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2012年1月の日記

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7.其が鳴らされし時は

2012/01/20 18:25 騎士と魔法使いの話十海
 
 翌朝。

「ここか?」
「うん、ここだ」
「どぉれ」
 
 ずざっとフロウは黒馬の背から滑り降り、雪原に立った。
 寒いの、腰が痛むの、足が冷えるのと、文句を言うのをなだめすかして連れてきたのである。歩かなくていい、馬に乗せるから、と。
 
 昨夜、吹きつける雪の中、悪戦苦闘しながら進んだ道のりは、今こうして青空の下、朝の光を浴びて馬で走るとあっと言う間だった。
 エミリオのまいた炭も、シャルダンの射た矢も。ダインの踏み荒らした地面も何もかも降り積もった雪に覆われ、あれほど激しかった戦いの痕跡はきれいに消えていた。
 かろうじて雪の上には、昨夜の魔物の残した染みがうっすらと残っていた。薬草師は注意深くその周りを歩き回り、黒い染みを検分した。
 
「恐らく、お前さんらが出くわしたのは氷屍魔って奴だろ。自分が凍え死にさせた死体で器を作って乗り移る、悪霊の一種だ」
 
 分厚く着込んだ冬着の胸元から、ひょこっとちびが顔を出す。鼻をひこひこさせながら周囲を見回し、ある一角をじっと見つめた。
 
「……そこか。おい、ダイン」
 
 くいっと顎で指し示し、一言。

「ここ、掘れ」
「わかった」
「そーっとだぞ。そーっとな」

 言われた場所にダインは素直に膝をつき、両手でわっし、わっしと雪をかきわける。ほどなく。

「あ」
「見つけたか」

 雪の下には、小さな石碑があった。

「もう20年も前の話だ。旅の親子連れが道に迷って、ようやく町にたどり着いた頃にはもう、城門は閉まっていた。その頃は通用口にはまってたのは分厚い鋼鉄の扉でな。のぞき窓もノッカーもない。叩いても、叫んでも中には聞こえなかったんだ」

 ゆるりと歩を進め、フロウはさりげなく大柄な騎士に近づき身を寄せて……ちゃっかり風避けにした。

「やむなく、親子は引き返して森で雪をしのごうとした。吹きっさらしの野っ原よりはマシだと思ったんだろう。だが運悪く、この場所で魔物に襲われて……」

 掘り出された石碑には、死者を悼む詩句と四人分の名前が刻まれていた。夫婦と、そしてその娘と息子。

「見つかった時は四人で抱き合ったまんま、ガチガチに凍りついてたよ。ちょうど、昨日みたいな吹雪の夜だった」

 フロウは眩しげに目を細めて雪原の彼方を見やった。

「魂になってからも捕らえられ、人間を誘い出す役をやらされてたんだろうよ。それからだ。あの扉が木に換えられ、打戸金(ノッカー)が取り付けられたのは、さ」

 ダインとシャルダンがぽつりと呟く。

「打ち鳴らされし時は、一命に換えても開けるべし」
「何人たりとも拒むなかれ……」
「今度は間に合ったってことさね」

『今度は聞いてくれたんだね』

 光の中に消える間際の、少年の言葉が蘇る。
 感慨に浸る間もなく、へぷしっと誰かが派手にクシャミをした。
 くっくっと笑いながら、フロウはダインを振り返った。

「ほい、お大事に」
「俺じゃないぞ?」
「え?」
「私でもないです」

 三人の視線が、向けられる先には……真っ赤になった鼻をぐしぐしとこする、エミリオの姿があった。

「お大事に」
「……ありがとう」

(氷雪の檻と白銀の騎士/了)

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6.炉端より

2012/01/20 18:24 騎士と魔法使いの話十海
 これで、自由になれます。
 確かにそう言った。でも何から?

「えーっと……」

 夫妻の言葉の意味する所を掴みかね、首を捻っていると。

「ありがとう、騎士さま」
「今度は、ちゃんと聞いてくれたんだね」
「え? 君ら、いったいいつの間に!」

 町に居るはずの姉と弟が、すぐそこに立っていた。こんなに近くにいるのに、足音が全く聞こえなかった。いや、背後の雪原には、足跡すらも無い。
 その時、初めて気付いたのだ。解放された左の瞳に写る姉と弟は、この世の存在ではなかった。彼らの両親も、また……。

「ありがとう」
「もう、寒くない」
「やっと………これで……」

 四人は抱き合い、消えて行く。赤々と燃える炎よりもなお暖かな光に包まれて。
 それは、肉眼では決して見えない光。この世と、別の世界を繋ぐ道が現われた印だった。その時それぞれに色も、帯びる性質も違っている。
 今、目の前で四人を包む光はタンポポの花びらにも似た黄色で。春先の日だまりのように穏やかな温かさを放っていた。
 不意に光が強くまたたき、消える。
 何もかも夢だったように、あっけなく。

 道が、閉じたのだ。

「あの子ら、生きた人間じゃなかったんだ」
「そうですよ?」

 さく、さくと雪を踏んでシャルダンが歩み寄る。

「先輩も、てっきりわかってて飛び出したものと思ってました。あえて魔物を倒すために!」
「いや……ぜんっぜん気付いてなかった」
「えー」
「ってかお前はどうなんだよ。わかってたのか?」
「はい」

 シャルダンは胸を張って答えた。よどみのない声で、朗々と。

「打ち鳴らされし時は、一命に換えても開けるべし。何人たりとも拒むなかれ」

 それは、門を守る騎士が、勤務に入る前に必ず唱える誓いの言葉。

「相手が生きてるか、死んでいるかは、この際些細な違いですよね。助けを求めてるのは、変わらないんですから」
「ああ。その通りだ」

 異界の存在に出会うと、ほぼ無意識のうちに左目が反応する。あの時も、死せる姉弟の正体を看破するほどではなかったにせよ、彼らが『見える』だけの力は出ていたと言うことか。
 では、エミリオは?

「えーっと、ひょっとして君も見える人、なのか?」
「いいえ」
「じゃあ、術で?」
「いいえ。自分、中級ですから!」

 きっぱりと答えた。

「はっきり言って、全然見えません。声も聞こえません」
「そうなのか」
「あ、さっきはちらっと何か光ったなーってのはわかりました」
「でも、でもあの時、後を任せたってシャルダンに言われて、わかったって答えてたじゃないか!」
「あれは、てっきり門番のことかと」
「え、そうだったの?」

 何とも呆れたことに、当のシャルダンが目をぱちくりさせて、首を傾げている!

「おう。あの後すぐに交代の人たちが来たから、お前を追いかけて来たんだ」
「そーだったんだー」

 通じ合ってるかと思えば微妙にずれてるエミリオとシャルダン。
 そして、後先考えずに突っ走ってたダイン。
 結果、大雪の夜にまんまと魔物の待ち受ける荒野に飛び出した。

「もしかして……すっごいピンチだったのかな、私たち」
「そうかも?」
「あの再生能力は厄介だったしな。エミリオが来てくれて、本当に助かったよ」
「ですよね!」

 何故かシャルダン、我がことのように満面の笑みでうなずいている。ずいっと胸を張って、ものすごく得意げだ。

(なんか、ネズミとっつかまえた時のちびに似てるなあ……)

「あ。あ。あーっ!」

 いきなり至近距離にシャルダンが顔を寄せてきた。近いも近い、もう少しで額と額が触れそうなくらいに。青みを帯びた緑の瞳が、じっとこっちを見つめている。
 今、この瞬間、自分と代わりたいと願う女性が何人いることだろう。

「な、なんだ。どうした?」
「ダイン先輩も再生してる!」
「は?」

 試しに頬をなで回す。さっきまで皮膚を苛んでいた疼きが、消えている。
 魔物の凍てつく吐息を浴びて、凍傷に冒された顔が、首筋が、そして腕も……きれいに治っていた。

「すごい体力ですね! さすが鍛えてる人は違うなあ」
「んな訳ゃねーだろ!」

 冗談でも皮肉でもなしに、本気で言ってるから困る。

「フロウだよ」
「ああ」

 ぽん、とシャルダンは手を叩いてうなずいた。

「彼氏さんの仕業かぁ」

(仕業って、お前ねぇ……)

「あっちには、ちびが一緒にいるからな」
「え? 先輩の猫?」
「なるほど」

 きょとんとするシャルダンの横で、エミリオがうなずいた。

「使い魔を中継して治癒魔法を送ったんですね。流石、本職魔術師!」
「そう言うことだ」

 ……多分。
 エミリオの説明を聞くや否や、むうっとシャルダンが頬をふくらませた。

「いいなーいいなー、ダイン先輩の猫いいなー」
「あのなぁ」

 果たしてどこを指しての『いいなー』なのか。こいつの場合、呪文の中継云々より、単純にふわもこを羨ましがってる節がある。

「ふわもこいいなー」

 やっぱり。

「お前には俺がいるだろ?」

 むくれる騎士の銀髪を、わしっと陽に焼けた手がつかむ。そのままくしゃくしゃなで回しはじめた。

「中継なんかするまでもない。直にすっ飛んで来るよ」
「今みたいに?」

 ちろっとシャルダンは上目遣いにエミリオを見つめた。こっくりとエミリオが頷く。

「ああ。今みたいに。俺と猫、どっちがいい?」
「エミル!」
「よし」

 そんな二人を見ながら、ダインはそこはかとなく、腹の内側からじわじわむず痒さが広がるのを感じていた。かろうじて腕をかきむしるのはこらえたが。つい、口元がひくひくとひきつってしまう。

(痒いってぇか、くすぐったいってぇか……ああもお!)

 相棒って言うよりやっぱり夫婦だよ、こいつら。しかも、新婚さんと熟年夫婦のいいとこ取りのブレンドだ。
 これは、団長も予測してなかったろう。
 だけどこれはこれで、やっぱり若手騎士の魔術師嫌いを緩和してくれるにはちがいない。

(こんなの見せつけられたんじゃあ、毒気抜かれちまうわな)

     ※

 フロウはふーっと息を吐いて、肩の力を抜いた。左腕の木の腕輪から、すうっと光が消える。陽に透ける若葉にも似た緑色の光だった。

「ったく世話焼かせやがって、あの馬鹿犬が」

 腕の中でもぞもぞと、黒と褐色の斑の猫が身じろぎする。

「ぴゃあ」

 暖炉の前でゆっくりくつろいでいたら、いきなりちびが悲鳴を挙げて飛び上がった。床の上でぐるぐる走り回り、もわもわにしっぽを膨らませ、叫び始めた。

『ふーろう、ふーろう! とーちゃん寒い! とーちゃん、痛い!』

 ダインの身に危険が迫っている。直感で悟り、ちびを抱えた。
 途端に、感じた。冷たさ故に肌を焼き、生きるのに必要な熱と活力を根こそぎ奪う、死の吐息を。

『やばい』

 すかさず治癒呪文を唱え、腕の中のちびを通して送り届けたのだった。
 その甲斐あって、無事、危機を脱したのだろう。
 ようやくちびが落ち着き、のどをごろごろ鳴らし始めたのがつい先ほどのこと。

「ご苦労さん。今、ミルクあっためてやるからな」
「ぴぃ!」

 しゅるりしゅるりと肩にまとわりつく猫を伴い、台所に向かう。
 遠くからかすかに、真夜中を告げる教会の鐘が聞こえてきた。

「やれやれ。結局、あいつの夜勤に付き合っちまったな」
 
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5.自分、中級ですから。

2012/01/20 18:21 騎士と魔法使いの話十海
 
 ニレの木より削りだしたる強弓に、白銀の騎士は矢をつがえてきりりきりりと引き絞る。
 一方でダインは膝を曲げ、上体を前に傾け身構える。
 色合いの異なる緑の瞳が、束の間互いに見交わした。
 走り出そうとダインが足に力を込めた、その時だ。

「お待たせ」

 ぬっと鍋が突き出される。
 ぴっちり蓋を閉めた鉄鍋は、ほのかに美味そうなにおいを漂わせていた。よほど熱いのだろう。表面に吹きつける雪が溶け、じゅわじゅわっと水蒸気が立ち上っている。

 ダインは呆気にとられて、ぽかんっと口を開けた。だがシャルダンは目を輝かせて歓声を上げ、鍋の主を迎え入れた。

「エミル!」
「火、持ってきたぞ、シャル」

 言うやいなや、エミリオは鉄鍋の蓋をとり、中身をぶちまけた。
 ばらばらっと赤く熱せられた木切れのようなものが散らばり、エミルを中心に雪の上に半円を描く。

 じゅわ、じゅわ、じゅわあー……

 大量の雪が溶け、もわもわと白い湯気が上がる。近づいていた雪の魔物が顔を背け、胸元の犬が不満げに唸った。

「あ、それ」
「薪か! 暖炉の」
「はい。いい感じに炭化してたのを持ってきました」

 しかし、所詮は鍋一杯分。見る間に水がしみ込み、赤い部分が少なくなって行く。
 にたり、と魔物が笑う。牡羊と人の顔の、唇の端を釣り上げて。

 だがエミリオは動じない。懐から長さ40センチほどの短い杖を取り出し、身構えた。
 それは『最初にして最後の杖』。魔法学院で学ぶ訓練生が、最初の年に自らの手で作り、技量の成長とともにこつこつと改良して行く術具。
 己の分身とも呼ぶべき杖だった。

 ゆるい螺旋を描いた木の杖は、元を正せばシャルダンの弓と同じニレの古木から削り出したものだった。
 つややかに磨き上げられ、持ち手には蔦の葉を模した緑の石が埋め込まれている。
 
『我は木。大地に根差し水を吸い、火をはぐくむ木なり』

 ぽうっと緑の石が光を発する。
 詠唱とともに、消えかけた炭火がかっと赤く光る。のみならず、ちろりと炎をあげ……瞬く間にごうごうと燃え上がった。炭の欠片の一つ一つから、あたかも特大のたき火のような炎が上がる。

 雪の魔物が悲鳴を挙げて後ずさった。
 どこか焼かれたらしい。湯気の中に一筋、よどんだ汚水にも似た悪臭が混じった。

「そっか、あれ、術の触媒か!」
「はい。さすがに何もないとこから火、起こすのはしんどいんで。自分、中級ですから!」

 エミリオは杖で近くの炎を指し示し、次いでシャルダンの弓に触れる。

『炎よ宿れ弓に矢に』

 燃え上がる炎が杖に導かれるまま一筋伸び上がり、弓に巻き付いた。

「熱くないのか?」
「はい、あったかいです」

 ダインは瞼を閉じ、また開いた。同時に左目の奥のもう一つの見えない瞼を押し上げる。
 弓に宿った炎は優しくシャルダンに寄り添い、彼を包んでいた。守っていた。

「あ。ダイン先輩、その目」
「うん。月虹の瞳って言うらしいな」
「授業で習いましたよそれ! 見るのは初めてだけど」
「きれいだな……」

 そう言えばこいつらに見せるのは初めてだった。
 だが、何となく感じていた。この二人なら受け入れてくれる。そしてさっきの息の合った連携を見て確信したのだった。
 予想は正しかった。そして言葉に出すよりも早く、伝わっていた。
 自分は魔術を厭わない。恐れず、ためらわず、共に在ると。

「エミリオ、こっちにも、頼む」
「了解!」

 螺旋の杖がシャルダンの弓に触れ、まとう炎を導いた。

『炎よ宿れ、剣に鎧に』

 オレンジ色の輝きが、幅広の剣の刃に添って燃え上がる。と同時に、体が包まれるのを感じた。薄い膜のように広がった優しい炎の温もりに。

「っしゃあ!」

 雄叫びを挙げ、ダインが走り出す。その後ろから矢が二筋走った。
 一方はシャルダンの弓から放たれる火矢。
 今一つは、エミリオの放つ実体の無い純粋な炎の矢。

 二人の声が一つに溶け合い、同じ言葉を練り上げる。

『炎よ走れ!』

 同時に二本の矢もまた一つに溶け合い結び合い、目もくらむほどの輝きを放つ。
 まばゆく燃える炎の槍が、まっしぐらに魔物の胸を貫いた。

 ぎゃおんっ!

 悲鳴を挙げて、胸元の犬の首が溶け失せる。
 胴体に風穴が開き、揺らいだ所に間髪入れず。炎の壁を突き抜けて、ダインが猛然と躍りかかる。

「おぉりゃあああああ!」

 剣のみならず、髪、顔、腕、足。全身くまなく炎をまとい、気合い一閃。
 大上段に振り上げて、頭のてっぺんから足下まで、ずんばらりんと一気に斬り伏せた。
 赤々と燃える炎の刃が、魔物を縦に一刀両断。
 凍てつく巨体が半ば溶けながら、ばかっと二つに割れて左右に倒れる。
 傷口からぼとぼとと、溶けた汚水を滴らせて。
 右と左、物の見事に真っ二つ。雪の上に落ちる前にぼろぼろと溶け崩れ、びしゃあっとどす黒い染みをぶちまけた。

「…………………やったか?」
「やったよ!」

 シャルダンは飛び上がってエミリオに抱きついた。

「すごいよ、エミリオ! 私たち、魔物を倒しちゃったよ!」
「うん……ちょっと、自分でもびっくりした」
「すごい、すごい、エミリオすごい! エミリオ、強い!」

 エミリオはしがみつく幼なじみの背に腕を回し、しっかりとその体を支えた。
 すごい、すごいと繰り返しながら、子供みたいにはしゃいでるけど。

「お前の弓の腕も、大概にすごいよ」
「そうかな」
「おう、ガキの頃から一緒の俺が言うんだからまちがいない。って言うか、あの技、お前がいなきゃ、無理」

 シャルダンは恥ずかしそうに目元を染めて、手をのばし………
 エミルの頭を撫でた。

 二つの炎の矢を融合させるべく二人が唱えたのは、魔術師の使う『魔導語』ではなく。
 神に祈りを捧げる神職者、あるいは異界の存在と心を通わせる巫術師の使う『祈念語』と呼ばれる言葉だった。
 銀髪のシャルダンと黒髪のエミリオ。二人の少年は、故郷の村では幼い頃より神事を司る役目を担っていた。
 ほとんど言葉を交わすことなく、互いの意志を察し、ごく自然に唱えていたのだ。
 あの場で、もっとも相応しい言葉を。
 それは、二人が共に歩んできた時間の中から導き出された言霊の魔法。他の誰でもない、唯一の相手なればこそ。

 ダインは大きく息を吐き、燃える剣を雪原に突き立てた。

 やはり団長の判断は正しかった。この二人の存在をきっかけに、少しずつ若い騎士たちの意識も変わって行くだろう。騎士と魔術師はいがみ合うものではない。互いに互いを補い、助け合える存在なのだと。
 そう、願いたい。

 ざし、ざしと雪を踏んで、旅人夫婦に歩み寄る。

「お怪我はありませんか?」
「ええ」
「良かった。すぐに町までお連れします。娘さんと息子さんが、待ってますよ」

 夫と妻は顔を見合わせ、手をとりあい、深々と頭を下げた。

「ありがとうございました」
「これで、やっと自由になれます……」
「え?」

 ちょっと待て。
 今、この人たち、何て言った?
 
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4.どこに火が?

2012/01/20 18:20 騎士と魔法使いの話十海
 
「雪で道に迷って、森を抜ける前に日が暮れて。やっと町の灯が見えたと思ったら……あいつが、あいつが!」
「父さんと母さんが、ぼくとねーちゃんを逃がしてくれたんだ」
「わかった。ご両親は今、どこに?」

 姉弟はすうっと手を掲げ、窓の外を指さした。町の西。森と荒野の広がる方角を。

「よし、わかった! シャルダン、行くぞ!」
「はい!」

 シャルダンは既に、愛用のニレの木から削り出した強弓と、矢を満たした矢筒を身につけていた。

「エミル、後、頼んだ」
「おし、任せろ!」

 バンっと扉を開けて外に飛び出す。勢いで積もった雪が舞い上がり、吹きつける雪に混じって視界が白く霞んだ。雪明かりで視界は明るかい。だが念のため、鉄のカンテラを下げる。丈夫な羊毛織りのマントですっぽりと体を覆い、フードを目深に被った。
 手袋をはめた手でダインは門の鍵を開けると、エミリオに渡した。冷えきった鉄の鍵は氷のように冷たく、エミリオの全身がすくみあがる。だが感心なことにしっかりと受け止め、握っている。
 託された物の重さをちゃんと理解しているのだ。

「直に交代の騎士が来る。それまでの間、預かっててくれ」
「はい。気をつけて……」

 通用口を潜り、町の外に出る。
 背後で重々しい音を立てて扉が閉まった。急に、周囲の気温が下がったような気がした。目の前に広がるのは、一面の雪野原。わずかにくぼんでいる場所がかろうじて『道』なのだと見分けがつく程度。
 遠くに黒々と、森の木々がそびえ立っている。ここと、あそこの間のどこかにあの姉弟の両親がいる。我が子を逃すために、雪の魔物の前に身を投げ出して。

「シャルダン、俺の後を着いてこい」
「はい、先輩!」

 わっさわっさと雪をかきわけ、ダインは歩き出した。
 頑丈なブーツで足下の雪を踏みしめ、大股で、がに股で。いつも通りの歩き方なのだが、結果としてそれが雪を踏み固めるのに役立った。そうしてできあがった道を、シャルダンが進む。
 剣士と弓兵、前衛と後衛。このポジションが一番、効率がいいのだ。

     ※ 

 雪原を突き進む間、常にシャルダンは風向きに気を配っていた。より正確に弓を射るのに、大きく関わるからだ。
 同時に耳を澄まし、気配を探っていた。規則的に雪をかきわけ、踏みしめる大型動物……もとい、ダイン先輩以外の何者かが動く気配を。
 果たして。

「……居た」

 前方に、複数の生き物が争う気配がした。いや、正確には片方がもう片方を襲っている。追っている!

「先輩!」
「む」
「あれを」

 ダインはシャルダンの指さす方角に目をやった。
 雪原の中、こけつまろびつ人影が二つ、駆けて来る。白い息を吐き、両手を泳がせ、よろけながら必死で走っている。一人は男、一人は女。年格好からして、おそらくあの姉弟の両親だろう。
 
「こっちだ、早く!」

 ずくん、と左目が疼く。奥から迸る重たい衝撃が、眼球を内側から外側に向かって凄まじい勢いで押し広げる。破裂するかと思った。

(来る!)

 果たして。二人の背後の雪が、ぬうっとせり上がった。
 最初は熊の類いかと思ったが、違っていた。
 そいつは、いくつもの生き物の死体をつなぎ合わせて雪と氷で固めたような姿をしていた。
 二つの螺旋を描く角を頂いた牡羊の顔、その脇に並んだ人間の顔。胴体の半分は熊、もう半分は牡牛、胸の真ん中には何故か、狼だか犬だかの顔が埋まって、涎を垂らしてけたたましく吠えた。
 ただし、いずれも半ば朽ちたまま、凍りついている。

 雪の魔物。
 
 正しく、そう呼ぶに相応しい怪物だった。

「あっ」

 雪に足をとられたか。女が転ぶ。男は振り返り、妻に向かって手を伸ばす。

「んなろっ」

 ダインが剣を抜き放ち、両手で構えてまま走り出した。強引に雪をかき分け、凄まじい勢いで突っ走る。
 その耳元をかすめ、びゅんっと矢が飛んだ。
 シャルダンだ。弓を構えてすっくと雪原に立ち、早くも次の矢に手を伸ばす。
 白銀の騎士の放った一矢が、ぶつりと魔物の片目に刺さる。刹那、動きが鈍った。
 その隙を着いてダインは追う魔物と逃げる夫婦の間に立ちふさがり、振り降ろされる前足をがきっとばかり剣で食い止めた。

「むぅ」

 ず……と足が埋まり、わずかに押し戻される。凍った鉤爪の間に剣の刃が食い込む。
 顔のすぐ側で、魔物の胸に埋まった腐った犬の首が、歯をむき吠えた。
 かはぁっ。
 生臭い凍てつく息が顔をなでる。

「うるせえっ!」

 ぐい、と押し返し、一歩下がりながらも胴体に一太刀浴びせる。
 確かに手応えはあった。あったはずなのだが。

「どうなってるんだ?」

 真っ向から横ざまの一撃。犬の顎が、上下真っ二つに切り裂かれたかに見えた。
 だが剣の刃が振り抜けた瞬間、傷口にびゅううううっと雪が吹きつけ、凍りつき、瞬く間に傷を塞いでしまう。
 それだけではない。

 ず、ずずずずぅ……。

 不気味な音を立てて、魔物の顔に刺さっていた矢が、押し戻されて行き……ぼとり、と雪の上に落ちた。
 一滴の血も流れていない。いや、そもそもこいつの体に、血なんか流れてるんだろうか?

「再生たぁ、味なマネやってくれるじゃないか……上等!」
 
 にっとダインは口の端を釣り上げた。

「だったらこっちも手加減しねえぜ。おりゃあっ!」

 続けざまに二度、三度と斬り付ける。勢い、守りは薄くなり、魔物の爪が騎士の身に付けたマントを切り裂く。だが、肉を断つまでには至らない。
 ニレの木より削り出したる強弓から放たれる矢が、確実に魔物の攻勢いを削いでいたからだ。
 しかし、何度切っても刃が抜けると同時に塞がってしまう。突き立った矢も、ことごとく再生する傷口から押し戻され、抜け落ちる。
 じりじりとダインは後退した。逃げる夫婦の前に立ちふさがって防御の体勢を取りつつ、シャルダンの居る所まで下がる。

「くそ、思ったより厄介な相手だな」
「斬っても射ても、すぐに塞がっちゃいますからね。このまま退却しても、町まで逃げ切れるかどうか」

 ちら、とダインは旅人夫婦に目線を走らせた。どれほどの距離を魔物に追われていたのだろう。妻は既に息も絶え絶えで、夫に取りすがってようやく立っているような状態だ。

「無理だな。移動速度が違い過ぎる」
「と、なると。どうにかして、がつーんっと派手にダメージ与えてやる必要がありますね」
「ああ。あいつ、肉が盛り上がるって言うより、傷口が凍りついて再生してる感じだったな」
「ってことは、本質的には氷とか、雪みたいなものだ、と」
「そうなると、弱点はあれか。火か! ごーっとこう一気に浴びせて!」
「ここのどこに、そんな大きな火があると言うんでしょう」

 びよおおおお………。
 風が吹き抜ける。
 見渡すかぎりの雪野原。火種どころか、薪になりそうなものも見つからない。全て、白い雪の下に埋もれている。カンテラの炎はあまりに小さく、化け物の爪一本溶かせれば御の字か。
 当然、予備の油など用意する余裕はなかった。

「ええい、こうなったら」

 ぶんっとダインが剣を振り回す。厚手で幅広い剣は斬る以上に、叩きつけ、粉砕する威力があった。

「再生できないほど粉々に打ち砕いてやらぁ!」
「先輩それ無謀です」

 確かに爪は届かなかった。だがたびたび浴びせられた凍てつく吐息が、剥き出しの顔や首筋を侵食し、赤紫に腫れ上がった火傷にも似た傷が広がっていた。
 この手の傷は鎧では防げない。手袋をはめてるとは言え、直に金属を……剣を握る手だって無事では済まないはずだ。

(見えてる部分だけでも、あれだけ酷いんだ。服や鎧の下はどうなってるんだろう?)

「無謀でも、やらなきゃなんない時ってのがあるんだよ!」
「わあ、潔い。って言うか、男らしい」
「俺が、壁になる」
「援護します」

 静かに、だが有無を言わせない口調だった。
 
「ったく」

 ダインは舌打ちして眉根を寄せ、ほんの少し困ったような笑みを浮かべた。
 本当はこう続けるつもりだった。俺が壁になる。だからその間に、この二人を連れて逃げろ、と。
 シャルダンは彼の意図をいち早く察し、先手を打ってきたのだ。退却とか逃亡なんて選択肢はない。この場に残り、一緒に戦うと。
  
「しょうがねぇなあ」
「それはこっちの台詞です」

 ざし、ざしと雪の魔物が近づいて来る。二人の騎士は身構えた。
 
「行くぜ!」
「はい!」
 
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3.助けを請うはか細き声

2012/01/20 18:19 騎士と魔法使いの話十海
 
「ごちそうさま」
「美味かった」

 空っぽになったシャルダンの皿を確認し、エミルは満足げにうなずいた。
 
「よし、ちゃんと食ったな」
「エミル、また腕を上げたね」
「騎士は体が資本だろ? しっかり食って、しっかり体力つけてもらわなきゃな」

 厚切りのサンドイッチと、肉団子のスープ。いかに男二人分と言えど、夜食としてはいささか多い分量だったが、結局三人で分け合ってペロリと平らげてしまった。
 サンドイッチにしみ込んだスパイスと、白菜とカブ、そして鶏肉のうま味の溶けたスープがじんわりと、冷えた体を内側からあっためてくれる。
 後片づけをしながら、ダインは考えていた。正直、気になったのだ。この大雪の中、エミリオはこれからどうするんだろう?
 疑問はすぐに解けた。

「シャル、もうちょっとで交代だろ? それまで待ってる」
「うん!」

 いつの間にやら湯を沸かし、ちゃっかりお茶まで入れていた。要するに、夜勤が開けたら一緒に帰るってことらしい。それを見越した上で弁当を届けに来たとしたら……

(やっぱこいつら、夫婦だ)

 そんなことを考えた矢先。

「あ、パンくずついてる」

 ごく自然な仕草でシャルダンが手を伸ばし、エミリオの口元からひょいとパンくずをつまみとって口に入れた。
 まだ十代の若者だ。これが普通ならたちどころに真っ赤になりそうなもんだが……『よせよ恥ずかしい!』とか何とか言って、大慌てで。
 エミリオは動じる気配も見せず、さらりと

「さんきゅ」

 礼まで言っている。その気負いの無さから伺い知れた。この二人にとって、このレベルのことは日常茶飯事なのだと。

「団長のお嬢さんが、魔法学院に入ったんだって?」
「ああ。初等科にな。飲み込みが早いって、教官も驚いてるよ。徒弟入学の子らと比べて遜色ないとさ」

 徒弟入学、とは個人的に魔術師なり、巫術師に弟子入りしている少年少女が師匠に学ぶ傍ら、学院に通う事だ。基礎が既にできあがっているため、一般の生徒より一歩先んじている。
 四の姫ことニコラ・ド・モレッティは、正式な入学の前にまず一ヶ月、フロウの元に通ってみっちり基礎を教え込まれていた。今も学院に通う傍ら、ちょくちょく薬草店に出入りしている。

「実際フロウに弟子入りしてるもんな、あの子は」
「それにしたってここ一、二ヶ月のことでしょ?」
「筋がいいんだ。祈念語の書き取りも、もうとっくに俺を追い越してるし」
「あー、それは……」

 口ごもるエミリオの傍らで、さらっとシャルダンが言ってのけた。

「知力のレベルが違うってことですね!」
「う」

 がっくりと肩を落とすダインの背を、エミリオがぱたぱたと叩いて慰めた。 

「この間、うっかり四の姫を、お姉さんの三の姫と間違えちゃった。でも、見分けるポイントを発見したんだ!」
「ふーん。で、どこ?」

 シャルダンはこれ以上ないと言うくらい、大らかな笑顔と朗らかな声できっぱりと言い切った。

「胸!」
「……………」
「……………」

 同時にダインとエミリオは、何とも言いがたい表情で銀髪の騎士を見つめた。
 部屋の空気がぴしっと固まったのは、雪のせいだけじゃない。
 二人の微妙な視線を物ともせず、シャルダンは自らの両手で空中に、上から下にすとーんっとまっすぐなラインを描いた。

「こう、四の姫はお姉さんたちと違って、スレンダーって言うか、すとーんっとしてるよね。服もふりふりよりはシンプルなデザインが似合いそうだし……」
「確かにそうだけど。確かにそうだけどさあ」

 ダインはじと目で後輩をにらみ、一方でエミリオは額に手を当て、しばらく考え込んでいた。
 やがて、顔を上げるとぽん、とシャルダンの肩に手をかけ、言った。

「それ、絶対、本人の前では言うなよ?」
「うん、でもどうして?」
「あのお嬢さん、けっこうふりふりとか好きだから!」

 嘘は言ってない。

「そっかぁ。意外だなあ」
「年ごろの女の子だからな!」

(うーむ、何のかんの言いつつ、結果としてシャルダン(あいつ)のど天然暴走を上手く制御してる)

 ダインは思わず知らず唸った。

(さすが付き合い長いだけのことはあるな、エミリオ)

 危険な発言が上手いこと封印され、エミリオとダインがほっと胸をなで下ろしたその直後。

 ガツッ、ガツッ、ガツッ!

 金属の金属の打ち合わされる、鋭い音が響く。外から。さらに言うなら、門の脇の通用口の向こうからだ。
 城門には、大人の背丈よりなお高い扉の脇にもう一つ、通用口が設けられている。鋼鉄で補強された分厚い木の扉で、頑丈な鍵を預かるのは門の警護当番。
 外側には、大きな打戸金(ノッカー)が取り付けられている。夜間、町を訪れたものはこれを打ち鳴らし、当直の騎士が確認して通用口を開ける。それが決まりだ。

『救いを求む打戸の音、鳴らされし時は一命に換えても開けるべし』
『何人たりとも拒むなかれ』

 今、それが打ち鳴らされた。

 ダイン、エミリオ、シャルダン。三人は、はっと顔を見合わせ、表情を引き締めた。
 雪に難儀しながら、旅人がようやく門にたどり着いたのだろう。防寒用のマントを羽織るのももどかしく、外に飛び出した。と同時にもう一度、ノッカーが鳴った。
 急がなければ。足下にまとわりつく雪も何のその、一足飛びに通用口へと走り寄り、のぞき窓から外を伺う。

「何者だ?」
「助けて。旅の者です」

 か細い声が答える。

「雪で道に迷って、やっとたどり着いたの。お願い、助けて!」

 のぞき窓の向こうでは、姉と弟とおぼしき少女と少年が、ひしと抱き合い、震えていた。
 即座にダインは鍵を外し、通用口を開け放った。

「早く、こっちへ! シャルダン、手ぇ貸せ!」

 鍵をかけ直すのももどかしく、二人を番小屋に運び込む。唇が紫色になった姉弟を暖炉の前に連れて行った。
 二人はほわっと顔をほころばせ、燃える炎に手をかざした。

「もう、大丈夫だからな」
「いいえ。いいえ。いいえ!」

 姉娘が激しくかぶりを振る。

「まだ、お父さんとお母さんが……こ、このままでは、二人とも殺されてしまう」

 ダインとシャルダンは顔を見合わせた。

「殺される、と言ったね。それは、何に? いや、誰に?」

 ぶるぶるる、がくがくと震えながら、姉弟はなおも互いにひしときつく抱き合った。

「大丈夫。すぐに俺達が助けに行くから。だから教えてくれ」
「何に襲われたの、君たち?」

 姉娘が、ぽつりと言った。かすれる声を最大限の努力で振り絞って。
 
「魔物………雪の、魔物」
 
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