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羊さんたちの遊卓

【6-1】サッドモーニング

 
 白々と夜が明けて行く。明け方の寒さはあまりに厳しく、子どもたちがガタガタ震えている………そう、子どもたちだ。ついさっきまでは『大人』だった3人。
 地面に赤いケープが落ちていた。

「先生、これ……」
「あ、ありがと」

 拾い上げてヨーコの肩に被せる。さっきは上半身を覆うだけだったケープが、今は膝のすぐ上まですっぽりと包む。
 がつん、とこめかみを殴られたような気がしたが寒さがやわらぎ、ヨーコはほっとしているようだ。
 それでもまだ油断はできない。体が小さくなった分、熱が奪われる速度も早くなっているはずだ。

「ロイ」

 風見は親友の手をひっぱってぐいっと引き寄せた。

「えっ、コウイチ?」
「あっためあおう」

 きりりと引き締まった顔が間近に迫る。寒さのせいか頬が赤く、黒い瞳は真剣そのもの。ロイはぽーっとなってうなずいた。

「コウイチが……そう言うのなら」
「……よし」

 風見はヨーコとサリー、ランドールを手招きした。小さな子どもになった3人が素直に近づいて来る。
 
「ロイ」
「あ、う、うん」

 そうして子どもたちを間に入れて、風見はしっかりとロイと抱き合った。

「ほら、先生。こうするとあったかいでしょ?」
「うん……あったかい。ありがと、風見」
「どういたしまして……」

 抱擁と言うよりむしろおしくらまんじゅう。ロマンチックにはほど遠い。

(こっ、こう言うことかーっ)

 舞い上がった天国から一瞬にして現実に叩き込まれつつロイは油断なく体をさばき、巧みに風見がランドールとサリーに接触しないように角度を調整した。

(ヨーコ先生とならギリで許せる。でも、サクヤさんとランドールさんは絶対にダメ!)

 吐く息が白い。
 次第に公園の中が明るくなって行く。街路樹の向こうにぼんやりと浮かぶクリスマスのイルミネーションが、次第にぼんやりかすんで色あせる。街頭もじきに消えるだろう。

「ホテルに……もどった方がいいのかな……」

 ぽつりとヨーコが言った。

「それは、まずいデス。未成年ばっかりで動いていたら」
「そっか……ホテルの人に変に思われちゃうね」
「下手したら警察に通報されちゃいます。迷子だって」
「家出と疑われる可能性モ」
 
 ひょこっとサリーが顔をあげた。
 
「大丈夫だよ、警察の人には知り合いがいるから」
「その人が知ってるのは、大人のサクヤさんでしょ?」
「あ……」

 表情を曇らせてうつむいた。
 いきなり、できることが減って、できないことがどっと増えた。

 ぴったり身を寄せ合いながら風見は3人の服装を確認した。

 ランドールさんの着ていた紳士物のスーツと革靴は、今や濃い茶色の膝丈のツイードパンツに茶色のショートブーツ、白いハイソックスに置き換わっている。紺色のピーコートの下に白いシャツ、赤いベルベットのリボンタイ。ズボン、靴、コートにシャツ、そしてネクタイ……身につけていた服がことごとく子ども服に変わっている。

 ヨーコ先生もそうだった。白い小袖は白いタートルネックのセーターに。緋色の袴は水色のベルベットのジャンパースカートに。ただし、ダイブの前に脱いだケープは大人サイズのまま残った。
 サクヤさんに至っては白いとっくりのセーターに茶色のチェックのズボン、カフェオレ色のダッフルコート……これ、サイズが違うだけでそのまんま昼間着ていた服じゃないか。

 まさか。

 一抹の不安が胸を噛む。
 身につけていたものも今は失われてしまったんだろうか? 財布も、携帯も……武器も。

「どうした、風見」

 小さな指先が頬に触れる。先生がいっしょうけんめい伸び上がってなでようとしていた。
 自分が落ち込んだり、不安になっているとき、いつも手をのばしてくしゃっと髪をなでてくれた。『よしてくださいよー子どもじゃないんですから』笑いながらされるがままになってるうちに、ああ、何とかなるかもしれないって。
 自然とそんな風に前向きな気分になることができた。

 けれど、今は……。

「先生」
「うん?」

 小さい小さいと思ってたけど、やっぱりヨーコ先生って大人の人だったんだな……。
 こんなにちっちゃくなっちゃうなんて。
 きゅうっと胸の奥が締め付けられる。

「持ち物、確認しましょう」
「そうだな」

 こくっとうなずき、ポケットの中をごそごそと探っている。

「………ハンカチとティッシュと、ばんそーこ」
「俺も、同じ」

 しかもサリーとヨーコのハンカチは色ちがいのおそろいだった。

「ランドールさんは?」
「……ハンカチと………25セント」

 進歩があったと言うべきか。

「何で、25セント」
「何かあったらこれでお家に電話しなさいって、ママが」
「しっかりしたお母さまデス」
「でもさすがに今電話するわけに行かないよなぁ……」

 たぶん、この25セントはランドールさんの携帯が変換されたものなんだろう。車のキーも失われてしまった。

「あと……これは元々身に付けていたものが、残った」

 するりとランドールはシャツの胸元からキラキラ光るものを取り出した。
 チリン……。
 鎖の先で少し変わった形の十字架と銀色の鈴がゆれている。風見とロイはほぼ同時に指差していた。

「それだ!」
「ママがくれたんだ。いつも身につけてるようにって」

(ああ。ランドールさん、また、ママって言ってる。いつもは母って言うのに)

 たぶん無意識のうちに子どもの頃の言い方に戻ってしまっているのだろう。
 ごそごそとコートのポケットをまさぐっていたサリーがぱっと顔を輝かせた。

「あ、携帯あった!」
「……本当ですかっ!」
「ほら!」

 高々と掲げるサリーの携帯には赤い組紐のストラップがついている。先端の金色の鈴がちりん、と鳴った。

「あ、その鈴……」
「アパートのカギも!」

 こっちのキーホルダーには緑の組紐の鈴がついていた。 

「やっぱり、お守りつけてたから無事だったんだ!」
「ランドールさんの十字架と同じだネ!」

「先生は? 何かお守りの鈴つけたもの持ってませんか?」
「ない。でも……」

 きょろきょろと周囲を見回していたヨーコがひょい、と灌木の枝を指差した。

「あれ、とってきて、ロイ」

 そこには回転木馬の模様をプリントした紺色のバッグがかかっていた。

「ああっ!」
「そうか、女の人はバッグに入れて持ち歩くから!」

 ヨーコの持ち物は無事だった。財布も。携帯も。パスポートも。彼女の倒れていた灌木の茂みから神楽鈴も見つかった。

「やっぱり神聖な品物には呪いの力が及ばないんだ……」

 少なくとも魔女の呪いは全てを奪った訳ではない。少しずつ風見の心に希望の火が戻ってきた。まだほんの小さなものだったけれど。

「よし。今のうちにどこか落ち着ける場所に移動しよう。寒くなくて、電源の確保できる場所に移動して……日本の蒼太さんたちと連絡をとるんだ」
「そうだネ。魔女は光が苦手だから、昼間は襲ってこナイ!」
「そう言うこと。安心して移動できるってことだ!」

 ロイと風見はにんまり微笑みかわし、ぱしっと互いの手のひらを打ち合わせた。

「それじゃ、俺のアパートに行こう?」
「サクヤさんの?」
「うん。パソコンがあるから、skaypeも使える。アドレスも設定してあるし」
「よし。じゃ、出発だ」

 すっかり明るくなった公園の中を歩き出した。
 子どもになってしまったヨーコの体に、紺色のバッグは大きすぎた。

「先生、俺が持ちます」
「うん……お願い」

 肩にかけようとしたが、自分の腕を通すには少し窮屈だったので手で持つことにする。やっぱり女の人の持ち物って華奢なんだな……。
 それさえも持て余すほど、今の先生は小さい。
 つくん、と胸の奥がうずく。

「コウイチ」

 ぽん、とロイが肩を叩いた。

「心配ないよ、ボクがついてる」
「うん……ありがとな、ロイ」

 くいっと顔を上げると風見は歩き出した。ケーブルカーの駅を目指して。
 けれどいくらも歩かないうちにヨーコの足取りが鈍りはじめる。うつむき加減にへろへろと。サクヤも、ランドールも心無しか元気がない。

「どうしました?」
「……すいた」
「え?」
「おなかすいたぁ」

 世にも情けない声だった。

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