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ローゼンベルク家の食卓

【4-4】双子の誕生日(準備編)

2008/09/23 22:32 四話十海
  • 2006年9月8日から10日にかけてのできごと。
  • 双子の誕生日、準備編。もうすぐ17歳。
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【4-4-0】登場人物紹介

2008/09/23 22:33 四話十海
  • より詳しい人物紹介はこちらをご覧下さい。
【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 フリーの記者。26歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。適度にスレたこずるい小悪党。
 オティアに想いを寄せるが告白段階で激しく自爆。
 最近、夕飯の時にしか出番の無くなってきた本編の主な語り手。
 1980年6月6日生まれ、双子座。

【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だがヒウェルには徐々に心を開きつつあった、が。
 告白の際に著しく心を傷つけられ、今はひたすら『空気』扱い。
 観察力に優れ、また記憶力は驚異的に良い。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。
 ディフの探偵事務所で助手をしている。とても有能。
 1989年9月11日生まれ、乙女座。

【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 また素直そうに見えて巧みに本心を隠してしまう一面も。
 ディフになついている。
 自覚のないままヒウェルに片想いしている。
 その一方で、オティアとのこじれた仲を取り持とうとする複雑な立ち位置に。
 レオンの法律事務所で秘書見習いをしている。
 1989年9月11日生まれ、乙女座。
 
【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフと双子に害為す者に対しては穂高の槍の穂先並みに心が狭い。
 ヒウェルに対してはとことん容赦無い。
 ディフの旦那で双子の『ぱぱ』。
 新婚なのになかなか奥さんを独占できず秘かに拗ね気味。
 1979年12月25日生まれ、山羊座。

【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 頑丈そうな体格だが無自覚に色気をふりまく困った体質(ゲイ相手限定)。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。
 1980年7月27日生まれ、獅子座。

【アレックス/Alex-J-Owen】
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
 有能。万能。
 レオンさまと奥様、双子のためひっそりがんばる。
 誕生日はナイショ。

【結城朔也】
 通称サリー。カリフォルニア大学に留学中の日本人。
 ディフやヒウェルの同級生だったヨーコ(羊子)の従弟。
 サクヤという名が言いづらいためにサリーと呼ばれているが、男性。
 動物病院では水色の白衣を着ている。
 実家は神社。
 1983年3月9日生まれ、魚座。

【エドワード・エヴェン・エドワーズ/Edward-Even-Edwars】
 通称EEE、もしくはエディ。英国生まれ、カリフォルニア育ち。
 濃いめの金髪にライムグリーンの瞳。
 元サンフランシスコ市警察の内勤巡査でディフとレオンの友人。
 現在は父親から受け継いだ古書店の店主。やや引きこもり気味。
 飼い猫のリズは家族であり、よき相談相手。
 サリー先生のことが何かと気になる36歳。

【リズ】
 本名エリザベス。
 真っ白で瞳はブルー、手足と尻尾が薄い茶色のほっそりした美人猫。
 エドワーズ古書店の本を代々ネズミから守ってきた由緒正しい書店猫。
 6匹の子猫たちはめでたく里親に引き取られていった…はずなんですが。
 エドワーズのよき相談相手。


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【4-4-1】何がほしい?

2008/09/23 22:34 四話十海
 エンドウ豆は美味いが、サヤを剥くのが手間だ。
 長さ4インチ(約10cm)、幅半インチ(約1.5cm)ほどのサヤを手にとって、筋に爪を立ててぱりっと割る。新鮮なものならきれいに割れて、中からぽろぽろと緑色の豆が転がり落ちる。手のひらで受けてボウルに放り込み、空になったサヤは広げた新聞紙の上へ。
 必要量が確保できるまで以下、延々とこのくり返し。
 
 5人分だからけっこうな量がある。剥き身のを買えば早いが今日はたまたまサヤつきの方が大量に、しかも安く売っていた。
 オーガニック食品専門のスーパーは、天候や季節によって野菜の入荷にそれなりにバラつきがあるのだ。

 食卓に向かい合って腰かけて、双子とディフはさっきから豆を剥く作業に没頭していた。

「これ、何に使うの?」
「ポタージュスープ」
「裏ごしするの?」
「いや、時間ないからな。茹でてからブレンダーでガーっとやる」
「そっか」

 オティアは昨日から起きあがり、少しずつだが日常生活に戻りつつある。シエンはすっかり元気を取り戻したように見えた。
 表面上は。

 少しでも子どもたちの負担を減らそうと、この所ずっと食卓にはカボチャやニンジン、キャベツ、ジャガイモ、ひき肉、その他もろもろをすりつぶしたり、裏ごししたり。とにかく食べやすい、柔らかな状態に調理した献立が並んでいた。
 もっぱらディフが腕力を駆使して力技で粉砕しているので、お世辞にも『均一になめらかに』とは言いがたいのだが。

「なあ。お前ら、何か今、欲しいもの……ないか?」

 ぱちり、と開いたサヤから緑色の丸い豆をぱらりとボウルに落としながらディフがぽつりと言った。
 オティアとシエンは手を止めて、互いに顔を見合わせる。ちょっとの間を置いてからシエンが答えた。

「フードプロセッサー」
「……そうか」
「ブレンダーより細かくなるし、餃子作る時とかも便利でしょ?」
「そうだな」

 話す傍らでオティアが左手で器用にサヤを割り、ぱらりと豆をボウルに入れていた。

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 食堂に通じるドアが開いてディフが戻ってきた。ドアが閉まるのを確認してからそそくさと歩み寄り、聞いてみる。

「どうだった?」
「フードプロセッサーが欲しいそうだ」
「シエンかい?」
「ああ」
「あの子はどんどん凝った料理に挑戦して行くようだね」
「うん……好きなんだな、作るのが」
「っかーっ、やってらんねぇ」

 なごやかにほほ笑みを交わす『ぱぱ』と『まま』の隣で、思いっきり口をゆがめて大げさに首を横に振ってやった。

「17のバースデープレゼントに家電かよ!」

 そう、誕生日だ。
 来週の月曜日で、双子は17歳になる。

 ※ ※ ※ ※

 昨日の夜。
 オティアとシエンが部屋に戻ってから、大人三人でリビングで軽く一杯ひっかけた。
 オティアの状態も本調子とまではいかないものの最近は安定し、息抜きを兼ねてナイトキャップとしゃれ込んだ訳だ。

「あー、まーたそんなに雑な飲み方をして」
「人の楽しみ方をとやかく言わないでもらいたいね」
「自分より年季の入った酒にはしかるべき敬意を払うべきだと思うんです」

 例によって俺の説教なんざどこ吹く風と、涼しい顔でグラスの中味をストレートで流し込むレオンの隣では、ディフがくいくいとスコッチを飲んでいた。

「せめて割るなり氷入れるなり」
「香りが薄まる、味が鈍る」
「ったくこの飲んべえが」

 ぶつくさ言いながら自分の分だけ慣れた手つきでソーダで割る。
 そんないつもの飲み会の最中、ぽつりとディフが言った。テーブルの上に置かれた新聞に目をやって、ほんの少しうつむいて。

「そろそろだな」
「ああ911?」
「うん……あの子たちの誕生日だ」

 ディフの携帯のアドレス帳には、きっちり俺たちの誕生日から血液型まで入力されている。
 レオンは12月25日。
 俺は6月6日。
 もちろん、オティアとシエンのも。
 子どもたちにいつ生まれたのかと聞いても軽くかわされたらしい。結局、書類上の手続きを仕切ってるレオンから聞いて、それで分ったのだ。
 1989年9月11日に生まれたと。

「もうすぐあいつら、17歳になるんだな。俺らと会ってからは1年になるのか、来月で」

 短いような、長いような1年だった。ひょっとしたら俺の一生のうちで一番、波瀾万丈な1年になるかもしれない。

「ああ。あー、その………えっと……オティアが寝込んでからまだ日も浅いし……アレかなと思うんだけど」

 ディフがそわそわしながら口ごもる。何を言おうとしてるかなんてすぐにわかった。こいつは基本的に隠し事をするには向かない性質なのだ。
 
「サプライズパーティ?」
「うん。せめて17歳の誕生日は祝ってやりたいんだ。ささやかでいいから」
「一年遅れのSweet16……か」

 Sweet16。16歳の誕生日は特別な日。大人の仲間入りを家族や友人みんなで祝う。けれど双子の16の誕生日は「ロクなもんじゃ」なかった。

「いいんじゃないかな?」
「本当にそう思うか、レオン?」

 妙におどおどしていて、自信なさげだ。珍しいな……いつもならレオンに一言肯定されりゃあ即座に笑顔全開で『よし!』とか言うくせに。

「俺らだけ盛り上がって肝心の二人はシーンって可能性も………。いや、無反応ならまだいいんだ。かえって嫌な思いさせたらと思うと」

 ああ。
 何だ、そう言うことか。
 ったく、どうしてくれよう、この『まま』は。
 グラスの中味を一気に流し込み、勢いにまかせてぺしぺしと背中を叩いてやった。
 
「そんなに気負うことないんじゃね? 親って立場でやろうとすっから滑るんだよ。友だちだと思えばいい」
「友だち………か」
「そう、友だち」

 ※ ※ ※ ※

 そんな訳で、9/11の夜にサプライズパーティを開くことに決まった。約一名、お友だちも招待して。
 肝心のプレゼントのリクエストを伺ってこようとしたのだが、第一陣は見事に失敗に終わったのだった。

「17のバースデープレゼントに家電かよ!」
「……まずいかな」
「購入する価値はあると思うが、それとこれとは別問題だろ」
「……そうか」
「よし、こうなったら俺が聞き出してくる」

 レオンがちょこんと首をかしげた。

「君が?」

 任せてください、インタビューは慣れてますから! 自信満々に胸を張って答えようとして、ふと言葉が止まる。

 俺じゃ、だめだ。シエンは遠慮するだろうし、オティアに至っては……。
 横目でちらっとこっちを見て、きっちりスルーされるのがオチだろう。寝込んで以来、幾分、空気扱いは緩和されたような気はするのだが。
 話しかければ返事をしてくれるぐらいに回復はしてきたのだが。
 どうも、面倒くさそうと言うか気だるげと言うか、弾む会話にはほど遠い。

「……すいません、やっぱりお願いします」


 ※ ※ ※ ※


 夕食後。
 俺とヒウェルがキッチンで後片付けをしている間にレオンが双子から『欲しいもの』をさりげなく聞き出すことになった。

 双子は具合の悪くなる時も一緒。だから今回、オティアが寝込んだ際にはシエンも少なからぬダメージを受けていたはずだ。
 加えて不調を悟られまいとするオティアのフォローで身も心すり減らしていた。そのはずなのに、あの子は笑っている。

『もう平気だよー。オティアがまだ具合悪いから、その分、俺が動かないとね』
『そうか? なら、いいけどな……』

 平気なはず、ないじゃないか。気づいてないのか、気づかないふりをして、自分さえも欺いているのか……オティアがそうしていたように。

(まったくそっくりだよ、お前たちは)

 せめて少しでもシエンの負担を減らそうと、ここ数日はもっぱらヒウェルをこき使うことにしている。

「鍋洗い終わったぞ、まま」
「うむ、ご苦労」
「……」
「何だ?」
「いや、最近さあ、お前、リアクション薄いなーって思って」
「そうか?」

 軽くすすいだ皿を食器洗浄機に並べ、洗剤をセットしてフタを閉め、スイッチを入れる。この作業もすっかり慣れっこになったな。
 銀色の表面にちらりとレオンの姿が写る。振り返り、笑みかけた。

「どうだった?」
「シャツがそろそろきついそうだよ」
「わかった、次は1サイズ大きいのを買おう」

 ヒウェルがぐんにゃりと口を曲げて目尻を下げた。

「参考までにお聞きしますが、あいつらに何て言ったんですか、レオン?」
「…………何か必要なものはないか、と」
「あー……そう、そう来る……」

 ヒウェルはおおげさに肩をすくめて首を左右に振った。

「OK、作戦変更だ。リクエストを聞き出すのはあきらめて、各自判断でプレゼントを探そう」
「それがよさそうだね。あの子たちなら実用的な物の方がいいだろう」
「そうだな」
「ケーキはどうする?」
「甘いもの苦手だしな………自分で焼いてみようと思うんだ」
「君が? ケーキも作るのかい?」
「ああ。アレックスに教わって」

 ほんの少し目を伏せてから、レオンはにっこりとほほ笑んでくれた。

「そうか。期待してる」
「うん。がんばる」
「あー、そーだねー、アレックスならあいつらの好み知ってるし……有能だし」

 うなずきながらも、ヒウェルの奴は露骨に口をぐんにゃり曲げて三白眼でこっちをじとーっとねめつけていやがる。

「何だ、その顔は」
「いやあ、とうとうケーキまで焼くようになっちゃったかと思ってさ」
「言ってろ」


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【4-4-2】サリー、本を買う

2008/09/23 22:35 四話十海
 
 9月10日、日曜日。
 ディフは双子の寸法を確認してから、買い物に出かけた。表向きの理由は『1サイズ大きいシャツを買いに』。本来の目的はプレゼントとケーキの材料の調達、故に二人を一緒に連れて行く訳には行かない。
 オティアとシエンはアレックスの付き添いで留守番中、今頃はしばらく滞っていたホームスクーリングの課題をやっているはずだ。

 ショッピングモールの衣料品店でまず大きめのシャツを買い、さて他に補給するものは……と軽く巡回している時にふと、そいつを見つけた。

(ああ、こいつはおあつらえ向きだ)

 手に取って素材を確かめてみる。

 ………綿だった。
 これなら家で洗濯できるな。さらさらしていて、汗も吸う。肌触りもいいし、縫製もしっかりしている。

(これにしよう)

 ミルクをたっぷり入れたコーヒーのような優しい生成りの色と、ほんわりと霞む春先の空のような青色、色違いで二着買い求める。
 目元をわずかに赤く染めながら、精一杯平静を装ってプレゼント用のラッピングを頼んだ。
 
「かしこまりました。リボンで色の違いがわかるようにしておきますね」
「…………ありがとう」

 引き続き食料品店でケーキの材料を入手する。
 品目はアレックスの指導のもと、スポンジケーキではなくタルトに決まった。
 ストロベリーにブルーベリーにラズベリー。果実の自然な味わいと色合いを活かして、クリームは極力控えめに。
 メッセージを書くためのホワイトチョコでコーティングされた薄いプレート状のクッキーと、文字を描くためのチョコペン、バースデー用のキャンドルも忘れずに。

 買い物を終えてから外の通りを歩いていると、向かい側のカフェのテラス席に見覚えのある姿を見つけた。
 黒髪、短髪、東洋系、フレーム大きめの眼鏡をかけたほっそりした姿。

 サリーだ。
 ラッキーだな、電話する手間が省けたぞ。

 しゃん、と背筋を伸ばして立ち居振る舞いに無駄が無く、周囲の人間と動きの質が違う。控えめであるが故に自然と際立って見える……ヨーコもそうだった。
 大またで通りを横切り、近づいて行く。

「OK、だいぶ上達しましたね。この調子で焦らずに続けてくださいね」
「ありがとう。がんばるよ」
「それじゃ、また」
「ああ、また、来週。ヨーコによろしく」
「はい。伝えておきます」

 どうやら連れがいたようだ。入れ違いに席を立った所で、ちらりと後ろ姿だけが見えた。
 ウェーブのかかった黒髪、背の高い男性、白人。ダークグレーに淡い水色の極めて細いストライプの入ったスーツを着ていた。適度な余裕をもって体を包むあのラインはイタリア製だろうか?
 シャツの色は青紫、タイはしていないが水色のネッカチーフを巻いていた。
 教会に入ってもおかしくない程度にきちんとして、それでいて適度にカジュアルな服装。仕立ても布地の質も良さそうだ。
 知り合いだろうか?

「よう、サリー」
「こんにちは、ディフ」
「ちょうどよかった、今電話しようと思ってたんだ」
「俺の方も渡したいものが……」

 顔を合わせるなり、サリーはベルトに下げた小さめのカバンから平べったい袋を取り出した。
 そこはかとなく緑色が多め。表面には白い陶器のカップに入った湯気の立つ液体の写真……どうやらインスタントのスープらしい。

「はい、これ」
「何だ、これ?」
「ワカメのスープです。お湯注げば食べられます」
「……そうか、これがワカメか。ありがとう」

 ありがたく受けとることにした。

「で、何か俺に用ですか?」
「ああ、うん。明日の夜、暇か?」
「明日の夜……ですか? 空いてますけど」
「そうか」

 ほっとして、ディフは本題に入った。

「実は明日、オティアとシエンの誕生日なんだ」
「それはおめでとうございます。いくつになるんですか?」
「17歳だ。それで……夕飯の時、サプライズパーティをやるんだ」

 さあ、ここからが正念場だ。一旦言葉を区切るとディフはこくっと唾をのみこんだ。

「君が来てくれると、嬉しい」
「俺が?」
「ああ。友人として君を招待したい」

 ほんの少しの間、サリーは考えているようだった。が、すぐににっこりとほほ笑んでうなずいてくれた。

「喜んで」

 その一言に、ディフも顔をほころばせる。目を細めて口角を上げ、ちらりと白い歯を見せて。上機嫌の大型犬そっくりの笑顔になる。

「サプライズってことは二人にはナイショなんですよね?」
「うん。ナイショだ」
「わかりました。じゃあプレゼント用意しとかなきゃ……そうだ、夕飯の時、俺も何か作りましょうか?」
「ありがとう。ぜひお願いする。あいつらも喜ぶよ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 ディフを見送ってから、サリーはカフェを出て歩き出した。
 
 誕生日。
 だれかの誕生日をお祝いするのは、楽しい。当人に秘密にすると思うとわくわくする。
 ディフも楽しそうだった……両手に山のように荷物をかかえて。きっとプレゼントや誕生日のごちそうの材料を買ってきたんだろう。
 双子たちにナイショにして。

(そうだ、プレゼント)

 何を贈ろう? オティアもシエンも本の好きな子だから、本がいいかな。ローゼンベルクさんや、ディフが持っていないようなのを。

 ショッピングモールにも何件か大きな書店が入っていた。最新の本が入るのは早いけれど、何となく騒がしくて落ち着かない。
 もっとこじんまりした店の方がいいな、と思った。
 贈る人のことを想いながらとっておきの一冊を探すには、もっと本とじっくり向かい合うことのできる場所の方がいい。

 思い切って普段行かない場所まで足を伸ばしてみた。表通りから少し奥に入ったところに古い商店街がある。
 いつもは横目で見て通りすぎるだけだけれど、ここになら目的にかなったお店があるかもしれない。

 石畳の道の両端に、絵はがきに出てくるような古い造りの建物が並んでいる。両端が細く、中央がぷっくりと膨らんだ柱はヨーロッパの洋館を思わせる。
 肉屋に魚屋、つやつやのリンゴやピーマンがきっちり積み上げられた青果店。
 赤いレンガ造りの花屋の前を通りかかると、大小二匹、そっくりの黒縞の猫がみゃう、と声をかけてきた。

「あれ、バーナードJr? ここにもらわれてたんだ」
「みぅ」
「そうか、お父さんの家に来たんだね……はじめまして、バーナードSr」

 サイズ違いの二匹の頭をなでて挨拶を交わす。リズの子どもたちの父親は無口だが愛想が良く、穏やかな猫だった。

 花屋の猫たちに別れを告げて、またしばらく歩いて行くと、砂岩作りの細長い建物があった。ちらりと見えた看板には『BOOK』と書かれている。
 
(本屋さん?)

 近づいて行くと、窓のところに白い子猫がいた。サリーに気づくなりぱっと青い瞳を輝かせ、高い声で「みうー!」と鳴いた。

「えっ? モニーク?」
「みゃ!」
 
 するり、とモニークの隣にもう一匹やってきた。
 尻尾と手足が薄い茶色の白い猫。
 リズだ。

「え? え? え?」

 改めて看板を見る。

『エドワーズ古書店』

「………そうか、ここがエドワーズさんのお店なんだ………」

 二対の青い瞳が見上げている。サリーは頭をひねって考え込んでしまった。

「モニーク、魚屋さんにもらわれて行ったはずじゃあ」
「みゃー!」

 モニークが誇らしげに鳴き、リズはうつむいてため息をついている。

「リズ。モニーク。誰と話しているんだい?」

 店の奥から背の高い金髪の男性が出てきた。きちんと折り目のついたダークグレイのズボンに同じ色のベスト、白いシャツにアスコットタイを締めて両方の袖をアームバンドで留めている。
 瞳の色はライムグリーン。

「あ……サリー先生」
「こんにちは、エドワーズさん」

 猫がいるんだから飼い主がいて当然。わかっているはずなのに、何となくどきっとしてしまった。

「何故、ここに?」
「本を探しているんです」
「なるほど。でしたら……」

 エドワーズは一度奥に入って行く。2匹の猫も後を追う。
 しばらくしてから、カランコロンと優しいベルの音ともに入り口のドアが開いた。

「どうぞ、お入りください」

 ほほ笑むエドワーズの懐からは、ちょこんとモニークが顔を出している。まるでカンガルーの子どもだ。

「それじゃ、失礼して」

 くすっと笑うと、サリーは店の中へと入った。

「わあ……」

 こじんまりとした店の壁はほとんど背の高い本棚で埋め尽くされている。古びた紙と、糊のにおいがほんのりと空気の中に漂っていた。
 流行りの曲をがんがん流す店内放送も、派手な宣伝ポップも、特売のポスターもない。

 ただ、本がある。
 
(そうだ、こう言うお店を探していたんだ)

「どのような本をお探しですか?」

 まだモニークはエドワーズの懐に入ったままだ。脱走を防ぐために入れられたのだろうけど、すっかり忘れて喉をゴロゴロ鳴らしている。
 どうやらお気に入りのポジションらしい。

「えっと……実は誕生日の贈物を探しているんです」
「そうでしたか。どなたへの贈物ですか?」
「友だちです。まだ十七歳なんですけど……本の好きな子たちで」
「なるほど。どんな本がお好きなんでしょう?」
「そうだな。オティアは、ヨーコさんがお土産でもってきた歴史の本を熱心に読んでたみたいだったなぁ」
「オティア?」

 エドワーズは思った。
 聞き覚えのある名前だ。
 懐のモニークも喉を鳴らすのをやめて、ピンと耳を立てている。

「もしかして、オティア・セーブル……ですか。マックスの所のアシスタントをしている」
「はい。ああ、そうか、モニークが行方不明になったとき探してくれたんでしたよね、彼」
「はい。この子の命の恩人です」
「みゃー!」

 サリー先生は時々、マックスの事務所でペット探しの手伝いをしていると言っていた。それなら、親しいのも当然だろう。
 彼への贈物なら、なおさら心をこめて選ばなければ。歴史の本のコーナーを丹念に確認して行く。背表紙を見て、記憶している本の特徴と照らし合わせながら棚の端から端まで視線を走らせる。
 すぐ隣にサリー先生が立っていると思うと、胸の鼓動がどうしても、若干、早くなる。
 しみじみと幸せを噛みしめながらエドワーズは選りすぐりの一冊を手にとり、ぱらりと開いてうやうやしくサリーに差し出した。

「こちらの本はいかがでしょう? 昔のお城や当時の人々の服装、使っていた道具まで詳しく図解してあります」
「本当だ! ああ、好きそうです、こう言うの……」
 
 眼鏡の向こうのつぶらな瞳が嬉しそうに細められる。モニークがもぞもぞ動いて前足を伸ばした。

「あ、こら、モニーク」
「あは、ページが動くのが面白いのかな?」

 白い前足を握手するように握って、サリー先生はモニークに顔を近づけた。

「だめだよ、イタズラしちゃ」
「にう」

(うわぁ)

 とりもなおさずそれはエドワーズの胸に顔を寄せていることにもなるのだが……当人はまったく気づいていない。
 エドワーズは最大限の努力を振り絞って平静を保った。つややかな黒髪から立ちのぼるほのかに甘い香りから必死に意識を逸らした。
 おそらくはシャンプー、それもハーブ由来の天然香料のものだろう。自然な植物の控えめな芳香は、本来ならとても心安らぐ香りのはずなのだが。

「オティアにはこれにしようっと。シエンには何がいいかな……」

 ……良かった、離れてくれた。でもちょっぴり寂しいような気がした。

(もう少しあの位置に居てくれても……いやいやいや)

 内心の葛藤を紳士の慎ましさの奥底にしまい込み、仕事に集中する。

「シエン……Mr.セーブルの兄弟ですね?」
「はい。双子の」

 やはり双子だったのだ。結婚式のリングボーイの片割れ、並んで立っていた瓜二つの一対のうちの一人。
 Mr.セーブルに比べて物静かな印象の少年だった。

「料理の好きな子なんです」
「なるほど。でしたらレシピ集……いや、それもいささかストレートすぎて面白みがないですね」

 記憶をたどりつつエドワーズは本棚の間を通り抜け、別の一角に移動した。すぐ傍らをとことことサリーがついて行く。

「確か、この辺りに」

 すぽっと幅の広めの大判の本を抜き出した。
 表紙は濃い茶色を基調とした写真。乳鉢や素焼きの壷など、薬草を調合する古い道具が置かれている。
 背後には木の棚に乗せられた白い袋。右上には四角くトリミングされた黄色や白、赤の花。全て薬草だ。
 そして左側には中世風の画風で描かれた『薬草園の世話をする修道士』の絵。

「Brother Cadfael's Herb Garden ?」
「はい。図鑑と言うにはいささか変わり種ですが、充実していますよ。ハーブだけではなく、フルーツやナッツ類の用法から薬効まで書かれています。何より写真が美しい」
「Brother Cadfael………ああ、エリス・ピーターズの」
「ご存知でしたか。ええ、あのミステリー小説に出てくるハーブを紹介した本なんです」
「日本でも翻訳が出ていますよ。でもこれはさすがに売ってなかったなぁ……」
「古い本ですからね。これは……1996年発行だ」
「わあ、もう十年も前なんだ!」

 十年。
 確かその頃はまだ警察官だった。彼女とは離婚したばかりで……。

 十年前は、サリー先生は何歳だったのだろう?
 まだほんの少年だったはずだ。今でさえ私服姿では高校生とまちがえそうなのに、いったいその頃はどんな子だったのか。
 ちょっと想像がつかない。

「きれいだな……見て楽しいし、実用性もある。これなら料理に使うハーブを調べるのに役に立ちそうだ」

 うなずくと、サリーはにっこりと笑った。

「決めました。シエンにはこれにします」
「ありがとうございます。それではお包みしましょう」

 会計を済ませると、エドワーズは薄紙を取り出した。

「どちらの本を、どの紙でお包みしましょうか」
「カドフェル修道士のハーブガーデンは、このクリーム色で。こっちの歴史の本は青いのでお願いします」
「かしこまりました。モニーク、そろそろ降りてもらえるかな?」
「みう」

 不満そうにつぶやく子猫を懐から出すと、エドワーズは手際よく本のラッピングを始めた。

「あの……エドワーズさん」
「何でしょう」
「どうして、モニークはここに?」

 ぴたりと一瞬、手が止まる。

「あ、ごめんなさい、その、確か魚屋さんにもらわれて行ったって聞いてたので」
「ええ……そうなんですが……」

 リズがまた、ため息をついている。
 その隣ではモニークが上機嫌で床にひっくり返り、切り落とされた包み紙の切れはしをちょいちょいと前足でつついている。

「実はモニークは……もらわれて行った先から、脱走してはここに帰ってきてしまうのです」
「みゃ!」
「ああ……」
「何度連れ戻しても、また逃げてくる。酷いときは一日に二回も。近くだからいいのですが、さすがに魚屋の店主夫婦も困り果ててしまいまして」
「にゅう!」
「それで、とうとう戻されてしまったんです」

 きゅっとクリーム色の包み紙の端をテープで留めると、エドワーズは白いリボンをくるりと巻き付けた。

「私も、猫が二匹居ても……いいかな、と思いまして、それで」
「そうだったんですか」

 何故、モニークがそんなに脱走をくり返したのか。理由はわかっている。
 サリーはほんの少し、胸がどきどきしてきた。

 これは、ひょっとしたら……チャンスかもしれない。だけどオティアは一度はNoと言っている。果たして二度目は受け入れてくれるだろうか?

 
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【4-4-3】ヒウェル、猫に会う

2008/09/23 22:36 四話十海
 各自の判断でプレゼントを調達する。
 自分で言い出したのはいいものの、ヒウェルは迷っていた。
 
 実用的なもの。
 これが一番難しい。常日頃他人に何ぞを贈る際にはいつもネタに走っていたものだから、いざ実用性のあるプレゼントを探そうとすると、冗談みたいにぱったりと、アイディアの泉が枯渇してしまったらしい。
 いくら頭をひねっても、さっぱり湧いてこない。

(これは……やばいぞ)

 机の前に座って考えた所で思考は車を回すハムスターよろしく、延々と空回りを続けるばかり。

(どれ、ちょっくらリサーチしてくるか)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「Hey,まま」
「何だ?」
「………ほんとリアクション薄いよな」

 ヒウェルがローゼンベルク家の『本宅』を訪ねてみると、ちょうどディフが買い物から戻ったところだった。

「双子は?」
「ああ、隣だ。アレックスに勉強見てもらってる」
「そっか……じゃあ、好都合だな」

 境目のドアは今は開いている。昼間はいつもこうなのだ。ちらっとそちらを確認してから念のため、小声でこそっと聞いてみる。

「オティアとシエン……最近、何か、こう、生活必需品で不足してそうなもの、ないか」

 ちょっと考えてから付け加える。

「できればシャツ以外で」

 ディフはしばらく拳を握って口元に当てて考えていた。

「オティアが」
「うん」

(やったぜ、いきなり本命だ!)

「目覚まし時計…………壊しちまったんだ」
「目覚まし時計?」
「ああ」

 ちらりとディフの顔に浮かぶ苦い笑みに、妙にがらんとしていた双子の寝室が重なる。
 おそらく、壊したのは時計だけではない。オティア自身も気づかぬうちに『破壊』してしまったのだ。

「1コインショップで見つけて、珍しく自分で選んだ時計だったんだけど……な」
「そいつぁ珍しいね、確かに。で、どんなんだった」
「ん……ちょっと待ってろ」

 ディフは電話台の脇のメモスタンドからひょいとペンを抜き取ると、広告のチラシの裏にさっさっとスケッチを始めた。

「丸形で、アナログ式。文字盤はローマ数字じゃなくて普通の1、2、3……で。上に金属のベルが二つついてた」
「上手いもんだね」
「時計は無意識に形を覚えちまうんだよ。爆弾のタイマーに使われることがあるからな。色は青だ」
「つやつや? それとも、マットがかかってる?」
「つやつや」
「OK。1コインショップで買ったんだな?」
「ああ。いつも行くショッピングモールのな」
「あー、はいはい、あそこね。わかったわかった。で、シエンは?」
「シエンは………買い物の時」
「うん」
「財布が、な……小銭がすぐ溜まって、ぎっしり満杯になって困るって言ってた」
「………そうか」

(小銭がぎっしり。それって、16歳の財布と言うよりは、むしろ主婦の財布じゃねえか?)

「最近は自分で作る料理の食材は自分で選んで買ってるからな。支払いもあの子が自分でやってる」

 納得。
 
 
 ※ ※ ※ ※ 
 
 
 オティアには目覚まし時計。青でクラシカルなベル式。
 シエンには小銭のたっぷり入りそうな丈夫な財布。

 品目は決まった。あとは物を選ぶだけだ。
 オティアの場合は入手先はわかっているし、具体的にどんなものを探せばいいのかも決まっている。
 だが、シエンの『財布』は自由度が高いだけにかえって難しい。
 何を贈ってもあの子はほほ笑んで『ありがとう』と言うのだろうけれど……。

 とりあえず店の前を歩いてみることにした。ふらふらしてるうちに、『何か』いいものに出会えるかもしれない。

 虫のいい考えだが、効果はあった。ジャパンタウンをぶらついている時に(中華街と同じくここもヒウェルのお気に入りのぶらつき場所の一つだった)、ふっと店先に置かれた変わった形のコインケースに目が引き寄せられた。

 本体は布。ころんとふくらんだ丸みのある形で、互い違いになった口金をとじあわせてきっちりと閉める仕組みになっている。
 手にとってカパカパ開け閉めしてみた。

(面白ぇ……カエルの口みたいだ)

 これ、いいな。シエンが喜びそうだ。バイト中にコーヒー買いに行く時なんかも便利だろう。
 かぱっとやって、すぐ中味が出る。
 何より面白い。

 だが、この布製のはちと小さいな。
 もっとしっかりした造りで、大きめのやつを探してみよう。

 ヒウェルは店の中へと足を踏み入れ、店員を呼び止めた。

「表にあったような形のコインケースで、もっとしっかりしたの探してるんだ」
「がま口(Frog-mouth-pouch)をお探しですか?」
「へえ、ほんとにそう言う名前なんだ……」

 にやっと口角が上がる。
 いいね、ますます気に入った。

「しっかりしたもの、でしたらこれなどいかがでしょう?」

 店員がいくつか出してくれた『がま口』の中で、ひときわ目を引く品を手にとってみる。金色の口金をひねり、かぱっと開けた。

「へえ、中は革張りなんだ」
「はい。布だけのものと違ってぺったりしませんから中味の出し入れも楽です」
「ふうん……外側の布もしっかりしてるな。模様も印刷じゃなくて刺繍だし……」

 どっかで見たことがあるなと思ったら、この質感は、あれだ。ヨーコの着てた着物の帯に似てるのだ。
 びっしりほどこされた金色の縫い取りは、ちょっと角度を変えただけで微妙に色合いが変化する。
 よく見かける布に日本っぽい絵柄をプリントしたものとは明らかに格が違っていた。

「これ、ください。贈物なのでラッピングも」
「はい、かしこまりました」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 シエンのプレゼントは無事確保できた。あとはモールの1コインショップでオティアの分を買えばいい。
 上機嫌で件の店を訪れたヒウェルだったが、事態はそう簡単には運ばなかった。

「え……品切れ?」
「はい、当ショップではもう扱っておりません」

 1コインショップの商品は入れ替わりが早い。そしてどんなに売れた商品であれ、品切れになれば再入荷の予定はない。
 機能と役割が同じで、デザインの違う新商品が後がまに並ぶ。
 まさに一期一会、あるいは一発勝負。

(こいつぁ予想外だ、困ったぞ。まさか、こっちでつまづくなんて!)

 わずかな望みをかけて他のショップを見回ってみたが収穫無し。冷静に考えてみれば、こう言う人の出入りの多い場所ではそれだけ商品の入れ替わりも早いのだ。
 作戦変更。少し奥まった所まで足を伸ばしてみよう。

 ユニオン・スクエアの表通りからちょいと横手に入った所にある古い商店街。石畳の道に古風な建物、昔ながらの店が並ぶなかなかに写真映えのする一角。
 こじんまりした雑貨屋、オーソドックスに時計屋、ボタン電池からフットバス、大型電動工具に至るまで幅広い品ぞろえを誇る電気屋。
 探索してみたがいずれも空振りだった。

 ため息一つ。

 いかんな。もう、ちょっと似てるデザインの別の奴でもいいかって気になってる……。
 オティアがあの時計のどこをそんなに気に入ったのか、ヒウェルは知る由もない。青系が好きらしいから色かな、とも思うのだが生憎とモノクロのスケッチでは元の時計の色はわからない。
 わからない以上、似た物での代用は効かない。オティアが選んだものと、そっくり同じものを贈らなければ意味はないのだ。

(ちょっくら気分転換してくか)
 
 馴染みの古本屋に立寄り、リフレッシュを試みることにした。
 着いてすぐに砂岩作りの三階建ての店の前のワゴンに並ぶセール本をチェックする。
 大抵の古書店ではこの種の安売り品は無造作につっこんであるものなのだが、この店の本は大きさごとに分けられ、ひと目で背表紙が読めるようになっていた。

「お」

 好みの雑誌発見。ネットオークションで買えば冗談だろうと言うくらいに値の跳ね上がる代物だが、比較的良心的な価格が表示されている。
 数冊選び出し、会計をしようと店の中に入った。

 カランコローン……

 ドアベルの奏でるやや低めの音階に、金髪の店主が顔をあげた。

(ん?)

 その刹那、店主のライムグリーンの瞳が鋭い光を宿し、『きっ』とにらみつけてきたような気がした。

「……いらっしゃいませ」
 
 一瞬のことだった。もう、いつもの穏やかな顔にもどってる。

(びっくりした……あの人でもああ言う目つき、する時があるんだな)

 妙なことに感心しつつカウンターに歩み寄り、手にした雑誌をさし出した。

「これ、お願いします」

 すると、にゅっと床から立ち上がった奴が約一名。どうやら先客がいたらしい。ひゅん、と長い薄茶色の尻尾がしなるのが見えた。猫の相手でもしていたのだろうか。

「あれ? メイリールさん」
「え……サリー?」

 レジを打ちかけた店主の手がふと止まる。
 微妙な間の後、静かな声が問いかけてきた。

「……………………………………お知り合い、ですか?」

 微妙に声のトーンが低い。しかも、そこはかとなくトゲが生えてるような。

 おいおい、俺、この人に何かしたか?
 まじまじと、改めて店主の顔を見つめ、記憶を漁る。
 基本的にヒウェルは自分がはめた相手の顔は忘れない主義だった。いつ、どこで出くわさないとも限らない。
 相手の存在にいち早く気づき、自分を覚えているかどうか、適度な距離を保ちつつ観察できるように。
 いざと言う時は恨みをこめた一撃を食らう前にとっとと逃げ出せるように。

(あ)

 ファインダー越しの記憶と目の前の顔が一致した。

「そー言えばレオンとディフの結婚式の時にいましたね……SFPD(サンフランシスコ市警察)の方々と一緒に」
「ええ、3年前まで勤めてましたから」

 ディフの元同僚だったのか……。元警察官なら、あの鋭い眼光も納得が行く。

「あなたは確か……ああ、結婚式でカメラマンをしていらっしゃいましたね」
「ディフの友人で、高校の同級生だそうですよ」
「では、Missヨーコとも?」
「ええ、まあ……」

 あいまいな笑みを浮かべつつ語尾を濁す。あいにく、とか不幸にして、とか、当人の従弟を目の前にうっかり本音を言えるはずがない。

「あれ、でも初対面なんですね。警察署内なんかで会ったことなかったんだ」
「私は事務の担当でしたから……」
「ああ、それじゃあんまり顔合わせてないな。その頃なら俺、馴染みがあるのはもっぱら広報担当だったから」

 3年前と言えばヒウェルはまだ、かろうじて堅気の記者だった。
 あちらこちらに鼻を突っ込み、事務担当にまで世話になるようになったのは店主が警察を辞めた後のことになる。

「あ……そうだ。メイリールさん。いいところに」

 サリーは本棚のすき間に向かって呼びかけた。

「モニーク、モニーク。おいで」
「みゃ!」

 真っ白な毛皮、青い瞳、そして胴体の左側に、カフェオーレをこぼしたような、ちょっといびつな丸いぶち。
 子猫は日一日と成長する。若干サイズは変わっていたが、確かにそれはオティアが探し出したあの行方不明のちび猫さんだった。

「………………………魚屋さんにもらわれていったはずじゃあ」
「ええ、そうなんですが……実は」

 ため息をつくと、古書店の主人は低い声でモニークが出戻ったいきさつを教えてくれた。

「お前……どんだけ脱走すれば気がすむんだ」
「み」

 子猫は耳を伏せてぷい、とそっぽを向いてしまった。

「どうでしょう、メイリールさん。この子ならきっと大丈夫だと思うんだけれど」
「そうだな……彼女、オティアに懐いていたし………オティアもこの子を気にしてた」
「Mr.セーブルですか? ええ、彼ならこの子のよい飼い主になってくれるでしょう。そう思ってお願いしてみたのですが……」
「NOって言ったんだろ、あいつ?」

 サリーがうつむき、子猫をなでた。

「難しいですかね………」
「いや、ここは一つ強硬手段に出てみよう」
「強硬手段?」
「ああ。強引に連れてく。だいたいオティアは遠慮しすぎなんだ。それに、里子先から戻されたって聞けば……決してこの子を追い返したりしない」

 ひと息に言い切ってから、ヒウェルは深く息を吸い込み、また吐き出した。
 妙に顔がかっかと火照っている。

(ああ、俺は今、何をやらかそうとしているんだろう?)

「ディフとレオンには俺から根回ししとくから……」
「その……Mr.メイリール、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

 控えめに店主が問いかけてくる。

「マックスはわかります、彼の雇い主ですから。ですが、何故レオンまで?」
「ああ、オティアには身寄りが無くてね。あの二人が面倒見てるんですよ、双子の兄弟と一緒に」
「なるほど。レオンのことは私もよく知っています。彼は確か……動物があまり………」

 店主は口をつぐむ。ヒウェルも黙ってライムグリーンの瞳を見返した。サリーはモニークを抱きかかえたまま、心配そうに二人を交互に見ている。

「大丈夫だって! ……………………………………………タブン」
「だと、いいのですが」

 エドワーズは秘かに思い出していた。署の廊下で警察犬とすれ違った時、レオンはほんの僅かな間だが凍えるような瞳で犬を……睨んだ。
 黒のロングコートのシェパード、仕事以外の時はフレンドリー極まりないヒューイ。マックスが可愛がっていた。
 ヒューイはさほど気にする風でもなかったが、もし、あれと同じ目でモニークを睨まれたらと思うと背筋が寒くなる。

「オティアが住んでるのは、正確にはあの二人の隣の部屋なんだ。ドア一枚で繋がってるけど、レオンやディフといつも一緒って訳じゃない」

 ああ、それならばモニークがレオンハルト・ローゼンベルクに睨まれる可能性は少しは低くなる。

「それに、モニークを抱いてたときのオティア、今まで見たことないほど穏やかな顔してたんだ……一緒にいると、きっと、喜ぶ」
「そっか……良かったね、モニーク」

 サリー先生に頭をなでられ、かぱっと小さな口を開けてモニークが鳴いた。

「にう!」

 その時、エドワーズは気がついた。可愛がってくれる、しかも大好物のエビを食べさせてくれる魚屋夫婦の所から、何故、頻繁にモニークが脱走していたのか。
 彼女には彼女なりの目的があったのだ。

「お前もMr.セーブルの所に行きたいのかい?」
「みう〜」
「彼の所でなければ、嫌なんだね?」
「みゃ!」
「…………そうか」

 エドワーズは心を決めた。

「お願いします」
「俺からもディフに連絡してみます」

 ようやく、エドワーズの顔にほほ笑みが戻ってきた。
 大丈夫だ。サリー先生も協力してくれるのなら、安心できる。


 そしてヒウェルは携帯を取り出し、電話をかけた。


「あ、もしもし、レオン。猫飼っていいですか?」
 
 憮然とした声が即座に答える。

「却下」

 この口調の素っ気なさ、この声のトーンの低さ。察するに受けた場所は書斎、近くにディフはいないらしい。

「いや俺じゃなくてオティアですよ! アニマルセラピーってやつです……」

 沈黙が答える。
 ああ、渋い顔をしているのが目に浮かぶようだが、ここで退く訳には行かない。いざ突進、アタックするのみ。

「エドワーズさんご存知でしょ? 元SFPDの内勤巡査の。飼いたいってのは、彼の家の子猫で……行方不明になった時にオティアが探し出した子猫なんです。あいつにも懐いてるし」
「ヒウェル。はっきり言うけれどね」
「あー……動物、お好きじゃないのはわかってます、でも、レオン」
「俺を説得したいならやり方をかえるんだね。それじゃ」

 ぷっつりと電話が切られた。

「ちっ、姫は手強いなぁ……」
「姫?」
「あ、いや、こっちのことで」
「レオンの返事もNO、だったんですね?」

 苦虫を噛み潰すような心境でうなずくしかなかった。

「やっぱりディフから言ってもらわないと駄目なのかな」
「ああ、しかし子猫の素性とオティアとのなれ初めは伝えた……無駄ではなかったと思いたい」
 

 うなずくと、サリーは自分の携帯を取りだした。


「サリー! どうした?」

 朗らかな声が答える。ほっとして話を続けた。

「ちょっと相談があるんですけど、いいかな?」
「ああ、何だ?」

 一通り事情を説明すると、ため息まじりに「そうか」と答えが返ってきた。決して失望のため息ではない。むしろ安堵に近い。

「………本当はな…俺も……オティアがあの猫、飼ってくれたらいいなって、思ってた」
「もう一度、チャンスをください。モニークを連れていってもいいですか? 明日の夜にでも。それでだめなら連れて帰ります」
「ああ。レオンには俺から話しておく」

 即答だった。
 きっぱりと、はっきりと。強い意志を感じた。その瞬間、サリーは直感で悟った。

(大丈夫だ。この人が頼めば、きっとローゼンベルクさんはOKしてくれる)

「ありがとうございます。それじゃ、また明日」
「ありがとうって言いたいのは、俺の方だよ、サリー。それじゃ、また」

 電話を切ると、サリーは心配そうにのぞきこむエドワーズとヒウェルに向かってにこっと笑いかけた。
 二人の肩からふっと力が抜けて、緊張しきった顔の筋肉が一気にほころぶ。
 にんまりと会心の笑みを浮かべると、ヒウェルが右手の拳をくっと握って親指を立てた。

「GJ、サリー」


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【4-4-4】青い時計を探して

2008/09/23 22:37 四話十海
 
「じゃあ明日、大学が終わったら迎えにきますね」

 カラン、コロンと優しく響くベルに送られてサリーはエドワーズ古書店を出た。
 
(よかった……)

 カララン、コロン……とまたベルが鳴る。雑誌の入った紙袋を抱えてヒウェルが出てきた

「プレゼント、買ってたのか」
「ええ。本がいいかなと思って」

 サリーは腕に抱えた袋の口を開けて、中の本二冊を見せた。どちらもかなりしっかりした装丁の本だったので、まるで箱をラッピングしたような厚みと大きさがある。

「おー、きれいだな……うん、あいつら本好きだし……喜ぶよ。あ、そうだ」

 ヒウェルはごそっとポケットから折り畳んだ紙を引っぱり出した。

「俺もプレゼント調達中なんだけどさ。こーゆー時計売ってるの見たことないかな」

 広げて、ペン書きのスケッチを見せる。

「色は青いんだ」
「うーん……時計、ですか……ちょっと感じが違うけどこういうのなら見たことありますよ」
「ほんとか? どこで?」
「日本で」
「さすがに日本まで買いに行く訳にもいかないなあ」

 がっくりと肩を落すヒウェルを見て、サリーは携帯を取り出した。

「ちょっと待ってくださいね、大学の同じゼミの子がそういうの詳しいと思うから」
「いるんだ……1コインショップマニア」

 助けてもらっておいて我ながら失礼な言い草だが、やはり学生たるものつつましい生活の中で1コインショップの世話になる率が高いのだろう。
 サリーは電話をしながら手帳を取りだし、さらさらとペンを走らせている。やがて通話を終えるとぺりっとはぎ取って渡してくれた。
 メモにはきちんとした筆跡で市内の1コインショップの名前と住所が記されている。

「今あるかどうかわからないけどって、教えてくれましたよ」
「よし、片っ端から回るか!」
「はい!」

 何故そうなったのかはわからないが、気がつくと店目指して走るヒウェルの車の助手席にはサリーが乗っていた。
 手伝いますよ、と言われたような。
 その本、重そうだな。よかったら送ってくよ、と言ったような記憶がそこはかとなくないでもない。

 とにかく二人は連れ立って教えられた店を周って行った。時計コーナーをざっとチェックしてから店員に話しを聞いて、また次の店に回る。
 その間にも、サリーの携帯にはどんどん、新たな時計の目撃情報が入って来た。時にはメールで、時には電話で。

「……けっこう顔広いんだな」
「いや全然知らない人からかかってきてるんですけど……なんで?」
「友だちの友だちは皆友だちだって言うからな」

 情報を頼りにぐるぐる回る。西かと思えばまた東。時計を探して行きつ戻りつ、また進む。
 こんな調子でユニオン・スクエアを出発し、市内をほぼ半周したあたりでさすがに電池が切れてきた。

「一旦休憩しようか……」
「そうですね」

 さっきから脳細胞がひっきりなしにカフェインの刺激を求めていた。くたびれた頭と心にガツンと一喝入れてくれる、とびっきり強烈なやつを。
 車を止めて近くのスターバックスに入った。

「サリー、何飲む? ここは俺にご馳走させてくれ。つきあってもらっちゃってるからな」
「ありがとうございます、それじゃ、カプチーノをホットで」
「何かオプション追加するか?」
「じゃあ、ショットの追加を……2杯で」
「OK」

 すたすたとレジに近づくとヒウェルは慣れた口調でよどみなく告げた。

「トリプルトールカプチーノ一つと7ショットベンティアーモンドチップラテ一つ」
「わあ、呪文みたいだ。慣れてるんですね、メイリールさん」
「慣れてるっつーか……法則性覚えちまえばあとは楽だよ。自分の分はバカの一つ覚えだしな。昼飯も兼ねてるし」
「不健康ですよ、それ」
「夜はちゃんと食うよ、夜は……」

 できあがったカプチーノとラテを受け取り、テラス席に腰かけた。

「なあ、サリー」
「何でしょう、メイリールさん」
「そろそろ、そのメイリールさんっての、よさない?」
「え、気になりますか?」
「うん。ヒウェルで十分だ」
「わかりました」

 うなずきあうと二人はしばらくはお互いにカップの中味に集中した。サイズは違うはずなのにほぼ同じタイミングで飲み終わり、口に着いたミルクの泡を軽くぬぐったその時だ。

「あ」

 サリーの携帯が短く鳴った。

「どうした?」
「あるかどうかはわからないけど、マリーナ近くの公園でフリーマーケットが開かれてるそうです」
「フリマかあ! そこまで頭が回らなかったぜ」

 くしゃっとカップを握りつぶしながらヒウェルは立ち上がった。

「ちょいと前の商品でも、出てるかもしれないしな。行こう」

 
 ※ ※ ※ ※

 
 教えられた公園に行くと……フリーマーケットのスペースは予想以上に広大だった。
 体育館1つ分はありそうな出店の群れを見ながらヒウェルは引きつり笑顔で呆然とつぶやいた。

「は、ははは……どうしよっかな、これは」
「手分けして探しましょう。見つけたら電話します」
「そうだな。釣り場が広けりゃ、それだけ魚も多いしな」

 空元気を振り絞っていざ、歩き出したのはいいものの……。
 冷房の効いた屋内と違って、屋外の探索は予想以上に過酷だった。こうなってくると日頃の運動不足がじわじわとたたってくる。
 いい加減、ぐしょ濡れになって用を足さなくなったハンカチに見切りをつけて、フェイスタオルの一本でも買おうかとふらふらと手近の店に歩み寄る。

「いらっしゃーい」

 真っ赤なバンダナを巻いた快活そうな青年がにこにこしながら迎えてくれた。左手に結婚指輪、広げたピクニック用のシートの上には女性が使いそうな品物や子どもの服、玩具が並んでる。
 おそらく所帯持ち、子どもが1人ってとこか……いやいやいや、今は出品者の家族構成なんか推理してる場合じゃない。

「えーっと、そこのタオル1本もらえますか、オレンジの」
「はい、これですね」

 青年はひょいっとイルカの模様の入ったタオルをとりあげた。その時だ。
 積み上げたタオルが崩れて、背後に置かれていたものが目に入る。

 青い、つやつやした光を見た瞬間、どっくん、と心臓が躍り上がった。

(もしかして……ああ、そうであってくれ、頼む、神様、聖ウィニフレッド様!)

 こう言う時だけアテにする、ウェールズ生まれの守護聖女はあくまで慈悲深く、この迷える羊に寛容だった。
 丸形の目覚まし時計、文字盤の数字はローマ数字じゃなくて普通に1、2、3……金属のベルが上部に二つ。スケッチを引っぱり出して確かめる。

 まちがいない。
 見つけた!

「はい、どうぞ、タオル。そろそろ閉店だから50セントでいいや」
「あ、あ、あ、あ、あの、そのっ」
「どうかしました?」
「それっ、その時計っ」
「ああ、これね。下の子が床に落としちゃって、ちょこっとベルが歪んでるんだけど」
「かまいませんっ、それ……………」

 ごくっと喉を鳴らし、ひきつった声をどうにか聞き苦しくないレベルに整える。

「その時計、ください」

 時計とタオル、合わせて1ドルでお買い上げ。「サービスです」と手作りのクッキーまでもらった。
 電話でサリーを呼び出し、公園の出口で待ち合わせる。サリーが来るまでの間、今更ながら時計の動作を確認していなかったことに気づいた。
 電池はまだ残っているらしく、カチコチと動いている。よし、合格だ。
 だがちょっと待て、目覚ましとしての機能はどうだ?

 目覚まし設定用の短針を現在の時刻に合わせてみた。

 ……………………………鳴らない。
 本来は震動するべきハンマーが、ベルの歪みに引っかかってて動かなくなっているようだ。
 一応、鳴らそうと努力はしているらしいのだが、ブブブブ、ガタガタガタと震えるだけ。何となく息も絶え絶えと言った感じで何やら痛々しい。

「ヒウェル! 見つかったんですか?」
「うん、でも、これ鳴らないんだ。ハンマーが引っかかってるみたいで………」
「どれどれ?」

 サリーに時計を手渡し、ふう、とため息一つ。
 まあ、時計としての役には立つんだ。ベルが鳴らなくても……いっそベル用にもう一つ別の時計を買うか? ……いや、それはあまりも本末転倒だろ。
 惜しいなあ。
 モノは完ぺきなんだけど。一発ひっぱたいたら鳴るようにならないか?

 ジリリリリリリリリリン!

「えっ?」
「鳴りましたよ、ほら」

 にこにこするサリーの手の中では、青い時計が息を吹き返し、景気よく鳴り響いていた。
 本来ならやかましいとしか思わない音が、ヒウェルには天使の竪琴に聞こえた。

「マジか……ははっ、やったあっ」

 目覚ましを止めるのも忘れてヒウェルはサリーをハグし、ぱしぱしと背中を叩いていた。

「ちょっ、ひ、ヒウェルっ?」
「やったぜ、サリー。ありがとなーっ!」

 行き交う人々が怪訝そうな顔で見ているが、まったく気にしない。と言うより気づいていない。
 少しでも注目度を低くしようと、サリーは困り顔で目覚ましのスイッチを切った。

(この人でもこう言う子どもみたいなマネすることもあるんだなあ……参った)

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【4-4-5】★レオン、拗ねる

2008/09/23 22:38 四話十海
 
「……なあ、レオン」

 リビングに入って行くと、ディフが近づいてきた。何やら思い詰めたような色をヘーゼルの瞳の奥に秘めて。
 初めて俺に愛を打ち明けてくれた時もこんな目をしていた。
 何を言おうとしているのかは、聞く前に手に取るようにわかる。
 一つ違っているのは、この場合は思う相手が俺ではなく子どもたち。それもオティアだと言うことだろう。

 案の定、彼はすがりつくような必死なまなざしで頼んできた。

「猫………飼ってもいいか?」

 とっさに言葉が出なかった。表情が強ばったのが伝わってしまったのだろう。
 俺の袖をそっと握り、せつせつと訴えて来る。どんなにオティアがその子猫を気にしていたか。猫を抱くオティアがどんなに穏やかな表情をしていたか。

「俺には……お前がいた、レオン。あの子たちも。愛されて、愛することで自分を支えることができた……」

 袖を握る指に力が込められ、細かく震える。
 ああ、そんな顔をしないでくれ。胸が締めつけられる。

「……あったかくて、ふわふわしたちっちゃな生き物を大事に育てるのは……きっとあの子にとってプラスになる。俺たちには手の届かない部分まで、やわらかく包み込んでくれると思うんだ」

 まったくこの勝負、初手から先が見えていた。俺が君の望むことを嫌と言える訳がない。
 ヒウェルは確かに『方法を選んだ』のだ。

「仕方ないね」

 それだけ言うのが精一杯だった。くっと奥歯を噛みしめ、口をへの字に引き結ぶ。

「ごめんな、レオン………………………ありがとう。愛してる」

 骨組みのしっかりした手で抱きしめられて、わしわしと頭を撫でられた。

 愛してる。
 それは、よくわかってるよ。俺も君を愛してる。だけどね……ディフ。
 高校生の時に初め出会って以来、一度だって君が、俺が嫌だと言うものを無理に押し通すようなことがあっただろうか?
 恋人はおろか、友人ですらないただのルームメイトだった時から、俺がNOと言えば、君は「わかった」とうなずいて、二度と同じ過ちをくり返すことはしなかったじゃないか。
 あの子のためならそこまでするのかい?

(犬も、猫も、およそペットと名のつくものは苦手だと誰より知っているはずなのに)

 ああ、何だか色々と思い出したら腹立たしくなってきた。

(菓子作りは苦手だったはずなのに、アレックスに教わって誕生日のケーキまで焼くと言い出すし。プレゼントを買って帰ってきたときのあの嬉しそうな顔ときたら)
(この数日間、ずっと君は……俺のパートナーと言うよりあの子たちの『まま』だ)
(いったい、いつになったら俺は君を独り占めできるのだろう)

「おい、レオン」

 ぐいっと肩をつかまれた。

「何だい」
「いつまでもそんな顔してると………」

 間近に顔を寄せてくる。すぐそばに彼の顔がある。ヘーゼルブラウンの瞳の奥にちらりと緑色がひらめいたと思ったら、そのまま有無を言わさずソファに押し倒された。
 参ったな、完全に不意打ちだ!

 上体をのしかからせてくると、彼は唇を重ねてきた。

「ん……っ」

 キスされたと気づくより早く、強引に舌を滑り込ませてくる。
 拒むつもりはなかった。
 あるはずがない。

 ねっとりと絡め合い、互いに吸ったり、吸われたり。午後の陽射しのさんさんと差し込むリビングのソファの上で体を重ねたまま、濃厚な口づけを交わす。
 細く開けた瞼の間から緑に染まった瞳が見つめていた。つやつやと濡れて瞳孔が広がり、唇だけでは足りぬとばかりにむさぼる様なまなざしを注いでくる。

(あぁ)

 甘い痺れが駆け抜けた。絡め合わせた舌、重なる唇、抱き合う腕。彼と繋がっているあらゆる場所から背筋を伝わり、体の最も奥深い所に向かって。
 今のディフには俺しか見えていないのだ。
 もし誰かが入ってきたらどうしよう、なんてことは考えもせず、ただ俺だけを感じている。

(できるものなら、このまま………)
 
 長く甘いキスの後、ディフはほんの少しだけ唇を離し、囁いてきた。

「……可愛くて、こんなことしたくなっちまう」
「夜になってからにしてほしいな……今、我慢するのが難しいんだ」

 ほほ笑みかけると、目を細めてすり寄ってきた。

「それは、俺も同じだ」

 左の耳たぶをついばまれた。唇ではさむだけで、歯は立てずに。長い髪の合間から、ほんのりと……左の首筋の『薔薇の花びら』が浮び上がっているのが見えた。

(きれいだな)

 背中に腕を回し、唇を寄せる。息がかかっただけで腕の中の彼が小さく震えた。
 いっそこのまま抱き寄せてしまいたい。せめて、シャツの上からなで回すぐらいなら許されるだろうか?
 しばらく迷ってから、広い背中をぽん、と軽く叩くのに留める。意志の力を振り絞って。

「まだ、明日のためにすることがあるだろ?」
「……ああ……そうだな……」

 軽くキスしてからディフは離れて行き、くいっと手を引いて俺を起こしてくれた。

 君を独り占めするのは、夜まで我慢することにしよう。
 今日のところは。


(双子の誕生日 準備編/了)

次へ→【4-4】双子の誕生日(当日編)