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羊さんたちの遊卓

【3-5】混在する夢

 
「大丈夫か?」
「え?」

 がくん、と、唐突に落下が止まった。
 目を開ける。
 がっしりした腕に支えられていた。

「ちょ、ちょっと、Mr.ランドール、何であなたこっち側にいるの! 触っちゃだめって言ったのに」
「でも、君が怪我してる」

 確かに右腕から血がしたたっていた。

(しまった……予想以上に紳士だった)

 改めて周囲を見回す。カリフォルニアの青空は跡形もなく消えていた。そして、そこはさっきまで自分の居た裏庭ですらなかった。
 熱い閉ざされた箱は消えている。中にうずくまっていた少年も。彼の内側に巣食う、もう一つの存在も。
 
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ……」

 とにかく、この怪我をどうにかしよう。ランドールが自分のシャツを引き裂いて包帯代わりにさし出す前に。
 さっと左手で傷をなぞり、塞いだ。表面にうっすらにじむ赤い筋を残して。

「ほら、大したことないし」
「さっき見た時はもっと深く切れてたんだ!」

 にっこり笑って顔をよせ、きっぱりと言い切った。一語一語に力をこめて。

「気、に、す、ん、な」
「あ……ああ」

 うなずいている。
 よし、それでいい。素直な子って大好き。

「何だか君……印象が違うね」
「気のせい気のせい!」

 意志疎通のためにわざわざ英語を使う必要もない。ここでの会話は音声を媒介としないのだ。
 お互いの母国語でしゃべっても思念が直接伝わり、聞き取る者は無意識に受けとった相手の言葉を自分の知る言語に変換している。
 だから日本語でしゃべっている。故に口調もくだけ、本音により近くなる。
 まあ、そのへん細かく説明することもないだろう、今は。

 それより問題は、カルヴィン・ランドールJr.が……普通の人間が、ドリーム・ダイブしてしまった。他人の夢の中に入ってしまったと言うことだ。
 もう、ここは「少年」一人の夢ではない。
 徐々にランドールの夢と記憶が混じりつつある。
 他者の夢の中でも自己を保つには、それなりの訓練と経験が必要なのだ。自分やサクヤのように。

「ランドールさん」
「何だい?」
「あたしから離れちゃだめですよ」

 目をうるうるさせ、彼の手なんか握ってみる。

 ここで強く命令するのは逆効果だ。彼にとっては全ての女性はか弱くて保護すべき対象なのだ。自分が相手を頼りにしているのだと思わせ、誘導するのが吉。
 実際に離れると困るし……そうだ、万が一にそなえて繋がりを作っておこう。

 髪の毛を結っていた赤いリボンをほどいてランドールの手首に巻きつけた。

「これは?」
「おまじないです。迷子にならないための」

 自分一人なら簡単に抜け出せる、けれどランドールが一緒だと話は別だ。
 これはもう彼自身の夢でもある。強引に切り離せば心を損なう。

 危険だけれど、『夢』の中心を見つけよう。核を探そう。自分を助けてくれなかった親、虐待した親への憎しみの源を。

「行きましょう。あの子を見つけて、ここから連れ出さなくちゃ」
「あ、ああ……そうだな」

 ランドールは周囲を見渡し、うなずいた。

「ここはあまり、気持ちのいい場所じゃない」
 
 ヨーロッパの深い森を思わせる太く、高くそびえ立つ木々。目に届く範囲には、灌木や草がみっしり絡み付いている。
 見渡すほどに遠近感が歪んでゆき、まるで自分だけが縮んでしまったような奇妙なスケールのずれを感じさせる。

 空はどんよりとした雲が分厚くたれこめていた。昼間ではない。だが、夜でもない。
 全ての空は陽が沈む直前のたそがれ色に塗りつぶされ、薄明かりに縁取られた分厚い雲が黒々と、不気味な模様を描き出している。
 その形がまるで業火に焼かれて悶え苦しむ人々のように見えるのは、気のせいだろうか……。

 遠くで狼の遠吠えが聞こえる。それとも、ハイウェイを走る大型車の音?

 おそらくこの辺りはランドールの記憶が元になっているのだろう。
 ルーマニア出身の母から聞かされた昔話や、先祖から受け継いで来た無意識の記憶、そこにアメリカの怪奇映画や小説が微妙に混在しているように思えた。
 現にさっき潜った石造りの門は、いい具合に蔦がからまり外れかけた金属の門扉がきいきい軋んで、怪奇映画に出てきた幽霊屋敷そっくりの造りだった。

 石柱の上にうずくまる苔むしたガーゴイルの傍らを通り抜け、たどりついた先は……屋敷ではなく、もっとシンプルで現代的な二階建ての建物だった。

「ここは……学校、かな」

 だがランドールは青ざめ、首を横に振っている。

「まさか……信じられない、ここは私の通っていたジュニアハイだ!」

 彼がその言葉を発した瞬間、二人は校舎の中に居た。中はがらんとしていて人の気配はない。
 しかし、その寂しさを補うかのように、乱雑かつうすっぺらな装飾が施されていた。
 紙を切り抜いた幽霊、ビニールのコウモリ、発泡スチロールやプラスチックのカボチャ。床にも壁にも天井にも、Gの生じるありとあらゆるところに飾りがぶら下がっている。
 
「この装飾、ハロウィンかな」
「ああ、ハロウィンパーティの飾り付けだ……よく覚えている」

 声のトーンが低い。どうやら、ここに残っているのは愉快な記憶ばかりではないらしい。

 良かった、道はまちがっていない。
 ヨーコはひそかに安堵した。
 自分たちは確実に悪夢の中心に向かっている。
 
 チープな飾りに埋め尽くされた廊下は、やがて一つの扉に行き当たった。両開きの金属の扉。手を触れるまでもなく勝手に開いた。

 ギギギギギ……ガチャン!

 妙に軽い音ととともに扉が開く。
 確かに扉だったはずなのに、開けたらいきなり目の前にどんっと学生用の金属ロッカーが広がった。

「何、これ……」

 むわっとふき出す強烈な臭気に思わずヨーコは顔をしかめた。本来なら決して不快なにおいではない。むしろ食欲をそそるはずなのだが、物には限度と言うものがある。
 狭い空間にこもっていたせいだろう。
 ロッカーの中には、大量のニンニクを連ねてリースにしたものがぶらーんと、何本もぶらさがっていた。
 それだけではない。アイスキャンディの棒だの、ちびた鉛筆、ボールペン、適当な板切れを十字に組んで、テープで張り合わせただけのお粗末な十字架。
 明らかにチープなアクセサリー屋で買ったとおぼしきプラスチック製の十字架も混じっている。

 十字架とニンニクのカーテンの合間に、さらに悪趣味な物体がぶらぶらゆれていた。
 首に縄をくくりつけられた人形だ。
 よく見ると、吊られていたのは、紫の肌に片眼鏡をかけ、黒いマントを羽織ったセサミストリートのパペットだった。そう、どことなく吸血鬼めいた風貌の……と、言うよりまさにそのものの、あの伯爵だ。

 ご丁寧に胸部を深々と、先端を鋭く尖らせた木の杭で串刺しにされている。

 ロッカーの中にはそこいら中にべたべたと、白い紙に乱雑に書きなぐられた赤い文字、何とも物騒な張り紙がはり付けられていた。わざと赤い染料をしたたらせるようにして。

『ドラキュラは故郷に帰れ!』
『吸血鬼を吊るせ!』

 ランドールは青ざめ、唇を噛んだ。
 ここがだれのロッカーか、なんて確かめるまでもなかった。自分の使っていたロッカーだ。もう二度と、目にしたくないと思っていたのに。

「まー何とも露骨な遣り口だこと。匿名だと思ってやりたい放題やっちゃって」

 ヨーコが眉をしかめて肩をすくめている。怒りに震えて、というより心底呆れているような口ぶりだった。

「インターネットに書き込みするよか100倍手間がかかったでしょうに。ほーんと、お子様ってのはこう言うことにはヤんなるくらい勤勉ね」
「君は君で今、言いたいことを1/100ぐらいに抑えてるだろ」
「……ばれた?」

 にまっと笑っうとヨーコは無造作に手を伸ばし、一番大きな張り紙をべりっとひっぺがした。白い紙はくたくたと彼女の手の中で張りを失い、熱湯に放り込んだパスタのように崩れ、丸まり、希薄になり……消えた。
 まるで最初から存在しなかったみたいにきれいにさっぱりと。

「こんな奴ら、殴るまでもない。もっとも、鼻で笑ってやるのに、これほどふさわしい相手はいないんだけどね」

 続いて首を吊られた人形がやはり形を失い、消え失せた。
 
「消臭剤にしちゃ、いささか趣味が悪い」

 ふーっと息を吹きかけると、ぶらさげられた大量のニンニクが揺らぎ、粉々になって吹き飛ばされてしまった。
 においすら残さずに。

 不思議だ。今の彼女に重なって、ジュニアハイ時代の彼女が見えるような気がする。(多分そうだろう。でも、もしかしたら小学生かもしれない)。
 今より髪は長く、化粧もしていない。ぴったりした黒の長袖とピンクの半袖のTシャツを重ね着し、デニムのミニスカートをはき、足元は赤いスニーカーだ。眼鏡のフレームも今より大きめ。

「キリスト教の象徴としての十字架にはしかるべき敬意を払うわ。でも、これはただのバツ印。何の意味もありゃしない」

 ざらりと十字架をむしりとると、まとめて手の中で丸めて、ぽいっと投げ捨てる。ボール状に一塊になった十字架は、ぽてりと床で1バウンドして、それからぱちっとシャボン玉のように破裂して、消えた。
 後には何も残らなかった。

「徒党を組んでるくせに正面に立つ度胸もない。そのくせ社会の正しさを一身に背負ったような偉そうな面ぁして一人を攻撃する奴らってのはどーにも好きになれなくってね……。思わずばっさりやりたくなっちゃう」

 冗談とも本気ともつかないことをさらりと言うと、ヨーコはちろっと舌を出して笑った。

「斬り捨て御免、峰打ち無用」
「まるでサムライだな。頼もしい。あの頃君が居てくれたらと思ったよ」
「ありがとう。でも、あなたは一人で克服した。そうでしょう?」
「ああ。母から受け継いだルーマニアの血と文化を誇りに思っていたからね」

 ランドールは一枚だけ残っていた張り紙を剥がし、ずいっと一歩前に進み出た。幻のロッカーは消え失せ、再び長い廊下が現れる。

「ハロウィンに吸血鬼の仮装をしたんだ。幸い、父の会社のツテで衣装は本格的なのを用意できたし」
「ああ、なるほど……とてもよくお似合いだ」

 言われて自分の服装を改めて見直す。
 変わっている!
 黒いマント、裏地は赤。細やかな赤い刺繍を施したクラシカルな黒いベストにズボン、白のドレスシャツ、襟もとにしめた蝶ネクタイ……まさしくあの時着ていた吸血鬼の衣装だ。
 ただしサイズは大人向け。今の自分にぴったりの大きさになっている。

「ありがとう。それからも意識して黒い服を着て、紳士然として振る舞ったんだ」
「ネガティブなイメージを逆手にとって、逆に自分の魅力を最大限に引き出したのね。見事な演出だ」

 率直な賛辞の言葉に、そこはかとなく腹の底がこそばゆくなる。ランドールはかすかに頬を染め、照れた笑いをにじませた。

「いや。子どもじみたつまらん見栄さ。笑ってくれ」
「笑いませんよ……笑える訳ないじゃない」

 ぽん、とヨーコは黒いマントに覆われた背中をたたいた。

「あなた、すてきな人ね、ランドール」
「ありがとう……って、ちょっと待った」
「どしたの?」
「今、君 good-boy(いい子)って言わなかったか?」
「あらら? good-guy(いい男)って言おうと思ったのに。英語って難しいな〜」

 手をひらひらさせてすっとぼけた。
 あぶないあぶない。どうやら、本音がダイレクトに伝わっちゃったらしい。
 
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