ようこそゲストさん

とりねこの小枝

【31-4】その名を嫉妬と言う

2013/07/07 16:34 騎士と魔法使いの話十海
(どうしよう。ダインが、私の事、かわいいって……)
「えーっと、その、あの」
 両手で麦わら帽子のつばをひっぱり、顔を隠す。緩み切った目や口元を見られないように。
 それほどでもないわ。なんて気どった言葉を返しかけたその時。
「かわいいなあ、エアロスとアクアンズ」
「……え?」

「水まいたからだろうな。手ーつないでくるくる回ってる」
 ああ、何てこと。
 麦わら帽子のつばが作る影の中、左の瞳が白く光っている。月の光にも似た白い輝きの中に、明滅する全ての色が渦を巻く。普段は目に見えない魔力の流れや精霊を見通す『月虹の瞳』が、解き放たれている。
 騎士ダインがこの上もなく優しい眼差しを注いでいるのは、可憐な十四歳の金髪の少女ではなく……水と植物の小精霊たちだったのだ!

 ニコラは無言で柄杓を掴み、水を満たした。
「楽しそうだなあ。ああ、ほんとかわいい奴らだ」
 満面の笑みを浮かべてちっちゃいさんたちを見守るダイン顔面めがけて……豪快にぶちかます!
「わぶっ」
 まっこうから被り、ダインの首から上は水浸し。顔や髪を伝い、徐々に水滴が下に垂れてくる。
 手のひらで無造作に拭うと、さしものわんこ騎士も歯を剥いて怒鳴った。
「何すんだよ!」
 無言でニコラはぷいっとばかりにそっぽを向く。明らかに機嫌をそこねている。だが理由がわからない。さっぱり見当が着かない。ダインは狐につままれたような顔で立ち尽くすばかり。

「……ばぁか」
「え?」
 いつの間に家から出て来たのか、フロウが立っていた。救いようがねぇなあ、と言わんばかりに目をすがめて斜め下からダインを睨め付ける。
「ししょー、私、黒にお水あげてくる!」
「おう、いってらっしゃい」
 ニコラは空っぽになったバケツをつかむと小走りにダインの脇を走り抜け、フロウに一声かけてから猛然と井戸に歩いて行く。
「俺は無視かよ!」
 ぼたぼたと水滴を垂らしてダインは腕を組み、低く唸った。
「ったく、俺が何したって?」

 シャツが濡れてべったりと体に張り付いている。もう汗だか水だかわかりゃしない。無造作に脱ぎ、絞ると派手な音を立てて水が滴り落ちた。
「何で、あんなに怒ってるんだ?」
 視線の先では、ニコラが猛烈な勢いで滑車を回して水を汲んでいた。明らかにさっきより動きがダイナミックだ。
「さっぱりわかんねぇ……」
 ついでとばかりに、絞ったシャツで体を拭う。厚みのある胸筋が。みっしり盛り上がった腕の筋肉がなめらかに動く。
 それに合わせて陽に焼けた肌を彩る光と影が流動し、滴る水滴がきらめきを添える。
「かっこいいな」
「……え?」
 その瞬間、ダインの肋骨の内側で小さな爆発が起きた。一回では収まらず、立て続けに何度も何度も。

 今まで冗談めかして『いい腕だねぇ』とか『頼りにしてるぜ?』とか囁かれた事はあった。しかし、こんな風に面と向かって言われたのは初めてだ。昼間に屋外でってのがまた、照れ臭さを煽る。
『何、馬鹿言ってんだよ中年』
 これまでのダインなら、笑い飛ばしていた事だろう。だが今は……。同じ家の中に、自分より付き合いの長いもう一人が住んでいる今となっては。他愛の無い褒め言葉が嬉しくて、嬉しくて、たまらない。
「あ……その」
 耳まで赤く染めて、何がしかのお礼の言葉を返そうとしたその時だ。
「……あの馬車、装飾がシンプルな分キチっとした感じで、多分南区の貴族のだろうなぁ」
 一瞬でダインは凍りついた。

 何のことない。このくそっ可愛い中年オヤジの蜂蜜色の瞳は、自分を通り越して生け垣の向こう側を。外の道を走った馬車に向けられていたのだ。
 馬車でまだ良かった。
 もしもこれで、視線の先に居たのが奴だったらと思うと……。
(いや、良くない。全然良くないぞ!)
 喜びが大きかった分、失望との落差は激しい。気まずさも手伝い、落ち込む気持ちはぐるりと半回転。
 こじれ、ねじれて理不尽な苛立ちへと変化する。

「おい、何だよそれ、無駄に期待させやがってっ」
 あっという間にたくましい手が丸みのある肩を掴み、ぐいとばかりに引き寄せる。
「俺を見ろよ!」
 それはここ数日の間、何度も言おうとして。その都度、無理矢理のどの奥に押し込めてきた言葉だった。
 フロウは臆する風もなく苛立つ視線を受け止め、落ち着き払った声でただひと言、告げた。
「……ニコラの気持ち、分かったろ?」
「あ………」
 途端に血の気が引いた。
(そうか、俺は……俺って奴は……)
 乙女の平安を最優先して考える。それが騎士たる者の本分だ。どんなに感情が荒れ狂っていても、心根に深く染みついた行動原理に基づき、考え、行動する。

「とんでもない事、しちまった……謝らないと」
「なら、昼飯に好物でも作ってご機嫌取ってこいバカわんこ」
「わかった! ちょっと台所借りる!」
 裏口めがけて一直線にすっ飛んでくかと思いきや、途中で立ち止まって、ちまちまと香草を摘んでいる。
(なるほど、ああ見えてちゃんとニコラの好みは把握してる訳だ)
 いつもと変わらぬゆるい笑いを浮かべて見送りつつ、ふとフロウは今し方掴まれた肩に手を置いた。

 かすかに疼いてる。
 ほんの短い刹那ではあったが、凄まじい力が込められていた。布越しに食い込む爪の感触まで分かるほど、強く。
 すぐに緩められはしたけれど……。
 襟元を広げて確かめる。年の割に張りのある、凝脂の乗った肌にかすかに赤い爪痕が浮いていた。
(いっちょ前に、焼きもち焼く事覚えたのかねぇ、あのわんこは)
 ふーっと深く息を吐く。
 理由は大体察しがつく。レイヴンが帰ってきて以来、あいつの言動がそこはかとなくおかしい。

(隠してるつもりじゃなかったんだけどねぇ……言ったつもりだっただけで……いや、伝わってなけりゃ一緒か)
 若干の後ろめたさがあればこそ、フロウも面と向かって話す事は避けていた。二人暮らしから三人暮らしへの変化はなあなあのうちに受け入れられ、日常になったと思っていたのだが。
(一度、じっくり話しとかなきゃいけねぇなあ)
 恐らくダイン自身も気付いていないのだろう。自らの胸を内側から焦がす感情の名前を。
 身を縮めて振りかかる悪意にひたすら耐え、理不尽な扱いにも声を荒げる事も無く。長じて後は騎士たる者の義務と規律で己を縛り、ひたすら他人に尽くして生きてた、あの馬鹿みたいなお人よしは。

次へ→【31-5】ずるずるずぞぞ
    web拍手 by FC2