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とりねこの小枝

6.炉端より

2012/01/20 18:24 騎士と魔法使いの話十海
 これで、自由になれます。
 確かにそう言った。でも何から?

「えーっと……」

 夫妻の言葉の意味する所を掴みかね、首を捻っていると。

「ありがとう、騎士さま」
「今度は、ちゃんと聞いてくれたんだね」
「え? 君ら、いったいいつの間に!」

 町に居るはずの姉と弟が、すぐそこに立っていた。こんなに近くにいるのに、足音が全く聞こえなかった。いや、背後の雪原には、足跡すらも無い。
 その時、初めて気付いたのだ。解放された左の瞳に写る姉と弟は、この世の存在ではなかった。彼らの両親も、また……。

「ありがとう」
「もう、寒くない」
「やっと………これで……」

 四人は抱き合い、消えて行く。赤々と燃える炎よりもなお暖かな光に包まれて。
 それは、肉眼では決して見えない光。この世と、別の世界を繋ぐ道が現われた印だった。その時それぞれに色も、帯びる性質も違っている。
 今、目の前で四人を包む光はタンポポの花びらにも似た黄色で。春先の日だまりのように穏やかな温かさを放っていた。
 不意に光が強くまたたき、消える。
 何もかも夢だったように、あっけなく。

 道が、閉じたのだ。

「あの子ら、生きた人間じゃなかったんだ」
「そうですよ?」

 さく、さくと雪を踏んでシャルダンが歩み寄る。

「先輩も、てっきりわかってて飛び出したものと思ってました。あえて魔物を倒すために!」
「いや……ぜんっぜん気付いてなかった」
「えー」
「ってかお前はどうなんだよ。わかってたのか?」
「はい」

 シャルダンは胸を張って答えた。よどみのない声で、朗々と。

「打ち鳴らされし時は、一命に換えても開けるべし。何人たりとも拒むなかれ」

 それは、門を守る騎士が、勤務に入る前に必ず唱える誓いの言葉。

「相手が生きてるか、死んでいるかは、この際些細な違いですよね。助けを求めてるのは、変わらないんですから」
「ああ。その通りだ」

 異界の存在に出会うと、ほぼ無意識のうちに左目が反応する。あの時も、死せる姉弟の正体を看破するほどではなかったにせよ、彼らが『見える』だけの力は出ていたと言うことか。
 では、エミリオは?

「えーっと、ひょっとして君も見える人、なのか?」
「いいえ」
「じゃあ、術で?」
「いいえ。自分、中級ですから!」

 きっぱりと答えた。

「はっきり言って、全然見えません。声も聞こえません」
「そうなのか」
「あ、さっきはちらっと何か光ったなーってのはわかりました」
「でも、でもあの時、後を任せたってシャルダンに言われて、わかったって答えてたじゃないか!」
「あれは、てっきり門番のことかと」
「え、そうだったの?」

 何とも呆れたことに、当のシャルダンが目をぱちくりさせて、首を傾げている!

「おう。あの後すぐに交代の人たちが来たから、お前を追いかけて来たんだ」
「そーだったんだー」

 通じ合ってるかと思えば微妙にずれてるエミリオとシャルダン。
 そして、後先考えずに突っ走ってたダイン。
 結果、大雪の夜にまんまと魔物の待ち受ける荒野に飛び出した。

「もしかして……すっごいピンチだったのかな、私たち」
「そうかも?」
「あの再生能力は厄介だったしな。エミリオが来てくれて、本当に助かったよ」
「ですよね!」

 何故かシャルダン、我がことのように満面の笑みでうなずいている。ずいっと胸を張って、ものすごく得意げだ。

(なんか、ネズミとっつかまえた時のちびに似てるなあ……)

「あ。あ。あーっ!」

 いきなり至近距離にシャルダンが顔を寄せてきた。近いも近い、もう少しで額と額が触れそうなくらいに。青みを帯びた緑の瞳が、じっとこっちを見つめている。
 今、この瞬間、自分と代わりたいと願う女性が何人いることだろう。

「な、なんだ。どうした?」
「ダイン先輩も再生してる!」
「は?」

 試しに頬をなで回す。さっきまで皮膚を苛んでいた疼きが、消えている。
 魔物の凍てつく吐息を浴びて、凍傷に冒された顔が、首筋が、そして腕も……きれいに治っていた。

「すごい体力ですね! さすが鍛えてる人は違うなあ」
「んな訳ゃねーだろ!」

 冗談でも皮肉でもなしに、本気で言ってるから困る。

「フロウだよ」
「ああ」

 ぽん、とシャルダンは手を叩いてうなずいた。

「彼氏さんの仕業かぁ」

(仕業って、お前ねぇ……)

「あっちには、ちびが一緒にいるからな」
「え? 先輩の猫?」
「なるほど」

 きょとんとするシャルダンの横で、エミリオがうなずいた。

「使い魔を中継して治癒魔法を送ったんですね。流石、本職魔術師!」
「そう言うことだ」

 ……多分。
 エミリオの説明を聞くや否や、むうっとシャルダンが頬をふくらませた。

「いいなーいいなー、ダイン先輩の猫いいなー」
「あのなぁ」

 果たしてどこを指しての『いいなー』なのか。こいつの場合、呪文の中継云々より、単純にふわもこを羨ましがってる節がある。

「ふわもこいいなー」

 やっぱり。

「お前には俺がいるだろ?」

 むくれる騎士の銀髪を、わしっと陽に焼けた手がつかむ。そのままくしゃくしゃなで回しはじめた。

「中継なんかするまでもない。直にすっ飛んで来るよ」
「今みたいに?」

 ちろっとシャルダンは上目遣いにエミリオを見つめた。こっくりとエミリオが頷く。

「ああ。今みたいに。俺と猫、どっちがいい?」
「エミル!」
「よし」

 そんな二人を見ながら、ダインはそこはかとなく、腹の内側からじわじわむず痒さが広がるのを感じていた。かろうじて腕をかきむしるのはこらえたが。つい、口元がひくひくとひきつってしまう。

(痒いってぇか、くすぐったいってぇか……ああもお!)

 相棒って言うよりやっぱり夫婦だよ、こいつら。しかも、新婚さんと熟年夫婦のいいとこ取りのブレンドだ。
 これは、団長も予測してなかったろう。
 だけどこれはこれで、やっぱり若手騎士の魔術師嫌いを緩和してくれるにはちがいない。

(こんなの見せつけられたんじゃあ、毒気抜かれちまうわな)

     ※

 フロウはふーっと息を吐いて、肩の力を抜いた。左腕の木の腕輪から、すうっと光が消える。陽に透ける若葉にも似た緑色の光だった。

「ったく世話焼かせやがって、あの馬鹿犬が」

 腕の中でもぞもぞと、黒と褐色の斑の猫が身じろぎする。

「ぴゃあ」

 暖炉の前でゆっくりくつろいでいたら、いきなりちびが悲鳴を挙げて飛び上がった。床の上でぐるぐる走り回り、もわもわにしっぽを膨らませ、叫び始めた。

『ふーろう、ふーろう! とーちゃん寒い! とーちゃん、痛い!』

 ダインの身に危険が迫っている。直感で悟り、ちびを抱えた。
 途端に、感じた。冷たさ故に肌を焼き、生きるのに必要な熱と活力を根こそぎ奪う、死の吐息を。

『やばい』

 すかさず治癒呪文を唱え、腕の中のちびを通して送り届けたのだった。
 その甲斐あって、無事、危機を脱したのだろう。
 ようやくちびが落ち着き、のどをごろごろ鳴らし始めたのがつい先ほどのこと。

「ご苦労さん。今、ミルクあっためてやるからな」
「ぴぃ!」

 しゅるりしゅるりと肩にまとわりつく猫を伴い、台所に向かう。
 遠くからかすかに、真夜中を告げる教会の鐘が聞こえてきた。

「やれやれ。結局、あいつの夜勤に付き合っちまったな」
 
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