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とりねこの小枝

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2013年10月の日記

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ニコラの場合・後編

2013/10/28 7:31 お姫様の話いーぐる
「ってことがあって……。」
「……あ~……なるほどね」

 目に見えるようだ。無邪気なニコラの一言に引きつり、慌てて黒板をかっさらうエミルの姿が。

「それで泡食って採点して話逸らしたわけか」
「やっぱりあれ、話そらしてたんだ!」
「なはは……ま、良いじゃねぇか。初々しくて……なぁ?」

 ついつい笑ってしまう。どんだけ真面目くさった顔してたのか、あいつは。
 もはやニコラはすっかり元気を取り戻し、頬杖をついてうっとりと夢見るような眼差しを宙にさまよわせている。

「……実際はどーなのかな。入ってるのかな、入ってないのかなー」
「入ってないな、多分」
「だから、あんなに慌てたんだ」
「んでもって、近々入るな、絶対に。」
「入るの!?」

 きらっと水色の瞳に星が宿る。

「入らない理由が今のところ見当たらないなら、エミルは入ろうとするだろ、多分」

 ニコラは両手を握って胸元に当て、足をばたばたさせている。

「きゃーきゃーきゃー今度聞いてみよっと。入ったのーって!」

 これでいい。この子はしょんぼりしてるより、元気な方が似合う。

「なはは、面白い話聞いたら俺にも聞かせてくんな。」
「うん!」

 と、その時。かたん、とかすかな音がして、天井近くの猫用出入り口が開いた。
 黒と褐色まだらの生き物が、しなやかな体をくねらせて天井の梁を歩き、すたんっとカウンターに舞い降りる。

「っぴゃ」

 猫そっくりの体に鳥の翼。とりねこのお帰りだ。

「んお、おかえりちび。今日はどこほっつき歩いたんだ?」

 ちびは金色の瞳をくるくるさせて、赤い口をかぱっと開く。

「えーみーる、くっきー!」
「おや、エミルのところ行ってたのか……クッキー貰ったのか。エミル元気だったか?」
「師匠よくわかったね、今の……」
「ん~、まあ単語繋ぎあわせたらなんとなくな」

 ちびはちょこんと小首をかしげ、自分の鼻をちょいっと前足で撫でた。

「えみる、はなー、ぼとぼとー」

 途端にフロウはにんまりと顔をほころばせる。

「……へぇ~。」
「エミル、鼻水たらしてたの?」 

 ニコラの問いかけに、ちびはヒゲをつぴーんと立て、耳を伏せた。

「はーな!」

 どうやら、ちがう、と言いたいようだ。

「鼻水はぼとぼと落ちねぇだろうから、鼻血だな……薔薇風呂の妄想でもしたか?」
「………なに、それじゃ私が帰った後で鼻血?」

 ぶぶっと吹き出すとニコラは再びカウンターに突っ伏し、拳でとんとんと天板をたたく。スカートの内側では足が物すごい勢いでじたばた前後に揺れていた。
 二人の脳裏に、まざまざとその時のエミルの様子が浮かんでくる……。


 ※


 ニコラが小屋を出てから、五秒後。

「うぐっ」

 エミルは一声うめいて手で鼻を押さえ、うつむいた。指の間から、ぼとぼとと赤い血が滴り落ちる。
 鼻血であった。原因は言うまでもなくニコラの無邪気な一言。それでも後輩の前では耐え切った。
 ぜーぜーと荒い呼吸をつきながらエミルは手探りで作業台をまさぐった。どこに何があるのか、幸いにも知り尽くしている。脱脂綿をひとつまみつかみ取り、細長くねじって鼻の穴に突っ込んだ。

「はー、はー、はー」

 口で息をしながら、床にしたたった血痕をふき取る手つきも慣れたもの。
 鼻血の後始末をしながら、エミルの頭の中にはついさっきのニコラの発言が、ぐるぐると渦を巻いていた。

(シャルと一緒に薔薇のお風呂)
(シャルと一緒に。シャルと一緒に。俺のシャルと一緒にいいいいいっ!)

 妄想がわああんっと膨れ上がり、また新たな鼻血が込み上げる。
 急いで鼻を押さえ、ハンカチを水に浸して鼻の付け根に当てた。

「………いいかも知れない」
「ぴゃっ?」

 ぎっくうんっと心臓が縮み上がる。振り返ると、テーブルの上に黒と褐色まだらの猫のような生き物が乗っかっていた。きちっと前足を揃えて、翼を畳んで座っている。
 鳥のような、猫のような生き物。幻獣とりねこだ。
(ダイン先輩の使い魔がっ! 何故ここにっ!)
 見られた。聞かれたっ?
 いや、いや、落ち着けエミリオ。不思議はない。薬草調理学実習のおやつが目当てで顔を出しただけだ。第一、ダイン先輩だっていつもこいつと感覚を同調させてる訳じゃない!
 でも念のため。

「ちびさん」
「ぴゃあ」
「クッキーをあげよう」
「ぴゃあああ! くっきー!」


 ※


「多分こんな感じだろうねぇ……。」
「やーんエミルってばじゅんじょーっ!」
「多分、クッキーで口止めしたつもりなんだろうなぁ……」
「ぴゃっ、くっきー!」
「得したのちびちゃんだけだよね……」
「ま、エミルの恋路はさておき……俺たちもお茶にするかね。」
「はーい」

 とりねこはひゅうんっと長い尾を一振り。
 お湯を沸かしておやつを用意して、たのしいお茶の時間の始まりだ。
 ニコラの言葉通り、一番得をしたのはちびだった。


<薬草店「魔女の大鍋」/了>
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ニコラの場合・前編

2013/10/28 7:30 お姫様の話いーぐる
 本人は殆ど蚊帳の外なれど、シャルダンを中心としたひと通りの騒動から一週間程したある日の事……
 フロウライト・ジェムルことフロウはいつものようにカウンターに肘をつき、うつらうつらとまどろんでいた。遠くで教会の鐘が鳴る。一つ、二つ、三つ、四つ……。夢うつつの中でぼんやりと考える。
(ああ、そろそろ起きないと、あの子が来る頃合いだ……)
 正にその瞬間、扉が開き、聞き慣れたドアベルの音が響いた。
(やっぱりな)

「ししょー」
「お?」

 入って来たのは伯爵家の四の姫にしてフロウの一番弟子、ニコラ・ド・モレッティ。さらさらした金髪も、水色のリボンも、藍色の魔法訓練生の制服も、もはやすっかりおなじみだ。
 しかし今日はいつになく元気がない。いつもは勢い良く駆け込んで来るのだが、肩を落としてとぼとぼ歩いてる。

「……どうしたい」

 ニコラは力なくカウンター前のスツールによじ登り(いつもはぴょんっと飛び上がっているのに!)肩にかけた鞄を開け、中から布に包んだ平べったいものを取り出した。
 チョークのにおいですぐわかった。ノート代わりの小黒板だ。

「こんなんだった」

 羊皮紙を綴じた帳面と並べてカウンターに置いた。
 来るべき初級術師試験に備えて、フロウ自らが作った問題集だ。繰り返し使えるように回答は小黒板に書かせている。ざっと目を通したが、既に赤いチョークで採点されていた。
 しかも筆跡からして明らかにニコラ自身の自己採点ではない。
(エミルか!)
 読書用の眼鏡をかけて改めてじっくり見直す。

「ん~……あぁ、俺がひっかけで作ったとこにハマってんなぁこりゃ」
「見事にずっぷりと」

 ぺたっとニコラはカウンターに突っ伏した。

「ちゃんと問題文読んでたらお前さんなら気づけるはずだぜ? 魔法円の時も勢いで書くほうがやりやすいって言ってたが、こういう時は悪い癖だね」
「ううう。不覚にもつい、他のことに気をとられちゃったからーっ」

 がばっと顔を上げたニコラは眉間に皴を寄せ、悔しそうに歯を食いしばっていた。それでもやはり女の子だ、どこか愛嬌がある。

「他の事ねぇ……」
「うん、実は……」

 ※

 アインヘイルーダールの魔法学院の敷地には、広大な薬草園がある。そこには国内のみならず、外国や海の向うの大陸から運ばれてきた貴重な薬草が植えられて、力線の恵みを受けてすくすくと生い茂っていた。
 薬草畑の中には「作業小屋」と呼ばれる建物があった。その名の通り、収穫した薬草を加工したり、調理するための場所だ。
 便宜上、小屋と呼ばれてはいるものの、授業で使うための教室も兼ねているからそれなりに広い。

 甘いの、すーっとしたの、ツンとしたの。葉っぱに花に根っこに種に茎。陽の光と数多の草木の香りが混じり合い、溶け合う空気の中で今、二人の学生がせっせとそれぞれの作業にいそしんでいた。
 一人は藍色の魔法訓練生の制服を着た金髪の少女。
 もう一人は黒髪の青年。肩幅が広く、肌は陽に焼けて健康的な小麦色。木属性を象徴する深緑のローブの上からも、がっしりした体つきがうかがい知れる。

 少女はテーブルの上に羊皮紙を綴じた問題集を広げ、かりかりと答えを手元の小さな黒板に書き込んでいる。彼女の名はニコラ・ド・モレッティ。西道守護騎士団を束ねるド・モレッティ伯爵の四女であり、下町の薬草師フロウに師事する傍ら、学院で学んでいる。
 間近に迫りつつある初級術師の試験を前に、師匠お手製の問題集に取り組んでいる真っ最中なのだった。

 一方で青年は、作業台の上でもくもくと薬草を束ね、部屋に渡したロープにぶら下げている。畑でとれた薬草を、こうやって小屋の中で陰干しするのだ。
 がっしりした指先は器用に動き、次々と薬草を細い紐でくくって行く。
 ふと少女の声が沈黙を破った。

「えーっと、土の小精霊がアーシーズで、火がフレイミーズ、金がブラウニーズで水がアクアンズ……あと一つ、木属性は何だったっけ」
「……………………俺が答えてしまったら、勉強にならないでしょう?」

 青年は顔をあげようともせず、手も止めずにさらりと受け流した。
 ニコラは肩をすくめて、再びかりかりとチョークを走らせる。
(さすがフロウさんだな)
 木属性の精霊は、植物と同時に風をも司る。故に小精霊は風由来の名前で呼ばれているのだ。慣れないうちはよく引っかかる。ニコラの師匠はきっちりツボを抑えた問題を出したようだ。

「ねーエミル」
「はい?」

 中級術師エミリオ・グレンジャーは秘かにほくそ笑んだ。さっきは危うく条件反射で答える所だったけれど、もう、簡単には引っかからないぞ。

「レイラ姉さまに聞いたんだけど、王都の騎士は遠征から帰って来た後、薔薇の花びらを浮かべたお風呂で奥方とくつろぐんですって」
「ああ、そう言う優雅な風習もあるそうですね。旅の疲れをいやすのに」
「うん」

 またしばらく、カリカリとチョークを走らせる音が続く。どうやら純粋に気晴らしのおしゃべりだったようだ。
(やれやれ、考えすぎたかな)
 ほっと気を抜いた瞬間。かたり、とチョークを置く気配とともに、予想外の言葉が飛んできた。

「エミルはシャルと入らないの?」
「はい?」
「薔薇のお風呂!」

 完全なる不意打ち。ぶふっと思わず吹き出した。とっさに手を当て、唾液や鼻水が薬草にかかるのは防いだが。
 なおもげほごほ咳き込む青年を、四の姫は満面の笑みで見守っている。
 自分の発言に絶対の自信を持っているようだった。そうするのが当然じゃないの、と言わんばかりの表情だ。

「ど、ど、どうしてそう言う話になるんですかっ」
「えー、だって……」

 次の言葉が出るより早く、エミルはさっとニコラの手から小黒板を取り上げた。

「採点してさしあげます」
「あ」

 授業に使う備え付けの黒板から赤チョークを手に取るや、ガリガリと凄まじい勢いで採点を始める。さすが中級術師、ほとんど模範解答のページも見ずに正誤を判断している。
 疾風怒涛の勢いで採点を終えると、べしっと小黒板を勢いよく机に乗せた。わきおこる風圧で、ふわっとニコラの髪の毛が舞い上がる。

「うわー、けっこう自信があったんだけどなあ」

 真っ赤に添削された回答を見て、ニコラが肩を落として力なくうな垂れる。

「余計な事を考えるからです。もっと集中しなさい。術師にとって一番、重要なのは才能でも知識でもありません。集中力です」
「うう、精進します」
「今日はもうお帰りなさい。ご自宅かフロウさんの店でじっくり落ち着いて勉強するといい」
「はーい」

 書き込まれた答えを消さぬよう、小黒板を丁寧に布でくるんで問題集と一緒に鞄にしまう。
 丈夫な帆布製の鞄は防水と布の強化を兼ねて草木の汁で染められ、蓋(フラップ)の部分には花模様の刺繍が施されていた。
 蓋の留め金をかけ終えるとニコラは鞄を肩にかけ、ぺこっとエミルに一礼。
 エミルも静かに礼を返す。

「それじゃエミル、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
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ダインの場合・後編

2013/10/28 7:28 お姫様の話いーぐる
「よくまあそれだけの怪我で済んだねえ、丈夫な奴」
「でも机は壊れた」
「………どんだけ頑丈なんだお前」
「殴られるし蹴られるし、机の修理もさせられるしで散々だった」

 それで、こんなに今日は遅かった、と。

「なるほどね……じっとしてろよ」

 力無くうつむくわんこの頬に手を当てる。何をされるか、ちゃんと分かってるのだろう。息を吐いて力を抜き、身を委ねてきた。

『花と木の神マギアユグドよ、汝の命の力もて、彼の者の傷を塞ぎたまえ……』

 左手にはめた木の腕輪に、ぽうっと緑色の淡い光が走る。刻まれた祈念語とマギアユグドを表すシンボルに添って。
 カウンターの上ではちびが、つぴーんとしっぽを立てて翼を広げ、同じ呪文を復唱する。

『かのもののきずをふさぎたまえ………ぴゃあ!』

 頬に当てられた手に穏やかな熱が篭り、じんわりと広がる。皮膚から肉、骨へと。傷ついた体の奥深くにまで染み通る。

「あ……」

 塗り込まれた香草のエッセンスを媒介に、治癒の魔法が傷を癒す。くっきり浮いていた痣が消え、腫れと痛みが火に放り込んだロウソクみたいに消えて行く。

「ほい、いっちょあがり」
「ありがとう」

 フロウはくしゃっと褐色の髪をかき上げ、仕上げにぺちっと額を軽く叩いて手を離した。

「そう言う事は、さ。まず、シャルに確認しろよ」
「したさ。でもあいつ、真っ赤になってもじもじして……あれ以上追求しちゃいけないって思ったんだ」
「恋人どころかもう夫婦なんだからしかたねぇんじゃね?」
「あ……あー……」

 ぱくぱくと口を開け閉めして、目を真ん丸にしている。ようやく自分の勘違いに気付いたようだ。

「じゃあシャルダンの言ってたのは……エミリオの事かーっっ!」

 それ以外に誰が居ると。

「あぁ、ダインは知らないのか、ユグドヴィーネの贈り物」
「シャルダンとエミリオの守り神のことか?」
「そ、俺の信仰神マギアユグドの娘にあたる神だが……その聖地に住む子供には、ユグドヴィーネの贈り物って風習がある」
「シャルダンから聞いたことがある。楡の木を授かって、それで弓を作ったって」
「そう、それだ。まあ贈り物はさまざまなんだが……たまに『二人で一つ』の贈り物って時もあるらしくてな。その場合、二人は形こそさまざまだが、永遠に絆で結ばれるそうだ」
「……永遠に……か……あ」

 ダインは今度は自分の手でぺちっと額を叩いた。
 痛みは完全に引いているようだ。

「俺は阿呆か。エミリオの杖も楡じゃないか!」
「多分同じ木片でも贈り物にされたんじゃねぇか? あの夫婦っぷりだと」
「そーか……そうだったのか…………」
「そうそう。シャルとエミルの間には誰も、何も割り込めないってこった。噂に惑わされるなよ、ダイン先輩?」

 ダインはがくっと肩を落とし、深く深ぁくため息をついた。

「俺、力いっぱい蹴られ損だった」
「気にすんな。いつものこったろ、隊長に怒られるのなんざ、さ?」
「そりゃあ、そうだけど……」

 おやおや、ふくれっつらしてそっぽ向きやがったよ。いっちょまえに拗ねやがったよ、このわんこ。
 それはまあ、それとして……

『恋人ができたと言うのは、本当ですか?』
 
 その一言で、何だってロブ隊長がそこまで動揺したかは……ま、言う必要もないだろう。
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ダインの場合・前編

2013/10/28 7:25 お姫様の話いーぐる
 エミリオの来店からさらに三日後、午後も遅く、太陽が西に傾いた頃。
 がつん、ごつん、と地面を震わせ、蹄の音が聞こえた。
 心地よい午睡のまどろみの中、ぼんやりとフロウは思った。ああ、馬車が通るのか……と。しかし重厚な轟きの後に続くべき車輪の軋みは聞こえない。

(おや?)

 ちびが膝を蹴り、ぴょんっとカウンターに飛び上がる。その振動ではっきりと眠りから覚めた。
 目を開けると、黒と褐色の入り交じる斑の尻尾がぴーんと垂直に立ち、細かく震えていた。

「とーちゃん! とーちゃん!」

 ほどなく、のっしのっしと大股に重たい足音が近づき、裏口に通じる扉がきぃ……っと開いた。
 ぬうっと背の高い男が入ってくる。ほんの少し背中を屈めて。

「とーちゃん! とーちゃんおかえり!」

 ちびの目は真ん丸に見開かれ、ヒゲを震わせて大喜び。鷲に似た翼を打ち振るや、ひとっ飛びに男の肩へと飛び移り、するりするりと体をすり寄せる。

「よう、ちび」
「んぴゃあぐるる、ぴゃあるるるぉう!」

 襟巻きのように巻き付く猫を撫でつつ、男は緑色の瞳をカウンターに座る中年男に向けた。

「よう、フロウ」
「よう、ダイン」


(珍しいこともあるもんだ)

 いつもと変わらぬ、とろんとした眠たげな眼差しで答えつつも、フロウは内心思っていた。
 今日は夜勤明けのはずだ。いつもなら、それこそ朝飯も終わらぬうちに押しかけてくるってぇのに。
 今日に限っていったい、何をのんびりとしていたのやら?
 一眠りしてから来たのかとも思ったが、その割にはげっそりしていて毛づやもよくない。目の下にクマが浮き……

 ぴくっと眉が跳ねる。

 いや、これは、痣だ! 赤い痣がくっきりと、右目の周りに輪を描いている。
 端の方から徐々に紫色に変化していた。ってことはしばらく前にできた傷だってことだ。

「どうした、その顔」
「話せば長い事ながら」
「ったく、のん気に前置きしてる場合か!」

 ぴょんっとちびがカウンターに飛び降り、心配そうに鼻を寄せる。

「ぴぃ」
「ん、ん、心配ない、大丈夫だからな」
「大丈夫な訳ねぇだろ。ほら、これで冷やせ」

 手ぬぐいを水に浸し、きゅっと絞って渡す。ダインはカウンター前のスツールにどかっと腰を降ろし、濡れた手ぬぐいを目に当てた。

「っつぁああ、気持ちいい……」
「夕べは夜勤だったんだろ? 何ぞ捕物でもやらかしたか?
「いや、違う」

 半ば予想はしていた。昨夜ちびが騒いだ覚えはない。つまり、命の危険は無かったって事だ。
 他に深刻な怪我をしている様子もないし、見た所、打ち身だけのようだ。カウンターの下からオトギリソウとアルニカの軟膏を取り出した。

「そら、見せてみろ」
「うん……」

 そろりとダインが手を降ろす。がっしりした顎を片手で支え、ぺとりと軟膏を塗り付けた。

「う」
「染みるか」
「ちょっと」
「我慢しろ。あーこりゃ半日はほったらかしにしてたな? しばらく残るぞ」

 目に入らぬように気をつけながら、軟膏を指先の熱で溶かしつつ、丁寧に擦り込む。菊科独特の苦味のあるつーんとした香りが広がり、ダインがわずかに眉を寄せる。だが感心なことに逃げもせず、文句も言わない。

「仕方ないんだ。俺がヘマやったから……」
「ヘマ?」
「うん」

 恥ずかしそうに目を伏せて、ぽつり、ぽつりとダインは話し始める。

「昨日は俺、『夜の二の番』だったんだ。門番じゃなくて、砦のな」
 
     ※
 
 西道守護騎士団の砦の扉は、夜も閉ざされる事はない。さすがに大半の騎士は眠りに着くが、一部は交代で寝ずの番に当たる。
 砦を警護するためであると同時に、夜間の呼び出しに備える為だ。町の治安を預かる騎士団が、『今は夜だから寝ています』では済まないのである。

 シフトは門番と同じく夜の一の番と、二の番の交代制。夜中から夜明けにかけてを受け持つ『二の番』に当たった団員は、兵舎ではなく詰め所脇の仮眠所で眠る。
 その日の二の番は、ダインともう一人、ロベルトだった。『兎のロベルト』は万事公平な男だった。隊長だろうが副長だろうが新米だろうが等しく夜勤を割り振り、自らも務めを果たす。
 
 この日も夕食後に仮眠所のベッドに入り、教会の夜半の鐘が鳴るより早く目を覚ました。むくっと起き上がると上着を羽織り、相方を起こしにかかる。
 でっかい体をくるっと丸めて、枕にすがりつくようにして顔を埋めていた。

(相変わらず犬みたいな寝相しやがって)

 苦笑しつつ声をかける。

「ディーンドルフ。起きろ」
「ん……んん、隊長……?」
「交代の時間だ、行くぞ」
「はい……。」

 ごそごそと上着を羽織るダインを従え、詰め所に向かった。

 しかし……夜勤の一の番と交代し、詰め所で二人っきりになった所でわんこ騎士はやらかしたのだ。
 自分としては、丁度いい機会だと思ったのだ。
 他に誰もいないし、いつも一緒のシャルダンも今は兵舎で眠っている。だから思い切って聞いてみたのである。

「隊長」
「何だ」
「恋人ができたと言うのは、本当ですか?」
「貴様………」

 その瞬間、ロベルトは固まった。
 固まったまま、ほんのりと頬骨の周りに赤みが差す。些細な変化ではあったが、長年ロベルトと共に過ごしたダインには分かった。

(隊長が、恥じらってる! やっぱりあの噂は本当だったのか?)
 
 彼はまちがっていた。
 この時、ロベルトの頭には銀髪のシャルダンの事はかけらもなく。ただ、ただ、働き者で気立ての良い、仕立屋の縫い子さんの事でいっぱいだったのだ。

「誰から何を聞いたか知らんが……出来た所でいちいち報告せん!」
「それでは隊長。隊長とシャルダンがデキていると言うのは」

 事実無根なのですね?
 問いかけの後半を言うより早く、長靴が飛んできた。当然、中味つきで。

「あんな胸も尻も限りなく足りなくかつ股間に余計なモノぶら下げた脳天お花畑男、誰が貰うかぁああああっっ!!!」

 どっかあっと蹴り飛ばされ、吹っ飛んだ先に運悪く机があった。
 動揺のあまりロベルトは力加減ができず、全力で蹴っていた。ダインもまさか、このタイミングで蹴られるとは予測だにせず。

「おわあっ」

 頭から突っ込んでしまったのだった。
 
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エミルの場合・後編

2013/10/28 7:23 お姫様の話いーぐる
「……それで?」
「……もう一杯ください」

 四杯目を求めて延びる手をぺちりと叩き、ポットを奥へと下げる。

「ああっ、何するんですかっ」
「……馬鹿だろお前さん」
「え、馬鹿、俺が?」
「余裕なさすぎだろ。ユグドの信者なら、パートナーがモテてることくらい自慢したらどうだ?」
「はっ」

 この瞬間、エミリオの目から鱗が落ちた。どさりと百枚ほど。

 フロウは樹木の魔神マギアユグドの祭司(ウィッチ)だ。そしてこの神は、エミリオとシャルダンの信奉する果樹の守護神ユグドヴィーネの母神にあたる。
 どちらも恋多き女神であり、花のように多くの人に愛でられることを良しとする。

「目の前が急に開けた気分です、ありがとうございますっ」

 背筋をしゃんっと伸ばすエミリオを見て、フロウは満足げにうなずいた。

「そりゃ良かった……良かったついでに良い事教えてやろうか?」
「はい、何でしょう!」

 おーおー、晴れやかな顔しちゃってまあ、素直だねぃ。
 内心ほくそえみつつ、あえて情報を小出しにして行く。

「あの軟膏、作ったの俺なんだけどな」
「え、あ、そうだったんですか」
「シャルダンが貰った軟膏は、余りもの詰めた奴だぞ」
「…………え」

 ぱち、ぱちとまばたき。今度はエミリオがきょとんと首をかしげる番だった。

「本命のプレゼント用には別の容器買っていったし」

 くつくつと咽を鳴らして笑う。呆気にとられたエミリオの顔が、可愛いやらおかしいやら、見ているだけでも楽しくて仕方がない。

「そっ………そうだったんですかっ」

 よほど嬉しかったのだろう。カウンター越しに身を乗り出して、ぎゅーっと手まで握って来た。

「ははっ、はははっ、そうだったのかーっ!」

 眉間に刻まれた皴は薄れ、しかめていた眉からも、ヘの字に歪んでいた口からも見事に力が抜けている。
 ゆるみ切った笑顔とは正にこの事だ。

「指先の手入れ用の軟膏だったから、射手のシャルダンにやったんだろうな、多分」
「あ……」
「それにお前……『男に渡すつもり』なら、ニコラに『女性受けする可愛い品』を聞くのはおかしいだろうが」
「はうっ」

 ククっとまた咽の奥から笑い声が零れる。みるみるエミリオの顔に血が上り、耳まで赤くなった。

「俺、馬鹿だなあ。どうして気付かなかったんだろうっ」

 とうとう、がばあっと両手で顔を覆ってしまった。

「元からシャルダンに渡すつもりなら実用性一辺倒の品だろうな。いやぁ、可愛い可愛い……面白いもん見たさね」
「うー、うー、うー……」

 ケッケッケ、と意地の悪い笑みを浮かべるフロウに、エミリオはずいっとカップを差し出した。

「お茶もう一杯ください………」
「飲みすぎだから駄ぁ目」
「はうううう」

 がくり、とうつむくエミリオの肩に、ぴょいとちびが飛び乗る。長いしっぽをひゅっとふり、綿菓子のように滑らかな毛皮で顔を撫でた。

「えーみーる」
「……ありがとう、ちびさん」

     ※

『ロブ隊長が、シャルダンに告ったらしい。しかもシャルダンはOKしたらしい』

 騎士団内部とその周辺でまことしやかに囁かれる噂は、当然、ダインの耳にも入っていた。

(ロブ隊長が? シャルダンと?)

 即断即決、一途で真っ直ぐな彼は、臆することなく、まず後輩であるシャルに尋ねてみた。

「シャルダン」
「はい、何でしょう」
「お前、恋人できたって本当か?」

 信頼する先輩の言葉を聞くなり、シャルダンの白磁のごとき肌はほんのりと薄紅に染まり、うつむいてしまった。さながら谷間に花開く一輪の白百合のように、たおやかに。

「そんな……恋人だなんてっ」

 もじもじと自らの銀髪に指を巻き付け、ひっぱっている。あまりにいじらしい仕草にそれ以上追求できず、ダインは口をつぐんだ。
 しかしながら当のシャルの頭には……

(やっぱり、エミルと一緒にいるとそんな風に見えるのかな)

 約一名のことしかなかったりするのだが。

(やっぱり直接、ロブ先輩に確かめよう! 今夜は一緒に夜勤だからその時にでも……)

 今、わんこ騎士は自らの手で盛大に墓穴を掘ろうとしていた。
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