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ローゼンベルク家の食卓

サワディーカ!おかわり

2008/09/30 0:02 短編十海
  • 拍手御礼用短編の再録。
  • 【4-3】hardluck-drinkerの中で、木曜日のランチタイムに起きたある出来事です。
 
 探偵事務所に立ち寄ろうとしたら、鍵がかかっていた。
 しかもご丁寧なことに「本日休業」なんて札まで出てやがる。変だな、今日休むなんて話は聞いてないぞ?

 首をかしげながら上の法律事務所に顔を出すと、アレックスがうやうやしく出迎え、教えてくれた。

「マクラドさまは、オティアさま、シエンさまとご自宅におられます」
「あー……そう」

 何だってそんなことになったのか。いささか気がかりだが、ままと一緒なら心配あるまい。アレックスが知ってるってことはレオンも承知の上なのだから。
 さしあたって俺はあまった時間をどうするべきか。

 ちょいと早いが、飯でも食いに行くか?
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 中華街をぶらついて、あっちで立ち話、こっちで店をのぞいたりしてるうちにそれなりに時間が過ぎて行く。
 まったくもってこの雑多な町は時間をつぶしたいときには最適の場所だ。知り合いも多いしな。

 そろそろ昼飯にちょうどいい時間になってきたので馴染みのタイ料理の店にふらりと入ってみた。

「サワディーカ! メイリールさん」
「やあ、タリサ。今日も美人さんだね」
「もう! お世辞言っても何も出ないよ? でも、ありがとね」

 ぱちっとアーモンド型の切れ長の瞳でウィンクされる。まんざら悪い気はしない。
 景気のよろしくない気分でいたのが、彼女のライムみたいな笑顔でちょいと回復したし。

「相席でいい?」
「いいよ……あ」
 
 くるりと小さな店の中を見回し、見覚えのある顔を見つけた。黒髪、短髪、小柄な東洋系。
 眼鏡をかけたほわんとした顔は、基本的な造作こそ我が生涯の天敵たる女性によく似ているが、まとう空気はまるきり別物。

「よう、サリー」
「こんにちは、メイリールさん」
「ここ、座ってもいいかな」
「どうぞ」

 青いギンガムチェックのビニールクロスを敷いた四角いテーブル。サリーの向かい側に座ると、どんっと大きなガラスコップに入った冷たいお茶が出てきた。

「ご注文は?」
「んー、トムヤンクンと ケーン・キョウワン・ガイ(鶏肉のグリーンカレー)、デザートにマンゴプリンもらおうかな」
「はいはい。トムヤンクンとケーン・キョウワン・ガイにマンゴプリンね」

 タリサは手際よくメモをとると厨房に向かってはきはきした声でオーダーを告げた。ほどなく奥から彼女の父親が低い声で返事を返す。

「辛いスープにカレーですか?」
「うん、俺、辛いの大好き」

 サリーの前に並んでいるのはパッタイだった。気に入ったらしい。

 スープもカレーも、飯時は大量に鍋に作り置きしておくのだろう。すぐに出てきた。淡いグリーンのカレーペーストの中にごろごろと転がるぶつ切りの野菜を口に運ぶ。
 茄子が美味い。
 調子づいてもう一口。

「うぇ」
「どうしました?」
「このオレンジの……てっきりニンジンかと思ったらピーマンだった」
「あー、ほんとだ。苦手ですか、ピーマン」
「うん、実は」

 恐ろしい事に今日のカレーは(入れられてる野菜は毎日微妙に中味が違うのだが)具材の8割がピーマンだった。
 タリサ、俺に何か恨みでもあるのかっ?
 幸い、強烈に辛いルーに紛れてピーマン本来の味がほとんどわからないのでどうにか食えるからいいものの……。

「……わあ」
「どうした、サリー」
「ほとんどお茶、飲みませんね」
「ああ、辛いの好きだからな」

 汗だくになりながら激辛のカレーとスープを平らげ、黄色いねっとりした甘いデザートをつつく段になってやっと落ち着いてきた。

「メイリールさん」
「何だ?」
「ひょっとして、何か悩み事あるんじゃないですか?」
「………何で、そんなことを」
「辛いのがつがつ食べて、すっきりしたかったんでしょう?」
「っ」

 思わず手が止まった。
 そろりと視線を向かいの席に向ける。
 にこにこと笑っていた。ちょこんと首をかしげて。

「………オティアのことなんだ」
「ええ」
「ここんとこ、元気がないだろ? ディフもふさぎ込んでるみたいだったし……だけど俺が家庭の問題に首突っ込む訳にも行かなくて……」

 第一、俺自身がオティアの最大のストレスの原因なのだ。
 ここで鼻つっこんだら余計に悪化させちまう。

「もどかしくって……さ」

 ぐっとレモンの香りのする冷たい茶を飲み、大きく息を吐く。食ったばかりの異国のスパイスの香りが喉を駆けのぼる。

「君がうらやましいよ」
「俺が?」
「ああ。君が会いに来ると、オティアが柔らかくなる……」

 軽く唇を歯で押さえる。

「どうすればいいんだろうな。あの子の心を、ちょっとでも軽くしてやりたい。だけどいつもハズレばかりを引いちまう。癒したいと願いながら、いつもあの子を追い詰める……俺自身の手で」

 話す間にどんどん声のトーンが下がって行く。やばいな、俺、もしかして今すごい情けない顔してるんじゃなかろうか。

「……猫」
「え?」
「ペット、飼ってみたらどうかな」
「アニマルセラピーってやつか?」

 サリーは静かにうなずいた。

「動物をかわいがって、世話をすることはきっとオティアにとっていい方向に働くと思うんです。彼、猫が好きだから」
「あ……ああ、そうだ、確かにそうだ」

 迷子になった白い子猫を抱くオティアを思い出す。今まで見た事がないほど、穏やかな表情をしていた……ぱっと見いつもと同じ顔だが。

「知り合いの家に彼と相性よさそうな子猫がいたんですけどね……モニークって言う名前で」
「もしかして、それ、白くて腹の左側にコーヒーこぼしたみたいなぶち模様のある子猫か?」
「そうです。見たことあるんですか?」

 あー、そうか、あん時の子猫の脱走現場ってカリフォルニア大学付属の動物病院の駐車場だったもんな。サリーの患畜って可能性もあったわけだ。
 かぱっと携帯を開いて、迷子猫捜索用に送ってもらった写真を見せる。

「そう、この子ですよ。エドワーズさんとこのモニーク!」
「そっか……うん、実はこいつが逃げた時、俺もちょっとだけ手伝ったんだよ……確かにオティアに懐いてた」
「エドワーズさんも、もらってくれないかって聞いたそうです。でも……」
「答えはNo、だったんだな?」
「はい」
「あいつ、妙に引いて構えてる所があるからな。強引に連れてくぐらいの方が上手く行くんじゃないか?」

 サリーは目を伏せて、小さくため息をついた。

「モニはもう、もらわれて行っちゃったそうです」
「そうか…タイミング悪ぃなあ…」
「同じ商店街の魚屋さんに」
「ああ、そりゃあいい所に決まったね」
「ええ、エビも食べさせてもらえるでしょうし」
「エビ、好物なんだ」
「はい。消化によくないから、たまにしか食べないように釘刺しておいたんですけどね」
「そうだな、ごちそうはたまに食うから美味いんだ」

 ねっとりした甘いデザートの最後の一さじを飲み込み、仕上げに冷たい茶を流し込む。
 汗で濡れたシャツが少し冷たい。

「子猫……か。真剣に検討してみるか。レオンとディフにも打診してみるよ」
「そうですね、俺も探してみます」

 足元をするりとしなやかな毛皮が通り抜ける。
 かがみこみ、看板猫の背中を撫でた。滅多に俺になつくことなんかないくせに。

 これだから、猫ってやつは。

(サワディーカ!おかわり/了)
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