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羊さんたちの遊卓

【9-6】Love的な意味で

 
 夜。部屋の灯が消えてからも、風見光一はなかなか寝つかれなかった。
 何度寝返りを打っても逆に目が冴え、記憶の底に沈んでいたあれやこれやが、この時とばかりにぽこり、ぽこりと浮かび上がる。
 とうとう彼は眠ることをあきらめ、そっと隣に声をかけた。

「………ロイ、起きてるか?」
「え、あ、ウン」

 よかった。

「ちょっと質問してもいいかな。黙ってると、どんどん変な方向に考えが走りそうで、落ち着かなくてさ」
「いいよ」
「ありがとう」

 とは言え、自分の中の思考が未だに一つに固まってくれない。
 聞いてくれ、と言い出しておきながらいたずらに時間ばかりが過ぎて行く。
 えーっと……
 こまったな……

 ……いいや、もうこうなったらストレートに直球で行こう。

「人を好きになったこと、あるか? その、LikeじゃなくてLove的な意味で」
「………………あるよ」
「そっか」

 あるんだ。やっぱりアメリカって進んでるのかな。
 だったら、これから自分が投げかける、もやっとした疑問にも、ロイは答えてくれるかもしれない。少なくとも、自分よりはクリアな視点で見通してくれるはずだ。
 今、この場で答えは出なくても……一緒に考えてくれれば、それでいい。
 それだけでいい。

「ロイ。これから言うことは誰にも内緒だぞ。男と男の約束だぞ。いいな?」
「うん。誰にも言わない、約束する」
「俺、見ちゃったんだ」
「何を?」
「ランドールさんと先生が、一緒に寝てるのを」

 ロイはひと言もしゃべらなかった。ただガバッと起き上がっただけだった。

「ごめん、びっくりさせて」
「いつ?」
「12月24日の、朝」
「魔女と戦った次の日ってことだネ」
「うん。二人とも、すごく穏やかな顔してて、幸せそうだった。だから何も言わないで部屋、出てきたんだ。それが一番、いいことだと思ったから」
「………ウン、そうだね」

 ぱふっと布団に横になる気配がした。

「だけどあの時と、クリスマスパーティーの時とでは、何か、ちがってたんだ。キスしてるのとベッドに一緒に寝てるのとでは、どう考えたってベッドで寝てる時の方がすごい事してるはずなのに!」
 
 夜の暗さに惑わされたか。あるいはずっと腹の中にためておいた物が一気にあふれ出したせいなのか。
 言ってることが全然、まとまらない。何を言おうとしているのか、自分でもわからない。

「コウイチ、大丈夫だよ。ちゃんと聞いてるから」
「あ……うん、ありがとう……」

 深く息を吸って、また吐き出す。ロイの穏やかな声を聞いて、混乱していた頭の中が、ちょっぴり落ち着いた。

「何なんだろう。どうしてなんだろう。アメリカではキスなんて挨拶だし。実際、レオンさんとマクラウドさんも、人の目を気にせず自然にしてたし」

 ふっと記憶があの夜に巻き戻る。ほわっと頬と胸の内側に穏やかな熱がこもる。

「あれは………その……恥ずかしいだけじゃなくて、なんか、見ていてこっちもしあわせな気分になった」
「夫婦だからだよ」
「あー……そうだよな、うん。そうだ」
「どんな時も、寄り添って支え合ってるからだよ」
「そう……だよな………でも、先生とランドールさんのキスはちがうって思ったんだ」

 くっと拳を握る。布団の下で、そっと。

「あの時、先生がちょっとでも嫌がってたら俺………俺………」

『いけないよ、もうおいとましないと』
『………おやすみのキスしてくれたら、帰ってもいいけど?」
『どこにしてほしい?』

 最初は、目をぎゅっとつぶっていた。けれど、次第に呼吸が荒くなり、うっすらとまぶたを上げた。ふさふさと豊かなまつ毛の下でちらりと、潤んだ瞳が光っていた。
 見てはいけないものを見ていると思った。けれど目がそらせず、最後まで見届けてしまった。
 先生の顔が。頬が。首筋が桜色に染まり、離れた唇からかすかに、湿った息がこぼれ落ちるその瞬間まで。

「………あの人を殴ってたかも知れない」

 再び沈黙が訪れる。だけど今度は、さっきより早く言葉を思い出すことができた。

「自分の大切な人を泣かせるようなことをしたら。相手が誰だって。たとえ神様でも、俺は、そうする」

 握った指に無意識のうちに力が入っていた。

「もちろん、おまえもだ、ロイ」
「え」
「おまえを助けるためなら、地球の裏側にだって飛んでくよ」
「あ……うん……」

 続く言葉はよどみなく、きっぱりと流れた。

「ボクもだ。コウイチのためなら、どんな相手にも負けない」

 どちらからともなく二人は手を伸ばし、しっかりと握りあった。

「先生、泣いてた。だけど……それは、あんな風にキスされたのが嫌だったからじゃない。ランドールさんのことを、嫌いだからじゃない」
「それ、外れてないと思う」
「そうか!」
「……うん。ボクもそう感じた」

 即答ではなかった。だがそれ故に分かる。これは、ロイの感じた本当のこと。自分を安心させるために言っているのではない。
 あれほど頭の中で暴れていた『もやっとした渦巻き』がすうっと収まり、一つになる。
 
 要するに、好きってことなんだ。

「笑っていられるだけじゃ、ないんだな」
「え?」
「いや、こっちのこと」

 だれかを好きになるってことは、笑って、一緒にいられて、ちょっぴりどきどきして、楽しいことなんだと思ってた。
 明確にではなく、ぼんやりと。
 Loveと言う言葉の表す感情は、自分にとってはちょうどそれぐらいの距離だったからだ。

 だけど。
 今は。

「ごめんな、変なこと聞いて。でも、おかげですっきりした」
「ソウカ……ボクも安心したよ」
「おやすみ、ロイ」
「オヤスミ、コウイチ」

 布団をかぶり直してまぶたを閉じる。

 自分にも、あるんだろうか。できるのだろうか。

(犬見て祝詞まちがえちゃうくらいに、だれかを好きになるってことが……)
 
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