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羊さんたちの遊卓

【6-4】呪いの法則

 
 子どもたちを寝かしつけてしまうと、風見はそっと自分の携帯を開いた。海外でも使える機種だ。日本に電話をかける際の番号もあらかじめ登録しておいた。
 電話帳から『NH』のカテゴリに分けられたリストを呼び出し、一人を選んでかけた。
 今は朝10時、しかし日本は早朝3時。これを遅いと見るべきか早いと見るべきか、少々微妙な所だが……相手は1コールで出てくれた。

「蒼太さん?」
「………何があった」

 海外通話独特のタイムラグの後、挨拶の言葉も。非常識な時間に電話をかけたことへの文句もなく開口一番、本題に切り込んできた。

「逃げられました」
「仕損じたか」
「はい。犠牲者の解放には成功しましたが、その後で……」 
「待った。今、どこだ?」
「サクヤさんのアパートです」
「ってことはパソが使えるな? そらぺで話そう。長くなるだろう」
「そらぺって?」
「skypeだよ」

 やはりこの人にかけて正解だったな、と思った。和尚が相手ではこうは行かない。
 サクヤのデスク前に立ち、スリープ状態になっていたノートパソコンを立ち上げる。skypeのショートカットはすぐにわかった。

「何でお前が電話を? 羊子さんはどうした」
「それが……ちょっと今、電話に出られない状態で」
「寝てるのか?」
「………はい」
「遅くまで大変だな」

 何のことだろう?
 首をひねってるうちにskype……ネット電話が繋がった。
 小さなウィンドウを通してパソコンの画面の向こうに蒼太の顔が。スピーカーから声が流れて来る。こっちの映像も向こうに流れていることだろう。

「お、来たな……よし、こっち切るぞ」 

 言われるまま、携帯を切る。

「さて。改めて話してもらおうか。何があった」
「ダイブして、夢魔ビビと戦って……倒したと思ったんです。だけど、犠牲者が解放されたのを見届けて安心してる所を不意打ちされて。羊子先生と、サクヤさん、ランドールさんが……呪われて」

 口の中がからからだ。こくっとつばを飲み込み、ともすればのどの奥に縮こまりそうになる言葉を引きずり出した。

「子どもにされてしまいました」
「そうか。だからお前たちだけなんだな」
「はい」

 画面の中の『先輩』は、意外なことに笑っていた。ほんの少し眉をよせて、困ったような顔だったけれど、とにかく笑っていた。

「羊子さんだって無敵じゃないさ。むしろ命の無事を喜ぶべきだろうな」
「は……い……」

 そうだ。仕掛けられるタイミングが明け方だったからあの場で離脱できたのだ。もし夜中に呪いを受けていたらと思うと。
 背筋を冷たいものが走り抜ける。自分たちだけなら満身創痍になってもどうにか切り抜けられるだろう。だが無力な3人の子どもを守るとなると事態は違ってくる。
 逃げ切ったところで傷ついた体を癒してくれるはずの人はちっちゃくなっちゃってるし。おそらく治癒能力も弱くなっているはずだ。

(俺たちが安心して無茶できたのは……先生がいたからなんだなあ)

「どうした、風見。シケた面して」

 しまった。こっちがどんな顔してるか、向こうにも全部見えてしまうんだった!
 あわててくっと顔を上げ、モニターの向こうの蒼太と眼を合わせる。

「大丈夫です! 一人じゃないし。ロイも一緒だし」
「そうだったな……それじゃ、改めて作戦タイムと行こうか」
「はい!」

 画面の向こうで蒼太がせわしなく手を動かしている。「ビビ」のデータを呼び出しているのだろう。

「最初にお前たちが倒したのは、おそらく使い魔の化けた囮だろう」

 はっとして風見はロイと顔を見合わせた。

「使い魔……山羊か!」
「文字通りのスケープゴートだったんだ!」
「そう言うことだな。まず敵の能力を見極めて、苦手な相手から優先して呪いをかけたんだ」
「苦手?」
「うむ。ここから先は俺の推測だがな。左道のルールは概ね万国共通の筈だ……一度に一体の魔女が呪いをかけられる相手は一人だけなんだろう。まずは狼と、電光使いと、巫女さんを無力化したって訳だ」
「そうか……」

 ぎりっと奥歯を噛む。昨夜のあの最初の快進撃も、全て敵の策略のうちだったんだ。
 改めて悔しさと苦さがわき起こる。

「かけられた呪いなら、解くまでだ」

 淡々とした声で告げられる。悔しさと不安、後悔でざわついていた胸の中にすうっと一筋の光がさした気がした。

「記録によるとな、呪いをかけた段階で1人につき1つ、必ず一定の法則に基づく個別の解除法が設定されるらしいんだ。解除のための条件さえ判明すれば」
「先生たちを元に戻すことができるんですね!」
「理屈では、な」
「一定の法則……か……」
「よく、おとぎ話にあるだろう。乙女のキスとか」

 ちらっとベッドの方を振り返る。

「乙女のキス……」
「羊子先生にキスしてもらえばっ」
「あ、ちなみに当人が呪われてる場合は無効だ」
「……ダメかぁ」

 がっくりと肩を落とす後輩二人に、相変わらず淡々と蒼太は伝えるべき情報を伝えてゆく。

「俺はこれから過去の記録を当たって調べてみる。お前らもいろいろ組み合わせを探せ。誰かの応援をあてにするな」
「……はい」
「お前たちだけが頼りだ………羊子さんたちを頼む。」

 ふと、言葉が途切れた。

「蒼太さん?」
「もし何かあったら………」

 やや間を置いて流れてきた声は、先ほどまでの冷静な声とは明らかに質が違っていた。必要な事を伝えて思わず気がゆるんだか。押さえきれない熱い感情の揺らぎが、冷たい殻を割って吹き出したようだった。
 表情こそ穏やかなままだったがさりげなく組まれた手が小刻みに揺れている。小さな画面を通してさえはっきりとわかるほど。
 短い、しかし重苦しい沈黙。
 やがて、きりっと歯を食いしばると蒼太は拳を握った。

「何かあったら、衝撃波で空が飛べるって、その体で知ってもらう」

 ぼそりと抑揚のない声でつぶやかれる一言が、ずしりと腹に響く。

「……了解」
「御意」

 不意ににゅっと目の前にふわふわのセミロングの頭が割り込んできた。その隣には、つやつやのベリーショートの頭がもう一つ。
 着ているものと髪の長さこそ違うが後ろ姿は骨格レベルでそっくりだ。

「お願い、蒼太。しからないで」
「……………え?」

 画面の向こうで蒼太が目をまんまるにしている。
 この人でもこう言う顔するんだなあ、とか。あの目、あそこまで全開になることがあるんだ、とか頭のすみっこで思った。

「風見も、ロイも、一生けんめいなの。おねがい……」
「おねがい……」
「よーこさん……さくや…………」

 しぱしぱとまばたきして、目をこすって、それからもう一度画面を凝視すると蒼太は抑揚のない声で言った。

「……そらぺの画像保存すんのどーやるんだっけなあ」
「あー、すみません、ちょっとわかんなくって。遠藤ならそう言うの得意だと思うんですけど」
「彼、日々ネットでヒーロー情報の収集に余念がないからネ」
「しょうがない」

 ごそごそやってると思ったらデジカメを構えてきた。

「はい、チーズ」

 ヨーコとサクヤは素直に画面に写るカメラを見ている。同じ角度にちょこん、と小首をかしげて。

「いやあ、和尚から話には聞いていたけど、そういう感じだったんだなあ。まるっきり双子じゃないか。意外というか、話どおりというか……」
「え? 話通り?」
「和尚は写真とかビデオとか俗っぽい事だけ限定で、縦横無尽には使えない癖にとりあえずチャレンジする人だから………庫裏の羽目板の裏に"秘密図書館"と称する秘蔵の証拠写真があってだね」
「秘蔵、ですか」
「ああ。結城神社の巫女姉妹、とか言われてた頃の写真がね……」
「姉妹って」

 ちらりと昨夜の『ダイブ』を思い出す。そろって巫女装束に身をつつみ、手を取り合っていた二人を。

「……姉妹ダネ」
「うん、姉妹だ」

 目の前のちっちゃな二人を見て納得していると、ベッドの方から弱々しい声が聞こえてきた。

「ヨーコぉ……サリー……」
「カル?」

 目を覚ましたら一人だったのでさみしかったらしい。目をこすりながら歩いてきて、にゅっとヨーコとサリーの間に顔をつっこんできた。
 ひくっと蒼太の口元がわずかにひきつる。

「大丈夫だよ、カル。こわくないからね」
「うん……うん……」

 ちらっとランドールはパソコンの画面に視線を走らせ、かすかにほほ笑んだ。

「それじゃ、羊子さんたちの無事も確かめたし、そろそろ通信終了させてもらうぞ」

 蒼太はランドールの頭をなでるヨーコからかなり意図的に目をそらしている。口調も妙に爽やかだ。

「お前らも夜が明けるまでにもう少し休んでおけ」
「はい?」

 こんどはこっちが目を丸くする番だった。まさか……蒼太さん、時差を忘れてるんじゃあ。

「えーっと、蒼太さん。お心遣いはありがたいんですが、こっちはアメリカなんです」
「知ってる」
「時差ってありますよね」
「え」
「…………東京と比叡山で日の出の時刻違いますよね?」
「そうなんだよ。意外と違うんだよな。東京と京都って結構遠いんだよな」
「アメリカと日本はもっともっと遠いんですよ」
「ん? あ、ああ」

 微妙に何かを察したらしい。

「こっちは今、朝の10時なんです……あ、もうすぐ10時30分か」
「えええええっ」

 わあ、素で驚いてるよ。

「そーかー………真言宗カリフォルニア支部の師父が真昼間に暇つぶしのそらぺ掛けてくるのは"仕事をサボって昼間っからそらぺしてたから"じゃないんだ!! 南無」

 斜めの方角にむかってぺこぺこと頭をさげている。どうやら、サンフランシスコはそっちの方角にあるらしい。

「ちゃんと、お勤めの後でネットサーフィンしてたんだな……思いっきり誤解してたぜ……」
「あは、あはははは……」
「あー、こほん、それはそれとして、だな」
「はい」
「緊急事態だ、この際時差は無視だ。必要な時はすぐに連絡しろ。俺からもそうする。いいな?」
「はい!」
「以上。通信終了」

 窓が閉じられ、ふう、と息を吐いた。
 今頃、全力で情報を検索してるのだろう。さしあたって自分たちは……。
 安心したのか、ランドールとサクヤとヨーコはソファで身をよせあって眠っていた。

 この3人をベッドに運ぼう。
 声をかけるより早く、さっさとロイがランドールを抱き上げている。素早くベッドに運び、今度はサクヤを抱き上げた。
 本当にしっかりしてるな。てきぱき行動してるし。こいつが一緒でよかった。

 注意深くヨーコ先生を抱き上げる。腕の中にすっぽり収まる小ささを、もうさっきほど悲しいとは思わなかった。


 ※ ※ ※ ※


 サンフランシスコとの通信を終えると蒼太は口をゆがめて、ばん、と机を叩いた。

「くっそぉおお……あんのバカ社長っ! 子どもだから何しても許されると思ってんな?」

 心細そうにべそべそしながら羊子にしがみついた刹那、あいつは確かにこっちを見ていた。うるんだ無邪気そうな青い瞳の奥に一瞬、得意げな光が見えた。

 蒼太は厳しい修行の末に磨き上げた己の能力と技、そして悪夢を祓う責務に誇りを持っていた。
 それだけに昨日今日能力の使い方を覚えたばかりの新人が、古くからの盟友であり、先輩でもある羊子やサクヤと組んでいるのは、正直あまり面白くなかった。
 できれば今回だって自分も同行したかったくらいだ。押し殺した心の奥のモヤっとした葛藤を、あの男は子どもならではの勘の鋭さで見抜いたのであろう。

「あいつ、絶対わかっててやってるな……」

 しかも、目を合わせた後で人見知りを装ってこそこそと羊子さんの背後に隠れていやがった。あまつさえ肩にしがみついて……。
 女に興味はないとわかっていても。子どもの姿をしていても、腹立たしいことこの上ない。
 こうなったら、一秒でも早く呪いの解除法を探してやる……そうして、大人に戻ったら改めてシメる!
 
 ひょろ長い指がキーボードの上を踊りマウスを滑らせる。『山羊角の魔女』、ビビの情報を求めて電子の海を潜り、数多の文字と画像の間をかいくぐり。ほんの一握りの真実を求めて古今東西、虚々実々入り交じる記録の山を引っ掻き回した。まさぐった。
 もう、寝直すつもりはなかった。

「銀のステッキで撲殺……おおっと、こいつは人狼か。口にニンニク詰めて心臓に杭……は吸血鬼だな」

 蒼太は己の技と役割に誇りを持った男だった。が……まだまだ若い。たまに個人的な恨みがちらほらするのはご愛嬌。

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