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とりねこの小枝

5.自分、中級ですから。

2012/01/20 18:21 騎士と魔法使いの話十海
 
 ニレの木より削りだしたる強弓に、白銀の騎士は矢をつがえてきりりきりりと引き絞る。
 一方でダインは膝を曲げ、上体を前に傾け身構える。
 色合いの異なる緑の瞳が、束の間互いに見交わした。
 走り出そうとダインが足に力を込めた、その時だ。

「お待たせ」

 ぬっと鍋が突き出される。
 ぴっちり蓋を閉めた鉄鍋は、ほのかに美味そうなにおいを漂わせていた。よほど熱いのだろう。表面に吹きつける雪が溶け、じゅわじゅわっと水蒸気が立ち上っている。

 ダインは呆気にとられて、ぽかんっと口を開けた。だがシャルダンは目を輝かせて歓声を上げ、鍋の主を迎え入れた。

「エミル!」
「火、持ってきたぞ、シャル」

 言うやいなや、エミリオは鉄鍋の蓋をとり、中身をぶちまけた。
 ばらばらっと赤く熱せられた木切れのようなものが散らばり、エミルを中心に雪の上に半円を描く。

 じゅわ、じゅわ、じゅわあー……

 大量の雪が溶け、もわもわと白い湯気が上がる。近づいていた雪の魔物が顔を背け、胸元の犬が不満げに唸った。

「あ、それ」
「薪か! 暖炉の」
「はい。いい感じに炭化してたのを持ってきました」

 しかし、所詮は鍋一杯分。見る間に水がしみ込み、赤い部分が少なくなって行く。
 にたり、と魔物が笑う。牡羊と人の顔の、唇の端を釣り上げて。

 だがエミリオは動じない。懐から長さ40センチほどの短い杖を取り出し、身構えた。
 それは『最初にして最後の杖』。魔法学院で学ぶ訓練生が、最初の年に自らの手で作り、技量の成長とともにこつこつと改良して行く術具。
 己の分身とも呼ぶべき杖だった。

 ゆるい螺旋を描いた木の杖は、元を正せばシャルダンの弓と同じニレの古木から削り出したものだった。
 つややかに磨き上げられ、持ち手には蔦の葉を模した緑の石が埋め込まれている。
 
『我は木。大地に根差し水を吸い、火をはぐくむ木なり』

 ぽうっと緑の石が光を発する。
 詠唱とともに、消えかけた炭火がかっと赤く光る。のみならず、ちろりと炎をあげ……瞬く間にごうごうと燃え上がった。炭の欠片の一つ一つから、あたかも特大のたき火のような炎が上がる。

 雪の魔物が悲鳴を挙げて後ずさった。
 どこか焼かれたらしい。湯気の中に一筋、よどんだ汚水にも似た悪臭が混じった。

「そっか、あれ、術の触媒か!」
「はい。さすがに何もないとこから火、起こすのはしんどいんで。自分、中級ですから!」

 エミリオは杖で近くの炎を指し示し、次いでシャルダンの弓に触れる。

『炎よ宿れ弓に矢に』

 燃え上がる炎が杖に導かれるまま一筋伸び上がり、弓に巻き付いた。

「熱くないのか?」
「はい、あったかいです」

 ダインは瞼を閉じ、また開いた。同時に左目の奥のもう一つの見えない瞼を押し上げる。
 弓に宿った炎は優しくシャルダンに寄り添い、彼を包んでいた。守っていた。

「あ。ダイン先輩、その目」
「うん。月虹の瞳って言うらしいな」
「授業で習いましたよそれ! 見るのは初めてだけど」
「きれいだな……」

 そう言えばこいつらに見せるのは初めてだった。
 だが、何となく感じていた。この二人なら受け入れてくれる。そしてさっきの息の合った連携を見て確信したのだった。
 予想は正しかった。そして言葉に出すよりも早く、伝わっていた。
 自分は魔術を厭わない。恐れず、ためらわず、共に在ると。

「エミリオ、こっちにも、頼む」
「了解!」

 螺旋の杖がシャルダンの弓に触れ、まとう炎を導いた。

『炎よ宿れ、剣に鎧に』

 オレンジ色の輝きが、幅広の剣の刃に添って燃え上がる。と同時に、体が包まれるのを感じた。薄い膜のように広がった優しい炎の温もりに。

「っしゃあ!」

 雄叫びを挙げ、ダインが走り出す。その後ろから矢が二筋走った。
 一方はシャルダンの弓から放たれる火矢。
 今一つは、エミリオの放つ実体の無い純粋な炎の矢。

 二人の声が一つに溶け合い、同じ言葉を練り上げる。

『炎よ走れ!』

 同時に二本の矢もまた一つに溶け合い結び合い、目もくらむほどの輝きを放つ。
 まばゆく燃える炎の槍が、まっしぐらに魔物の胸を貫いた。

 ぎゃおんっ!

 悲鳴を挙げて、胸元の犬の首が溶け失せる。
 胴体に風穴が開き、揺らいだ所に間髪入れず。炎の壁を突き抜けて、ダインが猛然と躍りかかる。

「おぉりゃあああああ!」

 剣のみならず、髪、顔、腕、足。全身くまなく炎をまとい、気合い一閃。
 大上段に振り上げて、頭のてっぺんから足下まで、ずんばらりんと一気に斬り伏せた。
 赤々と燃える炎の刃が、魔物を縦に一刀両断。
 凍てつく巨体が半ば溶けながら、ばかっと二つに割れて左右に倒れる。
 傷口からぼとぼとと、溶けた汚水を滴らせて。
 右と左、物の見事に真っ二つ。雪の上に落ちる前にぼろぼろと溶け崩れ、びしゃあっとどす黒い染みをぶちまけた。

「…………………やったか?」
「やったよ!」

 シャルダンは飛び上がってエミリオに抱きついた。

「すごいよ、エミリオ! 私たち、魔物を倒しちゃったよ!」
「うん……ちょっと、自分でもびっくりした」
「すごい、すごい、エミリオすごい! エミリオ、強い!」

 エミリオはしがみつく幼なじみの背に腕を回し、しっかりとその体を支えた。
 すごい、すごいと繰り返しながら、子供みたいにはしゃいでるけど。

「お前の弓の腕も、大概にすごいよ」
「そうかな」
「おう、ガキの頃から一緒の俺が言うんだからまちがいない。って言うか、あの技、お前がいなきゃ、無理」

 シャルダンは恥ずかしそうに目元を染めて、手をのばし………
 エミルの頭を撫でた。

 二つの炎の矢を融合させるべく二人が唱えたのは、魔術師の使う『魔導語』ではなく。
 神に祈りを捧げる神職者、あるいは異界の存在と心を通わせる巫術師の使う『祈念語』と呼ばれる言葉だった。
 銀髪のシャルダンと黒髪のエミリオ。二人の少年は、故郷の村では幼い頃より神事を司る役目を担っていた。
 ほとんど言葉を交わすことなく、互いの意志を察し、ごく自然に唱えていたのだ。
 あの場で、もっとも相応しい言葉を。
 それは、二人が共に歩んできた時間の中から導き出された言霊の魔法。他の誰でもない、唯一の相手なればこそ。

 ダインは大きく息を吐き、燃える剣を雪原に突き立てた。

 やはり団長の判断は正しかった。この二人の存在をきっかけに、少しずつ若い騎士たちの意識も変わって行くだろう。騎士と魔術師はいがみ合うものではない。互いに互いを補い、助け合える存在なのだと。
 そう、願いたい。

 ざし、ざしと雪を踏んで、旅人夫婦に歩み寄る。

「お怪我はありませんか?」
「ええ」
「良かった。すぐに町までお連れします。娘さんと息子さんが、待ってますよ」

 夫と妻は顔を見合わせ、手をとりあい、深々と頭を下げた。

「ありがとうございました」
「これで、やっと自由になれます……」
「え?」

 ちょっと待て。
 今、この人たち、何て言った?
 
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