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ローゼンベルク家の食卓

【4-4-8】おめでとう

2008/09/29 23:49 四話十海
 パチリと電気のスイッチを切った。

 食堂の灯りが落され、キッチンの方から差し込む光がぼんやりと室内を照らすだけになった。暗さに眼が馴染むにつれ、食卓を囲む人々の表情が見えてくる。
 シエンは目をぱちぱちさせている。オティアはいつも通りのポーカーフェイス。
 ディフは落ち着かず、しきりとキッチンの方角を伺っていたが、肩にはレオンの手が乗せられると彼の方を見て顔をほころばせた。
 サリーはいつものように穏やかな笑みを浮かべている。俺の視線に気づいたのか、こっちを見て小さくうなずいた。

 友だちのつもりでやればいい。言ったはいいものの、内心、ディフと同じ懸念がなかったわけじゃない。
 しかしここでためらったら、100%滑る。
 とまどいは捨てろ。
 行くぞ。

 ポケットから銀の卓上ベルを取り出し、鳴らす。

 リリン、リリン、リーン。

「Alex!」
「はい、ただ今」
 
 鈴の音に応えて忠実な執事が厳かに、トレイに載せた誕生日のケーキを運んできた。タルトの上には、小さな火を灯したキャンドルが2本、ぎっしり乗っかったベリーを潰さぬよう、細心の注意をはらって立てられている。

 ゆらめくオレンジ色の灯火がタルトの中央に掲げられた丸いプレートの上に踊るかっ色の文字を照らし出す。

『誕生日おめでとう オティア&シエン』

「え……………」
「………………」

 息を飲んで見守った。室内の視線が一斉に双子に向けられる。

 シエンの瞳がうるんでいる。ほんの少し。それに気づいた瞬間、今日までのささやかな苦労が全て吹っ飛んだ。
 オティアはいつも通り。
 だが、逃げない。
 怒ってもいない。
 それで充分だ…。

「………えっとこれ……もしかして」

「誕生日……」
「おめでとう」
「おめでとう!」
「おめでとう」
「おめでとうございます」

 オティアは動かない。ただじっと、ケーキの上でゆらめくオレンジの小さな炎を見つめている。
 甘過ぎないか、とか。これ食うのか、なんて……考えてるんだろうか。

(安心しろ、その見るからに甘そうなクッキーのプレートまで食えとかそう言うことはないから!)

 ぱちぱちとまばたきすると、シエンはほんの少しだけうつむいて、前髪で目を隠すようにして……言った。
 
「…………ありがと…………」

 いつもこいつの口にするなめらかな『ありがとう』に比べて、それはとても小さな声で、語尾が掠れていたけれど。それ故にシエンの心の動きが伝わってくるように思えた。

 とにもかくにもその『ありがとう』は、俺たちにとって祝福の鐘。今回のサプライズ・パーティが曲がりなりにもオティアとシエンに受け入れられた合図だった。

 いっぺんに緊張が解ける。

「お前ら甘いの、苦手だろ? だからできるだけ甘さは控えたんだ。クリームもほんのちょっとしか使ってない。果物の味をそのまま活かしてる」
「もしかして、これ、ディフが作ったの?」
「ん……まあ、な。アレックスに教わった」
 
 ほっとオティアが小さく安堵の息をつく。うん、そうだね、アレックスのレシピなら安心して食えるよな。

「小さめのにしたら、ロウソクが17本ささらなくってさ……一人で、1本ずつ……歌も歌おうかと思ったんだけど」

 緊張から解放された反動か、ディフの奴はいつになく舌がなめらかになってる。珍しいこともあるもんだ、普段なら解説するのはもっぱら俺の役割だってのに口挟む暇もねえ。
 お株を奪われるのもシャクなので、するりと後に続けてやった。

「練習の時点で君らの健康と世界の平和のため、封印しようと言う結論に達した」
「練習って、もしかして、キッチンでやってた?」
「ああ」

 オティアとシエンは何やら納得したようにうなずいている。どうやら、そこはかとなく聞こえちゃっていたらしい……あの異次元からの歌声が。
 当の『異次元の歌い手』は、はにかむようなほほ笑みを浮かべて、そっとシエンの肩に手を乗せ、のぞきこんだ。

「ロウソク、自分で消すか?」
「……うん」

 アレックスがうやうやしくタルトをテーブルに置いた。相変わらず沈黙を保つオティアをシエンが引っ張って、タルトの前に並んで立つ。
 二人で一緒に、ふーっと吹く。互いに声をかけることもなく。視線すら交わすこともなく、ぴったり同じタイミングで。
 二つのキャンドルはゆらりとゆれて、消えた。

「おー消えた」
「おめっとー」
「おめでとう!」

 俺と、ディフとレオンとサクヤ、そしてアレックス。いい年こいた大人五人、ぱちぱちと手を叩く。
 ぱちりと電気を着けた。
 いざ部屋が明るくなってみると、腹の底がむずがゆい。やたらめったら照れくさい。

「やー、俺いっぺんやってみたかったんだ、こーゆーベタなサプライズパーティ」

 ごまかすためにあえてはしゃいでみる。

「紙のとんがり帽子と金銀モールの飾り付けもやろうかって言ったらディフに全力で却下された」
「お前の分だけ準備しといたぞ、帽子。被るか?」

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「わーうれしいな………全力で遠慮しとく!」

 穏やかな『姫』のお言葉が、そこはかとなく混沌としかけた一座を締める。

「誕生日の贈り物もあるよ」

 レオンの一声で本来の目的を思いだし、いそいそと準備したプレゼントを取り出した。
 
「これは、俺からだ」
「はい、これプレゼント。こっちの青いのはオティアに……こっちのクリーム色のはシエンにね」
「んでもってこれは俺から」

 秘かに呼吸を整えて、精一杯さりげない風を装いつつ手渡した。シエンにはジャパンタウンで見つけた『がま口』。オティアには青い目覚まし時計。さすがにラッピングにまでは手が回らなかったが、むき出しと言うのもアレなので。手持ちの袋で一番、きれいなやつに入れてきた。
 袋の口はきゅとまとめて引き結び、青いリボンで留めた。

「ありがとう……」

 最後にレオンが、金色の紐で飾られた細長い箱を二つ。
 まずったな。
 包み紙といい、ラッピングに使われてる紐といい、明らかにさっき俺が渡したのとは格が違う。
 だいたい基準からしてあいつと俺とは別世界なんだからしかたがない。
 受けとった双子の方も、ちょっとおろおろしてる。
 そりゃそうだ、見るからに高そうだし。対照的にレオンの方は平静そのもの、てんで涼しい顔してやがる。

 積み上げられたプレゼントを目の前に、シエンの目に浮かぶ涙の粒はますますふくれあがり、とうとう、ぽろりとこぼれた。

「こんなふうにお祝い……してもらったの、はじめてだし……ありがと……」

 すかさずディフがさし出したタオルを受け取り、くしくしと目元をぬぐった。

「いや……うん……その言葉聞けて……思い切って、実行してよかったよ」
「なー、だから言ったろ、滑ったらどうしよう、なんて余計な心配すんなって!」

 オティアのほうはあいかわらずポーカーフェイス持続中。だが、心無しか、どういう顔していいかわからず、戸惑っているようにも見えた。

「開けてみろよ。こーゆーのは、みんなで見てる前で開けるのがお約束ってもんだぜ?」
「うん……」

 シエンはしばらくの間、首をかしげていたが、やがてクリーム色の包みを手にとった。サリーからの贈物だ。リボンをほどき、袋状になった包みを開く。

「本……これ、ハーブの図鑑?」

 目がまんまるになった。もしかして、お前、すごくびっくりしてる?

「すごく綺麗……」

 うっとりしながらページをめくっている。ああ……『Brother Cadfael's Herb Garden』か。確かに、レオンやディフの蔵書にゃ無いよな、ああ言う本は。
 図鑑は実用一点張り。加えてこの二人、およそミステリーと名のつく物を読ませると初っ端でリタイアする。
 いわく『何だってプライベートタイムでまで仕事の話を読まなきゃいけないんだ』、と。

「……」

 オティアが横からのぞきこんでる。後で読むんだろうな、あいつも………きっと、読む。
 しばらく眺めてから、シエンは大事そうにまた袋に入れた。

「あとでゆっくり見るね、ありがとう、サリー」
「気に入ってくれてよかったよ。エドワーズさんが選んでくれたんだ」
「EEEが?」
「うん」

 本、と聞いてオティアもがさごそと自分の分を開けた。さすが、反応早いぜ本の虫。
 開けるやいなや、ページを開いて読み始めた。

「オティア」

 そっと横からシエンに突かれる。

「今読み出すと、止まらなくなるよ?」

 言われてしぶしぶ本を閉じる。うんうん、本は逃げないからね。飯が終わってからゆっくり読みたまえ。
 次に二人は申し合わせた様に俺からのプレゼントを開けた。

「これ……何?」
「コインケースってか、財布だな。しっかりしてるから、小銭増えてもOKだぞ」
「あ、なつかしいな。がま口だね、これ」
「うん、ジャパンタウンの店で買った」
「ちょっと貸して、シエン」
「うん、どうぞ」

 がま口の表面を軽く指で撫でるとサリーは小さく「ああ」と言った。

「西陣織だね、これ……」
「そう言う名前なのか」
「日本の伝統的な織物ですよ。着物の帯なんかにも使われる」
「あー、なるほど、それで、か……うん、納得した」

 何気ない会話を繰り広げながら、ちらちらとオティアの方を伺う。
 青い目覚ましを手にとって、じーっと見つめていた。一言も喋らずに、ただ、じっと。

 わかったんだろうか。
 自分の使っていたのと同じ物だと。
 指先で確かめる様に時計の表面を撫でて、くるりとひっくり返して裏を確認している。それから、壁の時計を見ながら時刻を合わせ始めた。

「……よかったね」

 シエンの言葉に小さくうなずいた。こいつにしては、最大級の喜びの表現。

 ああ、わかってくれたのだ。
 わかってくれたのなら、それでいい。街中歩き回り、坂道を上り下りしてパンパンに腫れ上がったふくらはぎの痛みを一瞬、忘れた。

 ブラボー。
 ハッピーバースディ。
 誕生日、おめでとう。

 顔がゆるむ。
 誰に見られようが知ったことか。もう、止まらねぇ。どのみち、今はこの部屋にいる人間の注意は双子に集中してるんだ。

 ………………。
 ………………………。
 ………………。
 
 ……しばらく記憶が飛でたらしい。
 我に返ると、でれんでれんに蕩け切った視界の片隅でシエンとままがのどかな会話を繰り広げていた。

「わあ、これ……チャイナ?」
「うん、チャイナだ。カンフースーツって言うのか? さすがに外に着てくのは無理だろうからな。部屋着にでも使ってくれ」
「うん……ありがとう」

 生成りとグレイのかかったやわらかな空色。短めの上着は前開きでチャイナボタン留め、襟の内側と袖口には白い布。おそろいで色違いのカンフースーツ。いったいどこから見つけてきたのか。おそらくサイズはぴったりだろう。

 最後に二人はレオンからの贈物を開けた。
 見るからに高額そうなものだっただけに、開けるのにそれなりに心の準備が必要だったらしい。
 中から現れたのはおそろいの腕時計。外枠はシルバーで文字盤はオティアのが光沢のある青、シエンのが白。

「カシオのBaby-Gですね」
「ああ、確か日本のメーカーだったね」
「これ、就職祝いにヨーコさんがもらったんですけど、腕に巻いたら『おもーい』って」
「女性向け、子ども向けだから比較的軽いはずなんだけどね?」
「彼女、意外に華奢なんだな」
「油断するな、女の細腕でもツボに入れば致命傷だぞ」
「ポケットに入れて使ってます」
「懐中時計じゃないんだから……」

「あの………レオン、これ」

 おどおどしながらシエンが問いかける。

「十七歳だからね。そろそろこれぐらいの物を使ってもいいと思うんだ」

 さらりと言いやがった。

「信頼のおけるメーカーのクォーツ時計としては十分、標準的な値段だよ。堂々と使いなさい」
「……はい」

 気負いもなければ嫌みもない。もちろん、自慢する素振りはかけらほども感じられない。彼の基準からしてみりゃ極めてスタンダードなレベルの贈物なのだろう。

 つくづく育ちのいい男だ。のみならず、品格がある。だからこそ『姫』なのだ。
 贈物を開けている間、アレックスがさくさくと手際よくタルトを切り分けてくれていた。
 
 さあ、誕生日のご馳走をいただこう。

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「サリー、この赤いの何なんだ?」
「それは紅ショウガ。ジンジャーのピクルスみたいなものかな、ぴりっとしますよ」
「そうか」
「………わ、ヒウェル、それ真っ赤!」
「入れ過ぎじゃないか?」
「ピリっとしたのが好きなんだよ……」
「お前、なんかものすごいスパイシーなにおいがしてるぞ?」
「あったまったからだろ、大げさに騒ぐな」
「……………」
「レオン、次はどれがいい?」
「そうだな、じゃあ、エビを」
「わかった」
「さっきのホタテも美味しかったな」
「そうか。両方入れてみるか?」
「君に任せるよ」
「パンケーキみたいで面白いね」
「そうだな、具が多いから、焼くのにコツがいるけど」
「日本だとお祭りの時に屋台で売ってるんだよ。麺を入れたり、卵をたっぷり使うレシピもあるね」
「食べごたえありそうだな」
「う"」
「ヒウェル大丈夫?」
「けっこう……効いたぜ………ベニショウガ」
「どうぞ、お水を」
「さんきゅ、アレックス」
「………舌がバカなんじゃね?」
「何だと?」

 切り返してから、あ、と思った。
 こいつ、今、自分から俺に話しかけた?

 改めてオティアの方を見る。
 素知らぬ顔してスープを口に運んでいた。

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