▼ 【9-10】それを彼女と人は云う
昼食後。
社務所の中庭で、風見はたすき掛けをして、木刀を手に素振りをしていた。
びゅっ、びゅっと剣先が空を切る。
一心不乱に木刀を振るう風見の姿を、縁側にちょこん、と腰かけた羊子と、タオルを手にしたロイが見守っていた。
「感心だなあ。正月も稽古か、風見」
「毎日やっとかないと、かえって調子狂っちゃって」
「そんなこと言ってお前今朝、沐浴の前も素振りしてたろ?」
「朝は……あまり時間がとれなかったから……」
「足りないってか」
「はい……」
玄関がカラリと開く気配がして、だれかが廊下を歩いてくる。
「こっちですよ」
「ありがとうございます」
縁側の縁に腰かけ、足をぶらぶらさせながら羊子が顔をあげる。
「おかえりー、サクヤちゃん……と、来たか!」
「ただいま」
「こんにちは」
サクヤに次いで入ってきた人物を見るなり、ロイと風見は口をあんぐりと開けた。
「千秋っ?」
「藤島サンっ」
「やっほー」
スリムジーンズに白のセーター。上からコケモモ色のダウンジャケットを羽織った細身のショートカットの女の子が手を振っていた。
「何で、二人、一緒に?」
「羊子先生とまちがえちゃって……うっかり『先生』って声かけちゃったの」
「こっちもつい、返事しちゃって」
「サクヤちゃんも『先生』だものね」
「そうなんですか?」
「獣医なんだ。まだ見習いだけど」
サクヤさんとは初対面のはずなのに、ごく自然に三人で話してる……。
妙なことに感心しつつ、ふと風見光一は我に返った。
「ど、どうしたんだよ、こんなに早く」
「もうお昼すぎたよ?」
「え、あ、いや、そうだね、うん」
問題は、時間のことじゃない。
千秋を初詣でに誘う予定ではあった。だけど、まだ、電話もメールもしてないのに、向こうから現れるなんて!
「い、い、いつもは、三が日は家でのんびりしてるって言ってたじゃないか」
「うん、そのつもりだったんだけど」
千秋はポケットから携帯をとり出し、かしゃっと開いた。
「滅多に見られない袴姿が傑作だから、ぜひ来いって先生からメールもらったの」
「よーこ先生っ! どういう誘い文句ですかーっ」
「ご飯の支度してこよーっと」
教え子の追求をしれっとかわし、羊子はぴょこんと立ち上がる。
「まだ食べるんですか!」
「サクヤちゃんと三上さんの分だってば」
振り向きもせずにほてほてと、台所に行ってしまった。
「まったく、道場の稽古着だって同じようなもんだろ……」
「そお?」
千秋は首をかしげて、前後左右からじっくりと風見の姿を眺めた。
「浅葱色の袴って新鮮だなー」
「そ、そうかな」
「うん」
「……」
「……」
しばし無言で見つめあう。
「あっ、そうだ!」
いきなり風見は草履を脱ぎ、たんっと縁側に飛び上がった。
「渡すものがあったんだ。ちょっと待ってて」
たーっと駆け出し、一気に宿房の自分の部屋へダッシュ。荷物を入れたバッグから、虹色のシフォンの袋をとり出す。結ばれた藤色のリボンを整え、全速力でとって返した。
(あれっ、いないっ?)
待ちきれずに帰ってしまったんだろうか?
「コウイチ! こっちこっち!」
「あ……」
居間の方から声がする。(確かに中庭は寒い)
通りすがりにちらっと台所を見ると、サクヤと三上が行儀良く箸を動かしている。
三上のコロッケはやはり赤かった。
さらにその上に、茶色い瓶からぱしゃぱしゃと真っ赤なソースを振りかけている。無造作にかけているけど、ケチャップじゃない。
ラベルの『炎に包まれた骸骨』に見覚えがある。
(ほんとに、かけてるよ、メガデスソース……)
しかし食べている本人は、いつもと同じ穏やかそのもの。汗一つかいてない。平然と真っ赤なコロッケを口に運び、湯気の立つ味噌汁を口に含んでいる。
(あれ食べて、平気なんだ……)
「光一、何やってんの? 炬燵入りなよ」
「え、あ、うん」
慌ててそそくさと炬燵に入る。
「あー、その……こ、これ」
そ、と天板に虹色の袋を乗せた。
「わあ、可愛い。何、これ。お年玉?」
「いや、そ、そうじゃなくて! ロスに行った時の、お土産」
「サンフランシスコじゃなかった?」
「そっ、そうだったーっ」
「開けてみていい?」
「う、うん」
華奢な指が丁寧にリボンをほどき、光の加減で虹のように色の変わる薄い布の袋から、ばら色の薄紙の包みをとり出し、開く。
銀色の翼が現れた。
「これは……」
「ぶ、ブローチ」
流れるような流線型が収束し、羽ばたく鳥の片翼を横から見た形を作り上げている。
そして翼の先端には一粒、透き通った青い石がはめこまれていた。
「それ、本物のアクアマリンなんだ。あんまり上等なものじゃないけど、でもキレイだろ?」
「………」
千秋はほんのり頬を染め、うっとりと目を細めた。
「素敵………さんきゅ、光一!」
いつもと同じ威勢のいい、きびきびとした口調だった。けれど、いつもとはちがった柔らかさを感じる。のどの内側をこしょこしょと、見えない指先でくすぐられるような心地がして、落ち着かない。もぞっと炬燵の中で足を組み替えた。
「光一のことだから、てっきりゴールデンゲートブリッジのペナントなんじゃないかと思ってた。根性、とか書いてあったりして」
「んな訳ないだろ! 第一、根性って……アメリカなのに」
「向こうじゃ流行ってるんでしょ、漢字グッズ。ね、ロイ?」
「え、あ、うん、そうだネ」
「あと、地球儀のついたペン立てとか。百歩譲って妙にファンシーなマグカップ?」
「昭和の温泉町かっ」
不意に頭上から涼やかな声が降ってきた。かすかにつーんと、トウガラシの残り香を漂わせて。
「おや、こちらはひょっとして風見くんの彼女ですか?」
「み、三上さんっ。」
いつの間にっ? ご飯もう食べ終わった? いや、そうじゃなくて彼女って。
彼女って!
翼のブローチを買い求めた時の記憶がよみがえる。やたらと鮮やかに、くっきりと。
『ひょっとしてガールフレンドへのプレゼントかな?』
「いや………あの、その………腐れ縁というか何というか」
「ほう……腐れ縁、ね」
むーっと千秋が頬をふくらませる。
「ちょっ、なにそれっ! せめて、幼なじみとかっ」
「あっ、それもあったか」
「光一ーっ!」
ロイは秘かに衝撃を受けていた。顔にも口にも出さないが内側では超新星が爆発し、星をも砕く衝撃波が荒れ狂っていた。
(こっこの場で腐れ縁とは彼女と言ったも同じコト! しかも幼なじみってーーっ!)
確かに自分はGirl friendにはなれないけれど。なれないけれど。
ぎゅっとロイは拳を握りしめた。あくまで炬燵布団の下で、ひっそりと。
(幼なじみならボクも同じだ、対等だっ)
三者三様にあたふたする高校生たちの姿を、三上はにこやかに見守っていた。
さんざん火種をまいておきながら、あくまでにこやかに。
(若いっていいですねえ……)
「甘酒できたぞー」
微妙すぎるバランスを保っていた沈黙が破られる。盆に乗せた湯飲みを持って羊子とサクヤがやってきた。
「何かごそごそやってると思ったら、そんなもの作ってたんですか……って言うか、さっきお昼ご飯食べたばかりじゃないですか!」
「うん、だからお汁粉は自粛したよ?」
やれやれ。
羊子先生は、食べて消耗した体力を補う人だ。ハードワークになると、とにかく食べる。
分かってはいるけど、時々不思議になる。どうやったら、このちっちゃい体にあれだけの食べ物が入るんだろう?
「昆布の佃煮もあるよ」
「……いただきます」
「お雑煮の出汁とった後の再利用だけどな!」
佃煮をつまみつつ、甘酒をすする。
「あ、意外にあっさりした口当たり」
「境内でお振舞いしてるのと同じだよ」
「自家製ですね」
「うん。お米と麹で作ってる」
「酒粕じゃないんだ」
「念のためだよ。車で来てる人もいるでしょ?」
「なるほど……。またこの佃煮が後を引きますね」
「はぁ……あったまる」
ほう、と小さくため息をつくと、千秋はぐるっと炬燵の周りを見回し、肩をすくめて笑った。
「どうした、藤島」
「何だか不思議な気がするなあ。私以外は全員、巫女さんと神主さんなんだもの」
「ああ……制服みたいなものですからね」
「先生も、ロイも、光一も、学校で会う時とは何かちがう感じ」
「服装が変わればイメージも変わるさ。あ、そうだ」
ぽん、と羊子は教え子の肩を叩いた。
「どうだ、今度、藤島もやってみるか、巫女さんのバイト」
「えー。私が巫女さん? どーしよっかなー」
「とりあえず、着てみろ」
え、ちょっと待て先生。今、何て言った?
「えー、いいんですか?」
「OKOK。こっち来て! 着付けは基本的に道場の稽古着と同じだから」
「わあ……どきどきしちゃうな」
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