▼ 10.それを可愛いと言うか!
2012/03/20 23:24 【騎士と魔法使いの話】
ド・モレッティ家のアインヘイルダールの館には、伯爵の母親……すなわちニコラの祖母が住んでいた。
入学する一ヶ月前からニコラは祖母の家に移り住み、今もそこから魔法学院に通っている。
移り住んだ、と言うより戻ったと言った方が近いかも知れない。何となれば祖母の館は、ニコラが幼少時代を過ごした懐かしい家でもあるのだから。
このことを一番喜んだのは、他ならぬニコラの祖母ド・モレッティ大夫人その人だった。
彼女は若い頃、巫女として水の女神リヒキュリアの神殿に仕えていた経験がある。しかしながら、ド・モレッティ家は騎士の家柄だ。
孫娘が自分の才能を強く受け継いでいることを感じてはいたものの、魔法を学ぶことを強く勧めることはできずにいた。
だが、自らの意志で魔法学院入りを望んだとあれば、話は別だ。
ニコラがフロウに魔法の才能を見出されたことを、ド・モレッティ大夫人はとても感謝しているのだった。
「おばあさまにも、よろしくお伝えしてくれ」
「はい!」
カロカロとキャンディを転がすかすかな音が響く中、ダインはうつむいてぶつぶつと呟いていた。
「ディーテって、女の子の名前だよな……でも俺、本名ディートヘルムだし……いいのか? これは、アリなのか?」
「しかめっ面してないで。ほれ、飴食え、飴」
「もらう」
素直にかぱっと開いたその口に、フロウはぽとりとキャンディを入れてやった。
口に入れるなり、ダインはがしっとキャンディを噛んだ。
「あ」
「あ」
「何か?」
「……いきなり噛む奴があるか。ったくせっかっちってーか、無粋だねぇお前さんは!」
「美味いぞ?」
ごりごりもっしゃもっしゃとキャンディを咀嚼するダインを見て、フロウは眉根を寄せながらも口元をほころばせるのだった。
「きゃあ!」
不意にニコラが悲鳴を挙げる。青い瞳の先には、作業台の上の解体中の人形。
(しまった)
フロウは舌打ちした。あんな不気味なもの、放り出してあったらそりゃ驚くよな。とっとと片づけておけばよかった。急いで歩み寄り、肩に手をかける。
両手をぐっと握りしめ、ぶるぶる震えながらニコラが見上げて来た。
「あー、その、ちょっと待ってろ、今片づけるから」
「師匠これどーしたの?」
「……………拾った」
「かわいい!」
どうやらさっきの『きゃあ』は、悲鳴じゃなくて歓声だったらしい。
「気に入ったのか?」
「うん、かわいい! すごくかわいい」
(かわいい? コレが?)
ダインとフロウは無言で顔を見合わせた。
(変だ)
(絶対変だ)
思っても口には出さずに。
「かわいいー。すごーくかわいいー」
頬を染め、テンションの高い声で繰り返す弟子を見守りながらフロウは考えた。
別に何ぞの術に使った痕跡はないし、必要な部分はもう取り除いた後だ。
「それ、好きにしていいぞ」
「わあい! ありがとう師匠!」
ニコラは手提げ袋から、さっと小さな巾着を取り出した。何気なく手元をのぞき込んだダインは、ぎょっとした。
水色の布地には、実にリアルな『魚』が刺繍されていた。質感といい、色合いといい、ウロコのざりっとした手触りまで伝わってきそうなくらいに、正確に描き出されている。
水中を泳いでいるのではなく、いかにもまな板の上に乗っていそうなやつが。
ほっそりした白い指がしゅるりと紐を引っ張ると、中から出てきたのは針と、糸と、ちっちゃなハサミ。
「いつも持ち歩いてんのか、裁縫道具」
「レディのたしなみよ! この巾着だって、自分で作ったんだから!」
「……その、魚の刺繍も?」
「そうよ。トンボとキノコもあるわ。見る?」
「いや、いい」
このレベルのリアルさで刺繍されているのなら、どんな出来栄えかはおおよそ見当がつく。
「そら、これ使え」
「ありがとう、師匠!」
取り出された触媒の入っていた穴に、フロウからもらった綿と乾燥ハーブの切れ端を詰める。ちくちくと針を走らせ、あっと言う間に人形の『割腹』が縫い直される……赤い糸で。
(何故、わざわざその色を使うーっ!)
「この子、目が無い……」
「ああ、これがついてた」
フロウは取り外したロードクロサイトのボタンを見せた。
「やっぱり、目はボタンだったのね」
「触媒に使えるんで、外しちまった。そら、代わりにこっちを使え」
「ありがとう!」
差し出された箱には、色も形も様々なボタンが詰まっていた。木や角、骨でできたボタンは、安価ながら術の触媒として人気のある商品なのだ。
「えーっと、これと、これにしよっと」
ニコラは緑色の木のボタンと、鹿の角で作られた白いボタンを選んだ。色も別々なら大きさもふぞろい、かろうじて形は丸いものの、鹿の角のボタンはやはり、少しばかり歪だ。
(何でそれを選ぶ?)
(あ、しかもばってんに縫い付けてるよ!)
男三人が固唾を飲んで見守る中、四の姫は修理の終わった人形を抱きあげ、満面の笑みを浮かべた。
「でーきたっ!」
(うーわー、すっげえ良い笑顔!)
「うーん、でもこれだけじゃちょっと寂しいから……」
しゅるっと髪の毛に巻いてあった水色のリボンを外し、人形の首に巻き付けてふんわりと結ぶ。
(いや、リボン一本でどうにかなる問題じゃないだろそれはーっ!)
「うん、かわいい!」
遠慮がちにフロウが問い返す。
「可愛い……のか?」
「可愛いよ!」
拳を握ったナデューが割って入った。
「用途を考えなければ、可愛いだろ! 個性的って言うか、味のある顔してるし!」
「あ、ああ、うん、そうだな、味があるな」
味がある。
便利な表現である。
「ニコラ君、人形好きなんだ」
「好きよ」
水色リボンを巻いた呪い人形を、ニコラは愛おしげに抱きしめて頬ずりした。
「ちっちゃい頃、おばあさまに素敵な人形をいただいて。大事にして、毎日どこへ行くにも連れて歩いてたわ」
「へえ」
ぼそりとダインが呟く。
「素敵な人形って、どんなんだろうなあ」
「聞くな……」
フロウはそっと目をそらした。
そんな二人のひそひそ話など露知らず、ニコラはうっとりとどこか遠くを見るようなまなざしをした。
「橋を渡っている時に、うっかり落としてしまって……流れが早くて、あっと言う間に見えなくなっちゃったの」
「それは、寂しいね」
「うん。三日間わんわん泣き通しだった」
幼い頃のニコラの悲しい思い出は、ダインの頭の中では妙な具合に変換されていた。
「……水死体?」
「いーからお前はアメ食ってろ」
「んぐっ」
「すぐ噛むなよ。ちゃんと味わえよ」
「わーったよ」
口に放り込まれた二つめのキャンディをもごもごと、素直にしゃぶるわんこを横目に、ナデューは穏やかな声でニコラに問いかけた。
「その子に、同じ名前つけてあげたら?」
「いいえ。だってキアラは女の子だったもの」
ニコラは両手で呪い人形を抱きあげ、ナデューに向けて差し出した。
「この子はほら、男の子だから!」
「……そう言う設定なんだ」
「あ、だから首にリボン」
「そうよ? 何か問題がある?」
大人三人が沈黙する中、ちびがにゅうっとのびあがって人形のにおいをかぎ、かぱっと赤い口を開けた。
「ぴゃあ!」
次へ→11.器を決めよう
入学する一ヶ月前からニコラは祖母の家に移り住み、今もそこから魔法学院に通っている。
移り住んだ、と言うより戻ったと言った方が近いかも知れない。何となれば祖母の館は、ニコラが幼少時代を過ごした懐かしい家でもあるのだから。
このことを一番喜んだのは、他ならぬニコラの祖母ド・モレッティ大夫人その人だった。
彼女は若い頃、巫女として水の女神リヒキュリアの神殿に仕えていた経験がある。しかしながら、ド・モレッティ家は騎士の家柄だ。
孫娘が自分の才能を強く受け継いでいることを感じてはいたものの、魔法を学ぶことを強く勧めることはできずにいた。
だが、自らの意志で魔法学院入りを望んだとあれば、話は別だ。
ニコラがフロウに魔法の才能を見出されたことを、ド・モレッティ大夫人はとても感謝しているのだった。
「おばあさまにも、よろしくお伝えしてくれ」
「はい!」
カロカロとキャンディを転がすかすかな音が響く中、ダインはうつむいてぶつぶつと呟いていた。
「ディーテって、女の子の名前だよな……でも俺、本名ディートヘルムだし……いいのか? これは、アリなのか?」
「しかめっ面してないで。ほれ、飴食え、飴」
「もらう」
素直にかぱっと開いたその口に、フロウはぽとりとキャンディを入れてやった。
口に入れるなり、ダインはがしっとキャンディを噛んだ。
「あ」
「あ」
「何か?」
「……いきなり噛む奴があるか。ったくせっかっちってーか、無粋だねぇお前さんは!」
「美味いぞ?」
ごりごりもっしゃもっしゃとキャンディを咀嚼するダインを見て、フロウは眉根を寄せながらも口元をほころばせるのだった。
「きゃあ!」
不意にニコラが悲鳴を挙げる。青い瞳の先には、作業台の上の解体中の人形。
(しまった)
フロウは舌打ちした。あんな不気味なもの、放り出してあったらそりゃ驚くよな。とっとと片づけておけばよかった。急いで歩み寄り、肩に手をかける。
両手をぐっと握りしめ、ぶるぶる震えながらニコラが見上げて来た。
「あー、その、ちょっと待ってろ、今片づけるから」
「師匠これどーしたの?」
「……………拾った」
「かわいい!」
どうやらさっきの『きゃあ』は、悲鳴じゃなくて歓声だったらしい。
「気に入ったのか?」
「うん、かわいい! すごくかわいい」
(かわいい? コレが?)
ダインとフロウは無言で顔を見合わせた。
(変だ)
(絶対変だ)
思っても口には出さずに。
「かわいいー。すごーくかわいいー」
頬を染め、テンションの高い声で繰り返す弟子を見守りながらフロウは考えた。
別に何ぞの術に使った痕跡はないし、必要な部分はもう取り除いた後だ。
「それ、好きにしていいぞ」
「わあい! ありがとう師匠!」
ニコラは手提げ袋から、さっと小さな巾着を取り出した。何気なく手元をのぞき込んだダインは、ぎょっとした。
水色の布地には、実にリアルな『魚』が刺繍されていた。質感といい、色合いといい、ウロコのざりっとした手触りまで伝わってきそうなくらいに、正確に描き出されている。
水中を泳いでいるのではなく、いかにもまな板の上に乗っていそうなやつが。
ほっそりした白い指がしゅるりと紐を引っ張ると、中から出てきたのは針と、糸と、ちっちゃなハサミ。
「いつも持ち歩いてんのか、裁縫道具」
「レディのたしなみよ! この巾着だって、自分で作ったんだから!」
「……その、魚の刺繍も?」
「そうよ。トンボとキノコもあるわ。見る?」
「いや、いい」
このレベルのリアルさで刺繍されているのなら、どんな出来栄えかはおおよそ見当がつく。
「そら、これ使え」
「ありがとう、師匠!」
取り出された触媒の入っていた穴に、フロウからもらった綿と乾燥ハーブの切れ端を詰める。ちくちくと針を走らせ、あっと言う間に人形の『割腹』が縫い直される……赤い糸で。
(何故、わざわざその色を使うーっ!)
「この子、目が無い……」
「ああ、これがついてた」
フロウは取り外したロードクロサイトのボタンを見せた。
「やっぱり、目はボタンだったのね」
「触媒に使えるんで、外しちまった。そら、代わりにこっちを使え」
「ありがとう!」
差し出された箱には、色も形も様々なボタンが詰まっていた。木や角、骨でできたボタンは、安価ながら術の触媒として人気のある商品なのだ。
「えーっと、これと、これにしよっと」
ニコラは緑色の木のボタンと、鹿の角で作られた白いボタンを選んだ。色も別々なら大きさもふぞろい、かろうじて形は丸いものの、鹿の角のボタンはやはり、少しばかり歪だ。
(何でそれを選ぶ?)
(あ、しかもばってんに縫い付けてるよ!)
男三人が固唾を飲んで見守る中、四の姫は修理の終わった人形を抱きあげ、満面の笑みを浮かべた。
「でーきたっ!」
(うーわー、すっげえ良い笑顔!)
「うーん、でもこれだけじゃちょっと寂しいから……」
しゅるっと髪の毛に巻いてあった水色のリボンを外し、人形の首に巻き付けてふんわりと結ぶ。
(いや、リボン一本でどうにかなる問題じゃないだろそれはーっ!)
「うん、かわいい!」
遠慮がちにフロウが問い返す。
「可愛い……のか?」
「可愛いよ!」
拳を握ったナデューが割って入った。
「用途を考えなければ、可愛いだろ! 個性的って言うか、味のある顔してるし!」
「あ、ああ、うん、そうだな、味があるな」
味がある。
便利な表現である。
「ニコラ君、人形好きなんだ」
「好きよ」
水色リボンを巻いた呪い人形を、ニコラは愛おしげに抱きしめて頬ずりした。
「ちっちゃい頃、おばあさまに素敵な人形をいただいて。大事にして、毎日どこへ行くにも連れて歩いてたわ」
「へえ」
ぼそりとダインが呟く。
「素敵な人形って、どんなんだろうなあ」
「聞くな……」
フロウはそっと目をそらした。
そんな二人のひそひそ話など露知らず、ニコラはうっとりとどこか遠くを見るようなまなざしをした。
「橋を渡っている時に、うっかり落としてしまって……流れが早くて、あっと言う間に見えなくなっちゃったの」
「それは、寂しいね」
「うん。三日間わんわん泣き通しだった」
幼い頃のニコラの悲しい思い出は、ダインの頭の中では妙な具合に変換されていた。
「……水死体?」
「いーからお前はアメ食ってろ」
「んぐっ」
「すぐ噛むなよ。ちゃんと味わえよ」
「わーったよ」
口に放り込まれた二つめのキャンディをもごもごと、素直にしゃぶるわんこを横目に、ナデューは穏やかな声でニコラに問いかけた。
「その子に、同じ名前つけてあげたら?」
「いいえ。だってキアラは女の子だったもの」
ニコラは両手で呪い人形を抱きあげ、ナデューに向けて差し出した。
「この子はほら、男の子だから!」
「……そう言う設定なんだ」
「あ、だから首にリボン」
「そうよ? 何か問題がある?」
大人三人が沈黙する中、ちびがにゅうっとのびあがって人形のにおいをかぎ、かぱっと赤い口を開けた。
「ぴゃあ!」
次へ→11.器を決めよう