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2013年11月の日記

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【おまけ】漢の友情?

2013/11/26 0:00 お姫様の話いーぐる
 びちぃっと、硬い物が肉を打つ音が響く。
 打たれた手首が弾み、揺れる。その機を逃さず二の姫レイラは踏み込んで、細剣をぴたりと対戦相手の喉元に突きつけた。

「……お見事」

 金髪混じりの褐色癖っ毛、大柄で頑丈な体の青年は素直に自らの負けを認め、構えた幅広の長剣を下げた。
 だが二の姫はかぶりを振り、きっと青い瞳で青年を見据える。

「まだだ、ディーンドルフ。まだお主、動けるであろう」
「ええ、まあ」
「では続けよう。構え!」
「…………御意」

 ぐいと拳で汗を拭うと、素直にダインは剣を構えた。
 ここは騎士団の砦の屋外修練場。踏み固められた地面は頑丈な柵で囲まれ、稽古用の木製の盾や槍や斧、剣がずらりと掛けられている。砦の騎士たちはここで連日、訓練に励むのだが……。
 今日の稽古は少しばかり様子が違う。

 騎士団長、ド・モレッティ伯爵の次女、レイラがアインヘイルダールにやってきたのは昨日のこと。
 美女と評判の二の姫を間近に見られるとあって、若い騎士どもは浮き足立ったが。
 昨夜、食堂で夕食を共にした際、早々に認識を改めさせられた。輝く金髪、青い瞳、すっと通った鼻筋、涼しげな目元はくっきりとした二重瞼。睫毛はふさふさと豊かでふっくらした唇は健康的な桜色。

 確かに二の姫は美しい。だがその立ち居振る舞いはきびきびとして、性質は実に気さく。語る言葉は歯切れよく、美女と同席すると言うよりは、むしろ同性の先輩と語らうような印象だったのだ。

 そして今日。二の姫は朝一番に厩舎を訪れ、馬の手入れにいそしむ騎士の一人に声をかけた。

「ディーンドルフ。ちょっと来い、稽古をつけてやろう」
「え、え、えっ?」

 にっこりとこれ以上ないくらいの魅力的な笑顔で襟首をひっつかみ、ずりずりとと引きずって行く。
 取っ捕まった方はその気になればいくらでも振り払えるはずなのだが、騎士と言う生き物はレディには逆らえない。
 眉根を寄せて情けない顔のまま、ダインはずるずると修練場の真ん中へと引き出され、放り投げられた木剣を受け取るしかなかった。

「お」

 柄は長く、刃の幅の広い長剣は、正しくいつも自分が稽古の時に使う物だった。

「よくお分かりで」
「昨日見たからな。お主の剣技を」

 二の姫の観察眼の鋭さと、剣士としての技量にダインは感嘆の声を漏らした。

「では始めよう」

 レイラが選んだのは、自分の使い慣れた細剣と同じ長さ、重さの華奢な木剣。

「構えろ」

 二人は互いに進み出て剣を構えた。ダインの幅広の長剣と、二の姫の細剣の刃先が交差する。
 柵によりかかって見守る若い騎士どもの間から苦笑が漏れた。

「おやおや、随分と可愛い剣をお使いになる」
「所詮は姫様の剣術だ」
「よりによって、あんなでか物を稽古の相手に選ぶとはな」
「大した自信だ。どの程度のものか、お手並み拝見しようじゃないか」

 だが。一度稽古が始まった途端、若い騎士連中の甘い認識は空の彼方へと吹っ飛んだ。
 軽やかにダインの剛剣をかい潜る二の姫の容赦ない一撃が決まる度に顔をしかめ、しまいには打たれたのと同じ所をさする始末。
 それほど痛そうだったのだ。
 かっかと容赦なく照りつける太陽の下、二の姫の稽古は長時間に渡った。間に昼食と砦内の視察を挟み、午後に再開。陽が傾いてきた頃には、さすがに見物人も少なくなっていた。
 そんな中、シャルダンはずーっと修練場の柵にかぶりつき。二の姫の一挙一動を見逃すまいと、じっと見入っていた。

 自らの華奢な体躯と素早さを最大限に活かして軽やかに舞い、ほんのわずかな動きで易々とダインの大剣を受け流す。しかも躱すだけでは終わらない。機あらばためらわず相手の懐深く飛び込み、一撃を与えて素早く下がる。
 幅広の長剣を両手持ちで豪快に振り回すダインと互角に渡り合っているのだ。むしろ押しているくらいだ。

「すごいなぁ……そうか、私もこうすればいいのか!」

 これなら、自分にもできる。全く同じとは行かないが、どう動けば良いのか、自然と頭に浮かぶ。
 突きを主体にすれば、より弓を射る感覚に近くなるはずだ。考えただけで、シャルの心臓はとくとくと震え、青緑の瞳は潤み、頬はばら色に上気してゆくのだった。

      ※

「はー、はー。はー、はー……」

 さしもの体力馬鹿のダインも汗だくになり、肩で息をし始めた頃。
 修練場に客が訪れた。と言っても客と呼ぶにはあまりに場慣れした二人だったが。
 一人はさらさらの金色の髪に水色のリボンを結んだ青い瞳の少女。身につけているのは、濃紺に藍色のラインの入った魔法学院の制服。
 そしてもう一人は、深緑のローブを羽織った黒髪の青年。魔術師にしては珍しく肌は健康的に陽に焼け、肩幅は広く、手足もがっしりして頑丈そうだ。
 少女は軽やかな足取りでたたたたっと柵に駆け寄るや伸び上がり、手を振った。

「姉さまー」

 途端に二の姫の滾る剣気がふわあっと霧散し、極上の笑顔にとってかわる。

「ニコラ!」

 その瞬間、レイラは光となった。速攻で木剣を収めてダインに一礼、次の瞬間には柵を飛び越え、ニコラの傍らに着地していた。
 ようやく解放されたダインはその場にへなへなぁっとへたり込む。すかさずシャルは駆け寄り水筒に満たした水を差し出した。

「先輩、どうぞ!」
「さんきゅ」

 ごぼごぼと咽に水を流し込み、ついでに頭からざばーっと被る。革製の篭手と胸当をむしり取り、上着を脱ぎ捨てた。

「ぷっはーっ、生き返る!」
「大丈夫ですか、先輩」
「ああ」

 はふーっと大きく息を吐くと、ダインはにぃっと口角を上げて笑った。さんざん打ち据えられて疲れ切っていたが、それでも白い歯を見せ、心の底から楽しげに笑っていた。

「さすが二の姫だな。見ろ、シャルダン。あの方はほとんど息も切らしていない」
「ほんとだ」
「俺の方が、体力はある。だが動きに無駄が多い。二の姫はその隙をついて的確に、守りの弱い所に打ち込んで来るんだ」

 その言葉通り、篭手を外したダインの手首は真っ赤に腫れ上がっていた。避け損ねた木剣に何度も打たれた頬も赤い。
 シャルダンは秘かに思った。
(ああ、これは後で腫れるだろうな)

 先輩と後輩、二人の騎士の視線の先では、顔中笑み崩した二の姫が思う存分、ニコラを抱きしめていた。
(ああ、私のかわいいかわいいかわいいかわいいニコラ!)

「逆に言えば、二の姫にやられた所が俺の守りの甘い場所ってことだな」

 シャツの前をがばっと広げてダインがしみじみ自分の体をのぞき込む。筋肉の盛り上がった胸や肩に点々と痣が浮いていた。ここに至ってついにシャルダン声を上げた。

「感心するのもほどほどにしてくださいね、先輩!」

 腰に手を当てて、めっと睨む。その女神のごとき丹精な顔の横にすっと、日焼けしたたくましい手が差し伸べられた。

「使え」
「ありがとう、エミル!」

 土を掘り、種をまき、葉を摘みとるのに慣れた手。頑丈さと繊細さを兼ね備えたエミルの掌には、軟膏の瓶が乗っていた。ごく自然にシャルは受け取り、蓋を開け、ぺたぺたとダインに塗り付ける。

「って、染みる!」
「がまんしてください。効いてる証拠ですよ」

 甲斐甲斐しく手当てをするシャルの姿を見守りながら、エミルは静かに絶叫していた。あくまで己の胸の中で。
(俺のシャルが俺のシャルが俺のシャルが女神のように傷の手当てをしてる!)

 と。
 何かを感じたのか二の姫が顔を上げ、エミルの方を見た。

「あ、姉さま、彼がエミルよ。魔法学院の先輩!」
「そうか、この人が……」

 青と褐色。二の姫レイラと中級魔術師エミルの視線が交叉する。その瞬間、びびっと稲妻の如き閃きが走り抜けた。

(私のかわいいかわいいかわいいかわいいニコラ!)
(俺のシャル俺のシャル俺のシャル俺のシャル!)

 二人は無言の内につかつかと歩み寄り、がしぃっと手を握り合った。
 それもただの握手ではない。肘を曲げ、肩の高さでぶつけ合う誠に『漢』らしい握り方で。見交わす瞳の間には、同じ想いが燃えていた。

『同志(とも)よ!』

「わあ、すごい。姉さまとエミル、一瞬で意気投合しちゃったみたいね!」
「あんなにしっかり握手をして、目を輝かせていますね!」

 にこにこと見守る金髪の少女と銀髪の騎士。乙女二人の傍らでダインは一人首を捻る。

(どっちかっつーとあれは……燃えてるって感じだよなあ)

 その光景を目撃して、ロブ隊長は秘かに思った。
 何が通じ合ってるのかは考えたくもないが、二の姫滞在中はあいつらに接待を任せておこう。
 それにしても、噂には聞いていたが二の姫はことの他、四の姫を可愛がっておられるようだ。ディーンドルフに対する苛烈なしごきも今なら納得行く。
(この分では、いつ西都にお帰りになることか……)
 隊長はこめかみを押さえ、本日何度めかのため息をつくのだった。
 それは苦悩と同時に、安堵のため息でもあった。
 何故なら彼は心の底から思っていたのだ。
 四の姫からいただいた巾着袋を、机の引き出しにしまっておいて本当に良かった、と!
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白馬の王子は白銀の

2013/11/25 23:54 お姫様の話いーぐる
 さて、その後……。

「伯爵家の二の姫、レイラ・ド・モレッティ隊長に敬礼!」

 二の姫は夕刻に騎士団の砦を来訪。ロブ隊長のエスコートの元、団員たちと夕食を共にした。
 この間、終始一貫して西道守護騎士団の制服姿、それも平服のまま。きちんとして清潔ではあったが、礼装ですらなく。団員たちと同じ物を食べ、同じ物を飲み、気さくに歓談した後、祖母と妹の待つ館へと帰って行った。
 馬泥棒を取り押さえた一件が砦の騎士たちの間に知れ渡っていた事も有り、一部の若手騎士たちは『見てくれが良いだけの姫様騎士』との認識を早々に改めさせられる事となった。

 明けて翌日。
 兵舎の自室でダインが目を覚ますと、隣のベッドが空っぽだった。
(シャルの奴、もう起きたのか?)
 騎士の一日は、己の馬の世話から始まる。ざかざかと身支度を済ませて厩舎に向かうと。

「あ、おはようございます、ダイン先輩!」
「おはよう」

 黒の隣の馬房で既にいそいそと、甲斐甲斐しく白馬の世話をするシャルダンの姿があった。

「早いな」
「はい。うれしくて、つい、いつもより早く目が覚めてしまいました!」

 上着を脱いでシャツを腕まくり。髪にまとわり付く藁を払い落とすシャルダンの笑顔は、朝日よりも眩しい。
 白馬は大人しく銀髪の騎士に身を委ね、時折漏らす声と甘えるように寄り添う仕草は何ともたおやかで気品に溢れている。それはもう、まるで一枚の絵画のような光景だった。
 と、白馬がシャルの首筋に鼻を寄せ、ふーっと温かい息を吹きかける。

「こら、くすぐったいよ」

 シャルは首をすくめ、手のひらで白馬の首筋を撫で、頬を寄せる。
 そんな後輩たちの姿を見守りつつ、ダインは秘かにうなずいた。
(うん、似合いの騎馬と乗り手だ)

「で、何て名前にしたんだ? その、美人さんは」
「ヴィーネです! ユグドヴィーネさまの名前をいただきました」

 シャルダンは胸を張って答えた。その高く透き通った声は早朝の厩舎に響き渡り、馬の世話をする先輩騎士たちの手が一瞬、止まる。

(こ、こいつ、馬に女神様の名前つけやがったー!)
(いくら自分の守り神だからって!)
(恐れ多いにもほどがある!)

 騎士になる時は皆、己の選んだ神様に誓いを立てる訳で。人一倍、神様に対する畏敬の念は強いのだった。
 硬直しつつサイレントに絶叫する騎士一同。その中で約二名だけがのほほんと平和な会話を続けている。

「ヴィーネか。うん、美人だし優雅だしぴったりだな!」
「はい!」
「そうか、その子はそなたの持ち馬になったのだな、シャルダン」
「あ、二の姫! おはようございます」
「おはよう。しばらくこいつを借りるぞ」
「はい?」
「げ」

 にっこりと極上の笑みを浮かべつつ、二の姫レイラはダインの背後に回り込み、むんずっと襟首を掴んだ。
 
「ディーンドルフ。ちょっと来い、稽古をつけてやろう」
「え、え、えっ?」

 ぼう然とするダインを、有無を言わさずずるずるずると引っ張って行く。
 足を踏ん張れば持ちこたえられるのはずなのだが、二の姫のまとう何とも凄まじい迫力に気圧され、ダインは大人しく引きずられるしかなかった。

(稽古って! いきなり何でっ?)

 たらりと冷たい汗がにじむ。
 確かに槍試合の時は自分が勝った。だがあれは単に2人同時に相打ちで落馬して、自分の方が先に立ったってだけなのだ。
 実際に立ち合えばおそらく、敵わない。

(断ってもOKしても俺、ボコボコにされるーっ!)

 ロベルト隊長はと言えば、自らの愛馬の世話をしつつ、あえてこの状況を静観していた。

「珍しいこともあったもんだ。あいつが稽古に乗り気でないとはな?」

 誰にともなく呟いた言葉に、尾花栗毛(鬣と尾の白い栗毛の馬)が『ふっ』と鼻息一つ、静かに吐いて答える。
 乳白色の鬣を撫でながら、ロブ隊長は……滅多にないことだが……穏やかにほほ笑んだ。

「そうだな、ネイ。あいつが二の姫の相手をしてくれるなら、それに越した事はない」

 だらだらと脂汗をにじませるダインを見送りつつ、騎士一同は秘かにそれぞれの守り神に祈りを捧げる。

「ダイン先輩、いつの間に二の姫とあんなに親しくなったんだろう」

 約一名を除いて。
 
「後で見学させてもらおうっと」

 そうですね……。
 まるで相づちを打つかのように白馬ヴィーネは鼻を鳴らし、隣の馬房で黒はぶふーっと、長い長いため息を着くのだった。

     ※

「兄さーん」

 その後、マルリオラ牧場にて。

「どうしたんだいランジェロ」
「あの白馬、馬泥棒にさらわれたそうだよ!」
「何だって、そいつは大変だ、おお女神よお救いください!」
「でも騎士団が無事取り戻してくれたんだ。馬泥棒も逮捕されたって!」
「素晴らしい! 大地の女神リヒトランテよ、感謝します!」
「感謝します!」

 その場で2人揃って跪き、大地の女神に熱い熱い感謝の祈りを捧げてから、ジュゼッペはおもむろに弟に問いかけた。

「それで、あの馬はいったいどうなったんだい?」
「うん、無事、騎士団に連れて行かれた。シャルダンさんが乗る事になったそうだよ」
「ああ、あの人なら安心だね」
「うん、安心だよ!」
「やはり困った時は騎士団に任せるに限るね!」
「ああ、まったくその通りだよ、兄さん!」

 牧場主兄弟は彫りの深い顔を見合わせ、満足げにうなずくのだった。
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その頃お姫様達は……

2013/11/25 23:51 お姫様の話いーぐる
 応援の到着より一足早く、二の姫とニコラはフロウとともに馬泥棒の隠れ家から立ち去っていた。
 ダインがちびを放つのを見届けてから、先に店に戻ったのだ。
 聞き慣れたドアベルの奏を聞いた瞬間、気が抜けたのか安心したのか、ぐーっと派手にニコラのお腹が鳴った。

「お腹すいた……すっごく。何で? さっきあんなにマフィン食べたばかりなのに!」
「ずーっとキアラを実体化させてただろ。あそこは俺の店ほど、力線も境界線も太くないからな。何か作るか」
「うん!」

 フロウの後を着いて、ニコラは当然のように台所に入って行く。二の姫はさすがに少し遠慮しながら、小声で「失礼します」と挨拶して入ってきた。
 フロウは食料庫を開けて、材料を物色した。ニコラのお腹はさっきからぐぅぐぅ鳴りっぱなしだ。ここは手間をかけずさくっと作れる物にしよう。
 
「汁麺でいいか?」
「うん、大好き!」

 具だくさんのスープに、茹でた乾麺を入れる『汁麺(soup noodle)』は手っ取り早く作れるし体もあったまる。主食とおかずを一編に食べられるし、何より麺は保存が利く。身分を問わず西の辺境で長く愛されている定番料理なのだ。
 スープに何を入れるか。どんな味付けにするかは、おのおのの『家庭の味』。
 小麦を練って作った乾麺は、小分けに玉にしたものを食料品店でまとめて売っている。スープ主体であっさり食べたい時は一玉、しっかり食べたい時は二玉がおよその目安。
 大食漢の成人男性ともなれば、三玉から四玉茹でてぺろっと完食してしまうこともざらだ。

 さて今回、四の姫の腹具合は?


 ※


 まず、中ぐらいの鍋にスープ三人分の水を、さらに大鍋に水をいっぱいいれて火にかける。

「ニコラ、水」
「はい。キアラお願い」
『お水どうぞー』

 たぱたぱと鍋に注がれる水を見て、二の姫は感心した。

「便利だな」
「近くの水源から、転送してるだけなんだけどね。ほら」

 ニコラは窓の外を指さす。

「ああ、そこの井戸か」
「そそ」

 それはもしかして横着ではないのか? 騎士ならではの実直な考えが頭をもたげたが。
 誇らしげに胸を張るニコラのお腹が、またぐーっと鳴った。

「ううう、お腹空いた……」

 なるほど、ちゃんと代償は払っているのだ。これはこれでれっきとした労働と言える。
 その間にフロウは手際よく具材を刻む。細かく切った干し魚とベーコンを入れて出汁をとる。さらにソーセージとキャベツと人参、タマネギを加え、味付けは塩でさっぱりと。

 大鍋の湯がしゅんしゅんと沸いたのを見計らって、乾麺を取り出す。

「何玉入れる?」
「一玉」
「足りるか?」
「……二玉いただきます!」
「私は一玉で」
「了解」

 合計四玉、大鍋に放り込み、ほぐれるのを待って混ぜる。
 スープがくつくつ煮えた頃合いには、麺もいい感じにゆで上がっていた。

「よっと!」

 景気良くザルに上げ、もうもうと立ち昇る湯気を浴びながらお湯を切る。その間にニコラは陶器の大椀にスープをよそっていた。

「一玉、一玉、二玉、と」

 熱々のスープに茹で立ての麺を加え、テーブルに運び、冷えた薬草茶を添えて、いただきます。
 ちゅるちゅるっと麺をすすり、ニコラは幸せそうにため息をついた。

「美味しー」

 丁度その時、開け放った台所の窓から、黒と褐色斑の生き物が飛び込んで来た。

「んっぴゃー」
「お、戻ったかちび助」
「ぴゃああぴゃああああ」
「よしよし、お使いご苦労さん。そら、ご褒美だ」

 フロウは自分の分の麺とスープを小皿に取り分け、ことりとテーブルの下に置く。

「んぴゃあるるる、ぴゃぐるるるるる」
「何か言ってるな」
「喜んでるのよ、美味しいから」
「では私からも」
「ぴゃっ! ねー!」

 二の姫からソーセージをもらってちびはご機嫌。
 一方でよほど消耗が激しかったのか、ニコラはあっさりと二玉分の麺を完食してしまった。

「ごちそうさま……」

 言い終わらぬうちに、またお腹がぐーっ鳴る。ばっとニコラは両手で顔を覆った。

「やーん、ショック!」
「ははっ、大活躍だったものなあ」
「もう一玉茹でてきていいですかっ」
「どうぞどうぞ」

 ニコラは台所にすっ飛んで行き、自分で替え玉を茹で始めた。その後ろ姿を見送りつつ、二の姫がそっと目元を拭った。

「あのニコラが……ぴーぴー泣いては、食べたものを吐いて私たちをハラハラさせていたあの子が」
「おいおい、そりゃいつの話だい」
「生まれて間も無い頃、ですね。あの子が生まれた時は何かと両親も忙しくて。ほとんど私たちが世話していたようなものなのです」
「なるほどね」

 確かに一時期、西の辺境の治安が乱れていた事があった。14年ばかり前の事だ。

「もちろん、長年仕えてくれた乳母も居ましたが何分、四人目ともなるとけっこういい年になっていて。ニコラは私たちより年が離れていましたから、余計に」
「ああ、それじゃあ姉さま方も手伝いたくなるよな」
「はい。特に三番目のセアラが大喜びで……やっと自分にも妹ができたって、そりゃあもう」

 目に浮かぶようだ。張り切ってちっちゃな妹の世話をする『おねえちゃん』。姉たちが自分の世話をしてくれた結果、自然と望むようになったのだろう。自分も同じ事をしたい、と。
(何とも実直な躾けを受けたんだなあ、ド・モレッティ家の姫様たちは)
 食後のお茶をたしなみつつ、フロウはゆるりとレイラに笑いかけた。

「なあ、二の姫君」
「はい、何でしょう?」
「同じ魔法使いとしちゃちょっと癪だが、あんたの妹さんはホント大した才能だよ。ちょっと魔術の基礎を教えたら、そこから勝手に巫術を身につけちまうんだから」
「そうなのですかっ! 私のニコラが……」

 二の姫はぽおっと頬を赤らめた。つつましさを保ちつつ、我が事のように喜でいるのが伝わって来る。
 ……と言うか顔が緩んでいる。

「あぁ、俺が保証する。このまま魔法を学べば、ニコラは恐らくこの街で指折りの巫術師になれるね。……もちろん、才能に胡坐を掻かなけりゃ……だが、そんな妹さんじゃねぇだろう?」
「はいっ、あの子は魔法を習い始めてからほんとうに生き生きして……久しぶりに会って実感しました。会えないのはさみしいけれど、これでよかったのだと」
「おや、そうなのかい? 最初からかなり生き生きしたお嬢さんだと思ってたが……」

 レイラはそっと手にしたカップに視線を落とす。しばらく揺らめく薄い黄緑のお茶の揺れを目で追っていたが、やがてひっそりと、静かな声で告げた。

「私たちと一緒にいると、時々うつむいてため息をついていました。それが、辛かった」
「……おやまぁ」

 フロウは目をぱちくり。正直、意外だったのだ。

「今日、あの子は私と会って一度もうつむいてない。ため息もつかない」
「俺が最初に会った時は、結構な剣幕だったぜ? ……『私の騎士はどこ!?』ってな」

 ぴし、と二の姫の笑顔が凍りつく。次の瞬間。血相を変えていた。

「それは誰の事なのですかあああっ」
「ダインだろ? 馬上試合でニコラのハンカチを着けて出たらしいし」

 その瞬間。レイラの脳裏に鮮やかに、馬上槍試合の記憶が蘇る。あの時、自分は落馬の衝撃から立ち直れず、先に立ったディーンドルフに敗北した。
 もうろうとした意識の中、ニコラの声を聞いたような気がしたが、てっきり自分への声援だと思っていた。
 だが、どうやら違っていたらしい。

「……そうか……そのようなことがあったのか…………ふっふっふ。ふっふっふっふっふ」

 何やら凄みのある含み笑いをする二の姫を見守りつつ、フロウは訳が分からず首を傾げる。
 自分が致命的なトラップのスイッチを入れた事など露知らず。ターゲットはもちろん……。

   ※

 砦に引き上げる道すがら、ダインはぞわっと背筋が寒くなった。
(何だろう、とてつもなく恐ろしい気配がする)
 使い魔ちびの感覚を通じて、二の姫の殺気、いやさ闘気を感じ取ったのだが……いかんせんこの男、使い魔との感覚共有を今一つ使いこなせておらず、その正体までは見抜けないのだった。

   ※

「ぷっはぁ……ごちそうさま!」
「ほい、おそまつさん」

 汁麺を三玉分ぺろりと完食し、ニコラの腹の虫はようやく収まった。
 後片づけを終えてから、さりげなくフロウは声をかけた。

「なあ、ニコラ」
「はい?」
「水色のリボン、ちょっと見せてみな?」

 ニコラは鞄の中から大事そうにリボンを取り出した。
 水色の布地に、さらに明るい水色で丁寧な刺繍を施されたリボン。ただ布を細長く切っただけではない。表裏二枚仕立てで、丁寧に縁を縫ってある。明らかに手作りだ。
 だが繊細な布地はナイフの一撃を受けて、ものの見事に真っ二つに切り裂かれている。

「ふむ、この程度なら……」

 フロウは左手の腕輪に意識を集中する。連ねたウッドビーズの一つが、ぽうっと淡い光を放つ。ちびも金色の瞳を輝かせ、ばさぁっと翼を広げた。

『失われた形を元の如く 編め、紡げ、そして繋がれ 分かたれた欠片を今、一つに……repair!』
『ぴゃああ、今、一つに!』

 ほわっと腕輪の光が投射され、リボンを包む。と、瞬く間に左右から糸が伸び、編まれ、再び一つに繋がった。

「よし、こんな所だな」
「わあっ、すっごい、元通り!」

 ニコラは震える手でリボンをささげ持ち、光にかざした。

「継ぎ目も残ってない!」

 本当は、魔力の走った痕跡が微弱に線として残っているのだが……見えるとしたら、ダインぐらいなものだろう。

「師匠、ありがとう!」
「うぉっとぉっ?」
「嬉しい、すっごい嬉しいぃいい!」
『うれしいぃいい』

 ニコラはフロウにしがみつき、派手な音を立てて頬に接吻した。
 その頭上では、キアラがくるくると円を描いて飛び回る。宿主の感情に同調しているのだ。

「大好き!」
「ったく、大げさだねぇニコラは……どうせお前さんもすぐに使えるようになるだろうに」

 しがみつかれて師匠は目を白黒。苦笑いしながら頭を撫でる。

「今直してくれたことが、嬉しいの。ありがとう……」

 ちらっとフロウは二の姫を見やる。レイラお姉さまは顔を真っ赤にして涙目でこっちを睨んでおられる。悔しそうに唇をきゅーっと噛み、握りしめた拳がぷるぷる震えていた。

「へいへい。そら、早く離れねぇと、二の姫様がご立腹だぜ?」
「あ」

 しゅるっと腕をほどいて師匠を解放すると、ニコラはほてほてと姉に歩み寄り。

「もちろん姉さまも大好きよ」

 しがみついて、頬にキスをした。
 二の姫は言葉も無く、むぎゅーっと妹を抱きしめて、キスを返すのだった。
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収束と報告

2013/11/25 23:48 お姫様の話いーぐる
「さぁてっと、うまいこと馬泥棒一味も制圧できたし、一件落着ってとこかな?」

 黒の首筋をなでながらフロウが言う。
 黒毛の軍馬はさっきから、投げナイフ使いに向って突進しようとうずうずしているのだ。

「どーどーどー、ほら落ち着けっての。さすがにこの状態でお前さんに蹴られたら、今度こそあいつ、召されちまうぞ?」

 鋭くいななく黒の声に答えるように、白馬がいなないた。

「あ」

 その声を聞くなり、馬泥棒一味の捕縛を終えたシャルダンはすっと立ち上がり、白馬の傍に歩み寄る。
 馬房の中で白馬はガチガチと歯をかみ合わせ、飛び跳ね、後脚で立ち上がってはまた踏み降ろす。
 甲高い声でいななき、蹄でがつっがつっと壁を蹴る。
 ぎしぎしと壁が軋み、天井からぱらぱらと埃が落ちる。白馬の苛立ちは他の二頭にも伝染し、怯えて歯を剥き出している。
 ちょっとでも馬の事が分かってる者なら……いや、分かっていなくても、今傍に寄るのは危険だとひしひしと感じる状況だった。
 しかしシャルは恐れる素振りも見せずに白馬に近づき、話しかけたのだ。

「よしよし、怖かったろうね」

 途端に白馬の様子が一変した。
 うそのようにぴたりと暴れるのを止め、じっとシャルの声に耳を傾ける。一歩、また一歩と近づくと、ついに銀髪の騎士はそのしなやかな手で白馬の鬣に触れた。

「もう大丈夫だよ?」

 白馬はふるるるっと息を吐いた。そこには欠片ほどの苛立ちも、怒りも怯えも無い。
 むしろ甘えているように聞こえる。
 そして自ら首を伸ばし、シャルの手に顔をすり寄せたのだった。

「ふふっ。あったかいな。くすぐったいな」

 青緑の瞳を細めると、シャルはまるでずっと前からそうしていたように白馬の首を抱きしめる。白馬もまたうっとりと目を細めて騎士の抱擁を受け入れた。

「美人さんだな……始めて見たよ、こんなにきれいな馬」

 甘えた声が答える。
 銀髪の騎士と白馬の抱擁を横目で見ながら、馬泥棒一同、がっくりと首をうな垂れた。

「な、納得ゆかねえっ!」
「あんなに暴れてたのに!」

 じろりとダインがにらみ付けた。

「人徳の差だ」
「いや、それぜってえちがうだろ!」

 腕組みする騎士の頭の上で、ちびがかぱっと赤い口を開けた。

「ぴゃあ!」


 ※


 ロブ隊長は上機嫌だった。
 シャルダンを送り出して後、砦の大掃除は滞りなく終了し、いつ二の姫を迎え入れても恥ずかしくない仕上がりになっていた。
 何気なく机の上に置いてあった巾着袋を引き出しにしまい、ついでに溜まっていた書類を片づけようと腰を降ろすと……何やら窓をコツコツたたく者がいる。

「ロブたいちょー」
「用事があるならドアから入れ」

 目もくれずに答えてから気付く。ここは四階だぞ?
 改めて窓に目を向けると、黒と褐色斑の翼の生えた生き物が一匹。こっちをのぞきこみ、前足で窓を叩いている。

「たーいーちょー」
「何だ、鳥か」

 きぃ、と窓を開けると、とりねこはするりと中に入ってくる。窓枠で器用に座り、しきりと顔を反らせて首を見せつける。

「む?」
「とーちゃん。おてがみ!」

 見ると、首輪に折り畳んだ羊皮紙が結びつけてあった。
 なるほど、伝令を寄越したか。ほどいて開き、目を通すと……。見慣れたディーンドルフの筆跡で、簡潔に記されている。

『北区にて二の姫と共に馬泥棒6名を捕縛。白馬を含む3頭を確保。移送のため応援求む。案内はちびに』
「……ふむ」

 何やら知らぬ間に事が大きくなっているようだ。とりねこは目を輝かせ、そわそわしながらこっちを見上げている。

「ディーンドルフとシャルダンは、二の姫と一緒にいるのだな?」
「ぴゃあ!」

 しっぽをつぴーんっと立てて震わせている。どうやら肯定しているようだ。と、なると。
(迎えに行かねばなるまい)
 ため息をつくと、ロブ隊長はドアを開けた。

「案内しろ、鳥」
「ぴゃああ」

     ※

 ロブ隊長が応援を率いて現場に着いてみると、待っていたのはディーンドルフとシャルダンの二名だけだった。
 
「二の姫は何処におられる?」
「お帰りになりました。四の姫と一緒に」

 何だって伯爵家の姫が、2人もそろってこんな治安の悪い地域をふらふらしていたのか! そもそも、いかなる経緯でこいつらと合流し、馬泥棒を捕縛するのに至ったのか。
 気になりだしたらキリが無いが、しかし二の姫もれっきとした西道守護騎士なのだ。一緒にいるのなら、四の姫にも危険はない。
 問題は無い。そう、判断する事にした。
 引っくくられた馬泥棒6名は、次々と護送用の荷馬車に放り込まれる。
 取り押さえる際に抵抗したのか、あちこち負傷して酷い有り様だ。時々、ディーンドルフとシャルダンの方を見ては怯えた目つきでガタガタ震えているのが気になったが、大人しくしてる分には問題ない。
 後日、詳しい報告書を提出させよう。

 所が盗まれた馬三頭を連れ出そうとして一悶着起きた。例の白馬が、一歩も動こうとしないのだ。

「隊長……ダメです、こいつ、梃子でも動きません」

 困り果てたハインツが情けない声を出した。白馬はつーんと顔を背けている。なるほど、確かに筋金入りの男嫌いのようだ。

「……ディーンドルフ」
「ダメです、もう試しました」

 肩をすくめるディーンドルフの隣では、黒毛の軍馬も明後日の方向を向いている。どうやら、男嫌いの範疇には自分の兄弟も含まれるらしい。
(何て意志の強い馬だ……)
 間近で見ると、骨格も筋肉も実にしっかりしている。加えてこの意志の強さだ。軍馬としてはこの上もなく理想的と言える。
 性格を除いては。
 そう、性格を除いては。

「隊長」
「何だ、ディーンドルフ」
「シャルダンなら、その馬を扱えます」
「そうなのか?」

 銀髪の騎士は素直にうなずいた。

「はい!」
「よかろう。シャルダン、命令だ。その白馬に乗って砦まで戻れ」
「良いんですか?」

 シャルダンが目を輝かせる。頬までうっすら赤く染めている。

「さっさと馬具を付け替えろ。今日からその白馬は、お前の馬だ」
「隊長! 本当ですかっ」
「うむ」

 今のは何かの目の錯覚か。銀髪頭の背後に一面に、ぱああっと花が咲き誇ったように見えた。
 ルピナスとかクレマチスとかバターカップとかカンパニュラとか矢車菊、その他名前も知らないような花がぱああっと。

「あ……ありがとうございますっ」
「良かったな、シャルダン」
「はいっ!」
 
 目元を和ませ、ふっくら開いた薄紅色の唇の間から白い歯が零れる。うっすらと肌を桜色に上気させ、シャルダンは嬉しそうに。本当に嬉しそうに笑っていた。(うっかり目が引き寄せられて二、三人、あちこちにぶつかった団員が居たようだが見なかったことにしておく)
 弾むような足取りで栗毛の馬に近づき、馬具を外し、労うように首筋を一撫でしてから白馬の元へとすっ飛んで行く。その背中ではぴょこぴょこと、銀色のしっぽが揺れていた。(何故かため息をついている奴が四、五人居たようだが聞かなかったことにしておく)

 これでいい。
 ただ一人にしか懐かない馬ならば、その一人を乗せれば良い。
 あの白馬は既に騎士団の所有で、優秀な軍馬だ。才能を活かすには、これが一番有効な手段なのだ。
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作戦開始!

2013/11/25 23:46 お姫様の話いーぐる
「西道守護の名において、ここを開けろ!」

 レイラの声がりん、と響く。同時にダインが足をあげ、力いっぱい『壁』を蹴り着ける。狙いたがわず、ばーんっと隠し扉は全開、薄暗い隠れ家にさーっと日の光がさし込む。

「うわあ!」
「何で、お前らそこからっ!」

 来るはずのない所から敵が来た。その上眩しさに目がくらみ、馬泥棒たちは大混乱。右に左に逃げ惑う。
 だがいち早く一人の男が気を取り直した。海賊さながらに三角帽子を斜めに被り、この暑い中、黒い革のジャケットを羽織った男だ。

「慌てるな、騎士ったってたったの二人じゃねーか、しかも一人は女だ!」

 怒鳴りつけられ一味ははっと我に返る。

「お、おう」
「返り討ちにしてやりゃ、箔がつくってもんだぜ、おりゃあっ」

 手に手に抜き身の剣だの片刃の小剣を引っさげて、押っ取り刀で飛び出した。
 対するダインとレイラは見交わすや、さっと左右に別れて後ろに下がる。

「ははっ、見ろ、ビビってやがるぜ」
「逃がすかぁ!」

 調子に乗って馬泥棒一味は、へらへら笑いながら隠れ家から飛び出した。しかし、それは全て計算の上での行動。射線を確保するためだったのだ。
 二人の騎士が動いた瞬間から、既に四の姫ニコラは詠唱に入っていた。使い魔キアラも水のせせらぎに似た声を震わせ、後に続く。

『水よ集え 凍てつき鋭き針と成り 我が敵を貫き通せ!』
『つらぬきとおせ!』

 さらにもう一体、ぴゃあぴゃあした声が唱和する。

『貫き通せ、ぴゃあ!』

 金髪の少女の肩の上、黒と褐色斑の猫が後脚を踏ん張り、頭の上にフードのようにぺったり覆いかぶさって前足を載せる。さらにその上に、ふわふわの綿菓子頭の小妖精がうつ伏せになってぺったり乗っていた。
 見た目はたいへん愛らしい。だが。
 水の妖精(ニクシー)に強化され、さらにとりねこの精神共鳴によって増幅された呪文は、一人前の魔術師に匹敵する強さにまで高められていた。

『氷結鋭針(ice needle)!』

 空中に生じた氷の針を、ニコラはびしっと手にした杖で導いた。狙う先は傍らに立つシャルの矢じりと同じ。
 ぴんっと弦が鳴る。やや遅れて氷の針が飛んだ。

「うおおう!」
「なんっじゃこりゃあっ」

 どすどすどすっ!
 降り注ぐ矢と氷の針が迂闊にも飛び出した馬泥棒2人を直撃する。

「つべてぇっ」
「いでぇっ」

 狙い過たず放たれた矢はきれいに馬泥棒の利き手を射貫いていた。さらに氷の針が皮膚を裂き、たまらず武器を落とす。

「っとぉ、危ねぇ危ねぇっ」

 運良く出遅れた3人目は、難を逃れたかに見えたが。

『黒にして緑、マギアユグドの御名において 力よ我が手に宿り 敵を打て!』

 いつもの癒しや護りの呪文に比べ、短く力の篭った詠唱とともにフロウが左手を突き出す。
 腕輪に緑の光が走る。垂直に構えられた手のひらの周囲の空気が歪み、ォオンっと鳴った。

「うげっ」

 途端に3人目は目に見えない強烈な一撃を受け、もんどり打って地面に叩きつけられた。

「ン何だあ? 何で騎士なのに魔法使うんだよ、きったねぇぞ!」
「騎士じゃないもーん。魔法使いだもーん」
『もーん』
「ぴゃあ」

 臆せず言い返すニコラに思わずレイラは感慨に浸る。

「あの小さなニコラがすっかり立派になって!」
「二の姫、前、前!」
「おっと」

 二の姫はすばやく気を取り直した。細身の女に厳つい男。組みしやすしはこちらと見くびったか。こっそり忍び寄っていた四人目を、抜きざまびしりと斬り付ける。

「ひっ」

 振りかざした片刃の段平が達するより早く、銀光が走り、賊の手首にまとわり付く。
 あっと思った時は既に遅く、切っ先が蛇のように段平の柄を巻き上げ、空高く飛ばしていた。
 怯んだ所に、幅広の剣がびゅんと唸る。避ける暇もあらばこそ、鳩尾目がけて容赦無い一撃がたたき込まれていた。
 刃ではなく、平での一撃。だが衝撃と力にはいささかの手加減も無い。

「ぐげぇっ、ひゅう……」

 踏みつぶされたカエルのように呻きながら馬泥棒は、体を二つ折りにして後方に吹っ飛ぶ。
 ふんっと鼻息荒くダインは振り切った剣を背後から頭上へと回し、再び構え直した。

「あーあ、相変わらず容赦ねぇなあ、あの馬鹿力」
「お見事です、ダイン先輩!」

 油断なく第二の矢をつがえながらシャルダンがぽつりとつぶやいた。

「いいなあ、ムキムキ、いいなあ……」


 ※


 三角帽子の男はうろたえていた。たかだか騎士2人、しかも1人は女。数を頼みにたやすく返り討ちと踏んでいたが、ほんのわずかの間に状況は一変していた。
 最初に殴り込んで来た騎士どもは前衛に過ぎず、後ろに3人控えていた。うち2人は術師でもう1人は射手。
 あっと言う間に仲間の2人は利き腕をやられてうずくまり、後の2人は馬屋の壁にこっぴどく叩きつけられ、伸びている。1人は術師の男が放った得体の知れない呪文で。もう1人は、騎士どもに打ちのめされて。

 だが、この期に及んで残った賊のうち1人はまだ過信していた。この手の与太者にありがちな認識故に……たかが相手は女と子供とおっさんだ。多少、骨のありそうな射手にしたって所詮は娘っ子みたいな顔のひ弱な若造。
 自分たちの相手になる『本当の男』はただの1人だ、と。

「いぇえやあああっ」

 両手で握った大斧を振り上げ、『本当の男』に向って駆け寄ろうとした。だがそいつは自分を見ていない。ちらっと肩越しに背後を見るなり、横に一歩、軽快な足さばきで避けた。

「どうした、ビビってんのかデカいの!」
「照れ屋なんだよ」
「だったらこっちから行くぜ!」

 乱ぐい歯を剥き出して、更に踏み出そうとしたその時だ。四の姫の鈴を転がすような詠唱が高らかに響く。

『ちっちゃいさん、地面の中のちっちゃいさん。お願い、あいつを転ばせて!』
『お願い、ぴゃあ!』

 ついでにとりねこの唱和もお着けして、放たれた言霊に応えた者たちがいる。

「きゃわきゃわ」
「きゃわわっ!」

 耳のくすぐったくなるような小さな声。しかしそれは聞く耳を持った者にしか聞こえない。慢心に走った賊の耳には届かない。
 もこもこっと地面が盛り上がり、二頭身の小人の群れがわらわらと、てんでにちっぽけな手のひらで賊の靴を掴み、息を合わせてえいやっとばかりに払いのけた。

「のぉわっ」

 予想外の位置から足払いをくらい、馬泥棒はすってーんとぶざまに仰向けにひっくり返った。なまじ重たい武器を持っていたのが仇となる。どうにか手足をばたつかせて起き上がろうと四苦八苦していると。
 ひゅんっと空を切った矢がぶつりと顔のすぐそばに突き立った。

「ひぃいいい!」

 賊の顔が真っ青になる。矢は男の耳に下がった円環形の耳飾りをものの見事に射通し、地面に突き立っていたのだ。それを見て、うずくまっていた先の2人もロウソクみたいに真っ白になってガタガタと震える。
 遅まきながらようやく気付いたのだ。『娘っ子みたいな顔した』射手の腕前の凄まじさに……。
 機を逃さず、りんとした声が響く。

「動けば、打ちます」

 端正な顔で、矢をつがえて言われた瞬間の怖さと言ったらそりゃあもう、背筋が凍りつくほどで。縮み上がった馬泥棒どもは、よれよれと両手を挙げて戦意の無さを訴える。
 お願いだから打たないでくれ、と祈りながら……。

「っけ、腰抜けどもが!」

 最後に残った三角帽子の男は、相棒を盾にして術師と射手の視界を遮りつつ上着の前を開けていた。
 黒革のジャケットの内側には筒状の留め具が縫い付けられ、ずらりと細身の投げナイフが仕込んであった。
 目にも留まらぬ早業で2本抜き取り、横ざまに走りつつ投げる。右手で一本、左手で一本。
 狙うは厄介な術師2人。幸い射手は仲間をけん制するのに集中してる。あいつらさえ封じれば、勝機は……いや、もはや逃げるチャンスと言うべきか……とにかく、ある。

「ニコラ、危ない!」

 いち早く気付いて呼びかけたフロウのこめかみを、ナイフがしゅっとかすめる。

「うぉっとぉ!」

 ぱらりと亜麻色の髪が散り、血が一筋流れた。
 一方でニコラは師匠の警告のおかげでとっさに伏せる事ができた。使い魔2体は飛び上がり、投げナイフの刃はちっぽけな異界の生き物も、四の姫の無垢な体も傷つける事なくすり抜けたかに見えたが。

「きゃっ」

 はらり、と水色のリボンが宙に舞い、ほどけた金髪が肩の上に落ちる。髪を結んでいたリボンを、投げナイフがすっぱり真っ二つに断ち切ったのだ。

「あ……」

 ニコラの声が震えた。

(マイラ姉さまの作ってくれたリボン。大事にしてたのに!)

 やはり女の子だ。生命の危機よりお気に入りのリボンが失われた悲しみの方が、大きい。
 無論、この事態は前衛の2人もきっちり見ていたし、聞いていた。泣き出しそうにくしゃっと顔を歪めるニコラ。額から血を流すフロウ。

 ぶるぶるっと騎士たちの体が震える。恐れでも悲しみでもない、純粋な怒りによって。

「きっさっまあああああ!」
「うおっ、何だお前らっ」
「よくも、私のかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいニコラをーっ!」

 二の姫のレイピアが吠える。『かわいい』と叫ぶたびに、ぴっぴっぴっと三角帽子の男の服に切れ目が入る。

「かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいニコラにっ刃を向けたなっ!」
「ひぃいいっ」
「許さんっ!」

 びゅんっと仕上げの一振りが賊のベルトを切断する。
 その途端、ぱらっと黒革のジャケットもその下のシャツもズボンも細切れになって舞い散った。
 下穿きと靴と、そして帽子だけを残してはらはらと……。当然、投げナイフも散らばったが昼の屋外でいきなり裸に剥かれたショックは大きい。

「しょげええええっ!」

 しかもそれだけの事をやってのけながら、肌には傷一つついてないのだ。

(俺は、俺は何て奴を敵に回しちまったんだっ!)

 後悔しても既に遅い。
 しんしんと静かに怒りの炎を滾らせた巨大な獣が一匹、男のすぐそばに迫っていた。

「あ」

 がごぉんっ!
 ごっつい岩のような拳が唸り、男の体が放物線を描いて吹っ飛んだ。口から折れた歯を、鼻から血を吹き散らしながら。
 地面に当たってバウンドし、さらに跳ねて突っ込む先は白馬の待つ馬房。

「ぎぃえええええ!」

 どがっと強烈な蹄の一撃。
 哀れ投げナイフ使いは飼い葉桶にずっぼとはまり、ぶくぶくと泡を吹いて失神した。骨の一本二本は確実に逝ってるだろう。
 意識を失う間際、男はぼんやりと考えていた。『さっきの野郎の拳と今の馬の蹄、どっちが痛かったかな』と。

 ダインはのっしのっしと大股で近づくと、伸びた男の肩をつかんで引き起こす。

「こら、まだ終わってないぞ」
「待てディーンドルフ、私もまだそいつには用がある!」
「あのぉ、お二人とも」

 後ろでニコラとフロウの無事を確かめたシャルダンが、遠慮がちに声をかける。

「その辺で……」

 レイラとダインは全く同時に振り向き、くわっと歯を剥いた。

「これでもまだ足りないくらいだ!」

 めらめらと青白い怒りの炎を燃やすダインにほてほてとフロウは近づき……。

「落ち着けっつの。」

「…………」

 薬草師が怒れる騎士にぽんっと肩に手をかける。暫くの沈黙の後、ようやくダインの全身から揺らめいていた気炎が収まった。

「姉さま、姉さま、私は大丈夫、怪我はないから!」
「ニコラ」

 ようやく二の姫も剣を収め、駆け寄ってきた妹を両手で抱きしめた。途端に触れれば切れそうな殺気……もとい、剣気がふわあんっと霧散した。

「やれやれ、危ない所でした」

 にっこりほほ笑むとシャルダンは、自分の乗ってきた馬の鞍から縄を取り出し……。

「暴れないでくださいね? 抵抗すればもっと困ったことになりますよ」

 てきぱきと、馬泥棒たちの捕縛に取りかかる。この状況下で、逆らえる者は居なかった。
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