▼ 【25-3】ぬくぬくな夜★★
2012/12/16 22:57 【騎士と魔法使いの話】
寝室に入り、ベッドの上にフロウを降ろす。
「さんきゅ」
ベッド脇のテーブルに燭台を置くと、フロウはもそもそと靴を脱いで素足になった。続いてズボンのベルトをゆるめてずりおろし、チュニックも頭からひっこぬいてあっと言う間にシャツ一枚になっていた。最後に髪の毛を縛っていた紐を無造作にほどく。解放された髪がばさっと肩の上に広がり落ちる。思わず動きが止まった。
服を脱いだことよりも、解いた髪に目が奪われる。いつも起きてる時はくくってるのを見慣れているせいか。
髪をほどく。それだけで、起きてる時のフロウから、ベッドの中のフロウに切り替わる。
紐で縛られていた部分を波打たせた髪が顔を、うなじを覆ってる。わずかにのぞく肌に触れたくて、指が動いた。だが手を伸ばすより早く……。
「……寒」
「あ」
もそもそとベッドに潜っちまった。何だよ。ちら見せして終わりかよ! 急に雨の音が大きくなったような気がする。取り残されてがっくり肩を落としていると、もこっと亜麻色の猫っ毛頭が布団からのぞいた。
「何やってんだ、さっさと来いよ」
「う、うん」
大急ぎで靴を脱いだ。
ズボンのベルトを外し、上着を脱ぎ捨て、慌ただしく布団の中に潜り込む。すかさずフロウが身を寄せて来た。
「おぉぅ、さすが若者、あったけぇなあ」
「あ」
俺の胸に顔を押し付けるようにしてぴったりとくっつき、手足を絡ませて来る。むちっと張りつめた手触りのいい肌が触れてくる。あまりの心地よさに声が零れた。
「……お前だってあったかい」
抱き返す腕の中で、にゅうっとフロウが伸び上がる。猫みたいだな、なんて思ったら唇が重なっていた。
「う?」
「ん」
とっさに目を閉じて迎え入れる。
(あ、唇やわらけぇ……)
弾みをつけて唇がかみ合わされ、内側の湿り気と熱が混じった。同じものを食った後なのに、微妙に味が違う。フロウの口は……甘い。
ついばんで離れるかと思ったら、そうじゃなかった。まとわりつき、舌で舐めて、上唇をしゃぶったかと思うと今度は俺の舌と重ね合わせて抜き差ししてる。
唇がこすれて、ぬらぬらと濡れそぼる。
こすられるほどに背骨の奥が泡立ち、細かな針に刺されるのにも似た感触が全身に広がる。
「ふは……ん、やばいって、フロウ」
「んん?」
「こ、このままじゃ、したくなっちまう」
「すればいいだろ? そのためにキスしてんだぜ」
にんまりと笑ってる。
「……いいのか?」
「添い寝してやるって、言ったろ」
押し殺した声で耳元にささやかれる。
「来いよ、ダイン。あっためてくれ」
そう言って、フロウは仰向けに寝そべり、腕を広げた。亜麻色の髪がふわりとシーツの上に広がる。畜生、色っぽいったらありゃしねぇ! 一瞬で体中の血が沸騰する。
「フロウ!」
迷わず覆いかぶさった。シャツの中に手をつっこみ、触り心地の良い体をまさぐった。撫で回した。
「あれ? お前、いつ下着脱いだんだ」
「おう、ズボンと一緒にするっとな。気が付かなかったか?」
「ぜんっぜん気が付かなかった。ってかやる気満々だなおい」
「そっちこそ」
「あ、こら、どこ触ってる!」
「ほらほら、さっさと脱げよ」
「るっせ、わかってるって………う」
「はは、引っかかったか? 慌てるな慌てるな。俺はどこにも逃げねぇよ」
「……ほんとだな?」
どうにか下だけ脱いだ所で引き寄せられる。
それはついこの間、馬屋の二階で交わした営みとはまるで違っていた。言葉を交わす暇さえ惜しんでひたすら互いの肌を求め合う。
屋根を叩く雨音に紛れ、湿った息を吐き合った。
「は、はふ、ん」
「あ、あ、ん、ふっ」
触って、撫でて、キスをして、伝えた。受け取った。
どれだけ俺がフロウに夢中になってるか。触れられてどれだけあいつが悦んでいるのか。
別々の体がこすれあって、馴染んで、一つの熱を共有する。
抱きしめて、抱きしめられて。求めて、求められて。
重なる肌と肌が溶けて混じり合い、俺と彼との境目が消える。
「はぁ……あったかいな、ダイン」
「お前もだ、フロウ」
フロウの中はあったかい。握り合った手も。重ねた肌も。唇も、何もかもあったかい。
ただ、ただ手を伸ばして確かめる。惚れた男の輪郭をなぞり、とろけるように甘い肢体を感じ取る。指で、舌で、匂いで、目で、耳で。
「ぁ、あ、ダイン」
静かに、切なげに吐息を漏らしながらフロウが俺を呼ぶ。
「気持ち、い、いっ!」
「うん……俺……も……」
フロウの体から淡く光る緑色の蔦が伸びて広がり、ふんわりと俺を包んでくれる。俺の体からちろちろと燃え上がるオレンジ色の炎と絡み合って一つになる。
(ああ、そうか。二人だから、こんなに満たされるんだ)
「フロウ……」
いつ始まり、いつ終わったのか。線を引く必要なんかなかった。心地よい気だるさの中、向かい合わせで寄り添い、見つめ合う。
「ダイン」
首まですっぽり布団にくるまり、フロウが俺を見てる。
「ん? どうした」
「目、光ってる」
「え、あ、あれ?」
言われて初めて気付いた。確かに『月虹の瞳』が開いてる! だからこんな風に見えたんだ。
「気がつかなかった……」
「そんなに気持ちよかったってか?」
「う……うん」
こっくりと頷く。実体のない緑の枝葉の陰でフロウがほほ笑んだ。皴のよった目尻をさげて、ふっくらした唇の両端をわずかに上げて。
「俺もだよ」
「あ……」
ほかほかした指が頬を撫で、布団の中に潜り込む。手を握られた。指をからめてしっかり握り返す。
胸の奥から、あったかくてしっとりした水のような何かがあふれ出す。体の隅々まで行き渡り、重ねた手のひらで別の流れと混じり合い、一つになる。
二人分の、あたたかさ。二人分の嬉しさ。
二人分の、しあわせ。
(一年前には想像すらしていなかった。自分が誰かとこんな風に触れ合う日が来るなんて)
「なあ、ダイン」
「んん?」
「何でお前さん、花なんか買ってきたんだ?」
「ん……そうしたかったから」
「ほー」
「惚れた男に花、贈るのに理由が必要か?」
「なっ」
かーっとフロウの顔に赤みが広がった。顔の下半分を布団に埋め、縮こまってふるふる震えてる。
握り合った手のひらから、振動が伝わってくる。
「どうした? 俺、何か変なこと言ったか?」
「いや、変じゃない、変じゃない、けど」
目、そらしちまった。何だ、自分で聞いといて。
「けど? 何だよ、フロウ。言ってみろよ」
「……知るか!」
拗ねたような顔して目、閉じちまった。
それでも俺から離れようとしないし、顔を背けもしない。
だからすぐ近くでしっかり見ることができる。まだ燃え尽きぬロウソクの灯りで、耳まで赤くした可愛い顔を。ふさふさとカールした蜂蜜色の睫毛を。
気難しげに眉間に皴を寄せている。でも目の縁が赤いし、ぴくぴく震えてるからわかるんだ。
「お前、照れてるんだな」
ぱしっと額が張り倒され、ロウソクが吹き消される。
「おぅっ」
「知らん!」
ったくこのオヤジはどこまで可愛いのか。
もそもそと胸元に顔が押し付けられ、くぐもった声で囁かれた。
「ピンクのリボンはやめとけ。柄じゃねえ」
「……わーったよ」
緑なら、いいのかな。
ぴたりと身を寄せ合ったまま目を閉じる。もたれかかる体の重さがうっとりするほど心地よい。安心する。
押し寄せるゆるやかな眠気に意識がほどけて行く。
(また、花を買ってこよう)
(フロウに贈る。ただそれだけのために)
※
のそっと布団から顔を出すと、フロウは小さな声で呼びかけた。
「ダイン」
……答えはない。ただ穏やかな寝息が聞こえるだけだ。
「ったく、気持ちよさそうな顔しやがって、この犬っころは」
手を伸ばし、額に触れる。意外になめらかですべすべした肌の上、左のこめかみに向けて指を滑らせ、髪をかき上げる。
じきに指先が皮膚のよじれを探り当てた。
小さなため息が零れる。
いかに癒しの魔法を用いても、手当てが遅れれば痕が残る。褐色混じりの金髪に隠れてひっそりと、ぎざぎざに引きつれた線が斜めに走っている。
去年の大蟹月(7月)、三日月湖のほとりで負った傷だ。歪な刃でオーガに斬り付けられ、それでもこいつは退かなかった。
吹き出す敵の血としたたる己の血で半身を赤く染め、命がけで俺たちの盾となり……裏切られ、見捨てられ、手当ても受けずにたった一人でうずくまっていた。
(もっと早くに気付いてやれたら、こんな痕なんざ残らなかったろうに)
そっとなぞるとダインが身じろぎする。額に口付け、囁いた。ため息よりもかすかに、祈りと祝福の言葉を贈る。腕の中で無防備に眠る、純朴な青年に。
『あなたに一夜の愛を捧げよう』
『三夜続けば三夜の愛。十夜続けば十夜の愛を』
『あなたの愛に包まれて、私は一夜の花となる』
(花を買う日/了)
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