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2008年9月の日記

【4-4-4】青い時計を探して

2008/09/23 22:37 四話十海
 
「じゃあ明日、大学が終わったら迎えにきますね」

 カラン、コロンと優しく響くベルに送られてサリーはエドワーズ古書店を出た。
 
(よかった……)

 カララン、コロン……とまたベルが鳴る。雑誌の入った紙袋を抱えてヒウェルが出てきた

「プレゼント、買ってたのか」
「ええ。本がいいかなと思って」

 サリーは腕に抱えた袋の口を開けて、中の本二冊を見せた。どちらもかなりしっかりした装丁の本だったので、まるで箱をラッピングしたような厚みと大きさがある。

「おー、きれいだな……うん、あいつら本好きだし……喜ぶよ。あ、そうだ」

 ヒウェルはごそっとポケットから折り畳んだ紙を引っぱり出した。

「俺もプレゼント調達中なんだけどさ。こーゆー時計売ってるの見たことないかな」

 広げて、ペン書きのスケッチを見せる。

「色は青いんだ」
「うーん……時計、ですか……ちょっと感じが違うけどこういうのなら見たことありますよ」
「ほんとか? どこで?」
「日本で」
「さすがに日本まで買いに行く訳にもいかないなあ」

 がっくりと肩を落すヒウェルを見て、サリーは携帯を取り出した。

「ちょっと待ってくださいね、大学の同じゼミの子がそういうの詳しいと思うから」
「いるんだ……1コインショップマニア」

 助けてもらっておいて我ながら失礼な言い草だが、やはり学生たるものつつましい生活の中で1コインショップの世話になる率が高いのだろう。
 サリーは電話をしながら手帳を取りだし、さらさらとペンを走らせている。やがて通話を終えるとぺりっとはぎ取って渡してくれた。
 メモにはきちんとした筆跡で市内の1コインショップの名前と住所が記されている。

「今あるかどうかわからないけどって、教えてくれましたよ」
「よし、片っ端から回るか!」
「はい!」

 何故そうなったのかはわからないが、気がつくと店目指して走るヒウェルの車の助手席にはサリーが乗っていた。
 手伝いますよ、と言われたような。
 その本、重そうだな。よかったら送ってくよ、と言ったような記憶がそこはかとなくないでもない。

 とにかく二人は連れ立って教えられた店を周って行った。時計コーナーをざっとチェックしてから店員に話しを聞いて、また次の店に回る。
 その間にも、サリーの携帯にはどんどん、新たな時計の目撃情報が入って来た。時にはメールで、時には電話で。

「……けっこう顔広いんだな」
「いや全然知らない人からかかってきてるんですけど……なんで?」
「友だちの友だちは皆友だちだって言うからな」

 情報を頼りにぐるぐる回る。西かと思えばまた東。時計を探して行きつ戻りつ、また進む。
 こんな調子でユニオン・スクエアを出発し、市内をほぼ半周したあたりでさすがに電池が切れてきた。

「一旦休憩しようか……」
「そうですね」

 さっきから脳細胞がひっきりなしにカフェインの刺激を求めていた。くたびれた頭と心にガツンと一喝入れてくれる、とびっきり強烈なやつを。
 車を止めて近くのスターバックスに入った。

「サリー、何飲む? ここは俺にご馳走させてくれ。つきあってもらっちゃってるからな」
「ありがとうございます、それじゃ、カプチーノをホットで」
「何かオプション追加するか?」
「じゃあ、ショットの追加を……2杯で」
「OK」

 すたすたとレジに近づくとヒウェルは慣れた口調でよどみなく告げた。

「トリプルトールカプチーノ一つと7ショットベンティアーモンドチップラテ一つ」
「わあ、呪文みたいだ。慣れてるんですね、メイリールさん」
「慣れてるっつーか……法則性覚えちまえばあとは楽だよ。自分の分はバカの一つ覚えだしな。昼飯も兼ねてるし」
「不健康ですよ、それ」
「夜はちゃんと食うよ、夜は……」

 できあがったカプチーノとラテを受け取り、テラス席に腰かけた。

「なあ、サリー」
「何でしょう、メイリールさん」
「そろそろ、そのメイリールさんっての、よさない?」
「え、気になりますか?」
「うん。ヒウェルで十分だ」
「わかりました」

 うなずきあうと二人はしばらくはお互いにカップの中味に集中した。サイズは違うはずなのにほぼ同じタイミングで飲み終わり、口に着いたミルクの泡を軽くぬぐったその時だ。

「あ」

 サリーの携帯が短く鳴った。

「どうした?」
「あるかどうかはわからないけど、マリーナ近くの公園でフリーマーケットが開かれてるそうです」
「フリマかあ! そこまで頭が回らなかったぜ」

 くしゃっとカップを握りつぶしながらヒウェルは立ち上がった。

「ちょいと前の商品でも、出てるかもしれないしな。行こう」

 
 ※ ※ ※ ※

 
 教えられた公園に行くと……フリーマーケットのスペースは予想以上に広大だった。
 体育館1つ分はありそうな出店の群れを見ながらヒウェルは引きつり笑顔で呆然とつぶやいた。

「は、ははは……どうしよっかな、これは」
「手分けして探しましょう。見つけたら電話します」
「そうだな。釣り場が広けりゃ、それだけ魚も多いしな」

 空元気を振り絞っていざ、歩き出したのはいいものの……。
 冷房の効いた屋内と違って、屋外の探索は予想以上に過酷だった。こうなってくると日頃の運動不足がじわじわとたたってくる。
 いい加減、ぐしょ濡れになって用を足さなくなったハンカチに見切りをつけて、フェイスタオルの一本でも買おうかとふらふらと手近の店に歩み寄る。

「いらっしゃーい」

 真っ赤なバンダナを巻いた快活そうな青年がにこにこしながら迎えてくれた。左手に結婚指輪、広げたピクニック用のシートの上には女性が使いそうな品物や子どもの服、玩具が並んでる。
 おそらく所帯持ち、子どもが1人ってとこか……いやいやいや、今は出品者の家族構成なんか推理してる場合じゃない。

「えーっと、そこのタオル1本もらえますか、オレンジの」
「はい、これですね」

 青年はひょいっとイルカの模様の入ったタオルをとりあげた。その時だ。
 積み上げたタオルが崩れて、背後に置かれていたものが目に入る。

 青い、つやつやした光を見た瞬間、どっくん、と心臓が躍り上がった。

(もしかして……ああ、そうであってくれ、頼む、神様、聖ウィニフレッド様!)

 こう言う時だけアテにする、ウェールズ生まれの守護聖女はあくまで慈悲深く、この迷える羊に寛容だった。
 丸形の目覚まし時計、文字盤の数字はローマ数字じゃなくて普通に1、2、3……金属のベルが上部に二つ。スケッチを引っぱり出して確かめる。

 まちがいない。
 見つけた!

「はい、どうぞ、タオル。そろそろ閉店だから50セントでいいや」
「あ、あ、あ、あ、あの、そのっ」
「どうかしました?」
「それっ、その時計っ」
「ああ、これね。下の子が床に落としちゃって、ちょこっとベルが歪んでるんだけど」
「かまいませんっ、それ……………」

 ごくっと喉を鳴らし、ひきつった声をどうにか聞き苦しくないレベルに整える。

「その時計、ください」

 時計とタオル、合わせて1ドルでお買い上げ。「サービスです」と手作りのクッキーまでもらった。
 電話でサリーを呼び出し、公園の出口で待ち合わせる。サリーが来るまでの間、今更ながら時計の動作を確認していなかったことに気づいた。
 電池はまだ残っているらしく、カチコチと動いている。よし、合格だ。
 だがちょっと待て、目覚ましとしての機能はどうだ?

 目覚まし設定用の短針を現在の時刻に合わせてみた。

 ……………………………鳴らない。
 本来は震動するべきハンマーが、ベルの歪みに引っかかってて動かなくなっているようだ。
 一応、鳴らそうと努力はしているらしいのだが、ブブブブ、ガタガタガタと震えるだけ。何となく息も絶え絶えと言った感じで何やら痛々しい。

「ヒウェル! 見つかったんですか?」
「うん、でも、これ鳴らないんだ。ハンマーが引っかかってるみたいで………」
「どれどれ?」

 サリーに時計を手渡し、ふう、とため息一つ。
 まあ、時計としての役には立つんだ。ベルが鳴らなくても……いっそベル用にもう一つ別の時計を買うか? ……いや、それはあまりも本末転倒だろ。
 惜しいなあ。
 モノは完ぺきなんだけど。一発ひっぱたいたら鳴るようにならないか?

 ジリリリリリリリリリン!

「えっ?」
「鳴りましたよ、ほら」

 にこにこするサリーの手の中では、青い時計が息を吹き返し、景気よく鳴り響いていた。
 本来ならやかましいとしか思わない音が、ヒウェルには天使の竪琴に聞こえた。

「マジか……ははっ、やったあっ」

 目覚ましを止めるのも忘れてヒウェルはサリーをハグし、ぱしぱしと背中を叩いていた。

「ちょっ、ひ、ヒウェルっ?」
「やったぜ、サリー。ありがとなーっ!」

 行き交う人々が怪訝そうな顔で見ているが、まったく気にしない。と言うより気づいていない。
 少しでも注目度を低くしようと、サリーは困り顔で目覚ましのスイッチを切った。

(この人でもこう言う子どもみたいなマネすることもあるんだなあ……参った)

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【4-4-5】★レオン、拗ねる

2008/09/23 22:38 四話十海
 
「……なあ、レオン」

 リビングに入って行くと、ディフが近づいてきた。何やら思い詰めたような色をヘーゼルの瞳の奥に秘めて。
 初めて俺に愛を打ち明けてくれた時もこんな目をしていた。
 何を言おうとしているのかは、聞く前に手に取るようにわかる。
 一つ違っているのは、この場合は思う相手が俺ではなく子どもたち。それもオティアだと言うことだろう。

 案の定、彼はすがりつくような必死なまなざしで頼んできた。

「猫………飼ってもいいか?」

 とっさに言葉が出なかった。表情が強ばったのが伝わってしまったのだろう。
 俺の袖をそっと握り、せつせつと訴えて来る。どんなにオティアがその子猫を気にしていたか。猫を抱くオティアがどんなに穏やかな表情をしていたか。

「俺には……お前がいた、レオン。あの子たちも。愛されて、愛することで自分を支えることができた……」

 袖を握る指に力が込められ、細かく震える。
 ああ、そんな顔をしないでくれ。胸が締めつけられる。

「……あったかくて、ふわふわしたちっちゃな生き物を大事に育てるのは……きっとあの子にとってプラスになる。俺たちには手の届かない部分まで、やわらかく包み込んでくれると思うんだ」

 まったくこの勝負、初手から先が見えていた。俺が君の望むことを嫌と言える訳がない。
 ヒウェルは確かに『方法を選んだ』のだ。

「仕方ないね」

 それだけ言うのが精一杯だった。くっと奥歯を噛みしめ、口をへの字に引き結ぶ。

「ごめんな、レオン………………………ありがとう。愛してる」

 骨組みのしっかりした手で抱きしめられて、わしわしと頭を撫でられた。

 愛してる。
 それは、よくわかってるよ。俺も君を愛してる。だけどね……ディフ。
 高校生の時に初め出会って以来、一度だって君が、俺が嫌だと言うものを無理に押し通すようなことがあっただろうか?
 恋人はおろか、友人ですらないただのルームメイトだった時から、俺がNOと言えば、君は「わかった」とうなずいて、二度と同じ過ちをくり返すことはしなかったじゃないか。
 あの子のためならそこまでするのかい?

(犬も、猫も、およそペットと名のつくものは苦手だと誰より知っているはずなのに)

 ああ、何だか色々と思い出したら腹立たしくなってきた。

(菓子作りは苦手だったはずなのに、アレックスに教わって誕生日のケーキまで焼くと言い出すし。プレゼントを買って帰ってきたときのあの嬉しそうな顔ときたら)
(この数日間、ずっと君は……俺のパートナーと言うよりあの子たちの『まま』だ)
(いったい、いつになったら俺は君を独り占めできるのだろう)

「おい、レオン」

 ぐいっと肩をつかまれた。

「何だい」
「いつまでもそんな顔してると………」

 間近に顔を寄せてくる。すぐそばに彼の顔がある。ヘーゼルブラウンの瞳の奥にちらりと緑色がひらめいたと思ったら、そのまま有無を言わさずソファに押し倒された。
 参ったな、完全に不意打ちだ!

 上体をのしかからせてくると、彼は唇を重ねてきた。

「ん……っ」

 キスされたと気づくより早く、強引に舌を滑り込ませてくる。
 拒むつもりはなかった。
 あるはずがない。

 ねっとりと絡め合い、互いに吸ったり、吸われたり。午後の陽射しのさんさんと差し込むリビングのソファの上で体を重ねたまま、濃厚な口づけを交わす。
 細く開けた瞼の間から緑に染まった瞳が見つめていた。つやつやと濡れて瞳孔が広がり、唇だけでは足りぬとばかりにむさぼる様なまなざしを注いでくる。

(あぁ)

 甘い痺れが駆け抜けた。絡め合わせた舌、重なる唇、抱き合う腕。彼と繋がっているあらゆる場所から背筋を伝わり、体の最も奥深い所に向かって。
 今のディフには俺しか見えていないのだ。
 もし誰かが入ってきたらどうしよう、なんてことは考えもせず、ただ俺だけを感じている。

(できるものなら、このまま………)
 
 長く甘いキスの後、ディフはほんの少しだけ唇を離し、囁いてきた。

「……可愛くて、こんなことしたくなっちまう」
「夜になってからにしてほしいな……今、我慢するのが難しいんだ」

 ほほ笑みかけると、目を細めてすり寄ってきた。

「それは、俺も同じだ」

 左の耳たぶをついばまれた。唇ではさむだけで、歯は立てずに。長い髪の合間から、ほんのりと……左の首筋の『薔薇の花びら』が浮び上がっているのが見えた。

(きれいだな)

 背中に腕を回し、唇を寄せる。息がかかっただけで腕の中の彼が小さく震えた。
 いっそこのまま抱き寄せてしまいたい。せめて、シャツの上からなで回すぐらいなら許されるだろうか?
 しばらく迷ってから、広い背中をぽん、と軽く叩くのに留める。意志の力を振り絞って。

「まだ、明日のためにすることがあるだろ?」
「……ああ……そうだな……」

 軽くキスしてからディフは離れて行き、くいっと手を引いて俺を起こしてくれた。

 君を独り占めするのは、夜まで我慢することにしよう。
 今日のところは。


(双子の誕生日 準備編/了)

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【4-4】双子の誕生日(当日編)

2008/09/29 23:42 四話十海
  • 人物紹介はこちらをご覧下さい。
  • 2006年9月11日の出来事。
  • 双子の誕生日、当日編。今日から17歳。
  • お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。
    君たちに会えたことが何よりも嬉しい。ささやかだけど、心をこめて、力一杯祝いたい。
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【4-4-6】今日からおひめさま

2008/09/29 23:44 四話十海
 
 2006年9月11日の朝が来た。
 オティアとシエンは『本宅』のリビングに置かれた朝刊を見て、ほとんど同時に小さく「あ」とつぶやいた。
 
「おはよう」

 のっそりとキッチンから出てきたデイフが二人に声をかけ、何気なく朝刊に視線を落す。第一面にもうもうと煙を吹き上げる1対の高層ビルの写真が載っていた。

「ああ……9月11日だな」
「うん」
「もう5年になるのか。当時まだ俺は制服警官でね」
 
 ディフはどこか遠くを見るような目つきで言った。半分、自分に言い聞かせているような口調だった。 

「911がきっかけでサンフランシスコでもテロ対策が強化された。それで爆発物処理班が増員されることになって……転属したんだ」

 言い終えると肩の力を抜き、ふう、と小さく息を吐いた。

「飯の仕度できてるぞ」
「え、もう?」
「早起きしたんだ。弁当作るついでにな」

 オティアは小さく首をかしげたが、結局何も言わずディフとシエンの後をついてキッチンに向かった。

「おはよう」

 キッチンでは既にレオンがコリコリと手回し式のミルでコーヒー豆をひいていた。

「オティア。オレンジジュースとリンゴジュースどっちにする?」
「……ニンジン」
「わかった」

 生のニンジンとリンゴを1かけらに牛乳をプラスして、まとめてブレンダーでガーっとやる。ほとんど甘くはないし、ビタミンもきっちりとれる。
 どっしりした木の食卓の上に並んだ四枚の皿には、スクランブルエッグと茹でたブロッコリー、こんがりきつね色にトーストした食パンがほこほこと湯気をたてている。
 いつもの朝食の風景。

 だけど、微妙に空気が違う。
 ほんの少しだけ……何だろう?

 
 ※ ※ ※ ※


「ハロー、ディフ? ええ。これから大学を出ます。それじゃ、よろしくお願いしますね」
 
 真夏よりいくぶんまろやかに、それでいて眩しさを増した9月の太陽が西の空を赤く染める頃。
 サリーは大学を出る前に電話一本、かけてからアパートに戻った。

 さて、迎えが来る前に準備を整えておかなきゃ。

 キャンバス地のしっかりした肩掛けカバンに昨日買った本二冊を入れる。せっかくきれいに包んでくれた紙に皺がよらないよう、気をつけて。
 冷蔵庫にしまっておいた『誕生日のご馳走』の材料を銀色の保冷バッグに入れていると、呼び鈴が鳴った。

「よう、サリー」
「いらっしゃい、ディフ」
「何か運ぶものあるか?」
「じゃあ、これを」
「けっこう重いな……粉か?」
「はい」
「小麦粉なら家にもあったのに」
「これはちょっと特別なんです」
「そうなのか」

 厳つい四輪駆動車に荷物を積み込む。
 行く先はエドワーズ古書店。二人はこれから子猫を迎えに行くのだ。

「EEEに電話しといた方がいいか?」
「そうですね、準備もあるでしょうし」

 ディフは携帯を取り出すと電話帳のEの項目を呼び出し、かけた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 カラン、コローン……。
 聞き慣れたはずのベルの音色が違ったものに聞こえる。いつもより音量が大きいような……いや、いつも通りだ。
 電話をもらってから、ずっとそわそわしていて落ち着けなかった。リズが耳をぴん、と立ててドアの方を見た途端、心臓が早鐘のように打ち始めた。

「こんにちは、エドワーズさん」
「いらっしゃい、サリー先生! お待ちしてました」 

 やや遅れて、ぬっと肩幅の広い、がっちしりた体格の赤毛が入ってきた。

「よう、EEE」
「……やあ、マックス」

 あらかじめ電話で彼も一緒だと知ってはいたが、それでもがっかりしてしまう……ほんの少しだけ。

「モニークは?」
「ああ、さっきまでそこに」
「にう!」
「……あれ?」

 カウンターに乗せられた真新しいピクニックバスケットの中から高い声が聞こえた。ぴん、と立った白い尻尾が開いた蓋の奥でひょこひょこ動いている。

「もう入ってるんだ……」
「いつの間に」

 中にふかふかのタオルを敷いたピクニックバスケット。キャットフード(ドライのと缶詰と)、そしてトイレ用の砂。それがモニークのお嫁入り道具一式だった。

「えーっと、猫用トイレは……」
「一応、事務所の備品を持って来ておいた。当座はこれでいいだろう」
「それがいいだろうね」
「あれ?」
「どうしたんだい、マックス?」
「この首輪、この間と違うぞ。迷子になった時はピンクだった」
「ああ。Mr.セーブルは青い色がお好みのようだから……」

 白い子猫の首には、真新しい青い首輪が巻かれていた。きらりと光る丸い迷子札はまっさらで、猫の名前も飼い主の電話番号も記されていない。

「モニーク、と言うのは私が仮に着けた名前です。この子が正式に彼の猫になったら……改めて新しい名前をつけてやってください」
「わかりました。伝えておきます」

 エドワーズはバスケットの中に手を差し入れて、モニークを撫でた。愛おしさをこめて、何度も、何度も。
 モニークは湿った鼻先を寄せてエドワーズの指先のにおいをかぎ、ぐいぐいと顔を掏り寄せた。
 リズはバスケットの傍らに後足をそろえてきちんと座り、じっと末娘を見守っている。これまで他の子猫たちを見送った時のように……最初にモニークを送り出した時のように。
 長い薄茶色の尻尾がぱたぱた踊り、規則正しい柔らかな音を奏でる。

「それじゃ、モニークのこと、よろしくお願いします」
「はい」
「ありがとな、EEE」
 
 二人と一匹を送り出してしまうと、店の中は急にがらーんとしてしまった。
 ……………………静かだ。
 静かすぎる。

 妙な話だ。元々ここに暮らしていたのは自分とリズだけだった。ほんの数ヶ月前の状態に戻っただけのはずなのに。

「さみしくなってしまったね、リズ」
「にゃ」

 リズは優しく喉を鳴らし、エドワーズの手に顔をすり寄せた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ヒウェルはそわそわしながら待っていた。
 ローゼンベルク家のリビングでソファに腰かけ、見るともなしに新聞なんか読みながら。さっきから文字は目の前を滑って行くだけでちっとも頭に入らない。
 少し前に双子が部屋に戻ってきた気配がした。さっきから境目のドアの向こうが気になって仕方ない。ほんのわずかな物音にすら、ぐいっと意識が持って行かれる。
 
「お」

 かすかな震動。エレベーターが上がって来たな。
 一秒、二秒、三秒、五秒………確定。(四が抜けたような気がするけど気にしない)
 アレックスではない。忠実な万能執事は既にキッチンでパーティの準備に取りかかっている。
 足音は二人分、軽やかで規則正しいのと重くて大またのと。どちらもレオンではない。ビンゴだ。
 小刻みにステップを踏む心臓を、なだめすかして平静を装う。ほどなくドアが開いた。もう我慢できない、限界だ! ぱっと立ち上がり玄関に出るとうやうやしく一礼。

「お待ちしてました」
「あれ、ヒウェル?」
「何だ、来てたのか。早かったな」
「まあ……ね。で、お姫様は?」

 サリーの抱えたバスケットがもぞっと動いた。

「よし。それじゃ、オティアとご対面と行きますか」
「俺はキッチンにこいつを運んどくよ」
「お願いします」

 何やら荷物を抱えてキッチンに入って行くディフを見送ると、ヒウェルはサリーに声をかけた。

「こっちだよ」

 境目のドアをノックすると、ひょい、とシエンが顔を出した。

「あ……ヒウェル。サリーも。どうしたの? 夕食にはまだ早いよ?」
「うん、ちょっと、いいかな。見せたいものがあるんだ」
「?」

 今度はバスケットはもそ、とも動かない。にゃお、とも、みう、とも鳴かなかった。

 双子の居間に入った瞬間、ヒウェルは懐かしさと違和感の入り交じる奇妙な感触をおぼえた。
 ディフが住んでいた時は何度もこの部屋でグラスを片手にだらだらしゃべったものだ。ポップコーン抱えてDVDやサッカー中継に見入ったこともある。
 間取りこそ同じ部屋だが、インテリアがまるで変わってしまった。通い慣れた部屋のはずなのに、何だか別の空間みたいだ。
 オティアは丈の低いソファに座って本を読んでいた。

 ヒウェルとサリーが入って行くと本を閉じて、顔を向けてきた。

「よぉ」
「こんにちは」
「……何の用だ」

 オティアの声を聞いた瞬間、もぞもぞっとバスケットが動き始めた。

「みう、みう、みう、みう」
「え。猫?」

 シエンがほんの少しだけ顔を強ばらせる………動物が苦手なのだ。レオンほど徹底してはいないが。

「うん、猫」
「お前もよーくご存知のお嬢さんだよ」
「ちょっと、いいかな。ここに置くよ」

 サリーがソファの上にバスケットを置いて、フタを開けると白い子猫がひょこっと顔を覗かせた。

「みゃー」
「あ……モニーク? 何で?」
「にうー」

 するりとバスケットから抜け出すと、モニークはオティアの膝の上によじ上り、丸くなった。
 オティアはとまどいながらも白い毛皮に手を伸ばし、そろりと撫でる。
 
 よし、いいぞ。いい傾向だ。内心、うなずきながらヒウェルは話を続けた。言葉を選んで、一言一言、噛んで含めるようにして。

「んー、まあ話せば長くなるんだけどさ……その子、脱走癖がひどくてね」

 ひと呼吸置いて、口にする。一番大切な一言を。

「里子に出された先から、戻されちまったんだ」

 双子は僅かに身を震わせ、どちらからともなく顔を見合わせた。

「それ……本当?」

 シエンが掠れた声で問いかける。サリーがうなずいた。
 オティアは膝の上で丸まって、幸せそうに喉を鳴らすちっぽけな白い毛皮の塊に視線を落し……手のひらで包み込む。

「Mr.エドワーズがさ、言うんだよ。お前にならその子猫を安心して任せられるって」
「………………」
「ディフとレオンのことなら心配すんな。一応、話は通してあるから」
「………………」

 オティアは迷っていた。
 モニークを探し出してからずっとこの猫のことを忘れた日はなかった。
 悪夢に苛まれる日々の中、腕の中で安心しきって喉を鳴らすこの柔らかな生き物の記憶が………どれほど慰めになってくれたことだろう。

 もしも、ずっと、この猫と一緒に暮らせたら。
 朝も、昼も、夜も。
 自分と一緒の、自分の猫。

 いや、だめだ。シエンは動物があまり好きじゃない……。

「いいよ」

 えっ?

「いいよ、俺。オティアがいいって言うのなら」
「シエン」

 よし、これで難関は突破した。
 ヒウェルはサリーと顔を見合わせ、安堵の息を吐いた。

 オティアは黙っている。一言も言葉を発しないまま、白い子猫を撫でている。しーんと静まり返った部屋の中に、モニークが喉を鳴らす音だけが響いた。

 ごろ、ごろ、ごろ、ごろ………。

 こんなちっぽけな体のどこからこんなに大きな音が出るのだろう。
 そうするうちに、モニークはうっとりと目を細めて前足をオティアの手にかけ、もにもにと左右交互に押し始めた。

「お前………行く所、ないのか?」

 ぱちっと目を開けると、モニークはのびあがってオティアの顔に鼻先を寄せてきた。ヒゲをぴーんと前倒しにして、尻尾を高々と挙げて、かぱっとピンク色の口を開ける。

「んみーっ!」
「……………そうか」

 ためらいながらもオティアは白い子猫を両手で包み込み、抱きしめた。力を入れすぎないように、細心の注意を払って。
 
「よし、決まりだな……」

 早速、子猫を部屋に受け入れる準備が始まった。
 ピクニックバスケットは蓋を外してそのまま子猫のベッドに。
 探偵事務所の備品、普段は保護した迷子猫のために使っている猫用トイレに砂を敷き詰める。
 モニークはくんくん、と猫用トイレのにおいをかぐと耳を伏せ、鼻筋に皺を寄せた。

「あれ。もしかして、ご不満か?」
「………みたいですね」
「借り物不許可、あたし専用じゃないとダメ! ってか、このお姫様は」

 まっさらな迷子札に自分の携帯番号を書き込んで、猫の名前を書く段になって、ふとオティアは手を止めた。

「モニークって言うのは、エドワーズさんが仮につけた名前なんだ。だから君から新しい名前をつけてほしいって言ってたよ」
「………………」

 でも、この子猫はずっとモニークと呼ばれてきた。迷子になった時も、名前を呼ばれてちゃんと返事をした。
 別にこのままでもかまわない……か?

 いや、やっぱりだめだ。

 あの日、迷子になったモニークをエドワーズ古書店に送り届けて事務所に戻ってから、ディフがくすりと笑って言ったのだ。

『モニークって懐かしい名前だな。高校ん時、隣のクラスにいたんだ。可愛い子だった』


 名前を変えよう。
 オティアは心に決めた。
 これから毎日一緒に暮らすのに、ディフの昔のガールフレンドと同じ名前を呼ぶのはちょっと問題がある。何よりレオンがいい顔をしないだろう。

 だが急に新しい名前を考えつくのは難しい。やはり見てすぐわかるのがいいだろう。体の特徴を現したものがいいか。
 毛並みの色とか、瞳の色、尻尾………。

 じっくりとオティアは観察した。自分の飼い猫になったばかりの子猫を、すみからすみまで。
 真っ白な胴体の左側に、少し歪んだ丸いぶちがある。ランチの時に飲んだカフェオーレそっくりの、ほわほわした薄茶色。
 これでいい。
 わかりやすいし、シンプルだし、呼びやすい。

 迷子札に新しい名前を書き込んだ。一文字、一文字、丁寧に。

『Oule(オーレ)』

「オーレ、か」
「素敵な名前だね」

 新しい名前と、新しい飼い主の携帯番号を記入した迷子札は、改めて真新しい青い首輪に着けられた。

「似合うね」
「ああ、瞳の色にマッチしてる」

 サリーはモニークの……いや、オーレの頭を優しく撫で、言った。

「そのうちマイクロチップを入れに病院に連れてきてね」

 オティアはこくっとうなずいた。

 こうして、モニークは『オーレ』になった。

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【4-4-7】異次元の歌声

2008/09/29 23:46 四話十海
 
「ご飯はエドワーズさんが食べさせていたのと同じ、子猫用のフードをあげてね」
「わかった」
「移動用のキャリーバッグはもう少ししっかりした物の方がいいかな……リズはおとなしい猫だけど、この子は活発だから」
「そうだな……」
「爪研ぎもあった方がよかないか? さもなきゃ、そこのラグが犠牲になるのは目に見えてるぞ」
「あー、そうですね、爪掛かり良さそうだし」

 サリー先生と『おうじさま』(他約一名)が話している間、オーレは新しい家を探検することにした。
 白い尻尾を高々と掲げて、ヒゲをまっすぐ前へ伸ばしてちょこまか歩く。

 このおうちには階段がないみたい。ちょっとがっかり。

 姉のアンジェラと同じくらい、オーレは高い所に登るのが大好きだった。

 階段はないかな。
 本棚はないかな。
 お庭に木は生えてないかな。

 寝室の隣にある部屋は、何だかとてもなつかしいにおいがしたけれどしっかりドアが閉まっていた。
 きっとここには本棚がある。いっぱいある。でも入れないんじゃしかたない。

 ちょこまかと廊下を歩いて先に進む。開けっ放しのドアをくぐり抜けたら、急ににおいが変わった。ちょっぴり緊張。立ち止まってきょろきょろする。

 どうしよう。引き返そうかな。

 でも、すごくおいしそうなにおいがする。
 エビのにおいがする!

 その瞬間、オーレの警戒心はカリフォルニアの青空の彼方へと吹っ飛んだ。

 エビ、えび、海老。
 
 尻尾を高々と立てて、鼻面をふくらませてちょこまか進んで行くと……目の前に、でーんと大きな靴があった。

「み?」

 くんくんとにおいを嗅いで上を見上げる。オーレの青い瞳がきらりと光った。

 見つけた! 高い場所。

 ちっちゃな手のひらをいっぱいに広げると、オーレはジーンズを履いたがっしりした足を登り始めた。
 ざっし、ざっしと爪を立てて。

「ん?」

 ディフはふと料理の下ごしらえをする手を止めた。何やらちっぽけな生き物が、ざっしざっしと爪を立てて登って来る。足から腰、背中へと。

「………よう、モニーク」
「みー」
「元気そうだな……アレックス、ちょっとここ頼んだ」
「かしこまりました」

 子猫を背中に張り付けたまま、ディフはそろそろと食堂からリビングへと向かう。開け放しになった境目のドアの前に立ち、よく通る声で呼びかけた。

「オティア! 子猫、こっちに来てるぞ」
 
 すぐさまオティアが飛んできた。やや遅れてシエンとヒウェル、サリーもやって来る。

「どこに?」
「ここだ……とってくれ」

 くるりと向けられた広い背中からオティアはべりっと白い子猫を引きはがそうとした。胸元を紐で綴じた濃い藍色のシャツが、小さな爪にひっぱられてびろんと伸びる。オティアは黙って一本ずつぷちぷちと外した。

「度胸のあるちびさんだな……あれ?」

 ディフは青い首輪に下がった迷子札を見て首を傾げる(職業柄、猫を見るとまず迷子札を確認する習慣がついているのだ)

「名前、変えたのか」

 こくっとオティアはうなずいた。

「オーレ、か。いいね。響きの優しい名前だ……そうか、オーレか」

 くすくす笑っている。
 もしかして、これも昔のガールフレンドの名前なのか? だったらまた新しい名前を考えないと……。
 困惑するオティアと、腕の中の白い子猫を見ながらディフはなおも楽しげに笑っている。

「その子、獣医の診察券にはオーレ・セーブルって名前書かれるぞ。オーレとオティア……どっちもイニシャルがO.Sだ」
「あ」
「本当だ」
「おそろいだな」

 そしてディフは手を伸ばし、指先で子猫の顎の下をくすぐった。

「改めてよろしくな、オーレ」

 オーレは目を細めて、ちょしちょしとディフの指先を舐めた。

「そうだ、エドワーズさんに報告しておかないと」
「ちょっと待ってろ」

 ディフは携帯を取り出すと電話帳のEの項目を呼び出し、かけた。

「……そら」

 さし出された携帯を素直に受け取ると、サリーは耳に当てた。
 2、3度呼び出し音が鳴り、穏やかな声が聞こえてきた。

「ハロー、マックス?」
「エドワーズさん」
「…………………………………え? サリー先生?」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「…………そうですか………よかった。本当に、よかった…………」

 エドワーズは目を閉じて、深々と息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

「ありがとうございます。Mr.セーブルにもよろしくお伝えください。それじゃ、また」

 電話を切り、傍らのリズに話しかける。

「リズ。モニークは無事、Mr.セーブルの所に引き取られることに決まったよ……ああ、そうだ、新しい名前はオーレと言うそうだ」
「にゃー」
「幸せになってくれるといいね。いや、きっと幸せになるよ。あの子自身も彼の元に行く事を望んでいたのだから」
 
 リズの頭をなでながら、ふとエドワーズは気づいた。
 今の電話、サリー先生からだったのだ。こっちからも電話番号を教えておけばよかったかな……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 エドワーズと話すサリーの横で、ディフが言い出す。あくまで自然に、さりげなく。
 
「今日は飯の仕度の手伝いはいいから」
「本当にいいの?」
「ああ。オーレの世話で忙しいだろ? その代わりヒウェルとサリーが手伝ってくれる」

 その隣でひょい、とヒウェルが片手を上げた。

「使われます」
「ふーん、そう……? じゃあ困ったら呼んでね」
「OKOK」
「じゃ、ごゆっくり〜」

 ヒウェルとディフとサリー、珍しい組み合わせの三人がキッチンに向かうのを双子は見送り、自分たちの部屋に戻った。

 しばらくすると、オーレがピンっと耳を立てて本宅の方をにらみ始めた。尻尾を膨らませて、低く体を伏せて、何やら警戒している。

「何だろう?」

 用心しながら本宅のリビングへと行ってみると……抑揚のない呪文みたいな声が聞こえてきた。
 キッチンから。

「……なにやってんだろ」
「さーな」

 どうやら緊急事態ではなさそうだ。顔を見合わせると、オティアとシエンはまた自分たちの部屋に戻るのだった。


 一方、キッチンでは。

「……何うなってんだよ」
「……鼻歌」
「歌か、それ! 第一、何の曲だよ」
「Happy Birthday to you……」
「………ぜんっぜん違うぞ」

 考え込むディフにヒウェルは聖歌隊で鍛えた喉と音感を発揮してお手本を示した。

「Happy birthday to you〜♪ Happy birthday to you〜♪」

 ひとしきり耳を傾けてから、ディフが歌い出す。

「Happy birthday to you〜♪ ………やっぱり合ってるじゃないか」
「だからぜんっぜん違うって」

 何故だ。

 ヒウェルはひきつり笑顔で頭をひねった。

 同じ歌を歌っているはずなのに、ディフの声だけ時間と空間を飛び越えて他所の次元に行っちまってる。下手すりゃ得体の知れぬ何ゾを召還しそうな勢いだ。

 サリーはにこにこしながら何も言わず、さくさくとキャベツを刻んでいる。
 アレックスももちろん何も言わず、こちらの会話などまるで聞こえてもいないように平然と、ミートローフにかけるソースを入れた小鍋をかき混ぜている。

「せっかくだからロウソク吹き消す時、歌おうかと思うんだが」
「封印しとけ。あの子らの音感と世界平和を守るために」
「わかった……」

 誕生日のケーキは『まま』のお手製。しっかり焼いた甘さ控えめ(ここがポイント)のタルト生地に、ストロベリーにブルーベリーにラズベリー。甘酸っぱいベリーを載せた、赤い果実のタルト。ほんの少しだけ、丸いベリーを安定させるためにクリームとゼラチンを使ってある。
 どこまでも双子の好みに合わせた、双子のためのお菓子。仕上げにメッセージを書くための、ホワイトチョコでコーティングされたクッキーを冷蔵庫から取り出すと、ディフは手招きしてヒウェルを呼んだ。

「文字書くのは任せたぞ」
「なんで俺」
「プロだろ? ほれ」

 手の中にチョコレートの詰まったチューブ式のペンが渡される。

「うーわー、緊張するなあ……」

 ヒウェルは数回深呼吸すると大きく左右の肩を回した。そしてこきこきと指を鳴らすとペンを握り……書道の達人さながらに、一気呵成の勢いで書きった。

「っしゃあ、これでどうだっ」

『誕生日おめでとう オティア&シエン』

「お見事です、メイリールさま」
「すごいな、お習字の先生みたいだ」
「………プロの物書きにしちゃ平凡だな」
「リテイクすんなら『紙』をくれ」
「これで行こう」

 やがてメインのミートローフが焼き上がり、食卓の上にホットプレートを準備しているとレオンが帰ってきた。
 ただいま、の声を聞くより早くディフが玄関に迎えに出る。

「ただいま」
「お帰り」

 出迎える者と迎えられる者の交わす出会い頭の熱い抱擁も。必要以上に念入りなお帰りのキスも、今やすっかり恒例行事、日常茶飯事。
 いちゃつく二人を横目で見ながら、ヒウェルは何食わぬ顔でテーブルに料理を並べて行った。

 ※ ※ ※ ※
 
 
「オティア、シエン、飯できたぞ」
 
 呼ばれて双子が出てきた。
 しかし境目のドアを越えようとした瞬間、背後で聞く者の胸をかきむしるような世にも悲愴な鳴き声が挙がった。

 みゃーおおおう、ふみゃー、なおーーーぉおおう。

「あ……」

 二人は立ち止まり、鳴き声のする方を振り返る。オーレはリビングに残してきた。ドアを閉めたはずなのに、こんなに大きく声が聞こえるなんて。

 んみーっ、みーっ、みゃおー、みーっ!

「………」

 オティアの顔に一瞬浮かんだ憂いの表情をディフは見逃さなかった。

「…………レオン」

 若干、渋い顔をしながらレオンはうなずく。ディフはほっと肩の力を抜き、双子にほほ笑みかけた。

「連れてきていいぞ。子猫一匹だけで置いとくのも心配だろ」

 さらりとレオンが続ける。

「食卓には上げないように。いいね?」

 こくっとうなずくとオティアは足早に自分たちの部屋に引き返し、間もなくオーレを抱えて戻ってきた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 テーブルの上にはミートローフとポテトのサラダ。何故か形がいつもよりきちんとしている。
 ポテトサラダはきちっと箱形に整えられ、白い層と、ニンジンベースの赤い層、そしてエンドウ豆ベースの緑の層が交互に重なって、表面にはグリーンピースが飾られている。
 ミートローフはいつものように手で大雑把に形を作ったのではなく、きちんとパウンドケーキ型に入れて焼かれていた。
 スープはタマネギの薄切りの入ったコンソメスープ。

「これ、何?」

 そしてボウルに入った小麦粉を水で溶いた種と刻んだ具が何種類か並んでいる。
 ツナとチーズ、イカの切り身、薄切りにした豚肉、卵、キャベツ、ネギ、ホタテ。細く刻んだ赤いピクルスは、においからしてジンジャーだろうか? 
 そして、エビ。

「パンケーキ……じゃ、ないよね」
「お好み焼きって言うんだよ。こっちの種に好きな具を混ぜて焼くんだ」
「みうーっっ」

 オティアの腕の中で白い子猫が急に目をらんらんと光らせ、飛び出そうとする。が、いち早くがっちり押さえられてじたばたじたばた。

「どうしたんだ、急に」
「ああ……エビだな。好物だから」
「オーレにはこっちね」

 さっとサリーが取り出したのは、お湯でふやかした小エビのスープ。
 小皿に取って床に置くと、オーレは目を輝かせてとびついた。

「んにゃう、んぎゅ、にゅぐぐぐぐ」
「何か言いながら食べてる………」
「よっぽど好きなんだな……」

 目を細めてオーレを見守るディフの姿に、レオンがほのかに渋い顔をしている。
 オティアは秘かに思った。やはり猫の名前を変えておいて正解だった、と。

 テーブルの準備が整い、一同が席についたところでおもむろにヒウェルが軽く咳払いをして壁際に歩いて行き、スイッチに手を伸ばした。

「それじゃあ……ちょっとだけ、電気消すよ」

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【4-4-8】おめでとう

2008/09/29 23:49 四話十海
 パチリと電気のスイッチを切った。

 食堂の灯りが落され、キッチンの方から差し込む光がぼんやりと室内を照らすだけになった。暗さに眼が馴染むにつれ、食卓を囲む人々の表情が見えてくる。
 シエンは目をぱちぱちさせている。オティアはいつも通りのポーカーフェイス。
 ディフは落ち着かず、しきりとキッチンの方角を伺っていたが、肩にはレオンの手が乗せられると彼の方を見て顔をほころばせた。
 サリーはいつものように穏やかな笑みを浮かべている。俺の視線に気づいたのか、こっちを見て小さくうなずいた。

 友だちのつもりでやればいい。言ったはいいものの、内心、ディフと同じ懸念がなかったわけじゃない。
 しかしここでためらったら、100%滑る。
 とまどいは捨てろ。
 行くぞ。

 ポケットから銀の卓上ベルを取り出し、鳴らす。

 リリン、リリン、リーン。

「Alex!」
「はい、ただ今」
 
 鈴の音に応えて忠実な執事が厳かに、トレイに載せた誕生日のケーキを運んできた。タルトの上には、小さな火を灯したキャンドルが2本、ぎっしり乗っかったベリーを潰さぬよう、細心の注意をはらって立てられている。

 ゆらめくオレンジ色の灯火がタルトの中央に掲げられた丸いプレートの上に踊るかっ色の文字を照らし出す。

『誕生日おめでとう オティア&シエン』

「え……………」
「………………」

 息を飲んで見守った。室内の視線が一斉に双子に向けられる。

 シエンの瞳がうるんでいる。ほんの少し。それに気づいた瞬間、今日までのささやかな苦労が全て吹っ飛んだ。
 オティアはいつも通り。
 だが、逃げない。
 怒ってもいない。
 それで充分だ…。

「………えっとこれ……もしかして」

「誕生日……」
「おめでとう」
「おめでとう!」
「おめでとう」
「おめでとうございます」

 オティアは動かない。ただじっと、ケーキの上でゆらめくオレンジの小さな炎を見つめている。
 甘過ぎないか、とか。これ食うのか、なんて……考えてるんだろうか。

(安心しろ、その見るからに甘そうなクッキーのプレートまで食えとかそう言うことはないから!)

 ぱちぱちとまばたきすると、シエンはほんの少しだけうつむいて、前髪で目を隠すようにして……言った。
 
「…………ありがと…………」

 いつもこいつの口にするなめらかな『ありがとう』に比べて、それはとても小さな声で、語尾が掠れていたけれど。それ故にシエンの心の動きが伝わってくるように思えた。

 とにもかくにもその『ありがとう』は、俺たちにとって祝福の鐘。今回のサプライズ・パーティが曲がりなりにもオティアとシエンに受け入れられた合図だった。

 いっぺんに緊張が解ける。

「お前ら甘いの、苦手だろ? だからできるだけ甘さは控えたんだ。クリームもほんのちょっとしか使ってない。果物の味をそのまま活かしてる」
「もしかして、これ、ディフが作ったの?」
「ん……まあ、な。アレックスに教わった」
 
 ほっとオティアが小さく安堵の息をつく。うん、そうだね、アレックスのレシピなら安心して食えるよな。

「小さめのにしたら、ロウソクが17本ささらなくってさ……一人で、1本ずつ……歌も歌おうかと思ったんだけど」

 緊張から解放された反動か、ディフの奴はいつになく舌がなめらかになってる。珍しいこともあるもんだ、普段なら解説するのはもっぱら俺の役割だってのに口挟む暇もねえ。
 お株を奪われるのもシャクなので、するりと後に続けてやった。

「練習の時点で君らの健康と世界の平和のため、封印しようと言う結論に達した」
「練習って、もしかして、キッチンでやってた?」
「ああ」

 オティアとシエンは何やら納得したようにうなずいている。どうやら、そこはかとなく聞こえちゃっていたらしい……あの異次元からの歌声が。
 当の『異次元の歌い手』は、はにかむようなほほ笑みを浮かべて、そっとシエンの肩に手を乗せ、のぞきこんだ。

「ロウソク、自分で消すか?」
「……うん」

 アレックスがうやうやしくタルトをテーブルに置いた。相変わらず沈黙を保つオティアをシエンが引っ張って、タルトの前に並んで立つ。
 二人で一緒に、ふーっと吹く。互いに声をかけることもなく。視線すら交わすこともなく、ぴったり同じタイミングで。
 二つのキャンドルはゆらりとゆれて、消えた。

「おー消えた」
「おめっとー」
「おめでとう!」

 俺と、ディフとレオンとサクヤ、そしてアレックス。いい年こいた大人五人、ぱちぱちと手を叩く。
 ぱちりと電気を着けた。
 いざ部屋が明るくなってみると、腹の底がむずがゆい。やたらめったら照れくさい。

「やー、俺いっぺんやってみたかったんだ、こーゆーベタなサプライズパーティ」

 ごまかすためにあえてはしゃいでみる。

「紙のとんがり帽子と金銀モールの飾り付けもやろうかって言ったらディフに全力で却下された」
「お前の分だけ準備しといたぞ、帽子。被るか?」

bousi.jpg

「わーうれしいな………全力で遠慮しとく!」

 穏やかな『姫』のお言葉が、そこはかとなく混沌としかけた一座を締める。

「誕生日の贈り物もあるよ」

 レオンの一声で本来の目的を思いだし、いそいそと準備したプレゼントを取り出した。
 
「これは、俺からだ」
「はい、これプレゼント。こっちの青いのはオティアに……こっちのクリーム色のはシエンにね」
「んでもってこれは俺から」

 秘かに呼吸を整えて、精一杯さりげない風を装いつつ手渡した。シエンにはジャパンタウンで見つけた『がま口』。オティアには青い目覚まし時計。さすがにラッピングにまでは手が回らなかったが、むき出しと言うのもアレなので。手持ちの袋で一番、きれいなやつに入れてきた。
 袋の口はきゅとまとめて引き結び、青いリボンで留めた。

「ありがとう……」

 最後にレオンが、金色の紐で飾られた細長い箱を二つ。
 まずったな。
 包み紙といい、ラッピングに使われてる紐といい、明らかにさっき俺が渡したのとは格が違う。
 だいたい基準からしてあいつと俺とは別世界なんだからしかたがない。
 受けとった双子の方も、ちょっとおろおろしてる。
 そりゃそうだ、見るからに高そうだし。対照的にレオンの方は平静そのもの、てんで涼しい顔してやがる。

 積み上げられたプレゼントを目の前に、シエンの目に浮かぶ涙の粒はますますふくれあがり、とうとう、ぽろりとこぼれた。

「こんなふうにお祝い……してもらったの、はじめてだし……ありがと……」

 すかさずディフがさし出したタオルを受け取り、くしくしと目元をぬぐった。

「いや……うん……その言葉聞けて……思い切って、実行してよかったよ」
「なー、だから言ったろ、滑ったらどうしよう、なんて余計な心配すんなって!」

 オティアのほうはあいかわらずポーカーフェイス持続中。だが、心無しか、どういう顔していいかわからず、戸惑っているようにも見えた。

「開けてみろよ。こーゆーのは、みんなで見てる前で開けるのがお約束ってもんだぜ?」
「うん……」

 シエンはしばらくの間、首をかしげていたが、やがてクリーム色の包みを手にとった。サリーからの贈物だ。リボンをほどき、袋状になった包みを開く。

「本……これ、ハーブの図鑑?」

 目がまんまるになった。もしかして、お前、すごくびっくりしてる?

「すごく綺麗……」

 うっとりしながらページをめくっている。ああ……『Brother Cadfael's Herb Garden』か。確かに、レオンやディフの蔵書にゃ無いよな、ああ言う本は。
 図鑑は実用一点張り。加えてこの二人、およそミステリーと名のつく物を読ませると初っ端でリタイアする。
 いわく『何だってプライベートタイムでまで仕事の話を読まなきゃいけないんだ』、と。

「……」

 オティアが横からのぞきこんでる。後で読むんだろうな、あいつも………きっと、読む。
 しばらく眺めてから、シエンは大事そうにまた袋に入れた。

「あとでゆっくり見るね、ありがとう、サリー」
「気に入ってくれてよかったよ。エドワーズさんが選んでくれたんだ」
「EEEが?」
「うん」

 本、と聞いてオティアもがさごそと自分の分を開けた。さすが、反応早いぜ本の虫。
 開けるやいなや、ページを開いて読み始めた。

「オティア」

 そっと横からシエンに突かれる。

「今読み出すと、止まらなくなるよ?」

 言われてしぶしぶ本を閉じる。うんうん、本は逃げないからね。飯が終わってからゆっくり読みたまえ。
 次に二人は申し合わせた様に俺からのプレゼントを開けた。

「これ……何?」
「コインケースってか、財布だな。しっかりしてるから、小銭増えてもOKだぞ」
「あ、なつかしいな。がま口だね、これ」
「うん、ジャパンタウンの店で買った」
「ちょっと貸して、シエン」
「うん、どうぞ」

 がま口の表面を軽く指で撫でるとサリーは小さく「ああ」と言った。

「西陣織だね、これ……」
「そう言う名前なのか」
「日本の伝統的な織物ですよ。着物の帯なんかにも使われる」
「あー、なるほど、それで、か……うん、納得した」

 何気ない会話を繰り広げながら、ちらちらとオティアの方を伺う。
 青い目覚ましを手にとって、じーっと見つめていた。一言も喋らずに、ただ、じっと。

 わかったんだろうか。
 自分の使っていたのと同じ物だと。
 指先で確かめる様に時計の表面を撫でて、くるりとひっくり返して裏を確認している。それから、壁の時計を見ながら時刻を合わせ始めた。

「……よかったね」

 シエンの言葉に小さくうなずいた。こいつにしては、最大級の喜びの表現。

 ああ、わかってくれたのだ。
 わかってくれたのなら、それでいい。街中歩き回り、坂道を上り下りしてパンパンに腫れ上がったふくらはぎの痛みを一瞬、忘れた。

 ブラボー。
 ハッピーバースディ。
 誕生日、おめでとう。

 顔がゆるむ。
 誰に見られようが知ったことか。もう、止まらねぇ。どのみち、今はこの部屋にいる人間の注意は双子に集中してるんだ。

 ………………。
 ………………………。
 ………………。
 
 ……しばらく記憶が飛でたらしい。
 我に返ると、でれんでれんに蕩け切った視界の片隅でシエンとままがのどかな会話を繰り広げていた。

「わあ、これ……チャイナ?」
「うん、チャイナだ。カンフースーツって言うのか? さすがに外に着てくのは無理だろうからな。部屋着にでも使ってくれ」
「うん……ありがとう」

 生成りとグレイのかかったやわらかな空色。短めの上着は前開きでチャイナボタン留め、襟の内側と袖口には白い布。おそろいで色違いのカンフースーツ。いったいどこから見つけてきたのか。おそらくサイズはぴったりだろう。

 最後に二人はレオンからの贈物を開けた。
 見るからに高額そうなものだっただけに、開けるのにそれなりに心の準備が必要だったらしい。
 中から現れたのはおそろいの腕時計。外枠はシルバーで文字盤はオティアのが光沢のある青、シエンのが白。

「カシオのBaby-Gですね」
「ああ、確か日本のメーカーだったね」
「これ、就職祝いにヨーコさんがもらったんですけど、腕に巻いたら『おもーい』って」
「女性向け、子ども向けだから比較的軽いはずなんだけどね?」
「彼女、意外に華奢なんだな」
「油断するな、女の細腕でもツボに入れば致命傷だぞ」
「ポケットに入れて使ってます」
「懐中時計じゃないんだから……」

「あの………レオン、これ」

 おどおどしながらシエンが問いかける。

「十七歳だからね。そろそろこれぐらいの物を使ってもいいと思うんだ」

 さらりと言いやがった。

「信頼のおけるメーカーのクォーツ時計としては十分、標準的な値段だよ。堂々と使いなさい」
「……はい」

 気負いもなければ嫌みもない。もちろん、自慢する素振りはかけらほども感じられない。彼の基準からしてみりゃ極めてスタンダードなレベルの贈物なのだろう。

 つくづく育ちのいい男だ。のみならず、品格がある。だからこそ『姫』なのだ。
 贈物を開けている間、アレックスがさくさくと手際よくタルトを切り分けてくれていた。
 
 さあ、誕生日のご馳走をいただこう。

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「サリー、この赤いの何なんだ?」
「それは紅ショウガ。ジンジャーのピクルスみたいなものかな、ぴりっとしますよ」
「そうか」
「………わ、ヒウェル、それ真っ赤!」
「入れ過ぎじゃないか?」
「ピリっとしたのが好きなんだよ……」
「お前、なんかものすごいスパイシーなにおいがしてるぞ?」
「あったまったからだろ、大げさに騒ぐな」
「……………」
「レオン、次はどれがいい?」
「そうだな、じゃあ、エビを」
「わかった」
「さっきのホタテも美味しかったな」
「そうか。両方入れてみるか?」
「君に任せるよ」
「パンケーキみたいで面白いね」
「そうだな、具が多いから、焼くのにコツがいるけど」
「日本だとお祭りの時に屋台で売ってるんだよ。麺を入れたり、卵をたっぷり使うレシピもあるね」
「食べごたえありそうだな」
「う"」
「ヒウェル大丈夫?」
「けっこう……効いたぜ………ベニショウガ」
「どうぞ、お水を」
「さんきゅ、アレックス」
「………舌がバカなんじゃね?」
「何だと?」

 切り返してから、あ、と思った。
 こいつ、今、自分から俺に話しかけた?

 改めてオティアの方を見る。
 素知らぬ顔してスープを口に運んでいた。

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【4-4-9】おひめさまどこ?

2008/09/29 23:50 四話十海
 
 食事が終わってから、オティアがきょろきょろと周囲を見回している。最初はテーブルの周り、次に下に潜り込んで。

「どうした、オティア?」

 ディフが声をかけると、心配そうな声でひとこと。

「オーレが……」
「あ、そう言えばエビがあるのに出てこなかったな。包み紙のカサカサにも無反応だったし」
「猫、その手の音大好きですものね……どこに行っちゃったのかな」
「部屋に戻ってないか?」
「見てくる」

 後片付けもそこそこに、総出で子猫探し開始。
 食堂、キッチン、リビング。主寝室への扉は閉まっていたので除外。ソファの下、テーブルの下、その他家具のすき間。およそ考えられる場所をのぞきこんだがいずれも空振り。

「いないなぁ……」

 自分たちの部屋を見に行った双子が戻ってきた。

「こっちにもいなかった」
「よし、オティア、お前呼んでみろ」

 ディフに言われて、オティアは迷った。何て呼ぼう。あの子猫はずっとモニークと呼ばれていた。この家に来てからオーレになったけれど……。
 レオンの目の前でディフの昔のガールフレンドの名前なんか呼んでもいいんだろうか?

(彼のことだ、きっと覚えてる)

「大丈夫だよ。あの子は君の声に応えてくれるから」

 サリーの言葉にうなずき、ためらいながらも呼びかけた。

「……………オーレ?」

 しばしの沈黙。
 か細い声で「にぅー」と返事がかえってきた。

「キッチンだ!」

 一斉に移動する。

「でも、ここ一通り調べたはずなんだけどなあ」
「冷蔵庫の裏は見たかい?」
「あ」

 まさか、こんな所に入れるはずがないなんて。そんな固定観念は通じない。相手が冒険好きな子猫の時は、なおさらに。
 ディフとアレックスとレオンとヒウェル。四人掛かりで冷蔵庫を動かし、裏にうずくまっていた真っ白な子猫を無事、回収した。

「まったく度胸のあるおちびさんだ」
「みゃ……」

 オーレはよじよじとオティアの肩によじ上り、たしっと前足を頭の上に乗せた。

「にゃーっ!」
「……得意げだな」
「ああ、得意げだね」
「重い」
「お前、女の子にその一言は禁句だよ?」

 やれやれ、困ったもんだ。
 オティアは小さくため息をついた。だけどまた隅っこに潜られるよりは、そこにいてくれた方がいい。
 子猫を頭の上に乗せたまま、オティアは食べ終わった皿をキッチンに運んだ。オーレは器用にバランスを取り、ちょこんと頭の上で安定している。
 まるでずっと前からそこに居たみたいに。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「OK、確認するぞ」

 ヒウェルは眼鏡の位置を整えると、手にしたメモ用紙をおもむろに読み上げた。

「爪研ぎ、猫用の飯皿と水入れ、猫トイレ、キャリーバッグ、散歩用リード、猫じゃらし、ブラシ、ドライフードと猫カン、トイレ用の砂。当座はこんな所でいいか?」
「ああ。後は店に行って思いついたらそこで追加して行こう」
「OK、臨機応変だな。それじゃ、行きますか」

 これから、オーレのための猫用品の買い出しにホームセンターに出かけるのである。
 少し郊外まで車で出れば、夜遅くまで開いている店がけっこうあるのだ。

「すまんな、サリー、お客さんに留守番お願いしちまって」
「いえ、いえ。オーレ可愛いし」
「行って来るよ」
「行ってらっしゃいませ」

 買い物に出かける主人一家を見送りながら、アレックスは顔をほころばせた。

(この家で、よもや誕生日のお祝いを……それもサプライズパーティを開く日が来ようとは)
(オティア様とシエン様、お二人が来てからの一年は驚きの連続だ)

「それでは、私はキッチンにおりますので、何かありましたらいつでもお呼びください」
「はい、ありがとうございます」
 
 アレックスが行ってしまうと、サリーはリビングでオーレと『二人っきり』になった。
 ここぞとばかりにオーレはサリーの膝によじのぼり、ピンクの口をかぱっと開けてしゃべり始めた。
 静かなエドワーズ古書店からいきなり人の多い家にやってきて、ほんの少し緊張していたのだ。

 あたしは今日からオーレなのね。およめいりしたからなまえがかわるのね!

「うんうん」

 おうじさまといっしょにくらせるのね……

「あんまりいたずらしちゃだめだよ?」

 サリーは得意げな子猫の背中をなでた。白い毛皮がつやつやと指の間をすり抜ける。なめらかで、温かい。オーレはうっとりと目を細めて喉を鳴らし、ぴんと立てた尻尾を小さく震わせた。

 あたしいいこになる。だって今日からおひめさまだもの。

「うん。良かった。……ホントに。エドワーズさんは寂しいだろうけど」

 ……えどわーずさん……まま………。

 くたん、と尻尾がたれる。今まで王子様に会えた嬉しさでわすれかけていたホームシックがしくしくと、ちっちゃな胸の奥を噛み始める。

「また会えるよ。ずっと会えないわけじゃい……」

 うん……

 兄弟たちがもらわれていっても、ママが一緒だった。魚屋さんでも優しくしてもらった。可愛がってもらった。いっぱいなでてもらったけれど、王子様に会いたくて逃げ出した。

 何となくわかっていた。バスケットにゆられて、車に乗って、運ばれて。
 このお家はエドワーズさんの家からはすごく遠い。魚屋さんより、ずっと遠いのだと。
 急に寂しくなってくる。
 オーレは前足でふにふにとサリーの上着をもみしだき、もふっと顔をつっこんだ。

「大丈夫だよ、王子様がいるんだろ?」

 うん。おうじさま、だいすき!

 王子様。その一言でモニは……いや、オーレは元気百倍。四つ足を踏ん張って仁王立ち。くいっと胸を張った。

 わるものがきたら、あたしが退治するの!

「はは、よろしくお願いします」
「にゃ!」

 サリーはちょっと考えてから、ポケットから小さな鈴を取り出した。携帯のストラップに着けているのと同じ、赤い組紐の先に下がった金色の鈴。
 昔から言う。猫は人に見えないモノを見ると……。

「じゃあ、これ、あげるね。お守り……無くさないでね?」

 きれい、きれい! ぴかぴかしてきれい! サリー先生、ありがとー。

「しっかりね」
「みう!」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 やがて、大荷物を抱えた買い出し部隊が帰還すると、オーレはとくいげに出迎えた。
 ずいっと胸をそらせて、尻尾を高々と掲げて。

「みう!」

 オティアが抱き上げると、ちりーんと澄んだ音がした。あれ、と首をかしげる。
 青い首輪には金色の鈴が光っていた。横合いからヒウェルがひょいとのぞきこむ。

「お、鈴つけたのか、オーレ。よかったなー、これでどこに潜り込んでも大丈夫だぞー」
「これ……日本の鈴だな。サリー、ありがとな」

 にこにこしながらサリーがうなずく。

「実家で売ってるんですよ」
「へー、アクセサリーでも売ってるのか?」
「……神社だ」
「あー、はいはい、ジンジャね、ジンジャ!」
「本当は売ってるって言っちゃいけないんだけどね。お守りだから」
「オマモリ?」
「日本の伝統的なタリスマンだ」
「ふうん……きれいだね」

 穏やかに言葉を交わしながら双子の部屋へと向かう五人を見送りつつ、レオンは一人居間に残った。
 双子の手首には真新しい銀色の腕時計が巻かれていた。居間のテーブルには、猫用品と一緒に購入してきたフードプロセッサーの箱が乗っている。
 
「……ん?」

 手の甲にわずかな違和感を感じた。念のため、洗ってきた方がよさそうだ。


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【4-4-10】★まま、反省する

2008/09/29 23:51 四話十海
「ただ今!」
「お帰り」

 サリーをアパートに送たディフは家に戻り、いつものように出迎えたレオンと抱擁を交わし、お帰りのキスを受けた。
 
 日常茶飯事、いつもの習慣。だが、わずかな。ほんのわずかな違和感を覚えた。
 
 首をかしげながらも抱擁を解き、じっとレオンを観察する。
 部屋着からのぞく滑らかな腕に異変が起きていた。温室の薔薇の花びらのように傷一つない肌が、あろうことか赤く腫れ、ぽつぽつと発疹ができている!

「あ……あ……レオン、それっ」

 途端に頭の中で赤、白、青の三色のランプがくるくる回転し、血管の中の血は一気に沸点へ。噴き上がった思考がぐるぐる渦を巻く。

 大変だ、大変だ、大変だ!
 何が原因だ?
 いったい、どうして?

「病院、いや、救急車呼ぶかっ」
「平気だよ。原因はわかってる」
「あ…………」

 その瞬間、一つの単語が鮮やかに脳裏に浮かびあがった。

 Allergy

「あ……オーレ……か?」
「毛に触ったんだろう。ほおっておいてもすぐになおるよ」
「でも………う………ごめ………………ん……………薬……つけたほうが」

 そうだったのか。だから、犬や猫が苦手だったんだ。
 それなのに、俺は……無理言って………猫を飼わせてしまった。

 胸が一杯になる。もう、謝罪の言葉さえ出てこない。

「アレルギー用の薬はあったかな」
「アレックスに聞いてくるっ」

 慌てて部屋を飛び出し、ばたばたと廊下を駆け出した。

「アレックス!」

 血相を変えて駆け込んできた奥様から事情を聞くと、忠実なる執事は慌てず騒がず速やかに軟膏を取り出した。

「こちらをどうぞ」
「ありがとう……感謝するっ」
「ここではほとんど見ませんのでお話していませんでしたが、レオンさまは小動物のアレルギーを持っておられます。対象は、鼠やハムスター等の齧歯類、一部の猫、一部の犬などですね」
「そうだったのか……………」
「特定の種類だけなのであまり問題ありません。特に犬と猫については軽度です」
「だから俺が警察犬とじゃれてるとあまりいい顔しなかったんだな」

 ぴくっとアレックスは片眉を動かした。

(いいえ、マクラウドさま。それだけではないと思いますよ)

 思っても口には出さない。それが執事たるものの勤め。

「今回発疹が出たのも、おそらく慣れると出なくなると思います。ただ、寝室には猫はいれないようにしてください」
「わかった。気をつける」
「それと猫の爪と牙には細菌がいますから、傷をつくらないように」
「絶対、触らせないようにする」

 ディフはがっくりと肩を落し、軟膏のチューブを両手で包み込み、胸に押し当てた。まるでロザリオのように。

「自分が平気なもんだからそっちに頭が回らなかった……」
「皆様アレルギーはお持ちでないようで、何よりです」
「あ……レオン、食べ物は平気なのかっ?」
「ええ、そちらは特に」
「そうか………よかった……」
「軽度ですから、噛みつかれたりしない限りは大丈夫ですよ。ご安心ください」
「うん………ありがとな、アレックス」
「おそれ入ります」

 家に戻るとディフはまず、自分の衣服に念入りにブラシをかけ、コロコロを走らせた。

「レオン、ちょっと来い」
「何だい?」
「じっとしてろ」

 口を一文字に引き結び、真剣な表情でレオンの服にも同じ様にコロコロをかける。目を皿のように見開いて、白いふかふかの毛の一本も見逃すまいと。さらにリビング、キッチン、食堂と、オーレの歩いた場所にことごとく掃除機をかけ、仕上げにコロコロを走らせる。

「そこまで神経質にならなくてもいいんだが」
「念のためだ」

 掃除が終わると手を洗い、念のため服を着替えてから軟膏を塗った。
 薬が塗り広げられると、発疹はますます赤みを増して浮び上がるように見えた。

(ごめん。レオン、ごめん………)

 ディフは両手でレオンの手を包み込むようにして握り、目を閉じてぴったりと寄り添っていた。まるで祈りを捧げるような仕草で。

「大丈夫だよ、ディフ。すぐに収まるから」

 ぐいっとディフは愛する人を抱きしめて、背中を撫でた。髪を撫でた。頭を撫でた。
 何も言わずに、ただずっと。

 レオンは思った。

 こんな風に君がつきっきりになってくれるなら、アレルギーも悪くないな。

 そっと広い背中に手を回し、なであげて。ゆるやかに波打つ赤い髪に指をからめる。

 さて。
 朝までは君を独り占めだ………。

「レオン?」

 手のひらで頬を包み込み、顔を寄せる。
 それが単なるおやすみのキスなんかで終わらない事は、二人ともよくわかっていた。

(双子の誕生日当日編/了)

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サワディーカ!おかわり

2008/09/30 0:02 短編十海
  • 拍手御礼用短編の再録。
  • 【4-3】hardluck-drinkerの中で、木曜日のランチタイムに起きたある出来事です。
 
 探偵事務所に立ち寄ろうとしたら、鍵がかかっていた。
 しかもご丁寧なことに「本日休業」なんて札まで出てやがる。変だな、今日休むなんて話は聞いてないぞ?

 首をかしげながら上の法律事務所に顔を出すと、アレックスがうやうやしく出迎え、教えてくれた。

「マクラドさまは、オティアさま、シエンさまとご自宅におられます」
「あー……そう」

 何だってそんなことになったのか。いささか気がかりだが、ままと一緒なら心配あるまい。アレックスが知ってるってことはレオンも承知の上なのだから。
 さしあたって俺はあまった時間をどうするべきか。

 ちょいと早いが、飯でも食いに行くか?
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 中華街をぶらついて、あっちで立ち話、こっちで店をのぞいたりしてるうちにそれなりに時間が過ぎて行く。
 まったくもってこの雑多な町は時間をつぶしたいときには最適の場所だ。知り合いも多いしな。

 そろそろ昼飯にちょうどいい時間になってきたので馴染みのタイ料理の店にふらりと入ってみた。

「サワディーカ! メイリールさん」
「やあ、タリサ。今日も美人さんだね」
「もう! お世辞言っても何も出ないよ? でも、ありがとね」

 ぱちっとアーモンド型の切れ長の瞳でウィンクされる。まんざら悪い気はしない。
 景気のよろしくない気分でいたのが、彼女のライムみたいな笑顔でちょいと回復したし。

「相席でいい?」
「いいよ……あ」
 
 くるりと小さな店の中を見回し、見覚えのある顔を見つけた。黒髪、短髪、小柄な東洋系。
 眼鏡をかけたほわんとした顔は、基本的な造作こそ我が生涯の天敵たる女性によく似ているが、まとう空気はまるきり別物。

「よう、サリー」
「こんにちは、メイリールさん」
「ここ、座ってもいいかな」
「どうぞ」

 青いギンガムチェックのビニールクロスを敷いた四角いテーブル。サリーの向かい側に座ると、どんっと大きなガラスコップに入った冷たいお茶が出てきた。

「ご注文は?」
「んー、トムヤンクンと ケーン・キョウワン・ガイ(鶏肉のグリーンカレー)、デザートにマンゴプリンもらおうかな」
「はいはい。トムヤンクンとケーン・キョウワン・ガイにマンゴプリンね」

 タリサは手際よくメモをとると厨房に向かってはきはきした声でオーダーを告げた。ほどなく奥から彼女の父親が低い声で返事を返す。

「辛いスープにカレーですか?」
「うん、俺、辛いの大好き」

 サリーの前に並んでいるのはパッタイだった。気に入ったらしい。

 スープもカレーも、飯時は大量に鍋に作り置きしておくのだろう。すぐに出てきた。淡いグリーンのカレーペーストの中にごろごろと転がるぶつ切りの野菜を口に運ぶ。
 茄子が美味い。
 調子づいてもう一口。

「うぇ」
「どうしました?」
「このオレンジの……てっきりニンジンかと思ったらピーマンだった」
「あー、ほんとだ。苦手ですか、ピーマン」
「うん、実は」

 恐ろしい事に今日のカレーは(入れられてる野菜は毎日微妙に中味が違うのだが)具材の8割がピーマンだった。
 タリサ、俺に何か恨みでもあるのかっ?
 幸い、強烈に辛いルーに紛れてピーマン本来の味がほとんどわからないのでどうにか食えるからいいものの……。

「……わあ」
「どうした、サリー」
「ほとんどお茶、飲みませんね」
「ああ、辛いの好きだからな」

 汗だくになりながら激辛のカレーとスープを平らげ、黄色いねっとりした甘いデザートをつつく段になってやっと落ち着いてきた。

「メイリールさん」
「何だ?」
「ひょっとして、何か悩み事あるんじゃないですか?」
「………何で、そんなことを」
「辛いのがつがつ食べて、すっきりしたかったんでしょう?」
「っ」

 思わず手が止まった。
 そろりと視線を向かいの席に向ける。
 にこにこと笑っていた。ちょこんと首をかしげて。

「………オティアのことなんだ」
「ええ」
「ここんとこ、元気がないだろ? ディフもふさぎ込んでるみたいだったし……だけど俺が家庭の問題に首突っ込む訳にも行かなくて……」

 第一、俺自身がオティアの最大のストレスの原因なのだ。
 ここで鼻つっこんだら余計に悪化させちまう。

「もどかしくって……さ」

 ぐっとレモンの香りのする冷たい茶を飲み、大きく息を吐く。食ったばかりの異国のスパイスの香りが喉を駆けのぼる。

「君がうらやましいよ」
「俺が?」
「ああ。君が会いに来ると、オティアが柔らかくなる……」

 軽く唇を歯で押さえる。

「どうすればいいんだろうな。あの子の心を、ちょっとでも軽くしてやりたい。だけどいつもハズレばかりを引いちまう。癒したいと願いながら、いつもあの子を追い詰める……俺自身の手で」

 話す間にどんどん声のトーンが下がって行く。やばいな、俺、もしかして今すごい情けない顔してるんじゃなかろうか。

「……猫」
「え?」
「ペット、飼ってみたらどうかな」
「アニマルセラピーってやつか?」

 サリーは静かにうなずいた。

「動物をかわいがって、世話をすることはきっとオティアにとっていい方向に働くと思うんです。彼、猫が好きだから」
「あ……ああ、そうだ、確かにそうだ」

 迷子になった白い子猫を抱くオティアを思い出す。今まで見た事がないほど、穏やかな表情をしていた……ぱっと見いつもと同じ顔だが。

「知り合いの家に彼と相性よさそうな子猫がいたんですけどね……モニークって言う名前で」
「もしかして、それ、白くて腹の左側にコーヒーこぼしたみたいなぶち模様のある子猫か?」
「そうです。見たことあるんですか?」

 あー、そうか、あん時の子猫の脱走現場ってカリフォルニア大学付属の動物病院の駐車場だったもんな。サリーの患畜って可能性もあったわけだ。
 かぱっと携帯を開いて、迷子猫捜索用に送ってもらった写真を見せる。

「そう、この子ですよ。エドワーズさんとこのモニーク!」
「そっか……うん、実はこいつが逃げた時、俺もちょっとだけ手伝ったんだよ……確かにオティアに懐いてた」
「エドワーズさんも、もらってくれないかって聞いたそうです。でも……」
「答えはNo、だったんだな?」
「はい」
「あいつ、妙に引いて構えてる所があるからな。強引に連れてくぐらいの方が上手く行くんじゃないか?」

 サリーは目を伏せて、小さくため息をついた。

「モニはもう、もらわれて行っちゃったそうです」
「そうか…タイミング悪ぃなあ…」
「同じ商店街の魚屋さんに」
「ああ、そりゃあいい所に決まったね」
「ええ、エビも食べさせてもらえるでしょうし」
「エビ、好物なんだ」
「はい。消化によくないから、たまにしか食べないように釘刺しておいたんですけどね」
「そうだな、ごちそうはたまに食うから美味いんだ」

 ねっとりした甘いデザートの最後の一さじを飲み込み、仕上げに冷たい茶を流し込む。
 汗で濡れたシャツが少し冷たい。

「子猫……か。真剣に検討してみるか。レオンとディフにも打診してみるよ」
「そうですね、俺も探してみます」

 足元をするりとしなやかな毛皮が通り抜ける。
 かがみこみ、看板猫の背中を撫でた。滅多に俺になつくことなんかないくせに。

 これだから、猫ってやつは。

(サワディーカ!おかわり/了)