▼ 【9-1】夢守りの神社
長い長い石段を上った先の、こんもり茂った緑の森の懐奥深く、その神社は在った。
ひっそりと。
森の空気に溶け込むようにして、ひっそりと。
土地の神、龍の神、そして雷の神を御祭神にいただくその社は『夢守り神社』と呼ばれ、悪夢を祓い、すこやかな眠りをもたらすとして古くから近在の人々に厚く信奉されている。
普段は記憶の底に埋もれていても、必要とされる時には何故かふっと心に思い浮かぶ。
その名を代々の祭祀の一族にちなみ、結城神社と云う。
(ぱしゃり)
静まり返った境内に水音が響く。
神社の奥の院にしつらえられた石組みの浴槽には、澄んだ水がなみなみと満たされている。
無論、湯ではない。
水だ。
森の木々と、降り積もる落ち葉に育まれた柔らかな土の奥からわき出す泉の水。土の温もりを含むが故にわずかに外気温より高く、夜の空気に触れるそばからうっすらと、綿を刷いた様な白いもやが立ち上る。
湯殿を照らすのは下弦の月と星明かりのみ。遮る壁も、屋根さえもなく水の面に映りゆらめく。
……いや、それだけではない。木立の合間をふわふわと、蛍のような光が飛び回っている。
そのわずかな灯の中、折しもほの白い裸身が二つ、水を浴びていた。
「そろそろ上がろうか」
「そうだね」
一人が勢い良く立ち上がり、次いでもう一人がそ、と水から上がった。
なめらかな肌身を水滴が伝い落ち、二人の足下に小さな水たまりを作る。
水気をぬぐい去り、素肌の上に白い肌襦袢を羽織る。さらにその上から白衣(はくえ)をまとい、きりっと紐でしめて赤い袴を履く。
仕上げにつややかな黒髪を櫛で梳き、きちんと紐で結いまとめる。
ちりん。
紐の先端で小さな金色の鈴がゆれた。
「行こう、サクヤちゃん」
「うん、よーこちゃん」
本殿に向かう二人の間をほわほわと蛍に似た光が舞い、足下を照らす。
幼い頃より通い慣れた道筋だ。夜でも迷うことはない。
※ ※ ※
【12月31日】
「ふーっ、なんか、いつもと雰囲気違うなあ」
「厳かだネ」
石段を上りきると、風見光一はあらためて周囲を見回した。
12月31日、時刻は21時を少しまわった所。境内はすでにくまなく掃き清められ、真新しいしめ縄、しめ飾り、青々とした門松が飾られている。
「あと数時間で、参拝客でいっぱいになるんだな。参道も、本殿前も、札所も」
「日本の初詣で、体験するのは初めてだからワクワクだよ!」
話すたびに吐く息が白い。
「行こうか。先生たちが待ってる」
宮司一家の住居と宿坊を兼ねた社務所には、既に神社の人々が装束をまとい、集まっていた。
羊子の父であり、現在の宮司である結城羊治は紫色の袴。三上蓮は浅葱の袴。
そして羊子とサクヤ、二人の母はそろって緋色の袴の巫女装束。
「お、来たな風見、ロイ」
「こんばんわ」
「明けましてオメデトウございます」
「まだ早いって」
「つ、ついっ!」
「テンション高いなー、ロイ」
ロイはぽっと頬を染めた。
「はいっ! お正月は、日本のココロですから!」
「あれ、サクヤさん髪の毛が長い?」
「ああ、これね。かもじを付けてるんだ」
「カモジ?」
「エクステンション(つけ毛)だよ」
「なるほど」
そろって巫女装束をまとい、髪形も同じになった二人はそれこそ双子と言っても通じそうだ。つい、しみじみと見てしまう。
「あれ、そう言えば蒼太さんは?」
「常念寺に手伝いに行ってるよ」
「ああ、除夜の鐘か」
むしろそっちが本職。
一通り挨拶をすませたところで羊治が立ち上がった。
「それでは、担当部署の分担を説明しよう。風見くんとロイくんは札所を」
「はい」
「御意」
「サクヤくんと羊子は私の補佐で本殿に」
「はい」
「了解」
「三上くんは迷子預かり所を頼む。大変な仕事だが、氏子さんたちがボランティアで手伝ってくれるから心配ない」
「わかりました」
神妙にうなずいてから、三上蓮はひょいと片手を上げた。
「宮司さん、一つ質問が」
「何だね?」
「熟練者二人をペアにするよりも、それぞれを風見くん、ロイくんとペアにした方が効率がよいのではありませんか?」
(NOOOOOOO!)
その瞬間、ロイは心の中で全力で叫んでいた。
(せっかくコウイチとペアになったのに! 二人っきりの時間が!)
応対すべき参拝客の存在はノーカウントらしい。
「それはちがうわ、三上さん!」
ひょい、ひょい。
瓜二つの女性がそれぞれ三上の右と左に顔を出す。羊子の母、藤枝とサクヤの母、桜子だ。こちらは本物の一卵性双生児。どちらも小柄で頬はつやつや、童顔で。それぞれ息子、娘と並んでも姉妹と言って通じそうだ。
「と、申しますと?」
「サクヤちゃんとよーこちゃんはね……」
「一緒に組ませた方が集客率が高いのよ」
「御祈願の申し込みもぐっと増えるしね!」
「もちろん、札所に入る時も一緒よ」
「お守りの売り上げも跳ね上がるしねっ!」
「……なるほど、商魂たくまし………いや、適切な判断です」
高い澄んだ声でさえずる二人の母を見て風見は秘かに納得していた。
(やっぱり……ヨーコ先生のお母さんだよなあ……)
「それじゃ、支度してきますね」
「おう、よかったらこれも使っとけ」
「カイロですか……」
「冷えるよ、袴は。稽古の時とちがって動かないしね」
「あ、確かに」
社務所の奥で着替え、袴を履こうとしてふと風見光一は手を止めた。
「……赤」
然り。何故か準備されていたのは緋色の袴だった。
(まちがえたんだろうか。それともわざとだろうか。あ、でもサクヤさんも赤い袴履いてたし。こう言うものなんだろうか)
(お正月特別バージョン……とか?)
赤い袴を手に真剣に考え込んでいると、ほとほととふすまを叩く気配がする。
「風見くん、風見くん」
「あ、三上さん」
「宮司さんから預かってきました。はい、これ」
渡されたのは浅葱色の袴。ほっとして身に付けた。
が。
「おい、ロイ、それっ」
「No problem!」
やがて。
「お待たせしまシタ!」
支度を終え出てきた高校生二人を見るなり、一部の人々は「え」と言う表情で凍りついた。
風見はいい。白衣に浅葱色の袴、一般的な神官の服装。これは、まったく問題ない。約二名ほど残念そうな人がいたけど気にしない。
遠慮がちに羊治が口を開く。できれば見なかったことにしてスルーしたい。だがこの場の責任者は己なのだ。やはり、自分が確認しなければ。
「ロイくん……その格好は……」
白衣に緋色の袴、さらりと揺れる金髪のロングヘア。さすがニンジャ、変装は完ぺきだ。
(浅葱の袴をちゃんと二着渡したはずなのに、何故!)
「巫女さんデス」
「それは分かる。でも、何で?」
「日本のお正月と言えば巫女さんデスから!」
「そ、そうか……」
胸を張って答えるロイに対し、それ以上言う言葉はなかった。
「どこで覚えたのかな……」
サクヤはそ、と額に手を当てた。
一方、W母さんsは金髪巫女さんを右から左からまじまじと観察し、それからおもむろに顔を見合わせ、うなずいた。
「採用」
「えー」
「有りなんだ……」
「やはり商こ……いえなんでもありません」
「ロイ……お、おまえ……」
ここに至って羊子がようやく口を開く。何のことはない、今の今まで顔面蒼白で口をぱくぱくさせていたのだ。
食い入るように、ある一点を凝視して。
「その胸はパットか! 何枚入れた!」
「イイエ、この胸は自前の胸筋デス!」
「何だってーっ!」
ガゴォン! その瞬間、羊子の頭上に見えない金だらいが落下した。
「ちょっと鍛えればすぐにこれぐらいハ」
「マジかっ」
余韻もさめやらぬうちに金だらい第二弾、直撃。
「WWE見ればわかりマス」
「くっ……」
よろっと後じさると、羊子はきいっと袖をかみしめた。目の縁にはうっすら涙が浮かんでいる。
「ちくしょお、アメリカンめ……」
やにわにガバッとロイに後ろから組み付き、ふっくらした胸乳……いや、胸筋をむぎゅっとわしづかみ。
「もんでやる、この、この、このーっ」
「あーれー、何をなさいますご無体ナーっ!」
ユーカリにしがみつくコアラのように背後からぶら下がり、手をわきわきさせる先生を無下に振り払うには、ロイはあまりに礼儀正しすぎた。
「なりませぬ、なりませぬぅー」
妙に愛らしい悲鳴をあげてじたばたするばかり。
「……三上さん、あれ止めなくっていいんですか」
「あの構図なら面白いだけですから放っておきましょう。逆ならさすがに止めますけどね」
「外の参拝客の皆さんには見せられないですけどね………」
笑顔で見守りつつ、三上は冷静かつ無慈悲に状況を分析していた。
(ま、逆はロイくんの立場的にも性格的にも無理だろうし、おまけに……)
ちらりと羊子の胸元に視線を走らせる。
(……いやこれ以上はやめておこう。彼女の勘を甘く見てはいけない)
触らぬ神に祟り無し。無い袖は揉めない、いや、振れない。
「不公平だ……どいつもこいつも、男なのに巨乳だなんてっ!」
「骨格が違うんだよ、よーこちゃん」
「一体何に使うってゆーのよ、ええっ」
「いや、それ、普通に筋肉だから」
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