▼ 【7-3】約束
参道脇の砂利を敷き詰めた駐車場に車を止めると、三上蓮は大げさにため息をついた。
「それにしても。あなたって人は、つくづく罪な女性だ」
「え?」
羊子は目をぱちくり。鳩が豆鉄砲をくらったような表情で首をかしげている。
「私にプロポーズしたこと、すっかり忘れちゃったんですね?」
「え? プロポーズ?」
「はい。あなたはまだ小学校四年生で、私が中一の時に」
「え、え、それって、まさか、わ、私が、三上さんに?」
「はい。そのまさかです」
※ ※ ※ ※
それはクリスマスを間近に控えた日。
三上蓮は身寄りがなく、さる教会の営む施設で育てられていた。
そして、その教会の神父は羊子の父、羊治と古くからの知己だったのだ。
「羊子。お父さんは、神父さまとお話があるから、しばらくここで待っていなさい」
「うん」
そこは何もかも神社とは違っていた。
交差したアーチのつくるドーム型の天井。
祭壇へと伸びる通路の両脇には堅い木の椅子が壁のように並び、壇上では聖歌隊が合唱の練習をしている。男の子、女の子、年齢はばらばら。先生の弾くオルガンに合わせて、一生懸命歌ってる。
奥の壁の、一段と高くなった場所には丸い窓が開いていた。
パズルのように組み合わされた色とりどりのガラスを通り抜け、まぶしい冬の日差しが降り注ぐ。
しばらくの間、羊子はちょこん、と椅子に座って歌を聞いていた。
お父さんはまだ戻らない。
歌はどこかで聞いたような曲ばかりで、親しみがある。だけど、じっとしてるのはつまらない。
きょろきょろと見回しているうちに、上へ続く階段を見つけた。目を輝かせて狭い階段を上る。
ついた先は屋根裏部屋だった。
「うわー」
梁のむき出しになった部屋には、使わなくなった古い道具や本、そしてほこりっぽい空気と静寂が詰まっていた。
窓から差し込む陽の光が、ほのかな影の中にすっぱりと斜めに切り込んでいる。
「あれ?」
かさり、とつま先に紙の感触。見下ろすと床の上に楽譜が落ちていた。表紙にローマ字で名前が書いてある。
「R、E、N……れん?」
「呼んだ?」
そこには先客がいた。糸のように細い目をした、ひょろりとした背の高い男の子が一人。
木登りでもするように窓際の梁に腰かけ、ぼんやりと外を見下ろしていた。
「やっほー」
ひょい、と手をあげて、とことこと近づく。
「君、だれ?」
「よーこ。この楽譜、あなたの?」
「ああ、どうも」
男の子は気だるそうに楽譜を受け取ると、筒状に丸めてぐい、と無造作にポケットに突っ込んだ。学生服のポケットが不自然に膨れ上がるが、一向に気にする様子はない。
『牧人、ひつじを 守れるその宵』
階下からかすかに、聖歌隊の歌うクリスマスキャロルが聞こえてくる。
「なにしてるの?」
「隠れてるんだ」
「かくれんぼ?」
「いや」
男の子(どう見ても羊子よりは年上だったが)はさらりと答えた。悪いとも後ろめたいとも思っていないらしい。
「合唱の練習、さぼってる」
「いけないんだー」
「別に、好きでやってる訳じゃないし?」
「うた、にがて?」
「いや。ただ、他に選択肢がないって言うか……」
レンは内心苦笑した。
年端も行かない子どもに、いったい何を真面目に答えているのか。
「僕は、ここに住んでるからね。必然的に参加が義務づけられてるんだ。それが、面白くない」
「………………住んでる? ここに?」
「ああ、もちろん屋根裏って意味じゃない。教会に住んでるんだ」
腕組みして、真剣に考え込んでる。
この子は知っているのだろうか。『ここに住んでいる』、その言葉の意味を。
「大したことじゃない。僕には家族がいないから、ね」
「……………」
「それだけだ」
透き通った瞳が眼鏡の奥で、ぱちっとまばたきする。
「そう。レンには、おとうさんも、おかあさんも、いないのね」
参ったな……。
物心ついてから、何百回と認識してきた事実だけれど、改めて他人に。しかも、小さな女の子に言われると……
案外、こたえる。
うつむいたその時。
ぽふっとやわらかい、弾力のあるものに包まれていた。小さな腕、小さな胸に。
「え?」
「決めた。わたし、レンと結婚する」
「ええっ?」
小さなよーこが伸び上がって、自分を抱きしめていた。腕を精一杯のばして、レンの頭を胸元にかかえこむようにして。
「結婚して……レンの家族になってあげる」
「あ……」
「そうすれば、もうさみしくないよね」
結婚と言う言葉の意味を、よく理解していないらしい。
それでも、彼女の抱擁はあたたかい。
「……………ありがとう」
『たえなるみ歌は 天(あめ)よりひびきぬ』
『喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ』
※ ※ ※ ※
「思い出しましたか?」
「……うわー、うわー、うーわーーーー」
羊子は頭を抱えてダッシュボードにつっぷしていた。
「結婚って、あの時は、その、他人と他人が家族になること、としか認識してなかったからーっ」
「ええ、そうでしょうね、確かにそれも真理です。ただ……ね?」
「な、何?」
「今だから言える事なんですが……あの時、完全に私を弟扱いしてましたよね」
「え……あ……そ、そうかな?」
「家族になるって、要するにそのつもりだったんでしょ?」
「う………あ……えっと…………」
かくっと羊子は肩を落とした。
「ごめんなさい」
にっこりほほ笑むと、三上はぽん、と羊子の頭を手のひらで包み込んだ。
「いいんですよ。あなたはあなたの思うまま、生きてください。恋してください」
(上原さんもきっと、それを望んでいる)
車を降りて助手席側に回り、ドアを開けた。すかさずぴょん、と赤いコートが飛び降りる。
「改めて……お帰りなさい」
「ただいま」
(牧人ひつじを/了)
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