残して行っていいものか。気がかりだが、今の自分は勤務中だ。ワルターが一緒だし、しかも外には同僚たちを待たせている。ただ気になるから、だけで留まるのが許される状況ではない。

「こぼすなよ」
「……うん」

 後ろ髪を引かれる思いで店を出て、バンに戻った。

「ただいま」
「何買ってきた」
「キャラメルマキアート……」
「いい選択だ、飲んどけ」
「でも」
「お前このままだと十中八九、署につく前にぶっ倒れるぞ」
「じゃ、失礼して……」

 ずぞーっと紙コップの中身をすする。泡立つミルクとキャラメルシロップの甘さが舌に染みる。ちょっと遅れてコーヒーの熱さと苦さが広がった。

「はぁ……生き返る」
「……………」

 飲みながらデューイの視線が気になってしかたない。長い鼻面をこっちに向けて、上目遣いでじー……。ねだりこそしないが、静かに訴えている。くれると言うならいつでもお相伴に預かりますよ、と。
 好物なのだ。コーヒーが。
 彼のためだけに爆発物処理班には、オーガニック栽培のコーヒー(もちろんデカフェ)が常備してあると言う。

「署から連絡があったぞ。戻ったら警部補が来てほしいってさ」
「どこに?」
「取調室。容疑者の尋問に立ち会えって」
「了解……」

 容疑者の逃げ道を塞ぎ、『落とす』には証拠を分析した本人が同席し、直に説明するのが効果的だ。可能な限りは。マクダネル警部補の信条と捜査法にはエリックも絶大な信頼を寄せていた。

「モテモテだな。今のうちにサンドイッチも食っとけ」
「うん……」

 ぺりっと袋を破って小エビのサンドイッチをかじる。中身をこぼさないように慎重に。マヨネーズベースのソースのたっぷりからまったぷりぷりした小エビが口の中で弾けた。

「はぁ……美味しい」
「また、エビか」
「うん、エビ」
「飽きないのかね」
「全然?」

 もっしょもっしょとサンドイッチをかじり、コーヒーをすする。ちらっと振り返ると、遠ざかるコーヒースタンドの看板が見えた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 あと数分、エリックが店に留まっていれば、先ほど自分が心引かれた少年と瓜二つの少年がもう一人、入って来るのを目撃しただろう。
 着ている紺色のコートと髪の毛の長さが違う程度でぱっと見はほとんど区別がつかない。
 どこか沈んだ表情さえも。

 シエンは既に席を立っていた。兄弟が店に入るより前に来るとわかっていたように。飲み終わったカップをゴミ箱に捨てて出入り口へと歩いて行き、2人並んで歩き出す。
 一言も言葉を交わさぬまま。
 互いに目すら合わせぬまま。それでも並んで、とぼとぼと、活力の欠けた足取りで。

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