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2012年3月の日記

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7.魔法学院にて

2012/03/20 23:21 騎士と魔法使いの話十海
 
 ネコ科の獣を思わせるしなやかな長身、絹糸のごとき艶やかな焦げ茶の前髪に一筋混じる鮮烈な赤、そして怪しく光る黄金色の瞳。
 ナディア・レイハンド・ブランディスが大講義室に入って行くと、居並ぶ生徒は一斉に息を飲み、居住まいを正した。

「ごきげんよう、諸君。初めての人もおなじみの人もよろしく。あ、私のことはナデューと呼んでくれ。先生(master)をつけるつけないは各自の自由だ」

 今日は魔法学院の公開授業。学院の制服を着ている初々しい一団は、初等科の訓練生たちだ。緊張した面持ちでじっと教壇を見上げている。一言も聞き漏らすまいと、耳をそばだてている。
 彼らにとって、今日は地道に学んできた初歩の召喚術の授業の仕上げの日なのだ。

「呼び名なんて何でもいいじゃないかって思うかもしれないけれど、召喚士にとって名前は重要な意味を持つ。ここで今、学んでいる諸君には言うまでもないことだよね?」

 広々とした講義室には私服姿の、生徒にしてはやや年齢の高い男女の姿も混じっていた。下は20代から上は30、40代まで。市井の召喚術の使い手たちだ。
 元々召喚術にはきちんとした学問体系はなかった。師匠から伝授されたり、あるいは家業として細々と営んできた者、独学で身に付けた者も多いのだ。
 だからこそ、この公開授業の意味がある。術師同士の情報交換にもなるし、訓練生たちにとっては、経験を積んだ召喚術師たちから実用的な話を聞ける、またとない機会になる。
 教壇の上から居並ぶ受講生を見回すと、ナデューはにっこりと顔をほころばせた。

「今日は天気もいいし、授業は外でやろうか!」

     ※

 魔法学院の中庭、枝を四方に伸ばす樫の古木の根元に場を移した。
 単純に開放的な空気が心地よいし、召喚士たちの多くはそれぞれ自分の使い魔を連れている。できるだけ、そうするようにあらかじめ頼んであるのだ。数多くの使い魔と生徒が触れあえるように。
 生きた経験に勝る教材はない。

「この方が、くつろげるだろ?」

 ナデューは樫の木に寄りかかって座り、受講生たちはその回りに半円を描くようにして座る。
 この頃には、初等訓練生たちの緊張もだいぶほぐれていた。

(うんうん、これでいい。ガチガチに緊張してたんじゃ、楽しくないものな)

 召喚士ナデューは学院始まって以来の天才と謳われ、歩くより早く異界の存在と心を通わすことを覚えたと噂されている。そんな彼にとって、異界の生き物と接することは眉間に皴を寄せてしかめっつらしく行う苦行ではなく、むしろ喜びに他ならないのだった。
 
       ※

「知っての通り、異界の存在をこちら側に呼び出して実体化させるには、あちら側とこちら側の接点、すなわち境界線を束ねて、異界に通じる門を編み上げなければいけない。
 その際には焦点を合わせるための『器』が必要だ。召喚された使い魔が宿り、体を休めるシェルターとしての役割もある。何しろ彼らは本来、異界の生き物だ。こっちの世界で存在し続けるには、多くのエネルギーを消費する」

 熱心にノートを取る初々しい訓練生たちに混じって約一名、ひときわ目立つばかでっかい男がいた。
 柔和な顔立ちだが立派な大人。多分、二十歳を越えている。猫背ではあるがよく見れば、肩幅は広く胸板厚く、筋骨隆々とした逞しい体つきだ。
 別にガタイのいい魔術訓練生が居ても不思議はない。実際、昨年はそんな生徒を教えていた。

(グレンジャー君を思い出すなあ、あの筋肉。でも彼はもっと姿勢が良かった)

「指輪や腕輪、ブローチ、ペンダントと言った装身具がよく『器』に使われる。いつも身に付けることができるからね。この他にも、術を行使する際に助けになる道具は数多くある。その中でも、洗練されていて持ち運びが便利なのが、この召喚符だ」

 懐から、実際に自分の使っているカードを取り出して受講生たちによく見えるようにかざした。
 生徒たちの目が一斉にカードに集中する。
 金色のカエルや角の生えた蛇、二対の翼の鳥や複数の尾を持つ小動物、コウモリ状の羽根のある小鬼に薄い昆虫状の羽根を羽ばたかせる小さな女の子。様々な姿の使い魔たちもまた、宿主とともに目を向けてきた。
 本能的に嗅ぎつけるのだろう。自分たちと同じ『異界の存在』の気配を。

「ぴゃああ……」

『図体のでかいノ』の懐から、もそっとふわふわした生き物が顔を出した。黒褐色斑の毛並みに覆われ、姿形は猫によく似ている。だがその背中には、猛禽類にも似た一対の翼が生えていた。

(あれは!)

 ナデューの琥珀色の目の瞳孔が、わずかに開いた。

(鳥のような、猫のような外見。あの鳴き声。まちがいない、あれは、幻獣フェレスペンネだ!)

 不完全ながら人語を理解し、空を飛ぶこの生き物の最大の特徴は、宿主(host)の精神活動と共鳴することにある。すなわち、宿主が呪文を唱えれば自らも一緒に詠唱し、効果を倍増させることができるのだ。
 もっとも意識してやっている訳ではない。あくまで本能。動くものが目の前を横切れば追いかけるのと同じレベルなのだが、術を使う者にとっては強力な助っ人となる。
 しかし、一方でとんでもなく宿主の体力を消耗させる欠点もあった。『器』やカード等の術具で補ってさえ、実体を維持するには宿主側にかなりのエネルギーが必要とされる……つまり、腹が減る。
 また、人に懐きやすい反面、気まぐれで集中力に欠ける。特に子供はその傾向が強く、やって欲しくないこと、やられたら困ることを最悪のタイミングでやらかす。
 有り体に言ってしまえば召喚難易度とコストが高く、使役するにせよ飼うにせよ、とにかく手間がかかるのである。たびたび公開講座を行ってきたが、使い魔として連れ歩いている受講生を見たのは、始めてだった。

(珍しいこともあったもんだ)

 感心しつつ、講義を続ける。

「それでは、一つ質問。カードにこのようにして、召喚獣……僕はどっちかって言うと喚ばれし者(be-summonner)って言い方の方が好きなんだけど。いちがいに獣の姿をしているとは限らないからね。とにかく、彼らの姿と名前を映すのは何故だと思う? ……ええと、それじゃ、そこの君」

 試しに指名してみた。

「え、俺?」

 目をぱちくりさせたと思ったら、閉じた。

「うーん……」

 腕組みをして考え込んでる。かなり真剣な顔つきで首を捻っていた。ちょっと難しかったかな、と心配になる頃、やおら目を開けた。

「わかった、名前と姿を忘れないためだ!」
「………はい?」
「だって、カード見ればすぐわかるだろ?」

(だめだこりゃ)

「んな訳ないでしょ!」

 隣に座っていた女の子に、ぴしゃりと言われて首をすくめている。金髪に青い目の、小柄な利発そうな少女。髪に水色のリボンを結び、魔法学院の制服を身に着けている。

「それじゃ、代わりにニコラ君、答えて」
「術の発動の手順を簡略化するためです。束ねた境界線を安定させて、実体化の負担を減らす効果もあります。喚ぶ者(summonner)にとっても、喚ばれし者(be-summonner)にとっても」
「正解」

 うん、なかなかに飲み込みの早い子だ。この分なら、初級術師の試験も難なく突破できるだろう。

「そーなんだ」

 感心して頷く『残念なでかぶつ君』に向かってニコラはつい、と顎をそらし、ぺちりとおでこを手のひらで叩いた。

「あう」
「あなた、のん気すぎ! 宿主(host)としての自覚が足りないのよ自覚が!」
「ぴゃあ」

 肩の上ではフェレスペンネが首を傾げている。
 残念なでかぶつ君は肩をすくめて、しおしおとうなだれた。

「……ごめん」

 どうやらこの二人、かなり親しいようだ。妹だろうか? それとも後輩?

(どっちにしろ尻に敷かれてるなーあれは)

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6.騎士的いやがらせ

2012/03/20 23:20 騎士と魔法使いの話十海
 
 ロベルトの前の任地、東の交易都市は貿易が盛んで、この国では滅多に見られないような変わった物が手に入る。

(確か、薬物取り締まりの資料用にそろえた、毒草のサンプルがあったな)

 干してなお残る毒々しい色といい、ねじくれた内臓のような形といい。見るからにおぞましい有毒植物の数々。

(あれを匿名で送り付けてやったら、さぞかしぎょっとするだろうな……)

 薬草屋をやってるぐらいだらか、その手の物の取り扱いには慣れているだろう。実害はないはずだ。
 気にくわないあの男を、直接ぶん殴るのはさすがに問題がある。だが憂さ晴らしをするくらいは許されるだろう。何よりこのままじゃ収まりがつかない。

 一方で真剣に考え込むロベルトの横顔に、シャルダンはうっとりと見とれていた。

(かっこいいなあ、ロブ隊長……)
(私も、あんな風にムキムキになりたい! がんばって鍛えよう)

     ※

 ロベルト・イェルプはあらゆる事に手を抜かない男だった。
 自室に戻ると手早く毒草のサンプルを箱に詰め、町の便利屋に言付けて件の薬草屋宛に送り付けた。くれぐれも明日の午前中に着くように指示して。

(その時間なら、ディーンドルフは魔法学院にいるはずだ)

 ただし、これらの手続きは全て、隊長補佐のハインツ・ルノルマンに実行させた。小柄で人相にもさして癖のない彼なら、便利屋の印象にも残るまいと踏んだ上での選択である。
 
(何考えてんだろうなあ、隊長……)

 上司の行動に疑問を抱かないでもなかったが、忠実なハインツは素直に言われた通りに発送手続きを済ませたのだった。

 さらに。
 毒草サンプルと同じ箱には、やはり資料として購入した一体の人形が入っていた。
 素材は麻布、身の丈はおよそ手首から肘ほど。ずんぐりした胴体に丸い顔、手足にも腹にもぎざぎざの縫い目が走り、さながら満身創痍の怪我人のごとき不気味な外見。何より際立っているのは、ぎょろりと大きなその目だ。

 真っ赤な石で作られたボタンを、わざわざ縫い目がバツの字になるようにして縫い付けてある。しかも左右の大きさが違う。
 大ざっぱに刺繍された口は、歯を食いしばっているようにも。いや、むしろ唇がなくて歯が剥き出しになっているように見える。

 体中いたる部分が縫い目だらけで、アンバランス。そこはかとなく切り刻まれた死体を連想させる、実に悪趣味極まりない代物だ。その不気味な外見に相応しく、呪いに使う人形だと聞いた。
 見かけの割にはずっしりと重い。中に南方の海で採れる貝殻や火山の溶岩が詰まっているからだ。
 縫い込まれた素材の一つ一つが、強力な術の触媒になっていると言う。
 その大きさと重さから箱に入れるのは断念したが、これはこれで使いでがありそうだ。
 
「やはり、これは……戸口に打ち付けてやるのが一番効果がありそうだな」
 
 ロベルト・イェルプは何事に置いても決して手を抜かない。たとえそれが、個人的な怨恨に基づく嫌がらせであっても。
 彼はとてつもなく思い込みが強く、それ以上に意志の強い男なのである。

     ※

 そして翌日。
 彼は午前中に私服で砦を抜け出した。名目は「おしのびでの市中見回り」。だがその実、彼の懐深くには件の『呪い人形』と、釘と金槌とが収められていた。ロベルト・イェルプは何事にも手抜かりのない男なのだった。
 人目をはばかりつつ、薬草店にやって来れば何と言う幸運か。上手い具合に来客中ではないか。
 これ幸いとこっそり裏に回り、木戸を開けて忍び込む。音を立てぬよう細心の注意を払って。なおかつ、目立たぬように素早く庭を横切り、裏口に張り付く。さあ、ここからが本番だ。
 懐から呪い人形を取り出す。何度見ても不気味だ。裏口の扉にあてがい、釘を刺そうとすると何としたことか。

(あっ)

 ずっしりした重みのせいか。手から人形が滑り落ち、どさっと床に落ちた。あまつさえ、落下した釘が人形の目にぶつかって……

 かきぃんっと、やたらと甲高い音を響かせた。

(しぃまったぁああ!)

 聞こえただろうか。全身をこわばらせて気配を探る。
 人の近づく気配が伝わってくる。

(気付かれた!)

 脱兎の勢いで裏口を離れ、井戸の陰に身を潜める。果たして、扉が開き薬草屋の店主が顔をのぞかせた。

「んん? 何だこりゃあ」

(あ、あ、あ)

「こ、これはっ!」

 ぴくんっと眉が跳ね上がり、眠たそうな目が見開かれる。
 男は呪い人形を拾い上げ、しばらく周囲を見回していたが……間もなく中へ戻って行った。
 扉が閉まったのを確認してから、そそくさと庭から出る。木戸を抜けて通りを横切り、細い路地に入りこんでから、ふうっとため息をつく。
 戸口に釘で打ち付ける事はできなかったが、呪いの人形はあいつの手に渡った。しかも、明らかに驚いていた。できるものなら、もっとじっくり嫌そうに顔をしかめる所まで見届けたかったが……。

 とにもかくにも、目的は達成されたのだ。これでよしとしよう。
 
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5.何でそこに猫がいる?

2012/03/20 23:19 騎士と魔法使いの話十海
 
「ぴゃあ」

 ダインの肩に乗っていた猫が、ばさっと翼を広げた。

(え、翼?)

 あっと思う間もなく黒と褐色斑の猫は空を飛び、シャルダンの肩にふわりと舞い降りる。

「ちびさん! 連れてきてくれたんですね、先輩!」
「んむ、今日は非番だからな」
「しゃーる、しゃーる!」

(しゃべったー!)

 親しげに銀髪騎士の名を呼びながら、しっぽをつぴーんと立てて首筋に、顔に体をすり寄せている。

「ははっ、くすぐったいなあ! 今日もふわふわだね!」
「ぴゃー」

 シャルダンは名前を呼ばれてもさして驚く風もなく、妙てけれんな猫を抱きしめ、ふかふかの羽毛に顔をうずめている。

「んー、お日さまのにおいがするー」
「ぴぃいい」
「どうしてこんなに可愛いのかなーちびさんはー」

(ちがうだろ。追求すべきはそこじゃないだろ!)

 こいつはいったい何者なんだ。
 鳥か? 猫か? しかも喋ってる。オウムか?
 
「……何だこれは」
「これは、ちびさんです」
「いや、名前を聞いてるんじゃない」
「ダイン先輩の使い魔です」
「…………」

(は? 使い魔? ダインの……ディーンドルフの?)

 ぱくぱくと口を開け閉めしたが、上手く言葉が出てこない。だめだ、これ以上こいつと話してるとどんどん妙な方向に引っ張られる。
 ぎちぎちと首を回し、ディーンドルフに向き直った。

「何で騎士が使い魔連れてる! ってか兵舎で猫飼ってるのか貴様ぁっ」

 大声に驚いたのか。羽根の生えた猫はぶわっとしっぽを膨らませてディーンドルフの頭にしがみついた。
 少なくとも、こいつが飼い主だと言うのは理解できる。
 がっしりした手で、よしよしとか言いながら頭を撫でてるし、撫でられた方もぶわぶわに膨らんでいたしっぽが少しずつ細くなり、元に戻った。

「ロブ先輩。こいつは猫じゃありません。似てるけど」
「どっから見ても猫だろうが!」
「これは、とりねこです」
「とりねこ?」
「はい。鳥のような、猫のような生き物だから、とりねこ」
「……そうか」
「異界から迷い込んできたのを保護しました。今は俺が正式な宿主(host)としてこいつを管理しています。人に危害を加える心配はありません」
「そうか」

 納得した。
 種としての名前が判明し、きちんと管理されているとわかれば、それでいい。いいってことにしておこう。
 
「馬屋で排泄はさせるなよ?」
「大丈夫です。そこは、ちゃんと躾けてありますから」
「ちびさんは、優秀なんですよ! ネズミとか、虫とか獲ってくれるし!」
「見せに来るけどな」
「うん、こないだ獲ったのはでかかったっすね」
「……そうか」

 プラス、有能。だったら文句をつける筋合いはない。さっさとするべきことを済ませてしまおう。

「貴様に手紙だ、ディーンドルフ」
「ありがとうございます。でもどうして先輩が?」
「王都まで届いていたんだ。こっちに来るついでに預かってきた」

 手紙を受けとると、ディーンドルフはさっと宛名に目を通し、顔を輝かせた。

「伯母上からだ!」
「それと、こっちは荷物だ」

 頑丈に梱包された、形といい長さといい、丸太ほどの大きさの荷物をずしっと渡す。

「わ。こんな重たいもの持ってきてくれたんですか!」
「ついでだからな」
「………ありがとうございます」

 何てやつだ。あんな重たい荷物を小脇に抱え、平然と手紙を読み始めやがった。

「中身何なんでしょうね、これ」
「絨毯」
「え?」
「俺が生まれた家で使ってたものだそうだ。そろそろ落ち着いただろうから、こっちで使えって」

 ディーンドルフは愛おしげに、荷物を手のひらで撫でた。
 絨毯と言っても部屋全体に広げるほどの巨大なものではなく(そんなものだったらそもそも運んでは来られなかっただろう)。せいぜい、人一人が上に寝ころべるくらいの小さなものだ。
 兵舎内のダインとシャルダンの部屋に運び、開封してみる。

「わあ、きれいだ」
「星空ですね」
「む、見事な品物だな」

 みっしり織られた毛織りの絨毯。目の覚めるような藍色に、金糸銀糸で星が織り込まれている。そして絨毯の縁には、牡羊、雄牛、双子に蟹に獅子、乙女……星空を囲むようにぐるりと、星座を象った絵が刺繍されていた。

「これ、覚えてる。確かにちっちゃい頃、この上で遊んでた」
「ぴゃあ!」

 とりねこが、すたんっと絨毯の上に飛び降りる。縁の一ヶ所のにおいを嗅いで、がしがしと前足で引っかいた。

「ちびさん、いけませんよ……あれ?」

 抱きあげようと屈みこんだシャルダンの動きが途中で止まり、首を傾げた。皮肉にも水瓶座の回りが焼け焦げていた。だが表面は既に摩滅し、馴染んでいる。できる限り焦げた部分を整えようとした痕跡が見受けられた。燃えた繊維特有の臭さもほとんどしない。
 昨日今日できたばかりの焼け焦げではないようだ。

「ここ、焦げてますね。どうして?」
「………さあな」

 ダインが肩をすくめた。

「うっかりロウソクでもひっくり返したんだろ。子供の頃のことだし」

(嘘だ)

 珍しく視線が左右に泳いでいる。
 こいつは、覚えてる。知っている。だがそれを今追求してどうなる? 言いたくないのなら、言わなければいい。

「また、これを見ることができるなんて思わなかった。ありがとうございます、ロブ隊長」
「感謝してるのか?」
「はい!」
「だったら、行動で示してもらおうか。まだ、引っ越しの片づけが済んでおらんのだ」
「喜んで!」

     ※

 ロベルトの居室に引っ越し荷物を運んで、片づけて。一段落着いた頃には、昼を過ぎていた。兵舎の食堂で昼食を取る。
 とりねこは感心なことにテーブルの下に置かれた皿から餌を食べ、卓上のものには手を出さなかった。
 そして、何故か銀髪の騎士の前には、リンゴのパイにリンゴのお茶、リンゴ粥と見事にリンゴ尽くしのメニューが並んでいた。

「シャルダン。お前、何でそんなにリンゴばっかり食ってるんだ」
「ダイン先輩が、見習い時代から毎日食べてるって聞いたので」
「ああ、確かに、しょっちゅう丸かじりしていたが……」

 同じぐらい、肉も魚も穀類も食べていた。いくらなんでも、これは極端すぎる。
 一言注意しようとするより早く、エミリオがぎっしり肉の詰まったパイをシャルダンの前に置く。

「しっかり筋肉つけたいのなら、バランス良く食べなきゃな?」
「うん!」

 とん、と反対側からディーンドルフがマグに満たした牛乳を置いた。

「牛乳も飲んどけ」
「はい!」

 いきなり後輩二人を紹介された時は、果たしてこいつに世話役が勤まるのかと疑わしかったが……既に上手いこと連携も取れているようだし。
 これなら心配あるまい。
 なお、聞く所によるとリンゴ尽くしは、全て町のご婦人からの差し入れだったと言う。

「ありがたいですね」
「うん、美味いな!」

 昼食を終えると、ダインががたんと立ち上がった。

「じゃあ、俺、そろそろ帰りますんで」

(帰る?)
 
 忘れかけていたモヤあっとした重苦しさが、腹の底からまた湧きあがる。
 そうだ、全然問題は解決してなかった!

「え、もう帰っちゃうんですか、ダイン先輩」

 いつの間にかシャルダンの膝にはちゃっかりちびが座っていた。

「明日は魔法学院の公開授業なんだ。予習がまだ終わってなくてさ」

 エミリオが答える。

「ナデュー先生の授業ですね。勉強になるっすよ。教え方も丁寧だし、何てったって召喚のプロですから!」
「そうか!」
「上級だし!」
「そうか!」
「……そうか」

(ってことはこいつ、明日はあの店にいないんだな?)

 何で魔術の勉強なんかしてるんだ、とかそんな基本的な事よりもまず、そっちに意識が行く。

「じゃ、俺も午後から授業があるからそろそろ学院に戻るわ」

 そう言ってエミリオは、椅子の背にかけてあった布を羽織った。
 てっきりマントかと思っていたが、実はそれは深い緑色のローブなのだった。

「行ってらっしゃい! ダイン先輩も、ちびさんも、またねー」
「ぴゃー!」

 ごっつい二人組が並んで食堂から出て行くのを、シャルダンは名残惜しそうに、だが笑顔で見送っていた。

「あいつ、魔術師だったのか」
「はい」
「ガタイがいいから、てっきり騎士団員かと……」
「エミリオの専門は植物学と薬草術ですから。普段から、畑仕事をしたり、野山を歩き回ってるんです」
「なるほど……」

 薬草。
 その言葉が、記憶を呼び覚ます。そうだ、薬草だ。
 いささか物騒な記憶をまさぐっていると、ぽそりとシャルダンがつぶやいた。

「どうして誰もダイン先輩の可愛さに気付かないんだろう……」
「貴様今何と言った?」
「えー、ダイン先輩が可愛いって」
「何っ」
「だって可愛いじゃないですか。素直で、一途でまっすぐで。見てるとぎゅーっと抱きしめたくなります」

(こいつもかーっ)

「実家の犬を思いだします」
「ああ……そう言う意味か」
「はい」

 ぜいぜいと呼吸を整えた。
 それなら、わかる。確かにディーンドルフは犬っぽい。

「お前の家、犬飼ってるのか」
「はい。一個小隊ほど」
「おいおいおい、何匹いるんだ!」
「子犬が生まれたばかりなんで」

 シャルダンは狩りと果樹の守護神ユグドヴィーネの神官の息子だ。実家には女神の神獣である犬がたくさん飼われている。全て優秀な猟犬で、生まれた子犬たちは地元の狩人に引き取られ、女神の恵みをもたらすのだった。
 
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4.隊長と呼べ!

2012/03/20 23:18 騎士と魔法使いの話十海
 明けて、翌日。
 ディートヘルム・ディーンドルフことダインは西道守護騎士団の砦を訪れた。非番の日ではあったがきちんと制服を着て、黒毛の軍馬にまたがりさっそうと……

「ぴゃああ」

 翼の生えた猫のような生き物を連れて。

「もうすぐロブ先輩に会えるぞ、ちび」
「ぴゃあ!」
「三年ぶりだよ。ああ、楽しみだな……」
「ぴぃ、ぴぃ!」

 騎士団の勤務シフトは、非番の週と勤務の週が交互に入る仕組みになっている。
 開拓者を守護する一方で、団員自らも開墾に携わっていた時代の名残である。
 砦の外にも家と、土地を持つ騎士に利便を計るためにこんな勤務体制になっているのだ。自らの住む家と、所有する土地を管理するのもまた、騎士たる者の勤めなのである。

 しかしながら、独り者はもっぱら非番の週、勤務の週を問わず兵舎から離れることはなく。砦、もしくはその周辺で過ごすのが常だった。
 ダインやシャルダンのように、独り者でありながら外で過ごす人間は比較的少数派なのだ。

 今日、ダインがちびを連れてきたのは他でもない。猫好き(と言うか動物全般が好きな)後輩のためだ。
 砦の門をくぐり、中庭に入った途端に彼は面食らった。

「あれ、ロブ先輩?」

 出迎えに来たはずの当人が、むすーっと不機嫌そうな顔で、腕組みして待ちかまえていたのだから!

「ずいぶん早い到着ですね」
「昨日着いた」

 何から問い詰めるべきか。この期に及んでロベルトがまだ思案しているうちに、ダインは素早く馬の背から飛び降りていた。
 避ける暇もあらばこそ。駆け寄って、腕を広げ、全力でしがみつく。

「ロブ先輩! 会いたかった。会いたかったぁ!」
「おわっ」

 力いっぱいしがみつかれて、ぐらぐらと揺れる。むわっと無駄に発散される体温が押し寄せてくる。

「さっさと離れろ、暑苦しい!」
「……はい」

 ぐいっと押しのけると素直に離れた。少年の頃は容易く引きはがせたその腕を、今となっては全力を振り絞ったところで果たして外せるかどうか。

(こいつ、すくすくすくすくでっかくなりやがって!)

「それから。今日付けで俺は正式にアインヘイルダール駐屯所の隊長に就任した。だから、きちんと隊長と呼べ!」
「はい……すみません、隊長」

 眉尻を下げ、しゅん、と肩を落とす姿に急いで付け加える。

「それでいい」
「はいっ!」

 途端にぱあっと目を輝かせた。
 自分の些細な言葉に一喜一憂し、くるくると表情が変わる。相変わらず素直で、まっすぐで、欠片ほどの疑いも抱かない。
 以前は信じていた。何不自由なく育てられた純真無垢なお坊ちゃん。故に単純な奴なのだと。

 だが彼の置かれた立場や実の父親、その正妻たる女性から受けた仕打ちを知るにつれて呆れると同時に驚いた。

 自らの息子の跡取りとしての地位を守るため、事あるごとに悪意ある噂を流して彼を貶めてきた継母。年齢的にも、実力も申し分なく成長した『愛人の息子』が、正騎士になるのを断固として許さなかった。
 三ヶ月違いの兄は、形ばかりの修業を経てとっくに騎士になっていたと言うのに。
 正妻のその行動を知りながら、父親は見て見ぬふりを決め込んでいた。たかだか目、一つで。たかだか、色の変わる瞳を持って生まれた、それだけの理由で息子を疎んじていた。

 それでもなお、ディーンドルフは自分を慕い、信じていた。ロブ先輩、ロブ先輩とそれこそ犬っころみたいに後を着いてきた。
 己が身の不運を嘆いて世をすね兄を嫉み、捻くれることもなく。
 あんな扱いを受けて、よくぞここまで真っ直ぐ育ったものだ。

「ロブ隊長! 俺にも後輩ができたんです」

 珍しく、背筋をしゃっきりと伸ばしている。

「ほう。そうか。お前もようやく正騎士になれたんだってな」
「はい!」
「おめでとう。よくやった」

 その言葉を聞くなり、彼の顔がくしゃっと崩れた。目元に笑い皺が寄り、口が大きく開き、白い歯が光る。ディーンドルフは顔全体で笑っていた。

「ありがとうございます!」

(あーくそ、やっぱ変わってねえじゃないか、こいつ。相変わらずだな)

 だからこそ余計に、面白くない……あの男の存在が。
 素直で一途なこいつをたぶらかし、のうのうと好意と信頼を享受している、あの男が。

「ロブ隊長!」
「おう」

 呼ばれて我に返る。ダインの隣に二人、年若い団員が居た。一人は、つんつんにとんがった黒髪のがっしりした背の高い男。屋外作業の途中だったのか、騎士団の制服ではなく、丈夫な綿のシャツと、藍染めのズボンを身に着けている。

「エミリオ・グレンジャーっす」
「うむ。いい体をしてるな」
「ありがとうございます!」

 なかなか、はきはきして気持ちのいい返事だ。
 そしてもう一人は……

「シャルダン・エルダレントです」

 さらりとした銀髪に、深い森のごとき青みを帯びた緑の瞳、どこか真珠を思わせるなめらかな白い肌。女神のごとき美貌の年若い騎士には、見覚えがあった。

「お噂はかねがねダイン先輩から伺っていました。お会いできて嬉しいです、ロブ先輩!」

(おーまーえーかーっっ!)

 既に就任の挨拶は済ませてあったものの、さすがに団員一人一人の顔と名前までは覚えていない。まさか、よりによってディーンドルフがこいつを指導していたなんて!
 くわっと目を開き、銀髪の従騎士をにらみ付ける。

(いいか、言うなよ。余計なことは言うなよ!)

 渾身のアイコンタクトが通じたのか否か。シャルダンはすーっとまっすぐに近づいてきて……いきなりぷにぷにと二の腕を突いた。

「やっぱりいい筋肉してるなあ……さすがダイン先輩の先輩ですね!」

 褒められた。そう、騎士として、男としてそれは自然な憧れであり、しごくありふれた賞賛の言葉のはずなのだが。

「きっさまあああ!」

 とっさに脚を上げて、蹴り着けていた。

「断りも無しにいきなり触るとは、何事かぁ! それから、先輩ではない! 隊長と呼べ!」

 どっかとばかりに頑丈なブーツに蹴られてシャルダンは、バランスを崩して後ろにすっ飛ぶ。そのまま地面に尻餅をつくかと思いきや。

「……大丈夫か」
「ありがとう、エミル」

 エミリオが背後からがっしりと、受け止めていた。何か言いたげにこちらを睨む褐色の瞳を、憮然として受け止める。
 よかろう、言いたいことがあるなら聞こうじゃないか。
 そのつもりで身構えたが。
 シャルダンはぽん、と黒髪の相棒の肩に手を置き押しとどめ、自分は背筋を伸ばしてきちっと一礼してきた。

「申し訳ありませんでした、隊長。以後は改めます」
「うむ、それでいい」

 シャルダンが蹴られた瞬間、ダインは反射的にぴくっと指先が動いていた。
 だが、彼は理解していた。シャルダンは見た目より力が強く体も丈夫だ。そして、ロブ先輩は決して、酷い怪我をするような蹴り方をする人じゃない。さんざん蹴られて育ったのだ。それは自分が一番良く知っている、と。
 それにこの場にはエミルも居る。
 果たして彼の判断は的確だった。後輩のその落ち着き払った反応に、ロベルトもまた満足していた。

(成長したな、ディーンドルフ。すっかり立派な軍人になりやがって……)

 だがこの光景は、シャルダン目当てで差し入れ持参で訪れていた町のご婦人たちに、しっかりと目撃されていた。

「蹴ったわ。シャル様を蹴ったわ!」
「ひどい! 隊長さんひどい!」
「きっと『どS』ね!」

 ロベルト隊長は『どS』。
 その噂がこの後、光の早さで町中を駆け巡るのだが……ロベルトは知る由もなかった。

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3.迷走隊長どこへ行く★

2012/03/20 23:17 騎士と魔法使いの話十海
 
 黒毛のどっしりした馬が一頭居た。幅の広い短めの鼻面、子供の胴体ほどありそうな太い首。がっちりした胴体を支えるずんぐりした脚は、足首の周囲をふさふさと長い毛が覆っている。
 その堂々たる体躯から、重い荷を運ぶのに適しているとわかった。だが、まとう空気は馬車を引き荷を運ぶ馬にしては、いささか猛々しい。

 これは、軍馬だ。武装した騎兵をその背に乗せて、共に戦場を駆ける馬。

 そして、馬と同じようにがっちりした男が傍らに立ち、つややかな黒い毛並みに丁寧にブラシをかけていた。着ているシャツを肘のあたりまでまくりあげ、ざっかざっかと慣れた手つきで。
 くせのある金髪まじりの褐色の髪は肩まで届き、瞳は若葉の緑色。左目を覆うように前髪を被せ、背中を少し丸めている。まるで何かから隠れようとでもするように。
 岩を削り出したようなごつごつした体躯と、柔和な表情がどこかちぐはぐな印象を与える青年がそこに居た。
 最後に会った時よりも少しばかり背が伸びて、肩幅も広くなっていた。

(ディーンドルフ! ったく全然成長してないじゃないか、あいつ。進歩のないやつめ)

 変わらない姿に安堵する。
 同時に嬉しくもあった。良い馬を得て、熱心に世話をしている。鍛えられた体を一目見れば、日々の鍛錬を怠らずにいると容易に知れる。何もかも自分が教えた通りに素直に。
 まくり上げたシャツからのぞく傷跡の数々が、彼が勇猛果敢に敵に立ち向かったことを教えてくれた。
 男の尻を追い掛け回す、なまっちろい色惚け野郎に成り下がっていたらと不安だったが……。
 杞憂だったか。

 深く深く安堵の息を吐く。無意識に肩の力を抜き、かっくりと首が前にのめった。目線の角度が変わり、馬屋に居たもう1人の人物が視界に入る。

「ダイン、これ。香草の残りだ。馬が食っても大丈夫なものばっかりだから、黒の飼葉に混ぜてやれ」
「さんきゅ!」

 ダインと比べて頭一つ分は小柄な男だった。亜麻色の髪を首の後ろで一つにしばり、肌につるんととした艶があって、まるで皮を剥いたばかりのゆで卵のような質感をしている。
 男は眠たげな蜜色の瞳の目尻を下げてダインに笑みかけた。

「おいおい」

 手を伸ばし、ひょいと青年の前髪についた干し草を拾った。
 親しげな口調だった。慣れた仕草だった。何より、そこまで近づかれてもダインがちらとも警戒の素振りを見せない。

「いくら馬の手入れしても、飼い主がこれじゃ、なあ。片手落ちもいいとこだぞ?」
「……ありがとう」
「黒にかける手間の半分でいいから、自分の身なりもかまっとけ」
「うん」

 まちがいない。あれが。あれこそが、銀髪の言っていた『彼氏』にちがいない!

(あいつがディーンドルフをたらしこんだ張本人か!)

 無意識に拳を握った刹那。黒い馬がぬうっと首を伸ばし、男の服の裾に顔をつっこんで、ぐいっとばかりに押し上げた。

「うわっ、何すんだよ!」

 ゆったり羽織った服の下から、ちらりとのぞいた体はむっちりと肉感的で……妙に艶めかしい肌の上に、赤い点が浮いていた。それも一つではない。
 とっさに直視できずに目をそらしてしまった。
 虫刺されだと思いたかったが、この季節にあんなでかい刺し痕を残す虫はいない。何なのかは分かっていた。だが認めたくなかった。あれは紛れも無く肌に吸い付いた痕だ。
 位置からして、自分でつけるのは不可能。と、なれば、あれを残した人物は一人しか考えられない。

(お前か。お前なのか、ディーンドルフ)

「よしよし、お前さんほんっと人懐っこいなあ」

 男は焦るでなく、乱れた服を直すでもなく、顔をほころばせて馬の顔を撫でた。
 一方で飼い主は

「てめえっ! 何してやがる!」

 くわっと歯を剥き出して、男と馬との間に割って入った。

「馬相手に本気ですごむなよ騎士さま。なー?」
「けじめだ!」

 ぶるるっと馬は呆れたように鼻を鳴らした。

「ったく」

 肩をすくめると、男はまた手を伸ばし、くしゃくしゃとダインの頭をなで回した。子供や犬をなでるのとは、明らかに違っていた。髪に指を絡めて、くすぐるようになでさする。
 撫でられる方も目を細めてうっとりとして。あまつさえ、自分から顔をすり寄せている。

(何て顔してやがる)

 それはとても穏やかで満ち足りた表情で、自分の知っているディーンドルフとはあまりにもかけ離れていた。
 置いて行かれまい、捨てられまいと、必死に自分に取りすがってきた少年時代。あの痛々しいまでのせっぱ詰まった気配が和らぎ、ごく自然に他人を受け入れている。

(お前、こんな顔で笑えたんだな)

 ただの暑苦しい後輩としか思ってなかった。うっとおしいと追い払いさえした。
 だが、どんなに邪険にしてもディーンドルフは決して離れることはなかった。
 あって当然、何をしても失われるはずの無かった無条件の信頼とほほ笑み。別にありがたいとも嬉しいとも思わなかった。それが今は他の男に向けられている。

(面白くないぞ……何かわからんが、面白くない)

 こいつはもう、自分を必要としていない。暗にそう告げられたような気がした。
 
 東の交易都市に赴任が決まった時、ディーンドルフはまだ見習い……従騎士だった。
 既に充分な実力を備えていたにも関わらず、彼の継母にあたる女性が望まなかった、ただそれだけの理由で。
 成長を楽しみにしていた後輩なだけに、残して行くのは気掛かりだった。だがその反面、思ってもいた。これで潰れるようならそれまでだと。
 風の噂で正騎士になったと知った時は嬉しかった。今回の辞令でアインヘイルダールの隊長に赴任すると決まり、再会を楽しみにしていた。

(今度こそ、あいつを導いてやれると思ったのに)

 差し伸べた指先に、待っているはずの相手はいなかった。

 がくりとうつむくと、ロベルトはその場を立ち去った。力ない足取りで、とぼとぼと兵舎に引き返す。
 そうするしか、なかった。

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