▼ 『H』はHOOKのH
- イベント用短編。ハロウィンのお話。月梨さんから素敵なカラーイラストをいただきました。
- イラストはクリックで拡大します。
10月31日、ハロウィン。今年は去年と違って朝から快晴だ。
雲の合間に青空が広がり、秋の日差しは黄金色の粉末となってきらきらと縁取っている。
町中いたるところにあふれる、オレンジのカボチャを。
しかしながら今日は平日、大人には仕事ってものがある。
昼下がり、月末の書類整理に追われている真っ最中に、探偵事務所のドアがノックされた。
妙にリズミカルに、楽しげに。
オティアと顔を見合わせる。
まさか、こんなオフィスビルに子供らが菓子ねだりに来たってのか? あるいは……。
「どうぞ。開いてます」
「Happy Halloween!」
薄々予感はしていたが、的中したか。笑顔全開でヒウェルが入ってきやがった。かろうじて仮装は無し、いつものよれたスーツ姿で。
キーボードを打つ手を止め、デスク越しにじろりとにらみつける。
「何の用だ。あいにくと菓子の用意はないぞ?」
「まさか! この俺がお菓子ねだりに来たとでも?」
「ちがうのか?」
「やだなあ、子供じゃあるまいし……」
言うなりヒウェルはもったいぶった仕草で背後に隠し持っていた袋を掲げた。PETCO(アメリカのペット用品専門店)のロゴが入ってる。
「これ、オーレに!」
するりと引き出された物体が、日の光を反射してきらりと光る。たっぷり5秒ほどその場の空気がフリーズした。
「………何だ、それは」
「何って、猫用のハーネスだよ。リード着けるための」
「いや、それはわかる。だが……何で、妖精の羽根がついてるんだ?」
「にう!」
「ハロウィン用に、いっぱいあったから」
オティアが露骨にそっぽを向き、ため息をついた。うん、その気持ちはわかるぞ……。結局はイベント好きなんだ、ヒウェルの奴は。
「いや、ちゃんと機能的にも申し分ないんだってば。猫の体をしめつけない親切設計なんだぞ!」
気まずい空気を感じたのか、ムキになって説明している。まるでテレビショッピングのセールスマンだ。
「脱着も簡単、ワンタッチ!」
「ほー?」
「羽根は取り外しできるから」
オティアが顔を上げ、初めてヒウェルに目を向けた。
※ ※ ※ ※
「……どうだ、オーレ」
ファンシーな見た目とは裏腹に、確かにそいつはすごぶる機能的だった。
パールピンクの羽根とハーネスは、オーレのしなやかな体に優しくフィットし、取り付けもプラスチックのジョイントをカチリとはめ込むだけ。だがさすがに羽根が気になるらしく、耳を伏せてぐるぐると回っている。
「やっぱり外す」
「せっかく似合ってるのに……」
しゅん、とヒウェルがうなだれたその時、ドアがノックされた。
「どうぞ、開いてます」
「ハーイ、マックス」
黒髪をきっちり結い上げた褐色の女性が、きびきびした足取りで入ってきた。
「ヒウェル居る? ああ、やっぱり……」
「げっ、トリッシュ!」
ヒウェルは途端に青ざめて後じさり、びたっと仰向けに壁に張り付いた。
「まさか、編集長自ら原稿、取り立てに?」
ははあ、なるほど、そう言う訳か……。
「ううん、レイとランチ一緒にとったんだけど、ついでだから、寄ってみようと思って。家に電話したけどいなかったし?」
「携帯にかければいいじゃねえかっ」
「留守電になってた」
満面の笑顔でずばっと切り捨てる。
「あう」
「まさか、お忘れじゃないわよね?」
「う」
「うちの締め切りが、昨日だったって」
「やだなあ、忘れてる訳ないじゃないか……」
じり、じり、とヒウェルは壁に張り付いたまま移動して行く。引きつった笑顔のまま、トリッシュから一定の距離を保ちつつ。
「夕方にはお届けしますから……」
じりじりとドアまで来ると、後ろ手にノブを握り
「すぐに書いてきますっ」
ダッシュで逃げていった。
「まったく。何やってたんだか!」
腕組みするトリッシュの足下にオーレがとことこと歩み寄る。大男で、なおかつ声も低くて野太いレイは苦手だが、彼女にはなついているのだ。
「まあ、かわいい!」
ひと目見るなり、ぱああっとトリッシュの表情が明るくなり、眉間のしわが消え失せた。
「お似合いよ、オーレ」
「みう」
「何って愛らしい妖精さんなんでしょう!」
「にゃ」
「お菓子をあげたいとこだけど、今日は猫用のおやつは持ってきてないの。ごめんなさいね」
しなやかな指先でなでられ、オーレは目を細めてごろごろご満悦。
やはり女の子、ほめられて悪い気はしないらしい。
その後も来る客、来る客みんなにほめられて、帰る頃にはすっかり妖精の羽根がお気に入りになっていた。
※ ※ ※ ※
そして、夜。
街のそこかしこでオレンジのイルミネーションがきらめき、本格的にお菓子ねだりの行列が練り歩く。
さすがにマンションの6階までねだりに来る子はいない。来てもせいぜい、入り口のロビーまでだ。
しかし、たまには例外もある。
居間で待ちかまえていると、呼び鈴が鳴った。
「お、来たな」
ドアを開けて出迎える。
「Trick or treat!(お菓子くれないとイタズラしちゃうぞ!)」
縁がぎざぎざになった緑の袖無しチュニックに緑のタイツ、緑の帽子。全身緑の男の子がカボチャのランタンをぶらさげてぴょこぴょこ飛び跳ねた。
「ようこそ、待ってたよ、ディーン」
「ディーンじゃないよ、ピーター・パンだよ!」
「そうか、今年はピーター・パンか」
ぴょこぴょこ飛び跳ねるディーン・パンをつれて居間に行く。シエンが目を丸くした。
「うわあ、このボタン、もしかして本物のドングリ?」
「うん!」
「よくできてるね。ママが作ってくれたの?」
「ううん。パパ!」
「え」
思わず顔を見合わせる。双子と、俺とで。
「……アレックスが?」
「ついにそこまで極めたか」
「そう言えば、今月に入ってからずっと、昼休みに何かチクチク縫ってた……」
考えてみりゃ、ずっとレオンの世話をしてきたんだから、裁縫の一つ二つできても不思議はないが。いったいどこまで高みを目指すのか、有能執事。
「Trick or treat! Trick or treat!」
「よしよし、わかった。待ってろ、ディーン。お菓子とってくるから」
キッチンに行き、準備したカボチャのクッキーを袋に詰める。ソフィアとアレックスの分もあるから、こんなものか。
さらにスーパーで買ってきたハロウィン用のお菓子も追加。
どうってことないキャンディやチョコレートがカボチャやコウモリ、シーツをかぶったゴーストの絵のついた袋に入ってるってだけなんだが、とにかく、見た目がにぎやかで楽しい。
ジップロックに詰めたハンドメイドのクッキーだけ渡すのも味気ないし、ちっちゃい子は、こう言うのが大好きだしな。
ただ、大入り袋に入ってるからどうしても余る。残った分はヒウェルにでも食わせるか?
ある意味、あいつも子供みたいなもんだしな。
何故か今日は大荷物かかえてやってきて、来るなり「客間借りるぜ」とか言って客用寝室に引っ込んだが……
仕事は終わったのか、あいつ?
「うげふぅっ」
ゴムのアヒルがつぶれたような悲鳴が夜の空気を引き裂いた。
あの声は、ヒウェル?
急いで居間に引き返してドアを開けると………
illustrated by Kasuri
何やらえらくスペクタルなシーンが展開していた。
得意満面のディーン・パン。そして紫の衣装に身を包んだ海賊フック船長(やけに体格が貧弱だ)の頭上から、今まさに白い妖精が……ピンクの羽根を揺らしてすたん、と床に舞い降りた所だった。
俺がいない間にいったい何があったんだ?
「あー、その……どうして、こうなったのか、だれか説明してくれるか」
「えーと……」
「………」
オティアがそっと目をそらし、シエンがしとろもどろに口をひらく。
「ディフと入れ違いに、ヒウェルが出てきたんだ。海賊の格好して……」
※ ※ ※ ※
『はっはっは、待ってたぞ、ディーン・パン!』
『………………ちがう』
『え?』
ディーンはムっとした顔でヒウェルの顔を指さしていきなりダメ出し。
『メガネ、外して』
『あ、ああ、そうか。海賊が眼鏡かけてちゃおかしいものなー。なかなかチェック厳しいぜ』
苦笑いしながらヒウェルは眼鏡を外してテーブルに置いた。一方でディーンは腰に下げたポーチからクレヨンを取り出した。
『お、お、どうした、俺の雄姿に絵心を刺激されたか、ディーン画伯?』
おもむろに黒いクレヨンを手にとると、ぐりぐりと一心不乱に塗りたくる。ただし、画伯の選んだキャンバスは愛用のスケッチブックではなく、ヒウェルの眼鏡のレンズだった。
『あ、あ、あ、ああーっ!』
幸いにして、片方だけ。
『はい。海賊は、こうでなきゃ』
『………そうか……そう来るか……だったら!』
ふるふる震えながら眼帯(モノアイ)仕様に改造された眼鏡をかけ直すと、ヒウェルはおもむろに右手の鉤爪を振り上げた。
『海賊らしく、ケリつけてやろうじゃねーか! 来い、ディーン・パン! 勝負だ!』
『おお! 負けないぞ!』
そして始まる大活劇。ヒウェルはムキになって鉤爪をぶん回し、ディーンはカボチャのランタンで颯爽と応戦。リビングを舞台にチャンチャンバラバラ、縦横無尽の真剣勝負。
「最初はヒウェルの方が優勢だったんだ」
「背が高いし、リーチも長いから、か」
「うん。ディーンががんばっても、なかなか手が届かなくて」
「やれやれ」
腕組みしてじとーっと半目でヒウェルをにらみつける。
ったく、4歳の子供相手に何をやってるのか、この男は……。
「大人げなさ全開だな」
「う、うるへぇ……」
熊皮の敷物よろしく床にへばったまま、ヒウェルは息も絶え絶え、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。
「その分だとすぐに息切れしたな?」
「うん」
よろよろした所に、キャットウォークの上からティンカー・オーレ参上!
帽子に問答無用のフライングボディアタックをかまし、トドメを刺したのだった。
「そりゃーまあ、そんなヒラヒラしたもの着けて大暴れしてれば、なあ……」
「けっこう張り込んだんだぞ、この衣装。羽飾りだって、本物の鳥の羽だし!」
ぽそりとオティアがつぶやいた。
「だからだろ」
ちりん、と鈴が鳴る。
キャットウォークの上で、帽子からむしり取った羽飾りをくわえたオーレが得意げに胸を張っていた。
「くそー、踏んだり蹴ったりだ」
よれよれと起き上がると、ヒウェルは片目を塗りつぶされた眼鏡を外してため息をついた。
「これ、どーやったら落ちるんだ」
「水」
「え?」
クレヨンの箱を手にオティアが答える。説明書きを読んでいたらしい。
「このクレヨン、水で落ちる素材のやつだ」
「はちみつクレヨン、水でおちます……ほんとだ」
ここに至ってディーンもさすがにいけないことをしたらしいと察したらしい。しょんぼりうなだれ、ちらっと上目遣いにヒウェルの顔を見て。
それからぺこっと頭を下げた。
「ごめんなさい」
眼鏡をかけ直すと、ヒウェルはぽん、とディーンの頭を手のひらで包み、ほほ笑んだ。
「いや、何、これぐらい、かわいいもんさ。ハロウィンの悪戯のうちだよ」
「あ、いきなり大人になった」
「………」
「さてと、これ以上イタズラされちゃかなわんし」
ヒウェルはポケットからチョコバーを取り出し、ディーンの手の中にぽとりと落とした。
「これは、俺からだ」
「ありがとう!」
「どういたしまして」
※ ※ ※ ※
その後。
「ただいま」
「お帰り、レオン」
「さっき、エレベーターでディーンとすれちがったよ」
「ああ、菓子ねだりに来てたんだ」
「そうか、ハロウィンだものね……おや?」
帰宅したレオンが目にしたのは、力尽きて居間のソファに突っ伏す海賊の姿だった。
「死体安置所に空きがあったかな……」
突っ伏したまま、海賊ゾンビが答える。
「まだ死んでません……」
「残念だ」
「ひどいや、レオン」
恨みがましげににらむヒウェルをきっちりスルーして、レオンは穏やかに愛する人にほほ笑みかける。
「デイビッドがパイを頼むからと、一緒に注文させられたんだ。もうじきアレックスが持ってくるよ」
「カボチャのパイか? デイビッドの選んだ店なら、期待できるな」
「そうだね。彼は甘いものには目がないし、舌も肥えてる」
(俺はスルーですか、そうですか……)
なおもふて寝していると、呼び鈴が鳴った。
ディフがいそいそと受け取りに出る。
しばらくしてパイの箱を抱えて戻ってきて、食堂に向かう途中で立ち止まり、ソファの上の海賊ゾンビに声をかけた。
「おまえ、まだその格好でいたのか? さっさと着替えて来い!」
「へーい……」
キッチンではレオンが紅茶を入れている。双子はいそいそとお皿とフォークをスタンバイ。
特大のカボチャのパイを切り分けて、trickはおしまい、treatの時間。
「え、2つも?」
「事務所に5つ届いたんだ」
「15インチ(約40cm)を一人一枚かよ……」
「デイビッドの基準だからなあ」
「余るぞ、これ、絶対」
「テイクアウトするか?」
「食い切れねえよ!」
「………後でサリーのとこに持ってこう」
Happy Halloween!
(『H』はHOOKのH/了)
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