▼ 【6-3】長い道のり
「ふう………」
「やっと着いたぁ………」
サンフランシスコ北部の海沿い、マリーナ地区の一角にあるアパートの二階、南東の角。サリーの部屋にたどり着いた瞬間、風見とロイは玄関にへたりこんだ。
「大丈夫?」
にゅにゅっととお子様3人がのぞきこんでくる。ちいさな手で頭をなでられた。
「えらかったね……風見。えらかったね、ロイ」
答えようにも言葉が出なくて、うなずくのが精一杯だった。果たしてちゃんと笑顔を作ることができたのか、あまり自信がない。
ここまでの道のり、決して短くはなかったし平坦でもなかった。物理的にも、精神的にもあらゆる意味で。
パウエル-ハイド線(Powell-Hyde Line)に乗って北上し、終点手前のフランシスコ通り(Francisco.St)まで。サンフランシスコに来たからには一度はケーブルカーに乗りたいと思っていたけれど、まさかこんな形で乗るなんて。
緊張感に押しつぶされて息をするのも一苦労、景色を楽しむ余裕はほとんどなかった。
フランシスコ通りからミュニバスに乗り換える時もちびっこがいつ走り出すか逃げ出すかと気が気ではなく、神経を張りつめていた。
バスを待つ間はずっと小さな声で「30番、30番」と呪文のように乗るべき路線の番号を唱え続け、目的のバスがやってきた時は思わず「よしっ」とつぶやいてしまった。
つい日本の感覚で後ろから乗ろうとしていたが、よく見ると後ろからは降りる人ばかり。しまった! と寸でのところで方向転換、ばくばく言う心臓を抱えながら前方のドアに向かってぎくしゃく歩く。
どこから見ても立派なおのぼりさん。だがその時の風見には、はずかしいと思う余裕すらなかった。
幸い、ケーブルカーとバスは共通のミュニパスポートと言う1日乗車券で乗ることができたのでチケットを買うのは一回で済んだけれど……。日本と違ってバスの停留所の名前はアナウンスされず、必死になって電光掲示板に表示される名前をにらんだ。
一分一秒たりとも気が抜けず、まるで小学生のようにびくびくして、何かするたびに最後尾にいるロイの方を振り返らずにはいられなかった。
実際には3人の子どもたちはきわめておとなしかったのだが。
サリーはおどおどしていて急に人が乗り降りするたびにこそこそとヨーコの背後に隠れていたし、ランドールはぽーっとした夢見がちな表情で外の景色を眺めていた。
ヨーコはと言うと、サリーの手をぎゅっと握って常に油断なく周囲を見回していた。きりっと口をへの字に結んだその表情はどこか張りつめて痛々しく。目に入るもの、聞こえるもの触れるもの全てを積極的に楽しむいつものヨーコ先生の姿とはあまりにかけ離れていた。
(マクラウドさんが言ってたのは、このことだったんだな……)
バスの中でサリーは座席に座ったままうとうとしていたが、降りるべき停留所の手前に来るとぱちりと眼を覚まして手をのばし、しきりと窓枠の上をつかもうとした。当然のことながら届かず、ちっちゃな手のひらがわきわきと宙をつかむばかり。
「あれ? えっと……」
不思議そうに首をかしげる。寝起きでぼんやりしているらしい。
「サクヤさん?」
「これだよ、コウイチ」
ロイがくっと窓枠の上に張られた紐をひっぱった。ピンポン、とチャイムが鳴り、バスが停まった。
「そっか……ボタンじゃなくて紐なんだ」
アパートにたどり着くと、サリーはポケットからカギを取り出してんしょっとのびあがった……が、ドアノブが高すぎて届かない。
もともと日本のドアより位置が高いのだが、今は子どもになっているからなおさらだ。
「サクヤさん、俺がやりますから」
「うん……ありがとう」
カギに下がった鈴がチリン、と手の中で小さく澄んだ音を立てた。
淡いベージュやグリーン、クリーム色。中間色でまとめられ、背の低い家具をそろえたサリーの部屋は居心地がよく、一歩入るなりほんわりと清々しくもやわらかな空気に包まれた。
「あ……もしかしてこの部屋、結界がある?」
「うん。まいあさお水あげてお参りしてる」
「あ、鹿島神宮のお札」
本棚の一番上にさりげなく神社のお札が置かれていた。結城神社は鹿島神宮の系列なのだ。
ダイブ用に急造したものと異なり、ここはお札を核にして時間をかけて練り上げられた結界だ。維持してきた巫女=サリーの力は弱くなってしまったけれど、結界そのものは消えずに残ったのだろう。
「ここに居ればひと安心ってことか……」
「そうだネ」
すっくとロイが立ち上がる。
「サクヤさん、台所おかりしマス」
「うん」
「エプロンも」
「うん」
いそいそとエプロンをつけ、台所に立った。
「えーっと、ミルクパンは……」
「これじゃないかな」
「サンキュ、コウイチ」
風見が渡してくれたのは実はゆきひら鍋だったりするのだがこの際細かいことは気にしない。
スーパーで飲みきれなかった2ガロン入りのミルクを鍋にそそぎ、弱火でとろとろとあっためる。本来なら何も入れずに飲みたい所だが、今は風見も、自分も子ども3人も消耗している。
少しでもエネルギーを補給しておこう。
砂糖をほんの少し加えておたまでかき混ぜた。
「コウイチ、マグカップ出してくれる?」
「わかった……えーっと……」
見つけたカップの種類は微妙にばらばら。大学の校章入りのどっしりしたマグカップ。地元のスターバックスの地域限定マグ。ぽってり丸い白いコーヒーカップが2つ……食器棚の一番手前にあったからいつも使っているものなのだろう。
だれかからもらったのか、あるいは自分で買ったのか、やたらと可愛らしいクマの模様のカップもあった。
「これで5つ、っと。ロイ、準備できたぞ」
「OK。こっちももう少しでできあがるヨ」
いそいそとこじんまりとしたキッチンで立ち働くロイの心臓は幸せでいっぱいだった。それこそ目一杯ふくらませた風船のように、今にもぱっちんと行きそうなくらいに。
(ああ、まるで新婚家庭のようダ……)
牛乳を注ぐ手がわずかに震える。既に3人の子持ちだったりするのは気にしない。
「できました……さあ、ドウゾ」
「ぎゅうにゅうー」
「ぎゅうにゅうー」
「ミルクー」
5人で顔をよせあってあっためたミルクを飲んだ。
「ふは……」
「美味いなぁ……」
「あ、眼鏡くもった」
口からのどを通って温かさが流れ込み、ひろがるのがわかった。体の真ん中までじんわりと。
ほんの少し砂糖の甘さが加わっただけで、張りつめた気持ちがほんわりなごんでゆくのが不思議だった。
「ごちそうさまー」
飲み終わると、まずサクヤが小さくあくびをして目をこすった。続いてランドールも。眠いのだ。考えてみれば結局、昨日の夜は一睡もしていないし夜があけてからはずっと歩き通しだった。
「少し休んでください。日本への連絡は俺らがやっときますから」
「うん……パソコンは……デスクの上だから、つかって………」
言ってるそばから、かくっと首が揺らぐ。
「サクヤちゃん、ベッド行こうね?」
「うん、ヨーコちゃん」
「カルもおいで」
「うん……」
『お姉ちゃん』に手をひかれて二人はとことことベッドへと歩いて行く。
「……上がれるかな」
「あ」
アメリカサイズのシングルベッドは日本の物に比べて高さがある。よじ登ろうと苦戦するサクヤを後ろから支えて抱き上げた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
その間に、ロイが素早くランドールをベッドの上に放り上げていた。
「わ」
ころんとひっくりかえってじたばたするランドールの隣にヨーコがぴょん、と自力で飛び上がる。
ヨーコを中心に川の字になって布団の中に潜り込む3人を、風見とロイはじっと見守った。何だかおがくずの中にもぐりこむハムスターみたいだ。
サクヤがもふもふとヨーコにしがみついて胸に顔をうずめ、目をとじた。
「おやすみ、サクヤちゃん」
ヨーコはサクヤが眠るまで左手でずっと頭をなでていた。そしてもう片方の手はと言うと、反対側からしがみつくランドールの手をしっかりにぎっていたのだった。
「先生」
「ん?」
「眼鏡、はずしますね」
「あ……うん、ありがとう………」
赤い眼鏡を両手でそっと外す。
「先生ってちっちゃい頃から眼鏡かけてたんですね。サクヤさんはまだなのに」
「…………」
「先生?」
すやすやと眠っていた。風見は小さな眼鏡を注意深くたたむとベッドサイドのテーブルに乗せた。
何だか時間の経過とともにどんどん精神まで『子ども』になって行くようだ。果たして目をさましたとき、ヨーコ先生はちゃんと答えてくれるだろうか?
いつものように『先生』と呼びかける、自分たちの声に。
最初に夢の力に目覚めたときから、ずっと自分を教え、導いてくれた。いつでも、どんな時でも。
『あたしは戦闘はからっきしアウトだからさ。荒事は任せたぞ、風見』
『怪我したらいつでも治してやる。気にせずばんばん行け!』
ずっと、守ってきたつもりだった。自分なりに、精一杯に。だけど………今は………。
堅く握った拳が細かく震える。
守っていたつもりで守られていた。支えてきたつもりで支えられていた。ヨーコ先生がこのまま元に戻らなかったらどうすればいいんだ? 俺は何を頼りにして前に進めばいい?
「……コウイチ」
ぽん、と肩を叩かれた。
「ロイ………」
いつもと変わらない、青い瞳が見つめていた。ロイの手のひらが肩を包み込む。伝わるぬくもりが教えてくれる……自分は一人ではないのだと。
「……日本に連絡しよう。蒼太さんに報告を」
「OK。和尚じゃなくて?」
「あの人パソコン持ってないんだ。ケータイは使いこなしてるんだけどね」
「意外デシタ。何にでもとりあえずチャレンジする人なのに」
「あ、でもデジカメは持ってたかな? やたらと高性能のやつ」
「謎な基準デス……」
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