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羊さんたちの遊卓

【サンプル4:うそつきは誰?】


 グレンは立ち尽くしていた。愛剣を手にしたまま、ぼう然と目を見開いて。
 空には月齢十二の丸い月。青白く冴えた光を浴びて、そいつは二本足で立っていた。
 輪郭に限って言えば、その姿は以前対戦した人狼鬼(ウルフマン)に似ていた。元は同じ生き物だったのだから当然だ。だが赤く燃える瞳は半ば白く濁り、針金のような剛毛は色が生来の灰色が抜け落ち、不吉な銀色の輝きを帯びている。
 その事実が知らしめた。かの者は生ける屍。人狼鬼が屍病を患い変じた不屍の魔物……人狼屍鬼(ワーウルフ)なのだと。
「気を付けろ、グレン! そいつに噛まれたらコトだ!」
 ハーツの言葉が虚ろになった頭の中を通り抜ける。
 意味はわかる。人狼屍鬼に噛まれた者は屍病に冒され、熱と痛みに苦しみもがいた揚げ句三日後に死に、日没とともに起き上がる。新たな人狼屍鬼として……。
(こいつも元は人間だったのだ)
 人狼屍鬼はぶるっと首を揺すってくわえた物を吐き出した。食いちぎられた子牛の首が地面に転がる。
(今は、違う!)
 剣を握り出し、左足を軸に一歩引いて体を捻る。上体を屈めて低く構え、上目に敵をにらみ付けた。じりっと右足に力を込めたその刹那、そいつは墓場の息を吐きながらこちらを見据え、呼びかけて来た。
 がちがちと牙を鳴らし、確かに人の言葉で。
「………ディー………」
 心臓を凍えた手でつかまれた心地がした。
 何故その名で呼ぶのか。
 それしか知らないからだ。
 子供の頃の呼び名を知ってる者は、この村でただ二人だけ。一人はメイガン、そしてもう一人は……。
「まさか、お前っ」
 次の瞬間。
 人狼屍鬼は身を翻し、跳ねた。助走も無しに軽々と家畜小屋の屋根を飛び越え、視界から姿が消える。それでもグレンは動けなかった。
 ひゅんっと空を切って礫が二発飛ぶ。
 ああ、ネイネイとハーツが打ったんだ。ぼんやりと頭の隅っこで考える。投石杖を使ったネイネイの弾の方がハーツに比べて、遠くまで飛ぶ。だがそれでも人狼屍鬼には届かなかった。
 当たった所でどれほどの意味があったかわからないが……。
 屍闇の力を得た人狼屍鬼は、傷を受けてもすぐ再生してしまうのだ。
「くっそ」
 ハーツが舌打ちする。悔しげに歯ぎしりして敵の消えた暗がりをにらんでいた。がすぐに赤毛の相棒に向き直り、耳をひっつかんで怒鳴った。
「何やってんだお前!」
「…………ごめん。体すくんで、動けなかった」
「ああ、それじゃしょうがねぇわな」
 ハーツは肩をすくめたが、スミレ色の瞳が語っていた。
(お前、ビビってなんかいないだろ)
 いたたれず、目をそらす。
 壁の中の狼が誰なのか、わかった。
 知りたくはなかった。
 
     ※

『何故、あそこでためらった』
『お前は何を知っている?』

 問いただせぬまま、言い出せぬまま時間は流れ、朝を迎える。

 大鍋亭の裏庭、雪姫川を見下ろす岸辺の斜面に3人は居た。
 ネイネイは篭いっぱいに盛ったイモの皮を剥き、ハーツとグレンも各々自分の小刀を出して手伝った。
 ありふれた日々の暮らしの風景。こうしていると、何もかも夢だったみたいに思えてくる。
 昨夜の戦いも。半ば人、半ば狼の姿。忌わしい病をもたらす、人狼屍鬼……『壁の中の狼』の存在も。
 だが、現実だ。
「なあ、グレン」
「んー」
 ぽつりとハーツが言った。
「お前さんは、昔っからほんっとに馬鹿正直で、真っ直ぐで。一度親身になった相手からの頼みは、絶対に断らねぇよな」
「どーゆー意味だ」
「一途で誠実だってことさね。でもよぉ、グレン? 人間ってのはな、オウガ程じゃねぇが仮面を被って生きてるもんだ。それこそ、いくつもの仮面を使い分けてな」
 いきなり何を言い出すのか、この親父は。夕べからずっと、言いたいことがあるんだろうとは思っていた。に、したって。
(イモの皮むきながらする話か?)
「何が言いたい」
 心当たりは、あった。故に自ずと声は低く、表情は険しくなる。だが、ヒゲの薬草師は相変わらず、のほほんとした口調で言葉を続ける。
「お前さんのそう言う所につけ込んで、利用する奴も居るってことさね」
「胸っくそ悪ぃ。考えたくもない」
「俺だって、『物分かりのいい優しいおいちゃん』の仮面を被ってるだけかも知んねえよ?」
 笑ってやがる。咽の奥でクツクツと声を立てて。
 グレンは顔を真っ赤にしてハーツをにらんだ。剥きかけのイモを鍋の底にたたきつけ、立ち上がる。
「あ、どこ行くのグレン!」
「……それでも。それでも、俺は……っ!」
 吐き出すように言い捨て、大股で歩み去る。だがハーツは見逃さなかった。グレンの怒りの形相にほんの少し、泣きそうな表情が混じっていたのを。
 ネイネイは耳を伏せた。さくさくイモを剥きながら、ハーツの方をちらとも見ずに、さらりと言った。
「おじさん、今、嘘言ったでしょ?」
「……………………バレた?」
 ネイネイは答えず、ぴこっと片方の耳をはね上げた。

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