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羊さんたちの遊卓

【6-13】再び悪夢の中へ

 
 カルヴィン・ランドール・Jrは四角い、細長い建物の中に居た。中はがらんとしていて人の気配はない。
 夢の中に入ったことは間違いなさそうだ。
 身にまとっているのは裏地の赤い黒のマントに白のドレスシャツ、髪は長く舌先に触れる犬歯は鋭く尖っている。だが昨夜と異なり、目を閉じてさえひしひしと感じられるはずの仲間たちの気配はない。
 意識を集中すると遠くかすかに木霊のような波を感じる。彼らも夢に入ってはいる。だが、この場にいるのは……

 自分一人、か。

 しかし、その寂しさを補うかのように、細く伸びた廊下にも、壁にも、天上にも、乱雑かつうすっぺらな装飾が施されていた。
 紙を切り抜いた幽霊、ビニールのコウモリ、発泡スチロールやプラスチックのカボチャ。床にも壁にも天井にも、Gの生じるありとあらゆるところに飾りがぶら下がっている。

 ランドールはわずかに眉をしかめた。ああ、またここに来てしまったのか。ジュニア・ハイのハロウィン。本来なら楽しいイベントだが彼にとっては苦々しい思い出の根付く場所と時間。
 確かに魔女は自分の『心の闇』を狙ってきたのだ。

 不愉快だ。
 こんな所にはあと一秒だって居たくはない。早く抜け出してヨーコたちを探そう。

 無造作に踏み出すと、天上からぶらさがる何かが顔に触れた。
 紙の幽霊か、それともコウモリか?

「う」

 強烈な臭気に思わず顔をそむける。本来なら決して不快なにおいではない。むしろ食欲をそそるはずなのだが、物には限度と言うものがある。
 しかも、こいつはいい具合に腐敗している。それにこの大きさはどうだ。まるでリンゴだ。
 見渡す限り続く廊下には不自然なほど大粒のニンニクを、大量に連ねてリースにしたものがぶらーんと、何本もぶらさがっていた。

 悪趣味な!

 ざらりと払いのけた手のひらに鋭い痛みが走る。

「くっ」

 腐ったニンニクの中に鋭く尖らせたえんぴつが仕込まれていた。えぐられた傷口に、濃い赤がにじみ……滴る。

「ドラキュラは故郷に帰れ」

 単調な声が背後でささやく。とっさにマントを翻して打ち払った。

 いつの間にそこに居たのだろう。顔のないおぼろな影がひしめいていた。手に手に輪にしたロープや杭を振り上げ、異口同音に叫ぶ。抑揚のない機械じみた合成音声のような声で。

「ドラキュラは故郷に帰れ」
「吸血鬼を吊るせ!」

「しつこいぞ……」

 真っ赤な血の滴り落ちた場所から、棘の生えたツルがにょきにょきと、芽生えて伸びて、ランドールの右手にからみついた。だが鋭い棘が彼の手を傷つけることはない。

 びしり!

 茨の鞭を閃かせ、押し寄せる顔のない影を引き裂いた。一撃食らうなり、影どもは降り積もったほこりのようにあっけなく千切れてくたくたと崩れ落ちる。だが、数が尋常ではない。後から、後から押し寄せる。

「ドラキュラはぁああああ故郷にぃいい帰れ」
「吸血鬼を吊るせぇええええ」
「首を撥ねろ」
「首を撥ねろ」
「口にニンニクをつめて」
「首を撥ねろ」

 ひしめく影の向こうにぞろりと、三日月型の刃が踊る。
 いくら切り裂いても、はね飛ばしても一向に数が減らない。とがった杭の先端が顔や腕を引っ掻く。一つ一つの傷は小さいが、確実に数が増えて行く。
 満身創痍、荒く息を吐きながらランドールはだらりと手をたらして立ち尽くした。

「首を撥ねろ」
「首を撥ねろ」
「断頭だ」
「処刑だ」
「打ち首だ」

 ゆらゆらと影の頭上に見え隠れしながら三日月の刃が近づいてくる。
 右手にからみつく鞭が形を変える。ひらべったく、細長く……鋭い切っ先をそなえて。

「吸血鬼を処刑しろ!」

 今だ。
 振り向き様、右手を繰り出す。手にした十字架が深々と赤い衣に包まれた痩せた胸に食い込む。
 握りしめる手のひらが焼け付き、白い煙が上がる。

 一度は乗り越えたはずの悪夢。だが、あの時は彼女が一緒だった。己の負うた心の闇は、やはり最終的には自分一人で打ち破らねばならないのだ……。

 意志の力で痛みをねじふせ、一気に貫き通した。

「さて……どんな気分かな。吸血鬼に十字架で串刺しにされると言うのは?」
「げぇええっ」

 山羊角の魔女はごぼっと喉を鳴らし、口から大量にどす黒い霧を吐き出しながら乾涸びて行く。縮んで行く。

「この傷はもう、乗り越えた」

 十字架から手を離す。かさかさに乾ききって軽く、うすっぺらになった魔女の体が崩れ落ちる。身につけていた赤い衣もすっかり色あせて灰色にわずかに赤みが混じる程度。それすらも刻一刻と失われて行く。
 ばさり、とマントを翻した。鮮やかに裏地の赤がひらめき、幻の校舎も、ハロウィンの飾り付けも、ニンニクのリースも何もかも全て消え失せる。
 立っているのはランドールただ一人。

 そっと手を伸ばして触れる。長く伸びた黒髪を束ねる赤いリボンに。

「痛っ」

 高ぶりが引いてきたせいか……十字架で焼けた右の手のひらがずくん、とうずく。
 だが、些細なことだ。

 そして、彼は歩き出す。悠然とマントを翻し、優雅な足取りで……振り向かずに前へと。
 
 
 ※ ※ ※
 
 
 サリーこと結城朔也は暗い部屋に居た。窓と言う窓が真っ黒に塗りつぶされている。
 手足の指先から凍てつく冷気が忍び寄る。

(寒い……)

 襟元をかきあわせて気づく。身につけたものが変わっていた。白い小袖に緋色の袴。また、無意識のうちに巫女装束をまとってしまったらしい。

「うぅ……」

 だれかが呻いている。はっと顔を向けると、部屋の中央に鉄の寝台があった。

 背の高い男がうつぶせに張りつけにされている。手首に、足首に鉄の輪が食い込み、彼の手足をベッドの支柱にがっちりとくくり着けていた。
 闇の中、むき出しの背中が白く浮かぶ。がっしりした骨格の上を包む均整のとれた引き締まった筋肉、滑らかな肌。しかし、そこには一面に深々と無数の細長い針が突き立てられていた。
 まるで展翅版に留められた蝶の標本だ。
 闇が凝縮したような真っ黒な男がのしかかり、赤い髪の毛をまさぐっていた。執拗になでまわし、しゃぶり、顔をすり寄せる。合間に自らの胸に手を入れ、ぞろりと針を引き抜き、獲物の背に突き立てる。

「よ……せ……フレディ……」
「ずうっとお前をこうしてやりたかったんだよ……」
「や……め……ろ……」
 
 新たな針が皮膚に突き刺さり、貫かれるたびに歯を食いしばり血の涙を流す。
 傷口から吹き出す血が背中に広がり、不吉な翼の模様を描き出す。

 あれは、ディフ?
 
 手足の自由を奪われたまま、なす術もなく影の男に苛まれるその姿は普段の快活で堂々とした彼からは想像もつかない。けれど………確かにディフだ。

 影の男はにたり、と白い歯を見せてせせら笑い、己の体の中からさらに鋭く、さらに長い針を引き出した。
 先端から緑色の粘液が滴り落ち、組み敷かれた虜の肌を焼く。
 食いしばった歯の間からくぐもった悲鳴が漏れる。影の男は手にした針をこれ見よがしに振りかざした。

「やめろ!」

 一歩踏み出した瞬間、背後からやせ細った腕にがっちりと羽交い締めにされる。むわっと濃密な獣の息がにおい、耳元で聞き覚えのある女の声がささやいた。

「優しいねえサリー。その優しさが命取りだよ」
「ぐっ」

 間近に見下ろす魔女の顔は、半ば焼けこげて一層、凄惨さを増していた。横に割れ裂けた金色の瞳がほくそ笑む。
 にゅるり……どす黒い肉厚の舌が魔女の口から吐き出され、首筋を這いずる。骨張った指が装束の内側に潜り込み、胸元をまさぐり太ももをなであげる。
 ぞわりと肌に粟粒が浮いた。

「ああ、きれいだねえ。いい肌をしてるね。すべすべしてる……いっそひん剥いてもらい受けようか。あたしの焼けこげた肌の代わりに」
「やめろ……その手を……離せっ」

 ぐいっと乱暴に襟元をはだけられる。乱れた白衣の合間から胸が鎖骨のあたりまで露になり、冷気にさらされる。

「助けを呼んでも無駄だよ。お前の大好きな『よーこちゃん』も、今頃は……」

 乱杭歯をむき出しにして魔女があざ笑った。

(嘘だ)
 
 きりっと唇を噛む。
 羊子さんに何かあれば真っ先に自分がわかる。夢の中にいればなおさらに。仕掛けられる悪意までは感知することができないけれど……少なくとも今、この瞬間は羊子さんは無事だ。

 目の前ではディフが凍り付いたように動きを止められていた。ヘーゼルブラウンの瞳を恐怖に見開いて……最悪の瞬間のまま固定されている。
 
 ディフは心根のまっすぐな人だ。だれに対しても誠実で、見ず知らずの他人の子にさえ母親にも似た無償の愛を惜しみなく注ぐ。
 それ故、夢魔の嗜虐心をそそったのだろう。オティアを介して彼の心の闇に付け込み、浸食し、あまつさえ自分を誘い込むための囮に仕立て上げたのか。
 ひしひしと冷たい怒りがわき起こり、サクヤの中を満たして行く。

 許さない。

 右手の中に赤い組紐で綴られた金色の鈴が出現する。
 緑、黄色、朱色、青、白。五色のリボンとともに大小の『夢守りの鈴』をブドウの房のように綴ったそれは、羊子のものに比べるとほっそりした作りで、持ち運ぶ際にかさばらないように工夫されていた。
 それこそ上着のポケットにもしのばせたり、大きめのストラップと言っても通じそうなくらいに。

 シャリン。
 
 鈴の音に魔女がびくん、とすくみあがる。人を絶望のどん底に封じ込めておきながら自身は苦手なもの、恐いものにひどく敏感で苦痛にも弱い。
 だからこそ敵を呪いで弱い姿に変えていたぶるのだろう。

「玉の御統(みすまる)、御統に……」
「何をぶつぶつ言ってるんだいっ」

 ぱちっ、ぱちっと空中に青白い稲妻が走る。

「あな玉や、みたま、二谷渡らす」
「ええい、おやめっ! その歌をおやめっ」

 きりきりと胸板に爪が突き立てられる。だが、やめるものか。
 ひるまず一段と強く鈴を打ち振り、ひといきに雷神の御名を呼ばわった。

「阿遅志貫高日子根の神ぞ」

 どん!

 轟雷とどろき、はるか天空の高みより、青白く輝くの光の御柱降り来たる。禍々しい闇を切り裂き、真っ向から魔女を打ち据えた。
 ぱりっと微弱な電気がサクヤの体を駆け抜け、髪の毛を。巫女装束の裾を舞い上がらせる。
 だが、それは彼にとって慣れ親しんだ感触で、多少くすぐったくはあるものの不快だとも痛いとも感じない。

 もだえ苦しみながら光の柱の中で魔女が焼かれて行く。手が、足が、顔が乾涸び肉が溶け、皮が張り付く。角と骨だけになってもまだ魔女は叫んでいた。
 サクヤは無造作に右手を振るって鈴を打ち鳴らす。

 シャリン!

 澄んだ音色とともに魔女の体は形を失い、灰色の芥と成り果てぼろりと崩れ落ちた。欠片も残さず散り失せて、同時に鉄の寝台も消えた。

「ふぅ」

 小さく息を吐くとサリーは乱れた装束を整え、うずくまる友人の傍らに歩み寄った。

「……ディフ。こんな所にいちゃだめです」
「……あ……サリー……」

 むき出しの肩にやわらかな毛布をかけた。

「これは、夢です。ただの夢。目覚めたら全て忘れてしまう」
「そう……か……夢なのか………」
「はい」

 ほほ笑みかける。恐怖と苦痛のあまり虚ろになっていたディフの顔に、ようやく安堵の表情が浮かんだ。

「さあ、行って。レオンさんが待ってますよ」
「うん………」

 背中を苛む針は消え失せ、代わりに柔らかな金色の翼が広がる。背後から彼の体を包み込むように。
 
「レオン………」

 愛おしげにつぶやくうちにディフの体は徐々に薄れ、光の中に消えて行った。

 良かった。もう、大丈夫だ。

 不意に目の前の空間が揺らぎ、黒いマントをまとった背の高い男が現れた。思わず身構えるが、ネイビーブルーの瞳を見て安堵する。

「サリー! ここに居たのか」
「ランドールさん」
「ヨーコは? 一緒じゃなかったのか?」
「あ……羊子さん!」

 ターン……と遠くで銃声が響いた。2人ははっと顔を見合わせ、走り出した。

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