▼ 【9-8】うらぎりものー!
「おつかれ、サクヤちゃん。羊子ちゃん。しばらく私たちが変わるから」
「お昼食べてらっしゃい」
「はい」
「はーい」
W母さんsと入れ替わりにサクヤと羊子は本殿詰めから解放された。
社務所に向かう途中でサクヤはふと足を止めた。
「どしたの、サクヤちゃん」
「うん、ちょっと先に行ってて」
「OK」
聞こえた。
かすかだけど、聞こえた。
足早に参道を離れ、横合いの脇道に入る。木々の枝間をかいくぐり、鎮守の森の奥深く分け入る、細い細い道へ。
さすがにこの辺りを通る参拝客は滅多にいない。
「どこ? 出ておいで」
「……にー……」
がさっと下生えが揺れて、子猫が一匹出てきた。白に茶色のぶち模様。尻尾は丸く、おだんごのよう。短い足でよちよちと歩み寄ると、子猫はサクヤの顔を見上げ、かぱっと口を開いた。
「にーう」
「そっか、迷子になっちゃったのか……うん、大丈夫、後で君の家がどこかうちの猫に聞いてみるから」
「にーっ」
寒さでぶるぶる震えている。この大きさだ、まだ家の中で飼われているのかもしれない。
「おいで」
サクヤはそっと子猫を抱き上げて、懐に入れた。子猫はしばらくもぞもぞしていたが、やがてもふっと丸くなり、サクヤの胸に顔をうずめた。
「……よしよし、いい子だね……」
そ、と胸元を押さえて歩き出す。やわらかな丸い熱が、ほわっと襟の合わせ目から立ち上る。
あったかい。でも、ふわふわの子猫の毛皮がちょっぴりくすぐったいな。
できるだけ揺らさないように、静かに……。
(おおっ、かわいい眼鏡の巫女さん!)
(しかも巨乳!)
(巨乳だ!)
しずしずと、しとやかな足取りで参道を歩くサクヤの姿は、自然とすれ違う男性客の視線を引き寄せていた。特にこう、まあるく盛り上がった胸元の周辺に。
しかし本人、一向に気付かない。子猫が気になってそれどころじゃない。
「もう少しだからね」
「にうー」
もぞもぞと子猫が身じろぎした。
(ち……ち……)
運悪く、胸元を凝視していた男性の一人がそれを目撃してしまったのだが……。
(乳が動いたーっ)
うかつにここで叫び声でも上げようものなら、連れの友人はもとより、周囲の人々にも巫女さんの胸をガン見していた事実が知れ渡る。
だから黙って知らんぷり。視線はしっかり外さずに。
一方で当のサクヤは慎重に歩を進め、社務所に戻ってきた。
「すぐあったかい部屋に連れてってあげるからねー」
「おかえりー、サクヤちゃ……っ!」
従弟の姿をひと目見るなり、羊子は顔面蒼白で凍りついた。
「そんな……そんな、まさかっ」
うるっと眼鏡の奥の瞳に涙がにじむ。
「あー、これね」
「サ……サクヤちゃんに負けたーっ」
「表で拾ったんだけど、迷子みたいだからしばらく預かって………あれ?」
ダダダダーっと、サバンナを駆けるシマウマのような足音にびっくりして顔を上げる。既に羊子の姿はなかった。
「……どうしちゃったんだろう?」
「にー」
懐から子猫がのびあがり、ふにっと前足でサクヤの顔に触れた。
「……ああ、うん、何でもないからね」
サクヤは子猫を抱えて居間へと向かい、ひょい、と炬燵の布団をめくりあげた。
「に?」
折り重なってぬくぬくと猫団子を形成していた3匹が顔を上げ、しぱしぱとまばたきした。
「寝てるとこごめんね。この子がどこの子か、しらない?」
猫たちはのそのそとはい出すと、代わる代わる子猫のにおいを熱心に嗅いぎ、小さな声で「にゅ」とひとこと。
「そっか……じゃあ、知ってる子がいないか、聞いてきてもらえるかな。迷子なんだ」
「にゃーっ」
「ありがとう」
廊下のガラス戸を開けて、3匹の猫たちが悠然と外に出るのを見送った。
「さてっと、しばらく待っててね」
子猫はサクヤの膝の上によじのぼり、ころんと丸くなった。
※ ※ ※ ※
その一方で、羊子は神社の裏手にしゃがみこみ、肩を震わせていた。
「あれ、先生」
「何やってんですか」
そこに、休憩に入った風見とロイが通りかかる。
がばっと羊子は顔を上げた。
「サクヤちゃんが巨乳に……サクヤちゃんが巨乳にっ」
(わあ)
黒い瞳いっぱいに涙を浮かべ、えくえく泣き濡れるその姿は三頭身ぐらいに縮んだんじゃないかと言うよなあどけなさ。
一瞬、以前魔女の呪いで子どもになった時の姿がダブる。
羊子はぐしっと袖で涙をぬぐった。
「一人だけずるい! サクヤちゃんは、仲間だと思ってたのにぃっ」
「そんなことある訳ないじゃないですか。気のせいですよ気のせい」
「でもでもっ! さっき社務所に入ってきたらーっ」
羊子は両手で己の胸の回りに弧を描き、見えないドーム状の隆起を描き出した。
「こーんなに! ばいーんって。ばいーんって!」
風見とロイは顔を見合わせた。
困ったことに先生は目一杯本気らしい。
無理もないか。ランドールさんに、マクラウドさん、それにロイ。
あまりにも「自分より男性が巨乳」と言う事実を見せつけられたせいで、基準がずれちゃってるのかもしれない。
「わかりました……とにかく涙ふいて」
「うん……」
「事実かどうか、まずは確かめなきゃ。ね?」
「うん……」
「ここ寒いから、社務所に戻りましょ」
「………うん」
「アメ食べますか?」
「………もらう」
ぺりっと包み紙を剥がし、はもはもとアメをほお張る羊子を連れて、二人は社務所に向かうのだった。
※ ※ ※ ※
「ただいま……わ」
居間に入って行くと、こたつの周囲が、もこもこの毛玉で埋め尽くされていた。
猫だ。
白に黒にぶちに灰色。赤虎、茶虎、黒虎、鉢割れ、サバに三毛。尻尾の長いの、短いの。先っちょがカギになったの……。
神社に飼われている猫だけではない。ご近所中の猫が集まってきている。
一歩踏み込んだ途端、一斉に猫がこっちを見た。
「あ、おかえり」
もこもこの毛玉の海の真ん中から、ひょい、とサクヤが身を起こす。襟の合わせ目から、にゅっと茶色と白のぶちの子猫が顔を出した。
「にう」
「あ」
「あ」
「あ……」
へにゃあっと羊子の全身から力が抜け、ぺったりと畳に座り込む。
「猫だったんだ……」
「だから言ったじゃないですか」
「うん……うん……よかったぁあ」
涙目のまま、羊子はぎゅむっとサクヤに後ろから抱きついた。
「どうしたの、よーこちゃん。何があったの?」
「ううん、いいの、もういいの」
わさわさと羊子は手を伸ばし、自分に負けず劣らずぺったりした胸元を確かめる。
「ちょっ、やめてよ、くすぐったいっ」
「うふふっ」
こそばゆさと、むずがゆさの入り交じった感触が込み上げてくる。いたたまれず、風見とロイはそっと目をそらすのだった。
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