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2012年9月の日記

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ブラウニー、ブラウニー2

2012/09/28 23:25 騎士と魔法使いの話十海
 ボウルや木べら、その他卵を混ぜるのに使った器やバターを溶かした時の鍋を洗って、丁寧に拭いて。棚に収める頃には、クッキーの焼ける甘く、香ばしいにおいが漂い始めていた。

「きゃわきゃわわ」
「きゃーわー」 
「あら?」

 聞いていてくすぐったくなるような、小さな声が近づいてくる。まるで木の中で小鳥がかさこそ動くような気配がする。
 そろーりと振り返ると、テーブルの下にころころとまるまっちい生き物が群れていた。
 まるっこい体から細い短い手足の突き出した二頭身の小人。大きさは大人の手のひらに乗るくらい、大体20センチ前後と言った所だろうか。亜麻色のふわふわの髪の毛に、つぶらな蜜色の瞳が愛くるしい。

(ちっちゃいさんだ!)

 見ないふりをして、テーブルに座る。

「ねえ、もしかしてちっちゃいさんって師匠に似てる?」
「ああ」

 ころころした小人の居るテーブル下を、ちらとも見ないでフロウが答える。彼らがそこにいるのは、確かめるまでもなくわかっているようだ。

「ちっちゃいさんは……ブラウニーは、家につく妖精だからな。長く住んでると影響を受けて、段々その家の住人に似てくるんだ」
「じゃあ、じゃあ、私の家には、私そっくりのちっちゃいさんが?」
「いるかも知れないな」
「わああ、見てみたーい」

 ニコラは手を握りあわせてうっとりとつぶやいた。

「そろそろ、お茶の準備もしとくか」
「はーい」

 水色のスカートを翻し、たったったっと足取りも軽やかにお湯を沸かす準備を始める。
 ヤカンの蓋をかぱっと開けて、胸元の琥珀のブローチに呼びかけた。

「キアラ、水お願い」

 ほわっと小さな水色の光がブローチから飛び出し、ふくらみ、実体化する。瞬く間に、背中に金魚のヒレに似た翼をはためかせた、ふわふわの金髪巻き毛の少女が現われた。

『はい、お水』

 翼がひらひらとはためいて、ちいさな手のひらから澄んだ水が湧き出した。一番手近な水源……裏庭の井戸の水を転送しているのだろう。
 自分の使い魔、水の妖精ニクシーを呼んで水汲みの手間を省いてる。ちゃっかりしてると言うか。要領がいいと言うか……恐らく魔法学院の召喚士、ナデューの指導の賜物だろう。

(あいつもしょっちゅう、『召喚されし者』に手伝わせてるものなあ)

 コンロにかけたヤカンがしゅんしゅんと湯気を立てる頃。

「よーし、焼けたな」

 こんがり焼き上がったクッキーが取り出され、型ごと金網の上に置かれた。
 お茶を入れる間、そのままにして粗熱を取る。ちっちゃいさん達はもうすっかり大胆になっていた。ずらりっとテーブルの上に並び、今か今かと待ちかまえている。はっふはっふと鼻息も荒く、ぷっくりしたほっぺたを赤くして、目を潤ませて。

「師匠、なんかものすごーく期待されてる気がする……視線が熱いよ」
「好物だからな……」

 あくまで見ないふり、気付かないふりをしつつ、クッキーを型から出して、切り分けた。
 一斉に背後できゃわきゃわと、興奮したおしゃべりがわき起こった。

「こっちはちっちゃいさんたちの分な」

 人間用よりさらに小さく切った四角いクッキーを皿に盛って、ことりとテーブルに置く。もちろんミルクも忘れずに。

「きゃわー」

 すかさずころころっと丸っこい小人たちが群がり、一切れずつ抱えて、あむあむとかじり始める。

「わ、ブラウニーがブラウニー食べてる」
「ははっ、そう言やそうだな」

 カップに紅茶を注ぎ、皿に人間用のサイズに切り分けたブラウニーを乗せて、お茶の時間の始まりだ。

「んぴゃあああ。にゃぐるるるにゅう」

 今度はちびも、自分の分け前を堂々と食べている。夢中になりすぎて鳴き声がちょっぴり変になっているけど気にしない。

「バタースコッチブラウニーって、焼き上がりはふにっとしててやわらかいのね」
「俺はこっちの方が好きだな」
「ちっちゃいさんもそうなのかな……」

 ちらっとニコラは、一心不乱にブラウニーをかじるちっちゃいさんに視線を向けた。
 と……。
 亜麻色のふわふわの髪に混じって約一匹、変わったのが紛れ込んでいる。
 金髪混じりの褐色の髪、瞳は若葉の緑色。他のちっちゃいさんに比べてがっしりした体つきの奴が、がっしがっしと大口開けてブラウニーにかぶりついていた。
 ニコラは青い瞳をまんまるにして、じーっと見つめた。

「師匠! この子ダインに似てる!」
「ああ、そいつは砦からくっついて来たんだろう」
「……砦にもちっちゃいさんって居るんだ」
「居るともさ。あそこはこの町で一番古い建物だし、人もいっぱいいるからな」
「それじゃあ、ちっちゃいダインとか、ちっちゃいシャルとか……ちっちゃい隊長とかがいるってこと?」
「いるだろうなあ」

 ニコラは腕組みをして、うーんっと考え込んだ。

「………かわいい?」
「きゃわわ」
「きゃーわーっ」

 四の姫の思惑など露知らず、ちっちゃいさんたちは甘いブラウニーとミルクにご機嫌。口の周りに食べかすをくっつけて、夢中になってかじっていた。

     ※

 その頃、騎士団の兵舎では……。
 がっちゃんと金属の蓋が開く。甘酸っぱい果実と、香ばしいアーモンド、そして焼けた小麦粉とバターの香りがふわあっと広がる。
 料理番のおばさんが、薪オーブンから焼き上がったパイを取り出していた。
 騎士たちは体が資本。今日のメニューは栄養たっぷりのプラムとアーモンドとチーズのパイだ。特大のパイ皿を使って最低でも四つは焼かなければ追いつかない。
 酸味のある果肉がとろりと焼けてぷちぷちはじけ、溶けたチーズがいい具合に絡まっている。上に散らしたアーモンドスライスの香ばしさが一段と食欲をそそる。

「うん、上出来上出来」

 満足げにうなずくと、料理番のおばさんはパイを一切れとりわけて、皿に乗せて床の上に置いていた。

「きゃわわー」
「きゃわわ」
「きゃわっきゃわっきゃわっ」

 どこからともなく、二頭身のまるまっちい小人たちが寄ってくる。一糸乱れぬチームワークでパイの皿を担ぎ上げ、わきゃわきゃと短い足を動かして運んで行った。
 目指すは台所の片隅に空いた小さな穴。物理的には絶対、パイも皿も通らないようなちっぽけな穴を、いとも簡単にするりっとすり抜ける。
 穴の向こう側には、一番えらい『ちっちゃいさん』が待ちかまえていた。長く伸ばしておさげに編んだ金髪に、薄い紫色の瞳。鋭い目つきは正しく、ロベルト隊長に生き写し。

「きゅーきゅきゅきゅ」

 褐色の髪に緑の瞳の、ひときわがっちりしたちっちゃいさんが報告する。

「うきゅー!」
「うきゅっ、うきゅうきゅうきゅきゅーっ」

 うなずくちびロベルト。褒められたのが嬉しかったのか、有頂天になったちびダインはちび隊長に抱きついて熱烈に頬ずりを開始し……

「きゃわっ!」

 蹴り飛ばされていた。
 ころんころんと転がって、壁にごっつん。しかしけろりとして起き上がる。

「きゃわあ!」

 さらさらの銀色の髪に青緑の瞳の、ちっちゃいながらもたおやかで、ひときわ愛らしいちっちゃいさんが歩み寄る。

「きゃわきゃわわ?」
「きゃーわっ!」

 ちびシャルダンは心配そうに白い手でちびダインの頭を撫でる。ちびダインはぴょんっと飛び上がり、とんとんっと自分の胸を叩いた。
 一方で、ちびロベルトはプラムのパイを検分し、満足げにうなずくと腰に差したちっちゃな剣をすらっと抜き放つ。

「うきゅきゅきゅきゅーっ」

 すぱすぱすぱっと見事な剣さばきで縦横無尽。あっと言う間にプラムのパイは人数分に切り分けられた。
 おもむろにロベルトは、一番大きな汁気たっぷりの一切れを手にとる。

「きゅ!」

 号令一下、部下たちが一斉にパイに群がるのだった。

「きゃわわー」
「きゃわーっ!」

 追記:冷えたバタースコッチブラウニーは、がちがちに硬い上に粘り気があって、たいへん歯に厳しい食べ物になります。必ず飲み物と一緒にお召し上がりください。顎の鍛錬に最適と思われます。

(ブラウニー、ブラウニー/了)

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【おまけ】ブラウニー、ブラウニー

2012/09/28 23:24 騎士と魔法使いの話十海
  • 拍手お礼用短編の再録。
  • 薬草店でクッキーを焼くフロウとニコラ。甘いにおいに誘われて、ちっちゃいさんがきゃわきゃわと集まってきます。
  • 実はちっちゃいさんには、ある特徴があったのです。
 
 太い木の梁の渡された高い天井。磨かれた木の床、壁は優しい砂色のしっくい塗り。ずらりと並ぶ棚には、薬草の花や実、茎、葉、そして根っこ、あるいはそのいずれかをオイルや酒に浸けたもの。ありとあらゆる部位と加工品の収められたガラス瓶が置かれている。
 天井に渡された紐には乾燥した薬草の束がかけられ、作業台の上には調合に使う道具がきちんと並んでいた。
 薬草香る空気に満たされた店の奥、いつも店主が眠たげに寄りかかっているカウンターには……
 今、小さな黒板が置かれていた。いつもは調合する薬草の分量を書き留めるのに使われているものだ。
 黒いなめらかな表面には、チョークでこんな文字が書かれていた。

『ご用の方はベルを鳴らして下さい』

 そして、黒板の傍らには銀色のベルが一つ。持ち手には花とつる草のからみ合う意匠が施され、磨き抜かれて表面はぴかぴかだ。
 では、肝心の店主はどこにいるのかと言うと……

「どうだ、ニコラ、オーブンの火加減は」
「おっけーです、師匠!」
「ん、いい感じに熱くなってるな」

 奥の台所に居た。
 薬やお茶の調合は店の作業場で行い、菓子と料理は台所で作る。それが長年のフロウの習慣であり、一貫として変わらぬ流儀だった。『同じ場所でやっちまったらいつ、何が混ざるかわかったもんじゃない』からだ。

 この家の台所は、広い。、店に出す菓子やジャムを作る工房も兼ねているからだ。
 また今でこそほぼ一人暮らしだが、長い歴史の中では家族や間借り人が住んでいた時期もある。
 調理台は広く、壁際には耐火レンガで組んだ立派なかまど、その隣には半球状の薪オーブンがでんっとすえられている。長年使い込まれて煤けてはいたがきっちり組まれたレンガは緩む気配すら見せず、どちらも立派な煙突が付いていた。

 伯爵家の四の姫こと魔法訓練生ニコラ・ド・モレッティはオーブンの蓋を開け、火かき棒を操り、慎重な手つきで薪の燃え滓を奥に寄せていた。
 頭の後ろで金髪をきっちりと一つに結わえ、顔を赤くして、額に汗を浮かべている。
 熱せられた石の放つ熱を利用して、これからあるものを焼くのだ。

「今日は何を作るの?」
「あ~、バタースコッチブラウニー」
「ああ、あの四角いチョコレートクッキーね」

 ニコラはぱしっと両手を握り会わせ、青い瞳をきらきらと輝かせる。

「じいやがいつも焼いてくれるの。あれ、大好き! ……でも、バタースコッチって?」
「チョコレートの入ってないブラウニーのことさね。エプレポートの交易ルートが開かれるまでは、こっちが主体だったんじゃないか?」

 チョコレートの原料となるカカオはコーヒーと同様、この西の辺境では栽培されていない。気候が寒過ぎるのだ。東の交易都市エプレポート経由で、南方で産出されたものが輸入されている。
 運ぶ距離の長さと手間から他の材料に比べれば若干、割高ではあるものの、手が届かない程ではない。事実、キャロブ豆を混ぜたものは手ごろな価格で出回っている。
 しかしながら純度の高いチョコレートは今でも高級品で、やんごとないご婦人の厨房か、高級菓子店ぐらいでしかお目にかかれないのだった。

「材料は小麦粉と、バターとブラウンシュガーと卵、刻んだクルミに、干しぶどうに、ふくらし粉」

 言いながら、さくさくと分量を量ってとりわけて行く。ニコラがぎょっと目を見開いた。

「こ、こ、こんなに使うの、お砂糖!」
「これでもだいぶ甘さ控えめにしてんだがねぇ……」
「小麦粉より多いよ?」

 確かに、小鉢の中で山になったブラウンシュガーは、その隣の小麦粉に比べて明らかに盛りが多い。

「その方が日持ちするからな」
「しぇえええ……知らない方が良かった……色々と」
「何、一度にがばちょと食わなきゃ問題ねぇさ」

 くつくつと笑いつつ、フロウは四角い鉄の焼き型を台に乗せた。

「そら、こいつの表面にバター塗ってくれ」
「はーい……ってこれケーキ用の型じゃない!」
「うん、ブラウニーってのはまとめて一枚、どーんとでっかいのを焼いて、冷めてから小さく切り分けるんだ」
「何て大胆な」
「面倒くさがりの俺にはぴったりって訳だ」
「自分で言うし……」

 ニコラは細い指でバターをすくいとり、せっせと焼き型に塗り付けた。型の一辺は23センチほど、この家にあるケーキ型の中は中ぐらいのサイズだ。

「あれ、でも……じいやの焼いてくれたのは、大きさも厚さもきっちり同じだったよ?」
「それ、ある意味すごいな……計って切ってたのか」

 ド・モレッティ家の執事は極めて几帳面な性格らしい。

「さーてっと、それじゃ準備もできたし、作り方説明するぞ?」
「はい!」
「材料混ぜて、型に入れて焼く」
「………それだけ?」
「ああ、そんだけだ」

 拍子抜けしたようだ。メモを取ろうとした手が止まっている。

「あ、クルミとレーズン入れるのは一番最後な?」
「すっごいアバウト……」
「一応、捕捉。バターは湯煎で溶かして、卵は溶きほぐしてから入れるとダマになりにくい」
「了解!」

 ぴしっと敬礼しそうな勢いで返事をして、かりかりとメモを取っている。
 ニコラにとっては菓子作りも、薬草の調合も、魔法も、全て修業の一部なのだ。
 ヒゲの中年薬草師から、この少女は単なる学問以上のものを学んでいるのである。

「よし、じゃあ教えた通りにやってみろ」
「はい!」

 大きな木のボウルに材料をひとまとめに入れて、木杓子でざっしざっしと混ぜる。最初のうちはざらっとしていた生地が次第に混ざりあい、ねっとりと滑らかになってきた。
 ほんのりと赤茶色を帯びているのは、大量に混ぜたブラウンシュガーのためだろう。
 仕上げに刻んだクルミと、レーズンを加えてさらに混ぜる。

「香り付けはバニラ? ブランデー?」
「バニラに決まってるだろ」
「だよね!」

 とろりとバニラのエッセンシャルオイルをひと垂らし。香り自体に甘さがある訳じゃない。それでもこの香りを嗅ぐと、舌が濃密な甘さを思い出す。

「わあ、ちゃんとクッキーの生地になってる!」
「だろ? じゃあオーブンの準備だ」

 二人がオーブンの扉を開け、中をのぞき込んでいる間にこっそりと、調理台に飛び乗る、黒と褐色斑の影一つ。オレンジ色のチョーカーに下げられた水晶の珠と木のビーズが触れ合い、カチリとかすかな音を立てる。
 ぺろりと舌なめずりすると、ちびはのびあがってボウルに前足をかけた。そのまま顔をつっこんで、生のクッキー生地を一口、はくっとかじりとる。

「んぴゃ」

 美味しかったらしい。さらにもう一口。夢中になってむしゃむしゃやっていると、背後からわしっと捕まえられる。

「ちーびー」
「ぴゃーっ」
「焼く前につまみ食いたぁいい度胸だ、このこのこのっ」
「ぴゃっ、ぴゃっ、ぴゃーっ」

 フロウは両手で拳を握り、人さし指の関節でちびのこめかみを挟み、ぐりぐりぐり抉った。容赦無くぐりぐりと。

「ぴぃいう、ぴぃいいううう」

 たまらず、ちびは耳を伏せる。金色の瞳が半開きになり、尻尾がもわっと膨らんだ。

「ねー師匠」
「ん、何だ?」
「使い魔とホストって感覚共有してるんでしょ?」
「ああ、そうだな」
「ダイン今、頭痛くなってるんじゃあ……」
「ああ? 躾けの悪いホストにはいい薬だろ」
「んびぃ」

     ※

 その頃、騎士団の砦の中庭では。
 見回りを終え、馬から降りた直後のダインが顔をしかめ、こめかみを押さえていた。

「いで……」
「どうしました先輩!」
「いや、こー何か頭がじんじんする」
「冷やしますか?」
「いや、多分大丈夫だ」
「んー……」

 シャルダンは伸び上がってダインの額に、その白い手をぺとっと当てた。そのまましばらく動かない。
 周囲の団員たちも、別の意味で動けない。

「熱はありませんね」
「そーか」
「でも念のためしばらく休んで下さい。いいですね?」
「ん……わかった、そうする」

 騎士と言う生き物は、概して乙女の言葉には逆らえない。それ故にシャルダンはある意味、この砦で最強の存在だった。

     ※

 再び薬草店に話を戻そう。
 若干、量は減ったものの、まだまだたっぷりある生地を型に入れる。
 流し込む、とは行かなかった。練り上げられた生地はかなり粘り気があって、固かったのだ。
 もっちり、ぼてっと落として、へらで平らに伸ばす、慣らす、伸ばす、慣らす……

「んー、なかなか表面がきれいにならない……」 

 まるで壁を塗る左官職人のように、真剣な顔をしている。やれやれ、と肩をすくめ、フロウはゆるりとした口調で弟子に呼びかけた。

「一ついいことを教えてやろうか。ブラウニーを作る時のコツはな」
「はい」
「勢いだ!」
「了解!」

 その一言で、何か吹っ切れたらしい。ニコラは勢い良く、ざっざっざっと上下左右にへらを動かした。

「できました!」
「よし、後は焼くだけだ」

 両手に分厚いキッチンミトンをはめて、焼き型をオーブンに入れる。
 石でできた狭い箱の中には、燃えた薪の発した熱が行き渡っている。わずかに残った熾火で温度を保ちつつ、内側に篭った余熱でじんわりと焼き上げるのだ。
 蓋を閉めると、フロウはおもむろに高さ30cmの砂時計をひっくり返した。砂が落ち切ったら焼き上がり、と言う訳だ。

「さーて今のうちに洗いものやっとくか!」
「はーい」

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【19-7】応用編3

2012/09/28 23:11 騎士と魔法使いの話十海
 
 ニコラを始め、一同は目をまんまるくして凝視した。ロブ隊長の頭上にぴょっこぴょっこ揺れる、薄い金色の毛皮に覆われた耳を。

「………何を見とるか」
「兎………」

 ぽつりとダインがつぶやく。

「兎ですね!」
「兎だねえ」

 シャルは目を輝かせ、ナデューはとりあえずまじめ腐った顔でうなずく。

「こ、この効果は初めて見たわっ」

 ニコラは猛烈な勢いでカリカリとメモを取り始めた。

「何で兎なの! ニンジンもキャベツも入ってないのに!」

 憮然とした表情でロベルトは答えた。

「個人紋ですから」
「ああ」

 一同納得しかけるが、さすがにエミルは気付いた。

「んな訳ないでしょう!」

 フロウはにやにやしながら、ちびの背を撫でた。

「まあスープの材料が材料だからな。精神面の影響が大きいんだろう」
「と、言うと?」
「とりねこは、精神活動に共鳴する生き物だからな」
「ぴゃあ」
「俺らは飲む前にこいつを見てたけど、隊長がさっき見てたのは、兎のサシェだろ?」
「なるほど」

 フロウの解説に、ナデューがもっともらしく頷いた。

「実に興味深いね」

 猫耳が6人+兎耳が1人、とりねこが一匹。薬草店の中はさらに混沌とした状況に陥る。
 
「……貴様、何をにやついてる」
「いやまあ、ずいぶんとまあ可愛いお姿になっちゃって」

 ふにっとフロウは隊長のウサ耳をつまんで、あまつさえはむっと口に含む。

「っっ! 何をするぅっ!」
「感覚を確かめてた」
「何故そこで噛むっ」

 外見のみならず、中味もウサ化するものなのか。ロブ隊長は顔を赤らめ、潤んだ瞳できっとフロウをにらみ付ける。
 妙に可愛らしい。

「薬草学の基本は味見だぜ、隊長さん?」
「俺の耳は薬草かーっ」
「似たようなもんだろ草食なんだし」
「ど、こ、が、だ!」
「にしし。どーれ尻尾も生えてんのかな?」

 歯を見せてせせら笑うフロウの手がもぞりと蠢く。途端にロベルトはびくぅっと背中を反らせて飛び上がった。

「貴様、どこを撫でているかっ」
「いやあ悪ぃ悪ぃ。尻尾が短いもんだから、ついうっかり尻ぃ撫でちまったぃ」
「白々しい事を言うなーっ!」

 真っ赤になって言い返す隊長の頭上では、ぴょっこぴょっこと兎の耳が揺れる。それを見てダインがうずうずしていた。
(かわいいなあ。あ、何だろうこの気持ち。動いてる。気になる。触りたいなあ)
 こちらも微妙に猫化しているらしい。無意識のうちに手がひょこひょこ動く。目ざとく気付いたフロウは眼差しでうながした。
『さわっちまえよ、ダイン』
 猫化してても本質はわんこ。即座に飼い主の指示に従った。迷わず、ぱしっとダインは隊長の耳を掴んでいた。
「うわあ。あったかいなあ。ふかふかしてるなあ」
「ああっ、先輩、ずるいです、私も!」
(俺のシャルがロブ隊長の耳さわってる、俺のシャルが。俺のシャルがーっ!)

 うっとりしたの二匹と錯乱したの一匹。猫耳つけた野郎どもが、隊長のウサ耳を撫で回す。
 兎は猫に敵わない。しばらくはぷるぷる震えて縮こまり、なすがままになっていたロベルトだったが。

「かわいいなあ」
「ふわもこです……」
「き、さ、ま、ら」

 ついに限界を突破し、本質が本能を凌駕した。

「耳に触るなーっ!」
「にゃーっ」
「にゃにゃーっ」

 炸裂する蹴りに、ダインとシャルとエミリオはころんころんと転がる。

「シャルに何するんですにゃっ!」

 錯乱したエミルが殴り掛かる。その手つきは、オモチャにじゃれかかる子猫そっくりだった。

「きーっ」
「にゃーっ」

 混乱の極みの中、こっそりとフロウはロベルトの背後に回り、ぎゅーっと抱きついて、耳にふうっと息をふきかけた。

「はふぅっ」

 すっかり中味が可愛いウサギちゃんと化したロベルトは、ぶるぶるとすくみ上がる。

「き、さ、まーっ」
「にしししし」

 顔を真っ赤にして涙目でフロウをにらみ付ける。だが次の瞬間、強烈な回し蹴りが繰り出された。

「うぉっとぉ!」

 とっさに上体をのけ反らせて躱すフロウ。巻き起こる旋風にぶわっと前髪が舞い上がる。
(危ねぇ危ねぇ)
 フロウの額にじっとり冷たい汗がにじむ。追いつめられた兎はキツネをも蹴り殺すと言う。

「うぬ、やるな薬草師。だが今度は外さん!」

 ふしゅー、ふしゅーっと息を吐いて身構えるウサ耳隊長の背後から、わしっとごっつい猫耳騎士がしがみつく。

「隊長っ、落ち着いてくださいっ」
「ディーンドルフ……その手を、離せぇっ」
「にゃーっ」

 怒りを込めた渾身の回し蹴りが、きれいにダインの顔面に決まる。猫耳わんこはぐうの音も出ずにすっ飛び、床にひっくり返った。

「……時間とともに、精神も外見に相応しい状態に変化する、と」

 全てをニコラは観察し、記録をつけていた。絵と文字とで詳細に。

「冷静だねえニコラ君」
「魔法訓練生ですから」
『ですから』
「うん、感心感心」

 ぽんぽんと教え子の金髪頭を撫でながら、ナデューはぽそりとつぶやく。

「しかしこれ……効果時間切れたらどうなるんだろうね」

 二人は顔を見合わせ、じゃれ合うウサ耳と猫耳どもを見、しかる後に行儀良く目をそらすのだった。
 
(召しませ魔法のスープ/了)

次へ→【おまけ】ちびの思い出
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【19-6】応用編2

2012/09/28 23:10 騎士と魔法使いの話十海
 
 四の姫ニコラの作った魔法のスープ。材料はとりねこの毛、効果は声がぴゃあぴゃあになるだけ、だったはずなのだが……。
 日々精進を怠らないニコラはレシピをほんの少し工夫した。
 結果、スープの効果が微妙に変わり、試食したシャルに猫耳と尻尾が生えて。錯乱したエミルが暴走し、薬草店に居合わせた人間全てに猫耳と尻尾が生える羽目となった。

「いやあ、何って言うか」

 騎士ダインにその後輩シャルダン。中級魔術師エミルに初等訓練生ニコラ、草木の守護神マギアユグドの神官フロウ。
 そろいもそろって、髪の毛の色と同じ猫耳の生えた一同を見回し、ナデューが満面の笑みを浮かべてうなずいた。

「なかなかに壮観だねえ」
「あのな」

 はふーっとフロウはこの日何度めかのため息をつく。

「まだばりばりに営業時間真っ最中なんだぞ? 客が来たらどーすんだ」
「んー……」

 一同は腕組みして首をかしげ、口々に答えた。

「本日は猫耳の日ですと言い張る」
「何事もないフリをしてやり過ごす」
「伏せてれば意外に気付かれないんじゃないスかね、髪の毛と同じだし」
「それだ、エミリオ!」

 それなりに無難な対策が上がる中、ぽつっとアクティブな事を呟いた奴が約一名居たりする訳で……。

「試食してもらう」
「……ニコラっ?」
「だって、被験者は多い方がいいでしょ?」
「あのな、ニコラ。そりゃ『魔法学院の課題のためです、ご協力を』で乗ってるくれる奴とか、洒落の分かる相手ならいいぞ?」

 さすがにフロウが苦笑混じりにたしなめる。

「でも世の中には、洒落の通じない堅物もいるだろ。どっかの隊長さんとか」
「あー、確かに」
「隊長は、なぁ……」

 シャルとダインが頷いた刹那、カランコローンっと青銅のドアベルが高らかに鳴り響き……。

「薬草師、いるか」

 足音高く、目つきの鋭い金髪の男が入ってきた。がっしりした体を包むのは、砂色の身頃に黒の前立ての詰襟の軍服。襟元には銀色の星が三つ光っている。
 はっと息を飲んだ一同が固まる中、ちびがカウンターに飛び乗って赤い口をかぱっと開いた。

「ロブたいちょー」
「……うむ、元気そうだな、鳥」

 西道守護騎士団アインヘイルダール駐屯地を指揮する、泣く子も黙る鬼隊長。兎のロベルトことロベルト・イェルプはじろりっと、薄い紫の瞳で一同を見渡した。
 とっさに全員、ぴっと耳を伏せる。隠そうと言う意図が働いたと言うより、緊張しちゃったのである。

「おんや、隊長さん。いらっしゃい。今日は何のご用で?」

 ゆるりとした口調でフロウが話しかける。やはりここは店主の務め。お客を放っておく訳には行かないのだ。たとえ猫耳が生えていたとしても!

「うむ、ラベンダーの香油をもらいたい」

 そう言って隊長はベルトに下げた兎の縫いぐるみ……実は中味は乾燥させたラベンダーが詰まったサシェ(匂い袋)なのだが……を示した。

先日の分を使い切ったのでな」
「あいよ、香油ね。ちょっとお待ちを。おーいエミル、そこの棚の小瓶一つ取ってくれ」
「これですか?」
「そう、それだ」

 たまたま、エミリオはラベンダーの香油を収めた棚のすぐそばに居た。これがダインなら、調子に乗ってぽいっと投げてよこしそうなものだが、彼は自身も薬草を扱う専門家だった。
 だから小瓶を手に持って、とことこと歩いてカウンターまで近づいて来る。
 この時点に置いてさすがにロベルトも気付く。薄紫の瞳が、一瞬ぽかーんと見開かれた。

「どうぞ」
「………」

 伸ばした手は差し出す瓶を素通りし、むぎゅっとエミルの『耳』を。黒い毛皮に覆われ、ぴんっと立った黒い猫耳を引っつかむ。

「いててっ、や、やめてください隊長っ」
「温かい……。これは、生えてるのか?」
「生えてます」

 改めて見直す。その場に居合わせた全員に同じように猫耳が生えているのを確認すると、ロベルトはじろっとフロウを睨め付けた。

「で。これは体に影響があるのか?」
「いんや、別に」
「どれくらい続く」
「そうさね、ものの十分も経てば元に戻るよ」

 体に悪影響はない。時間が経過すれば元に戻る。ならば心配は無いか。
 猫耳と尻尾を生やした部下なんていささか精神衛生上よろしくないものが見えてるが、ほんの十分程度なら目くじら立てる程の事でもあるまい。
 そう、自分を納得させているロベルトの目の前に、ことり、とカップに注がれたスープが置かれた。

「注文してないぞ?」

 じろっと睨みつけようとして、慌てて改める。お盆を手に金色の猫耳を生やして佇んでいたのは、他ならぬ騎士団長の娘。四の姫、ニコラ・ド・モレッティだったのだ!
 途端に態度を改める。レディには礼儀を尽くさねばならない。それが騎士たるものの義務だ。

「ごきげんよう、ロブ隊長」
「ごきげんよう、四の姫。……で、こんな所で何をなさってるんですか?」

 そう、こんな下町の怪しげな薬草店で何を? 気にはなったが、魔法学院の教師であるナデューがいるし、先輩たるエミリオも一緒だ。保護者が二人もいるし、この店では術の触媒も扱っているのだ。
 魔法訓練生である四の姫が居たところで不思議は無い。

「んーっとね、実は魔法学院の課題で、魔法のスープを作ってるの」

 うふ、うふふっと頬を赤らめ、瞳を潤ませながら、ニコラはそっとカウンターに置いたカップを隊長に向けて滑らせる。

「試食して、効果を確かめてるの。協力していただけますか?」

 じっと見渡す。ニコラの背後では、猫耳を生やしたダインがしきりに首を横に振っている。
 どうやら『やめとけ』と訴えているようだ。
 薄々事態が飲み込めて来た。目の前の珍妙な光景の原因は、このスープなのだ。

「どうやら、結果は充分出ているようですが……」
「被験者は、多い方が良いでしょう?」
「性別、年齢、体格、職業の異なる6人が6人、同じ効果を示しているのですから、こちらのスープは獣相が出るという事で宜しいのでは?」

 ぐっとニコラが言葉に詰まる。すかさずロベルトはたたみかけた。

「効果の出なかった者、別の効果の出た者もありましたか」
「………居ません」
「では必要はありませんな」

 と、その時。ナデューが厳かに進み出て、口を開いた。

「ベル隊長」

 ひくっとロベルトの口元が引きつる。就任の挨拶で顔を合わせて以来、このマスター(上級術師の敬称)と来たら妙に乙女ちっくな呼び名で呼んでくれるのだ。
 以前は呼ばれる度に『ロベルトです』と訂正していたが、最近はいい加減めんどくさくなってきたので聞き流す事にしている。

「何でしょう、ナデュー師?」
「今回、ニコラ君が作ったスープは効果がランダムに出るらしくてね。ほら、とりねこの毛なんて珍しい素材を使ってるから」
「ぴゃあ!」

 なるほど、それで猫の耳と尻尾が生えたのか。ちらっとロベルトは横目でとりねこを見る。心なしか得意げな顔をしている。

「最低でも10人は被験者の記録とってくれた方が望ましいんだよねえ」
「………」

 苦虫をかみつぶしたような表情でロベルトはカップを睨め付ける。

「ナデュー師がそうおっしゃるのなら」

 他ならぬ魔法学院のマスターが言うのだから、仕方ない。カップを手に取り、口をつけ、一口啜った。

「お」

 普通に美味い。得体の知れない術の触媒が入ってるにしては、特に妙てけれんな舌触りも味もしない。秘かに安堵した次の瞬間。

「おうっ」

 耳と尻にむずむずっとした感触が走り、何かがぴょこんっと『生えた』。

「わあ」
「え、何っ?」

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【19-5】応用編1

2012/09/28 23:09 騎士と魔法使いの話十海
 
「どうしてこうなった」

 騎士ダインはむっつりと腕組みして眉をしかめる。
 目の前には、ぴょこぴょこ揺れる猫の耳。ふかふかの白い毛並に内側はピンク色。見るからに触り心地のよさそうなその耳は、他ならぬ後輩騎士、シャルダンの銀髪頭から生えているのだった。

「どうしたんですか、先輩?」

 当人は自らの異変に一向に気付かず、ちょこんと小首なんか傾げている。その姿を見て、中級魔術師エミリオがぶるぶる震えていた。
 およそ魔術師らしからぬがっちりした肩は小刻みに揺れ、陽に焼けた健康そのものの顔に浮かぶ表情は一見して平穏。だが内側では嵐のごとき激情が荒れ狂っている。

(俺のシャルに猫耳が生えた。俺のシャルに猫耳が。俺のシャルに。俺のシャルに猫耳がががががが……)

 サイレントに錯乱する教え子を見守りつつ、魔法学院の召喚師、マスター・ナデューはぽつりとつぶやいた。

「んんー、大惨事の予感?」

 しかしながらその端正な顔に浮かぶのはあくまでにこやかな微笑。滑らかな声にはいささかも困った響きはない。
 薬草店の主、フロウが深いため息とともに頭を抱えた。

「どうしてこうなった」

     ※

 そもそもの発端は、ダインが魔法のスープの話をうっかりシャルダンに聞かせた事だった。

「ちびさんそっくりの声になるスープですか!」

 青緑の瞳を輝かせて彼は言った。

「ぜひとも試食してみたいです!」

 まあ声がぴゃあぴゃあになるだけだし、ものの十分もすれば元に戻るんだから支障はあるまいと判断し、非番の週にフロウの店にやって来たのが運の尽き。
 シャルダンとその幼なじみで無二の親友である中級魔術師エミリオ、たまたま店を訪れていた魔法学院の教師ナデュー。そしてニコラの魔法の師匠である薬草師フロウ。
 一同が固唾を呑んで見守る中、四の姫ニコラは厳かに魔法のスープを作り、魔化の儀式を成し遂げた。

「あれ、ひょっとしてニコラ君」

 真っ先に変化に気付いたのはさすがと言うべきか、ナデューだった。何となればこの先生、受け持ちの課目ではないと言うのに、ちゃっかり魔法スープ作りの実習に混ざっていたのだ。
 そして効果に臆する事無く、悠々と全てのスープを味見したのだった。

「提出した時とレシピ、変えた?」
「はい!」

 工夫を気付いてもらえて嬉しかったのか、ニコラが青い瞳を輝かせる。

「今回は、お魚で出汁を取ってみたんです」
「なるほど、素材が猫系の毛だから相性は良さそうだね」
「こいつは何でも食うけどな」

 ぽふっとフロウがふわもこした鳥のような、猫のような生き物の頭を撫でる。

「ちびさんは好き嫌いしないよい子ですから」
「んぴゃあ!」

 でき上がったスープをシャルは優雅な仕草で試食し……結果、こうなった、と。

「あの、皆さんどうかしたんですか?」

 ここはやはり、先輩たる自分が知らせるべきだろう。意を決してダインが重たい口を開く。

「シャルダン」
「はい」
「落ち着いて聞け。スープの効果がちょっと変わったらしい」
「そうみたいですね、声も変わってないし……」
「いや、変化は出てる。耳に」
「耳、ですか?」

 シャルダンは自分の耳に手を当てた。

「……おや?」

 わさわさとさわったりつまんだり撫でたり、ぴょこぴょこ動かしたり……一通り確認してから、おもむろに一言。

「ちびさんとおそろいですね!」
「ぴゃあ!」

 そりゃあもう、嬉しそうな笑みを浮かべて。背後にぱーっとお花畑が広がりそうなくらいの良い笑顔で。
 がくーっとダインは肩を落とした。

「いや、確かにそうなんだがっ」

 一方でニコラは帳面を取り出し、かりかりと何やら書きつけている。

「魚と混ぜると効果が変わる、と」
「何記録とってんだ!」
「いや、記録は大事だよ?」
「ナデュー先生ぇ……」
「それで、シャル」

 ナデューは満面の笑みを浮かべて問いかける。

「他に何か変化はなーい?」
「えーと、他には…………あ、あれ?」

 もぞっとシャルは身じろぎ一つ。手のひらでぱたぱたと自分の体をまさぐっていたが、いきなりささっとダインの背後に隠れてしまった。

「ちょ、ちょっと失礼っ」
「どーしたシャルダン」

 ダインの陰でごそごそとっとズボンのベルトを緩め、あまつさえちょろっとずり下げている。当然ながらダインはそんな後輩の仕草をじっと見守った。
 その光景に、エミルの中で花火が上がった。

(俺のシャルが。俺のシャルが俺のシャルがダイン先輩の背後でズボン脱いだーっ!)

 思わず知らず眉をひそめ、三白眼で睨め付けながら低ぅくドスの利いた声で問い詰める。

「先輩……何見てんスか」
「あ、いや、つい、な」

 ダインとシャルは騎士団での相棒だ。指導役と見習いでもある。常に二人一組で任務に当たり、兵舎の同じ部屋で寝起きして、風呂にも一緒に入っている。
 ダインにしてみれば普段通りの行動なのだが、猫耳に理性のタガをすっ飛ばしたエミルには、もはや冷静な判断を下す事などできるはずもない。
 無言でずいっとダインとシャルの間に割って入ろうとした所にとどめの一撃。
 にゅるっと白い尻尾が突き出される。

「おわぁっ」
「……生えてしまいました」
「やあ、それは」

 ナデュー先生がのほほんと状況を分析する。

「尻尾だね」
「はい、尻尾です」

 その瞬間、エミルの中で火山が爆発した。

(俺のシャルに猫しっぽが。俺のシャルに猫しっぽと猫みみががががががががっ)

「可愛いなぁ」

 ダインは目を細めてうっとり。何となればこの男、無類の猫好きなのだから。

「触ってもいいか?」
「どうぞ!」

 ダインが手を伸ばすより早く、その肩をむんずとエミルつかむ。日々農作業にいそしむ彼の手は、騎士に負けず劣らず強く逞しい。

「たっ、たとえダイン先輩と言えども、シャルの尻尾を触るとか許しません!」

 完全に目が据わっている。頭の上では、抜け落ちたちびの羽毛がふわふわ回っている。あまりの熱気に、空気が渦を巻いているのだ。
 そりゃあもう、ヤカンをかけたらお湯の一つも沸きそうなくらいに。

「落ち着け、エミリオ!」
「先輩は大人しくフロウさんの尻を揉んでりゃいいんです」
「ちょっ、そこで俺かよ!」

 エミルは完全に取り乱していた。普段が温厚なだけにこうなると、始末に負えない。

「乳でも可!」
「ストップ、ストーップ!」

 シャルは優しくエミルの肩に手を置いた。

「レディの前だよ、エミル?」

 この瞬間、言った本人とエミルを除く全員が秘かに心の中で突っ込んだ。
(お前が言うな!)
 さしもの暴走エミルも普段ならここではたと我に返る所なのだが……生憎と今のシャルは白い猫耳と尻尾が生えている。まさに彼自身がエミリオの錯乱の原因なのだ。
 一言も発しないままエミルはシャルの両肩に手を置き、ふんすー、ふー、すーっと鼻息を荒くして行く。
 褐色の瞳には、ぎらぎらと剣呑な光が宿りつつあった。

「落ち着いて、エミル!」

 しゅんしゅんと湯気の上がるその頭上に、しゅわーっと冷たい霧が吹きつけられる。出所は、金魚のヒレに似た翼でふわふわと空中を漂う小妖精。
 ニコラの使い魔、水妖精(ニクシー)のキアラだ。
 ちっちゃな唇をつぼめて、ふーっとまた冷たい霧をエミルの顔に吹きつける。

「ふわあああ」

 じゅわーっと音がして湯気が上がった。よほど熱くなっていたらしい。

「はっ」

 褐色の目をぱちくり。どうにかエミルは落ち着き(の一部)を取り戻したようだ。

「シャルだけに猫耳が生えてるから、目立つのよ。全員に生えちゃえば問題はないわ」
「そ、そうか、全員に生えれば!」

 エミルはちゃっちゃっと猫耳スープを器によそり、ずいっと差し出した。

「さあナデュー先生、飲んでください」
「何で、私」
「こう言うことはまず、年長者から!」
「エミリー。君って子は……」

 額に冷汗をにじませつつ、ため息一つつくとナデューはぽそぽそと耳打ちした。

「ダイン君と言う一番のライバルの目をそらすにはまず、フロウに飲ませるのが最善の道なんじゃないかな」
「はっ!」
「君と同じように、最愛の人に猫の耳や尻尾が生えたらどうなると思う?」

 途端にエミリオはくるりと回れ右。スープの器を持ってフロウに詰め寄る。

「フロウさん、さあ飲んでください。ええ今すぐに!」

 その横ではニコラがくぴっとスープを飲んで、ぴょこりと金色の猫耳を生やしていた。

「え、ニコラ?」
「はーいダインもちゃっちゃと飲んでねー。被験者は多い方がいいでしょ?」
「お、おう」
 
 五分後。
 結局、最初は事態を回避したかに見えたナデューもエミルに気迫負けし、全員にめでたく猫耳と尻尾が生えていた。

「んぴゃあ!」

 ちびはいたって上機嫌。みんな自分とおそろいになったからだ。

「……んで」

 蜜色の虎縞の耳を伏せ、フロウがため息をついた。

「誰も途中で気付かなかったのか。『解除スープを作ろう』って」
「……あ」

 黒い猫耳をぴょっこぴょっこ動かして、ナデューがのほほんと答える。

「まあ、いいじゃない。どうせ十分足らずのお遊びなんだからさ」
「勢いって……怖いな」

 褐色の猫耳を伏せるダインの背後では、エミルが黒い猫耳をシャルに撫でられて蕩けそうな顔をしていた。

「基本的に生える猫耳と尻尾の毛色は、本人の髪の毛の色と同じになる、と」

 金色の尻尾をひゅんひゅん揺らし、ニコラはしっかりと記録を取っている。

「メモとってるし……」
「そうそう、記録は大事だからね。これ、ノーザンの毛でも同じ事できるかなあ」

 わくわくしながら自らの使い魔の名を挙げるナデュー。普通、止めるのが教師の役目のはずなのだがこの先生と来たら!
 フロウはため息をついて、がくーっと肩を落とした。蜂蜜色の猫尻尾が力なくくたんっとたれ下がる。

「聞いた俺が馬鹿だった」
「ぴゃあ!」

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