2012/12/16 22:55 【騎士と魔法使いの話】
花を贈ろう
愛しい人よ
食みもせず紡ぎもせず、ただ愛でるために
腕いっぱいの花束を。
※
好きな奴に花を贈りたくなった。
薬になるとか食えるとか、役に立つかどうかは関係無い。ただただ見た目がきれいで、花びらがひらひらしていていい匂いがする。それだけの花を。
きっかけはささいな事。『鍋と鎚』亭への配達の帰り道(非番で暇なんだからちょっとは働け、と押し付けられた)、夕暮れの街角で女の子に声をかけられた。
「お一ついかがですか? もう店じまいだからお安くしておきますよ」
いつも広場で果物や野菜を売ってる屋台だ。ちょうど小腹が空いてたし、リンゴ一つ買い求めてさあかじろうと口を開けた動きが途中で止まる。
ほとんど品物が売り切れてがらんとした屋台の片隅で、鮮やかな色彩が揺れていた。
花も売ってたんだな。
においの強い百合の花、今が盛りの夏の薔薇、青いルピナス、黄色いカンパニュラ、淡いオレンジ色のデイジー、ガーベラ、その他名前もわからない色鮮やかな花。
見た途端、どうしても欲しくなった。
自分のためじゃない。
ただ、フロウに贈りたくて。
「そこの花、全部くれ」
「全部ですかっ」
「うん、全部」
我に返るとみずみずしい花束を抱えて突っ立ってた。
「ありがとうございまーす!」
店の女の子は上機嫌。これで売り切りだからとサービスしてくれたらしい。シダの葉っぱも交えて配色にも気を配り、きっちりきれいに束にして幅の広いリボンを結んでくれた。
色の濃い花は真ん中に。薄い花をその周りに。寄せ集めの花は、予想以上に大きな花束になっていた。片手で持つと手の指がいっぱいに伸びて動かせない。風に吹かれてぐらりと揺れて、慌てて両手で抱え直した。緑の葉や白い花びらが広がり、前もろくすっぽ見えない。
その時になってようやく、理性が追いついてきた。
(俺、花を買っちゃったんだ)
(生まれて初めて、お金払って花束買ったんだ)
どうかしてる。
こんなもん贈った所であのオヤジ、どんな反応するやら。
頬を赤くしてありがとうとか……いや、いや、有り得ない! 鼻先で笑い飛ばすに決まってる!
『こんな薬にもならねぇ花、どーしろってんだ? 何の役にも立たないじゃねえか』とか。
『こーゆーのはお姫様相手にやれよな』とか。
『で、いくら払ったんだ? ……っかー、馬鹿だねえ、んーなもん裏庭にいっくらでも生えてるじゃねえか』とか何とか言って。
わかってるのに。
ああ、俺って、本当にバカだ。
何考えてんだろう。
買ってしまった以上は無駄にできない。両手で大事に抱えて店に帰る。さすがに目立つのか、道行く人が時折振り返り、やり切れない気分になる。
いっそ走ってくか? いや、だめだ。花が傷む。
花ってのはどうしてこう、やわらかくて、もろいんだろう。
ミツバチでもチョウでもないから蜜吸う訳にも行かないし。
どこまでも役に立たない無駄なもの。見て楽しい、いい匂いがする、ただそれだけの物。
いっそ途中で誰かにやっちまうか? いや、でもひょっとしたらちょっとは、喜んでくれるかも知れないじゃないか。
(何を期待してるんだ。ああ、こんちくしょうめ)
(いやらしい。期待してる自分が、ものすごくいやらしい)
(結局は自分の我がままだ。俺が贈りたいだけなんだ)
迷ってるうちに、店に着いちまった。
ああ、くそ、ここでうだうだしてても始まらない。意を決してドアを開ける。
「……ただ今」
「おう、お帰り」
戸口を潜るのも一苦労。花束を左腕に抱え、どうにか右の腕と肩で扉を支え、バランスを崩す前に急いで中に滑り込む。扉が妙な具合に揺さぶられ、ドアベルがいつになくせわしなく、不規則なリズムで鳴り響いた。
「ふう……」
熟したオレンジみたいな夕陽に照されて、店の中はくっきりと光と陰に切り分けられている。干した草、熟した花、毒も薬もいっしょくたに香る空気は最初に来た時は気になって仕方なかった。
今やすっかり体に馴染み、その日によって調合したお茶や薬の種類で微妙に香りが変るのまでかぎ分けられるようになった。今日の香りはカモミールとペパーミント。察するに客は疲れ気味で、特に胃がくたびれていたらしい。
「なーにジタバタしてやがるかね、このわんこは」
「るっせぇ」
奥のカウンターに肘をついた小柄な男が顔を上げ、蜜色の瞳を向けてくる。ぱちくりとまばたき一つ。眠たげな目をきょろっと見開いた。
「どうしたんだ、それ」
うん。やっぱり気になるよな。
「誰かにもらったのか? なかなか隅に置けないねぇ騎士サマよ」
「違う。そう言うんじゃない!」
よりによって、そっちに取るか! 違う。違う、違うぞフロウ。これはお前の為に買ってきたんだ。こうやって……お前に渡したくて!
かーっと頬の表面が熱くなる。夕暮れの肌寒さを忘れるくらいに、熱くのぼせる。床板を踏み鳴らして大股で歩み寄り、腕に抱えた花束をずいっとフロウ目がけて差し出した。
「……やる」
「……………」
何でそこで黙る。その沈黙が、微妙に気まずい。
ダメだ。とてもじゃないけど、顔がまともに見らんねぇ。馬鹿みたいにうつむいて、カウンターの木目をにらみ付ける。
「……俺に?」
「そうだ、お前にだ」
他に誰がいる!
「……あ~、うん……その……さんきゅ。」
もそもそとフロウの動く気配がして、手の中の花の重みが消える。
受け取ってくれたんだ!
弾かれるように顔を上げると、あいつはカウンターの後ろの棚から花瓶を取り出していた。それも、でっかいのを二つ。
さすがに一つじゃ収まり切らなかったらしい。てきぱきと水瓶から水を移し替えて(お茶や調合に使うためにでっかいのが備え付けてあるのだ)、リボンをほどき、手際よく花を花瓶に活けて行く。
「慣れてるな」
「花も薬草も扱いは同じだ。それによ。俺ぁ草花の守護者マギアユグドの神官だぜ?」
「そ、そうだよな?」
こっちを見ようともしない。料理する時とか、薬草の調合する時と同じように淡々と作業をこなしてる。でも、受け取ってくれた。
笑わずに、受け入れてくれた!
ぎちぎちに張りつめていた緊張がゆるみ、溜め込んでいた言葉がどっと口からあふれ出す。
「こ、ここの庭にも花いっぱい咲いてるけど、こーゆーきれいなだけの花ってのもたまにはいいかなと思ってっ。店じまいだから安くするって言われて、それで、ついっ」
何口走ってんだ、俺。わざわざ言わなくてもいい事までべらべらべらべらとっ! そんなこといちいちフロウに説明して何になる。ガキか。子供か。ほめてほめてって自慢してるのか。
恥ずかしいやらいたたまれないやらでぶるぶる震えていると……。
ぺふっと柔らかい手のひらが頭の上に乗っかった。水を触ったせいか、ひんやりしていて気持ちいい。
「フロウ?」
「……ん、ありがとな」
いつもの、ゆるい笑みを浮かべてた。ふっくらした唇で、柔らかな上向きの曲線を描いて、目尻を下げて。夕陽にくっきり照らされて、目元と口元の皴が浮いてる。喉のかすかな緩みも。
「……あ、いい顔」
「何言ってんだよ馬ぁ鹿」
わしゃわしゃ髪の毛をかき回され、仕上げにとんっと人さし指で、額を軽く突かれる。
「おわ」
顎が持ち上がり、背中がのけぞっていた。
「ほら、メシにするからとっとと居間にいっとけ。」
「うん」
こくっとうなずいてから、屈めていた上体を起こす。
「う?」
「ん……」
耳たぶにキスをした。
しないではいられなかったんだ。淡いオレンジの夕陽に包まれてほんのり輝いて、あまりに美味そうだったから。
すべすべして、柔らかい。花びらに似てる。
くっとフロウの咽が上下する。花の匂いをまとわりつかせた指で、顎から咽にかけてなでられた。
くすぐったい。とっとと行けってことらしい。
首をすくめて体を離し、のそのそ歩いて居間へと向う。自然と足が弾んでいた。
※
「……っはぁ~」
幅の広い背中がドアを潜り、居間へと入って行く。見届けてから、フロウは大きく息を吐き出した。
「……あんにゃろ……」
耐え切った。どうにか隠し通せた。
安堵しつつ、二つの花瓶に活けた花を睨む。いったいどんだけ買って来たのか。と言うかどんな顔して買ったのか。大柄で無骨な青年が腕一杯に花束抱えて入ってきた時は、何事かと目が丸くなった。
てっきりもらい物かと思ったら、まさか自分のために買って来たなんて。
気恥ずかしさと嬉しさ、高揚感。入り交じって吹き上げて、今更ながら頬が熱くなる。
「っ」
慌てて口元を手で隠して顔を伏せる。誰に見られている訳でもないのに。
「……こ洒落た真似しやがって」
「……ぴ?」
にゅうっと黒と褐色の混じった柔らかな毛皮に覆われた生き物が目の前に顔を出す。
鳥のような、猫のような生き物がちょこんと首を傾げていた。
「……ちび、良い子だから黙ってとーちゃんとこ行っとけ」
「ぴゃあ!」
ちびはとすっと床に飛び降りて、優雅にしっぽをくねらせて歩いて行く。
ほっと安堵の息をつき、花に顔を寄せる。
自分は草花の神の神官だ。花を贈られ、嬉しくないはずがない。頬が緩むのも、顔が熱いのも、そのせいだ。
そう言うことに、しておこう。
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