ようこそゲストさん

羊さんたちの遊卓

【サンプル1:再会】

 日に日に空気が冷えて行く。風が乾くほど空の藍は澄み渡り、日の入りは早く、日の出は遅く。
 赤毛の鍛冶屋、”蹄鉄打ちの”グレンがアンヘイルダールの村を訪れたのは、天藍月も半ばにさし掛かろうと言う頃だった。
 きっかけは一通の手紙。乗り合い馬車の御者に託され、村の鍛冶屋から頼まれた。
 朝な夕なの厳しい冷え込みがこたえたか、夏に傷めた膝が滅法うずく。しばらくの間、外回りを……馬の蹄鉄打ちや、細々とした道具の修理、鍋の鋳掛け等。そう言った「客の家に」出向く類いの仕事を手伝ってくれないか、と。
 断る理由はなかった。
 相棒の薬草屋、ハーツことハーティアルも、ちょうどアンヘイルダールに行商に出る頃合いだった。
 そんな訳で腐れ縁の野郎が二人、はるばるサガルロンドの街から乗り合い馬車に揺られ、半日がかりで大荒野を横切ってきたのだった。

 久々に訪れた村は、しかし重苦しい空気に包まれていた。
 鍛冶屋に入る注文も、物騒な代物ばかり。
 窓に取り付ける鉄格子、塀の上に取り付ける槍状のトゲ。ぶっとい鎖にごっつい錠前、ドアを塞ぐと言うより、もはや殴るに適したつっかえ棒、柱に巻き付ける茨を模した針金等々。
 鎌や斧、小刀と言った普段遣いの道具さえ妙に鋭く研ぎ上げられて、見てるだけで指先がすぱっと切れそうだ。
「いったい全体どうしたってんだい。やけに物々しいじゃねえか」
 尋ねても村の鍛冶屋はのらりくらりと話をそらすばかり。

 ようやく答えてくれたのは、昼食を振る舞われた『大鍋亭』の席上での事だった。
「狼だよ」
「っはあ、狼? 壁の中に?」
 グレンとハーツは顔を見合わせ、そろって同じ言葉を口にした。
「ありえねえ!」
「あるんだ」
「ったって、お前さん、この村はぐるっと壁に囲まれてるんだぜ?」
「だよ、な。夜は門が閉ざされるし。あと考えられるのは……川か」
「幅10ルット(30m)もある夜の川を、狼が泳いで渡って来たってか?」
「わからん。とにかく出るんだよ。壁の、中に!」
 もはや狼、と言う言葉を口にするのも恐ろしいらしい。
 それどころか他の客まで声を潜め、ジョッキの影からこそこそとこっちを伺っている。
「人も家畜も見境なしだ。番犬を置けば犬もろとも、番人を置けば番人もろとも、もりもり食っちまう」
「もりもりって、そんな……」
「飯時にする話じゃねえよな」
「アンヘイルの角笛にかけて、あれは、獣の形をした、災厄だ!」
「やれやれ」
 ハーツは肩をすくめた。
「何だって、そんな話をここでするかね?」
「だってお前、家で話したらカカアやガキどもが怖がるじゃねえか」
「ここでも充分、怖がってる子がいるようなんだが……」
 ハーツの視線の先で、煮込み料理をたっぷり盛りつけた皿を手に、ココペリの娘ががたがた震えていた。スミレ色の瞳に、いっぱい涙をためて。
「ああっ、ごめん、ごめんな、ネイネイっ」

 家では口にできない、だが居酒屋では話せる。つまり、『壁の中の狼』の存在は村中で認識されていると言うことだ。
 口にした瞬間、居合わせ客は皆、耳をそばだてていた。
 おおっぴらにできない。だが、共通の悩み。いつ、誰にふりかかるか分からない。

        ※

 その日の午後、グレンはさっそく外回りに繰り出した。
 頼まれたのは、村外れの家と家畜小屋の窓に、頑丈な鉄格子を取り付ける事。それも、二軒続けて。
 加えて二軒目の家ではさらに、家を囲う板塀の上に、ぐるりと刺つきの針金を張り巡らせる作業が待っていた。
 骨の折れる仕事だった。取り付けるべき部品を全部、鍛冶屋から背負って行ったのだから尚更だ。
 秋とは言え、いつになく陽射しが強く、風も無く。作業を終えた頃には、汗でぐっしょりシャツが湿っていた。せめて顔と手だけでも流そうと、家の裏手の斜面を降りて、川べりの洗い場に行くと……

 女が足を洗っていた。

 スカートの裾を持ち上げて、靴を脱いだ足を川面に浸し、手で水をすくっては、かかとから足首にぱしゃぱしゃかける。
 どうってことのない、ごく当たり前の仕草なのに目が吸い寄せられた。
 気配を感じたのか、女が振り返る。
「あ」
 波打つ黒髪、くっきりとした二重の瞼と、ふさふさと豊かなまつげに縁取られた銀灰色の瞳、ぽってりとした肉感的な唇。

『ねーちゃん、オレのヨメになってくれ』
『まあうれしい』
『わらってるな? オレ、本気だぞ?』
『はいはい。あなたが大人になったら、ね……』

 遠い日の記憶。忘れ得ぬ少女の面影が、目の前の女と重なり、一つになる。
「メイガン?」
 女は怪訝そうな顔でこっちを見ている。
 険しい視線が頭から顔、肩、腰へと降りて行き、ベルトに吊るした剣に止まった。
 その瞬間、固く引き結ばれていた唇から。しかめられていた眉から強張りが抜け……ほほ笑んだ。
 大輪の薔薇が開くように、あでやかに。
「ディー!」
「メイガン! メイガン!」
 夢中になって駆け寄り、どちらからともなく手を伸ばして抱き合った。
 子供の頃の呼び名が、これほど嬉しく聞こえた事はなかった。
「すっかり大きくなちゃって! その剣、いつも背中に背負っていたのに」
 彼女の手が、すっと鞘の上から剣をなぞる。
「今は腰から吊るしてる」
 こくっと唾を飲み込んだ。からっからに乾いて引きつる咽をどうにかしたくて。
「君は……君は、その、きれいになった」
「君? やあね、水臭い。あなた私のこと『ねーちゃん』って呼んでたはずよ。そうでしょ?」
 確かにその通り。
 だが今更呼べるか? もともと三つしか歳は離れていなかった。増して今は、背丈も肩幅も、おそらくは目方も、自分の方が上なのだ。
「いつからアンヘイルダールに?」
「先月からよ。引っ越してきたの。夫と一緒にね」
「結婚………したのか」
「ええ。去年の春にね」

 ああ。

 そりゃあそうだ。最後に会ってから、6年、いや7年経っているのだから。
 キンポウゲの咲く野っ原で交わした約束を、律義に守ってるはずがない。自分も。彼女も。
「おめでとう」
「ありがとう」
 他に何が言えるだろう。
 彼女を置いて行ったのは他ならぬ自分。13の歳に家を出て、以来一度も故郷(くに)には帰っていない。
 帰ったところで、果たして家族が今もそこに暮らしているかどうか。
 牧場から牧場へ、町から町へ。渡り歩く雇われ羊飼いの生活じゃ、一つの土地にどっしり腰を据えるなど夢のまた夢。
「あなたに会えたのはきっと、水の聖霊{ウル}のお導きね」
 メイガンが笑う。きらめく日の光が川面に踊り、波打つ黒髪にゆらゆらと、光の波を映し出す。
「嬉しいわ」
「うん。俺も」
 君にまた会えて、嬉しい。
 そして……寂しい。
次へ→【シナリオ2:壁の中の狼】