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2012年3月の日記

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12.魔法円を書こう

2012/03/20 23:26 騎士と魔法使いの話十海
 
「うーん……っと……」

 先刻からニコラは丸椅子にちょこんと腰掛け、机代わりの作業台に紙を載せ、カリカリとペンを走らせている。時折余白に数字を書いて計算し、書き損じてはくしゃっと丸めて新たな一枚を取る。
 眉間にはくっきりと皴が寄り、口をきゅっと引き締め、真剣そのものだ。
 ナデューとフロウ、ダインはカウンターからその様子を見守っていた。極力音は立てずに、静かに。
 梁の上に陣取るちびと、ちっちゃいさんたちも息を潜めて興味津々。ニコラの手元をのぞきこんでいる。好奇心旺盛なちっちゃいさんがちびによじ登り、乗り出された頭の上にしがみついていた。

「よし、できたぁ!」
「きゃわわわわっ」
 
 突如上がった大声に、ころんと転がる毛皮の上。ちっぽけな足を上にしてじたばたもがく一匹を、他の六匹がてんでに手を伸ばして抱え起こす。
 すっくと立ち上がると、ニコラはびっしりと文字と図形の書き込まれた紙を手にカウンターに歩み寄り、ずいっとフロウに向かって差し出した。

「師匠、目通しお願いします!」
「おう」

 フロウは受けとった紙をじっくりと検分した。顎に手を当て、書き込まれた図形と文字を一つ一つ確認して行く。
「火」「水」「木」「土」。
 この世界を構成する元素のうち、四つのシンボルに囲まれた二重の円。中心には五つめの元素である「金」のシンボルが置かれ、その下で二本の直線が直角に交わっている。
 さらに内側の円周に接するように、角度を変えて重なる二つの正六角形……十二芒星が描かれていた。

「ふむ、基本の枠は問題なし、と。次は記述だが……」

 円の間と、十二芒星の周囲にはびっしりと文字が書き込まれていた。ただし、全て祈念語で。
 のぞきこんだダインが首を傾げる。

「何て書いてあるんだ? これがリヒトマギアで、こっちがリヒキュリアだってのはわかる」
「今日の日付と星の位置、守護を願う精霊と神々の名前」
「へーえ、そうなんだ」

 のほほんとうなずくダインの額を、ぺちっとフロウの手が張り倒す。

「ってぇっ」
「真面目に祈念語の勉強やってんのか? 教えた分、覚えてりゃお前さんにも読み取れるレベルの記述だぞ?」
「……やべ」

 首をすくめて、ダインはこそこそと後じさり。それを見てまた、上のギャラリーたちがため息をついていた。

「きゃーわー」
「ぴゃあ」

 ナデューはしかと彼らの会話を聞きとり、楽しげにほくそ笑んでいた。大体何をしゃべっているか、察しがついたのだろう。
 ニコラが提出したのは、召喚術に用いるための『召喚円』の下書きだった。

「……ふむ、ちゃんと書けてるな。よし、合格」
「やったぁ!」

 ひじを曲げて胸の高さで両手を握り、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。さらさらゆれる金の髪に日の光が反射し、きらきらと光の粒が走り抜ける。
 そんなニコラの手に、ぽふっとフロウはチョークを一本握らせた。

「んじゃ、次は清書な」
「あー、それがあったかぁ」

 一見、何の変哲もないチョークには、フェンネルやキャラウェイ、ホワイトセージと言った香草のエキスが練り込まれている。魔法円や召喚円、護身円を描くために作られた特別なチョークなのだ。
 太くて丈夫で、多少下に落とした程度では折れない。それでいて書き味は滑らかでのびが良い。フロウの調合するチョークは、術師たちの間でも至って評判が良いのだった。
 
 へばーっと息を吐くニコラにナデューが声をかける。

「まあ、確かに一番面倒くさい作業ではあるけれど、初級用だから大きさもちっちゃいし? 護身円は学院支給の布製のがあるからいいじゃないか」
「……ですよね」
「苦労してこそ、うまく呼べた時の喜びも大きいってもんだよ、ニコラ君」
「はい、先生!」
「んんじゃ、行くか」

 フロウが立ち上がり、庭に通じる扉を開けた。てっきり馬小屋に行くものとニコラは思っていた。力線と境界線の強い所へ移動するんじゃないかと。
 ところがフロウが立ち止まったのは、ずっと手前。裏庭の、井戸の前だった。

「ええええっ、こんな所で!? もっと、こう、森の中とか、川のほとりとか、静かなとこじゃなくていいの?」
「ここでいいんだよ。そら、目、閉じてみろ」
「………」

 言われるまま、目を閉じた。空気のにおいを嗅ぎ、見えないはずのモノに感覚の焦点を合わせる。
 手探りよりもなお、頼りない感覚だった。
 普段は使わない感覚を呼び覚ますため、魔法学院では『額の間にもう一つ目があるつもりで』『肩甲骨からもう一組腕が生えてる気分で』『髪の毛を伸ばして動かす感覚で』等のイメージを教えてくれた。
 その中でもニコラはとりわけ『髪の毛』を使うやり方がお気に入りだった。
 もともと長いから、イメージしやすいのだ。自分の髪の毛がふわっと広がり、水のように流れて、漂って……。

「あ」

 まさぐる見えない髪の先が、かすかなゆらぎを捕らえる。空気が揺れているのとも、少し違う。
 何だろう? 意識が向いた瞬間、ぐわっとゆらぎの強さと、密度が上がった。
 伸ばした髪の毛を伝わり、『力線』を構成する魔力が流れ込んでくる。

「わ、わ、わっ」

 体の内側から、自分の中に宿る魔力が呼び起こされて、活性化していた。皮膚がちりちりするほど強く。

「な?」
「ほんとだ……あふれてる」
「ちょうどその辺りで、地面から力線が湧き出して、つる草みたいに絡まって、木みたいになってるんだ。なあ、ダイン?」
「うん。枝の間でぽわ、ぽわっと、異界に繋がる泡が膨らんでる」

「魔法の使い手ってのは大抵、力線と境界線が蜜になってる場所を選んで家を構えるんだよ。んでもってその手のポイントは、人里離れてるとは限らないってことさね……アインヘイルダールみたいな土地では、特にそうだ」

 フロウの言葉に、ナデューが腕組みしてうなずき、後を引き継ぐ。

「力線も、境界線も、街ができるよりずーっと前から、そこにあるんだからね」
「そうなんだ……」

 ニコラは小さな手を握って、また開いて確かめた。一度、焦点さえ合えばもう目を閉じる必要はなかった。あふれ出す力の流れを、肌で感じることができた。

「ダイン」
「ん?」
「ちょっと例の『木』のある場所に立ってみろ」
「わーった」

 言われるまま、ダインはのっそりと『力線』の木に重なるようにして立った。
 ふわっと金髪混じりの褐色の髪が波打ち、左目が月色の虹に覆われる。

「うわ、ぴりぴりする!」
「おお、どんぴしゃな位置に立ったな。つくづく便利だねえ……ニコラ」
「はい!」
「ダインの足から1mぐらい離れた位置に召喚円を描け。真上だと強過ぎるからな」
「わかったわ! ダイン、もうしばらく動かないでね?」
「へいへーい」

 居心地悪そうにもじもじしながら、ダインはニコラが慎重に円の位置を決めるのを見守っていた。

「ここかな?」
「うん、枝の先が触れるか触れないかって位置だ」
「OK、上出来! もう動いてもいいわよ」
「はいはい」

 首をすくめてダインは『木』から離れた。

「さあてっと」

 ニコラは腕まくりすると下書きの紙を地面に置き、チョークを構えた。

「行くわよ!」

 深く息を吸い込むや、一気にぐるうりっとばかりに腕をぶん回し、直径1mほどの円を描いた。

「わお、毎度のことながら、ダイナミック! 気持ちいいくらい勢いがあるよね、ニコラ君の描き方って」
「あの子の場合、勢いつけた方が上手く描けるらしくってな」
「あー、何かわかる気がする」

 そうこう言う間に、ぐるりっと内側の円が。ざっ、ざざっと交差する直線が。重なる二つの正六角形が描かれて行く。
 
「……ふぅ」

 軽く汗を拭うと、ニコラは地面にしゃがみ込んだ。ここからが一仕事。
 いつの間にかちびとちっちゃいさんたちが店から出てきて、薬草を干す台の上にずらっと横並びに並んでいた。気になるらしい。

 そして、約30分後。とりねことちっちゃいさんがうとうとし始めた頃……

「できた!」

 ちびはうっすらと目を開けて、ちっちゃいさんたちはぴょくっと起き上がる。
 描きあげた召喚円を見下ろし、ニコラが満足げにうなずいていた。
 ぽそりとダインがつぶやく。

「張り切ってた割には、案外ちっちゃいんだな」
「初級用だから、これでいいの!」

 手提げ袋からずいっと濃紺の布を引き出すと、ニコラはぱしっと広げて片方をダインの手に押し込んだ。

「ほら、そっち持って。広げて」
「う、わかった。これでいいか?」
「OK。そのまま地面に降ろして」
「はいはい……」

 ぴん、と張った布をそろーりそろりと地面に降ろす。位置は召喚円の真向かいだ。夜空と見まごう濃紺の布には、白く『護身円』が染め抜かれている。続いて取り出された銀のピンにはそれぞれ、『水』『火』『木』『土』を表すシンボルが刻印されていた。
 ニコラはピンで慎重に四隅を留め、最後に『金』のシンボルの刻印されたメダルを護身円の中央に置いた。

「……よし。下がって、ダイン」
「わかった」

 のっそりとわんこ騎士が後退するのを見届けると、ニコラは手提げ袋から小瓶に詰まった聖油(オイル)を取り出した。きゅっと蓋を開ける。ラベンダーの精油だ。フロウの指導の元、自分で調合したものだった。
 布の護法円の四隅と中央、次いでチョークで描いた召喚円の四隅と中央にオイルを垂らして行く。

「お」

 ダインの目には、はっきりと見えた。青く輝く光のラインが二つの魔法円をなぞって走る有り様が。

「円の起動が終わったみたいだね」
「さーて、どんなのが出て来るかな?」

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11.器を決めよう

2012/03/20 23:25 騎士と魔法使いの話十海
 
「さーてっと、糖分(エネルギー)も補給できたことだし」

 大きなフルーツケーキ1ホールが切り分けられ、各々の胃袋に消えた所で……もちろん、その中には小皿に載せられた『ちっちゃいさん』の取り分も含まれていた。
 三杯目のハーブティーを飲み干すと、ナデューはおもむろに優雅な仕草で口元を拭った。ハンカチを取り出す仕草から指の運びの一つ一つにいたるまで、流れるようにあでやかに。
 思わず目が吸い寄せられるニコラに気付いてか、くっと口元が上がる。

「そろそろ実習にとりかかろうか、ニコラ君」
「はいっ」

 そう、四の姫ニコラが今日、店に来たのは他でもない。師匠であるフロウの立ち合いの下、初めての召喚に挑戦するためであった。
 
「もちろん、私は手は貸さないよ。見届けるだけだ。指導はフロウに任せる。君の師匠は彼なんだからね?」
「はい!」

 頃合いを見計らってフロウが後を引き継ぐ。

「よし、じゃニコラ。まず準備すべきものは何だ?」
「『器』!」
「上出来」
「ね、師匠。私、前から不思議に思ってた事があるの」
「うん、何だ?」
「ナデュー先生もいるし、いい機会だから教えてほしくって……」

 ニコラは腕組みして眉を寄せ、じとーっと見上げた。褐色の髪に緑の瞳、のっそりと背の高い男……ダインを。がっちりした肩の上では、ちびが上機嫌。美味しい美味しいフルーツケーキをもらったばかりだからだ。
 器用にバランスをとりながらダインの首にえりまきのように巻き付いて、ごろごろとのどを鳴らしている。

「どうしてダインは、『器』を使わずにちびちゃんを実体化できてるの?」
「んー、それはだな」

 ゆるりとした仕草でフロウはダインの左肩を叩いた。

「こいつは、この左目そのものが器みたいなものだからな」
「目が?」
「ああ。意識を集中すると、魔力の流れや力線、境界線を見ることができるんだ」
「そんなことできるの?」

 ダインはちらりとフロウを見た。すかさずフロウがうなずく。目元を和ませ、青年は改めてニコラに向き直り、ゆっくりと頷いた。

「…………うん。『月虹の瞳』って言うらしい」

 ニコラはぱちぱちとまばたきして、それからにゅうっと口を曲げた。

「ずるーい」

 言われてダインはむしろ、ほっとしたような顔をした。フロウがにやにやしながら付け加える。

「だろ? ずるいだろ? だけどその代わり、ものすごーく大ぐらいになる」
「だと思ったんだ」

 ナデューがうん、うんと頷き、ちびの顎の下をくすぐった。

「フェレスペンネをこの世界で実体化させるには、とんでもない量のエネルギーが必要だからね。普通は『器』でその分の負担を軽減させるのだけど……この場合は全部、宿主であるディーテ君にかかってるからねえ」
「あ、それはちょっとイヤかも」

 大ぐらいになった自分を想像したらしい。ニコラはますます眉をしかめ、うぇええ、と口を歪めた。

「ふぇれすぺんね。そーゆー名前なのか、こいつ」
「うん。『翼のある猫』とか『鳥の猫』とか。古い言葉で、そんな意味だよ」

 途端にダインは得意げに目を輝かせ、ずいっと胸を張った。

「聞いたか、フロウ! やっぱ『とりねこ』でいいんじゃねえか!」
「……お前、だいぶ端折ってるだろそれ」
「異相は異界と通じている証なんだよ」

 にこにこしながら、ナデューは上体をかがめてニコラと視線を合わせた。

「ディーテ君の『月虹の瞳』然り。私のこの前髪に一筋混じった赤い髪も。金色の瞳もね」

 ナデューは前髪に混じる赤い髪を指ですくいとり、生徒によく見えるように掲げた。

「異界と触れる時間が長ければ長いほど、術者の異相は増えて行く。『器』を使うと、その影響を減らすこともできるんだ。専門の召喚士を目指すのでもない限り、あえて異相を得ることもない。見た目の変化は、何かとリスクが高いしね」
「……はい。『器』って、大事なんですね」
「うん、うん。わかってくれて嬉しいよ」

 ニコラは左手にはめた銀の指輪に視線を落とした。流れる水の意匠を施された銀の台座には、透き通った水色の宝石……アクアマリンがはめ込まれている。初めてここに来た時に、フロウからもらったものだ。

「この指輪はどうかな?」
「あー、残念だがそいつに使い魔を宿したら『満室』になっちまうぞ?」
「満室?」
「魔術の発動体としちゃ、使えなくなっちまうってことだ」
「そっか……それは、困るなぁ」
「何、心配すんな。器になりそうな装身具なら、在庫には事欠かない……って、ん?」

 フロウの視線が、ニコラの襟元に止まる。彼自身の瞳と同じ色合いの、蜂蜜色の宝石をはめ込んだブローチに。

「ちょっと待てニコラ、それ、見せてみろ」
「どうぞ。おばあさまからいただいたの。若い頃身につけてたんですって!」

 ニコラから受けとったブローチを日に透かし、裏、表、台座の金属と、一通り調べてからフロウはうなずいた。

「これは……使えるな。どうだ、ナデュー?」
「うん、いいね」

 即答。つまりプロの召喚士のお墨付き。

「琥珀は見た目の大きさよりも軽い。何せ水に浮くくらいだ。樹脂が土の中で化石になって、何かの拍子こぼれおちて川に流れ、海にたどり着き、磨かれて浜辺に打ち上げられる」
「じゃ、これ海で採れたの?」
「おそらくな。琥珀は人魚の涙、なんて伝承もあるくらいだ。真珠の採れない北の海では、そう呼ばれてる」
「ほえー……」

 感心したように一声うめいてから、ダインがぽそりと言った。

「で、結局何が言いたいんだ」

(あー、ほんっと知力の残念なわんこだよ、お前さんは!)

「つまり、二つの属性を帯びてるってことさね。上質の琥珀の属性は木であり、同時に水なんだ。どっちもニコラとは相性がいい。使い魔を宿す『器』としては、うってつけの素材だってことなんだよ。わかったか?」

 ダインはおもむろに目を閉じて、それからもう一度開いた。その瞳を一目見るなり、ニコラはぽかーんと口を開けた。

「わあ………きれい………」
「そっか、お前さん、見るのは初めてだったな」

 ダインの左目は、月光のごとき白い光の渦に覆われていた。
 渦巻く月色の光には、雲母を砕いたようなきらめく欠片が浮いている。赤、青、緑、スミレ色、そして黄色。ありとあらゆる色の欠片が。それは絶えずゆらめき、一秒たりとも同じ形をしていはいない。
 時折、本来の緑の瞳が透けて見える、

「きれい。ほんとに『月の虹』だ……」

 かすかに頬を赤らめつつ、ダインはじっと琥珀のブローチを見つめた。
 
「ああ、確かに二種類の光が宿ってる。木の枝と葉っぱみたいな緑色と、流れる水。蛍みたいにぽわーっと青く光ってる……長い間、海を漂っていたんだな、この石は」
「見えるんだ」
「うん」

 ニコラはぐんにゃりと口を曲げ、だんっとばかでっかいブーツの上からダインの足を踏んづけた。

「ってぇええ!」
「やっぱ、ずるい!」

 あろうことか、フロウまでもが一緒になってうなずいていた。

「だろ? ずるいよな?」

 ちびはちゃっかりと天井の梁に避難し、ひっそり見下ろしていた。しっぽをもわもわに膨らませて。
 その隣には、ケーキのかけらを抱えた『ちっちゃいさん』がずらぁりと並び、文字通り高みの見物に興じていたのだった。

「きゃわ?」
「きゃわわ……」
「きゃーわー」

 一斉に肩をすくめ、ぽふっとちいさなちいさなため息をつく。誰のことを話題にしてるかは、言うまでもない。

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10.それを可愛いと言うか!

2012/03/20 23:24 騎士と魔法使いの話十海
 ド・モレッティ家のアインヘイルダールの館には、伯爵の母親……すなわちニコラの祖母が住んでいた。
 入学する一ヶ月前からニコラは祖母の家に移り住み、今もそこから魔法学院に通っている。
 移り住んだ、と言うより戻ったと言った方が近いかも知れない。何となれば祖母の館は、ニコラが幼少時代を過ごした懐かしい家でもあるのだから。

 このことを一番喜んだのは、他ならぬニコラの祖母ド・モレッティ大夫人その人だった。
 彼女は若い頃、巫女として水の女神リヒキュリアの神殿に仕えていた経験がある。しかしながら、ド・モレッティ家は騎士の家柄だ。
 孫娘が自分の才能を強く受け継いでいることを感じてはいたものの、魔法を学ぶことを強く勧めることはできずにいた。
 だが、自らの意志で魔法学院入りを望んだとあれば、話は別だ。
 ニコラがフロウに魔法の才能を見出されたことを、ド・モレッティ大夫人はとても感謝しているのだった。

「おばあさまにも、よろしくお伝えしてくれ」
「はい!」

 カロカロとキャンディを転がすかすかな音が響く中、ダインはうつむいてぶつぶつと呟いていた。

「ディーテって、女の子の名前だよな……でも俺、本名ディートヘルムだし……いいのか? これは、アリなのか?」
「しかめっ面してないで。ほれ、飴食え、飴」
「もらう」

 素直にかぱっと開いたその口に、フロウはぽとりとキャンディを入れてやった。
 口に入れるなり、ダインはがしっとキャンディを噛んだ。

「あ」
「あ」
「何か?」
「……いきなり噛む奴があるか。ったくせっかっちってーか、無粋だねぇお前さんは!」
「美味いぞ?」

 ごりごりもっしゃもっしゃとキャンディを咀嚼するダインを見て、フロウは眉根を寄せながらも口元をほころばせるのだった。

「きゃあ!」

 不意にニコラが悲鳴を挙げる。青い瞳の先には、作業台の上の解体中の人形。

(しまった)

 フロウは舌打ちした。あんな不気味なもの、放り出してあったらそりゃ驚くよな。とっとと片づけておけばよかった。急いで歩み寄り、肩に手をかける。
 両手をぐっと握りしめ、ぶるぶる震えながらニコラが見上げて来た。

「あー、その、ちょっと待ってろ、今片づけるから」
「師匠これどーしたの?」
「……………拾った」
「かわいい!」

 どうやらさっきの『きゃあ』は、悲鳴じゃなくて歓声だったらしい。

「気に入ったのか?」
「うん、かわいい! すごくかわいい」

(かわいい? コレが?)

 ダインとフロウは無言で顔を見合わせた。

(変だ)
(絶対変だ)

 思っても口には出さずに。

「かわいいー。すごーくかわいいー」

 頬を染め、テンションの高い声で繰り返す弟子を見守りながらフロウは考えた。
 別に何ぞの術に使った痕跡はないし、必要な部分はもう取り除いた後だ。

「それ、好きにしていいぞ」
「わあい! ありがとう師匠!」

 ニコラは手提げ袋から、さっと小さな巾着を取り出した。何気なく手元をのぞき込んだダインは、ぎょっとした。
 水色の布地には、実にリアルな『魚』が刺繍されていた。質感といい、色合いといい、ウロコのざりっとした手触りまで伝わってきそうなくらいに、正確に描き出されている。
 水中を泳いでいるのではなく、いかにもまな板の上に乗っていそうなやつが。

 ほっそりした白い指がしゅるりと紐を引っ張ると、中から出てきたのは針と、糸と、ちっちゃなハサミ。

「いつも持ち歩いてんのか、裁縫道具」
「レディのたしなみよ! この巾着だって、自分で作ったんだから!」
「……その、魚の刺繍も?」
「そうよ。トンボとキノコもあるわ。見る?」
「いや、いい」

 このレベルのリアルさで刺繍されているのなら、どんな出来栄えかはおおよそ見当がつく。

「そら、これ使え」
「ありがとう、師匠!」

 取り出された触媒の入っていた穴に、フロウからもらった綿と乾燥ハーブの切れ端を詰める。ちくちくと針を走らせ、あっと言う間に人形の『割腹』が縫い直される……赤い糸で。

(何故、わざわざその色を使うーっ!)

「この子、目が無い……」
「ああ、これがついてた」

 フロウは取り外したロードクロサイトのボタンを見せた。

「やっぱり、目はボタンだったのね」
「触媒に使えるんで、外しちまった。そら、代わりにこっちを使え」
「ありがとう!」

 差し出された箱には、色も形も様々なボタンが詰まっていた。木や角、骨でできたボタンは、安価ながら術の触媒として人気のある商品なのだ。

「えーっと、これと、これにしよっと」

 ニコラは緑色の木のボタンと、鹿の角で作られた白いボタンを選んだ。色も別々なら大きさもふぞろい、かろうじて形は丸いものの、鹿の角のボタンはやはり、少しばかり歪だ。

(何でそれを選ぶ?)
(あ、しかもばってんに縫い付けてるよ!)

 男三人が固唾を飲んで見守る中、四の姫は修理の終わった人形を抱きあげ、満面の笑みを浮かべた。 

「でーきたっ!」

(うーわー、すっげえ良い笑顔!)

「うーん、でもこれだけじゃちょっと寂しいから……」

 しゅるっと髪の毛に巻いてあった水色のリボンを外し、人形の首に巻き付けてふんわりと結ぶ。

(いや、リボン一本でどうにかなる問題じゃないだろそれはーっ!)

「うん、かわいい!」

 遠慮がちにフロウが問い返す。

「可愛い……のか?」
「可愛いよ!」

 拳を握ったナデューが割って入った。

「用途を考えなければ、可愛いだろ! 個性的って言うか、味のある顔してるし!」
「あ、ああ、うん、そうだな、味があるな」

 味がある。
 便利な表現である。

「ニコラ君、人形好きなんだ」
「好きよ」

 水色リボンを巻いた呪い人形を、ニコラは愛おしげに抱きしめて頬ずりした。

「ちっちゃい頃、おばあさまに素敵な人形をいただいて。大事にして、毎日どこへ行くにも連れて歩いてたわ」
「へえ」

 ぼそりとダインが呟く。

「素敵な人形って、どんなんだろうなあ」
「聞くな……」

 フロウはそっと目をそらした。
 そんな二人のひそひそ話など露知らず、ニコラはうっとりとどこか遠くを見るようなまなざしをした。

「橋を渡っている時に、うっかり落としてしまって……流れが早くて、あっと言う間に見えなくなっちゃったの」
「それは、寂しいね」
「うん。三日間わんわん泣き通しだった」

 幼い頃のニコラの悲しい思い出は、ダインの頭の中では妙な具合に変換されていた。

「……水死体?」
「いーからお前はアメ食ってろ」
「んぐっ」
「すぐ噛むなよ。ちゃんと味わえよ」
「わーったよ」

 口に放り込まれた二つめのキャンディをもごもごと、素直にしゃぶるわんこを横目に、ナデューは穏やかな声でニコラに問いかけた。

「その子に、同じ名前つけてあげたら?」
「いいえ。だってキアラは女の子だったもの」

 ニコラは両手で呪い人形を抱きあげ、ナデューに向けて差し出した。

「この子はほら、男の子だから!」
「……そう言う設定なんだ」
「あ、だから首にリボン」
「そうよ? 何か問題がある?」

 大人三人が沈黙する中、ちびがにゅうっとのびあがって人形のにおいをかぎ、かぱっと赤い口を開けた。

「ぴゃあ!」

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9.匿名の贈り物

2012/03/20 23:23 騎士と魔法使いの話十海
 
「うーむ」

 高い天井、年月に磨かれた深みのある焦げ茶色の柱と太い梁。しっくい塗りの内壁は、絞ったばかりのミルクにひとたらし、紅茶を交えたような淡い褐色。
 室内の空気には干した草と花、そして熟成された果実の香りが溶け込み、戸棚にはガラス瓶に収められた薬草が並ぶ。かと思えば、店の一角にはガラス張りのケースに収められた指輪や腕輪、耳飾りに髪飾り、リボンにアンクレットと言った装具品が並んでいる。
 ただし、それらにはよく見ると魔導語や祈念語で魔法の言葉やシンボルが刻印され、あるいは縫い込められていて、ただの装身具ではないことを伺わせる。

「むーん……」

 薬草店の主、フロウライト・ジェムルは腕組みして首を捻っていた。

 目の前の作業台の上には、開封されたばかりの木箱が一つ。今日の午前中に届いたものだ。中身は乾燥した薬草。いずれも刺激が強く、使用に際しては細心の注意を払わなければ危険。しかし裏返せば微量でも強い効果が期待できるものばかり。
 しかもきちんと小分けされていて、すぐにでも調合に使える状態で、中にはコンディションの良好な種子まであった。
 運が良ければ芽が出るかもしれない。いや、芽吹かせてみせる。裏の畑で力線と境界線に近い場所を選んで、土質を整えればきっと……。
 考えただけで、わくわくする。

 箱の隣には、ずんぐりむっくりした縫い目だらけの人形が転がっていた。
 既にフロウ自身の手で腹の縫い目は丁寧に開かれ、目に縫い付けてあったボタンも外されていた。
 台の上には、人形の腹に詰まっていた物がきちんと並べられている。
 まず、黒っぽい石。一度溶けてどろどろになったのを固めたような形をしていて、とてつもなく強力な土と、火の力を帯びている。こんな性質を示す石は一つしかない。
 溶岩だ。
 さらに、南方の温かい海にしか生息していない貝の殻。仕入れようとしたら、輸送料と手間賃がかかってとんでもない値段になる代物だ。
 目の部分に縫い付けられていたのは、極上の真っ赤なロードクロサイト。これもまた、この近辺では薄い紅色の石しか産出されない。
 要するに、いずれも希少な魔術の触媒なのだった。それが一日のうちに無償で手に入った。本来なら喜ぶべきことなのだが。

 問題は……

「お?」

 重たい蹄の音が近づいてくる。黒か、とも思ったが微妙に歩調が違う。一定のリズムがあり、力強さの中にどことなく優雅な気品が感じられた。
 店の前まで来ると蹄の音はふっつりと途絶え、入れ違いに軽やかな足音が近づいてきた。
 ほどなく、扉が開く。

「やあ、元気かい、フローラ!」

 にゅうっと眉をしかめると、フロウは渋面で金色の瞳の召喚士をねめつけた。

「……その名前で呼ぶな、ナデュー! って何度言わせるか」
「固いこと言いなさんな。フロウライト、略してフローラ。ほら、何もおかしくない!」
「あのなあ」
「わかりやすくていいだろ?」

 ああ、今まで何十回、いや何百回このやりとりを繰り返したことか。上機嫌でばっすんばすっんと肩を叩く友人をじと目でにらみつつ、胸の奥でつぶやいた。

(こいつ、名付けのセンスねぇ……)

 ある意味、ダインと通じる所がある。若干、方向性は違っているけれど。
 定例の挨拶が終わるとフロウはカウンターの奥に行き、コンロにかかっていたヤカンを降ろした。

「茶菓子はクッキーでいいか?」
「お構いなく、持参したから」

 そう言ってナデューはいそいそと胸に抱えていた袋を開けた。

「お。子牛屋のフルーツケーキか!」
「うん。これを買わずにあそこの前を素通りはできないよ!」

 ナデューはフロウに負けず劣らずの甘党で……彼の召喚した使い魔は『シュガー』に『キャンディ』、『マフィン』に『ハニー』に『コンフェイト』と、ことごとく菓子類の名前を与えられていたのだった。
 フルーツケーキをお茶請けに香草茶をすすり、ひとしきり落ち着いてからフロウは切り出した。
 さっきからずっと気掛かりだったことを。

「なあ、ナデュー」

 作業台を指し示して問いかける。

「これ、送ってきたのお前さんか?」
「いや? 俺じゃないよ?」
「そうか……どれもこれも、東の方でしか採れないすげえ貴重な薬草なんだよ。てっきり、知り合いの誰かが送ってくれたのかと思ったんだが、名前が書いてないんだ」
「俺なら、きちんと名前を書くし。だいたい今日来る予定になってたんだから、直接届けに来るよ」
「だよ、なあ。あと、こんなものが裏口に落ちてたんだ」
「ほう」

 ナデューは目を細め、人形から取り出された『モツ』を吟味した。

「これは、すごいね。貴重なものばかりじゃないか!」
「包装はいまいち趣味が良くなかったけどな」

 詰め物が取り除かれた人形は腹にぽっかり穴が開き、解かれた縫い目から綿がはみ出して、いかにも『解体中』と言った様相を呈している。
 目が外されて口だけになった顔といい、開かれた腹といい、明らかに不気味さが倍増していた。

「匿名の贈り物、か」
「ああ。名前がわからないんじゃお礼の言いようがないし、困ってたんだ」
「犬でもいれば、匂いを辿らせる所だけど……」
「犬ねえ」
「あてがあるのかい?」
「いや。まあ、あれはどっちかっつーと犬っぽいものだな」
「へ?」
「あと、猫的なものも居るけどあいつは気まぐれだしなぁ」
「何、もしかして君、召喚術も始めたの?」
「いや、それは俺じゃなくて……」
「ニコラ君か。あの子、物覚えがいいよねー。教えたことをどんどん吸収して、また臆することなく自分の考えをぶつけて来るから、話してて楽しいよ。他の生徒にもいい刺激になる」
「ははっ、そうか」
「師匠の仕込みがいいんだね」
「おいおい、褒めても何も出ないぞ?」

 と、言いつつフロウはナデューのカップに香草茶のお代わりを注いだ。小瓶に満たした蜂蜜も添えて。

「そう言えば今日の公開授業の時、妙な奴がいたなあ。ニコラ君の隣に座ってたんだけど……」

 蜂蜜をカップに注いでスプーンで混ぜながら、ナデューが言った。

「ほう?」
「背が高くてごっつくて、訓練生にしちゃちょっと年食ってるかなーって感じで。えらいレベルの高い使い魔を連れてる割に、基礎的な知識がなって無いって言うか……根本的に、残念なんだ」
「それ、あーゆー奴じゃないか?」

 ちょうどその瞬間に裏口に通じる扉が開き、まずは弾けるような笑顔の金髪の少女が入ってきた。
 いつもの見慣れた制服姿ではなく、水色のドレスを着ている。髪には同じ水色のリボン、そして襟元には四角いフレームに蜂蜜を固めたような楕円形の宝石をはめ込んだブローチを着けていた。

「師匠、こんにちはー」

 次いで、堂々たる体躯の褐色の髪の男が入ってきた。ほんの少し背中を屈めてのっそりと。身に付けた簡素な生成りのシャツと毛織りのチュニック、そして同じく羊毛織りの外套には見覚えがあった。授業に出ていた時と同じ服装だ。
 そして、肩には翼のある猫を乗せている。

「ただいま」
「……………………君か」
「ぴゃあ!」
「あ、先生」
「え、ナデュー先生?」
「やあ、ニコラ君。こっちの君はえーっと」
「ディートヘルム・ディーンドルフ。通り名はダインです」

 残念くんはびしっと背筋を伸ばし、よどみない声で名乗った。
 丸めていた背中を伸ばしたせいだろうか。いきなり一回り大きくなったように見えた。

「呼びやすい方でお呼びください」
「じゃあ、ディーテ」
「へ?」

(あちゃあ、またやりやがったよ)

 ナデューは知りあった相手に、何かと乙女系の呼び名をつける悪癖があった。

「ディーテ? 俺のこと? ディーテって……」
「似合わねえなぁ」

 目を白黒させるダインがおかしくて、額に手を当て、クツクツと声をたててフロウは笑った。ニコラはそんな師匠に歩み寄り、大事そうに抱えていたガラス瓶を差し出した。

「師匠、これおばあさまから!」
「ほう?」

 それ自体が大きな水晶玉のような球形の瓶の中には、丸いキャンディが詰まっていた。
 上質の砂糖を練った飴の中に、ドライフルーツやエディブルフラワーを封じ込めた『食べる宝石』。王都からのお取り寄せ品だ。

「美味そうだな」
「いつもお世話になってます、どうぞ召し上がってくださいって」
「世話ってほどでもないが……せっかくだから、ありがたくもらっておこうかね」

 蜂蜜色の瞳を細めて、フロウはまじまじと瓶の中できらめくキャンディを見つめた。

「こいつぁ好物なんだ。ありがとよ」

 早速取り出してニコラの手のひらに乗せ、自分も一つ口に含む。二人して頬をぷっくり膨らませてもごもごやっていると、横合いからナデューがにゅっと手をつきだした。

「ほいよ」
「ありがとう。いただきます」

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8.ここからは宿題

2012/03/20 23:22 騎士と魔法使いの話十海
 
 講義の終わりに、ナデューは訓練生たちに一枚ずつ、白紙の召喚符を配った。

「え、枠だけ?」
「絵も文字もない!」

 首を傾げる訓練生たちに、召喚士たちが自分の使うカードを見せる。

「それが、一番最初のまっさらな状態なんだよ」
「自分で召喚して、絆を結んだ時点で始めて名前と姿が浮かび上がるんだ」
「一瞬の刻印みたいなものだね」
「ああ! 足跡ぺたっと押すとか」
「その通り」
 
 なるほど、でかぶつ君の言うことは確かに学問としては『残念』だ。しかし直感的で、わかりやすい。単純と言ってしまえばそれまでだけど。

「訓練生の諸君、これは課題だ。来週のこの時間までに、自分一人の力で使い魔を召喚してくること」
「ええーっ!」
「慌てない慌てない。今日まで習ったことを落ち着いて実践すれば、できるはずだ。ずるして他の人に手伝ってもらっても、召喚符を見れば一発でわかっちゃうからそのつもりで……」

 訓練生たちは、目をきらきら、いやむしろぎらぎらさせながら、白紙の召喚符と召喚士たちの連れている使い魔を凝視している。
 既に彼らの頭の中は、どんな使い魔を喚ぼうか、どんなのが来るか、期待と好奇心で一杯だ。このチャンスを他の誰かに任せるだなんて、とんでもない!
 そんな意気込みが手に取るようにわかる。

「君たちの腕前では、まだ『何』を喚ぶか具体的には指定できない。例えるなら、異界と現界の間にに小さな小さな窓を作って、そこから目隠しした状態で無差別に喚びかけるようなものだ……とても小さな声でね。返事があるかどうか定かではない。一回目の術式では、何も喚べないかもしれない」

 訓練生たちの間に不安げな囁きが広がる。それが収まるのを待ってから、言葉を続けた。

「だが、諦めずに喚び続ければ君たちと一番、相性のいい存在が応えてくれるはずだ。一方で『何が』来るか予測がつかない不安もある。必ず自分の師匠なり、学院の先生、もしくは家族、先輩など、中級以上の術師に立ちあってもらうこと。いいね?」

 初等訓練生の力量では、開く窓も喚びかける声の大きさも限られる。ごくごく小さなものだ。手に負えないような大物が押し寄せる可能性は、極めて低い。
 低いのだが、一応、念のため。

(まぐれでフェレスペンネ喚んじゃう奴もいるみたいだしな……)

「先生!」

 生徒の一人がすちゃっと手を挙げた。

「召喚術の、見本を見せてください!」

 それをきっかけに、生徒の間にさざ波のように同じ言葉が広がって行く。

「見たいです」
「私も!」
「俺も!」

 大人たちはさすがに礼儀を心得てはいるものの、やはり期待に満ちたまなざしを向けてくる。

「OKOK、わかったよ。でもかなり略式になるから、どの程度参考になるかわからないよ?」

 ナデューは銀の煙管を手にしてマッチをすり、火を灯した。ぷか、ぷかぁ……。一服、二服と甘い香りの煙をくゆらせるや、ふっと吹き出す。

 白い煙がわやわやと固まり、空中に召喚の印を描く。契約した『喚ばれし者』の名前と、存在を示す印を。
 ぽわっと緑の光を発し、印は空中に霧散した。だが、それだけ。
 固唾を呑んで見守っていた生徒の一人が、ぽつりと言った。

「先生。何も……出てきませんよ?
「よく見てご覧」

 ナデューはくいっと煙管で背後を示した。
 居合わせた生徒たちと、召喚士たちは導かれるまま目をやり、あっと口々に声を挙げた。

「うわあっ、木が、木が増えてるーっ!」

 然り。樫の木の隣にもう一本、樹齢百年は越えていそうな木が増えていた。ただしこちらは幹にうっすらと顔が浮いている。

「トレントを喚んだのか! あんなに静かに!」
「うわあ、気がつかなかった………」
「紹介しよう。トレントのカカオじいさんだ。私と契約している『喚ばれし者』の中でも古参の一人だよ」

 生徒たちはぽかーんと口を開け、あるいは目を真ん丸にして見上げている。術の静かさに反して出現した存在の巨大さ故に、インパクトは絶大だったはずだ。

(これで勢いがついて、初めての召喚にも臆せず挑んでくれればいんだけど)

 そんな中で一人だけ、『残念くん』が左の目を押さえていた。

「どうしたの、ダイン」
「あ、いや、急にあんな大物が出るとは思わなくってさ。ちょっと、びっくりした」
「ぴぃ、ぴぃ」
「ああ、ちび、大丈夫だよ」

(おやおや、あれは、ひょっとしたら?)
 
 いや、うかつに判断するのは早急だ。もしかしたら、単に目にゴミが入っただけかも知れないし。
 二本の樫の木を背に、ナデューはあでやかにほほ笑んだ。

「それじゃ、今日はここまで。また来週!」

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