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ローゼンベルク家の食卓

【4-10-2】遊ばない夜遊び

2009/02/27 22:26 四話十海
 
 緑色の円の中の白い人魚。たっぷり濃厚な苦みの利いたラテ系のコーヒーがメインのコーヒースタンドチェーン。歩いていて、ひょいと見上げるとすぐに出くわす。
 支店の数はおそらくアメリカ合衆国でもトップクラス、ユニオン・スクエア界隈だけでも確認しただけで4軒はあるだろうか。 

 最初に来たときは純粋にコーヒーを買うのが目的だった。
 この所、レオンは忙しくてほとんど事務所に居ない。ロスはもとよりフロリダやメキシコ、時には東海岸まで、それこそ州境を越えて飛び回っている。泊まりがけの出張も増えた。レオンが忙しいと、必然的にアレックスも忙しくなる。
 自分ではレオンほど上手くコーヒーは入れられないし、紅茶だけでは物足りない時もある。

 そんな時はここでコーヒーを買うことにしていた。ほどよく苦くて、きっちり熱い。自動販売機より断然美味しい。コーヒーが欲しくなるとエレベーターで下に降り、厚手の紙コップに入ったラテを手にして事務所に戻る。それだけだった。

 ……けれど。

 深い霧のハロウィン。その翌日のささやかな家出。

 オティアと別々の部屋で眠るようになって以来、シエンがこの店で過ごす時間は確実に増えていた。

 それまで双子はずっと一緒にランチをとっていた。シエンが探偵事務所に降りて行くこともあれば、オティアが法律事務所まで上がってくることもあった。
 しかしあの夜を境目に、シエンは一人でランチタイムを過ごしている。外に食べに出る時も一人。買いに行く時も一人。

 弁当を持参している時も一人で食べて、終わるとふらりと外に出てコーヒースタンドでラテを一杯買う。そしてテーブルにすわり、ちびちび飲みながら時間をつぶすのだ。

 だれかと話すでもなし。本を読むでもなし。音楽を聞くでもなし。ただ時間が過ぎるのを待つ。じっと待つ。
 そして休み時間が終わる前に席を立ち、空っぽのコップをゴミ箱に捨てて店を出る。毎日そのくり返し。
 最初は20分前。それが18分前、15分前、10分前と少しずつ戻る時間が遅くなり、最近はぎりぎりまで座っている。心配したアレックスが一度探しに来たことがあった。

 それ以来、あまり遅くまでぼーっとしているとオティアが迎えに来る。
 そして2人は黙って歩く。とぼとぼと歩いて事務所のあるオフィスビルに戻り、エレベーターに乗り込む。
 二階でオティアが降りて、シエンは上へ。ひとこともしゃべらず、視線すら合わせずに。

 最初は昼休みだけだった。
 けれど11月の最初の水曜日、バイトが終わってとぼとぼとケーブルカーの駅に向かう途中にふらりとコーヒースタンドに入ってみた。
 ちょっと寄り道するだけだ。家に帰る時間を引き延ばすだけ。
 椅子に腰掛け、コーヒーを飲むでもなしにただガラス窓の外が暮れて行くのを眺めた。

 家に帰るころにはすっかり暗くなっていた。
 何となく本宅の玄関から入りづらくて隣の部屋……去年までディフの住んでいた部屋。10月までは自分とオティアの住んでいた部屋。今はオティア一人が住んでいる部屋のドアから入った。
 ソファで本を読むオティアの横をすり抜ける。オーレがちらっとこっちを見て小さく「みゃっ」と鳴いた。
 オティアにはヒウェルがいる。もうここには自分の場所はない。
 
 ディフは本宅のリビングで待っていた。眉間にかすかに皺をよせ、黙って新聞を広げていた。入って行くと弾かれたように顔をあげ、こっちを見た。その瞬間、表情がゆるみ、肩の力が抜けたのがはっきりとわかった。

「……お帰り」
「ただいま」
「飯、できてるぞ」
「……ん」

 一人分とりわけられた食事を口に運びながら思い出す。そうだ、今日は買い物の日だったんだ、って。
 どうしよう。すっぽかしちゃった。
 あやまった方がいいのかな。

(ごめんなさい)
(勝手に一人で帰ってごめんなさい。約束やぶってごめんなさい)

 胸の中で繰り返すばかりで、口にすることができない。
 食べ終わって、食器を片付けているとディフがぽつりと言った。

「シエン。オティアがいるからお前が無事なのはわかる。だが、遅くなるなら自分で一言連絡入れろ」

 はっと顔を上げる。先回りされた気がした。
 穏やかなヘーゼルブラウンの瞳に何て答えればいいのかわからなくて、結局、視線をそらして黙って部屋に戻った。
 息をひそめて足早に、ほとんど逃げるようにして。

 悔しいような、もどかしいような、もやもやした息苦しさがのど元にせり上がり、息が詰まる。
 いっそ嫌ってくれたら楽なのに。怒ってくれたらすっきりするのに。何でそんなに優しいの?
 血もつながっていない、法律で定められた義務がある訳じゃない。なのに、どうして『親』みたいに振る舞おうとするの?

 その優しさが、かえって……痛い。きりきりと胸を締めつける。
 その一方でシエンの意識はかしゃかしゃと冷静に計算機を弾いていた。

 どうせ自分がどこにいるか、オティアを通してディフにはわかっちゃうんだ。

 少しぐらい遅く帰っても、何の問題もない。だったら心配かけてることにはならない。
 バイトが終わってから家に帰るまでの時間に何をしていても、それは自分の自由なんだから。
 
 次の日の夕方、帰り道の途中。シエンはすたすたとコーヒースタンドに入った。
 次の日も。
 またその次の日も。

 夕方のスタンドは、学校が終わる時間でもあるからか、昼休みと比べて同じ年頃の子が多かった。
 おかげで一人でぽつんと座っていても目立たない。枯れ葉の間にうずくまるウズラみたいにざわざわした空間にまぎれむことができる。時間をつぶすことができる。

 通い続けるうちにたまに話す相手もできたけれど、お互いに無理に近づこうとはしない。その時顔を合わせて適当に話して、それだけ。
 向こうは自分を友達だと思ってるっぽい。次に顔を合わせた時も親しげに手なんか振って近づいてくるけれど、別に友達って訳じゃない。ほとんど名前も覚えていないけど、笑って話を合わせることはできる。

 だれかと話していれば、一人で過ごすより、時計は早く過ぎる。
 そんな風に過ごしていたある日のこと。

 赤いチェックのシャツにグリーンのパーカー、グレイのダウンジャケットを来た男の子が話しかけてきた。

「あれ、お前、セーブルじゃん。どっちだっけ、Oのつく方? Sで始まる方?」
「シエンだよ」

 目の前の顔と記憶を重ね合わせる。髪の毛はトウモロコシみたいな、カボチャみたいなオレンジに近い赤。くしゃくしゃのツンツンで伸び放題、ディフと違ってだいぶ毛質は固そうだ。
 ほお骨の周りにそばかすが散っている。だいぶ薄くなってるけど、ぽつぽつと。瞳は明るいブルー……中学の時の同級生の一人に似ているような気がした。

「えーっと……もしかして……ビリー?」
「当たり」

 にまっと人懐っこい笑みを浮かべると、向かいの席に腰を降ろしてきた。

「今どーしてんだよ」
「バイトの帰り」
「何か予定あるのか」
「別に?」
「そっか、じゃーちょっとつきあえ……おーい、ユージン、こっちこっち!」

 鳶色の髪のひょろりとした少年が加わり、3人でスタンドを出た。

「どこ行くの」
「んー、とりあえずゲーセンかな。2人で対戦やってもすぐ飽きるから」

 ゲームセンターはコーヒースタンドとは比べ物にならないくらいにぎやかな音にあふれ、赤や青、黄色、緑の光が点滅するめまぐるしい空間だった。
 くらくらしていると、ゲームの筐体の前に引っ張って行かれた。

「ほら、お前もここ座れって」
「これ、どうやって使うの」
「お前、もしかしてやったことないのか?」
「……うん」
「しょうがねえなあ、それじゃ、見本見せてやるから。見てろ、ビリーさまの華麗なるテクニックを!」

 自慢するだけあってそこそこ上手かったけれど、あっさりユージンに負けていた。
 シエンとの対戦も最初の一回こそ勝ったものの、コツをつかんでからはシエンの一人勝ち。

「くっ、やるな、お前。いい筋してるじゃん」
「そうかな」

 気づくとかなりの時間が過ぎていた。もう夕食は終わっている。そろそろ家に帰ってもいいだろう。
 ほっとして「もう帰る」と言い出すと、ビリーは自分の携帯を引っ張り出した。

「んじゃ番号教えてくれよ」

 自分からはメールも電話もしたことはないけれど、以来、ちょくちょく一緒に出かけるようになった。
 親しくなるにつれてぽつぽつと自分の今の状況を(さしさわりのない程度に言葉を選んで)話すようにもなった。
 オティアと一緒にある夫婦の家で世話になってる。バイトをしながら、ホームスクーリングで高校の勉強をしてる、と。

「ふーんそっか。ラッキーだったな」

 じろじろと無遠慮にビリーはシエンの服装や顔色を確認して、うなずいた。

「ちゃんと面倒見てもらってるみたいだし?」
「……一応ね」
「俺が今いるとこはさー、同じ里親でもけっこうな人数がわらわら群れてっから、ちびどもがうるさくって。なっかなか一人になれねーの! って言うか一人になる暇、ない」
「そうなんだ」

 だからこんなとこでふらふら遊んでるのかな。
 ゲームの合間にコーラを飲んでるときにそれとなく聞いてみた。あいまいな顔で、「まあな」とうなずいた。

「親父もお袋も『いい人』だよ。ちゃんと飯も食わせてくれるし着るものの面倒も見てくれるし」

 青い瞳の奥に暗い色がゆらぐ。無意識なのだろうか、にぎった拳でごしごしと頬のあたりをこすっている。

「……絶対俺のこと殴らないし」

 ぎくり、とした。中学のとき、ビリーは実の親と一緒に暮らしていたはずだ。けれどしょっちゅう学校を休んでいたし、目の周りや頬に痣をつくっていた。
 先生にはドアにぶつけたとか、階段で転んだとか、必死で言い訳をしていたけれど……。

「わかってるんだ。2人とも悪い人じゃない。ちゃんと俺のこと考えてくれてるって。でも息苦しいっつーか……なんか、ウザイ」

 ぐしゃぐしゃと髪の毛をかきまわすビリーの顔に、今は痣も傷もない。着ている服もいつも清潔で、顔色もいい。

「俺が夜遅くこそっと帰るだろ、そーすっとじーっとこう居間で待ってんの。心配してるんですよーって顔してさ。そのくせ、お帰り、としか言わないんだ」

(あ)

 11月の最初の水曜日の夜、居間で静かに自分を待っていたディフの面影がよぎる。

「血のつながってない赤の他人なんだ。卒業しちまえばそれっきりなんだからほっといてくれりゃーいいんだよ」

 そっぽを向いて言い捨てるビリーの顔は頬から目にかけて赤くそまり、怒ってると言うよりも。拗ねてると言うよりもむしろ、泣きそうになるのをこらえてるように見えた。

「無理に親になろうとしなくていいのに」
「……わかるよ」
「え?」
「家の……『まま』も、同じだから」
「そっか。お前も大変だな!」

 なんとなく、居場所を見つけたような気がした。家に帰る時間を引き延ばすための、避難所のような、隠れ家のような小さな場所を。

 こうして毎日、シエンの『夜遊び』は続いた。ただ、だらだらと帰る時間を引き延ばすために。夕飯の時間をずらすために。
 無為に時間をつぶすよりは早く過ぎてくれる。気がまぎれる。

 こんな風にふらふらしてるうちに、ディフは自分のことを見捨てちゃうかもしれない。だったらそれでもかまわない。今までずっとそうだった。

(嘘だ、本当はわかってる)
(ディフは自分を見捨てたりしない。だけど今は、かえってそれがつらい)
(知らんふりしてくれればいいのに。見ないふりしていてくれればいいのに)

 無理に親になろうとしなくていい。

 でも……親って何なんだろう?

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