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羊さんたちの遊卓

【6-8】迷子

 
 その頃、日本では。
 蒼太が呪いの解除法を求めて不眠不休でナイトメア『ビビ』の情報を集めていた。
 しかしながらネットでの情報収集だけでははかばかしい成果は得られず、もっとアナログな手段に訴えることにした。すなわち、親戚筋に当たる和尚の元を訪れ、膨大な彼の蔵書へと調査範囲を広げたのである。
 それこそ気の遠くなるほどの外れをつかみ、さすがに気力も尽きかけた頃。ようやく亡き師匠の研究ノートの中に山羊角の魔女『ビビ』の記述を見出した。
 若い頃、アメリカに長期滞在していた師匠は彼の地の妖物にも詳しかったのである。

(BINGO!)

 やっと呪いの解除法の手がかりをつかんだかと思いきや。とある不吉な一文に目が引き寄せられた。

『ビビは三人の姉妹であるとの説がある』
『末の妹は姉二人ほど強く暗闇に呪縛されてはおらず……』
『曇りの日や霧の深い日に赤い外套をまとった女の姿で出現すると伝えられている』

 ぎょっとして持参したノートパソコンを開き、ネットでサンフランシスコの天気を確認する。
 結果、『曇り』

「……南無三!」

 迷わず懐の携帯を引き出して開き、かけた。呼び出しのコール音がやけに間延びして聞こえる。海外にかけるせいか、それとも気が急いているからなのか。

「早く出ろよ……風見……出てくれ……」
「蒼太さん?」
「風見! 用心しろ」

 言い終える前にぷつりと切れた。すぐさまかけ直す。が、答えるのは無機質な録音アナウンスのみ。

『おかけになった電話は電源が入れられていないか、あるいは電波の届かない所に………』

「くそっ!」
 
 
 ※ ※ ※ ※


「風見! よ………」

 蒼太の声がぷつりと切れた。

「あれ。切れちゃった。電波状態悪いのかな、海外だし」

 口ではそう言ったものの、漠然とした不安が胸の中に広がる。池に投げ込んだ小石から広がる波紋のように。

「……急ごう」
「うん」

 足早に公園へと向かう。太陽は分厚い鉛色の雲の後ろに隠れ、だいぶ肌寒くなっていた。
 公園で遊ぶ親子連れは多かったがさすがに男2人が子守りと言うケースは珍しく。すぐにテリーと赤毛の探偵所長は見つかった。

「かざみー。ロイー」
「ヨーコ先生!」

 ほっとして駆け寄る。よかった、やっぱりさっきの嫌な感じは気のせいだったんだ。早くアパートに戻ろう。サクヤさんの部屋に行けば結界もあるし……。ああ、そうだ、蒼太さんにも電話しとかなきゃ。

「よう、戻ったか」
「もっとゆっくりして来ればよかったのに」
「いえ、十分ゆっくりしました」
「お手数おかけしました」
「いや。こっちも有意義な体験させてもらった」
「そう、ですか……」
「いい子にしてたぞ」
「……」

 ちらっとヨーコ先生を見る。そ知らぬ顔で明後日の方角を見ていた。
 あー、なんっかやらかしてるな? ピンと来た風見の脇腹をちょいちょいとロイがつつく。

「コウイチ、所長さんの髪の毛……」
「あ……」

 2人は無言のうちに目を合わせ、全てを察した。

(三つ編みだ)
(やらかしたか……)

「そうだ、忘れないうちにこれ、渡しておく」
「ありがとうございます」

 ディフから紺色のバッグを受け取った。髪の毛は特に気にしていないらしい。サイドからすくいあげた一房を編んでるだけだから当人にしてみればそれほど差は感じないのかもしれないけれど、傍から見れば一目瞭然。
 指摘した方がいいのかな。どうしようかな。

「んじゃ、俺そろそろ帰るわ。サクヤが帰ったらよろしくな」
「俺もおいとまするよ。ヨーコに話したいことがあったんだが……」

 ぽふっとディフは大きな手のひらでヨーコの頭を包み込み、なでた。
 あ、あ、あ、子ども扱いしちゃって……むくれるかな? と思ったが先生は目を細めて素直になでられている。

「何となく、用事は済んだって気がするんだ。2人が帰ったら俺からもよろしく伝えてくれ」
「はい、伝えておきます」

 連れ立って公園を出て、アパートの駐車場でディフとテリーと別れた。
 探偵所長の運転する四輪駆動車が遠ざかり、徒歩で帰って行くテリーの後ろ姿が小さくなった所でヨーコがぽつりと言った。

「オティア、元気になったって」
「そうですか……」
「ヨカッタ」
「うん。よかった」

 昨夜、戦った意味はあるのだ。
 ほんの少し勇気づけられた気がした。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 女は歯をカチカチさせて凝視していた。昼食から戻った風見とロイが子どもたちと合流し、アパートに戻る有様を。

 狼も、電光使いも、神聖な力を帯びた女も今は無力。さて次はどいつに呪いをかけようか……。
 
 
 eye.jpg
 ※月梨さん画「邪眼」
 

 金色の虹彩に横たわる三日月型の黒い裂け目。山羊の瞳がまばたきもせずに風見とロイを見比べる。
 よし、決めた。あっちの黒髪の奴にしよう。

「マクラウドさん、三つ編みのまんま帰っちゃいましたね」
「別にゴムで留めてある訳じゃなし、そのうちとれるよ」
「かなりきっちり編まれてるようでしたガ?」
「いいじゃん、似合ってるんだから」

 狙われてるともしらず、いい具合に油断している。あの嫌な部屋に入られる前にさっさと片付けてしまおう……。
 
「くしゅんっ」

 サクヤが小さなくしゃみをした。

「寒い?」
「ちょっと」
「部屋、入ろうか」
「うん」

 不意に町のざわめきが遠ざかる。かすかな海鳴り、どこからか聞こえるクリスマスのBGM、通りを走る車の音。全て掻き消え、不自然な沈黙の中に放り込まれる。
 はっと身構えた瞬間。

 ブゥフゥーーーーーーーーーーーウゥ。

 悪い風が吹く。生臭い臭気とともに、断末魔の獣の息にも似た音を立てて。
 とっさにロイは懐から手裏剣を抜き出し、投げた。

 カキン!

 堅い物に当たって弾かれる。
 奇妙に色あせた風景の中、行く手に魔女が立っていた。赤い長衣をなびかせて……。頭上に渦巻く山羊の角に一筋、今しがた手裏剣の当たったとおぼしき傷が入っている。

「お前は!」

 素早く風見はベルトのホルスターから小太刀を引き抜き、両手に構える。何故、こいつがいるのか。気にしている暇はない。重要なのは今、敵が目の前に居ることだ。

「先生たちは下がって!」
「おのれナイトメア! 真っ昼間に出てくるとはいい度胸でござる!」

 2人の少年は子どもたちを守って前に進み出た。
 どさりと風見の肩からバッグが落ちて地面に転がる。中の神楽鈴がシャラリと鳴った。魔女がわずかに顔をしかめ、後じさった
 その機を逃さず風見が切り掛かる。

「飛燕……十字斬!!」

 鋭気一閃ほとばしり、白光二筋右に下に。十字を描いて切り結び、ぱっと真っ赤な花が散る。
 切ったか? 
 いや、手応えがない。ふわふわと漂っているのは真っ赤なコートだけ……本体は?

 背後で女が笑った。

 しまった、謀られた!

『四つ足のモノになれ。地面を這いずり回れ』

 その言葉は音ではなく直接、脳裏に響いた。背後で禍々しい気配が膨れ上がる。逃げる暇はない。こうなったら、せめて一太刀なりとも浴びせてやる!
 振り向き様斬りつけようとしたそのときだ。

 何かが猛烈な勢いでどんっとぶつかってきた。膝の辺りを強く押され、横向きにつんのめる。同時に禍々しい波動が放たれた。

「きゃんっ!」
「……ランドールさんっ!」

 ちっぽけな狼が、脇腹を真っ黒な稲妻に貫かれていた。衝撃で地面に叩き付けられる。

「ランドールさん、しっかり!」
「ぐ……うぅう」

 けなげにも足を踏ん張って立ち上がり、魔女に向かって牙をむく。喉の奥から低いうなり声が漏れた。

「ちぃっ」

 魔女が忌々しげに舌打ちする。縮んだとは言えやはり天敵。十分驚異になるようだ。

「とふかみえみため」
「とふかみえみため」

 チリン、と鈴が鳴る。ヨーコとサクヤが自分の首にかかった鈴を鳴らして、ぱんっと両手を打ち合わせた。二つの声が一つに重なり、祝詞をとなえる。握り合わせた小さな手のひらからほわっとあたたかな光があふれる。

「かんごんしんそん」
「りこんたけん」

 か弱い二つの光が溶け合い、一つになって輝きを増す。

「はらいたまひきよめいたまう…………ロイ!」
「ハイっ!」

 チリリン。ヨーコが首にかかった鈴を高々と掲げ、ロイに向かって振った。澄んだ音色とともに光の粒が降り注ぎ、彼の体を包み込む。

「行け!」
「了解!」

 ガチガチと魔女が歯がみする。忌々しい、せっかく弱体化させたはずなのに!

「そうか……そうか……わかったぞ。お前ら一緒だからいけないんだ。お前ら、一緒だから強いんだ………だったら……」

 かくっ、かくっと顎をのけぞらせて首を回す。骨張った指が宙を掻きむしり、金色の目が睨みつけてきた。

『さまよい歩け。ただ一人、孤独のうちに。霧に迷う幼子のように怯え、泣きわめくがいい!』

 危ない!
 ロイは夢中で跳んだ。

「コウイチっ」
「ロイ!」

 とっさに風見の腕をつかんだその刹那。

 どろりと不吉な風が吹く。それは風見光一の駆使する清々しい風の刃とは真逆の風だった。毒を運び、草木を枯らせ水を腐らせ、病をまき散らす魔性の風。真っ向から目に吹き込み、視界が遮られた。
 禍々しい風の渦の中、かすかな悲鳴を聞いた。

「先生! サクヤさんっ。ランドールさんっ」

 唐突に静けさが戻ってきた。

「……………先生?」

 魔女の姿は消えていた。
 そしてランドールも。サクヤも。ヨーコも。
 ただ、小さなカルの着ていた衣服だけがそっくり脱げ落ちて散らばっていた。

「そんな………」

 迷子になってしまった。
 自分たちも。
 先生たちも。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
(何てことだ!)

 ロイはぎりっと唇を噛んだ。

 あの瞬間、自分は清らかな光に守られていた。だから魔女の呪いも自分とコウイチを引き離すことはできなかったのだろう。
 ………だけど。

(ボクは……ボクは、先生とサクヤさんよりコウイチを優先してしまった)

 もし、離ればなれになっても。一人になっても、自分なら。コウイチなら、己の身を守ることができる。だけど小さくなってしまった先生は。サクヤさんは。
 苦い後悔が胸を噛む。それでも、ロイは思わずにはいられなかった。
 コウイチが無事でよかった、と。彼と離れずにいられて………嬉しいと。

(ボクは何てことをーっ!)

「大丈夫だよ、ロイ」
「コウイチ?」

 風見がぱちりと小太刀をベルトに納め、腕をつかむロイの手のひらに自分の手を重ねてきた。

「きっと見つかるさ。俺の能力、忘れちゃったわけじゃないだろ?」
「……Yes! モチロンだよっ!」

 急いで地面に落ちたバッグと子供服一式を拾い上げる。魔女に投げた手裏剣は近くの立ち木に刺さっていた。こちらも速やかに回収。
 サクヤの部屋に戻ると、携帯に電話がかかってきた。

「あ……蒼太さん」
「無事か! 風見」
「いえ、それが……」

 つとめて手短に、要領よくさっきの襲撃を伝える。電話の向こうでちっと舌打ちしたのが聞こえた。

「すみません」
「いや……向こうのが一枚上手だったってことだな。お前にかけられるはずだった呪いを社長が受けちまったんだな?」
「はい。一度倒れたけれど、起き上がっていました」
「ふむ。意外にタフだな」
「まあ、胸毛も生えてますシ」
「関係あるのか、それ」
「アメリカ的には」
「しかし狼に変身した所に四つ足の呪いをかけられたとなると……厄介だな。事によると、その姿で固定されちまったのかもしれない」
「固定、ですか」
「ああ。おそらく、彼は自力では元に戻れない。呪いが解けるまで、狼のまんまだ」
「そんなっ。狼の姿で迷子だなんて……電話もかけられないし、ケーブルカーにも乗れないじゃないですかっ」
「大丈夫だヨっ! 帰巣本能がある!」
「でもランドールさん箱入り息子だぞ? 今はともかく、子どもの頃は……多分」
「あー。そんな感じだったネ」

 おいおい、お前ら微妙にズレてるぞ。

 電話の向こうの会話を聞きながら蒼太は苦笑した。度胸があるのか、それともただの天然か。いずれにせよただ怯えておろおろしているよりはずっといい。

「とにかく……夜になったら連中はまた襲って来る。それまでに羊子さんたちを見つけるんだ。風見、やれるな?」
「……はい。任せてください」
「ナイトメアがからんでるとなると妨害が入る。心してかかれ」
「ハイ!」
「何かあったら連絡しろ。こっちもわかったら知らせる……以上、通信終了」

 電話を切ると早速、風見はテーブルの上にサンフランシスコの地図を広げた。ポケットから愛用の虎目石のペンデュラム(振り子)を取り出す。
 真実を見通すと言われる褐色の縞模様の石。鏃型にカットされ、銀の鎖がついている。ふと、思い出して夢守りの鈴を一つ取り出し、振り子に着けた。
 鈴と鈴は互いに呼び合い、響き合う。

「最初にだれを探すか……やっぱりサクヤさんかな」
「そうダネ。なんか、こう一番……」

 心配だから。

 同じことを考えたがあえて口には出さない。
 風見は深い呼吸を繰り返すと静かに虎目石のペンデュラムを地図の上に吊り下げた。

(サクヤさん……)

 ふらり、と振り子が揺れる。

(こっちか?)

 揺れる振り子に導かれ、ケーブルカーのラインに沿って南へと降りて行く。しかし、ある程度南下すると振り子の動きが急に頼りないものになった。
 ぐるぐると円を描くばかりで一向に進む気配がない……かと思うと不規則にジグザグを描き、まるで魚のかかった釣り糸みたいにびっくん、びっくんと跳ね上がる。

「くっ」

 やむなく風見は集中を解いた。

「やっぱり妨害されてるな」
「でも南にいるってことはわかったヨ」
「ああ。宛も無く探すよりはいい……次、ヨーコ先生を探さないと」

 ふらり、と視界が揺らぐ。自分でも気づかないうちに消耗していたらしい。

「無理しちゃダメだ、コウイチ。少し休んだ方がいい」
「でも」
「コウイチ」

 青い瞳が見つめてくる。長く伸ばした前髪を透かして、ひたと。

「ヨーコ先生も、きっとそう言う」

 ロイの一言が、すうっと冷たい清水のように染み通った。
 かなわないな。
 その通りだ。

「わかった。ちょっとだけ休むよ」
「OK。コーヒー飲む?」
「うん。もらおうかな」

 かすかにほほ笑むとロイは台所に立った。
 見た所この家にコーヒーメーカーはないようだ。やかんに水を入れて火にかける。「Coffee」と書かれたアルミ缶を開けると、中には小分けになった紙製のドリップパックが入っている。

(カップを出さないと)

 食器棚からそろいの白いカップを取り出してはたと気づく。朝、ミルクを飲むときはカップを5つ出した。けれど今は2つ。

(今、ボクはコウイチと2人っきりなんだ!)

 一度意識しちゃったらもう止まらない。ぱきーんと全身がこわばり、かくかくと指が震え始める。
 カシャン。

「あ」

 白いカップが一つ、床に落ちて割れていた。

「ロイ、大丈夫かっ」
「だ、だ、大丈夫、ノープロブレムっ」

 恥ずかしさと動揺でぎくしゃくした動きで手を伸ばす。ささっさささっと目にも留まらぬニンジャアクションで割れたカップの欠片を拾い集めて袋にまとめ、捨てようとすると。

「待つんだ、ロイ」

 ぎゅっと手首を握られた。

「えっ、コウイチ?」

 心臓が限界まで膨れ上がり、一瞬で収縮する。送り出された大量の血液がどーんと脳天までこみ上げて、顔の温度を上昇させる。

「捨てちゃいけない。サクヤさん、自分で直せるから」
「あ……そ、そうだね、そうだったネ」

 かくかくとうなずき、そっと台所の片隅に袋を置いた。

(サクヤさん、ごめんなさい……。後で新しいカップを返しマス!)

「ロイ、やかんが噴いてる」
「おおっと!」

 改めて取り出したカップを二つ並べ、ドリップパックを開いて載せる。おそろいでなくなってしまったのがちょっぴり寂しかった。
 注意深くお湯を注ぐ。香ばしいコーヒーの香りが広がり、アパートの中を満たして行く。

「いいにおいだな……何だかほっとする」
「うん……ほっとするね………牛乳入れる?」
「そうだな。ちょっとだけ」

 慎重に入れたコーヒーをひとくち含むと、風見は微笑み、小さくうなずいた。

「うん、美味いよ。ロイ、コーヒー入れるの上手いな」
「そ、そ、そ、そうかなっ」
「こう言うのって、お茶と同じでお湯の注ぎ方とかタイミングで微妙に変わってくるだろ? 上手いよ、ロイ」

 その一言で一気に気力体力MAXまで回復するロイだった。

 
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