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ローゼンベルク家の食卓

【4-4-2】サリー、本を買う

2008/09/23 22:35 四話十海
 
 9月10日、日曜日。
 ディフは双子の寸法を確認してから、買い物に出かけた。表向きの理由は『1サイズ大きいシャツを買いに』。本来の目的はプレゼントとケーキの材料の調達、故に二人を一緒に連れて行く訳には行かない。
 オティアとシエンはアレックスの付き添いで留守番中、今頃はしばらく滞っていたホームスクーリングの課題をやっているはずだ。

 ショッピングモールの衣料品店でまず大きめのシャツを買い、さて他に補給するものは……と軽く巡回している時にふと、そいつを見つけた。

(ああ、こいつはおあつらえ向きだ)

 手に取って素材を確かめてみる。

 ………綿だった。
 これなら家で洗濯できるな。さらさらしていて、汗も吸う。肌触りもいいし、縫製もしっかりしている。

(これにしよう)

 ミルクをたっぷり入れたコーヒーのような優しい生成りの色と、ほんわりと霞む春先の空のような青色、色違いで二着買い求める。
 目元をわずかに赤く染めながら、精一杯平静を装ってプレゼント用のラッピングを頼んだ。
 
「かしこまりました。リボンで色の違いがわかるようにしておきますね」
「…………ありがとう」

 引き続き食料品店でケーキの材料を入手する。
 品目はアレックスの指導のもと、スポンジケーキではなくタルトに決まった。
 ストロベリーにブルーベリーにラズベリー。果実の自然な味わいと色合いを活かして、クリームは極力控えめに。
 メッセージを書くためのホワイトチョコでコーティングされた薄いプレート状のクッキーと、文字を描くためのチョコペン、バースデー用のキャンドルも忘れずに。

 買い物を終えてから外の通りを歩いていると、向かい側のカフェのテラス席に見覚えのある姿を見つけた。
 黒髪、短髪、東洋系、フレーム大きめの眼鏡をかけたほっそりした姿。

 サリーだ。
 ラッキーだな、電話する手間が省けたぞ。

 しゃん、と背筋を伸ばして立ち居振る舞いに無駄が無く、周囲の人間と動きの質が違う。控えめであるが故に自然と際立って見える……ヨーコもそうだった。
 大またで通りを横切り、近づいて行く。

「OK、だいぶ上達しましたね。この調子で焦らずに続けてくださいね」
「ありがとう。がんばるよ」
「それじゃ、また」
「ああ、また、来週。ヨーコによろしく」
「はい。伝えておきます」

 どうやら連れがいたようだ。入れ違いに席を立った所で、ちらりと後ろ姿だけが見えた。
 ウェーブのかかった黒髪、背の高い男性、白人。ダークグレーに淡い水色の極めて細いストライプの入ったスーツを着ていた。適度な余裕をもって体を包むあのラインはイタリア製だろうか?
 シャツの色は青紫、タイはしていないが水色のネッカチーフを巻いていた。
 教会に入ってもおかしくない程度にきちんとして、それでいて適度にカジュアルな服装。仕立ても布地の質も良さそうだ。
 知り合いだろうか?

「よう、サリー」
「こんにちは、ディフ」
「ちょうどよかった、今電話しようと思ってたんだ」
「俺の方も渡したいものが……」

 顔を合わせるなり、サリーはベルトに下げた小さめのカバンから平べったい袋を取り出した。
 そこはかとなく緑色が多め。表面には白い陶器のカップに入った湯気の立つ液体の写真……どうやらインスタントのスープらしい。

「はい、これ」
「何だ、これ?」
「ワカメのスープです。お湯注げば食べられます」
「……そうか、これがワカメか。ありがとう」

 ありがたく受けとることにした。

「で、何か俺に用ですか?」
「ああ、うん。明日の夜、暇か?」
「明日の夜……ですか? 空いてますけど」
「そうか」

 ほっとして、ディフは本題に入った。

「実は明日、オティアとシエンの誕生日なんだ」
「それはおめでとうございます。いくつになるんですか?」
「17歳だ。それで……夕飯の時、サプライズパーティをやるんだ」

 さあ、ここからが正念場だ。一旦言葉を区切るとディフはこくっと唾をのみこんだ。

「君が来てくれると、嬉しい」
「俺が?」
「ああ。友人として君を招待したい」

 ほんの少しの間、サリーは考えているようだった。が、すぐににっこりとほほ笑んでうなずいてくれた。

「喜んで」

 その一言に、ディフも顔をほころばせる。目を細めて口角を上げ、ちらりと白い歯を見せて。上機嫌の大型犬そっくりの笑顔になる。

「サプライズってことは二人にはナイショなんですよね?」
「うん。ナイショだ」
「わかりました。じゃあプレゼント用意しとかなきゃ……そうだ、夕飯の時、俺も何か作りましょうか?」
「ありがとう。ぜひお願いする。あいつらも喜ぶよ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 ディフを見送ってから、サリーはカフェを出て歩き出した。
 
 誕生日。
 だれかの誕生日をお祝いするのは、楽しい。当人に秘密にすると思うとわくわくする。
 ディフも楽しそうだった……両手に山のように荷物をかかえて。きっとプレゼントや誕生日のごちそうの材料を買ってきたんだろう。
 双子たちにナイショにして。

(そうだ、プレゼント)

 何を贈ろう? オティアもシエンも本の好きな子だから、本がいいかな。ローゼンベルクさんや、ディフが持っていないようなのを。

 ショッピングモールにも何件か大きな書店が入っていた。最新の本が入るのは早いけれど、何となく騒がしくて落ち着かない。
 もっとこじんまりした店の方がいいな、と思った。
 贈る人のことを想いながらとっておきの一冊を探すには、もっと本とじっくり向かい合うことのできる場所の方がいい。

 思い切って普段行かない場所まで足を伸ばしてみた。表通りから少し奥に入ったところに古い商店街がある。
 いつもは横目で見て通りすぎるだけだけれど、ここになら目的にかなったお店があるかもしれない。

 石畳の道の両端に、絵はがきに出てくるような古い造りの建物が並んでいる。両端が細く、中央がぷっくりと膨らんだ柱はヨーロッパの洋館を思わせる。
 肉屋に魚屋、つやつやのリンゴやピーマンがきっちり積み上げられた青果店。
 赤いレンガ造りの花屋の前を通りかかると、大小二匹、そっくりの黒縞の猫がみゃう、と声をかけてきた。

「あれ、バーナードJr? ここにもらわれてたんだ」
「みぅ」
「そうか、お父さんの家に来たんだね……はじめまして、バーナードSr」

 サイズ違いの二匹の頭をなでて挨拶を交わす。リズの子どもたちの父親は無口だが愛想が良く、穏やかな猫だった。

 花屋の猫たちに別れを告げて、またしばらく歩いて行くと、砂岩作りの細長い建物があった。ちらりと見えた看板には『BOOK』と書かれている。
 
(本屋さん?)

 近づいて行くと、窓のところに白い子猫がいた。サリーに気づくなりぱっと青い瞳を輝かせ、高い声で「みうー!」と鳴いた。

「えっ? モニーク?」
「みゃ!」
 
 するり、とモニークの隣にもう一匹やってきた。
 尻尾と手足が薄い茶色の白い猫。
 リズだ。

「え? え? え?」

 改めて看板を見る。

『エドワーズ古書店』

「………そうか、ここがエドワーズさんのお店なんだ………」

 二対の青い瞳が見上げている。サリーは頭をひねって考え込んでしまった。

「モニーク、魚屋さんにもらわれて行ったはずじゃあ」
「みゃー!」

 モニークが誇らしげに鳴き、リズはうつむいてため息をついている。

「リズ。モニーク。誰と話しているんだい?」

 店の奥から背の高い金髪の男性が出てきた。きちんと折り目のついたダークグレイのズボンに同じ色のベスト、白いシャツにアスコットタイを締めて両方の袖をアームバンドで留めている。
 瞳の色はライムグリーン。

「あ……サリー先生」
「こんにちは、エドワーズさん」

 猫がいるんだから飼い主がいて当然。わかっているはずなのに、何となくどきっとしてしまった。

「何故、ここに?」
「本を探しているんです」
「なるほど。でしたら……」

 エドワーズは一度奥に入って行く。2匹の猫も後を追う。
 しばらくしてから、カランコロンと優しいベルの音ともに入り口のドアが開いた。

「どうぞ、お入りください」

 ほほ笑むエドワーズの懐からは、ちょこんとモニークが顔を出している。まるでカンガルーの子どもだ。

「それじゃ、失礼して」

 くすっと笑うと、サリーは店の中へと入った。

「わあ……」

 こじんまりとした店の壁はほとんど背の高い本棚で埋め尽くされている。古びた紙と、糊のにおいがほんのりと空気の中に漂っていた。
 流行りの曲をがんがん流す店内放送も、派手な宣伝ポップも、特売のポスターもない。

 ただ、本がある。
 
(そうだ、こう言うお店を探していたんだ)

「どのような本をお探しですか?」

 まだモニークはエドワーズの懐に入ったままだ。脱走を防ぐために入れられたのだろうけど、すっかり忘れて喉をゴロゴロ鳴らしている。
 どうやらお気に入りのポジションらしい。

「えっと……実は誕生日の贈物を探しているんです」
「そうでしたか。どなたへの贈物ですか?」
「友だちです。まだ十七歳なんですけど……本の好きな子たちで」
「なるほど。どんな本がお好きなんでしょう?」
「そうだな。オティアは、ヨーコさんがお土産でもってきた歴史の本を熱心に読んでたみたいだったなぁ」
「オティア?」

 エドワーズは思った。
 聞き覚えのある名前だ。
 懐のモニークも喉を鳴らすのをやめて、ピンと耳を立てている。

「もしかして、オティア・セーブル……ですか。マックスの所のアシスタントをしている」
「はい。ああ、そうか、モニークが行方不明になったとき探してくれたんでしたよね、彼」
「はい。この子の命の恩人です」
「みゃー!」

 サリー先生は時々、マックスの事務所でペット探しの手伝いをしていると言っていた。それなら、親しいのも当然だろう。
 彼への贈物なら、なおさら心をこめて選ばなければ。歴史の本のコーナーを丹念に確認して行く。背表紙を見て、記憶している本の特徴と照らし合わせながら棚の端から端まで視線を走らせる。
 すぐ隣にサリー先生が立っていると思うと、胸の鼓動がどうしても、若干、早くなる。
 しみじみと幸せを噛みしめながらエドワーズは選りすぐりの一冊を手にとり、ぱらりと開いてうやうやしくサリーに差し出した。

「こちらの本はいかがでしょう? 昔のお城や当時の人々の服装、使っていた道具まで詳しく図解してあります」
「本当だ! ああ、好きそうです、こう言うの……」
 
 眼鏡の向こうのつぶらな瞳が嬉しそうに細められる。モニークがもぞもぞ動いて前足を伸ばした。

「あ、こら、モニーク」
「あは、ページが動くのが面白いのかな?」

 白い前足を握手するように握って、サリー先生はモニークに顔を近づけた。

「だめだよ、イタズラしちゃ」
「にう」

(うわぁ)

 とりもなおさずそれはエドワーズの胸に顔を寄せていることにもなるのだが……当人はまったく気づいていない。
 エドワーズは最大限の努力を振り絞って平静を保った。つややかな黒髪から立ちのぼるほのかに甘い香りから必死に意識を逸らした。
 おそらくはシャンプー、それもハーブ由来の天然香料のものだろう。自然な植物の控えめな芳香は、本来ならとても心安らぐ香りのはずなのだが。

「オティアにはこれにしようっと。シエンには何がいいかな……」

 ……良かった、離れてくれた。でもちょっぴり寂しいような気がした。

(もう少しあの位置に居てくれても……いやいやいや)

 内心の葛藤を紳士の慎ましさの奥底にしまい込み、仕事に集中する。

「シエン……Mr.セーブルの兄弟ですね?」
「はい。双子の」

 やはり双子だったのだ。結婚式のリングボーイの片割れ、並んで立っていた瓜二つの一対のうちの一人。
 Mr.セーブルに比べて物静かな印象の少年だった。

「料理の好きな子なんです」
「なるほど。でしたらレシピ集……いや、それもいささかストレートすぎて面白みがないですね」

 記憶をたどりつつエドワーズは本棚の間を通り抜け、別の一角に移動した。すぐ傍らをとことことサリーがついて行く。

「確か、この辺りに」

 すぽっと幅の広めの大判の本を抜き出した。
 表紙は濃い茶色を基調とした写真。乳鉢や素焼きの壷など、薬草を調合する古い道具が置かれている。
 背後には木の棚に乗せられた白い袋。右上には四角くトリミングされた黄色や白、赤の花。全て薬草だ。
 そして左側には中世風の画風で描かれた『薬草園の世話をする修道士』の絵。

「Brother Cadfael's Herb Garden ?」
「はい。図鑑と言うにはいささか変わり種ですが、充実していますよ。ハーブだけではなく、フルーツやナッツ類の用法から薬効まで書かれています。何より写真が美しい」
「Brother Cadfael………ああ、エリス・ピーターズの」
「ご存知でしたか。ええ、あのミステリー小説に出てくるハーブを紹介した本なんです」
「日本でも翻訳が出ていますよ。でもこれはさすがに売ってなかったなぁ……」
「古い本ですからね。これは……1996年発行だ」
「わあ、もう十年も前なんだ!」

 十年。
 確かその頃はまだ警察官だった。彼女とは離婚したばかりで……。

 十年前は、サリー先生は何歳だったのだろう?
 まだほんの少年だったはずだ。今でさえ私服姿では高校生とまちがえそうなのに、いったいその頃はどんな子だったのか。
 ちょっと想像がつかない。

「きれいだな……見て楽しいし、実用性もある。これなら料理に使うハーブを調べるのに役に立ちそうだ」

 うなずくと、サリーはにっこりと笑った。

「決めました。シエンにはこれにします」
「ありがとうございます。それではお包みしましょう」

 会計を済ませると、エドワーズは薄紙を取り出した。

「どちらの本を、どの紙でお包みしましょうか」
「カドフェル修道士のハーブガーデンは、このクリーム色で。こっちの歴史の本は青いのでお願いします」
「かしこまりました。モニーク、そろそろ降りてもらえるかな?」
「みう」

 不満そうにつぶやく子猫を懐から出すと、エドワーズは手際よく本のラッピングを始めた。

「あの……エドワーズさん」
「何でしょう」
「どうして、モニークはここに?」

 ぴたりと一瞬、手が止まる。

「あ、ごめんなさい、その、確か魚屋さんにもらわれて行ったって聞いてたので」
「ええ……そうなんですが……」

 リズがまた、ため息をついている。
 その隣ではモニークが上機嫌で床にひっくり返り、切り落とされた包み紙の切れはしをちょいちょいと前足でつついている。

「実はモニークは……もらわれて行った先から、脱走してはここに帰ってきてしまうのです」
「みゃ!」
「ああ……」
「何度連れ戻しても、また逃げてくる。酷いときは一日に二回も。近くだからいいのですが、さすがに魚屋の店主夫婦も困り果ててしまいまして」
「にゅう!」
「それで、とうとう戻されてしまったんです」

 きゅっとクリーム色の包み紙の端をテープで留めると、エドワーズは白いリボンをくるりと巻き付けた。

「私も、猫が二匹居ても……いいかな、と思いまして、それで」
「そうだったんですか」

 何故、モニークがそんなに脱走をくり返したのか。理由はわかっている。
 サリーはほんの少し、胸がどきどきしてきた。

 これは、ひょっとしたら……チャンスかもしれない。だけどオティアは一度はNoと言っている。果たして二度目は受け入れてくれるだろうか?

 
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