▼ 【6-2】カルシウム
「おなか……すい……た」
「シマッタ」
「戦闘で消耗しちゃったからなあ………」
ドリームダイブの後、ヨーコはとにかく食べて消耗した分を回復する。さもなきゃ寝るか、だ。ここで寝られちゃったら一大事。
風見はダウンジャケットのポケットからアメを取り出した。
「はい、これ」
「わーい、アメちゃんだ、アメちゃんだ」
「サクヤさんもどうぞ。はい、これはランドールさんの分」
「ありがとう……」
「おいしー」
頬をぷっくりさせてアメをなめる子どもたちを見ながら風見はつぶやいた。
「先に買い物しなきゃな」
「そうダネ。移動するまえにもーちょっと食べさせておかないと」
アメリカのスーパーマーケットは基本的に24時間営業の店が多い。
こんな朝早くにも開いてた。
「たすかった……」
白地に赤い文字でSAFEWAYと書かれた看板のかかった店に入る。入り口の警備員の視線が何となく気になる……いや、落ち着け、気にしすぎだ。
「ここならよく知ってるヨ。ワシントンにも支店がある」
「そっか」
「任せて。だいたいチェーン店の作りはフォーマットが似ているし、置いてある商品も共通してるから……」
慣れた動きでロイはカゴを取り、ゲートを抜けて先に立って中に入って行く。広々とした通路の両側に、天上近くまで商品の詰まった棚が並んでいる。当然のことながら商品名も、品質表示も全て英語だ。見慣れたロゴの商品も日本にあるのとは微妙にパッケージが異なっていた。
たまに漢字があったな、と思うとそこはかとなくニュアンスが違っていて、読み直すと中国語だとわかる。
さすがにお客はあまりいないかと思いきや、それなりに人が入っている。朝食の買い物だろうか?
うっかり上ばかり見上げていると、くいくいと上着のすそをひっぱられた。
「クッキーたべるークッキー」
ヨーコが両手で上着のすそを握って見上げていた。
「はいはい、クッキーですね」
「チョコチップー」
その隣でサリーがかぱっと口をあけてさえずった。
「ナッツいりー」
やや遅れてランドールがぽそりと控えめにつぶやく。
「ヒマワリの種……食べたい……」
「うーむ、これは……」
「見事に好みがばらばらですネ」
「三箱買わないとだめ……か?」
「お菓子類はこっちだヨ」
パスタとシリアル、スパイスのコーナーを抜けると急に両側の棚がカラフルになった。クッキーにビスケット、チョコレート、キャンディ。袋に入ったの、箱に入ったの、見たことのあるもの、見たことのないもの。
ぎっしりと棚につまっている。
並んでいる。
ぱああっとちびっ子たちの顔が輝いた。
「あっ、ヨーコ先生っ」
ちょこまかと先頭切って走りだすと、ヨーコはんしょっとのびあがって茶色と白に塗り分けられた箱を手にとった。
「これがいい! どーぶつビスケット!」
すかさずロイがおや? と首をかしげた。
「でもそれチョコチップじゃなくてナッツ入りですヨ?」
「サクヤちゃんナッツがいいんだよね?」
「………うん」
風見とロイは顔を見合わせた。
その箱は日本で売っているお菓子とくらべてかなり大きかった。一箱買えば、全員に十分に行き渡る。三箱買わずにすむように、ヨーコなりに考えた結果らしい。
「さっき三箱買わないと、って言ったからか……」
「ヨーコ先生っ、予算は気にせず、好きな物を選んでくだサイッ!」
うるるっと青い瞳をうるませて(あいにくと長い前髪にかくれてほとんど見えなかったが)ロイが震える声を張り上げた。
「ボク、このお店の会員カード持ってますからちょっとは節約できますっ」
「で、でも」
「それにっ、アメリカの買い物システムではまとめ買いした方がお得なんでスっ! だから……」
「わかった、それじゃあ……」
もじもじしながらちらっと棚に並ぶクッキーに視線を走らせるヨーコの隣では、ランドールがきょろきょろと辺りを見回していた。
「ヒマワリの種ないよ、ヒマワリの種……」
「あ」
棚の一角に見慣れた青い袋があった。コバルトブルーの袋に白い太文字、黒と白のクッキーの写真。
「先生の好きなオレオがありますよ? ほら」
「それ苦いからヤ」
「えっ?」
「ええっ?」
(そっかー、子どもの頃ってこんな好みだったんだ……)
ぽかーんとあっけにとられながら風見はぼんやりと頭のすみで考えていた。
「これがいい」
結局、ヨーコが選んだのはオレオでもチョコチップ入りでもなく、ちっちゃな袋に入ったストロベリークリームを挟んだクッキーだった。
「最初に言ってたのと全然違うし……」
「女の子っテ……謎デス」
「このころから苺好きだったんだな」
ため息をつく二人の足下では、ランドールが初心貫徹。あきらめずにヒマワリの種を探し求めていた。
「ヒマワリの種ないよ、ヒマワリの種」
「……どこに売ってるのかな」
「園芸コーナー?」
「ペットコーナーかも?」
律儀にちびっこ3人のリクエストに応えようと奮闘するうち、何だか保父さんみたいな気分になってきた二人だった。
「ランドールさん、ヒマワリの種、ここにはないみたいだから……」
うるるっとネイビーブルーの瞳がうるむ。風見はあわてて付け加えた。
「歩きながらさがしましょう」
こっくりとうなずき、とことこと歩き出した。
「あ、また先生の後くっついてるし。サクヤさんはわかるんだけど、何でランドールさんまで?」
「もしかして末っ子?」
「いや、確か一人っ子だった、はず。やっぱり同い年だと女の子の方が大人っぽいってことなのかな……」
「サイズに関係なく?」
「うん。サイズ関係なし」
ちょこまか、とことこと歩くうち、飲み物の並んだ一角にやってきた。牛乳やチョコレートミルクに果汁100%のジュース。日本でもおなじみの豆乳やヨーグルトドリンクもあった。
少し離れた所にはコーラやミネラルウォーター、ソーダのペットボトルがぎっしり並んでいる。バラのと6本パック入りのと。
「ヨーコ先生、何飲みますか?」
「牛乳」
「はいはい、牛乳ですね……あった」
青と白の紙パック入り牛乳を一本とってカゴに入れる。日本でもよく見かけるデザインだが色の塗り方がかなり大雑把だ。背景の青がかなり牛のイラストを浸食している。
「いや、そのちっちゃいのじゃなくて」
ヨーコはぷるぷると首を横に振り、棚の下段にぎっしり並ぶ大ボトルを指差した。
「こっちのおっきいのがいい」
「無茶言わないでください、そんなでっかいボトルっ! って言うかこんなのあるんだ」
「2ガロンサイズだネ。アメリカではスタンダードだよ」
「そうなんだ……」
ヨーコはお徳用液体洗剤と見まごうようなボトルにたっぷり入った牛乳を、ひしっと両手で抱えこみ、真剣なまなざしで訴えてきた。
「だって、せっかく成長期前に戻ったんだよ? ここでカルシウムたっぷり補給しとけば、元に戻った時ちょっとは効果があるんじゃないかと思うの!」
「お腹こわしちゃいますよ」
「やーの、やーの、こっちのがいいのーっ」
首をぶんぶん横に振って足をばたばたさせている。予想外の駄々っ子攻撃にピンチに陥る保父さん風見。
『そんなに大量に牛乳飲んでも、背は伸びませんよ?』思っても怖くて言えない。ほとほと困りはてていると……
「……ヨーコ」
「カル?」
すっと進みでたランドールがヨーコの肩に手を置き、しみじみと語りかけた。
ちっちゃくても中味は紳士なのだ。
「君のその、ささやかな胸も十分にチャーミングだよ」
途端にヨーコは口をへの字に引き結ぶと牛乳を棚に戻し、それからランドールの方に向き直り……だんっと足を踏んだ。
「いったーいっ」
「こらヨーコ先生っ! 友だちをいじめちゃだめじゃないですかっ」
「ふんっ」
頬ほふくらませてそっぽを向いてしまったが、ちらっ、ちらっと横目でこっちをうかがっている。そこはかとなく『いけないことを』をした自覚はあるらしい。
「はあ………何が悲しくて担任教師に『こらっ』とか『めっ』とか言わなきゃいけないんだろう、俺」
「コウイチ。ボクが着いてるよっ。今の先生たちは子どもの体に大人の心が宿っている。アンバランスな状態なんだ……ボクたち二人で立派にお育てしよう。ねっ?」
「そうだな。俺たちがしっかりしないと!」
気を取り直して顔を上げると、今度はサリーが『んしょっ』とのびあがって2ガロン入りのミルクに手を伸ばしていた。
「ああっ、サクヤさんまでっ」
「何てことだ、二人とも発想が子どもに戻ってる! 恐るべし、ナイトメア……」
「……いや、ヨーコ先生の場合はあんまし関係ない気がしてきた……」
「これがいい」
ひしっとぬいぐるみのように2ガロン入りのミルクをかかえるサリーに近づくと、風見はかがみこんで目線を合わせ、話しかけた。
「わかった、わかりました。じゃあ、この大きいのを1本買ってみんなで分けましょう」
「うん」
ほわっとサクヤの顔がほころんだ。
「コップも買わないと……紙コップとプラスチックのコップ、どっちの方がお得だろう」
「プラスチック。紙は圧倒的に量が多い」
「うわ、24個入りか。さすがにこれは使いきれないなあ……こっちにしよう」
プラスチックのコップをカゴに入れ、ふと視線を足下に向けると一名足りない。
「ああっ、ランドールさんがいないーっ」
さっと顔から血の気が引いた。前後左右を見回すが、いない。子どもの足だ、移動力はたかがしれてる。でもいつから姿を消していたんだろう?
ああ………だめだ。思考がぐるぐるうずを巻く。思い出せない。
「ランドールさんっ、どこですかっ」
大声で叫んでいた。
「ラーンドールさん! 返事してください!」
「Hey,コウイチ!」
ついっとロイが後ろから袖をひっぱる。
「ここでMr.ランドールの名前を連呼するのはまずいよ。どう見ても迷子になったのがボクらの方に見える」
「そっか………そうだよな……よし!」
すたすたと大股で店内を歩きながら風見は再び呼びかけを開始した。
「カルヴィーン! カル! おーい」
(しぃまったあ!)
自分で提案しておきながらロイは焦った。
(コウイチにランドールさんのファーストネームを連呼させるなんて! ばか、ばか、ボクのばかっ)
「風見、風見」
ちょい、ちょい、と服の裾をひっぱられる。サリーとヨーコがじっと見上げていた。一瞬、奇妙な既視感に捕われる。
この光景、いつかの夢にそっくりだ。
「どうしました?」
「……いた」
「あそこ」
二人の指差す先を見ると、そこにはヒマワリの種を抱えてうれしそににこにこするカルの姿があった。
「あったー」
「……そうか……ナッツのコーナーにあったんだ……」
「カル、それ好きだもんね」
「うん!」
「良かった……」
へなへなと膝の力が抜ける。風見とロイは互いに支え合ってかろうじて床にへたりこむのをこらえた。
「半分くらい、迷子の呼び出しアナウンスをお願いするための原稿まとめてたヨ、頭の中で……」
「……俺も」
『迷子のお知らせです。カルヴィン・ランドールくん、黒髪に青い目、服装は紺色のコートに茶色のズボン……』
想像するだに改めて冷や汗がにじむ。
「このままでは危険だ。危険すぎる!」
立ち上がるやいなや、風見はきゅっとヨーコの手をにぎった。
「迷子になったら大変だ。手をつなぎましょう。さあ、ランドールさんも!」
「Nooooooo!」
電光石火でロイが割り込み、サリーとランドールとさっさと手をつないでしまった。
(たとえテリーさんと言う彼氏が居ても……コウイチと手をつなぐのはダメ。絶対にダメ!)
(ヨーコ先生となら、ギリで許せマス)
途端にサリーがくしゃっと顔をゆがめ、ぐすぐす泣き出した。
「よーこちゃんといっしょじゃなきゃやーっ!」
「あ」
「……なんか、そこはかとなく不吉な予感がしマス」
子どもは一人が泣き出すと他の子も泣き出すのがお約束。じきにランドールの青い瞳にうるっと涙が盛り上がり……
「ママーっ」
「……伝染った」
「なるほど、これが幼児期の感情同調。予防注射の順番待ちで他の子が泣いてるのを聞いて泣き出すと言う伝説のアレですネ」
「冷静に分析してる場合かっ」
思わず親友につっこんだ拍子に、風見はヨーコの手を離してしまった。
するとヨーコはわんわん泣いてる男の子二人にちょこまか近づき、サリーの頭をなでた。
「サクヤちゃん。泣かないで。ほら、涙ふいて……おはな、ちーんして」
「よーこちゃーん」
ポケットティッシュで鼻をかませ、ハンカチで涙を拭っている。いかにも慣れっこと言う感じの仕草だった。
「カルもお顔ふこうね。ハンサムさんが台無しですよ?」
「うん……」
自力でポケットからハンカチをとりだして顔を拭うランドールの頭を、うなずきながらヨーコはなでた。
「えらい、えらい」
「あ。『お姉ちゃん』だ」
「『お姉ちゃん』がいる」
結局、風見とヨーコが手をつなぎ、さらにヨーコとサリーが手をつなぎ、さらにサリーとランドールが手をつないでその先にロイ。
はないちもんめか、マイムマイムのように数珠つなぎで歩くことにした。
(これなら……これなら……どうにか……許せるレベル……か?)
ため息をつきながらロイはサリーとランドールを観察した。まだ目が赤い。ぽわぽわと火照ったちっちゃな手のひらが、きゅっとにぎってくる。
(本当に……子どもになっちゃったんだなあ……)
ふと不穏な光がロイの瞳に宿った。
(勝てる……今なら、勝てるっ)
びくっとランドールがすくみあがる。にっこり笑ってごまかした。
(ああ、それにしても、コウイチが無事でよかった……)
(もし、コウイチが……ちびっ子にされてしまったら……………ああ、なんてキュートなっ……見たい…)
(はっ!)
(ボクは、ボクは何てことをーっ)
沈黙のうちに百面相を繰り広げるロイに風見が声をかける。
「大丈夫だよ、ロイ。心配するな、俺がついてる!」
「う……うん………ありがとう、コウイチ!」
一方で風見は必死で考えていた。とりあえず手はつないだ。けれど、いつまでもこのままではいられない。
会計のときは財布を取り出すために手を離さなければいけない。いつ、どんなタイミングで迷子になるかわからない。
一応、安全策をとっておこう………でも、どうやって?
レジを目指して歩くうちに、髪飾りやヘアブラシ、ティーンズや子ども用のお手軽なアクセサリーの並ぶコーナーにやってきた。
「あ」
その瞬間、閃いた。シンプルなチェーンタイプのネックレスを2本とってカゴに入れる。
「さ、会計しよっか」
アメリカのスーパーの会計は日本とだいぶ様相が違っている。細く伸びたベルトコンベアーの上に自分でカゴから商品を取り出して一列に並べるのだ。前後の人の買ったものと混ざらないよう、境目には三角柱の仕切りプレートを置く。
がーっとコンベアーに乗って流れてくる商品をレジでチェックして行くと言う訳だ。
ベルトコンベアーの動きはレジでコントロールされ、きわめてゆっくり、時々止まる。だから慌てる必要は無いのだが、動くものを相手にしていると思うと自然と気が急いてくる。
このときビニール袋も一緒にコンベアーに乗せて流して会計する。
……有料なのだ。
何もかも風見にとっては初めての経験で、ちらっ、ちらっとロイの顔を見てしまう。そのたびにロイはにっこり笑ってうなずいてくれた。
(やっぱりロイは頼りになるな。俺よりずっと冷静で、落ち着いてるし。こいつが居てくれて本当に良かった……)
(ああ、コウイチ、なんってキュートなんだ! 君のその表情を見るためならボクは、アメリカ中のスーパーでお買い物してもいいっ)
「はああ、緊張したーっ!」
会計を終えると風見は思いっきりのびをした。店内にはテーブルと椅子の置かれたレストスペースが設けられ、デリで買ったばかりのおかずやサンドイッチを食べられるようになっていた。
お子様3人を椅子にすわらせ、自分たちも座る。
「はい、これコップ」
「わーい、牛さん、牛さんー」
「はい、先生、牛乳」
「ぎゅうにゅうー」
店内は暖房が効いていて十分に温かい。冷たいミルクがかえって乾燥したのどに心地よい。それにカルシウムは心を落ち着けてくれる。
両手でコップを抱えて牛乳をんくんく飲み、クッキーをかじる(約一名、ヒマワリの種)お子様3人を見てほっと一息。
これでサクヤさんのアパートにたどり着くまでどうにかもちこたえてくれるだろう。
さて、ケーブルカーに乗り込む前にもう一仕事。
ネックレスを取り出し、まずはぶらさがっていたプラスチックのハートを取り外した。
「それ、どうするんだい、コウイチ」
「こうするんだ」
風見はジャケットのポケットから勾玉に鈴のついたファスナーチャームを取り出した。
「おお。『夢守りの鈴』勾玉つき、ファスナーチャームバージョン」
「こんなこともあろうかと思って多めに持ってきたんだ」
「さすがダネ」
ナスカンを開いてチェーンにとりつければ勾玉&鈴のペンダント、一丁上がり。
「はい、ヨーコ先生、これつけて」
「えー、ピンクー?」
「……好きな色でしょ?」
「ん……まあ、ね」
微妙な表情をしている。
実はヨーコがピンクを好きになったのは大人になってからで、子どもの頃はむしろ青や緑の方が好きだったのだ。
「こっちのグリーンのはサクヤさんに」
「……よーこちゃんと同じがいい」
「……わかりました、はい、ピンク」
ピンクの勾玉をつけてもらってサリーはごきげんだ。うれしそうに自分のと、ヨーコのを見比べている。
「なんか……こーゆー子ども時代だったんですネ、二人とも」
「過去が見えた気がする」
「さてと、ランドールさんは……やっぱり青かな。十字架のペンダント見せてくれますか?」
「うん」
素直にランドールはコートの中から十字架を引っ張り出した。
「素敵なクロスですね……はい、これ」
鈴のついた青い勾玉をクロスの横にかちゃり、ととりつけた。
鈴と鈴は響き合い、呼び合う。そして、魔女は神聖なものが苦手。これは二重の防護策だった。
「神様同士で喧嘩しないかな……」
「ダイジョウブ、日本のカミサマは心が広いから!」
「そうだな、八百万もいるくらいだし」
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