▼ 【4-4-7】異次元の歌声
「ご飯はエドワーズさんが食べさせていたのと同じ、子猫用のフードをあげてね」
「わかった」
「移動用のキャリーバッグはもう少ししっかりした物の方がいいかな……リズはおとなしい猫だけど、この子は活発だから」
「そうだな……」
「爪研ぎもあった方がよかないか? さもなきゃ、そこのラグが犠牲になるのは目に見えてるぞ」
「あー、そうですね、爪掛かり良さそうだし」
サリー先生と『おうじさま』(他約一名)が話している間、オーレは新しい家を探検することにした。
白い尻尾を高々と掲げて、ヒゲをまっすぐ前へ伸ばしてちょこまか歩く。
このおうちには階段がないみたい。ちょっとがっかり。
姉のアンジェラと同じくらい、オーレは高い所に登るのが大好きだった。
階段はないかな。
本棚はないかな。
お庭に木は生えてないかな。
寝室の隣にある部屋は、何だかとてもなつかしいにおいがしたけれどしっかりドアが閉まっていた。
きっとここには本棚がある。いっぱいある。でも入れないんじゃしかたない。
ちょこまかと廊下を歩いて先に進む。開けっ放しのドアをくぐり抜けたら、急ににおいが変わった。ちょっぴり緊張。立ち止まってきょろきょろする。
どうしよう。引き返そうかな。
でも、すごくおいしそうなにおいがする。
エビのにおいがする!
その瞬間、オーレの警戒心はカリフォルニアの青空の彼方へと吹っ飛んだ。
エビ、えび、海老。
尻尾を高々と立てて、鼻面をふくらませてちょこまか進んで行くと……目の前に、でーんと大きな靴があった。
「み?」
くんくんとにおいを嗅いで上を見上げる。オーレの青い瞳がきらりと光った。
見つけた! 高い場所。
ちっちゃな手のひらをいっぱいに広げると、オーレはジーンズを履いたがっしりした足を登り始めた。
ざっし、ざっしと爪を立てて。
「ん?」
ディフはふと料理の下ごしらえをする手を止めた。何やらちっぽけな生き物が、ざっしざっしと爪を立てて登って来る。足から腰、背中へと。
「………よう、モニーク」
「みー」
「元気そうだな……アレックス、ちょっとここ頼んだ」
「かしこまりました」
子猫を背中に張り付けたまま、ディフはそろそろと食堂からリビングへと向かう。開け放しになった境目のドアの前に立ち、よく通る声で呼びかけた。
「オティア! 子猫、こっちに来てるぞ」
すぐさまオティアが飛んできた。やや遅れてシエンとヒウェル、サリーもやって来る。
「どこに?」
「ここだ……とってくれ」
くるりと向けられた広い背中からオティアはべりっと白い子猫を引きはがそうとした。胸元を紐で綴じた濃い藍色のシャツが、小さな爪にひっぱられてびろんと伸びる。オティアは黙って一本ずつぷちぷちと外した。
「度胸のあるちびさんだな……あれ?」
ディフは青い首輪に下がった迷子札を見て首を傾げる(職業柄、猫を見るとまず迷子札を確認する習慣がついているのだ)
「名前、変えたのか」
こくっとオティアはうなずいた。
「オーレ、か。いいね。響きの優しい名前だ……そうか、オーレか」
くすくす笑っている。
もしかして、これも昔のガールフレンドの名前なのか? だったらまた新しい名前を考えないと……。
困惑するオティアと、腕の中の白い子猫を見ながらディフはなおも楽しげに笑っている。
「その子、獣医の診察券にはオーレ・セーブルって名前書かれるぞ。オーレとオティア……どっちもイニシャルがO.Sだ」
「あ」
「本当だ」
「おそろいだな」
そしてディフは手を伸ばし、指先で子猫の顎の下をくすぐった。
「改めてよろしくな、オーレ」
オーレは目を細めて、ちょしちょしとディフの指先を舐めた。
「そうだ、エドワーズさんに報告しておかないと」
「ちょっと待ってろ」
ディフは携帯を取り出すと電話帳のEの項目を呼び出し、かけた。
「……そら」
さし出された携帯を素直に受け取ると、サリーは耳に当てた。
2、3度呼び出し音が鳴り、穏やかな声が聞こえてきた。
「ハロー、マックス?」
「エドワーズさん」
「…………………………………え? サリー先生?」
※ ※ ※ ※
「…………そうですか………よかった。本当に、よかった…………」
エドワーズは目を閉じて、深々と息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「ありがとうございます。Mr.セーブルにもよろしくお伝えください。それじゃ、また」
電話を切り、傍らのリズに話しかける。
「リズ。モニークは無事、Mr.セーブルの所に引き取られることに決まったよ……ああ、そうだ、新しい名前はオーレと言うそうだ」
「にゃー」
「幸せになってくれるといいね。いや、きっと幸せになるよ。あの子自身も彼の元に行く事を望んでいたのだから」
リズの頭をなでながら、ふとエドワーズは気づいた。
今の電話、サリー先生からだったのだ。こっちからも電話番号を教えておけばよかったかな……。
※ ※ ※ ※
エドワーズと話すサリーの横で、ディフが言い出す。あくまで自然に、さりげなく。
「今日は飯の仕度の手伝いはいいから」
「本当にいいの?」
「ああ。オーレの世話で忙しいだろ? その代わりヒウェルとサリーが手伝ってくれる」
その隣でひょい、とヒウェルが片手を上げた。
「使われます」
「ふーん、そう……? じゃあ困ったら呼んでね」
「OKOK」
「じゃ、ごゆっくり〜」
ヒウェルとディフとサリー、珍しい組み合わせの三人がキッチンに向かうのを双子は見送り、自分たちの部屋に戻った。
しばらくすると、オーレがピンっと耳を立てて本宅の方をにらみ始めた。尻尾を膨らませて、低く体を伏せて、何やら警戒している。
「何だろう?」
用心しながら本宅のリビングへと行ってみると……抑揚のない呪文みたいな声が聞こえてきた。
キッチンから。
「……なにやってんだろ」
「さーな」
どうやら緊急事態ではなさそうだ。顔を見合わせると、オティアとシエンはまた自分たちの部屋に戻るのだった。
一方、キッチンでは。
「……何うなってんだよ」
「……鼻歌」
「歌か、それ! 第一、何の曲だよ」
「Happy Birthday to you……」
「………ぜんっぜん違うぞ」
考え込むディフにヒウェルは聖歌隊で鍛えた喉と音感を発揮してお手本を示した。
「Happy birthday to you〜♪ Happy birthday to you〜♪」
ひとしきり耳を傾けてから、ディフが歌い出す。
「Happy birthday to you〜♪ ………やっぱり合ってるじゃないか」
「だからぜんっぜん違うって」
何故だ。
ヒウェルはひきつり笑顔で頭をひねった。
同じ歌を歌っているはずなのに、ディフの声だけ時間と空間を飛び越えて他所の次元に行っちまってる。下手すりゃ得体の知れぬ何ゾを召還しそうな勢いだ。
サリーはにこにこしながら何も言わず、さくさくとキャベツを刻んでいる。
アレックスももちろん何も言わず、こちらの会話などまるで聞こえてもいないように平然と、ミートローフにかけるソースを入れた小鍋をかき混ぜている。
「せっかくだからロウソク吹き消す時、歌おうかと思うんだが」
「封印しとけ。あの子らの音感と世界平和を守るために」
「わかった……」
誕生日のケーキは『まま』のお手製。しっかり焼いた甘さ控えめ(ここがポイント)のタルト生地に、ストロベリーにブルーベリーにラズベリー。甘酸っぱいベリーを載せた、赤い果実のタルト。ほんの少しだけ、丸いベリーを安定させるためにクリームとゼラチンを使ってある。
どこまでも双子の好みに合わせた、双子のためのお菓子。仕上げにメッセージを書くための、ホワイトチョコでコーティングされたクッキーを冷蔵庫から取り出すと、ディフは手招きしてヒウェルを呼んだ。
「文字書くのは任せたぞ」
「なんで俺」
「プロだろ? ほれ」
手の中にチョコレートの詰まったチューブ式のペンが渡される。
「うーわー、緊張するなあ……」
ヒウェルは数回深呼吸すると大きく左右の肩を回した。そしてこきこきと指を鳴らすとペンを握り……書道の達人さながらに、一気呵成の勢いで書きった。
「っしゃあ、これでどうだっ」
『誕生日おめでとう オティア&シエン』
「お見事です、メイリールさま」
「すごいな、お習字の先生みたいだ」
「………プロの物書きにしちゃ平凡だな」
「リテイクすんなら『紙』をくれ」
「これで行こう」
やがてメインのミートローフが焼き上がり、食卓の上にホットプレートを準備しているとレオンが帰ってきた。
ただいま、の声を聞くより早くディフが玄関に迎えに出る。
「ただいま」
「お帰り」
出迎える者と迎えられる者の交わす出会い頭の熱い抱擁も。必要以上に念入りなお帰りのキスも、今やすっかり恒例行事、日常茶飯事。
いちゃつく二人を横目で見ながら、ヒウェルは何食わぬ顔でテーブルに料理を並べて行った。
※ ※ ※ ※
「オティア、シエン、飯できたぞ」
呼ばれて双子が出てきた。
しかし境目のドアを越えようとした瞬間、背後で聞く者の胸をかきむしるような世にも悲愴な鳴き声が挙がった。
みゃーおおおう、ふみゃー、なおーーーぉおおう。
「あ……」
二人は立ち止まり、鳴き声のする方を振り返る。オーレはリビングに残してきた。ドアを閉めたはずなのに、こんなに大きく声が聞こえるなんて。
んみーっ、みーっ、みゃおー、みーっ!
「………」
オティアの顔に一瞬浮かんだ憂いの表情をディフは見逃さなかった。
「…………レオン」
若干、渋い顔をしながらレオンはうなずく。ディフはほっと肩の力を抜き、双子にほほ笑みかけた。
「連れてきていいぞ。子猫一匹だけで置いとくのも心配だろ」
さらりとレオンが続ける。
「食卓には上げないように。いいね?」
こくっとうなずくとオティアは足早に自分たちの部屋に引き返し、間もなくオーレを抱えて戻ってきた。
※ ※ ※ ※
テーブルの上にはミートローフとポテトのサラダ。何故か形がいつもよりきちんとしている。
ポテトサラダはきちっと箱形に整えられ、白い層と、ニンジンベースの赤い層、そしてエンドウ豆ベースの緑の層が交互に重なって、表面にはグリーンピースが飾られている。
ミートローフはいつものように手で大雑把に形を作ったのではなく、きちんとパウンドケーキ型に入れて焼かれていた。
スープはタマネギの薄切りの入ったコンソメスープ。
「これ、何?」
そしてボウルに入った小麦粉を水で溶いた種と刻んだ具が何種類か並んでいる。
ツナとチーズ、イカの切り身、薄切りにした豚肉、卵、キャベツ、ネギ、ホタテ。細く刻んだ赤いピクルスは、においからしてジンジャーだろうか?
そして、エビ。
「パンケーキ……じゃ、ないよね」
「お好み焼きって言うんだよ。こっちの種に好きな具を混ぜて焼くんだ」
「みうーっっ」
オティアの腕の中で白い子猫が急に目をらんらんと光らせ、飛び出そうとする。が、いち早くがっちり押さえられてじたばたじたばた。
「どうしたんだ、急に」
「ああ……エビだな。好物だから」
「オーレにはこっちね」
さっとサリーが取り出したのは、お湯でふやかした小エビのスープ。
小皿に取って床に置くと、オーレは目を輝かせてとびついた。
「んにゃう、んぎゅ、にゅぐぐぐぐ」
「何か言いながら食べてる………」
「よっぽど好きなんだな……」
目を細めてオーレを見守るディフの姿に、レオンがほのかに渋い顔をしている。
オティアは秘かに思った。やはり猫の名前を変えておいて正解だった、と。
テーブルの準備が整い、一同が席についたところでおもむろにヒウェルが軽く咳払いをして壁際に歩いて行き、スイッチに手を伸ばした。
「それじゃあ……ちょっとだけ、電気消すよ」
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