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とりねこの小枝

【31-3】かわいいって誰の事?

2013/07/07 16:33 騎士と魔法使いの話十海
「おーう、来たか、ニコラ」
 フロウは薄々事態を察知していた。小さな生き物は影響が出るのが早い。日ごとにころころむちむち増量して行くちっちゃいさん達とちびを見れば、ニコラが遅かれ早かれぽっちゃりするのは目に見えていた。
「んぴぃう、にーこーら!」
 とりのような、ねこのような生き物。梁の上でうとうとしていたちびが翼を広げ、フロウの肩に舞い降りる。
「うぉう」
 思わずよろめいた。
 柔らかな肉球が肩にめり込んで来る。小さな足に増量した体重がずっしりかかってるもんだから、そりゃあもう深々と。
「もしかして、ちびちゃんも……」
「ああ、重くなってるな」

 鼻面を膨らませ、よだれを垂らさんばかりの勢いで赤い口を開き、らんらんと輝く金色の瞳でニコラを凝視している。
 理由は言わずもがな。
「ぴゃっ、くっきー!」
「あぁああ……」
 頭を抱えてニコラがうつむく。だが、すぐにがばあっと顔を上げた。こう言う所は実に前向きで気持ちが良い。弟子の不屈の精神を、フロウは高く評価していた。
「師匠! 何なりとお申し付けください! 力仕事系ならモアベター!」
「んじゃ、まあ裏の薬草畑に水まいてもらおっか」
「了解!」
 上着を脱いで腕まくり。さらに金髪を一つにまとめて頭の後ろで高々と結い上げる。
「行ってきます!」
「おう、忘れず帽子かぶってけよー」
 店の奥に通じるドアが閉まる。金色のしっぽを見送り、フロウはふっとほくそ笑んだ。

     ※

 庭に出る前に、手前の廊下にかけられた帽子とエプロンを身に着ける。師匠の畑の手入れは弟子の勤め、ちゃんとこの家に自分専用のエプロンと麦わら帽子を用意してあるのだ。
「よぉし、行くぞぉ!」
 いつもは、水まきの時は使い魔の水妖精に手伝ってもらっている。だけど今日は一人でやるのだ。己の手を。足を動かさなければ意味がない。しかも心なしかエプロンの紐がいつもより短く感じるし!
 裏口の扉を開け放って庭に飛び出す。薬草畑には先客が居た。柄杓で水をまく手を休めてのっそりと、巨大な生き物が起き上がる。
「よう、ニコラ」
「ごきげんよう、ダイン」
 同じように麦わら帽子を被って腕まくり。身に着けてるシャツもいつもの洗いざらした木綿の生成りだ。

 それとなく視線を走らせる。布地越しに見る限り、連日のクリームもフルーツソースもブラウニーも、何一つ彼の肉体には影響を及ぼしていない。魔法訓練生と西道守護騎士。運動量に圧倒的な差があると分かってはいるのだが……。
(不公平だっ!)
 思わず知らず拳を握り、ぷるぷる震えて唇を噛む。噛まずにはいられなかった。
「ニコラ?」
「……何でもない」

 ダインの足下にはバケツが二つ並んでいる。一つには水がまだ残っていたが、一つは空っぽだった。
(いっぺんにこれ、二つ運んでるって事? しかも水いっぱいに入れた状態で!)
 自分ではどうがんばっても、一つが限界だ。改めて腕力と体力の差を痛感してしまう。
(ええい、ここで落ち込んでどうするの。マイペース。そうよ、マイペース。自分でできる事から始めればいいのよ!)
 自らの闘争心を奮い立たせ、ニコラは空になったバケツの取っ手を両手でつかんだ。
「水汲んでくるね!」
「ああ、助かる!」
 白い歯を見せて笑いかけて来る。目元に笑い皺が寄り、厳つい顔全体が笑み崩れてる。何度見てもこの落差は、危険だ。
(この笑顔で、ころっと参っちゃう人多いだろうなあ……私もそうだったけど)
「行ってくる!」
 大急ぎでバケツをぶらさげて駆け出した。
(師匠もそうなのかな)

 水を吸った木のバケツはずしりと重く、空の状態でも肩が下に引っ張られる。負けじと足を動かして、前進前進、ひたすら前進。ほどなく井戸に到着する。 
「んっしょっと」
 滑車についたハンドルを回し、ロープつきの桶を下に降ろす。いきなり投げ落とせば早いけど、それだと水面に落下した時の衝撃で桶が壊れる可能性がある。それに……
「これはけっこう、効きそう」
 主に二の腕に。
 桶に水が入ったのを確認してから、今度は逆にハンドルを回してロープを巻き取る。桶からバケツに水を移し、もう一度井戸の底へと降ろす。三回汲んでようやく一杯になった。
「よぉし、行くわよ……」

 レディのたしなみはしばし忘れる。肩幅に足を開いて踏ん張り、膝を屈めて両手でしっかり取っ手を握る。
(うっ、やっぱり、重ぉい)
 ほんの少し持ち上げただけで、ずっしりと重みがかかってくる。
「……負けない!」
 じりじりと膝を伸ばし、腕、肩、背中、腰と体全体で重さを支えて持ち上げる。
「ふんっ!」
 最後の一踏ん張りでバケツの底が地面から離れる。
「うわっととととっ」
 反動で、揺れた。水の表面が波打ち、バケツの外に飛び出す。危ない、危ない。揺らしたらこぼれてしまう。

「おーいニコラ。大丈夫か?」
 畑からダインが声をかけてくる。じっと見守っていたらしい。思わず胸が時めく。が、あくまで平静を装って答えた。
「大丈夫、大丈夫! 今行くから!」
 この際、スピードよりも安定性を重視しよう。一歩ずつ慎重に足を運んで畑に向かう。半分ほどまで来た所で腕がぷるぷる震え、水面の揺らぎが酷くなる。一度バケツを降ろした。
「っふぅ」
 取っ手が手に食い込んで、赤く跡がついている。妙に火照って、熱い。軽く息を吹きかけ、再びバケツを持ち上げた。
「負けるかぁっ」

 バケツと戦うニコラの姿を、ダインは内心はらはらしながら見守っていた。だが前もってフロウに言いつけられていた通り、できる限り手は貸さない。
『あくまで、ニコラが体を動かさないと意味ないんだからな?』
 転んだらすぐに飛び出せるように身構えていたが、幸い出番は無かった。
「ふーっ」
 どさっとバケツを畑の土の上に下ろし……たのはいいものの、ニコラはすぐには動けなかった。拳に力を入れ過ぎて硬直し、すぐには指がほどけなかったのだ。
「……ほんっとーに大丈夫か」
「う、うん」
 一本一本引きはがす。しびれた足を急に動かした時にも似たむず痒さが走る。
(まだよ。これしきでへばってる場合じゃあないわ!)

 額から滴る汗を無造作に拭い、ニコラは両足を踏ん張って背筋を伸ばした。
(水まきは、これからが本番よ!)
「ダイン、柄杓貸して!」
「おう、そら」
 柄の長い柄杓をバケツに突っ込み、水を満たす。そのまま己の体を中心にぶん回し、土の乾いた一角を狙って……
「そーれっ!」
 景気良く撒き散らす! 日の光を反射しながら、きらめく水しぶきが飛び散る。重たいバケツを運んでいた時の苦労が、すーっと蒸発するような心地がした。
 軽くなった柄杓を半回転させて手元に戻し、再びバケツに突っ込む。
「よーっし、もう一回!」
 ざばーっと撒き散らす。湿った土と、薬草から立ち昇る香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「……かわいいな」
「え?」
 ぽつりとダインが呟く。我知らず胸が震えた。
(まさか、今のって……)
 念のためと周囲を見回すが、師匠はいない。ちびちゃんもいない。
(ってことは、まさか、私のこと?)
 その瞬間、乙女のハートは小さな胸の中で激しく脈動した。照りつける陽射しや、体を動かした結果に上乗せして、さらに体温が上昇する。顔が火照る。手が熱い。

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