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とりねこの小枝

3.迷走隊長どこへ行く★

2012/03/20 23:17 騎士と魔法使いの話十海
 
 黒毛のどっしりした馬が一頭居た。幅の広い短めの鼻面、子供の胴体ほどありそうな太い首。がっちりした胴体を支えるずんぐりした脚は、足首の周囲をふさふさと長い毛が覆っている。
 その堂々たる体躯から、重い荷を運ぶのに適しているとわかった。だが、まとう空気は馬車を引き荷を運ぶ馬にしては、いささか猛々しい。

 これは、軍馬だ。武装した騎兵をその背に乗せて、共に戦場を駆ける馬。

 そして、馬と同じようにがっちりした男が傍らに立ち、つややかな黒い毛並みに丁寧にブラシをかけていた。着ているシャツを肘のあたりまでまくりあげ、ざっかざっかと慣れた手つきで。
 くせのある金髪まじりの褐色の髪は肩まで届き、瞳は若葉の緑色。左目を覆うように前髪を被せ、背中を少し丸めている。まるで何かから隠れようとでもするように。
 岩を削り出したようなごつごつした体躯と、柔和な表情がどこかちぐはぐな印象を与える青年がそこに居た。
 最後に会った時よりも少しばかり背が伸びて、肩幅も広くなっていた。

(ディーンドルフ! ったく全然成長してないじゃないか、あいつ。進歩のないやつめ)

 変わらない姿に安堵する。
 同時に嬉しくもあった。良い馬を得て、熱心に世話をしている。鍛えられた体を一目見れば、日々の鍛錬を怠らずにいると容易に知れる。何もかも自分が教えた通りに素直に。
 まくり上げたシャツからのぞく傷跡の数々が、彼が勇猛果敢に敵に立ち向かったことを教えてくれた。
 男の尻を追い掛け回す、なまっちろい色惚け野郎に成り下がっていたらと不安だったが……。
 杞憂だったか。

 深く深く安堵の息を吐く。無意識に肩の力を抜き、かっくりと首が前にのめった。目線の角度が変わり、馬屋に居たもう1人の人物が視界に入る。

「ダイン、これ。香草の残りだ。馬が食っても大丈夫なものばっかりだから、黒の飼葉に混ぜてやれ」
「さんきゅ!」

 ダインと比べて頭一つ分は小柄な男だった。亜麻色の髪を首の後ろで一つにしばり、肌につるんととした艶があって、まるで皮を剥いたばかりのゆで卵のような質感をしている。
 男は眠たげな蜜色の瞳の目尻を下げてダインに笑みかけた。

「おいおい」

 手を伸ばし、ひょいと青年の前髪についた干し草を拾った。
 親しげな口調だった。慣れた仕草だった。何より、そこまで近づかれてもダインがちらとも警戒の素振りを見せない。

「いくら馬の手入れしても、飼い主がこれじゃ、なあ。片手落ちもいいとこだぞ?」
「……ありがとう」
「黒にかける手間の半分でいいから、自分の身なりもかまっとけ」
「うん」

 まちがいない。あれが。あれこそが、銀髪の言っていた『彼氏』にちがいない!

(あいつがディーンドルフをたらしこんだ張本人か!)

 無意識に拳を握った刹那。黒い馬がぬうっと首を伸ばし、男の服の裾に顔をつっこんで、ぐいっとばかりに押し上げた。

「うわっ、何すんだよ!」

 ゆったり羽織った服の下から、ちらりとのぞいた体はむっちりと肉感的で……妙に艶めかしい肌の上に、赤い点が浮いていた。それも一つではない。
 とっさに直視できずに目をそらしてしまった。
 虫刺されだと思いたかったが、この季節にあんなでかい刺し痕を残す虫はいない。何なのかは分かっていた。だが認めたくなかった。あれは紛れも無く肌に吸い付いた痕だ。
 位置からして、自分でつけるのは不可能。と、なれば、あれを残した人物は一人しか考えられない。

(お前か。お前なのか、ディーンドルフ)

「よしよし、お前さんほんっと人懐っこいなあ」

 男は焦るでなく、乱れた服を直すでもなく、顔をほころばせて馬の顔を撫でた。
 一方で飼い主は

「てめえっ! 何してやがる!」

 くわっと歯を剥き出して、男と馬との間に割って入った。

「馬相手に本気ですごむなよ騎士さま。なー?」
「けじめだ!」

 ぶるるっと馬は呆れたように鼻を鳴らした。

「ったく」

 肩をすくめると、男はまた手を伸ばし、くしゃくしゃとダインの頭をなで回した。子供や犬をなでるのとは、明らかに違っていた。髪に指を絡めて、くすぐるようになでさする。
 撫でられる方も目を細めてうっとりとして。あまつさえ、自分から顔をすり寄せている。

(何て顔してやがる)

 それはとても穏やかで満ち足りた表情で、自分の知っているディーンドルフとはあまりにもかけ離れていた。
 置いて行かれまい、捨てられまいと、必死に自分に取りすがってきた少年時代。あの痛々しいまでのせっぱ詰まった気配が和らぎ、ごく自然に他人を受け入れている。

(お前、こんな顔で笑えたんだな)

 ただの暑苦しい後輩としか思ってなかった。うっとおしいと追い払いさえした。
 だが、どんなに邪険にしてもディーンドルフは決して離れることはなかった。
 あって当然、何をしても失われるはずの無かった無条件の信頼とほほ笑み。別にありがたいとも嬉しいとも思わなかった。それが今は他の男に向けられている。

(面白くないぞ……何かわからんが、面白くない)

 こいつはもう、自分を必要としていない。暗にそう告げられたような気がした。
 
 東の交易都市に赴任が決まった時、ディーンドルフはまだ見習い……従騎士だった。
 既に充分な実力を備えていたにも関わらず、彼の継母にあたる女性が望まなかった、ただそれだけの理由で。
 成長を楽しみにしていた後輩なだけに、残して行くのは気掛かりだった。だがその反面、思ってもいた。これで潰れるようならそれまでだと。
 風の噂で正騎士になったと知った時は嬉しかった。今回の辞令でアインヘイルダールの隊長に赴任すると決まり、再会を楽しみにしていた。

(今度こそ、あいつを導いてやれると思ったのに)

 差し伸べた指先に、待っているはずの相手はいなかった。

 がくりとうつむくと、ロベルトはその場を立ち去った。力ない足取りで、とぼとぼと兵舎に引き返す。
 そうするしか、なかった。

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