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とりねこの小枝

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2012年12月の日記

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【25-1】わんこ花を買う

2012/12/16 22:55 騎士と魔法使いの話十海
 
 花を贈ろう
 愛しい人よ
 食みもせず紡ぎもせず、ただ愛でるために
 腕いっぱいの花束を。
 
     ※

 好きな奴に花を贈りたくなった。
 薬になるとか食えるとか、役に立つかどうかは関係無い。ただただ見た目がきれいで、花びらがひらひらしていていい匂いがする。それだけの花を。
 きっかけはささいな事。『鍋と鎚』亭への配達の帰り道(非番で暇なんだからちょっとは働け、と押し付けられた)、夕暮れの街角で女の子に声をかけられた。

「お一ついかがですか? もう店じまいだからお安くしておきますよ」

 いつも広場で果物や野菜を売ってる屋台だ。ちょうど小腹が空いてたし、リンゴ一つ買い求めてさあかじろうと口を開けた動きが途中で止まる。
 ほとんど品物が売り切れてがらんとした屋台の片隅で、鮮やかな色彩が揺れていた。
 花も売ってたんだな。
 においの強い百合の花、今が盛りの夏の薔薇、青いルピナス、黄色いカンパニュラ、淡いオレンジ色のデイジー、ガーベラ、その他名前もわからない色鮮やかな花。
 見た途端、どうしても欲しくなった。
 自分のためじゃない。
 ただ、フロウに贈りたくて。

「そこの花、全部くれ」
「全部ですかっ」
「うん、全部」

 我に返るとみずみずしい花束を抱えて突っ立ってた。

「ありがとうございまーす!」

 店の女の子は上機嫌。これで売り切りだからとサービスしてくれたらしい。シダの葉っぱも交えて配色にも気を配り、きっちりきれいに束にして幅の広いリボンを結んでくれた。
 色の濃い花は真ん中に。薄い花をその周りに。寄せ集めの花は、予想以上に大きな花束になっていた。片手で持つと手の指がいっぱいに伸びて動かせない。風に吹かれてぐらりと揺れて、慌てて両手で抱え直した。緑の葉や白い花びらが広がり、前もろくすっぽ見えない。
 その時になってようやく、理性が追いついてきた。

(俺、花を買っちゃったんだ)
(生まれて初めて、お金払って花束買ったんだ)

 どうかしてる。
 こんなもん贈った所であのオヤジ、どんな反応するやら。
 頬を赤くしてありがとうとか……いや、いや、有り得ない! 鼻先で笑い飛ばすに決まってる! 

『こんな薬にもならねぇ花、どーしろってんだ? 何の役にも立たないじゃねえか』とか。
『こーゆーのはお姫様相手にやれよな』とか。
『で、いくら払ったんだ? ……っかー、馬鹿だねえ、んーなもん裏庭にいっくらでも生えてるじゃねえか』とか何とか言って。

 わかってるのに。
 ああ、俺って、本当にバカだ。
 何考えてんだろう。

 買ってしまった以上は無駄にできない。両手で大事に抱えて店に帰る。さすがに目立つのか、道行く人が時折振り返り、やり切れない気分になる。
 いっそ走ってくか? いや、だめだ。花が傷む。
 花ってのはどうしてこう、やわらかくて、もろいんだろう。
 ミツバチでもチョウでもないから蜜吸う訳にも行かないし。
 どこまでも役に立たない無駄なもの。見て楽しい、いい匂いがする、ただそれだけの物。

 いっそ途中で誰かにやっちまうか? いや、でもひょっとしたらちょっとは、喜んでくれるかも知れないじゃないか。
(何を期待してるんだ。ああ、こんちくしょうめ)
(いやらしい。期待してる自分が、ものすごくいやらしい)
(結局は自分の我がままだ。俺が贈りたいだけなんだ)
 迷ってるうちに、店に着いちまった。
 ああ、くそ、ここでうだうだしてても始まらない。意を決してドアを開ける。

「……ただ今」
「おう、お帰り」

 戸口を潜るのも一苦労。花束を左腕に抱え、どうにか右の腕と肩で扉を支え、バランスを崩す前に急いで中に滑り込む。扉が妙な具合に揺さぶられ、ドアベルがいつになくせわしなく、不規則なリズムで鳴り響いた。

「ふう……」

 熟したオレンジみたいな夕陽に照されて、店の中はくっきりと光と陰に切り分けられている。干した草、熟した花、毒も薬もいっしょくたに香る空気は最初に来た時は気になって仕方なかった。
 今やすっかり体に馴染み、その日によって調合したお茶や薬の種類で微妙に香りが変るのまでかぎ分けられるようになった。今日の香りはカモミールとペパーミント。察するに客は疲れ気味で、特に胃がくたびれていたらしい。

「なーにジタバタしてやがるかね、このわんこは」
「るっせぇ」

 奥のカウンターに肘をついた小柄な男が顔を上げ、蜜色の瞳を向けてくる。ぱちくりとまばたき一つ。眠たげな目をきょろっと見開いた。

「どうしたんだ、それ」

 うん。やっぱり気になるよな。

「誰かにもらったのか? なかなか隅に置けないねぇ騎士サマよ」
「違う。そう言うんじゃない!」

 よりによって、そっちに取るか! 違う。違う、違うぞフロウ。これはお前の為に買ってきたんだ。こうやって……お前に渡したくて!
 かーっと頬の表面が熱くなる。夕暮れの肌寒さを忘れるくらいに、熱くのぼせる。床板を踏み鳴らして大股で歩み寄り、腕に抱えた花束をずいっとフロウ目がけて差し出した。

「……やる」
「……………」

 何でそこで黙る。その沈黙が、微妙に気まずい。 
 ダメだ。とてもじゃないけど、顔がまともに見らんねぇ。馬鹿みたいにうつむいて、カウンターの木目をにらみ付ける。

「……俺に?」
「そうだ、お前にだ」

 他に誰がいる!

「……あ~、うん……その……さんきゅ。」

 もそもそとフロウの動く気配がして、手の中の花の重みが消える。
 受け取ってくれたんだ!
 弾かれるように顔を上げると、あいつはカウンターの後ろの棚から花瓶を取り出していた。それも、でっかいのを二つ。
 さすがに一つじゃ収まり切らなかったらしい。てきぱきと水瓶から水を移し替えて(お茶や調合に使うためにでっかいのが備え付けてあるのだ)、リボンをほどき、手際よく花を花瓶に活けて行く。

「慣れてるな」
「花も薬草も扱いは同じだ。それによ。俺ぁ草花の守護者マギアユグドの神官だぜ?」
「そ、そうだよな?」

 こっちを見ようともしない。料理する時とか、薬草の調合する時と同じように淡々と作業をこなしてる。でも、受け取ってくれた。
 笑わずに、受け入れてくれた!
 ぎちぎちに張りつめていた緊張がゆるみ、溜め込んでいた言葉がどっと口からあふれ出す。

「こ、ここの庭にも花いっぱい咲いてるけど、こーゆーきれいなだけの花ってのもたまにはいいかなと思ってっ。店じまいだから安くするって言われて、それで、ついっ」

 何口走ってんだ、俺。わざわざ言わなくてもいい事までべらべらべらべらとっ! そんなこといちいちフロウに説明して何になる。ガキか。子供か。ほめてほめてって自慢してるのか。
 恥ずかしいやらいたたまれないやらでぶるぶる震えていると……。
 ぺふっと柔らかい手のひらが頭の上に乗っかった。水を触ったせいか、ひんやりしていて気持ちいい。

「フロウ?」
「……ん、ありがとな」

 いつもの、ゆるい笑みを浮かべてた。ふっくらした唇で、柔らかな上向きの曲線を描いて、目尻を下げて。夕陽にくっきり照らされて、目元と口元の皴が浮いてる。喉のかすかな緩みも。

「……あ、いい顔」
「何言ってんだよ馬ぁ鹿」

 わしゃわしゃ髪の毛をかき回され、仕上げにとんっと人さし指で、額を軽く突かれる。

「おわ」

 顎が持ち上がり、背中がのけぞっていた。

「ほら、メシにするからとっとと居間にいっとけ。」
「うん」

 こくっとうなずいてから、屈めていた上体を起こす。

「う?」
「ん……」

 耳たぶにキスをした。
 しないではいられなかったんだ。淡いオレンジの夕陽に包まれてほんのり輝いて、あまりに美味そうだったから。
 すべすべして、柔らかい。花びらに似てる。
 くっとフロウの咽が上下する。花の匂いをまとわりつかせた指で、顎から咽にかけてなでられた。
 くすぐったい。とっとと行けってことらしい。
 首をすくめて体を離し、のそのそ歩いて居間へと向う。自然と足が弾んでいた。

     ※

「……っはぁ~」

 幅の広い背中がドアを潜り、居間へと入って行く。見届けてから、フロウは大きく息を吐き出した。

「……あんにゃろ……」

 耐え切った。どうにか隠し通せた。
 安堵しつつ、二つの花瓶に活けた花を睨む。いったいどんだけ買って来たのか。と言うかどんな顔して買ったのか。大柄で無骨な青年が腕一杯に花束抱えて入ってきた時は、何事かと目が丸くなった。
 てっきりもらい物かと思ったら、まさか自分のために買って来たなんて。
 気恥ずかしさと嬉しさ、高揚感。入り交じって吹き上げて、今更ながら頬が熱くなる。

「っ」

 慌てて口元を手で隠して顔を伏せる。誰に見られている訳でもないのに。

「……こ洒落た真似しやがって」
「……ぴ?」

 にゅうっと黒と褐色の混じった柔らかな毛皮に覆われた生き物が目の前に顔を出す。
 鳥のような、猫のような生き物がちょこんと首を傾げていた。

「……ちび、良い子だから黙ってとーちゃんとこ行っとけ」
「ぴゃあ!」

 ちびはとすっと床に飛び降りて、優雅にしっぽをくねらせて歩いて行く。
 ほっと安堵の息をつき、花に顔を寄せる。
 自分は草花の神の神官だ。花を贈られ、嬉しくないはずがない。頬が緩むのも、顔が熱いのも、そのせいだ。
 そう言うことに、しておこう。

次へ→【25-2】雨冷えの夜
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【25】花を買う日

2012/12/16 22:54 騎士と魔法使いの話十海
  • 誰かに贈るために、初めて花を買った夕方。
  • 二人で寄り添い、温もりを共有する夜。わんことおいちゃんの、何気ないしあわせな日常。
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電子書籍「とりねこ」配信中

2012/12/11 17:38 電子書籍版十海
とりねこ【イラスト入り】

とりねこ【イラスト入り】

とりねこ【イラスト入り】

[著]時野つばき [画]Misen


「こう言う事はお姫様相手にやれ!」「やだ、お前がいい」
全てはここから始まりました。
サイトに掲載しているお話の一番根っことなる部分。ちびとダインの出会い、そしてダインとフロウの出会いを描いた始まりのお話。
どちらも電子書籍のみの未公開書下しエピソード。
フロウとダインの出会いは既に【1】ひとりぼっちのディーンドルフでもご紹介していますが、今回の書籍化にあたり、改めてフロウの視点から見た新たなエピソードとして再構築しました。
サイト掲載版をお読み頂いた方にもお楽しみ頂けます。
「ひとりぼっちの……」ではダインが何故、怪我をして1人でうずくまっていたのか回想で触れられるのみで、具体的に何があったかは書かれていませんでした。
書籍版ではどこで、何があってそうなったのか詳しく書き込み、さらにその事件の場にフロウが居合わせています。二人が初めて出会った場所も微妙に変わっています。
イラストレーターのMisenさんの手によるイラスト入り。
表紙はもちろん、Hシーンにもがっつり絵が入ってます。
電子書店パピレスならびに電子貸本Renta!にて好評配信中。
「サンプル」をクリックすると冒頭部分が無料で試し読みできます。パソコン、スマホ(iPhone等)、タブレット端末(iPad等)に対応しています。


※12/17追記
AmazonのKindleストアでも配信されてました。

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【おまけ】漢の友情2

2012/12/08 0:09 騎士と魔法使いの話十海
 それから一時間ほどして。

「ぴゃっ、とーちゃん!」

 薬草店『魔女の大鍋』のカウンターで、ちびがにゅうっと伸び上がった。その直後。
 コロロンコローンとドアベルの音を響かせて、ぬうっと大柄な男が入ってくる。

「よう、ダイン」

 フロウはカウンターに肘をついて、騎士団の制服を着た青年を迎え入れる。

「どうしたい。今週はまだ非番じゃないだろ?」
「うん、昨日の一件でちょっとな」

 肩に飛び乗って顔をすりよせるとりねこを撫でながら、ダインは大股で店を横切りカウンターに腰を降ろした。
 懐から巻いた羊皮紙を取り出し、広げる。

「何だ、それ」
「馬泥棒の事件の報告書。ここに署名をもらえるか?」
「んー、ああ、そう言う事か」

 ゆるりとフロウは書面に目を通した。力強い筆跡で、簡潔かつ明瞭に昨日の一件が記されている。

『北区の空き家で馬泥棒を発見、一般人の協力を得て捕縛』
『盗まれた馬三頭を確保』

 いかにもダインらしく、余計な事の一切書かれていない報告書の末尾に、白馬奪還戦に参戦したメンバーの署名が並んでいる。

 騎士レイラ・ド・モレッティ 西都本隊所属
 騎士ディートヘルム・ディーンドルフ アインヘイルダール分隊所属
 従騎士シャルダン・エルダレント アインヘイルダール分隊所属
 魔法訓練生ニコラ・ド・モレッティ

 フロウはペン皿を引き寄せて羽根ペンを手にとり、インクに浸しておもむろに五番目の署名を記した。

 「魔女の大鍋」店主 フロウライト=ジェムル

 書き終えてから、ぺらぺらと羊皮紙を振ってインクを乾かし、差し出した。

「ほいよ」
「さんきゅ。あとこれ」

 ダインは懐から小さな革袋を取り出してカウンターに置いた。ちゃりっとかすかに金属の触れ合う音がする。

「これは?」
「報償金」

 馬泥棒の捕縛はダインたち騎士にとっては任務だが、協力した一般人に対しては金一封が出る、と言うことだ。

「ニコラの分も入ってるから後で渡しといてくれ」
「ん、わかった」

 弟子の分は師匠が管理する。それが習いだ。革袋に入った貨幣を受け取ると、フロウはぴくっと眉をはね上げた。ダインが店に入った時から、違和感を覚えていた。今、その正体に気付いたのだ。
 顔がはれぼったくなっている。むくんでいたのかとも思ったが、よく見ると明らかに外部からの刺激によるものだった。書類を広げたり、革袋を置く時の動作もどことなくぎこちなかった。
 それとなく観察すると、何としたことか。手首が真っ赤に腫れていた。
 
「しっかしまあお前さん、今日はえらくぼろぼろじゃねぇか。捕物か?」
「いや、稽古で」

 くしゃくしゃと髪の毛をかき回すと、ダインは恥ずかしそうに背中を丸めた。
 
「二の姫にしごかれた。全然かなわなくて、このざまだ」
「ああ……そう言うことか」
「うん」

 フロウは昨日の二の姫とのやり取りを思い出していた。

「俺が最初に会った時は、結構な剣幕だったぜ? ……『私の騎士はどこ!?』ってな」
「それは誰の事なのですかあああっ」
「ダインだろ? 馬上試合でニコラのハンカチを着けて出たらしいし」
「……そうか……そのようなことがあったのか…………ふっふっふ。ふっふっふっふっふ」
  
 察するに二の姫レイラは、かわいいかわいい(以下略)ニコラに『男友達』ができた事が、お気に召さなかったと見える。例えそれがわんこ扱いだとしても。
 思わず知らず、ぼそりとつぶやいていた。

「こりゃあ二の姫、ニコラに彼氏なんぞできた日にゃ、大変だろうなぁ」
「あー、そうだな。私を倒して行け! とか言いかねないもんなー」

 いささか方向はずれていたが、それでも本能的にシャルとエミルを警戒対象から外すあたり、なかなかどうして二の姫レイラ様の勘も侮れない。

「お疲れさん……治してやろうか?」
「うん」

 カウンターによりかかり、素直に身を委ねるダインの頬を手のひらで包み込む。
 かっかと汗ばみ、熱を帯びて、はれぼったい。幸い、腫れた場所には既に術の触媒となる軟膏が塗り込まれている。
 シャルが気を利かせてくれたのだろう。無論、ユグドヴィーネの司祭の子である彼も癒しの魔法は使える。
 だが、もしシャルが申し出たとしても、こいつは素直に受けたりしないだろう。『舐めときゃ治る』とか何とか言い繕って。
 それが分かってるから、軟膏を塗るついでに言い添えたに違いない。
『これはあくまで応急処置ですから。後でフロウさんにちゃんと治してもらってくださいね?』

 事実その通りだった。ダイン先輩が誰の言う事なら素直に聞くか、シャルはちゃんと心得ていたのだ。

『混沌より出でし黒にして緑 草花の守護者マギアユグドよ 芽吹き 花咲き 実を結ぶ その生命の力を傷つきし彼の者に 我が祈りを持って癒しの奇跡を……』
『癒しの奇跡を、ぴゃあ!』

 一人と一匹の詠唱を受け、塗り込まれた軟膏が淡い緑の光を放つ。みるみるダインの顔から。腕から、指から腫れと熱が引いて行く。

「ふぁ……」

 やれやれ、やっといつもの顔になったか。
 心地良さげに目を細める、わんこ騎士の頭をぽんっとたたいた。

「お疲れさん」

(漢の友情/了)

次へ→【24】干し草遊び★★★
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【おまけ】漢の友情1

2012/12/08 0:08 騎士と魔法使いの話十海
  • 拍手お礼短編の再録。
  • 本編では顔を出す機会のなかったエミルが二の姫と出会います。その瞬間、二人の間に稲妻のように走った思いとは!
 
 びちぃっと、硬い物が肉を打つ音が響く。
 打たれた手首が弾み、揺れる。その機を逃さず二の姫レイラは踏み込んで、細剣をぴたりと対戦相手の喉元に突きつけた。

「……お見事」

 金髪混じりの褐色癖っ毛、大柄で頑丈な体の青年は素直に自らの負けを認め、構えた幅広の長剣を下げた。
 だが二の姫はかぶりを振り、きっと青い瞳で青年を見据える。

「まだだ、ディーンドルフ。まだお主、動けるであろう」
「ええ、まあ」
「では続けよう。構え!」
「…………御意」

 ぐいと拳で汗を拭うと、素直にダインは剣を構えた。
 ここは騎士団の砦の屋外修練場。踏み固められた地面は頑丈な柵で囲まれ、稽古用の木製の盾や槍や斧、剣がずらりと掛けられている。砦の騎士たちはここで連日、訓練に励むのだが……。
 今日の稽古は少しばかり様子が違う。

 騎士団長、ド・モレッティ伯爵の次女、レイラがアインヘイルダールにやってきたのは昨日のこと。
 美女と評判の二の姫を間近に見られるとあって、若い騎士どもは浮き足立ったが。
 昨夜、食堂で夕食を共にした際、早々に認識を改めさせられた。輝く金髪、青い瞳、すっと通った鼻筋、涼しげな目元はくっきりとした二重瞼。睫毛はふさふさと豊かでふっくらした唇は健康的な桜色。

 確かに二の姫は美しい。だがその立ち居振る舞いはきびきびとして、性質は実に気さく。語る言葉は歯切れよく、美女と同席すると言うよりは、むしろ同性の先輩と語らうような印象だったのだ。

 そして今日。二の姫は朝一番に厩舎を訪れ、馬の手入れにいそしむ騎士の一人に声をかけた。

「ディーンドルフ。ちょっと来い、稽古をつけてやろう」
「え、え、えっ?」

 にっこりとこれ以上ないくらいの魅力的な笑顔で襟首をひっつかみ、ずりずりとと引きずって行く。
 取っ捕まった方はその気になればいくらでも振り払えるはずなのだが、騎士と言う生き物はレディには逆らえない。
 眉根を寄せて情けない顔のまま、ダインはずるずると修練場の真ん中へと引き出され、放り投げられた木剣を受け取るしかなかった。

「お」

 柄は長く、刃の幅の広い長剣は、正しくいつも自分が稽古の時に使う物だった。

「よくお分かりで」
「昨日見たからな。お主の剣技を」

 二の姫の観察眼の鋭さと、剣士としての技量にダインは感嘆の声を漏らした。

「では始めよう」

 レイラが選んだのは、自分の使い慣れた細剣と同じ長さ、重さの華奢な木剣。

「構えろ」

 二人は互いに進み出て剣を構えた。ダインの幅広の長剣と、二の姫の細剣の刃先が交差する。
 柵によりかかって見守る若い騎士どもの間から苦笑が漏れた。

「おやおや、随分と可愛い剣をお使いになる」
「所詮は姫様の剣術だ」
「よりによって、あんなでか物を稽古の相手に選ぶとはな」
「大した自信だ。どの程度のものか、お手並み拝見しようじゃないか」

 だが。一度稽古が始まった途端、若い騎士連中の甘い認識は空の彼方へと吹っ飛んだ。
 軽やかにダインの剛剣をかい潜る二の姫の容赦ない一撃が決まる度に顔をしかめ、しまいには打たれたのと同じ所をさする始末。
 それほど痛そうだったのだ。
 かっかと容赦なく照りつける太陽の下、二の姫の稽古は長時間に渡った。間に昼食と砦内の視察を挟み、午後に再開。陽が傾いてきた頃には、さすがに見物人も少なくなっていた。
 そんな中、シャルダンはずーっと修練場の柵にかぶりつき。二の姫の一挙一動を見逃すまいと、じっと見入っていた。

 自らの華奢な体躯と素早さを最大限に活かして軽やかに舞い、ほんのわずかな動きで易々とダインの大剣を受け流す。しかも躱すだけでは終わらない。機あらばためらわず相手の懐深く飛び込み、一撃を与えて素早く下がる。
 幅広の長剣を両手持ちで豪快に振り回すダインと互角に渡り合っているのだ。むしろ押しているくらいだ。

「すごいなぁ……そうか、私もこうすればいいのか!」

 これなら、自分にもできる。全く同じとは行かないが、どう動けば良いのか、自然と頭に浮かぶ。
 突きを主体にすれば、より弓を射る感覚に近くなるはずだ。考えただけで、シャルの心臓はとくとくと震え、青緑の瞳は潤み、頬はばら色に上気してゆくのだった。

      ※

「はー、はー。はー、はー……」

 さしもの体力馬鹿のダインも汗だくになり、肩で息をし始めた頃。
 修練場に客が訪れた。と言っても客と呼ぶにはあまりに場慣れした二人だったが。
 一人はさらさらの金色の髪に水色のリボンを結んだ青い瞳の少女。身につけているのは、濃紺に藍色のラインの入った魔法学院の制服。
 そしてもう一人は、深緑のローブを羽織った黒髪の青年。魔術師にしては珍しく肌は健康的に陽に焼け、肩幅は広く、手足もがっしりして頑丈そうだ。
 少女は軽やかな足取りでたたたたっと柵に駆け寄るや伸び上がり、手を振った。

「姉さまー」

 途端に二の姫の滾る剣気がふわあっと霧散し、極上の笑顔にとってかわる。

「ニコラ!」

 その瞬間、レイラは光となった。速攻で木剣を収めてダインに一礼、次の瞬間には柵を飛び越え、ニコラの傍らに着地していた。
 ようやく解放されたダインはその場にへなへなぁっとへたり込む。すかさずシャルは駆け寄り水筒に満たした水を差し出した。

「先輩、どうぞ!」
「さんきゅ」

 ごぼごぼと咽に水を流し込み、ついでに頭からざばーっと被る。革製の篭手と胸当をむしり取り、上着を脱ぎ捨てた。

「ぷっはーっ、生き返る!」
「大丈夫ですか、先輩」
「ああ」

 はふーっと大きく息を吐くと、ダインはにぃっと口角を上げて笑った。さんざん打ち据えられて疲れ切っていたが、それでも白い歯を見せ、心の底から楽しげに笑っていた。

「さすが二の姫だな。見ろ、シャルダン。あの方はほとんど息も切らしていない」
「ほんとだ」
「俺の方が、体力はある。だが動きに無駄が多い。二の姫はその隙をついて的確に、守りの弱い所に打ち込んで来るんだ」

 その言葉通り、篭手を外したダインの手首は真っ赤に腫れ上がっていた。避け損ねた木剣に何度も打たれた頬も赤い。
 シャルダンは秘かに思った。
(ああ、これは後で腫れるだろうな)

 先輩と後輩、二人の騎士の視線の先では、顔中笑み崩した二の姫が思う存分、ニコラを抱きしめていた。
(ああ、私のかわいいかわいいかわいいかわいいニコラ!)

「逆に言えば、二の姫にやられた所が俺の守りの甘い場所ってことだな」

 シャツの前をがばっと広げてダインがしみじみ自分の体をのぞき込む。筋肉の盛り上がった胸や肩に点々と痣が浮いていた。ここに至ってついにシャルダン声を上げた。

「感心するのもほどほどにしてくださいね、先輩!」

 腰に手を当てて、めっと睨む。その女神のごとき丹精な顔の横にすっと、日焼けしたたくましい手が差し伸べられた。

「使え」
「ありがとう、エミル!」

 土を掘り、種をまき、葉を摘みとるのに慣れた手。頑丈さと繊細さを兼ね備えたエミルの掌には、軟膏の瓶が乗っていた。ごく自然にシャルは受け取り、蓋を開け、ぺたぺたとダインに塗り付ける。

「って、染みる!」
「がまんしてください。効いてる証拠ですよ」

 甲斐甲斐しく手当てをするシャルの姿を見守りながら、エミルは静かに絶叫していた。あくまで己の胸の中で。
(俺のシャルが俺のシャルが俺のシャルが女神のように傷の手当てをしてる!)

 と。
 何かを感じたのか二の姫が顔を上げ、エミルの方を見た。

「あ、姉さま、彼がエミルよ。魔法学院の先輩!」
「そうか、この人が……」

 青と褐色。二の姫レイラと中級魔術師エミルの視線が交叉する。その瞬間、びびっと稲妻の如き閃きが走り抜けた。

(私のかわいいかわいいかわいいかわいいニコラ!)
(俺のシャル俺のシャル俺のシャル俺のシャル!)

 二人は無言の内につかつかと歩み寄り、がしぃっと手を握り合った。
 それもただの握手ではない。肘を曲げ、肩の高さでぶつけ合う誠に『漢』らしい握り方で。見交わす瞳の間には、同じ想いが燃えていた。

『同志(とも)よ!』

「わあ、すごい。姉さまとエミル、一瞬で意気投合しちゃったみたいね!」
「あんなにしっかり握手をして、目を輝かせていますね!」

 にこにこと見守る金髪の少女と銀髪の騎士。乙女二人の傍らでダインは一人首を捻る。

(どっちかっつーとあれは……燃えてるって感じだよなあ)

 その光景を目撃して、ロブ隊長は秘かに思った。
 何が通じ合ってるのかは考えたくもないが、二の姫滞在中はあいつらに接待を任せておこう。
 それにしても、噂には聞いていたが二の姫はことの他、四の姫を可愛がっておられるようだ。ディーンドルフに対する苛烈なしごきも今なら納得行く。
(この分では、いつ西都にお帰りになることか……)
 隊長はこめかみを押さえ、本日何度めかのため息をつくのだった。
 それは苦悩と同時に、安堵のため息でもあった。
 何故なら彼は心の底から思っていたのだ。
 四の姫からいただいた巾着袋を、机の引き出しにしまっておいて本当に良かった、と!

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