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【31-6】走れ!

2013/07/07 16:36 騎士と魔法使いの話十海
「意外だな」
 食後に皿を洗いながらレイヴンがぽつりと言った。
「……何がだ」
 鍋を洗いながらダインが答える。
「貴族の子が、汁麺を好むとは」
「ニコラはあまりこだわらない」
「……違う」
「え?」
 怪訝そうにダインは黒髪の男を見上げた。そう、珍しい事にこいつと話す時は自然と顔を上に向ける羽目になる。
「お前の事だ」
 虚を突かれた。まったくの不意打ちだった。返すべき言葉を失い、手が止まる。
「何故、それを……」
「しばらく東に行っていたからな」
 そうだ。東方と西の辺境の間には王都がある。
「魔導に携わる者ならば、おのずと男爵家の変わり種の息子の話は耳に入る」
 忘れようにも忘れられない。男爵夫人の蒔いた悪意の種は、未だに彼の地に潜んでいるのだ。
 王都を旅立ってから、まだほんの一年半しか経っていないのだ。長年に渡り蓄積された良からぬ噂が、そう簡単に消えるはずがない。むしろ自分と言う実物が居ないからこそ、より面白おかしく語り継がれているのだろう。
 苦々しい思いで奥歯を噛みしめる。
(隠し子でおまけに呪われてるときたら、ゴシップ好きな連中が飛びつかない訳がないよな)

「名前も風体も知らなかったが、左目に『月虹の瞳』を持った騎士となれば条件は絞られる」
 つまりこいつは知っていたのだ。月色に輝くこの左目を見た時から、俺が何者なのかを。
 男爵の遊蕩の果てに生まれた、呪われた左目を持つ忌み子だと。もっと酷い噂だって耳にしているかも知れない。
 兄を呪い殺そうとしたと、本気で信じてる奴もまだ、王都には残っている。

「何で、言わなかった」
 レイヴンは皿を洗う手を休め、こっちを見下ろしてきた。
「必要が無かった」
 しばし無言で見つめあう。灰色の瞳の中には、わずかな感情の揺らぎも見出せない。ただ淡々と事実を述べているだけ。
 つまり、こいつにとっては俺の素性なんざ、汁麺食うレベルの問題だってぇことだ。
 へっと鼻先で笑い飛ばす。それはそれで、清々しいや。
「何故、笑う?」
「いや?」
 派手な音を立てて鍋洗いを再開する。
「汁麺はこっちに来てから初めて食った」
「そうか」
「作るの楽だし、手っ取り早くできるし、美味いし、気に入ってる」
「そうか」
 言葉を交わしつつ、着々と洗い物を片づけて行く二人を背後から見守りニコラは思った。
 けっこうあの二人、仲良いんじゃないの? と。

      ※

 後片づけが終わって後。
 一同は厳かに裏庭に出た。ダインの肩にはちび。そしてレイヴンの手にはくるみが一つ。
「ちび」
「ぴゃあ」
 レイヴンは右手の人さし指と親指でくるみをつまんで、小刻みに左右に振る。乾燥した実が殻の中で転がって、からころと軽快な音がする。
 ちびは目を輝かせ、鼻面を膨らませ、しっぽをぴんと垂直に立てた。
「んぴゃあああああ、んぴゃああああああっ」
「……」
 低く体を伏せ、獲物を狙う時の声で鳴き始めた。
 頃合いよしと見計らい、くるみを放り投げる。それも地面を這うように低く。途端にちびはダインの肩を蹴って大きくジャンプ。
「ぴゃあっ」
「お」
 転がるくるみを追いかけ、走る。走る。ものすごい早さで突っ走る。
 追いついたと思ったら前足の爪で引っかけ、高々と放り上げる。転がるくるみにまた飛びつく。その繰り返し。

「なぁるほど、こいつぁいい運動になるねぇ」
「くるみを使うって、こう言うこと?」
「あぁ」
「じゃらしてるだけじゃねぇか……」
「そうとも言う」

 どどどどどっと地響きを立てて走り回るちびの後に、いつしかころころした丸まっちい小人たちが続いていた。
「きゃわわっ、きゃわ、きゃっきゃー!」
「ぴゃあああああっ」
「あ、ちっちゃいさんだ」
「つられたみたいだな」
 競争相手が増えた事で、ちびもさらにヒートアップ。
 くるみと、とりねこと、ちっちゃいさん。三つどもえの追いかけっこは一時間近く続いたのだった。

 この調子で一週間もすれば、ころころむっちむちの体も元に戻るだろう。
 それまでに、ニコラが新しい「禁断の味」を見つけていなければの話……。

(禁断の味/了)

次へ→【おまけ】★愛しくて、離れ難く
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【31-5】ずるずるずぞぞ

2013/07/07 16:36 騎士と魔法使いの話十海
「よい……しょっと」
 ざばーっとバケツの中味を水飲み用の桶にあける。黒毛の軍馬はその間、おとなしく控えていた。
「さ、どうぞ、黒。めしあがれ?」
 ニコラの許しを得て初めて桶に太い顔を突っ込み、長い舌で器用に水をすくいとる。
「まー、いい飲みっぷり!」
 冗談めかした賞賛の言葉に、甘えるように鼻を鳴らして答える。
 小さなレディのお酌を受けて、黒はご機嫌だった。その小山のような堂々たる体躯にも関わらず、この軍馬はいたって大人しいのだ……小さな生き物と女性に対しては。

「ダインったら失礼しちゃうのよ?」
 それを知っているから、ニコラも馬房の柵に寄りかかってのんびりと話しかける。手の届く位置にいる巨大な生き物に対して欠片ほどの恐れも抱かずに。
「面と向かって可愛い、なんて言うから、思わずどきっとしちゃったのよね。そしたら言ってる相手は私じゃなくて。ちっちゃいさんだったの!」
 ぶるるるる。
 黒は桶から顔を上げ、さっきより力を入れて鼻を鳴らした。さらに、前足の蹄で床を穿つ。本気で怒った時に比べればてんで軽い。しかし、岩のような巨躯を支える蹄はずしりと重く、必然的に立てる音は低く轟き床や柱を震わせる。

「きゃわっ」
「きゃわわんっ」
 驚いたのだろう。壁の穴からころころとちっちゃいさん達が転がり出す。連日のバタースコッチブラウニーのフルーツソース掛け生クリーム添え(たまにクリームチーズ)の摂取の結果、いつもにも増して丸く膨らみ、文字通り『転がって』いる。
「きゃわわぁ……」
 卵みたいに干し草の中にずらりと並び、おっかなびっくり黒を見上げている。
「ありがと」
 しかし少女は脅える風もなく手を伸ばし、つややかな鼻面を撫でた。ちゃんと理解しているのだ。黒馬が自分のために怒っているのだと。
「ほんと、ダインってばなーんにもわかってないのよねー。悪気がないだけに、余計にタチが悪いってゆーか?」
「きゃわわー」
「きゃーわー」
 ちっちゃいさんたちは一斉にうなずいた。
 大ざっぱなわんこ騎士には、彼らもたびたび被害にあっているのだ。ミルクの皿をひっくり返されたり、うとうとしている所にいきなり、脱いだブーツを放り出されたりして。
「……ありがと、わかってくれて」
 ニコラはしゃがみこんで、ちっちゃいさんたちの頬をつつく。
「やぁん、ぷにぷにしてるー」
「きゃわわん」
 ころんころんと転がる姿を見て、ちょっぴり罪悪感を覚えてしまうのは原因が自分のあげたお菓子だから。
(これはこれで可愛いけど、何か申し訳ない……)
 甘いお菓子はちっちゃいさんの大好物だ。太り過ぎを懸念して制限するのもまた申し訳ない。
 やはり体を動かすのが一番だろう。
(でも、ちっちゃいさんってどうやって運動させればいいんだろう)
 四の姫は割と真剣に悩んでいた。
「今度、ナデュー先生に聞いてみるね?」
「きゃわ?」
「きゃーわ」

     ※

 馬小屋から出ると、師匠が待ってた。しかし一番の労働力の姿は無い。
「あれ、師匠、ダインは?」
「ん? 台所で昼飯作ってる」
「ええっ、一人でっ?」
「そら、一応、あいつも西道守護騎士だろ? 料理の経験はあるはずだし、俺らの手伝いもやってるから心配はないだろ」
「そりゃあ、そうだけど」
 大ざっぱに切った野菜と、豆と、肉の入った煮込み、とか。魚を丸ごとフライパンで焼いて塩をふって、茹でたジャガイモ(当然丸ごと)を添えて、とか。味付けは基本塩、その他、その場にある物を適当に。
 ダインが一人で作るとどうしても、野戦料理になる。
「ま、いっか、たまには」
 作りは大ざっぱだけど、味は悪くない。むしろ男の人であそこまで作れるのは上等の部類に入ると思う。お皿も使った鍋もちゃんと洗うし(ここ、重要!)。

「顔と手、洗ってこい」
「はーい」
 言われた通り井戸端で顔と手を洗う。麦わら帽子とエプロンを外して、台所に入って行くと……。
「わあ」
 もわもわと立ちこめる湯気に一瞬、視界が遮られる。かまどにかかった大鍋に湯がいっぱい煮え立ち、さらにその隣には、これまだ大きな鍋にスープがぐつぐつ言っている。そして、鍋の前には背中を丸めた大動物が一人、今しも木杓子でスープを小皿に取り分けた所。

「おう、ニコラ。終わったのか、水まき」
「うん」
「スープの味見、頼む」
 小皿に取られたスープを吹いて、冷まして口に含む。魚と、塩と(やっぱり塩なんだ……)野菜の味が溶け合っていた。薬味のローズマリーが効いていて臭みもない。
「あ、おいしい」
「そっか。カワカマスの干物で出汁取ってみたんだ」
 正直、びっくりした。
 ダインがそんなに手間をかけて作ってるの見た事ない。せいぜい、ベーコンを多めに入れる程度で……。
「こないだ作ったスープ、魚ベースだったろ?」
「……あ」
「好きなのかなって思って」
(ちゃんと、覚えていてくれたんだ!)
「フロウも食うから、赤ペッパーは自粛した」
「ん、それは賢明な判断」

 ああ。やっぱりダインって憎めない。気が利かないなりに精一杯、こっちの事を考えてくれるから。
 うわべだけじゃない。単純に礼儀正しいってだけじゃない。もっと深い部分を理解して、できる限り沿うように心を砕いてくれるから。
(そんな彼に、全力でレディとして敬われたから……ころっと落ちちゃったんだろうな)
 馬上槍試合で初めて出会った時の事も、今なら冷静に判断できる。

「ニコラ」
「はい?」
 レディ・ニコラじゃない、ただのニコラ。普通のニコラ。でも多分、今の方が距離は近い。
 ダインは騎士だ。出会う女性全てに礼儀を尽くす。レディとして敬い、守る。だけど彼の家族以外で、ここまで近づいた女の子は、他にいないんじゃないかな。
「麺、何玉入れる?」
「二玉!」
 汁麺(soup noodle)作ってたんだ!
 乾燥した麺を茹でて、たっぷり野菜を入れたスープに浸す。西の辺境で好んで食べられる家庭料理。汁と一緒に麺をすするのがお下品だって眉をひそめる人たちもいるけれど、私は好き。
「了解。んじゃフロウが一玉、俺が三玉だから……」
 ひょい、ひょい、と食料庫から玉状になった乾燥麺を取り出してザルに乗せている。
「あれ、八つ?」
「あいつは、二玉だから」
 ほらね。嫌ってるようでもちゃんと見てるし、結局、彼の分も作ってる。こう言う所、やっぱりいいなって思う。
「お皿出しとくね」
「うん、頼む」

「ちび!」
「ぴゃーあ」
 もそもそと丸い体を揺すってちびがダインの肩に飛び上がる。
「レイヴン呼んで来てくれ。昼飯だ。伸びないうちに降りてこいってな」
「ぴゃ! れーい!」
 身軽に床に飛び降りて、走って行く。ドアから廊下へと駆け抜けて、階段へ。途端にずだだだだっとものすごい音がした。
「な、何、あれ!」
「……足音。ちびの」
「わああ」
 とてもじゃないけど、猫が走ってる音に聞こえない。かなり重くなってるらしい。
(ごめんね、ちびちゃんっ!)

     ※

「いっただっきまーす」
 ずぞぞぞぞっと麺をすする音、スープを飲む音が響く。
 深めのスープ鉢にゆで上がった麺を入れ、上から汁をたっぷりそそぐ。盛りつけが終わったのから食卓に運び、伸びないうちに手早くいただくのがコツ、ただしフロウは冷ましてから食べる。

 ダインは神妙な面持ちでニコラの顔色をうかがう。最初の一口を味わい、咀嚼し、のみこむと、ニコラはおもむろに頷いた。
「美味しい!」
「そっか」
 途端にダインの顔から力が抜ける。ばりばりに緊張していたのだ。
 食卓には金髪のニコラと亜麻色の髪のフロウ、金褐色の癖っ毛のダインとそしてもう一人、黒髪に灰色の瞳の背の高い男が座っている。
 ちっちゃいのが二人とでっかいのが二人。黒髪の男はダインよりもさらに背が高い。その頭の上には、黒と褐色まだらの翼の生えた猫がしがみついている。
「ぴゃああ」
「……重い」
「ごめんなさい」
 頭を下げるニコラを、黒髪の男は首を傾げて不思議そうに眺める。
「……なぜ謝る」
「んー、まあ、何だ、ちびが増量した責任を感じてるんだろ」
「ふむ」
 ずずっと麺をひとすすりして後、ダインが口を開く。
「動けば減るだろ」
「こいつ最近、動いてねぇぞ? ぺたーっと寝そべってるばかりで」
「ちび……お前……」
「ぴゃ?」
 わたしはなーんにもしりません。とでも言いたげな顔でちびが首を傾げる。
 ころころ丸いとりねこを頭に乗せたまま、黒髪の男は黙々と食べ続ける。すすってるはずなのに、ほとんど音が聞こえない。

「ねえ、レイヴンさんは、とりねこ飼ってるんでしょ?」
「あぁ」
 年長者として、そして魔法使いとして上位の彼に敬意を払い、ニコラはレイヴンを「さん」づけで呼ぶ。対してレイヴンも同様に、騎士の娘である彼女に敬意を表して「ニコラ嬢」と呼んでいる。
「ちびちゃんを痩せさせるには、どうすればいいの?」
「くるみを使う」
「くるみ?」
「あぁ。殻つき、丸ごとで」
 この瞬間、ダインとニコラの脳裏を嵐のような思考が駆け抜ける。
(食べさせるの? でもくるみって、かなり栄養があるはず……)
(丸のみさせるのか。それとも殻をかみ砕くんだろうか。いや、それで鍛えられるのは顎なんじゃあないかっ?)
 注目されてるのを知ってか知らずか。ちびはレイヴンの頭上で足を踏ん張って胸を反らせ、翼を広げた。
「ぴゃああ!」

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【31-4】その名を嫉妬と言う

2013/07/07 16:34 騎士と魔法使いの話十海
(どうしよう。ダインが、私の事、かわいいって……)
「えーっと、その、あの」
 両手で麦わら帽子のつばをひっぱり、顔を隠す。緩み切った目や口元を見られないように。
 それほどでもないわ。なんて気どった言葉を返しかけたその時。
「かわいいなあ、エアロスとアクアンズ」
「……え?」

「水まいたからだろうな。手ーつないでくるくる回ってる」
 ああ、何てこと。
 麦わら帽子のつばが作る影の中、左の瞳が白く光っている。月の光にも似た白い輝きの中に、明滅する全ての色が渦を巻く。普段は目に見えない魔力の流れや精霊を見通す『月虹の瞳』が、解き放たれている。
 騎士ダインがこの上もなく優しい眼差しを注いでいるのは、可憐な十四歳の金髪の少女ではなく……水と植物の小精霊たちだったのだ!

 ニコラは無言で柄杓を掴み、水を満たした。
「楽しそうだなあ。ああ、ほんとかわいい奴らだ」
 満面の笑みを浮かべてちっちゃいさんたちを見守るダイン顔面めがけて……豪快にぶちかます!
「わぶっ」
 まっこうから被り、ダインの首から上は水浸し。顔や髪を伝い、徐々に水滴が下に垂れてくる。
 手のひらで無造作に拭うと、さしものわんこ騎士も歯を剥いて怒鳴った。
「何すんだよ!」
 無言でニコラはぷいっとばかりにそっぽを向く。明らかに機嫌をそこねている。だが理由がわからない。さっぱり見当が着かない。ダインは狐につままれたような顔で立ち尽くすばかり。

「……ばぁか」
「え?」
 いつの間に家から出て来たのか、フロウが立っていた。救いようがねぇなあ、と言わんばかりに目をすがめて斜め下からダインを睨め付ける。
「ししょー、私、黒にお水あげてくる!」
「おう、いってらっしゃい」
 ニコラは空っぽになったバケツをつかむと小走りにダインの脇を走り抜け、フロウに一声かけてから猛然と井戸に歩いて行く。
「俺は無視かよ!」
 ぼたぼたと水滴を垂らしてダインは腕を組み、低く唸った。
「ったく、俺が何したって?」

 シャツが濡れてべったりと体に張り付いている。もう汗だか水だかわかりゃしない。無造作に脱ぎ、絞ると派手な音を立てて水が滴り落ちた。
「何で、あんなに怒ってるんだ?」
 視線の先では、ニコラが猛烈な勢いで滑車を回して水を汲んでいた。明らかにさっきより動きがダイナミックだ。
「さっぱりわかんねぇ……」
 ついでとばかりに、絞ったシャツで体を拭う。厚みのある胸筋が。みっしり盛り上がった腕の筋肉がなめらかに動く。
 それに合わせて陽に焼けた肌を彩る光と影が流動し、滴る水滴がきらめきを添える。
「かっこいいな」
「……え?」
 その瞬間、ダインの肋骨の内側で小さな爆発が起きた。一回では収まらず、立て続けに何度も何度も。

 今まで冗談めかして『いい腕だねぇ』とか『頼りにしてるぜ?』とか囁かれた事はあった。しかし、こんな風に面と向かって言われたのは初めてだ。昼間に屋外でってのがまた、照れ臭さを煽る。
『何、馬鹿言ってんだよ中年』
 これまでのダインなら、笑い飛ばしていた事だろう。だが今は……。同じ家の中に、自分より付き合いの長いもう一人が住んでいる今となっては。他愛の無い褒め言葉が嬉しくて、嬉しくて、たまらない。
「あ……その」
 耳まで赤く染めて、何がしかのお礼の言葉を返そうとしたその時だ。
「……あの馬車、装飾がシンプルな分キチっとした感じで、多分南区の貴族のだろうなぁ」
 一瞬でダインは凍りついた。

 何のことない。このくそっ可愛い中年オヤジの蜂蜜色の瞳は、自分を通り越して生け垣の向こう側を。外の道を走った馬車に向けられていたのだ。
 馬車でまだ良かった。
 もしもこれで、視線の先に居たのが奴だったらと思うと……。
(いや、良くない。全然良くないぞ!)
 喜びが大きかった分、失望との落差は激しい。気まずさも手伝い、落ち込む気持ちはぐるりと半回転。
 こじれ、ねじれて理不尽な苛立ちへと変化する。

「おい、何だよそれ、無駄に期待させやがってっ」
 あっという間にたくましい手が丸みのある肩を掴み、ぐいとばかりに引き寄せる。
「俺を見ろよ!」
 それはここ数日の間、何度も言おうとして。その都度、無理矢理のどの奥に押し込めてきた言葉だった。
 フロウは臆する風もなく苛立つ視線を受け止め、落ち着き払った声でただひと言、告げた。
「……ニコラの気持ち、分かったろ?」
「あ………」
 途端に血の気が引いた。
(そうか、俺は……俺って奴は……)
 乙女の平安を最優先して考える。それが騎士たる者の本分だ。どんなに感情が荒れ狂っていても、心根に深く染みついた行動原理に基づき、考え、行動する。

「とんでもない事、しちまった……謝らないと」
「なら、昼飯に好物でも作ってご機嫌取ってこいバカわんこ」
「わかった! ちょっと台所借りる!」
 裏口めがけて一直線にすっ飛んでくかと思いきや、途中で立ち止まって、ちまちまと香草を摘んでいる。
(なるほど、ああ見えてちゃんとニコラの好みは把握してる訳だ)
 いつもと変わらぬゆるい笑いを浮かべて見送りつつ、ふとフロウは今し方掴まれた肩に手を置いた。

 かすかに疼いてる。
 ほんの短い刹那ではあったが、凄まじい力が込められていた。布越しに食い込む爪の感触まで分かるほど、強く。
 すぐに緩められはしたけれど……。
 襟元を広げて確かめる。年の割に張りのある、凝脂の乗った肌にかすかに赤い爪痕が浮いていた。
(いっちょ前に、焼きもち焼く事覚えたのかねぇ、あのわんこは)
 ふーっと深く息を吐く。
 理由は大体察しがつく。レイヴンが帰ってきて以来、あいつの言動がそこはかとなくおかしい。

(隠してるつもりじゃなかったんだけどねぇ……言ったつもりだっただけで……いや、伝わってなけりゃ一緒か)
 若干の後ろめたさがあればこそ、フロウも面と向かって話す事は避けていた。二人暮らしから三人暮らしへの変化はなあなあのうちに受け入れられ、日常になったと思っていたのだが。
(一度、じっくり話しとかなきゃいけねぇなあ)
 恐らくダイン自身も気付いていないのだろう。自らの胸を内側から焦がす感情の名前を。
 身を縮めて振りかかる悪意にひたすら耐え、理不尽な扱いにも声を荒げる事も無く。長じて後は騎士たる者の義務と規律で己を縛り、ひたすら他人に尽くして生きてた、あの馬鹿みたいなお人よしは。

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【31-3】かわいいって誰の事?

2013/07/07 16:33 騎士と魔法使いの話十海
「おーう、来たか、ニコラ」
 フロウは薄々事態を察知していた。小さな生き物は影響が出るのが早い。日ごとにころころむちむち増量して行くちっちゃいさん達とちびを見れば、ニコラが遅かれ早かれぽっちゃりするのは目に見えていた。
「んぴぃう、にーこーら!」
 とりのような、ねこのような生き物。梁の上でうとうとしていたちびが翼を広げ、フロウの肩に舞い降りる。
「うぉう」
 思わずよろめいた。
 柔らかな肉球が肩にめり込んで来る。小さな足に増量した体重がずっしりかかってるもんだから、そりゃあもう深々と。
「もしかして、ちびちゃんも……」
「ああ、重くなってるな」

 鼻面を膨らませ、よだれを垂らさんばかりの勢いで赤い口を開き、らんらんと輝く金色の瞳でニコラを凝視している。
 理由は言わずもがな。
「ぴゃっ、くっきー!」
「あぁああ……」
 頭を抱えてニコラがうつむく。だが、すぐにがばあっと顔を上げた。こう言う所は実に前向きで気持ちが良い。弟子の不屈の精神を、フロウは高く評価していた。
「師匠! 何なりとお申し付けください! 力仕事系ならモアベター!」
「んじゃ、まあ裏の薬草畑に水まいてもらおっか」
「了解!」
 上着を脱いで腕まくり。さらに金髪を一つにまとめて頭の後ろで高々と結い上げる。
「行ってきます!」
「おう、忘れず帽子かぶってけよー」
 店の奥に通じるドアが閉まる。金色のしっぽを見送り、フロウはふっとほくそ笑んだ。

     ※

 庭に出る前に、手前の廊下にかけられた帽子とエプロンを身に着ける。師匠の畑の手入れは弟子の勤め、ちゃんとこの家に自分専用のエプロンと麦わら帽子を用意してあるのだ。
「よぉし、行くぞぉ!」
 いつもは、水まきの時は使い魔の水妖精に手伝ってもらっている。だけど今日は一人でやるのだ。己の手を。足を動かさなければ意味がない。しかも心なしかエプロンの紐がいつもより短く感じるし!
 裏口の扉を開け放って庭に飛び出す。薬草畑には先客が居た。柄杓で水をまく手を休めてのっそりと、巨大な生き物が起き上がる。
「よう、ニコラ」
「ごきげんよう、ダイン」
 同じように麦わら帽子を被って腕まくり。身に着けてるシャツもいつもの洗いざらした木綿の生成りだ。

 それとなく視線を走らせる。布地越しに見る限り、連日のクリームもフルーツソースもブラウニーも、何一つ彼の肉体には影響を及ぼしていない。魔法訓練生と西道守護騎士。運動量に圧倒的な差があると分かってはいるのだが……。
(不公平だっ!)
 思わず知らず拳を握り、ぷるぷる震えて唇を噛む。噛まずにはいられなかった。
「ニコラ?」
「……何でもない」

 ダインの足下にはバケツが二つ並んでいる。一つには水がまだ残っていたが、一つは空っぽだった。
(いっぺんにこれ、二つ運んでるって事? しかも水いっぱいに入れた状態で!)
 自分ではどうがんばっても、一つが限界だ。改めて腕力と体力の差を痛感してしまう。
(ええい、ここで落ち込んでどうするの。マイペース。そうよ、マイペース。自分でできる事から始めればいいのよ!)
 自らの闘争心を奮い立たせ、ニコラは空になったバケツの取っ手を両手でつかんだ。
「水汲んでくるね!」
「ああ、助かる!」
 白い歯を見せて笑いかけて来る。目元に笑い皺が寄り、厳つい顔全体が笑み崩れてる。何度見てもこの落差は、危険だ。
(この笑顔で、ころっと参っちゃう人多いだろうなあ……私もそうだったけど)
「行ってくる!」
 大急ぎでバケツをぶらさげて駆け出した。
(師匠もそうなのかな)

 水を吸った木のバケツはずしりと重く、空の状態でも肩が下に引っ張られる。負けじと足を動かして、前進前進、ひたすら前進。ほどなく井戸に到着する。 
「んっしょっと」
 滑車についたハンドルを回し、ロープつきの桶を下に降ろす。いきなり投げ落とせば早いけど、それだと水面に落下した時の衝撃で桶が壊れる可能性がある。それに……
「これはけっこう、効きそう」
 主に二の腕に。
 桶に水が入ったのを確認してから、今度は逆にハンドルを回してロープを巻き取る。桶からバケツに水を移し、もう一度井戸の底へと降ろす。三回汲んでようやく一杯になった。
「よぉし、行くわよ……」

 レディのたしなみはしばし忘れる。肩幅に足を開いて踏ん張り、膝を屈めて両手でしっかり取っ手を握る。
(うっ、やっぱり、重ぉい)
 ほんの少し持ち上げただけで、ずっしりと重みがかかってくる。
「……負けない!」
 じりじりと膝を伸ばし、腕、肩、背中、腰と体全体で重さを支えて持ち上げる。
「ふんっ!」
 最後の一踏ん張りでバケツの底が地面から離れる。
「うわっととととっ」
 反動で、揺れた。水の表面が波打ち、バケツの外に飛び出す。危ない、危ない。揺らしたらこぼれてしまう。

「おーいニコラ。大丈夫か?」
 畑からダインが声をかけてくる。じっと見守っていたらしい。思わず胸が時めく。が、あくまで平静を装って答えた。
「大丈夫、大丈夫! 今行くから!」
 この際、スピードよりも安定性を重視しよう。一歩ずつ慎重に足を運んで畑に向かう。半分ほどまで来た所で腕がぷるぷる震え、水面の揺らぎが酷くなる。一度バケツを降ろした。
「っふぅ」
 取っ手が手に食い込んで、赤く跡がついている。妙に火照って、熱い。軽く息を吹きかけ、再びバケツを持ち上げた。
「負けるかぁっ」

 バケツと戦うニコラの姿を、ダインは内心はらはらしながら見守っていた。だが前もってフロウに言いつけられていた通り、できる限り手は貸さない。
『あくまで、ニコラが体を動かさないと意味ないんだからな?』
 転んだらすぐに飛び出せるように身構えていたが、幸い出番は無かった。
「ふーっ」
 どさっとバケツを畑の土の上に下ろし……たのはいいものの、ニコラはすぐには動けなかった。拳に力を入れ過ぎて硬直し、すぐには指がほどけなかったのだ。
「……ほんっとーに大丈夫か」
「う、うん」
 一本一本引きはがす。しびれた足を急に動かした時にも似たむず痒さが走る。
(まだよ。これしきでへばってる場合じゃあないわ!)

 額から滴る汗を無造作に拭い、ニコラは両足を踏ん張って背筋を伸ばした。
(水まきは、これからが本番よ!)
「ダイン、柄杓貸して!」
「おう、そら」
 柄の長い柄杓をバケツに突っ込み、水を満たす。そのまま己の体を中心にぶん回し、土の乾いた一角を狙って……
「そーれっ!」
 景気良く撒き散らす! 日の光を反射しながら、きらめく水しぶきが飛び散る。重たいバケツを運んでいた時の苦労が、すーっと蒸発するような心地がした。
 軽くなった柄杓を半回転させて手元に戻し、再びバケツに突っ込む。
「よーっし、もう一回!」
 ざばーっと撒き散らす。湿った土と、薬草から立ち昇る香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「……かわいいな」
「え?」
 ぽつりとダインが呟く。我知らず胸が震えた。
(まさか、今のって……)
 念のためと周囲を見回すが、師匠はいない。ちびちゃんもいない。
(ってことは、まさか、私のこと?)
 その瞬間、乙女のハートは小さな胸の中で激しく脈動した。照りつける陽射しや、体を動かした結果に上乗せして、さらに体温が上昇する。顔が火照る。手が熱い。

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【31-2】乙女の危機

2013/07/07 16:33 騎士と魔法使いの話十海
 半ば石で半ば木。天井は高く梁は剥き出し。所狭しと乾燥させた薬草の花や葉っぱ、茎、根っこを収めたガラス瓶を収めた棚が並び、天井に張り渡されたロープには乾燥中の薬草の束が下げられている。
 下町の薬草店「魔女の大鍋」のカウンターには、銀色のベルとこんな小さな黒板が置かれていた。
 黒板にはこんな文字が書かれている。
「ご用の方はベルを鳴らしてください」

 そして、ドア一枚隔てた台所では今、大柄な青年が上腕の筋肉を盛り上がらせ、額に汗を浮かべて全力で……クリームを泡立てていた。
「まだか」
「んー、ゆるくってもいいが、ぴっと角が立つくらいが理想だな」
「わかった」
 がしゃがしゃと派手な音が響く。
 ダインは大ざっぱだがそれ以上に生真面目な男だった。これが理想と言われれば、全力でやり遂げる。

 一方ではニコラがシロップに少量の水と果汁を加えて、ゆるく溶いている所。
「師匠、できました!」
「ん、上出来」
 ちょろりとなめてフルーツソースの出来栄えを確認すると、フロウは頷いた。
「じゃ、後はそいつをブラウニーにかけるんだ」
「きゃわ?」
「……いや、お前さんたちじゃなくて」
 二頭身のまるまっちぃ小人が七匹、ずらりと調理台の縁に並んでいた。
 そろって顔を赤らめ、目をうるませ、はっふはっふと息を荒くしている。金属性の小精霊ブラウニーズ、通称ちっちゃいさん。バタースコッチブラウニーも、生クリームも、彼らの大好物なのだ。

「こっちね?」
「そう、こっちだ。全体にしみ込むようにな」
「了解!」
 がちがちに硬くなった四角いクッキーに、まんべんなくフルーツソースをかける。
「わ、すごい勢いでしみ込んでる!」
「OK、いい感じだ。ダイン、泡立て終わったか?」
「おう、できたぞ」
「ご苦労さん」
 ぜえ、はあと息を荒くしているわんこ騎士の前髪をかきあげ、汗だくの額に口付け一つ。
 それだけで、ダインは至福に包まれる。全ての労働が報われたかの如く、目元を和ませ、緩んだ唇の間から白い歯を見せる。
「へへっ」
「んじゃ、そいつをブラウニーに乗っけてくれ」
「こいつらにか?」
「きゃわ」
「……お前さん、さっきの話聞いてなかったろ」
「きゃーわー」

 バタースコッチブラウニーのフルーツソースかけに、砂糖無しのホイップクリームを添えて。
 お茶は水出しのハーブティ、ブレンドはリンゴとシナモンにミント。
 ちっちゃいさんたちも、きゃわきゃわと歓声を上げて自分たちの取り分にかぶりついている。丸いほっぺやちっちゃな手がクリームにまみれようがお構いなしだ。
 そしてニコラはフルーツソースに浸ったブラウニーに、クリームを載せて一口ほお張った瞬間。
「何これ……」
 無表情のまま硬直し、ぷるぷると小刻みに震え出した。
「……ニコラ?」
「おい、大丈夫か?」
 フロウとダインが声をかけた瞬間、顔全体が笑み崩れた。両手を頬に当て、甲高い澄んだ声で叫ぶ。
「おいっしーいっ!」
「……そりゃよかった」
「こ、こんな食べ方があったなんて。ケーキとも違う、クッキーとも違う! しっとりして、みっしりしてて。生クリームとフルーツソースとの取り合わせが反則!」
 脇目もふらずにフォークを動かし、口に運ぶ。
「ああ、やめられない……」
「んぴゃああああ、んぴゃああああああっ」
 床の上では同じくらい熱心に、黒と褐色斑の猫に似た生き物がバタースコッチブラウニーをほお張っていた。

「気に入ったみたいだな」
 ほっと胸を撫で下ろすダインの肩を、薬草香る手が労うように軽く叩く。
「ん、まあ怪我の功名って奴かな」
 ダインは手元の皿を見下ろし、しみじみとつぶやいた。
「確かに美味いけど、ここまで甘いといっぺんに食うのは……なあ」
「んー、おいしい……」
 最後の一片まであまさず平らげ、四の姫は幸せそうにため息をついた。
「癖になりそう」
「おいおい、気を付けろよ」
 苦笑しながらフロウは警告した。
「食べ過ぎると全部、お肉になっちまうぞ」
「はーい、気を付けまーす」

 しかし。
 一度覚えた美味しいものにはつい、手が出てしまうもので。
 いけないと思いつつ、ついつい。
 ホイップクリームの代わりに、クリームチーズなんか添えても美味しい、なんて発見もしてしまうと尚更止まらない。
「お前さん、よっぽどその食べ方気に入ったらしいなあ」
 苦笑混じりに師匠に言われても止まらない。
「きゃわわっ、きゃわっきゃわっ!」
 毎度毎度おこぼれをもらってちっちゃいさんは大喜び。
「ぴゃああ! んぴゃああああ!」
 クリームのおすそ分けに預かりちびも大喜び。
 日に日にころころ丸くなる小さな生き物たちを見て、ニコラは若干、不吉な予感を覚えた。
 それでも止まらない、禁断の味。
「ああああ、わかっていてもやめられないっ!」
 四の姫ニコラは育ち盛りの十四歳。禁断の甘さの代償は、意外に早く訪れた。

 ある朝、いつものように魔法学園の制服に袖を通して、気付いてしまったのだ。
「うそ……きつい!」
 ピンチ、到来。
 ぼう然としながらも素早く手を動かし、ボタンの位置を変えてしのいだが……。なまじ自分でつくろった為、どれだけ幅が増えたのかはっきりと目に見える。嫌でも思い知らされてしまう。
「真剣に……ピンチだぁ」

 その日の放課後、ニコラは薬草店まで走った。
 金色の髪の毛をなびかせ、藍色の魔法学園の制服を翻し、全力で走った。
 ドアベルの音も高らかに扉を開け放ち、店内に飛び込むなり、宣言したのだった。
「師匠! 畑仕事手伝います!」

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