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2013年5月の日記

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四の姫は魔法使い(予定)

2013/05/24 13:08 お姫様の話いーぐる
 四の姫は騎士に連れられ、お屋敷へと帰って行った。
 夕闇迫る町の中、満面の笑みで意気揚々と、黒毛の軍馬の背に揺られ。

「やれやれ、急に静かになっちまったなあ」
「ぴゃあ」

 しーんと静まり返った店の中でフロウはふぅっとため息をついた。
 そもそも、さっきまでが騒がしかったんだ。これが普通。いつもの生活が戻ってきた、ただそれだけの事なのに。当たり前のはずの静けさが、妙に、染みる。

「ぴ……」

 ちびがくしくしと顔をすり寄せてくる。
 こいつを置いていったってことは、ダインの奴、今夜は兵舎泊まりになるかも知れない。
 西道守護騎士団は、王都の騎士に比べれば魔術師への偏見はずっと、薄い。
 だが、砦の騎士自らがおおっぴらに使い魔を連れているのは、さすがにちょっと問題があるらしい。
 ダインが砦に務めている間、ちびは店に残されるのが常だった。
 もともと自分が言いだしたことだ。『砦に詰めてる間、預かってやってもいんだぜ』と。

「ふろう?」

 ちびが膝の上で伸び上がり、ぷに、と前足で口元に触れてきた。柔らかな肉球がくすぐったい。触れられた場所から顔がほころび、笑みが浮かぶ。

「ああ、心配すんな、ちび。何でもない。何でもないから、な」

 お返しとばかりに耳の後ろをかいてやる。ちびは目を細めてごろごろとのどを鳴らした。

「なあ、ちび公。あいつら、なかなかお似合いの二人だとは思わないか」
「にー?」
「そう、ニコラだ」

 明朗快活、豪放磊落、公明正大。光を浴びて常にまっすぐに突き進むあの素直な騎士さまにも、影がある。
 表面上は人懐っこいが、ダインは滅多に他人に心を許さない。期待もしない。ただ、尽くすだけだ。
 理由はいろいろあるが、煎じて詰めれば要するに……。

 父親の正妻に、あの手この手で散々苛め抜かれて来た奴が(ダイン本人は否定するだろうが)、大人になったから、騎士だからって理由だけで、簡単に人を許せるだろうか。信用するだろうか? ってことだ。

 あいつが誰かの役に立とうとムキになるのは。筋金入りのお人よしになったのは、利用されるより先に、自分から動いてきた結果に過ぎない。
 そんな中で、初対面にもかかわらず、ちびはニコラと共鳴を起こした。つまり、ダインがそれだけあの娘に心を許してるってことだ。

「ちぃっとばかし跳ねっ返りで若干、若すぎないでもないがな。同じ騎士の家柄だ、世間的にはつり合ってる。」
「にー」
「魔術の才能もある。あの娘なら、お前さんのことも可愛がってくれるだろうし……」

 ニコラなら、ダインの左目を恐れたりしない。瞬時に見抜くはずだ。
 呪いなんかじゃない。れっきとした魔術の才能なんだって。

(『私の騎士』か……あの子なら、確かにアイツの『お姫様』になれるかもな?)

 いつしか太陽はそびえ立つ町並みの向こうへと姿を消し、薬草店の中は青みを帯びた影に塗りつぶされていた。

「おっと……」

 ランタンに火を入れた。オレンジ色の明かりがぽわっと部屋を照らし、その一方で濃い藍色の影を落とす。何だか急に肌寒くなってきた。

「飯にするか」
「ぴぃ!」

 燭台に灯したロウソクを片手に、厨房へと引っ込んだ。
 それで終われば、薬草師にとって良かったのだろうが……生憎四の姫の行動力は、薬草師の予想をはるかに上回っていたのだ。

 ※

「あ~っと…じゃあ、まず基本的な事を確認するぞ?」

 そう告げるのは小柄な中年風貌…その顔には「どうしてこうなった。」とありありと書いてあるが…目の前でキラキラと目を輝かせる金髪の少女には通じない。
 そもそもの発端は彼女…ニコラ・ド・モレッティが後日勢い良く薬草店のドアを開けて入ってきたことから始まった。

「私、来月から魔法学院に通うことになったから、入学前に色々教えて!」

 護身用のコモンマジック…誰もが使う共通語で呪文を組んだ簡易魔術を一つだけ教えてから、自分を師匠と呼びはじめた少女に、薬草屋の店主…フロウライト・ジェムルは頭を抱えた。
 しかし、頭を抱えても彼女が帰るわけでもないし、少女の頼みごとを無碍にするのも気が引けて…今に至る。
 そう、少女は先日の一件で知ったのだ……「魔法の素質」という自分の「取り柄」を……。
 そして彼女は、このアンヘイルダールの……自分の祖母の家へと引っ越してきた。
 この街の「魔法学院」に通うために……才能を見出してくれた薬草師に弟子入りするために……それになにより。

(『私の騎士』がこの街に居るんですもの!魔法の勉強もできて一石二鳥よね!)

「まず、魔法には大きく分けると2種類に分類されるんだが…。」

「はい!『魔術』と『祈術』です!」

 己が続けようとした言葉を、シュパッ!と手を上げて先を埋める出来の良い生徒に、フロウは若干苦笑いをしながら。

「おう、でも授業中はそうやって先走るなよ?それじゃあ…具体的な違いを言えるか?」

「えぇっと…自分の魔力で直接干渉するのが魔術で…自分の魔力を別の存在に譲って、力を行使してもらうのが祈術…だったかしら。」

「ま、概ねそんな感じだな。それじゃあ、魔術と祈術にはそれぞれどんな魔法があるか、挙げてみな?」

 ニマリと笑って、悪戯に問題を投げてみれば、金髪の少女はそれを挑戦と取ったのか眉根を寄せて先よりも真剣に考え始め。

「えっと…魔術に属するのは、私が教えてもらった共通語魔法に、魔導語を使った魔導術、簡略化した魔導語の歌詞で歌う魔歌。
 祈術は、神様の力を借りる神祈術に精霊の力を借りる巫術。異界の存在を呼び出す召喚術!」

 少し考え込んだ後、これでどうだ!と言わんばかりにまくし立てる少女の回答に、少し目を見開いてからクツリと…教師役の男は目を細めて笑い。

「おぉ、良く覚えてんなぁ…他にも魔術には少し前から確立されはじめた錬金術って系統の魔術に、祈術には竜を信仰して行使する竜祈術があったり…魔法とはちょっと毛色が違うが、自分の体を魔力で変質させる錬体術ってのも、一応魔術の一種に入るさね。」

「へぇ…私の知らない魔法って結構一杯あるんだ…。」

「もしかしたら、俺たちの知らない魔法もまだどっかにあるのかもな。」

 しかし……きらきらした目で教えを請われるというのも……なかなかどうして、悪くないもんだ。


<四の姫と薬草師/了>
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はじめての魔法

2013/05/24 13:07 お姫様の話いーぐる
 私の騎士を取り戻す。ここに来るまでの間、ニコラ・ド・モレッティの頭にはそれしかなかった。
 乙女の一念は燃え盛る炎となって小さな体の内側にみなぎり、青い瞳からあふれ出し、裏町にたむろするゴロツキや不良少年など、寄せ付けもしなかったのだ。

 しかし……ごうごうと燃え盛っていた炎は、今やしゅうっと鎮火してしまった。

「で、帰りはどうすんだい?」
「考えてなかったーっ! ど、ど、どうしよう」

 さーっとニコラの顔から血の気が引いた。その途端。術具を収めたケースが、またカタカタと細かく振動を始めた。

「まあ、ダインに送ってもらえば心配はねぇな……って、ん?」

 フロウの目がスゥ、とわずかに細められる。間違いない。先刻の予感は今やはっきりとした確信に変わっていた。
 この子の感情に、術具が反応しているのだ。

「ダインに、送ってもらうっ?」

 ぽっとニコラの頬が赤くなる。その瞬間、またガッタン! と派手にケースの中で術具が跳ね上がり、ガラスの上蓋にぶつかった。
 指輪やメダルと言った比較的軽い物が、まるでフライパンで炒った豆のように跳ねている。

「……なぁお嬢ちゃんって、魔法学院(magic-academy)の生徒さんか?」
「え?」

 きょっとんとした顔でニコラが首を横に振った。

「ううん、魔術なんて習ったことも使ったこともないわ」
「………ってことは、感情で漏れた魔力でこれか……」

 フロウは秘かに舌を巻いた。
 無意識にあふれ出す魔力でさえ、これほどの反応を引き起こすなんて。この子が本気で術を使ったら、どれほどの威力を発揮するだろう?

「え、何? 魔力?」

 当のご本人は首を傾げていらっしゃるが。

「ん~……ちょっと待ってろ」

 術具の棚に歩み寄り、蓋に下ろしてあった錠を開けた。途端に中味がカタカタぴょいんっと飛び出して来た。

「おっと」

 床に転がったのを拾い上げていると、ニコラが側に寄ってきた。

「何? これ……きれいー」

 やはり年ごろの女の子だ。この手のきらきらしたアクセサリーは気になるらしい。目を輝かせている。

「梱包魔法(Packed magi)つってな……まあ、出来合いの呪文一つを、装飾品に封じた奴だ」
「パックド・マギ……これが? 実物は始めて見た!」
「まあ、一つあたりの値段が半端ないし、な。街中じゃああまり使う機会もなかろうし」

 元通りにケースの中に並べ直す、手の動きを少女の青い瞳が追いかけてくる。

「此処にあるのは市販品ばっかりで、いまいち自衛には向かねぇから……ああ、これがいい」

 透き通った水色の石のはめ込まれた指輪を手に取った。キーとなる石はアクアマリン、地金は銀。流れる波と水を象った意匠が施されている。

「あれ??? 何だか、それ………」

 ニコラが手をかざしてきたのに、フロウがわずかに目を見開く。

(お……?)

 白いほっそりした指と、水色の石をはめ込んだ指輪の間に小さな流れができていた。
 無論、普通の人間には見えやしない。魔術師が自らの意識をコントロールし、集中し、狙いを定めて始めて感知できる流れだ。

「懐かしい感じがする。見るのはじめてなのに。何で?」
「あぁ。多分、お嬢ちゃんと相性がいいんだろうな」

 この指輪を作ったのは、水の力を持つ魔術師だ。作り手の力は自ずと作り上げた物にも宿る。おそらく、この少女は水の力を秘めているのだろう。

「これは、いわゆる魔術の『発動体』って奴だ」
「魔術師の使う、杖と同じ?」
「そう、あれと同じだ」
「魔力に方向性を与えて、呪文を投射する手助けをしてくれる道具のことよね。無くても使えない訳じゃないけど、無駄な消費が増えるし、失敗する可能性も高くなる」

 おやおや、大したものだ。魔術の仕組みをちゃんと理解しているじゃないか!
 才能はあるけど、知識がからっきしな誰かさんとはえらい違いだ。

「わかってるなら話が早い。いいか、ニコラ。今からお前さんに魔法を一つ教えてやる」
「え、え、うそ、ほんとっ? 魔法教えてくれるのっ? いいの、ほんとにいいのーっ?」

 ほっぺたが真っ赤だ。ここに来てからは概ね赤かったが、今度のはちょっと質が違っている。目の輝きはさらに増し、はふー、はふー、はふーっと息まで荒くなってきた。

「………簡単に身を守れるのを一つだけ、な……」

 こっくこっくと派手にうなずいた。金色の髪が広がり揺れて、まるで翼のようだ。

「え、あれ? ってことは……あなた、魔法使いだったの!?」
「ん? あ~……そだな、一応。いいか、それじゃ見本見せるから」

 右手を掲げて、軽く指を曲げた。手首にはめた木の腕輪を介して意識を集中する。
 トネリコの木から削りだした腕輪は、使い込まれ、磨き抜かれ、品の良い飴色に染まっている。つやつやした表面には、花を模した印と魔導語が刻まれていた。

『内なる力よ 流れる力よ 集えこの手に……』

 呪文の詠唱とともに、腕輪に刻まれた魔導語と印にそって淡い光が走る。
 空気が震え、手のひらに青白い光りが集まって行く。ぱし、ぱち、と小さな音を立てて。

『energy-ball!』 

 言葉とともに練り上げた魔力の玉を空中に放つ。
 あたかも鞠のように跳ね上がった青白い球体は、ぱあっといくつもの火花になって飛び散った。
 ぱし、ぱし、ぴりり。
 金属の部分に軽く青いスパークが走った。

「すご……」
「今やったのは略式だ。本当はもうちょい威力のある呪文なんだが、それだと護身用を越えちまうからな」
「えーと、えーっと……内なる力よ 流れる力よ 集えこの手に」
「………」

 今唱えたのは、パックド・マギのために作られた、日常語で構成された呪文だ。
 魔術師の使う『魔導語』や、主に聖職者の使う『祈念語』と違って、ごく普通に会話で使われる言葉で唱えることができる
 だからって。

「一発かよ」
「魔法理論の基礎は姉さまから教わったもの。後は、法則に基づいた言葉の組み合わせでしょ?」
「なるほど、下地はあるのか。なら良いや」

 同じ騎士の家柄(あの見事な足さばきや教養の高さ、りんとした気性と行動力から察するに)でも、ダインの家と違って魔術に理解があるらしい。
 おそらく王都ではなく、この西の辺境に領土を構えた家なのだろう。
 古くから西の辺境では、魔術師と騎士が力を合わせて荒れ地を切り開き、蛮族や魔物の侵入から開拓者たちを守ってきたのだ。

「まあ、護身用だがあんまり人に向けて使うなよ? 30回に1回は人を殺せるかもしれねぇんだから」
「威嚇ね!」
「そう、威嚇だ。どれ、ちょっとやってみろ」

 水色の指輪を渡すと、ニコラは頬を染めながらそろっと薬指にはめた。指輪の帯びる力と少女の力が溶け合い、結びつく。
 やはり相性は抜群だった。

 すうっと息を吸い込むと、ニコラは澄んだ声で唱え始めた。

『内なる力よ 流れる力よ 集えこの手に……』

 間の悪いことってのは重なるもので。ちょうどその瞬間、ドアが開いてダインが戻ってきた。
 今度はきちんとシャツを着ている。
 だがあいにくと、彼の入ってきたドアはニコラの真正面だったのだ。やばいな、と思ったがまあ、所詮威嚇用の軽量版だ。ちょっくらしびれはするが大したことにはなるまい。

 なんてのんきに構えていたら。

『energy-ball!』
『energy-ball!』

「えっ」

 おい。今、呪文唱える声が二つ聞こえたぞ。もう一個は、やけにぴゃあぴゃあした声で……。
 慌てて見上げると、ちょうどニコラの真上にあたる梁の上で、翼を広げる黒褐色の斑の生き物が約一匹。金色の瞳を爛々と輝かせていた。

「ちびっ?」

 やばい。あいつ、共鳴してる! 
 
「おわあっ!」

 ばりばりーっと強烈な火花が飛び散り、部屋の中の金属にぱりっと青白いスパークが走る。

『とりねこ』には、感情や思念、願いと言った人間の『心の動き』に共鳴し、増幅する習性がある。当然、その中には魔術も含まれる。
 意識してやってる訳じゃない。動くものがあれば追いかける。それと同じだ。強い動きがあれば共鳴する。正に今みたいに。

 きっちり二倍に増幅された炸裂雷球(energy-ball)の呪文を食らい、ダインはばたっと床にひっくり返った。

「おーい、ダインー。生きてるかー」
「……しびれた」

 球体の当たった場所の服が破け、下からのぞく皮膚が赤くなっている。髪の毛の先っちょがくりんくりんに縮れてかすかに焼け焦げたにおいがするものの、命に別状はないらしい。

「ほんと、丈夫な男だねえ」
「俺が着替えてる間に……一体、何が……」
「うん、まあ話せば長くなる」

 涼しい顔で治癒呪文を唱えるフロウの横で、ニコラがぽつりとつぶやいた。

「あ、なんかだいぶすっきりした」
 
      ※ 
 
 最初の一撃こそ『不運な事故』を招いたものの。
 フロウの指導のもと、店の中で練習を繰り返すほどに精度は上がって行き……。
 西の空に日が傾く頃には四の姫は、自在に炸裂雷球の呪文を使いこなせるまでになっていた。

「よーし、上等だ。後は実践ある飲み、だな。筋がいいな、ニコラ!」
「ありがと、師匠!」
「し、師匠? 俺が?」

 面食らって目を見開くフロウに、ニコラは手を後ろで組んで首を傾げて答える。

「そうよ? だって魔法教えてくれたでしょ?」
「あー……なるほど、ね……確かにそーだ」

 フロウはほんのり頬を染め、人さし指でくしくしと己の顎の下をかいた。照れ臭かったらしい。

「あー、そうだ、ダイン。そろそろ暗くなるし、ニコラを家まで送ってやんな」
「ああ、元よりそのつもりだ。だけどその前に」
 
 のしっと背後からダインがひっついて、肩に顎を乗せてきた。

「まだちょっと痺れてるんですが、『師匠』?」

 すかさずフロウの手が、ぺちっと額を張り倒す。

「おらよっ」

 続いて呟かれた言葉は、ニコラにとっては馴染みの薄い言葉だったが、呪文なんだと言うことは分かった。ダインの皮膚にわずかに残っていた赤みが失せ、腫れが引いて行く。

(すごい……。あれを使いこなすには、もっと勉強しなきゃいけないんだ)

「ってえなあ」

 叩かれたダインは首をすくめたものの、嬉しそうだ。目尻が完全に下がって、口角が上がってる。あまつさえゆるく開いた唇の間から、白い歯までのぞかせて……。

 かちり、とニコラの中でフロウの位置づけが切り替わった。

(わかった。彼氏じゃなくて、飼い主だ!)

「レディ、こちらへ……」

『私の騎士』が手を差し伸べている。以前と変わらぬ、うやうやしさと優しさを瞳の中に秘めて。

「ニコラと呼びなさい」
「へ?」

 この瞬間、四の姫は悟ったのだった。

(犬と飼い主に焼きもちやいてもしょうがないわ!)

 きっぱりと言い切るニコラに、フロウが声をかけた。

「まあ、あれだ……頑張ってくれな」
「うん、がんばる。それじゃまたね、師匠!」

 満面の笑みで答える姫を、薬草師は目を細めて見送るのだった。まるで光を見上げるように眩しげに、蜂蜜色の瞳を細めて……。
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騎士、登場

2013/05/24 13:05 お姫様の話いーぐる
「んびゃーっ!」

 天井の梁の上で、何かが甲高い声で鳴いた。
 見上げると、そこに居たのは黒地に褐色の斑模様に金色の瞳の猫だった。つぴーんとしっぽを立てて、翼を広げ、奥に通じるドアの方を向いている。

「あれが、ダインの猫?」
「うん、名前は『ちび』だ」
「羽根生えてるけど!」
「そう言う生き物なんだ」

 答えるフロウの額には、じっとりと冷たい汗がにじんでいた。
 あの仕草、あの目つき、何が来たかは予想がつく。つくづく間の悪い奴だ。シャツと毛布と靴下と、こんなに早く洗い終わるとは!

(せめて服は着てろよ、ダイン……)

 がちゃっとドアが開き、ぬうっと金髪混じりの褐色頭が突き出される。
 何てこったい。裏庭に出る時は着てた筈の上着、脱いじまってる。ダインの上半身を覆っているのは、もはや金髪混じりの褐色の髪と、銀色のロケットのみだ。

「終わったぞー」

 のほほんと答えるその右肩に、かろうじて畳んだ上着が担がれているのが見えた。なるほど、洗濯する間、濡れないように脱いだか。で、そのまま戻って来た、と。
 ばーんと張った胸板も。くっきり割れた腹筋も、何もかもフリーダムに、オープンに。

 別にこいつの裸なんか見慣れているが、こっちの女の子はどうだろう?
 一目見るなり、少女は拳を握ってうつむいて、ぷるぷる震え出した。
 やっぱりな。目を塞いでさしあげるべきだったか。

 ってなことを考えている間に、つかつかとダインに歩み寄った。

「やあ、レディ・ニコラ!」
 
 にっこり笑ってるよ、あのど天然が!

「どうして、ここに? よくこの店がわかったなあ」

 次の瞬間。
 ふわっと水色のスカートが翻り、赤い靴がどかあっとダインの鳩尾にめり込んだ。

「ふぐぉっ」
「さいってぇっ!」

 たまらず、半裸の騎士は腹を抱えて床にうずくまった。
 素早くニコラの足は元通り、行儀良くスカートの中に収まっている。
 それにしてもいい蹴りだ。ただのお嬢様じゃなさそうだなありゃ。

 に、したってダイン。ぬけぬけとレディの前に半裸で顔出すとはなぁ。よりによって、このタイミングで。
 

「……え~、弁護なし」
「ひでぇ……」

 ぱさり、とちびが床に舞い降りて、ダインの膝に前足を乗せる。

「とーちゃん?」
「……ありがとな、ちび」
「とりあえずさっさと服来て来い馬鹿」
「へーい」

 よれよれと立ち上がると、騎士さまはちびを肩に乗せ、すごすごと奥へと引っ込んで行った。
 一方でニコラ嬢は耳まで真っ赤にして、ぶるぶる震えていらっしゃる。
 そりゃーまーそうだよなあ。いきなり男の半裸とか見せつけられちゃ、なあ。

「……蹴っちゃった……ダイン、蹴っちゃった……」
「あ?」

 そっちか。

「まあ良いんじゃね?別に」
「ちょっと、すっきりした」
「そりゃ良かった」

 カウンターのコンロで湯を沸かし、ティーポットに茶葉を入れる。薄くかちっと焼かれた白いカップを選んでこぽこぽと注いだ。

「どうぞ?」
「……何、これ」
「アップルティー。落ち着くぞ」
「いただくわ」

 少女はカウンター前のスツールに腰を降ろした。見事だ。無造作にすとんっと腰を降ろしているようで、その実スカートの裾も乱れず、動きの中に気品がある。

 両手でカップを持って、こくっと一口含み、目を閉じてしみじみと、あったまったリンゴと茶葉の香りを味わってる。カモミールティーにしようかとも思ったが、この年ごろの子には、果実を使ったお茶の方がいいだろう。

 それと、甘いお菓子も忘れずに。
 木鉢に盛った丸いクッキーを差し出してみた。混ぜ込んだスパイスの色で赤みがかった褐色が強くなっている。
 つーんとした爽かな香りは、リンゴの香りと酸味と仲良く溶け合い、混じり合い、互いの味を引き立てる。
 相性がいいのだ。

「シナモンクッキーもどうぞ」
「ありがと………」

 小さな丸いクッキーをぽしっとかじるなり、ニコラは目を輝かせた。

「おいしい! これあなたが作ったの?」
「ん? あぁ。昨日は暇だったからな。」
 
     ※
 
 四の姫はしみじみと手の中のクッキーを見つめた。

 スパイスを混ぜ込んだクッキーをきれいに焼くのは、難しい。ちょっとでもオーブンの火加減を間違えたら最後、あっと言う間に焦げてしまう。かと言って焼きが甘いと香りが引き立たない。
 生地は均一に練られ、絶妙の焼き加減だ。しかも厚みも形もきれいに揃ってる。

(愛嬌あって、胸もあって、お菓子作りも上手だなんてーっ! おじさんなのにっ。おじさんなのにっ!)

 クッキーをつまんだまま、ぷるぷる肩を震わせる。

(私には無理だ……かなわないっ)

「うぇ? ど、どうした? 何か、妙なもん混じってたか?」
「……ずるい」

 涙目でじとーっとにらみ付ける。

「は? な、なんだよ急に!?」
「うーっ」

(くやしい、くやしい、くやしいっ)

 ばりばりと猛烈な勢いでシナモンクッキーをかじり、アップルティーで流し込む。
 リンゴの香りのお茶は、ちょっぴりすっぱくて。砂糖も蜂蜜もはいっていないのに、ほんのり甘かった。

「……で、えっと……ダインに会いに来ただけ、で、いいんだよな?」

(んな訳ないでしょ!)

 口の周りにクッキーの粉をつけたまま、きっとにらんだ。

「ダインを取り戻しに来たのよ!」

 だけど。
 さっき、ちらっと見たダインの姿は、のびのびとして。騎士団の兵舎にいる時よりずっと、幸せそうだった。
 ここにいるのが、どれほど楽しいのか。くつろぐのか。伝わってきた。

(ここから、彼を引き離すことは、彼のためになるんだろうか?)

 声から力が抜ける。がっくりと肩が下がる。

「取り戻すって………何とも物騒な言い方だねおい」
「……そのつもり……だったわ」
「いや、用事があるなら普通に連れてってくれていいが」
「ちがうの。そうじゃないのっ!」

 用事なんかない。約束なんかしていない。これはただの、私のわがまま。彼を訪ねていったときはいつも、待っていてくれるって勝手に信じてた。思い込んでいた。
 それが叶えられなくて、怒って、慌てて押しかけてきた。
 全て私の暴走。
 最低。

「ダインは、ダインは『私の騎士』だからっ! それが、それが男と恋仲になったとか聞いてっ」

 ぼろっと涙が零れる。銀髪の騎士から告げられた瞬間、胸の外側に刺さったトゲが……今、やっと心臓に届いたみたい。
 堅い殻を打ち破り、柔らかな滴があふれ出す。後から後からぼろぼろと。

「休みのたびに泊まり込んでるって……」
「あ~……なるほどなぁ………」

 差し出されたハンカチは、きれいに洗われ、やわらかく、お日さまとラベンダーのにおいがした。
 素直に顔を埋めて涙を拭いた。ついでにこっそり、鼻水も。

「あ~……でも恋仲っつぅより単純に懐かれてるだけだと思うがねぇ。」

 そう頬を掻きながら応えるおじさんに、え?と少女が顔を上げる。

「懐かれてるって……いつから?」
「うーん、四ヶ月ほど前か。北の峡谷に、妖鬼の群が出た時があったろ」
「……うん、知ってる……。」
「あの時の討伐戦に、奴も参加してたらしいんだよな。で、引き上げてくる時に、会ったんだ」
「何で、懐かれたの?」
「あいつが怪我してたから、手当てしたら何故か、な…………まあ、そんなとこさね。」

 私と会うより前から知り合ってたんだ……でも結局、どうなんだろう?
 顔を拭ってる間に、二杯目のアップルティーが注がれていた。涙を流したせいか、のどが乾いていた。
 こくこくと一気に飲み干した。

「はー……」

 リンゴの香りが鼻から咽を吹き抜ける。ひりひり染みた塩辛い痛みが、ほんの少しやわらいだ。
 ざわざわしていた心が少しずつ落ち着いてくる。……良く考えればいきなり乗り込んで年上に生意気言って勝手に泣きついたのよね、私……。
 急に恥ずかしくなって縮こまるのを、穏やかに眺めている彼に……そういえば名前すら告げていないのを思い出した。

「なあ、お嬢さん」
「ニコラよ。ニコラ・ド・モレッティ」
「そーか。俺は、フロウだ。それで、ニコラ」
「なあに?」
「一人で来たのか? 此処って結構治安良くないキワキワなんだが」
「きわきわ?」
「うん。あと路地の1、2本も曲がれば、スラム街さね」

 ざわわぁっと背筋が泡立つ。
 細い道から店の前を横切る道に飛びだした時。建物の影になった部分や、道と道の交わる角に、妙に目つきの鋭い男たちがたむろしていた、ような気がする。
 あの時はひたすら店しか見えていなかったけれど……今思うと、彼らは確かにこっちを見ていた。

「ちょっと怖かったけど。根性で来た!」
「根性って……またえらいお嬢ちゃんだこと」

 だって、ダインの事で頭がいっぱいで、他のことなんか考える余裕なかったんだもの!
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姫、参上!

2013/05/24 13:03 お姫様の話いーぐる
 四の姫はずんずん歩く。閲兵式さながらの規則正しい足取りで、ずんずん、ずんずん一直線に、まっしぐら。
 水色のリボンをなびかせて、さらりと癖の無い金髪を揺らし、おろし立ての赤い靴を履いた両足を、前へ前へと蹴り出して。

 ニコラにとって、アインヘイルダールの街は幼年期を過ごした、慣れ親しんだ場所だ。
 北区と言われてすぐにどこにあるかわかったし、迷わず正しい道を選ぶことができた。だが、さすがに表通りを外れるのには勇気が要った。
 建物と建物の間を通る細い道は、壁に日光が遮られるせいか、うっすらと暗い。

「そこの細い路地を、道なりにまっすぐ、道なりに……」

 つい先ほど、屋台の女主人から聞いた道順を呪文のように繰り返す。商売柄、件の薬草店をよく利用してるらしい。『いちばんの近道なのよ』と言っていた。
 壁と壁に挟まれたほの暗い道は、見渡す限りまっすぐ伸びている。まっすぐすぎて、どこまで続いているのかわからない。

(この先に、ダインがいる。私の騎士がいる)
(あやしげな薬草師にたぶらかされて、店に入り浸ってる。しかも相手は男!)

 こくっと咽を鳴らすと、ニコラは拳を握り……えいやっと踏みだした。
 ほんの少し手を広げれば、指先が左右の壁に触れてしまいそうなくらい細い道を、前へ。前へ。ずんずん前へ。

(どんな美少年でも美青年でも負けるもんですか! ダイン、絶対、あなたを取り戻す! 真っ当な道に引き戻してあげるんだから!)

 気勢を上げたその瞬間。唐突に細い道は終わり、ぽこんっと飛びだしていた。何の前触れも無く、左右に横切る広い道に――それにしたって表通りに比べれば狭いのだけれど。

『下半分は石造りで、上半分は木でできた古い家だよ。看板が出てるから、すぐにわかるし裏には薬草畑があるからね。鼻が教えてくれるよ』

 屋台の女主人の言葉を思い出し、すーはー、すーはーと大きく、深く、息を吸う。

「あ」

 混じり合う花と草の香りがした。毎日飲むお茶や、家の中に掲げられたリース、料理に使うスパイス、そして怪我に塗ったり、病気の時に飲む薬。そして、今朝使ったばかりの薔薇水の香り。

 においを辿り、ほどなく古い木のドアにたどり着く。ぴかぴか光る真鍮の取っ手。軒先に下がる大鍋のような形の看板には、流れるような書体でこう書かれていた。
『薬草・香草・薬のご用承ります』

(まちがいない。ここだわ!)

 だんっと脚を踏ん張ると、ニコラ・ド・モレッティは胸を張り、勢い良くドアを開けた。

     ※

 目に見える場所ほとんど全てに、ガラスの瓶が並んでいた。掌に収まるほどの小さなものから、両腕でやっと抱えられるくらいの大きなもの、その中間を埋めるあらゆるサイズの瓶が。
 中味は乾燥した花やつぼみ、粉末や水薬、あるいはオイルに漬けた葉や茎、実、根っこなど。台所のスパイス棚にちょっぴり似ている。だけどずっと数が多かった。

 高くそびえた天井に張られた紐からは、乾燥した草の束がぶら下がっている。
 そして押し寄せてくる香りの渦は、干され、混ぜられ、練り上げられて。生の草や花よりずっと濃く、強かった。
 日なたと牧場(まきば)と蜂蜜のにおいが溶け込んでいた。
 
「お? いらっしゃい」

 奥のカウンターに座っていた男が顔を上げ、声をかけてきた。

「…………ごきげんよう」

 とっさに挨拶を返しながらも、ニコラは正直、面食らった。

(だれだろう?)

 むちっとした体つきは、どこか子犬を思わせる。
 ぱっちりした二重の瞼に蜂蜜色の瞳、ふっくらした唇、つやつやした頬はうっすらとヒゲに覆われていて、大人なのか、子供なのかよくわからない。

(まさか、この人がダインの『彼氏』?)

 見た所、他に店員の姿も客の姿もない。二人っきりだ。
 恋敵(不確定)の前を通り過ぎ、商品の並ぶ棚の前に立った。ガラス瓶に入った草や花を一つ一つにらみながら、隙を見てちら、と振り返る。

 思ったより背は低かった。美青年でも、増して美少年でもない。気になって思わずじーっと見つめてしまう。
 見ないふりして視線をそらしても、気になって、気になって、しかたない。

(どうして? やっぱり顔? あぁいう顔が好みなの?)
 
 気配を感じたのか、男がこっちを向いた。あわててさっと視線をそらし、ガラス瓶をにらみつける。
 
(あ)

 とろりと濃い褐色の水薬が満たされた瓶は、まるで鏡のように背後の景色を写していた。こっちの表情も、目線の動きも、全て。

(見られてたーっ!)

 瓶に写る男と、目が合った……合ってしまった。

「何かお探しですかぃ? お嬢さん。」
「わっ!」

 その場で飛び上がりそうになった。いや、ひょっとしたら知らないうちに飛び上がってしまったのかもしれない。近くの棚がカタンと揺れたから。

(落ち着くのよ、ニコラ! 元々、この人と対決するために来たんじゃないの! 逃げてはだめ。逃げてはだめ。私は、騎士の娘だもの!)

 意を決してばっと振り向いた。勢いで金色の髪が舞い上がる。

「……私の騎士がここに来てるはずなんだけど?」
「騎士?」

 男は怪訝そうな顔をしたが、すぐにああ、と小さくうなずいた。

「ダインなら、裏の井戸んとこさね」
「そんなとこで何を?」
「んー、洗濯。飼ってる猫がやらかしたから、飼い主の責任ってやつでな」
「猫、飼ってたんだ……」
「ああ。砦だとうるさく騒いで迷惑かけちまうからな。俺が預かってるけど、飼い主はダインだ」
「って!」

 はっと気付いた。気付いてしまった。

「だ、ダインって、あなた彼のことダインって、なれなれしいーっ!」
「ん? だってアイツの名前長くて面倒じゃねぇか」

 男は首を傾げ、ゆるい笑みを浮かべた。ほんの少し眉を寄せ、困ったような表情が混じっている。

「皆そう呼んでるだろ?」
「そうだけどっ」

『あー、ほら、長い名前は言いづらいから』
『何だったら、君も呼んでいいぞ。ダインって』

 この人にも言ったんだ。あの調子で。いつもの事だ、誰にでもそう言う人だってわかっているけれど。
 両手を握りしめる。体中に広がる震えを止めようと、必死になって指に力を込めて……きっと顔を上げ、男をにらみ付けた。

「あなたっ、彼と、その…………」

 耳の奥でがん、がん、と低い音がする。
 変な感じがした。確かに自分はここに立ってるはずなのに、足下がふわふわして、ぐるぐると激しく渦巻く竜巻の真ん中を漂ってるような気がした。

(あー、こう言うのって、えーっと、何て言えばいいんだっけ、彼氏? 恋人? やだ、そんなこと言ったら認めてるみたいじゃないの、悔しい。もっと別の言い方探さなくちゃ………)

 必死になって知ってる限りの言葉を漁った揚げ句、出てきたのは。

「あなた、ダインとデキてるってほんと?」
「え?」

 どこから拾い上げてきたものか、やんごとなきレディにはいささかそぐわぬ、ちょっぴり下世話な言い回しだった。
 男はきょとんとした顔でぱちくり瞬き。目をまんまるにして、肩をすくめた。口の真ん中に力を入れて、にゅっとくちばしみたいに突きだして。

「……さぁ?」

(さぁ!?さぁって何よ!?もしかして負けてる?からかわれてる?)

 いいえ、まだまだ勝負はこれから! 気力を奮い起こすと四の姫ニコラはついっと顎をそらせ、目を細めた。

「わかったわ、質問を変えます」

 知っている限りの堅い言葉を選び、抑揚のない声で問いかけた。

「非番の週に、ダインがここに泊まり込んでいると言うのは事実ですか?」
「……あぁ、それはまあ……確かに、最近は休みになるたびにうちに泊まりに来てるさね。」

 帰ってきた答えの中味とさりげない口ぶりに、仮初めの冷徹はあっさりと溶け崩れて消えた。

「やっぱりーっ」

(この人、ダインとデキてるんだ……恋人(mistress)なんだ!)

 生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えながら、ニコラは男の顔に手を伸ばし、頬をつついた。

「……なんだよ」

 ぷにん、と指がほどよく沈み、次いで押し返される。何と言うか、たいへん触り心地がよい。

「……」

(ま、まさか、こっちも?)

 恐る恐る手を下に滑らせ、着崩したシャツの上からさえ、むっちり盛り上がっているのがわかる胸を突いた。

「……だから、なんだよ」

 むにゅん。
 やっぱり指が押し返される。張りのある肌と皮膚と、肉に。ぺたっと手のひらを当ててみると、もっちりと握れるほどの質感があった。
 もう片方の手で自分の胸をなでると、つるぺたすとーんっと一気に腹まで落ちてしまった。

(何で試したりしたんだろう。わかりきってたことなのに!)

「ず……ずるいーっ! おっ、おじさんなのにっこんな、こんなに乳があるなんてーっ」

 涙を浮かべると、ニコラは恥も外聞も意地もかなぐりすて、握った拳でぽかぽか叩いた。自分なんかよりよっぽど豊かで、触り心地のよい胸を。

「いやお譲ちゃん! 年ごろの娘さんが乳とかそんなまずいだろ!」
「乳を乳って言ってどこが悪いのよ! この。この。このーっ」

 叩けば叩くほど、ぽよん、ぽにゅんと拳が跳ねる。それがまたさらに悔しさをかき立てる。
 当の薬草師も、痛くは無いが突然少女が癇癪を起こして自分の胸板を叩き始めるのだから驚くしかない。

「ちょ、なっ……一体なんなんだよっ。」
「ずるい、ずるいっ」
「あーもう、しょうがねぇなあ」
 
 結局、何がなんだか分からないままなのだろうが、宥めるようにぽすっと頭の上に薬草師の手が乗せられ、撫でられた。ある意味完敗だった。
 いっそ、思いっきり冷徹でナルシストな美青年とか。やたら生意気な美少年だったら、その未熟さ、器量の狭さを見下し、自分が優位に立つこともできただろうに。

(この人、普通に良い人じゃないのよぉ……)

     ※

 やれやれ、どうしたものか……と、薬草師フロウはため息をついた。
 飛び込んできた金髪の少女は、どうやらダインの知り合いらしい。
 身なりもいいし、言葉遣いも教育が行き届いている。いい所のお嬢さん、それもしっかりした教育を受けた娘なのだろう。
 それがいきなり『私の騎士はどこ?』『ダインとデキてるの?』と来たもんだ。

(ったく、あの無自覚天然タラシにも困ったもんだ……)

 えくえく泣きじゃくる少女をなだめる一方で、フロウはある事に気付いた。

「えっ?」

 店で扱っているのは、薬草や香草ばかりではない。専門の店に比べればほんのわずかなものではあったが、魔術の触媒や術具も置いてある。
 その術具を並べた一角が、さっきから騒がしい。
 少女の感情が昂ぶる度に、カタカタとケースの中で揺れている。地震かとも思ったが、他の物はびくともしていない。ただ、揺れているのではない。微妙に活性化しているのだ。どこから注がれた魔力によって……。

 自分ではない。こう見えても魔術師の端くれだ。無意識に魔力を漏らすような事は滅多に無い。使ってない自覚もある。
 ちびでもない。さっきから天井の梁で息をひそめ、ひたすらうずくまっている。
 当然、ダインでもない。そもそもこの場に居ないのだから……だとすると、残る可能性はただ一つ。

(まさか、この子が?)
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件の騎士と噂の薬草師

2013/05/24 13:01 お姫様の話いーぐる
 アインヘイルダールの北区。表通りから奥へと入り、かくん、かくんと角を三つばかり曲がった先に一軒の薬草屋があった。
 最初の礎が打ち込まれてから優に百年は越していようかと言う古い家は、積み重なる年月とともに建て増しを重ね、間口の割に中は広く、ゆったりした作りになっている。
 その一室。薬草屋の現店主にして家の主、フロウライト=ジェムルの寝室で、当の薬草師はごそごそと探しものをしていた。
 ベッドの周辺を探る度に、軽くまとめた淡い茶髪が揺れ、眠たげにも見える焦げ茶色の瞳が何かを探して動きまわる。
 そんなことをしているとドアを開けっ放しにしていたせいか、貸した部屋から出てきたダインが出てきた所で声を投げられた。
 
「どうした?フロウ、何か見つからないのか?」
「おーダイン、毛布が一枚足りないんだけど見なかったか?」
「さあ……見た覚えないなあ」

 答えるダインはズボンとブーツこそ身に付けているものの、上半身はまだ裸だ。
 広い背中も、頑丈な肩も。重たい武器を振り回し、どでかい馬を乗りこなし、みっしり鎧を着込んで動くことで自然と作られたバランスのとれた筋肉も、何もかも隠そうともせず剥き出しのまま。
 唯一上半身に身に付けているのは、銀色の楕円形のロケットのみだが、別に男同士なので気にすることなぞ何もない……事もないが、少なくともわたわた慌てるのは可愛いレディがするべきのはずだ。

「あれ気に入ってるんだけどなあ。なくしたか?」
「……かもな。俺のシャツも行方不明だ」
「近ごろ、どーにも物があちこちで無くなってるからなあ」

 事実だった。最近、この家では行方不明になる物が増えていた。
 靴下、スリッパ、クッション、ハーブの束に上着にシャツ。どれも肌触りのよい、上質なものばかり。

「とりあえず俺、ちょっと顔洗ってくる。」
「あいよ、さぁってと……ここいらに落ちたかなーっとぉ」

 階段を降りていくダインに返事をしながらベッドの下にもぐりこんでごそごそやっていると、その一方で……
 とすっと天井の梁から、黒い影が舞い降りた。
 にじりよじりと忍び寄り、伸び上がり、椅子の背に引っかけたフロウの上着を、ぺしっと器用に前足でたたき落とす。

「ん?」

 気配を感じた薬草師が振り向くと、金色の瞳とかち合った……それはひょんな事からダインが契約することになった、彼の『使い魔』だ。
 ふわふわした黒と褐色の羽毛に覆われた、異界の生き物。猫のようにしなやかで、鳥のように翼を広げて自在に飛び回る。『とりねこ』が床の上、今しも上着をくわえてずりずり引きずっている所だった。

「ちび……」

 目が合うとくわえていた上着をぽてっと離し、ちょこんと小首をかしげて、愛らしい声でひとこと。

「ぴゃ?」
「おーよしよし、可愛いなあ」
「ぴゃ、ぴゃ」

 のそのそとベッドの下から這い出し、床の上にあぐらをかく。ちびは咽をごろごろ鳴らして愛らしさ全開。ぐいぐいと顔をすり寄せ、ひざに乗ってくる。

「……ちーびー!」

 すかさず、むんずっとばかりに首根っこを捕まえた。

「お前か! お前が犯人かーっ」
「ぴゃーっ」
「毛布どこに持ってった。ああん?」

 ぺたーっと耳を後ろに伏せてしまった。のぞきこむフロウの視線から目をそらし……何やら戸棚の上を見ている。

「……」

 踏み台を持って行って、上がってみると、あった。
 とりねこの、巣。
 クッションに、毛布に、見当たらないなと思っていた乾燥ハーブが一束。かたっぽだけになってた靴下の片割れも。即座に回収する。

「ちーびー」
「ぴゃーっ」

 しっぽをぶわぶわに膨らませ、逃げようとするのを、素早く襟首ひっつかまえてぶら下げる。

「ったく油断も隙もありゃしねえ。巣ー作るのは自由だが、勝手に人のものを持ってくなー!」
「ぴぃ」

 ちびはしょんぼりとうな垂れた。
 不完全ながらも『とりねこ』は人の言葉を理解している。言えばちゃんと通じるはずなのだが、時々わかっててやらかすから始末が悪い。
 と……。
 やにわにぴっと耳を起こし、しっぽを立てた。
 来たな? 思う間もなく開け放したドアから、ひょっこりとダインが顔を出す。

「とーちゃん!」
「よう、ちび。今度は何やらかした?」
「ぴぃ!」
「こまった奴!」
「ぴゃあ」

(あーあ。でれんでれんにゆるんだ顔しやがって、ぜんぜん叱ってないぞ、お前さん……)

「なーフロウ。俺が夕べ着てたシャツ知らないか?」

 まだ見つからないらしい。
 素肌の上にいきなり上着を羽織っていた。黒を基調とした実用本位の詰襟は、西道守護騎士団の制服だ。ボタンを留めていないせいもあってか、かえって『着てない』感が際立つ。

「昨日、風呂場で脱ぎ捨ててたじゃねーか」
「うん、見たけどないんだ」
「あー、ってことは……」
「ぴぃい」

 だらーんとぶら下げられたまま、ちびはちらっ、ちらっとベッドの下に視線を走らせている。自白したも同然だ。

「……ベッドの下」
「え、そんなとこに? 何で?」
「いいから。ちびに聞け」
「え?……まあ、とりあえず。」

 ダインがごそごそとベッドの下に潜り込む……ほどなくして。

「あーっ!」
「あったか」
「……うん」

 ちびはぺっと耳を伏せ、素早く梁の上に飛び上がった。半分は翼、半分は脚の力で。
 入れ替わりにのっそりとダインが出てきた。手に変わり果てたシャツをつかんで。

「あーあ……よくもまあ、しわくちゃにしやがって、こいつは!」

 前足でほっくりほっくりやらかして、ちゅっぱちゅっぱ吸ってたらしい。

「うーわー、羽根と毛が……」

 ちびは素知らぬ顔で梁の上にうずくまり、じっと金色の目で見下ろしている。
 もはや反省の色は欠片もない。

「災難だったなぁ、とーちゃん?」
「……洗ってくる。」

 ため息一つつくと、ダインはシャツを片手に下に降りて行く。フロウも一緒に階段を降り、裏庭に面したドアへと向かう青年の背中をぽんっと叩いた。

「とーちゃんの匂いがするし。洗いざらしでいい感じにくたくたになってたし。いーい巣材だと思ったんだろうよ」
「ったく。しょうがねえなあ」

 目尻こそ下がっていたが、口の端はゆるんでほんの少し上がってる。
 つまり、根本的には困ってないってことだ。

「そーだな、お前さんの猫だもんな」

フロウはにんまりと笑みを浮かべると、さりげなく毛布と靴下を押し付けた。

「洗濯行くんだろ?ついでにこれも頼む」
「おう」

 騎士さま満面の笑みを浮かべ、いそいそと井戸端に歩いてく。わさわさ揺れるぶっといしっぽが見えそうな勢いだ。

(つくづく素直なワンコだねぇ)

 かすかに空気が揺れたと思ったら、とんっと肩に柔らかな生き物が舞い降りてきた。

「ぴゃ、ぴゃ!」

 上機嫌で体をすり寄せてくる。
 既にちびの頭からは、フロウに叱られたことも。自分のやらかしたあれやこれやの記憶も、まとめてきれいさっぱり抜け落ちているらしい。
 それこそ『とり』のように。『ねこ』のように。

「んじゃ、ぼちぼち店開きと行きますか」

 居間を通り抜け、ドアを開けて店に入る。商品の棚を覆っていた布を外し、カーテンを開け、窓のよろい戸をあげる。既に日は高々と上がっていた。差しこむ陽射しの眩しさに、思わず知らず目を細める。

 その間、ちびはフロウの肩に乗ったり、足下をすり抜けたり、はたまた天井の梁に飛び上がったりとしたい放題自由自在。
 最後にドアの鍵を開け、「OPEN」の札を出して準備完了。
 カウンター奥の気に入りの椅子に陣取り、ほっと一息……つく間もなく、バターンっとドアが開いた。

「お? いらっしゃい」

 少女が入ってきた。ずかずかと大股でまっすぐに、金色の髪を逆立てて。

(……何だ?)

 天井の梁の上からちびがじっと見下ろしている。耳を伏せ、ひっそりしっぽを膨らませて。
 嵐の予感がした。
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