▼ 4.どこに火が?
2012/01/20 18:20 【騎士と魔法使いの話】
「雪で道に迷って、森を抜ける前に日が暮れて。やっと町の灯が見えたと思ったら……あいつが、あいつが!」
「父さんと母さんが、ぼくとねーちゃんを逃がしてくれたんだ」
「わかった。ご両親は今、どこに?」
姉弟はすうっと手を掲げ、窓の外を指さした。町の西。森と荒野の広がる方角を。
「よし、わかった! シャルダン、行くぞ!」
「はい!」
シャルダンは既に、愛用のニレの木から削り出した強弓と、矢を満たした矢筒を身につけていた。
「エミル、後、頼んだ」
「おし、任せろ!」
バンっと扉を開けて外に飛び出す。勢いで積もった雪が舞い上がり、吹きつける雪に混じって視界が白く霞んだ。雪明かりで視界は明るかい。だが念のため、鉄のカンテラを下げる。丈夫な羊毛織りのマントですっぽりと体を覆い、フードを目深に被った。
手袋をはめた手でダインは門の鍵を開けると、エミリオに渡した。冷えきった鉄の鍵は氷のように冷たく、エミリオの全身がすくみあがる。だが感心なことにしっかりと受け止め、握っている。
託された物の重さをちゃんと理解しているのだ。
「直に交代の騎士が来る。それまでの間、預かっててくれ」
「はい。気をつけて……」
通用口を潜り、町の外に出る。
背後で重々しい音を立てて扉が閉まった。急に、周囲の気温が下がったような気がした。目の前に広がるのは、一面の雪野原。わずかにくぼんでいる場所がかろうじて『道』なのだと見分けがつく程度。
遠くに黒々と、森の木々がそびえ立っている。ここと、あそこの間のどこかにあの姉弟の両親がいる。我が子を逃すために、雪の魔物の前に身を投げ出して。
「シャルダン、俺の後を着いてこい」
「はい、先輩!」
わっさわっさと雪をかきわけ、ダインは歩き出した。
頑丈なブーツで足下の雪を踏みしめ、大股で、がに股で。いつも通りの歩き方なのだが、結果としてそれが雪を踏み固めるのに役立った。そうしてできあがった道を、シャルダンが進む。
剣士と弓兵、前衛と後衛。このポジションが一番、効率がいいのだ。
※
雪原を突き進む間、常にシャルダンは風向きに気を配っていた。より正確に弓を射るのに、大きく関わるからだ。
同時に耳を澄まし、気配を探っていた。規則的に雪をかきわけ、踏みしめる大型動物……もとい、ダイン先輩以外の何者かが動く気配を。
果たして。
「……居た」
前方に、複数の生き物が争う気配がした。いや、正確には片方がもう片方を襲っている。追っている!
「先輩!」
「む」
「あれを」
ダインはシャルダンの指さす方角に目をやった。
雪原の中、こけつまろびつ人影が二つ、駆けて来る。白い息を吐き、両手を泳がせ、よろけながら必死で走っている。一人は男、一人は女。年格好からして、おそらくあの姉弟の両親だろう。
「こっちだ、早く!」
ずくん、と左目が疼く。奥から迸る重たい衝撃が、眼球を内側から外側に向かって凄まじい勢いで押し広げる。破裂するかと思った。
(来る!)
果たして。二人の背後の雪が、ぬうっとせり上がった。
最初は熊の類いかと思ったが、違っていた。
そいつは、いくつもの生き物の死体をつなぎ合わせて雪と氷で固めたような姿をしていた。
二つの螺旋を描く角を頂いた牡羊の顔、その脇に並んだ人間の顔。胴体の半分は熊、もう半分は牡牛、胸の真ん中には何故か、狼だか犬だかの顔が埋まって、涎を垂らしてけたたましく吠えた。
ただし、いずれも半ば朽ちたまま、凍りついている。
雪の魔物。
正しく、そう呼ぶに相応しい怪物だった。
「あっ」
雪に足をとられたか。女が転ぶ。男は振り返り、妻に向かって手を伸ばす。
「んなろっ」
ダインが剣を抜き放ち、両手で構えてまま走り出した。強引に雪をかき分け、凄まじい勢いで突っ走る。
その耳元をかすめ、びゅんっと矢が飛んだ。
シャルダンだ。弓を構えてすっくと雪原に立ち、早くも次の矢に手を伸ばす。
白銀の騎士の放った一矢が、ぶつりと魔物の片目に刺さる。刹那、動きが鈍った。
その隙を着いてダインは追う魔物と逃げる夫婦の間に立ちふさがり、振り降ろされる前足をがきっとばかり剣で食い止めた。
「むぅ」
ず……と足が埋まり、わずかに押し戻される。凍った鉤爪の間に剣の刃が食い込む。
顔のすぐ側で、魔物の胸に埋まった腐った犬の首が、歯をむき吠えた。
かはぁっ。
生臭い凍てつく息が顔をなでる。
「うるせえっ!」
ぐい、と押し返し、一歩下がりながらも胴体に一太刀浴びせる。
確かに手応えはあった。あったはずなのだが。
「どうなってるんだ?」
真っ向から横ざまの一撃。犬の顎が、上下真っ二つに切り裂かれたかに見えた。
だが剣の刃が振り抜けた瞬間、傷口にびゅううううっと雪が吹きつけ、凍りつき、瞬く間に傷を塞いでしまう。
それだけではない。
ず、ずずずずぅ……。
不気味な音を立てて、魔物の顔に刺さっていた矢が、押し戻されて行き……ぼとり、と雪の上に落ちた。
一滴の血も流れていない。いや、そもそもこいつの体に、血なんか流れてるんだろうか?
「再生たぁ、味なマネやってくれるじゃないか……上等!」
にっとダインは口の端を釣り上げた。
「だったらこっちも手加減しねえぜ。おりゃあっ!」
続けざまに二度、三度と斬り付ける。勢い、守りは薄くなり、魔物の爪が騎士の身に付けたマントを切り裂く。だが、肉を断つまでには至らない。
ニレの木より削り出したる強弓から放たれる矢が、確実に魔物の攻勢いを削いでいたからだ。
しかし、何度切っても刃が抜けると同時に塞がってしまう。突き立った矢も、ことごとく再生する傷口から押し戻され、抜け落ちる。
じりじりとダインは後退した。逃げる夫婦の前に立ちふさがって防御の体勢を取りつつ、シャルダンの居る所まで下がる。
「くそ、思ったより厄介な相手だな」
「斬っても射ても、すぐに塞がっちゃいますからね。このまま退却しても、町まで逃げ切れるかどうか」
ちら、とダインは旅人夫婦に目線を走らせた。どれほどの距離を魔物に追われていたのだろう。妻は既に息も絶え絶えで、夫に取りすがってようやく立っているような状態だ。
「無理だな。移動速度が違い過ぎる」
「と、なると。どうにかして、がつーんっと派手にダメージ与えてやる必要がありますね」
「ああ。あいつ、肉が盛り上がるって言うより、傷口が凍りついて再生してる感じだったな」
「ってことは、本質的には氷とか、雪みたいなものだ、と」
「そうなると、弱点はあれか。火か! ごーっとこう一気に浴びせて!」
「ここのどこに、そんな大きな火があると言うんでしょう」
びよおおおお………。
風が吹き抜ける。
見渡すかぎりの雪野原。火種どころか、薪になりそうなものも見つからない。全て、白い雪の下に埋もれている。カンテラの炎はあまりに小さく、化け物の爪一本溶かせれば御の字か。
当然、予備の油など用意する余裕はなかった。
「ええい、こうなったら」
ぶんっとダインが剣を振り回す。厚手で幅広い剣は斬る以上に、叩きつけ、粉砕する威力があった。
「再生できないほど粉々に打ち砕いてやらぁ!」
「先輩それ無謀です」
確かに爪は届かなかった。だがたびたび浴びせられた凍てつく吐息が、剥き出しの顔や首筋を侵食し、赤紫に腫れ上がった火傷にも似た傷が広がっていた。
この手の傷は鎧では防げない。手袋をはめてるとは言え、直に金属を……剣を握る手だって無事では済まないはずだ。
(見えてる部分だけでも、あれだけ酷いんだ。服や鎧の下はどうなってるんだろう?)
「無謀でも、やらなきゃなんない時ってのがあるんだよ!」
「わあ、潔い。って言うか、男らしい」
「俺が、壁になる」
「援護します」
静かに、だが有無を言わせない口調だった。
「ったく」
ダインは舌打ちして眉根を寄せ、ほんの少し困ったような笑みを浮かべた。
本当はこう続けるつもりだった。俺が壁になる。だからその間に、この二人を連れて逃げろ、と。
シャルダンは彼の意図をいち早く察し、先手を打ってきたのだ。退却とか逃亡なんて選択肢はない。この場に残り、一緒に戦うと。
「しょうがねぇなあ」
「それはこっちの台詞です」
ざし、ざしと雪の魔物が近づいて来る。二人の騎士は身構えた。
「行くぜ!」
「はい!」
次へ→5.自分、中級ですから。