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羊さんたちの遊卓

【7-3】約束

 
 参道脇の砂利を敷き詰めた駐車場に車を止めると、三上蓮は大げさにため息をついた。

「それにしても。あなたって人は、つくづく罪な女性だ」
「え?」

 羊子は目をぱちくり。鳩が豆鉄砲をくらったような表情で首をかしげている。

「私にプロポーズしたこと、すっかり忘れちゃったんですね?」
「え? プロポーズ?」
「はい。あなたはまだ小学校四年生で、私が中一の時に」
「え、え、それって、まさか、わ、私が、三上さんに?」
「はい。そのまさかです」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 それはクリスマスを間近に控えた日。
 三上蓮は身寄りがなく、さる教会の営む施設で育てられていた。
 そして、その教会の神父は羊子の父、羊治と古くからの知己だったのだ。

「羊子。お父さんは、神父さまとお話があるから、しばらくここで待っていなさい」
「うん」

 そこは何もかも神社とは違っていた。

 交差したアーチのつくるドーム型の天井。
 祭壇へと伸びる通路の両脇には堅い木の椅子が壁のように並び、壇上では聖歌隊が合唱の練習をしている。男の子、女の子、年齢はばらばら。先生の弾くオルガンに合わせて、一生懸命歌ってる。

 奥の壁の、一段と高くなった場所には丸い窓が開いていた。
 パズルのように組み合わされた色とりどりのガラスを通り抜け、まぶしい冬の日差しが降り注ぐ。

 しばらくの間、羊子はちょこん、と椅子に座って歌を聞いていた。
 
 お父さんはまだ戻らない。
 歌はどこかで聞いたような曲ばかりで、親しみがある。だけど、じっとしてるのはつまらない。
 きょろきょろと見回しているうちに、上へ続く階段を見つけた。目を輝かせて狭い階段を上る。

 ついた先は屋根裏部屋だった。

「うわー」

 梁のむき出しになった部屋には、使わなくなった古い道具や本、そしてほこりっぽい空気と静寂が詰まっていた。
 窓から差し込む陽の光が、ほのかな影の中にすっぱりと斜めに切り込んでいる。

「あれ?」

 かさり、とつま先に紙の感触。見下ろすと床の上に楽譜が落ちていた。表紙にローマ字で名前が書いてある。

「R、E、N……れん?」
「呼んだ?」

 そこには先客がいた。糸のように細い目をした、ひょろりとした背の高い男の子が一人。
 木登りでもするように窓際の梁に腰かけ、ぼんやりと外を見下ろしていた。

「やっほー」

 ひょい、と手をあげて、とことこと近づく。

「君、だれ?」
「よーこ。この楽譜、あなたの?」
「ああ、どうも」

 男の子は気だるそうに楽譜を受け取ると、筒状に丸めてぐい、と無造作にポケットに突っ込んだ。学生服のポケットが不自然に膨れ上がるが、一向に気にする様子はない。

『牧人、ひつじを 守れるその宵』

 階下からかすかに、聖歌隊の歌うクリスマスキャロルが聞こえてくる。

「なにしてるの?」
「隠れてるんだ」
「かくれんぼ?」
「いや」

 男の子(どう見ても羊子よりは年上だったが)はさらりと答えた。悪いとも後ろめたいとも思っていないらしい。

「合唱の練習、さぼってる」
「いけないんだー」
「別に、好きでやってる訳じゃないし?」
「うた、にがて?」
「いや。ただ、他に選択肢がないって言うか……」

 レンは内心苦笑した。
 年端も行かない子どもに、いったい何を真面目に答えているのか。

「僕は、ここに住んでるからね。必然的に参加が義務づけられてるんだ。それが、面白くない」
「………………住んでる? ここに?」
「ああ、もちろん屋根裏って意味じゃない。教会に住んでるんだ」

 腕組みして、真剣に考え込んでる。
 この子は知っているのだろうか。『ここに住んでいる』、その言葉の意味を。

「大したことじゃない。僕には家族がいないから、ね」
「……………」
「それだけだ」

 透き通った瞳が眼鏡の奥で、ぱちっとまばたきする。
 
「そう。レンには、おとうさんも、おかあさんも、いないのね」

 参ったな……。
 物心ついてから、何百回と認識してきた事実だけれど、改めて他人に。しかも、小さな女の子に言われると……
 案外、こたえる。
 うつむいたその時。

 ぽふっとやわらかい、弾力のあるものに包まれていた。小さな腕、小さな胸に。

「え?」
「決めた。わたし、レンと結婚する」
「ええっ?」

 小さなよーこが伸び上がって、自分を抱きしめていた。腕を精一杯のばして、レンの頭を胸元にかかえこむようにして。

「結婚して……レンの家族になってあげる」
「あ……」
「そうすれば、もうさみしくないよね」

 結婚と言う言葉の意味を、よく理解していないらしい。
 それでも、彼女の抱擁はあたたかい。

「……………ありがとう」

『たえなるみ歌は 天(あめ)よりひびきぬ』
『喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ』
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「思い出しましたか?」
「……うわー、うわー、うーわーーーー」

 羊子は頭を抱えてダッシュボードにつっぷしていた。

「結婚って、あの時は、その、他人と他人が家族になること、としか認識してなかったからーっ」
「ええ、そうでしょうね、確かにそれも真理です。ただ……ね?」
「な、何?」
「今だから言える事なんですが……あの時、完全に私を弟扱いしてましたよね」
「え……あ……そ、そうかな?」
「家族になるって、要するにそのつもりだったんでしょ?」
「う………あ……えっと…………」

 かくっと羊子は肩を落とした。

「ごめんなさい」

 にっこりほほ笑むと、三上はぽん、と羊子の頭を手のひらで包み込んだ。

「いいんですよ。あなたはあなたの思うまま、生きてください。恋してください」

(上原さんもきっと、それを望んでいる)

 車を降りて助手席側に回り、ドアを開けた。すかさずぴょん、と赤いコートが飛び降りる。

「改めて……お帰りなさい」
「ただいま」

(牧人ひつじを/了)

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