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とりねこの小枝

なんで無茶ばっかりするの!

2015/04/23 0:48 お姫様の話いーぐる
 アインヘイルダールを囲む城壁の外、点在する集落を見回っていた時にそれは起こった。
 なだらかな緑の丘の向うにもくもくと黒煙が上がっていた。野焼きにしては時期外れ、たき火にしては明らかに大きすぎる。

「行くぞ、シャルダン」
「はい、先輩!」

 二人の騎士は即座に馬を走らせた。だが、あまりにも馬の基礎体力に違いがありすぎた。
 足並みを揃えて並走している時はさほどでもない。だが全力疾走では、はっきりと差が出る。
 とっさシャルダンは叫んだ。

「先輩、先に行って下さい!」
「わかった!」

 途端にくんっとダインの乗る黒馬は足を早め、瞬く間に銀髪の騎士の乗った栗毛の馬を引き離した。
(やっぱり私を気遣ってくれてたんだ。先輩も、黒さんも、無意識の内に)
 駆け去る背を見送りながら、シャルダンはきゅっと奥歯を噛んだ。
(自分の馬が欲しいな。黒さんに遅れないくらい、速い馬が……)

 一方、ダインと黒はひと息に丘を駆け登った。眼下に広がる集落の家が一軒、めらめらと燃えていた。城外の集落の例に漏れず、石組みやレンガをほとんど使わない木造の家だった。

「はいやっ!」

 黒毛の軍馬はまっしぐらに斜面を駆け降り、地響きとと共に燃える家まで駆けつけた。
 砂色の身頃に黒の前立ての詰襟の軍服。西道守護騎士団の制服を見て、怯える人々の顔に一抹の安堵が浮かんだ。

「おおっ騎士さまだ」
「西道守護騎士が来たぞ!」

 ここ数日、雨は一滴も降らず空気も土も乾燥し切っていた。おそらくは家を構成する木材も、屋根を葺く茅も。
 近隣の人々が手に手にバケツを下げて駆けつけ、手から手に渡して水をかけてはいたが火の勢いはあまりにも強い。折りからの風に煽られてますます燃え盛る。幸い、住人は既に逃れていたかに見えたが。

「はなしてぇええ、行かせてぇえええ!」
「いけない、あんたまで焼け死んじまうよ!」

 半狂乱になった女が数人の男女に押さえられている。

「どうした!」
「子供が。子供が、まだ中に!」

 瞬時にダインは決断した。

「子供の名前は?」
「レナーテです」
「……わかった。貸りるぞ」
「は、はいっ」

 傍の男から水の入ったバケツを受け取り、ざばあっと頭から引っかぶる。

「後からもう一人来る。彼の指示に従え」

 濡れたマントのフードを被り、襟を引き上げ口と鼻を覆う。仕度が整うやダインは身を踊らせ、燃える家の中へと飛び込んだ。
 家は平屋建て。薄い壁で仕切って居間と食堂を兼ねた部屋と、もう一つか二つ部屋を作ったありふれた作りだ。
 明るいオレンジ色の炎が天井を走り、壁を舐め、家の中には煙がもうもうと立ちこめている。鼻と口を覆う湿った布は瞬く間に熱っせられ、息を吸っても吐いても流れる空気は熱い。

「レナーテ! どこだ! どこに居る! 助けに来たぞ!」

 炎の音に負けじと叫んだ。腹から声を上げ、吠えた。

「返事しろ! レナーテ!」

 かすかに高い声を聞いた。怯え切って泣き叫ぶ子供の金切り声。生命の危機にさらされている声だ。

「おかーさーん。おかーさーん!」

 聞く者の本能を引っ掻き、胸をかき乱す悲痛な泣き声はドアの向うから聞こえて来る。
 駆け寄ろうとしたその時、天井が崩れ、折れた梁が降ってきた。とっさに後ずさりして躱すが、戸口を燃えた木材が塞いでしまった。
 こう言う時、必要なのは斧。だが手元にはない。迷わず剣を抜いた。幅広の刃、両手で振るうための長めの柄。最良の鋼を鍛えた剛剣の重さと、己の腕力を頼みに振り上げ、打ち下ろす。

「おぉおりゃあっ!」
 
 一刀両断、燃える梁が断ち切られる。ブーツを履いた足を振り上げ、どっかとばかりに扉を蹴り開けた。
 そこは家族の寝室だった。赤々と燃えて軽くなった寝具がふわふわと舞う部屋の片隅に、女の子がうずくまっている。

「レナーテ!」
「たすけて、おかーさーん!」

 剣を収めるのももどかしく走り寄り、小さな体をマントの中にすっぽりと抱き込んだ。

「こわいよーっ」
「もう大丈夫だ、よくがんばった」

 震える少女の背中を撫でる。

「目、閉じてろ」

 こくっとマントの下で頷く気配がする。

「行くぞ!」

 少女を抱きかかえ、ダインは猛然と火の中を走り出した。
 倒れてくる家具や柱を強引に肩で受け止め、足で蹴り飛ばし、ひたすら出口を目指す。呼吸すれば鼻からも口からも熱気が流れ込む。逃げ場が無い。煙が目に染み、視界が狭まる。
 大股で歩けば5歩もかからない距離が、百里の長さに感じられる。不意に自分が縮んで、家が大きく膨れ上がったような錯覚に囚われた。
(しっかりしろディーンドルフ)
 必死にしがみつく小さな手に我に返る。
(この子を助けるんだ!)

「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」

 絶叫と共に突っ走る。行く手を塞ぐ障害物を強引に押しのけ、大きく体を捻って飛び出した。炎に包まれた狭い空間から、青空の下へ。そのままだーっと走って家から遠ざかる。
 その直後。燃える家は轟音とともに崩れ落ちた。
 間に合った。安堵した刹那。

「今です!」

 いきなり四方八方から大量の水を浴びせられ、じゅわーっと白い煙が上がる。

「ぶはっ」

 ぶちまけられた水が鼻に入り、一瞬溺れそうになったが咽の焼ける感覚は和らぎ、マントに燃え移っていた火も消えた。

「大丈夫ですか、先輩!」
「…………………」

 ぽとぽとと滴を垂らしながら顔をあげると、銀髪の騎士がバケツを抱えて立っていた。

「良い判断だ、シャルダン」
 
 自分が飛び込んだ直後から、村人を指揮して水を満たしたバケツを手に待ちかまえていたらしい。飛び出したらすぐに消火できるように。

「娘は、娘はっ」

 転がるように母親が駆けてくる。崩れる家よりも娘が心配なのだ。

「無事だよ」

 それが親ってもんなんだ。何よりも子供が大事。子供の為ならどんな犠牲だって払う。それが母親って生き物なのだ。

「そら、出ておいで、レナーテ」

 マントを開いて少女を地面に下ろす。ちょっぴり顔にススがついて髪の毛がちりちりになっていたけれど、レナーテは怪我一つなかった。
 母親は娘の名を呼びながら飛びつき、抱きしめる。ひくっと少女の咽が震え、目に涙が盛り上がり……やがて声を上げて泣き出した。抑えていた感情が一度にあふれ出したのだろう。
 それはダインが家の中で聞いた、鬼気迫る金切り声とはまるで違っていた。

     ※

「いってぇっ」

 ぺっちん! といい音が響いた。人の頭を張り倒す、ある種小気味のよい音が。ダインは赤くなった額を抑えて突っ伏した。
 しばらく震えていたがむくっと体を起こし、涙のにじむ目できっとニコラを見る。

「何すんだよ」
「まーた無茶して、このおバカ!」
「う」
「シャルダンに感謝しなさいよ? 貴方よりよっぽど冷静じゃない!」
「う、それは、その……」
「そもそも師匠から一緒にシールドの呪文習ったはずなのに使えてないのよ!」

 ぐっと言葉に詰まるダインに一頻り起こったあと、ため息を吐いてから少女は苦笑を浮かべた。
 
「まあ、結果オーライだから良いけどね。その女の子もダインも、無事で良かった。」
「うん」
「そ、その……頑張ったのはわかってるから、とりあえずアレよ……お疲れ様。」

 ようやくダインは顔をあげ、はにかみながらも嬉しそうに笑ったのだった。口元をゆるめ、白い歯を見せて。
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